はてなキーワード: サディズムとは
まず職業がしょうもない。定義的には職にはついておらず、ただ日がな一日パチンコをして、なにかあったら“事務所”に寄って、夜には負けて怒って家に帰ってくる。
それで30万円もらっていたらしい。ヤ○ザってすげえな。
次に子育てがしょうもない。基本的になんでも放置するくせに殴る蹴るだけはしっかりやる。
それで骨折して医者に行けば、後ろで「階段で転んだんだよな?」と俺に言ってくる。首肯した。
なにをしても褒めない。絵画コンクールで1番になっても褒めない。
その後入賞常連になったけれど「1番じゃないからなあ」とか言ってついぞ褒められたことがなかった。
でも罰だけは与える。サディズムがすげえな。
性格がしょうもない。あれをしてやった、これをしてやったばかりで「してやれなかった」「してしまった」ことを一度も口にしたことがない。
謝罪をしない。小さい頃電気屋で店頭デモのパソコンを夢中になって遊んでいると、父親が切れてしまい店員を殴って怒鳴り散らしていた。
お兄さんは鼻血を出しながら怯えきっていた。屑。すげえな。
考え方がしょうもない。俺が精神の病気になってもそれを認めようとしなかった。
父から見るとただの怠け者らしいので、これで治るはずだと整体だの電気治療だの行かされた。
俺は今も障害者手帳を持っている。顧みなさすげえな。
抗争になって“指定”になって、家にいると俺達兄妹も殺されかねないから1週間に一度しか帰ってこなくなった。
1週間に一度、いつ殺されるかわからないのにきっちり家に帰ってきて、お金と1週間分の食べ物を置いていく。
ワケは何も言わない。俺はそれをいいことに学校はサボり夜更かしして笑っていた。すげえな。
俺達が県外へ出ることを望んでいた。自分の評判が悪すぎるからということらしい。
“自分の子どもだと知られない方がこの子たちのため”だと思っていたようだ。すげえな。
子育てが本当にしょうもない。欲しいと口に出して言えば、どんなに家計が苦しくてもきちんと買ってくれた。
なにかしても謝りさえすれば一応許してくれた。
風呂場で、妹とふざけて溺れたふりをして「助けてー」と叫んでいたら血相を変えて駆けてきた。
母親は俺達を育児放棄していて、保育園の先生から見ても「お父さんに育てられなかったらあなたたちは死んでいた」らしい。
ヤ○ザになったくらいだから自分だって碌な育てられ方をしていなかったくせに、知りもしない無理した男手一つの育て方で今俺は27歳になっている。
「この子たちには母親がいないから、その分、物くらいは」と無理をして色んなものを買ってくれた。美味いものをたくさん食べさせてくれた。
それもあってか、今では自身が惨めな暮らしをしている。すげえな。
今は自分だってお金なんてないのに、何も言わず家出して関東に行った馬鹿息子が「生活が苦しい」と言えばお金を送ってくれた。
精神がおかしくなった俺が「死ぬから探すな」と書き置きすれば、あらゆる方面に連絡して探してくれた。
昔から家出をしたら絶対に探して、見つけて家に帰した。すげえな。
いつも俺に彼女ができないか聞いてくる。お前は痩せればモテるぞと笑う。
妹が癌になって死ぬかもしれないときには、どんなに金がかかっても治せる先生を見つけて付きっきりで看病していた。
俺が難聴になってしまったときも、県で唯一治せる病院に入れてくれた。
精神病も知識なんてないくせに方々に相談して一番定評のある病院に入れた。すげえな。
ヤ○ザである自分が長生きしていることに罪悪感と疑問を感じている。
「あそこの○○さんはきちんと働いて真面目だったのに亡くなって、俺がまだ生きていて……」と最近よくこぼす。
抗争で仲間内は皆死んでしまって、自分だけが生きていることが虚しいらしい。すげえな。
考え方が本当にしょうもない。生活費だけは絶対に取っておいた。
今でも浪費癖が激しい俺に貯蓄の重要性と効果的な資金の分け方を毎回教えてくれる。
どら息子は何度聞いても実行しない。すげえな。
今頃になって“自分が何をしてもらっていたか”にようやく考えが至った阿呆息子が仕送りやらを持って行くとお礼を言ってくれる。
俺はしてくれるのが当たり前だとありがとうなんて言ったことがないのに。すげえな。
いつ死んでもおかしくないと思っているらしい。もう72歳になる。
身体も弱って思考も鈍って、それでようやく自分の胸の内やなぜ昔そうしたのかを話してくれるようになった。
これを書いていて、そういえば、という風にしてもらったことが湯水のように湧いてきた。涙がとまらない。すげえな。
自分のことしか考えておらず、いつまでも親から何をされただのしてもらえなかっただの不満に思っていた。
何をしてあげられるかを考えていない。
世間で言う毒親に自分の父親もピッタリ当てはまると、一致する部分だけをことさらあげつらっていた。
一体どれだけのことをしてもらったのか考えていない。あとどれだけ話ができるのかわかっていない。
俺にできる復讐は、父の残る余生をしょうもなく平和に静かに、奴の領分であるしょうもない争いとは無縁の生活にさせてしょうもない退屈のまま過ごさせることだと思う。
なんだかんだ実家を訪れたら2時間ぐらい話して帰る。しょうもない。
未だに俺を心配している。しょうもない。笑って話してるがそいつは裏ではあんたの悪口を山ほど言いまくっていた人間の屑なんだぞ。
しょうもない。騙されやがって。
騙されたまま笑って余生を送れ。震えて眠れ。しょうもない。
言い方が強すぎるんじゃない?と指摘すれば「私ドSだからついついキツクなっちゃうんだよねw」
不快なのでやめてください。と言うと「俺ドMだから逆にそういうの興奮するわーw」
SとかMとか安直に分類しないでください。性的嗜好と言い張れば通じるとでも?
あなた方のはただのイジメ意識の正当化です。SMを都合のいい隠れ蓑にしないでください。
という私は別に、「SMにかこつけた言い逃れをする人」に怒っているわけではなくて…
「『マゾヒズムは自分に対するサディズムである』という、倒錯したサドマゾヒズムの根本を理解していない安直自称SM野郎」に怒っているだけの、にわか変態性欲者です。
違うね
つか、実際事件が起こってる中で、かつ自分や自分の大切な人間(女性とか)を被害の対象にしたあまりにもリアルに手口までさらして残虐行為に及ばれてる創作物があるのって怖いと思わないの?読む人全部が理性的とは思えない。創作物読んだら、主人公に感情移入することが目的に書かれるもんじゃないの?
レイプ最高!てのに感情移入しちゃう人もいるんじゃないの?一切被害者に罪悪感情ないどころかさらに追い詰めてくんだよ。相手を思いやらないサディズムつか残虐行為。をふわっとした表紙で間違って読んじゃう人もいるんじゃない?
作者が描いたエロいという特定の記号を、一部の人間がこれはエロいものって刷り込まれるんだよ。スルーする人間もいる。
例えばロリ専門エロ雑誌を見てもすべての人間がエロいと思う訳でないし、逆にすべての人間がそれを嫌だという感情を持つ訳でもないでしょ?
ただ、それを読んで一部の人間はそういった表現をエロいことと認識してしまうんだよ。
男性向けAVだってただのパフォーマンスなのにそれがリアルと思い込んじゃう人がほとんどじゃん。
学習とかなしにそういう性的志向に目覚めちゃうことって恐ろしいよ。
他に殺人とか反社会的な表現なんて創作物においていくらでもある。わかる。
相手は力も知識もない子どもで、あまりにもリアルな犯行の手口をマンガ内に描くのってどうなの…。
たまたまそんなのを読んでしまわなければ目覚めなかっただろうと思うんだけど。
ゾーニングと自分で3次元欲求対象への欲望が抑えられなくなりそうな時の対処法や相談連絡先などの記載とか、対策をしてほしいんだよ…。
子を持つ親としては、不快とかじゃない、恐怖だよ。
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。
フェミニズムとは何だろうか。
私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。
しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。
そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズムの理解の取っ掛かりになれば幸いである。
フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラル・フェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。
現在のラディフェミの理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズムと表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者の社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源はポルノであるという揺るぎない確信から、ポルノの法規制を推進する。
ポルノが性犯罪を誘発するという統計的な証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィと性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者が告発することも認められない。
ポルノには、ホモもレズも二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすいゲームやマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノンである。
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノを諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。
J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義・ジェンダー・家族",1989,*3)であり、「女性と男性の重要な差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。
夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児が押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。
このように家庭内の賃金、労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミは女性の社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性の育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育の重要性を訴える。
なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性の創造",1965)が示すように、フェミニズムを男性と女性の権力闘争化することに否定的立場をとる。
出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである。女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統的フェミニズムである。
女性の社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。
日本ではさらにそこに独自の思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸・君が代をシンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別と男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。
レズビアン・フェミニズム、ブラック・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグ・フェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアル・フェミニズムとか。
同性愛者とフェミニストの関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイ/レズビアンの視点と、ポスト構造主義の理論を、政治的にひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線を理論的に張ることが出来るようになった。
リベフェミは広範な男性差別は否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別は肯定する。ラディフェミは男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性だけが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別は肯定されるのかもしれない。
セクハラ、家庭内暴力、中絶、女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタクと関係の深い「性の商品化」について取り上げる。
マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化」であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。
リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待、強姦、日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全な思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府の検閲に利用されると強く批判する。
一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示の権利の行使」であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本のフェミニズム6,2009)」とする。
ここから見えてくる点として、女性が「不愉快」であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから、表現の自由は全く関係のない話である。
リベフェミであるマーサ・ヌスバウムは嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニングの妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的にポルノは市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳派フェミニスト宣言",1997)としてゾーニングは効果がないと批判する。
ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。
そのような不快感を根拠とした規制は恣意的な運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているからである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである。
なお、福島瑞穂は非実在児童のポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田の見解がマルフェミの共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノの法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫・昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定数存在する見解であるように思われる。
初期の日本のフェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学の担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。
こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。
「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。
「理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。
これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。
このようにフェミニズムは一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本のフェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸」フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニストの愛国心に苦言を呈している)。
最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場で上司が女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力は夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正にフェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。
私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。
いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。
自分の根源的な快楽を禁じて、信仰の強さを我慢することで実感するのが喜びって言うマゾ性と、
その教義や倫理の名のもとに他者を容赦なく裁くっていうサド性が両方強い。
このサド嗜好とマゾ嗜好は、結局正義への偏愛ってことにまとめられるのかもしれない。
あいつら正義っていう旗印が大好きすぎて、潰れそうになりながら旗印を支えることも、その旗印で他人を完膚なきまでに叩きのめすことも異常に好んでる。
なんでそんなに正義を求め、その元に集い、その名のもとに行動したがるのかはわからんけど……。
ありがちな考察だと、過剰に正義たらんとするのは、劣等感や不安が強いことの裏返しである、つまり劣等感が強いから正義の一員になることでマトモな自分というのを得たくなるし、不安が強いから正義という確固とした道標に従いたくなる、なんてのは言えるかなあ。
痴漢は良くないことで、撲滅すべきです。
しかし、ダメだ!だからやめろ!というだけでは根本的な解決にならないでしょう。
ここは視点を変えて、そもそも痴漢をする側のモチベーションとは何か整理し、できる対策は無いか考えてみたいと思います。
というかモチベーションっていったら要は性欲しかないんですが、どういったフェチに対する性欲なのか、というところを整理していきます。
電車の中で大きな声を出して目立ちたくない、痴漢されていることを不特定多数に知られたくない、逆ギレされたら怖い、などの理由で声を上げられない女性に対し、一方的にハラスをしかけることの嗜虐心。
わりとわかりやすいサディズム。いじめることでの女性側の怯えるようなリアクションを楽しんでいることもあるでしょう。
また、通学通勤電車などでロックオンされてしまうこともあると思います。本当にヤバいのでこれだけは何とかしたいところです。
対策として、痴漢に対して怯えていないことを表現することが重要です。
怖がっていない素振り、すげぇ怒っている・軽蔑するような表情をする、などの反応をすることが必要でしょう。
「てめぇ電車の中だから静かにしてるけど外であったらぶっ殺すからな」ということを目で伝えましょう。
非常に難しいですが、なんとかがんばってほしいです。
電車の中という公共の空間でエロいことをしている、ということに対する背徳感。
満員電車など、女性側も痴漢なのかたまたま手や股間が尻に来ているのかわからない、という状況が多いでしょう。
行き過ぎると車内ぶっかけなど、どうしようもないところまで行くことがあります。
ターゲットはとにかく混んでいる満員電車でたまたま密着してしまったなど、ランダムに選ばれてしまうなど。
これに対する対策は、バレていることをちゃんと伝えることでしょう。
すげぇ引いたリアクションをするのがいいのではないでしょうか。
ただ、背徳感からのちょっとしたM気質の人だと、軽く睨んだくらいでは逆効果かもしれません。
根は弱気だと思うので、軽くつねったり指を折ったりすると引いてくれるのでは。
満員電車内、女性に密着して興奮しまったので、つい触ってしまった、というタイプ。
これも非常に対策が難しく、そもそも近づかないようにするしかない、ということしかない上に、リアクションを取ったとしても逆ギレされた場合の反応が非常に大きい場合があります。
少なくとも2度は無いように、乗る電車などを変えるしかないかもしれません。
幸いこのタイプは見た目で判断しやすいことも多いので、なるべく遠目から確認しましょう。
と、まずは代表的なものを上げいろいろ考えたのですが、やはり女性側の対策というものがなんとも難しいということを再確認しました。
元増田だけれど、そういう、SMプレイみたいな場面で語られる狭義のサドマゾとは別の話なんです。
セックスの際のプレイ傾向や、実際にDVをするというのではなくて、もっと原罪的な、
「この世界と社会で男が男として女に接するだけで、無視すべきでないレベルの暴力や抑圧を否応なしに与えているのだ」
というフェミニストの主張に基づいて、サディズムとか暴力とかの言葉を使いました。
ちなみに、セックスの際のプレイの好みで言えば、むしろ私はマゾ寄りだと思います。
レイプ系では男性がどうしても責める側になるけど、売春みたいな作品においては、女の人に責めれたり掘られたり射精管理されたりする方が好きなので。
こういう拗らせ方をする前は、ラブラブセックスものでも男性受けを主に好んでいたし。
もともとは、男性受けで女性上位な物語の方が、女性を尊重していて政治的に正しく、罪深くなく、私は悪くなく、
でも今は、それら狭義のマゾ男系の作品も「自分をちょうどよく責めてくれるファンタジーを女性に押し付けている」みたいな後ろめたさを感じるようになりつつはあります。
SはサービスのS、MはマスターのM、なんてよく言われますけど、合意セックスの際のサド・マゾというのは本来どっちが上位かというのは判然としないわけで、
たとえばフェラなら「フェラチオを無理やりさせる」だと男の側が上位っぽいけど、「フェラチオで搾られる」だと女性側が上位っぽくなります。
お互いにちょうどいい責めっぽい雰囲気・受けっぽい雰囲気を作り合うのがセックスなのだろうけど、
男性である私が女性に「私にとってちょうどいいレベルの攻め方をしてほしいな」と期待するのは、
私が男性であることで意識せずとも女性に与えている暴力・抑圧でもって強要することにあたってしまうのだろう、と後ろめたくなるんです。
フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達) - Togetterまとめ
これにまとめられてるまくるめさんのツイートを最初に見た時私は凄く共感したんだけど、
RTされたり、更にこうやってトゥギャられたりするにつれて、
最初のまくるめさんとその周囲1クリックが持ってる感覚から外れた方向にも話が行ってる気がしたので、あれこれ書いてみた。
が、よくよく考えてみると、これはまくるめさんについて分析したのではなく、
まくるめさんのツイートに勝手に共感した私自身についての自己分析になってたので、
インターネットをしたり幾つかの本を読んでいると、
「男性が女性と性的関係を持つ際は、男性から女性に対する暴力や消費やサディズムが発生することを避けられない」と暗に明に主張するフェミニストを目にする。
この場合のフェミニストというのは、もしかしたら他に厳密な言い方があるのかもしれない。
たとえばラディカルフェミニスト、フェミナチ、ミサンドリストとかの、フェミニストの中でも偏った層かもしれない。
だが少なくとも私には、あの人たちの、男性の暴力性を訴える主張がインパクト強く受け止められた。
男女は不公平なものであり、そして性的関係においてその不公平さは特に発揮され、許されざる……なるほど!!
けれども私は異性愛者で、しかも割と性欲の強い方で、女性に性欲を向けずにはいられない。
つまり、女性に暴力性を向けずにはいられない悪辣な存在だ――少なくとも、私が意識したフェミニストの主張に沿えばそういうことになる。
だが、私は善人たりたい、いいカッコしたい、優等生でなければならないという意識も強く、自分のその悪辣さを仕方がないものとスルーすることはできなかった。
たとえ架空の女性キャラクターに対しても、素直な性欲を向けるのは自分が差別主義者である後ろめたさがつきまとったし、
私ではない主人公の○○君がヒロインと純愛を繰り広げる話であっても、暴力を美しい欺瞞でデコレートしてあるようで不道徳に見え、
異性愛には暴力性が伴う、だが性欲は消せない、つまり私はサディズムや暴力性を捨てられない、それとどのように向き合えばいいか……。
葛藤の結果、とりあえずの落とし所として私が縋ったのが、
「加害意識のない加害者よりは、加害意識を持ってする加害者の方が少しは誠実で公正だ」という倫理観だ。
この倫理が正しいかどうかは大変議論の余地があるだろうが、私自身を納得させるには足りた。
だから、男性の暴力性や加害性を極端に強調したハードレイプものや調教物、
女性が男性とセックスする理屈が明確な損得として可視化された売春物などを好むようになった。
女性に対する暴力を発揮する作品であることも、それを私が好んでいることも変わらない。
だが、その悪辣さを、美しい愛などという欺瞞で隠していない分だけ、僅かに免罪してもらえるような気がして、少しだけ安心できた。
桜の枝を折らずにはいられないけれど、それならせめて分かりやすく折っている方が許してもらいやすくなるはずだ、と(ワシントンと桜の逸話は創作らしいが)。
また、私は男性が登場しない百合作品も好む。そこには男性から女性への一方的暴力は存在しないから。
もちろん作品内にも現実にも同性間の暴力は存在するのだろうが、
私に強く影響を与えたタイプのフェミニスト達は、同性間においても恋愛は間違いなく暴力構造になっている、
ということをあまり言わないので楽しんでも罪深さを感じずにすんだ。
ところで、上記のまとめで家族について話が及んでいたが、私も家族関係にはわだかまりがある。
私の場合、家族環境がこの話の中でどういう影響を与えたかというと、
「男性が女性と性的関係になるとき必ず暴力性を発揮する」なるフェミニストの主張をすっかり受け入れてしまいやすくなった、
ということをもたらしたと思っている。
もしも健全な家庭環境で、男女間相互の愛の素晴らしさとか、性別に関わらず無償の愛を与えることが互いを幸せにするとか、
そういう愛や性愛の美しさや正義や有益さを信じられるように育っていたら、
フェミニストの主張を、ここまで深く飲み込み染まらずにいられただろう。
「暴力性が存在するなんて一面的でしょう、私の両親同士や、親と私という、愛しあい幸福である実例があるんだから」と、
心の中で反論できたのだと思う。
でも私はそうじゃなかったので。むしろ愛に対して不信感を抱いて育ってしまったので、
「なるほど、やっぱり男女関係はおぞましいものだよな!」と納得してしまったのだ。
もともと私が目にしたフェミニストたちは
「男女関係においては男性の暴力性が発露しやすいから気をつけましょう」程度にしか言ってなかったのに、
あの人たちの意見を幾つも集積した上で私は家庭環境によるフィルターをかけて、
「男性が女性と性的関係を持つ際は、男性から女性に対する暴力やサディズムが発生することを避けられない」とまで意味を強めたのかもしれない。
愛の素晴らしさを実感するとか、私の暴力性を許されるとかしたら少しは拗れが治るかもしれない。
暴力性について極論を言えば人間関係は全て暴力のやりとりなのだから、異性の恋愛関係についてのみどうこう言うのもおかしな話だ。
しかしそうは言っても私は、特に自分の性欲が女性から許されない感覚が拭えない……許してほしい……
許すそぶりを見せてくれたら治るんじゃないかな……甘えさせてほしいな……
でもどうせそこまで受け入れてくれたり面倒見てくれる女なんて現れねえんだし、フェミニストどもも家族も俺をここまで拗らせた責任は取ってくれねえんだ!
クソ! クソども! 女はみんなクソだ! 俺をここまで苦しませやがって! 俺はミソジニーに走るぞ!!
……という方向にはいかないようにしたい。三十路童貞なので三十路ニーくらいにしておきたい。
友人のYは、ちょっと危ないなとは思ってた。仲間内の中でも「あいつはきっとホンモノのマゾヒストだ」って密かに噂されてた。
けど、さすがに「ちょっと布団で巻いて欲しいんだけど」と真剣に頼まれた時は、頭の中で盛大にパトランプが回ったよね。(これは! ガチで! ヤバいやつ!!)って。
私「え……何……布団……?」
Y「そう。それで俺をくるんで、縛って欲しい」
私「しば……?」
Y「ああ、何で縛ればいいんだろう……あ、延長コードとかでいいかな?」
私「え、私が? Yを? 縛るの?」
余程怪訝な顔をしてたと思う、いや、して当然だと思う。
いろはすをガブガブ飲んでいたYは、私の珍妙な顔を見てキョトンと返す。
Y「いや、何も本格的に筵(むしろ)でくるんでくれとは言ってないじゃん?」
私(え、簀巻きって筵でやるのが正式なの?)
断っておくけど、Yはただの友達だ。彼のプレイに協力する義理も必要も、一切無い。
気を付けの姿勢で横たわるY(ちなみに、暑いだろうからという理由でパンツ一丁だ)の首から下をくるんと布団で巻く。出来るだけ圧迫してくれと本人が強く希望するので、胸部・膝付近の二ヶ所を延長コードで強く縛る。ごわごわしてやりづらいし、女一人の力では足りない気がする。人を簀巻きにするのがあんなに大変だとは思わなかった。
延長コードはYが用意していた結束バンドとやらで固定した。あれ、便利だね。まさか人を巻く為に使うはめになるとは思わなかったけど。って言うか何で常備してるんだろう。
ジャジャーン。Yの簀巻き、一丁上がりー。
見るも無残な簀巻きっぷり! 手も足も出ないとはこのこと!
ひょっこり頭だけ布団から飛び出してて、かえって無力感が増してる。
私「で、後はどうするの?」
Y「何もしなくていい」
私「うぇ?」
Y「今から、そうだな……2時間。俺の上に座って、漫画でも読んでてくれればいい」
えっ、この簀巻き状態で放置プレイを敢行? しかも私を参加させるつもり?
簀巻きのYは当然身動きもロクに取れず、ただ力無くフローリングの床に転がるだけ。更に漬物石(=私)を上に乗せて2時間を茫漠と過ごすって、それ何が楽しいのよ。
丸太にまたがる時の要領で、友人である(はずの)Yを布団で巻いた何かにまたがる。胴の辺り。
Yの妹が愛読していると言う『君に届け』が揃っていたので、とりあえず手に取る。
『君に届け』がなかなかどうして面白くて、しばらくはYの上にまたがっていることを忘れて読んだ。
Yはすごく大人しくて、実に優秀な簀巻きだった。呼吸による微弱な動きも、モコモコな布団に吸収されるのかあまりこちらに伝わってこない。
3巻を読み終わりそうな頃だから、30分くらいかな。だんだんモゾモゾが目立つようになってきた。
そりゃあね、身動き一つするなって言われたって、生きてるんだもの。するよ。身体のどこかが痒くなったり、居心地悪く感じたり、絶対にする。動かしたくなる。
でもYは動けない。
Yの簀巻きが不快そうにモゾモゾ動く。「……んん」みたいな、吐息めいた声が微かに漏れ始める。ああ、気持ち悪くなってきたんだなって思った。でも私は何も言わないし、どいてもあげない。
2時間のゲームが始まる前、Yに念を押されたことが1つだけあった。
どういう意味かは後々よーくわかった。
モゾモゾが目立つようになってきて、7巻を読み出す頃、Yが明確な言葉を発した。
Y「ね、ちょっと解いて」
来たか、と思った。試されている。
私は「んー」とあからさまに上の空で答えた。
Y「脚がさ、痺れてきてて」
私「あー」
Y「攣りそうなんだよ、ほんとに」
私「そりゃ大変だ」
私「もうちょっと頑張ってみよっかー」
何してんだろ、私。とは思った。
脚が痺れてきたのはきっと嘘じゃないんだろう。1時間も重石を乗せて同じポーズでいたら、そりゃ身体のどこかしらが悲鳴を上げる。
彼がマゾヒズムを味わいたいと言うのなら、私はサディズムを発揮しなければならないのだ。目覚めよ、私の内なるサディストよ!
Yは聞いているこっちが可哀相になるほど、憐れな声を上げ始めた。おずおずとしたお願いが、徐々に鬼気迫ると言うか、迫真の嘆願へと変わっていく。
まるで本当に筵にくるまれて東京湾に落とされる寸前みたいなテンションで「解いてくれ!」って言ってくるから、(えっマジなの? マジでヤバいの?)ってヒヤヒヤしっぱなし。『君に届け』ってこんなに冷や汗が噴き出すようなホラーな漫画でしたっけ?
Y「漏れる」
私は戦慄した。そして唐突な記憶のフラッシュバックが脳裏を襲った。
まさかこれも計算なのか? 事前の水分摂取により、簀巻きプレイ中に圧倒的尿意を催すことを計算していたのか? そうまでして自分を限界へと追い込みたかったのか?
二十代男子が「おしっこ漏らす」のって、もう人としてアウトだろ。人として。
そこまでスレスレの状況を楽しめるのかこいつは、と私は心底愕然としていた。それとも私が知らないだけで、放尿プレイとかが紳士淑女の貞淑なお遊戯の一つとして流行ってたりするの?
漏れそうなYはモゾモゾどころか牡牛の如くのたうち回り始めて、上にまたがるどころではない。私はロデオなんて嗜んでないんだよ、悪かったな。
呆気なく振り落とされたカウボーイの私は、Yが苦悶の表情で「漏れる」「もう」「だめだ」と言った断片的なワードを唸るのを茫然と見ていた。あと15分もこれを観戦してろって言うのか。苦行かよ。
ハサミでパチンと結束バンドを切断し、布団から脱皮したYは酸欠なのだろう(そうだと思いたい)、紅潮した顔でぼーっとしていた。
早くトイレに、と言いかけたが、もうその必要は無くなっていた。
名誉の為に言っておくけど、彼は簀巻きにされている間、尿意に耐え続けた。人間である為に、ひたすら我慢して我慢して我慢した。
だから、簀巻き状態から解かれた瞬間に気が弛んだとしても、まぁ、何も可笑しい話じゃないのだ。
「性的志向と性的嗜好には貴賤があるんだろうか?(スカトロジストとしての自己)」http://www.open.sh/entry/20141031/1414716284 (id:netcraft)
と、そのコメントや反論記事を読んでいてどうしても言いたかったのでここで書きます。。
まず
>「スカトロはいわゆる「プレイ」だから性的指向とは全く別の問題だろ。幼少期から糞尿そのものが性対象なの?」
っていう意見について…、
私の場合は嗜好の内容はそれとは違いますが、9〜10歳ごろの性への理解とほぼ同時に、自分の性的な特性を自覚しました。
それも、そういう内容の広告を見て、「ああなるほど、私は『これ』だったんだ」という認識でした。
つまり傾向自体はそれ以前に漠然と認識しつつ、そのときに名前を与えられたという状態でした。
大人になってから「選択」したわけではなく、幼少期から自覚する性的嗜好によって、それに悩み、矯正を試みてもやはり駄目で、人には相談できず、自己の存在に疑問を持ち続けるということがあるという事を、できれば知って欲しいです。
(三島由紀夫のたしか「仮面の告白」はこれがテーマじゃないでしょうか。幼少期の糞尿汲取人への思いからの自己の正当性への葛藤。三島の場合は男色がメインの「告白」ですが、サディズムとスカトロジーも、言えない欲求として存在しています)
>「嗜好は秘めやかに楽しむ」…
もちろんLGBTの方々よりも日常生活における問題は少ないですし、それゆえ公にする必要はないと言えます。
また、嗜好によっては安全面、倫理面などに問題があって、実践そのものが不可能な場合もあります。(ロリコンの問題もそうよね?)
だから多くの少数性的嗜好者はそれを特定のパートナー(全然出会えない)や、想像や、小説やイラストだけで満足させて、他ではおくびにも出さず、きちんと現実社会と折り合いをつけています。
しかし、自分が「生得した」傾向は、どんなに悩もうと矯正できない…。
そんな中で、それをお笑いのネタにされたり、人々に無条件に嫌悪されたりするのは、仕方ないと分かってはいても辛いものです。
この点はLGBTの方々と共通するんじゃないかなと思っています。一緒にして欲しくはないかもしれませんが…。
折り合いをつけられなかった場合(神戸児童殺傷事件の少年Aがその例です:「少年A 矯正2500日全記録」 が大変参考になります)には「治療」が必要です。
しかし折り合いをつけて生活が出来ている限りは「それは単に病気じゃないの?ちゃんと治したら?」という意見も、なんというか、悲しいだけです。「そうかもしれません」としか言えません。
それを簡単に「治療」してくれる相手もほとんどなければ、それをしなくてはならない理由は(社会生活との折り合いをつけられている限りは)ありません。
元記事のさいとうさんがどんな人か知らないし、普段からおちゃらけているのか、どんな社会的立場の方なのかも知らないですが、記事にはとても共感しましたし、問題になったブコメも私と同じ気持ちでつけたんだろうなと思いました。
その性的嗜好を本当に親しい人にはカムアウトしてきた、その結果距離をおかれたこともあるとの記述がありました。
自分という存在の中で大きな割合を占めるもの、本当の自分を語るには避けて通れないものを、本当に親しい人にもずっと隠して生きていかなければいけないのは、やはり悲しくて、辛いことです。
私は女性なので、大きな誤解も招きかねないですから、現在はダンナ(どノーマルです)以外にはカムアウトはしていません。
ダンナとは普通のことしかしませんから、本当は実現できるパートナーの方が良かったのかとも思っていますが、そういったパートナーに幸か不幸か恵まれなかったこと、子どもが出来たのちにそれが何らかの形で悪影響になってはいけないと自分で思っていたこと(注・このことは「その嗜好がやはり悪徳じゃないか」という証明にはなりません。現在の社会規範から外れていることが問題だからです)から、現在わたしは自分の性的嗜好を現実に満たしてはいません。
今後も、忘れたことにして胸の内だけでたまに思い、その人生を選んだのは自分だと言い聞かせるだけです。
先般のSMバー問題の報道において、「政務活動費で補われるものであったかということは問題だが、SMという性的嗜好自体を問題とするのは、よくないのではないか」といった言説を複数目にして、「すごい、時代は変わっている、嬉しい」と感動していた矢先のことで(そしてそれはLGBTの方々が社会に受け入れてもらえるように活動し、それが認められてきたことに付随するものだと感じ、感謝しています)、立て続けに考えさせられたので、ここに書かせてもらいました。
傍で観ていて、ああ、こういう人が60年前にチューリングを殺したんだなぁと実感した。
odakin氏がアニメファンであるということから彼を批判し、反論すれば絶交宣言をした上でセクシストでペドフィリアで性犯罪者だと罵り、あまつさえ公職から追放するべきだとすら言う。
自分を肯定する意見をRTしてリプライの形で非難し続ける。はっきり言って集団サディズムが聞いて呆れる。
こういう人が言うことは決まっていて正義だから、だ。被害者を守らなくてはいけないからこれは正しい行為、だ。
差別の直接の被害者をなくすことは重要だし社会的地位においての平等は重要だと思っていたとしてもアニメファンであればその内心にズカズカ土足で踏み込んで
「この野蛮人が!」
と言ってのける。素晴らしい正義だ。集団サディストはみんな自らを正義だと思っている。
こう言うと彼は、この意見をくだらない相対主義だと言うだろう。
ここに書いたことを彼は卑怯だと指弾するだろうが、私は寛容でなくなった彼があまりに怖いので直接やりとりは出来ない。
書かずにいようと思ったが書かずにおられなかった。恐怖にかられてさっき匿名ダイアリーの使い方を調べて今書いている。
この恐怖はきっと誰かを殺すだろう。
文字通り、地球を丸ごとぶっ壊す物語です
木っ端ミジンコです
手段は問いません
ただし、主人公が主体的かつ能動的に地球をぶっ壊す筋書きがいいです
敵方の親玉が地球をぶっ壊そうとしていて
それを阻止するために主人公一派が活躍するとかじゃないやつです
そういうのは求めてません
隕石の落下を土木屋が阻止するとかいう映画もお呼びじゃないです
目的もなんでもいいです
嫌な思い出ばっかだからぶっ壊そうっていうのでも
なんとなくぶっ壊したくなったでもかまいません
あと、ぶっ壊す手段と過程を丁寧に描いてくれると嬉しいです
「爆弾だー!設置した―!バボーン!」とかじゃないのです
http://anond.hatelabo.jp/20140613183050
淡々と地球をぶっ壊すために調査と研究と(ひっそりと)人脈作りを続けていって
最後にようやく研究が完成して地球ぶっ壊しスイッチを押してめでたしみたいなの
そこに至るまでに激しい戦いがあって、犠牲が積み重なっていって死屍累々になるとかじゃなくて
科学者だかなんだかの主人公が淡々と地球ぶっ壊しの準備をしていくのがいい
ここまでピンポイントな作品は存在しないと思うけど、自分の頭の中ではこういうのが展開されてる
ハリウッド映画みたいなドンパチとかド派手なエンタメは求めてないですね
そうそうそういうの
もう正義とか悪とかどうでもいいんだよ
正義が勝って地球が守られて終わりとかじゃなくて
思うさまチーキュをぶっ壊してくれていいんだよ
極東の島国の霞が関にある経済産業省という所が高速利権増殖炉もんじゅを使って1tものプルトニウム暴走させて地球ぶっ壊そうとしてるよ。文字通り地球を丸ごとぶっ壊す物語です。木端ミジンコです。誰か止めろよ
そういうことじゃないんだよ
オレサマ流のイカしたジョーク発表会みたいなノリはいらないんだよ
しかも1トン程度のプルトニウムで地球が爆発四散するの?
こっちは地球が爆発四散するぐらいの木っ端ミジンコを求めてるんだよ
スペースダンディ六話の「パンツとチョッキの戦争じゃんよ」ぐらいのやつ
アラレちゃんじゃねぇ
コロ助じゃねぇ
木っ端微塵ではないが,ゴジラ
だーかーらー
木っ端ミジンコじゃねーじゃーねーかよ!
しかも知ってるし!
観たことあるし!
観たことあるし!
観たことあるし!
惑星のさみだれはむにゃむにゃ。
そこそこ期待してるわ
増田はボーゾックか何か?
完全にシグナルマンの方しか頭になかったですね
ボーゾックっていう名前すら忘れてたし
ヤマトが惜しいけど、最終的に壊れてないんだよなぁ。意外と難しいお題っすわ。
ちゃんと答えようとしてくれてありがとう
幼年期の終わりは木っ端微塵になってないし、水曜日には雨が降るは宇宙ごと消してるけど、主人公じゃないしミクロコスモスの中の地球だし。宇宙魚顛末記なら主人公のせいでお魚さんに食べられたな。作られた奴だけど
主人公じゃなくても、地球をぶっ壊すがの悪の親玉じゃなかったら良いです
木っ端ミジンコっていうか地球をぶっ壊しまくって生命がいなくなった系も求めてます
とりあえず、以前に読もうとして挫折した幼年期の終わりから読んでみます
今なら富野由悠季が破滅的な物語を作った気持ちがよくわかる気がする
続猿の惑星
地球を破壊する過程を丹念に描いたシリアスSFはひとつしか知らん。(参考: http://qntm.org/destroy)
あああああああああああああああああああああああああ
こういうの欲しかったああああああああああああああああ
ありがとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
流石だわ
やっぱこれだね
こういう事まじめに考えてるのって尊敬するし
そういう知識がちゃんとあるのも尊敬するし
それを知ってて紹介してくれたことにも尊敬の念を隠せないね
とてもありがとう
たしかYAIBAが未遂したな
あの絵柄でそんなやばそうな物語なのかよ
誰かDr.スランプって書けよ
とっくに書いとるんだわ
もう2回も挙がっとるんだわ
「惑星のさみだれ」が良いと思います。
それも挙がっとるんだわ
それもちょうど2回挙がっとるんだわ
どんだけその作品支持されてんのと思ったわ
「地上最強の男 竜」ぐらいしか思いつかなかったが、増田のお気に召す作品じゃないな。
それってけっこう知名度ある作品なのね
知りませんでした
三池監督のDead or Aliveかな?
それもう観たことあんのよ
ていうか地球をぶっ壊すことを目的とした話じゃないしね
意外にないのか
かなり挙がってる方だと思う
ガチで教えてくれる人はほんとにありがたい
え、なんでみんなコズミック・ゼロをあげないの? 清涼院流水の「コズミック・ゼロ」を読め! サブタイトルは「日本絶滅計画」だけど、まあネタバレっちゃネタバレだけど、最終的には世界まるごと消去だ!
やっぱSFだね
よむよむ読んでみますねー
つーかレイフォースやってたの今思い出した
懐かしいから買い直してもっかいプレイするね
さっきのボーゾックといいなんでこうも簡単に忘れちゃってるんですかね
ガッチャマンの歌
歌は別にいいです
真っ先に浮かんだのはアラレちゃんの地球割りだったw
4回目だよ
好きだねみんな
もう百万回見たわそれ
やっぱ惑星のさみだれやな!
みんなこれ好きすぎじゃない?
なんなの?
裏で団結してるの?
こういう書き方されると気になるじゃねえかよおおおおおおおお
なんだよロウって誰だよ
「なるたる」はどうだろ
鬼頭莫宏ってすぐ人間グチャグチャにしよるイメージあるからなぁ
それ考えると手を出すのが正直ためらわれるわ
いや読むけどね!
真鍋譲治かよ
読むわ
この生きとし生けるものに溢れた地球をぶっ壊して欲しいんだよ
教えてくれてありがたいけど土星の衛星とかには興味ありませんわ
地上最強の男 竜
四回目だわ
そういえば、あまり思い出さないな。ジャンル違いでは "Two Tribes"(Frankie Goes To Hollywoord)のPVと、"Galaxian 3"(PS)を思い出したけど。
正直あんまりですね
『博士の異常な愛情』?
最終兵器彼女。ちせちゃんが可愛すぎて、最後の方はよく覚えてないけれど、地球をぶっ壊したような。
二人で宇宙へ旅立ったところしか憶えてないけどもう一回読み直してみる
手塚治虫の『上を下へのジレッタ』とか…
手に入りそうかは分からんけど一応探してみるね
でも妄想じゃなくてSF的なアプローチでぶっ壊す奴がいい
ついでに小松左京的じゃないやつ
惑星のさみだれは、確かにそうだけど、多分この人の目的とは違うんじゃないのかなって。
いいんだよ
とりあえず読んでみればいいんだよ
ロウルートってカオス⇔ロウのロウだよ。法律のロウだよ。恥ずかしいね。 ARMSとかは?地球は壊れないけど、主人公が暴走して人類の危機的みたいな事になるよ。あと、逆襲のシャアで良いやん。シャアは主人公だよ。
うぜええええええええええええええええええええええええええ
さり気なく煽んなやボケがあああああああああああああああああああ
「ロウルート」でそこまで読み取れるかくそがあああああああああああああああああああ
つーか人類の危機とかいうレベルでもねえんだよ
生きとし生けるもの全てが生きられなくなるように地球が丸ごとぶっ壊れるやつがいいの
逆襲のシャアとかそもそもみてないわああああああああいいいいいいい
ああ、スターウォーズ#4のデススターの実験並に地球が壊れるのが欲しいのか。難しい注文だな。SFに幾つかありそうだけど、粉々ってのはあったかなぁ。
まあそんなホイホイとは出てこんとは思うよ
地球をぶっ壊す目的の作品とか自分でもどうかしてると思うしね
赤色巨星と化した太陽に地球を丸ごと飲み込んでほしい
ドラえもんの道具ぐらい手軽に地球ぶっ壊せたらいいのにね
https://www.youtube.com/watch?v=AduVwOPhW50&feature=player_detailpage#t=369
そんな映像だけ見せつけられてもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
どないせいっちゅうんじゃ!
ググれと?
ググるしかないのかああああああああ
ググるわ
これぞ増田っていう使い方でとてもいい
そういうもんなの?
シンプルでいいねこれ
教えてくれてありがとう
あらすじあったから置いとくね
http://occult-atoaji.sakura.ne.jp/?p=7397
あらすじを見るまでもなくゲッターロボって時点で違う気がしてたけど
ウィキペディアのあらすじ読んでみたらやっぱり違ったわ
正義とか悪じゃないんだよ
地球の存亡とかかけて戦わなくていいんだよ
ただひたすらにぶっ壊すことに邁進してくれれば
緩やかな衰退と人類の絶滅っていうのは
地球がぶっ壊れるっていうのとはぜんぜん違う
作品自体は面白そうだから読むけど
ありがとね
あれだけじゃアッサリ過ぎてわかんないよおおおおおおおお
たぶんあと10000000人ぐらいおんなじこと書くやつ出てくるよ
考えるだけで書かないやつなら100000000000000000000000人ぐらいいるよ
この全レス正直しんどいわ
なんで俺がこんなことせにゃならんのよ
それだけでわかるかぼけえええええええええええええええええ
ていうかあのおっさんの漫画ってネット上ではでよく話題になるけどちゃんと読んだことないわ
「ぼくらの」のラストバトルは地球を壊さないで丁寧に対処したからなあ。/松井優征の短編「離婚調停」とかはどうだ。暗殺教室と違って破壊に着手している。
そのラストは知りたくなかったああああああああああああああああああああああ
なんでそんなこと教えたの?
もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
ウシロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
ンモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
イチローかな?
それも二回目だよ
アラレちゃん言われたw
だあああああああああああああああああああああああああああああ
かあああああああああああああああああああああああああああああああああああ
らああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
古墳バスター夏実の3巻で、主人公が敵(平行世界の自分)と戦ううちに、自身の使う次元魔法で地球をぺちゃんこにしたくなる(けど寸前で止める)って描写があった…かなぁ…?と、うろ覚えの記憶がうずきました
魔法より科学の力とかでなんとかしてほしい
だから今はSF寄りがいいかなって気分
ていうか古墳バスターってなんすか?
古墳ビルダーと四隅突出型墳丘墓のダニエルが思い出されるわ
ちゃうねん
「ザ」をつけろよと
タイトルにはちゃんと忠実でいてくれよと言いたい俺は
作者のことも考えてくれよと
あとテロリンが人類に対してなんかするんじゃなくて地球をぶっ壊すやつがいい
ちょっと休憩しよう
元に戻んないぐらいの大花火がいいんだよなぁ
でもありがとね
ギャグ路線なの?
ギャグ漫画で何回もぶっ壊すんのは違うんだよ
ただただ一回のぶっ壊しに命をかけてほしい
もう10000000000000000000000000000000回ぐらい登場しとるわああああああああああああああああいいいいいいいい
『暗殺教室』の殺せんせーが「一年後に地球を破壊する」と宣言してるから、そのうち地球破壊するんじゃないの。
あれじゃないです
いちいちツッコミを入れて誠実?だけど偏屈バカっぽい増田は、サドの『閨房哲学』でも読めばいいと思うの。「地球壊すのが最高のサディズム」て出てるだけだけど、現代人ってサドの理想のサディスト。
地球環境を破壊するのか
地球を丸ごとぶっ壊すのか
そこで違ってくるでしょう?
作家志望でアイデア閃いたってやつはここに書き込めばいいと思う
辛口な連中にせっかく考えたアイデアをボロクソに叩かれて
俺はもうダメなんだって思う人間がこのさき出てくるんだろうなぁ
小松左京の「地球になった男」は一度地球壊してるけどなんか違うし
関係ないけど小松左京にSFっぽさをあんま感じないんだよなあ
「地球め!澄ました青しやがって!クール気取りか!ムカつくんだよ!」
しょうがないね
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E9%82%A6%E5%AD%90
ロボット工学三原則に第零法則が加わったとか聞くと面白そうだし
ウィキペディアであらすじだけ見ると面白そうなんだけど
アシモフのSFってそれを辿るのが苦痛なんだよね
なにせ読みづれえ
ギッシリ文字の詰まった翻訳文見るとそれだけで憂鬱になるね
こればっかりはしょうがない
でも教えてくれたのには感謝
ガッチャマンクラウズの「Gotcha-man~In the name of Love」の方が好きです
相変わらず作画がひどくてタツノコの疲弊っぷりを実感する出来だったけど
色々な作品が出てて良いね。あとで読んでみよう / さよならジュピターの木星と地球をすり替えたバージョンみたいのがいいって事かね。
また小松左京か
タイトルちゃんとせんかあああああああああああああいいいいいい
もうね、疲れた……
でもBIOMEGAの絵柄ってなんか見たことあるなぁと思ったら
7、8年ぐらい前にチラッとだけど読んでたんだよね
ようやく思い出した
人類に対するテロっていうのは違うんだよなぁ
地球をぶっ壊す方法を大真面目に考えるやつがいい
でも映画は面白そうだから観てみる
元気な人だな
元気があれば地球もぶっ壊せんのかなぁ
あのおっさんにとってのロボットとか正義と悪とかってオマケだったんだろうなと思う
本当にやりたいのは地球とか人類とか宇宙とかをぶっ壊して終わりにするっていう
そこがキモであって、よくあるお約束に飽き飽きしてたんじゃないかと思う
争いを求めずに生きていきたい
そこは穏やかにいきたい
えらい大真面目系だなあ
つーかこういう所がはてななんだよね
こういうものを持ってきてくれる人がいるあたりそう思うよ
変わり種だけどありがとね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%AE%E9%99%90%E7%95%8C
全然忘れてたわ
つい数年前に見たはずなのに綺麗さっぱり忘れるとかホントどうかしてるわ
どうしてくれる
それはそれとしてこれは面白そう
『岸和田博士の科学的愛情』? ぜんぜん丹念に破壊してないけど
未読だけど全然丹念に破壊してなさそうな風景しか思い浮かばない
マーズ余裕。よくあんな結末で編集が許したなw
俺なら許すよ
もっとやってくれ
言いたいことはさっき書いてしまった
永らく支配するより沢山奪ってぶっ壊したほうが楽だしね
猿顔の一般市民ってワードだけは鮮明に憶えてる
結局はどんだけの人がいるかってのが大事だからね
こういうの好きだわー
大好きだわー
ここまで酷い増田は久々。ヒマな人がうらやましいね。とりあえず永遠の戦士読んでおけや
実際自分でもどうかしてると思うよ
つーか割と最近のやつなのね
http://ncode.syosetu.com/n3595bn/
そうなんだよなーそこなんだよなー
地球までちゃんとぶっ壊すっていうのはなかなかないよね
そんなもんそうそうあってたまるかって大体の人は思うだろうけど
ケロロ軍曹のアンゴル=モアに一票
昔はめっちゃ可愛いと思ってたんだけどいつのまにかそうでもなくなった
スイカでも割ってろ!
増田は自力で地球ブッ壊す話が読みたいんじゃな。面白そう
そうなんだよ
「そうだ 地球、ぶっ壊そう。」っていう発想のもと研究を始めるみたいなね
この人が書く地球をぶっ壊す話が読みたい。
やってやりたいけどそれってすげー大変じゃない?
ガチで地球をぶっ壊す話書きたくなったらどうするの?
書き上げなきゃ気がすまなくなったらどうすんのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
っていうわけよ
やっぱり、イデオンとマーズを最初に思い出すな。何? こんなの考えること自体、不謹慎だとっ。それなら貴志祐介の「新世界」でも読んどけ。人類が皆、地球を壊せる能力を持った未来の作品だ。
「新世界より」だっつってんだろうがああああああああああああああああああああ
つーかあれ全員そうなのか?
これ流行ってんの?
だいたい皆当たり前にこんなことやってるもんだと思ってたけど
増田の読みたい話を増田自身の手で書いてみるのも一興なのでは?
結局のところ行き着く先はそういうとこなのね
語呂はいいよね語呂は
あのおっさんって日本で一番成功した職業SF作家なんだろうなとは思う
あと小松左京不可避って書くとお経の一節みたいね
岸和田博士はぶっ壊してたか。あと、TOP2は身内のせいで未遂か。
やっと返信終わったあああああああああああああああああああああああああああ
けどまだこの後も続くんだよなああああああああああああこれ
おいおいなんでドラゴンボールがないんだ。魔人ブウが粉々にしたよ。月は二回ぶっ壊れてるしナメック星もぶっ壊れたし惑星ベジータもぶっ壊れた。
地球以外の星がガンガンぶっ壊れればいいってもんじゃないんだよ
つーかそこじゃないんだよ
よく読めと
面倒くさいだろうがああああああああああああああああああああああああ
人力検索でかしこまってこんな頭のおかしな事を訊けというのかあああああああああああ
そんなのを受け入れてくれるほど温かみのある場所なんですか?
ワールドイズマイン(出てた)
出てるんだわ
何億年先だよ!
つーかほんとにそうなのか?
「シドニアの騎士」だと壊されるし、壊された後の話なんだよなぁ
あれもあれで面白いと思うよ
その手のは売れないからなかなかかかれないよな
商業ではそうなんだろうねホント
ゲーム会社がどないやねん
文字通り、地球を丸ごとぶっ壊す物語です
徹夜で全レスとかするもんじゃないわ
この条件ならなるたるかな?と思いつつ読んだら「鬼頭莫宏ってすぐ人間グチャグチャにしよるイメージあるからなぁ」で全生物根絶やしにしたいのに人間グチャグチャはダメなのかと思いました。あと英語読めるのが意外
好き好んでグロい描写が見たいわけでも好きなわけでもないんだよ
やっぱそういうのって精神的に結構くるしね
あと英語は予想通りあんまわかってねーよ
とりあえず増田が面白い(作品回答できなくてごめん)
面白がってくれるんならそれでいいよ
さみだれが愛されてるのはわかった
作家冥利に尽きるだろうな
続き
http://anond.hatelabo.jp/20140615175002
集計結果
程度問題だな。
一般的に許容出来る程度、というか店の経営者が「ここまではアリ」と
考えている程度のサディズムを満たしたいならそれはアリだろう。
しかし、「ここまではアリ」の基準は
良く稼ぐ嬢は当然ながら店の庇護が厚いし
店も「従業員を守る」ってパフォーマンスをして損はないからな。
その辺ホント気をつけろよ。
「ルールを守れなかった人」って全裸写真を晒されるくらいならまだ良いが
警察さんから見るおまえさんは「異常性欲者のサディストでキチガイ」だからな。
抗弁なんかまるっきし聞いてもらえんぞ。
「ヒロインが高圧的な発言を行う→ディスプレイの前でオタクがありがたがる」は成り立つけど、
ディスプレイの前でオタクが高圧的な発言を行ってもヒロインは何も返してくれないだろ。
だから受け身になっていくんだよ。
私自身はヌルオタでありオタクに特別な嫌悪感を覚えている人種ではないが、また一人称が「私」だからって女だというわけではないのだが(笑)、
前々から1つオタク共に問い詰めたいほどの疑問を感じる所があった。異様にMが多いのである。日本男児情けないぞと言われてはやウン十年であるが、ちょっとそれとこれとは事情が違う。
一般人におけるドM男児の占める割合など比べものにならぬくらい、オタク男性の中でM属性を持つと判断される言動をとる人間が多いのである。
あまりにも顕著な社会現象であるためこの主張に異を唱える人も居ないだろう。それくらい多い。これは何故なのか。本当に何故なのか。
ところで、俺自身の性的嗜好(性癖という言葉は間違った日本語なので注意されたい)はどちらかというとサディストであり、古き良きSM文化にシンパシーを感じる人間でもあり、
努力家をドM扱いしたり安直な攻撃性をドS扱いしたりして茶化すやうな昨今の軽々しいSM文化には金太郎飴のように苦り切った顔をすることの連続である。
また、人間誰しも両面性を持つのだという人間観の持ち主でもあるから、特定の人間がSかMかの判断は簡単には行えないことも弁えているつもりだ。
しかしながら、基本的には男性は公衆の場ではSのほうがジェンダーとして自然であって、M男性を全否定までしないけど、
あまりそんな性的嗜好を前面に出すのはダサいし気持ち悪いから、プライベートなプレイとしてこっそりやっててくれないかなと思っているような偏った思想の持ち主でもあるので、
このドMオタクの問題をまこともって由々しき問題と捉えているわけだ。
それはそうと、このようにS嗜好をカミングアウトすると、即座に次のような典型的なツッコミが入れられるのが我が国のネット社会では通例となっている。
すなわち、「女性に対する苦手意識、ならびに男性としてのコンプレックスがあって、また現実に女性からまともに相手にされなかったり、酷い仕打ちを受けたトラウマ体験があったり
するから、なんとか優位に立ちたくてS妄想を繰り広げているのではないか?また、世の男性どもにSを期待するのも、女性へのいわば報復の一環ではないのか?」。
とまあこのような反応はごく自然である。というのも、トラウマと報復、苦手意識と正当化といった心理構造自体は、S男性という枠組みに限定されることなく、社会の至る所で見られ猛威を振るっており、
その暴力装置にびくびくと震えながら、疑心暗鬼に過ごしているのが現代人の諸相だからだ。したがって、安直にそのような認定をする気持ちはよく分かっているつもりだ。
しかしまあ、結局のところ性的嗜好は公に理解されるべきものではないし、理解を求めるものでもないと思うので、拙者は正当化することなくただS嗜好であると事実を述べるのみでござる。
とまあ今の話は余談であるが、本論と関係した部分もあって、基本的に性的嗜好はプライベートな性格を持つべきものであるが、
その性的嗜好とある程度関わりのあるジェンダーというシロモノは、これは公的な性質を持っておる。ここに矛盾が生じるわけである。
つまり、安易にお前はSだのMだの認定したり、くだらないSM談義でもりあがったりし、挙句の果てには俺はSまたはMなんだぜとばかりに公共の場で言動をとる。
そのようなことがジェンダー文化という名のもとに正当化されている気持ち悪い現代社会だなあ、とニヒルな顔で斜に構えながら厨二的に思うわけである。
でだ。オタクは空気が読めないと言われてきたが、それは一般人と価値観の異なる部分があるため、どうしてもわかり合えない部分があるのだ、という類いの擁護を繰り出すことはできた。
しかしながら、公共の場でドM自慢と言えるほどのアピールをしてしまうことには、ちょっと擁護をしかねる。
これと関連してバカ自慢、無知自慢という現象も昨今急速に広がりを見せている。バカや無知のフリをすれば批判されにくく、一定のある種の社交性を獲得することができる。
厳しいアスファルトジャングルにおけるその生存戦略は分からないでもない。しかしそこまでするかという話である。
元来女性社会においてはそのような文化があった。周知のとおり、女が女に言う可愛いは建前である。水面下では激戦が繰り広げられているのだが、表面上は謙遜して譲り合う。それが日常だった。
男性社会ではそのような文化は考えにくかった。男性は見栄と強がりの文化と言える。面と向かって相手を論難し、俺のほうが強いぜと威張る。結局大人になっても50歳になっても、形を変えるだけでその本質は変わらない。
孔子も60歳を耳順とした。これはどう考えても学問どうこうの話ではなく男性特有の一般的性質である。
それがどうよ。今では男性でもオタクに限定すればありえないくらい卑屈なのが多い。そう、卑屈なのである。
近年誤解が右肩上がりに蔓延しているが、本来的にはマゾヒズムと卑屈さはさほど関係がない。卑屈さというのは性格の問題であって、本人がどう足掻こうと常に卑屈なわけである。一朝一夕には変わらないし誤魔化せない。
しかしマゾヒズムやサディズムというのはあくまでプライベートな嗜好であって、外面的な性質(社会的性格や容姿)からそのような嗜好が形成されるケースはあるにせよ、さほど直接的な関係がないのである。
偉そうな社長で秘書にもブイブイ当たってるからってSであるとか、痩せていてクリクリした目をした男だから気弱そうに見えるだけなのにそれだけでMであるとか、
そういう安直な扱い加減は、もはや本来のサディズムやマゾヒズムとは全くの別物だということを理解してほしい。
そこで俺は本来のSMのことはサディズム、マゾヒズムと専門的に言い回し、現代の国際社会に蔓延る本来のSMとは似て非なるSMのことは世間と同じようにS、Mと呼んでいる。
この用法に従うと、極度に卑屈だからってマゾヒスト認定するのは抱腹絶倒のナンセンスなことであるが、ドM認定するのは全然オッケーということになる。
これでもう分かったと思う、オタク男性にドMが気持ち悪いくらい多い理由が。これはもう文化大革命と言えるほどの逆らいがたいIT社会のビッグウェーブなのである。
ジョン・タイターも2000年問題に挙げ、クレイ研究所も事態の深刻さを鑑みてミレニアム問題として提起した。それほど、事態は深刻なのである。