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2014-12-08

デリヘルで女の子を呼んだら、家庭教師時代の教え子が来ました。2

デリヘルで女の子を呼んだら、家庭教師時代の教え子が来ました。2

http://anond.hatelabo.jp/20141206233411

続編

自分もびっくりの偶然の出会い

どうするか すごく悩んで結局また呼ぶことに

ところがお店では予約満 違う子をお勧めされたが断った。

 

夜7時までの出勤だったので、終わってから思い切ってメールした。

  「昨日はびっくりしたけど、今日バイト?」

すぐに返事が来た。

「○○先生、昨日は私もびっくりしました。今回のこと黙っててください。お願いします。」

  「今日会える?」

「これから家に帰るのでごめんなさい」

高校生当時、この子の家の門限は午後9時。

結構厳しい家庭で、部活で遅くなったとき親子喧嘩をしていた。

夏休みアルバイトも親が許したものじゃないとダメで、海の家バイトダメファーストフードダメ、あれこれダメ

、結局よくわからない親戚の会社の受付みたいなバイトに収まった記憶あり。

  「そうか、じゃまた今度夕食でも誘っていい?」

「いつですか?」

  「じゃ、今」

「○○先生 どこにいるんですか」

  「○○駅の近く」

「私も今○○駅の近くにいます

ちょっとだけ会う?○○の前に今から行くから

  「はい 今行きます

待ち合わせ場所で、教え子はマスクをしていたけど、すぐにわかった。

外で見ると一弾とかわいかった。

細身に出ているところがわかるセーター。

目が会うと手を降った。

  「いやーエロいぞ」

「何言うんですか 急に」

 

  「今日もあのバイト?」

はい 本当に誰にも言っていないですよね」

  「もちろん」

少し前まで男の人と遊んでいた体からは何かフェロモン分泌がすごい。色気がいっぱい

すぐに息子が立ってしまって 体をかがめてしまった

「○○先生 もしかして

  「不覚だ ちょっと待ってて」

変な想像をなぐりすて、数式やゴッホの絵などを思い浮かべて気を紛らわせた。

「そこのマックに行きますか」

  「おっおぅ」

お腹をかがめながら、マックに行ったら、すごい激混み

  「すごく混んでいるね」

「ちょうど夕食時だから

  「どうしようか」

ラーメンという感じでもないし、実は静かな場所ゆっくりと説得したかった。

 

パチンコの音やカラオケ店の音 喧騒から逃れられる場所を探した

  「○○ちゃん 静かな場所がいい」

「じゃ、そこのホテルはどうですか?」

 (ホテルやばいでしょ)

  「それ、ラブホじゃん」

だって ○○先生、かがんでいるし」(笑)

 

  「家に帰らなくていいの?」

「実はさっき家に電話して○○先生に会ったこと話して遅くなると伝えているんです」

  

  「お腹すいていない?」

ホテル料理呼べるんですよ」

  

  「詳しいね。ぼくより知っている。」

「実はそこのホテルじゃないけど、昨日違うホテルピザが出てきてすごく美味しかったんです」

  「へぇ 普通電子レンジのチンで出来るピザじゃないの」

「よくわからないけど、美味しかったですよ」

しかに静かな場所といったらホテルが一番。

で、フロントお金払って入りました。3,500円。

 

ちょっと懐は痛いけど、うるさい居酒屋よりはマシだし、秘密の会話も漏れないし。

あと、やれるかもという邪な考えもあり、でもやっちゃいけないという理性もあり

心の中で戦っていました。

 

ホテルに入ると、

疲れたー」と言って寝入る教え子。

  「おいおい 寝るなよ」

「○○先生 私を説得しに来たんでしょ わかる」

いたずらっぽい目をして、急にタメ口っぽくなった。

  「そうだよ そりゃ止めたほうがいい ○○ちゃんがするようなバイトじゃない」

「でも大丈夫です! お客さんいい人ばかりだし危ない目にはまだ遭っていないし」

  「体が心配なんだよ」

大丈夫だって、ちゃんと消毒しているし、本番はしていません」

  「フェラでも危ないんだぞ」

「だったら先生も危ないよ」

  「うん まぁ そうなんだけどな」

「すぐに辞めるから お願い 黙ってて」

手を合わせて目をつむる。

  「いつまでやるの」

お金が貯まったら」

  「それまでこのバイトやるの?貯まったら絶対やめる?」

「なんで○○先生、私のことそんなに心配するんですか?」

  「そりゃ心配からさ」

「○○先生 彼女さんどうしたの?」

  「話そらすなよ 彼女とはすでに別れているよ」

へぇ 今フリーなんだ」

  「まぁな

デリヘルってよく使うんですか」

  「うん まぁ ここ半年ほどご無沙汰だったけど」

「でも本当にビックリですよね。すごい確率

  「俺もびっくり。こんな偶然あるのかって」

「私、彼氏と別れてからすごく悔しくてそれでエステに通うようになったんです」

  「・・・・」

「やせれば彼氏が振り向いてくれるかなって」

  「そうだったんだ で?」

彼氏は別の子と付き合うようになっちゃって その子、私の友達なんです。」

  「???

「ひどいと思いません?」

  「いや、まぁ」

「それでサークル やめたんです」

  「別れた理由は?なにか言っていたの?」

「おそらく私がエッチさせないからだと」

  「???

彼氏がしたいのはわかっていたんです。でも私は痛いので断っていたんです」

  「???

愛さえあればエッチはしなくても大丈夫だと思っていた」

  「もちろん 無理にするもんじゃない」

「でも彼氏は違っていたんです 私が断ると怒りだすし」

  「そりゃ別れて正解だわ」

しか浮気していたんですよ 二股かけられていて」

「で、私 見返してやると思ってエステサロンに通うようになったんです」

「むしゃくしゃしていたし、よくわからないまま契約して、しばらくエステに通って」

「そうしたらクレジットカードの請求書が届いて、それ見てびっくりしました」

  「そうかぁ」

「だからお金が貯まるまで、○○先生、黙っててくれませんか お願いします」

  「もちろん 内緒バイトなのはわかった」

「○○先生、ここどこか知ってる?」

  「ラブホテル

「ホ・テ・ル」

教え子は、部屋を暗くして、脱ぎ始めた。

  「いやダメでしょ」

「ローション あります

  「いや しないよ」

すっかり裸になった教え子 カバンからローションのボトルらしきものを取り出す

おっぱいがボヨヨンと揺れる 触りたい

「この前のようにしてください」

  「はい?えっ あの時の?」

 

そう言いつつ、パンツを脱ぎ捨ててました。

 

もう猿です。

ゴムを装着する時間も惜しんで 抱きつきました

ビンビンになっていたちんちんにローションを塗って教え子の下を触る

すっかり濡れていました

バイトでやられまくったに違いない

そんな想いを巡らせながら、正常位の体勢に。

  「ゆっくり入れるね」

頷く教え子

ゆっくりゆっくり

「痛い」「あぁん」

「痛い」「あぁん」

痛がっているのはわかっているけど、息子がガマンできない

クリを刺激しながら、ゆっくりと入れていく

生で入れる感触はゴムの時と大違い

かい液体を亀頭で感じ、ローションと交じり合う

今日は案外スルリと奥まで入る

でも教え子は痛がって顔をしかめながら、でも息が荒く

はぁ はぁ 汗と香水匂いが交じり合う

ゆっくりと奥まで入れた時

「はぁはぁ 奥に入っている」

  「うん 奥に入っているよ」

「○○先生 いいっ」

  ゆっくり動かす

  おっぱいが揺れる

 

  生はやばい

 

ついに出そうになったとき、理性が戻り、すぐに抜いてお腹へ。

いつもより多く出た

 

「○○先生

  「○○ちゃん」

軽くキスをして、そして獣のようにキスしまくった。

 

うたた寝をしていると、フロントから延長するかどうかの電話が鳴った。

教え子も起きだす

30分だけ延長することにしてすぐにシャワーを浴びた。

  「早く帰らないと。門限大丈夫?」

今日はパパ出張から大丈夫

  「お母さんに言わないと」

「あとで電話します。そうだ、○○先生と会うと言ったら会いたいと言っていました」

  「今度にするよ 今日はもう遅いし」

「そうですね。今度はいつ?」

  「また連絡するよ 来週の週末は?」

「週末は今くらいの時間なら」

  「もしかして来週も出るの?」

はい シフト表 出してきちゃったから」

  「シフト変えられない?」

バイト出来るの週末だけだから

  「うーん、そうか 終わったら会う?」

「○○先生 ヒマなの?」

  「ヒマじゃないけど、○○ちゃんのこと心配から

「嬉しいです。約束ですよ」

 

ホテルを出て、たわいもない話をしながら駅へ。

駅で別れる時、手でバイバイしながら、笑顔おっぱいに見とれてしまった。

 

ちょっとうつもりが、説得するつもりが、すっかり教え子の罠にハマって、やっちゃいました。

 

以上、報告です。

ネタだとかおかずにでもどうにでもしてください。

ただ、幸せ。いや違う。ヤバイけどでも嬉しい。そんな感じ。

月曜日、朝からニヤついていたのは俺です。

 

あぁ どうしたら辞めさせることが出来るんだ。

2014-11-19

浮世絵の興奮が覚めないのでもう少し書き綴る

http://anond.hatelabo.jp/20141117014426

思ったよりもブックマークがついた。

ありがとう

しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。

生で見ればわかる。

博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!

いや、説得力がないのはわかる。

入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。

浮世絵をみたことで、ようやく美術ってものがわかったんだよ。

自分解釈だけどさ。

で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。

ピカソって下手だろ。

正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?

って思ってた。

どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?

って思ってた。

こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg

こんなの(ゴッホ)

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

こんなの(ピカソ)

http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg

で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?

ぜったいおかしい。

と。

ところがだ、浮世絵をみて全てを理解した。

「塗り」の限界

油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。

塗った上に、さらに色を重ねられる。

油絵なんて描いたことがないから想像なんだけど。

もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。

筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。

小学校の頃かな、ある油絵をみたんだ。

畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。

「うへー」

って思ったよ。

化粧みたいなものなんじゃないかな。

どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。

それが油絵

で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。

色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。

もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?

明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。

たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?

壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。

どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。

比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。

というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。

ハッハーw

線のチカラ

「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。

線が絵になる。輪郭が形を作る。

輪郭を強調することは、恥じゃない。

写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。

なんのことはない。

輪郭を強調させればいい。そうしたら対象物はどうなるか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg

こうなる。マネの笛を吹く少年

なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。

色のチカラ

改めて考える。

本当に背景は暗くなければいけないのか?

対象物を浮かび上がらせることがそんなに重要なのか?

明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。

色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?

こうなる。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/

ナンダコレハ?ナンダコレハ?」

になるだろゼッタイ

色を重ねずに、並べる

浮世絵場合、色を重ねずに、並べるんだな。

油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg

富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。

人間視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。

色を重ねるとどんどん濁るのに、脳内で作るいろは淀まない。

筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

そう、ゴッホに戻る。

明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8D#mediaviewer/File:Edouard_Manet_037.jpg

これはマネ。

製作年は笛を吹く少年から10年くらい経ってるらしい。

なんだこの浮世絵美人画ポーズ

浮世絵のような明るい色彩。

影もない。

明るさといえば、雪あかり表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛

漫画浮世絵である

輪郭線、点描、1トーングラデーション効果線、etc....現代漫画表現にすごくすごく似てると思う。

そう。

僕らが日々読んでいる漫画とは、浮世絵だよ。きっと。

恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。

浮世絵を見ていて気がついたのは、絵にはお約束がある。

縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。

絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。

しかし、多くは生きている。

たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/

真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。

http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg

漫画ではもうお約束である

浮世絵時代発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。

と、僕は感じた。

というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。

馬鹿正直に人間視点で真横から写生なんかしてない。

あくまエンターテイメント

これとか、どうみても漫画コマだろ。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/

ここまで書いてこういうのも変なはなしですが

ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん

騙されたと思って、是非、是非!

なんで薦めるのかといいます

みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。

もうホント漫画感覚で。

当時、ずいぶん安かったんだと聞きます

今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。

から、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。

世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類幸福だと思うのです。

書ききれないので今日はここまで

ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人名前が出たのは葛飾北斎だそうです。

徳川家康坂本龍馬松下幸之助AKB吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。

まり、生で見れば誰でもわかるんです。

凄さが。

2014-09-01

人生死ぬまで、いや死んでからモラトリアム

とある人物が何者であったかは死んでしまうまで分からない。

晩節の汚し方によってはそれまでの名声も感謝も全て灰燼と化す。

ゴッホは死後評価された。英雄は数年後人殺しと蔑まれる。

この世の有り様は始まりの時から終わりの時まで全て曖昧なままである

理由なく生まれたか理由をもって生まれたか曖昧なまま世界は終わるだろう。

その中を生きる人の生き様や心の移り変わりに何か確固たるものが生まれることなどあるのだろうか。

人生は始まる前から終わった後もどこまでも続くモラトリアムである

代えがたきものは数多くあれど、己が何者であるかが決まる瞬間は永久に訪れない。

2014-08-19

山口揚平「なぜゴッホ貧乏で、ピカソ金持ちだったか」を読んで

本の冒頭に、タイトルの由来となったピカソゴッホエピソードが出てくる。どちらも著名な画家だが、お金に関する環境は全く正反対だった。

前者は画家としても金銭的にも成功したのに対し、後者生前に売れた絵は1枚しかなかった。この二人の運命を分けたのは何か?

それは、金に対する興味であると著者は分析する。自分の絵をどうすれば高く売ることが出来るか、自分の名声を如何にお金かえることに熟知していたか

そして、ピカソ本名の長い名前から推察されるように人と人との信用こそが価値を生む=お金を呼び寄せることを、彼自身意識的無意識的にしっていたのだ。

どのような才能があったとしても、お金に対する意識の差で、ここまで運命が大きく左右されることに驚いた。

著者は、この話を起点にお金の正体について考えることを読者に説く。

2014-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20140514024917

あるんじゃない、絵師さんとか、どうしてもピカソを見たい、ゴッホを見たい、とかさ。

まあピカソ都市部にいたって見られないが、歌麿見たいとか写楽見たいとかならやっぱ都市部住んでれば見に行けるし。

物見ないと絵はだめだしねえ。

でなくても美術館博物館楽しいしね。

でもスケートリンクの方が楽しいって人もいるからその土地の人が何を求めるかだけど。

2013-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20131022114121

横だが

音楽家画家を誰が支えてると思ってんの?

お前の言い方だと、工業デザインくらいしか作れないんだが

そもそも、芸術をなめてんだよな

作るだけなら誰にでも出来るんだよ

小学生ですら、音楽や図工の授業で何かしら作ってるんだから

しかし、少なくとも自己満足以上の結果を残せる人間なんか、一握りしかいないからこそ

それを分かっているから、作らないんだろ

ゴッホ最後まで絵を書き続けられたのは、自身の才能に自覚的だったからだよ

2013-03-01

そんなわけで、しりとり必勝法について考えてみたです

基本的な戦法は、「同じ文字で攻め続ける」です。始まる言葉が少なく、終わる言葉が多い「ル」攻めが基本ですが濁点が有効なら「ズ」の方が効果的です。

それで攻め続けるだけで、だいたいは勝てるはずです。

しかし、逆に自分が「ズ」攻めを食らったときのために「ズ」で始まる言葉を羅列しておくです。

マイナーと思われるものには()で説明をつけておいたです。

そして取っておきの「ズ」で始まって「ズ」で終わる言葉

相手が中級以上のしりとリストならば「ズ」攻めを使ってくるかも知れません。「ズ」攻めを食らい続けて散々つぶした後に「ズ」返しをする戦法が最強です。

同様に「ル」攻めを食らったときのために「ル」返しが出来る言葉たちもあげておくです。

これであなたしりとり最強王者!!(・∀・)

2012-09-21

自閉症自己完結のはなし。

アスペルガー症候群元増田です。

ここではアスペルガー症候群自閉症の一種として書きます

要は自閉症なので、自分世界自己完結する訳です。

自分の話や興味のあることしかしゃべらないし、はなさない。

人の話は聞かない。というか、聞けない。

自閉症なんだから、当たり前だと言える。

からアスペルガー症候群は人をどんどん遠ざける。

てまあ、自分から遠ざかってるんだけど。

確かに1人でいるほうが、楽だ。

ただやっぱり、人は孤独では生きていけない。

から、文章を書いたり、ネットをしたり、繋がりを求めようとする。

それは自閉症の人でも一緒。

まり孤独すぎると、悩む。

そして、自閉症の人はそれを自己完結自分世界で答えを導きださざる負えない。

まり、究極の自己完結を選ぶ場合が多い。

ゴッホ典型的高機能自閉症アスペルガー症候群だと思う。

まあだからといって、不幸かというとそうではないが。

やはり人付き合いは出来るだけ、避けるべし。

人と関わって、不快にさせたり、悩ませたりさせてはいけない。

それが、アスペルガー症候群に対する最善の策だと思う。

人とほとんど関わらなくても生きていけるような、職業につかねばならない。

ていうか、さっきの日記には友達を求めてる的なこと書いたけど、

やっぱり今いる友人関係がずっと続けば言いわけで、

そんなにたくさんの友達はいらない。

3人ぐらいいれば、いいやって思う。

というか、もう新しく誰とも会いたくないのが、正直なところ。

いちいちアスペルガーって説明するのはやだし。

障害者って見られたくないし。

合わない人と、一緒にいるのは苦痛だし。

そうやってどんどん人を切り離していって最後孤独ってなるんだけど。

もうこれは宿命から、仕方ないね

アスペルガー症候群高機能自閉症に生まれた宿命から、仕方ないね

できればこのまま引きこもって、いたい。

ただ腰が痛くなるんで、ときどきふらっと旅をしたい。

そういう生活をしたい。

だってひとに会ったら、ねえ。

カツラの人にカツラ!って言っちゃうんだぜ。

言わないけどさ。

何が適切な表現か、判断つかないのだよ。

もうね、こうなると人と関わるのなんて怖すぎるから

よく自閉症の親の子殺しってあるじゃん

あれって、自閉症の子どもがそうやって、親に殺されるようにしむけてる気がする。

そんぐらい、自閉症の子の人を遠ざける能力ってあるんだよ。

もう、親でさえそうなんだからね。

そういう人が社会にいては、周りの人のためにならないだろ?

どこにいってもだめな奴は、どこにいってもだめなんだよ。

でも、どこかに自分にあう安住の地があるかもしれない。

それが見つけられない人の方が、圧倒的に多い。

からアスペルガー症候群レッテルを貼られ、引きこもりニートなっちゃう。

僕はまだ一応大学生だし、20歳なんでなんやかんやすしかない。

それで見つけられなきゃ、もうどうしようもないから。

積極的に諦めて、見つけた解決策が、アスペルガー個性だと思う、ということ。

まあ、ほんと人が嫌いなわけじゃないんだけど。

いや、むしろ俺は人が好きなんだけど。

それでも、だからこそ、俺は人と関わるべきではないのだ。

なぜなら、人の心が全く理解できないから。

そして、自閉症の人の心も誰も理解できない。

から、人はコミュニケーションを取るんだけど、

それがうまくできないのが自閉症であり、アスペルガー症候群であるのだから

もう解決策なんてない。

こうやって、自分世界で、勝手自分のことばかりしゃべり、自己中でわがままな言動をし、

思いやりのこころなんてありゃしない。

まさにこのように、自己完結しているこの文章を書いている。

これこそまさにアスペルガー症候群自閉症である証拠だ。

2012-04-13

なぜイラストレーターは業者に買い叩かれ続けるのか

はじめに

PEGGSという専門学校生安価イラスト作成を依頼できるサービス炎上しています

Twitterはてブやら、facebookやらで「単価が低すぎる。クリエイターなめるな」と騒がれているのです。

でも、このサイトの何が問題なのかわからないのですね。

このPEGGS問題を起点に、定期的に話題になる「絵描きの単価が安すぎる問題」を検証してみましょう。

目次

  1. PEGGSはウィン×ウィンでしかない
  2. 本当に単価が安すぎるなら、取引は成立しない
  3. なぜ「イラストの単価が安すぎる問題」は炎上するのか
  4. 神の手には逆らえない
  5. イラストレーターの単価が今後下がり続ける理由
  6. 絵描きの地位を向上させる、たったひとつの冴えたやり方

PEGGSはウィン×ウィンでしかない

まず、このサイトって全員が得をしてますよね。

依頼するクライアント安価目的イラストが手に入る。専門学校生だって仕事経験お小遣いが手に入る。牛丼屋でバイトをしてお金を稼ぐよりも、絵を書いてお金を得る方が専門学校生にとっても楽しいはずです。独立して仕事がないときは、このサイトダンピングをして凌ぐこともできる。要するに、ウィン×ウィンですよね。

当事者でもないのに「許せない」って騒ぐ人以外は、みんなが得をしています

本当に単価が安すぎるなら、取引は成立しない

 で、この問題について、BUTA、豚共がわやわや騒いでいます。彼らの主張を要約すると、こうです。

『単価として、一枚絵8000円は安すぎる。これはやりがい搾取で買い叩きだ。許せない」

この主張って、どうしようもなくバカだと思います。なぜなら、専門学校生立場で『不当に安い』と感じたら、仕事を受けなければいいだけだからです。

その値段で仕事を受ける学生は、その値段に納得して仕事受託するのですね。だから外野ブヒブヒ言っても、彼らが満足している限り問題にならない。

仮に「不当に安い」が本当ならサイト自体の存続が不可能になります。それはそれでオーライですよね。

もし、サイトが続くとしたら、その価格妥当イラストレーターも納得しているということになります

なぜ「イラストの単価が安すぎる問題」は炎上するのか

「業者がイラストレーターに払う金が少なすぎる問題」って、わりと定期的に炎上する問題ですよね。でも、もっと待遇の悪い仕事はあまり話題にならない。

では、なぜイラスト単価問題だけが、これほど炎上するのかというと

  1. 絵を描くというのは、クリエイティブ行為である 
  2. クリエイティブ行為には、高い対価が払われるものである
  3. したがって、イラストレーターの絵には高い対価が払われるべきである


こういう前提があるからです。『高い対価が払われるべきイラストレーターを安く使い倒す業者は許せんよ』という論理ですね。

でも、この前提ってほんとうに正しいのでしょうか。クリエイティブ行為はしかるべき対価が払われるべきなのでしょうか。

神の手には逆らえない

正直、クリエイティブさとか、つくるための労力って、価格には関係ないのですよ。値段というのは、需要供給で決まります

どれだけ絵を描くことがクリエイティブな作業だろうと、「そこそこの絵を描ける人がたくさんいる」現状では、値段が安くなるのって、当たり前すぎます。「それの持っている本質的価値」では、値段は決まりません。ゴッホの絵が牛丼より安く買われたのですから

イラストレーターの単価は今後、下がり続ける

日本イラストレーターレベルは抜群に高いです。プロでない人でも、お金になる絵を描ける人が増えていますね。

なぜイラストレーターの平均レベルが上がったのか?それは、インターネットによって、学習高速道路がひかれたからです。

インターネットなら、レベルの高い絵を見れるし、先駆者ノウハウものっている。良いノウハウソーシャルネットワークで共有されてすぐに伝わってくる。その潮流をPixivさらに推し進めています

Pixivコミュニティはどんどん広まっているので、これからますます絵描きは増える。すると、供給が増えて、価格に下方圧力がかかります既存市場にいるプレーヤーが「安くてやってられん」という値段で喜んでやる腕のたつ素人ガンガン生産される仕組みが出来上がっているんですね。結果、買い叩きが慢性的になっていきます

絵描きの地位を向上させる、たったひとつの冴えたやり方

このように、神の手に任せていると、絵描きの地位というのは、どんどん下がっていきます。絵で飯を喰う難易度が高くなる。参入障壁の低い仕事というのは、みんなそうですよね。

外野で「この値段は安すぎる』と批判をしても無駄です。なぜなら、安い値段でも仕事を受ける人達はいつも存在するからです。騒いでも、自分仕事がなくなるだけで、損をします。

バラバラのままで交渉をしていると、神の手にさからえません。したがって、このままいけば、イラストレーター最低賃金以下の待遇デフォルトになります

また、絵描き仕事は時給ベース換算がしづらい。イラストレーター自営業者から最低賃金法適用しにくい。取引形態もバラバラだから規制は著しく困難です。ゆえに、神の手が幅を利かせる。

から、もし絵描きの地位を向上させようというなら、労働組合的なものをつくるべきです。『適性価格』ってのを設定して、業界ルールを作りあげる必要があります絵描きを統一する組織なんて無いから、無理かもしれないけど、労組をつくるのが効果的な方法です。

確かに、この方法時代遅れかもしれません。

けれど、Twitterで騒いだところで、何も改善されないのですね。

つぶやくよりも、ゲバ棒をかかげましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20120413010555

http://anond.hatelabo.jp/20120412174011

2012-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20120103222557

画家イラストレーターも含めて、絵を描いて公開している人

鳥山明とか大友克洋絵師に入るの?

ゴッホとかゴーギャンも?

 

萌絵描かないで商売成立してる絵師っているの?

2011-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20111013190929

それ見たけど、色弱の俺には、一番上の絵以外は修正版とオリジナルとの区別がほとんど付かなかった

要するに俺は約95%の人が見てるゴッホの絵とは違うもんを見てたんだなと思って、ちょっと愕然とした

自分はきっと健常な色覚の人よりくすんだ色合いの世界を見てるんだろうな」とは漠然と考えてたけど、これだけハッキリと違いを突き付けられるとなかなか強烈だ

ゴッホは右のを描いてたつもりだった

http://anond.hatelabo.jp/20111013190929

つもりだったって事ですか?

不思議ですね。

色覚異常について、少しだけ

http://b.hatena.ne.jp/entry/asada0.tumblr.com/post/11323024757

ゴッホの絵で色覚異常の話が盛り上がっているので、せっかくだから語っておきたい。

色覚異常は、色覚が異常な状態だ。

人間の目には、3つの色覚がある。赤メイン(L錐体)、緑メイン(M錐体)、青メイン(S錐体)だ。

メインと書いたのは、それ以外も見えているからだ。

メインの色覚が欠けているからといって、赤が見えなくなるわけじゃない。

うっすらとだけど緑側でも見えてるのでフォローできるからだ。

2色覚の人間は、日本人だと男性に多い。

大体日本人男性の4.5%と言われている。22人男がいたら1人は2色覚だ。

メインか緑メインが無い場合が多いらしい。

ただ、日常生活では滅多なことでは問題にならない。

赤と茶色の区別がつかなくて困ることはめったにないからだ。

色の区別がつきにくいとは言っても大体なんとかなる。

結局生まれた時からずっとそうなんだし、世界はそう見えている。

別に困ることはない。

LANケーブルを自作しようとして色の区別がつかなくて困るぐらいだ。

色に詳しい人なら、独特な色相を持っている人、と言い換えても良いかも知れない。

他人にとって自分の「青」と「赤」が入れ替わって見えていたとしても、

例えば海が真っ赤に見える人が居たとしても、区別はできない。

本人には海は赤く見えている。

でも他の人はそれを「青い」と表現するし、本人もその色を「青い」と表現する。

実際にどんな色で見えているかは、他人の頭の中を覗けないかホントのところはわからない。

から、赤と青が入れ替わっている異常な人がいても、それを識別できない。

そのかわり2色覚の人には問題がある。

さっきさらっとLANケーブルを作る時に問題になるといったが、表現には問題がある。

赤と茶色に区別がつかない人は、赤を表現しようとして茶色を使ったり、茶色表現しようとして赤を使ったりする。

それも、色が濃く見えるからとか、色が鮮やかに見えるからとか、そういう理由で。

場合によってはクレヨンが余っていたからという理由で使ったりもする。

判り難いだろうか。

こう想像して欲しい。

あなたは、白黒でしか世界を見ることができない。

色の半分は白で、色の半分は黒だ。

から、絵を書こうとクレヨンを開けると、半分は白で半分は黒にしか見えない。

そして、人物を書いたとしよう。

区別はつかないけど、微妙に黒の中にも種類があるように見えるから

濃い黒や薄い黒、区別がつかないとき適当に混ぜてそれっぽく絵を描いてみる。

目に写った色をそのまま再現できるわけじゃないから、自分で黒を選んで描く。

間違えたときには白いクレヨンで修正したりするかも知れない。

ここで、カラー世界で生きる人がその絵を見たとする。

赤橙黄をほぼ一切使わずに、緑青藍紫で人物を描いている。時々緑に紫が混ざる絶妙な色合い。

それを絶賛する。素晴らしいと。

でもそれは、偶然の産物だ。

たまたま黒(緑)と濃い黒(紫)を、描いたあなたには区別がつかなかったから使ってしまっただけだ。

ある時それに気がついて、あなたの絵を、カラーの人にも判りやすいように、白黒に直してくれた人がいたとする。

そしてさっき絶賛した人はこういう。

オリジナルのほうが良かった。

白黒では単なる凡庸な絵だ。

あの色合いが素晴らしいのに判っていない。

僕はそれはとても悲しい事だと思う。

あなたの絵には価値がないと批評する人が言う。凡庸だと。

そして、あなたには認識できない偶然の産物こそが素晴らしさだと言う。

芸術とはそういうものかも知れない。

作品の評価と、作者の才能とは別だというのも理解は出来る。

自分には理解できない偶然が、他人を感動させるのかも知れない。

でもそれは、作者の意図とは離れたところにある。

それだけは覚えておいて欲しい。

僕は、ゴッホの絵は素晴らしいと思う。

変換後の絵が素晴らしいと思う。

それは、ゴッホの描く作品が素晴らしいと同時に、ゴッホ本人の才能によるものだ。

僕はそう信じる。

2011-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20110213194221

まあ全て正論なんだけどさ

そういうのできない人いるじゃん?

ゴッホたい性格破綻者とか

テオみたいな慈愛に満ちた人がいればいいけど

いない人とか、でもうまくやれない人って多いと思うんだ

そういう苦痛ぶっちゃけてみたらと思った

セルフブランディングなんて自分にとっちゃ嘘だもの

2010-12-02

ゴッホが咳をしたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ゴッホゴッホwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

2010-09-17

ゴッホ「夜のカフェラテ」が挿絵に使われていた、子供でも読める様な簡単な小説の事を唐突に思い出したんですけどタイトルも具体的な内容も覚えていません。

有名な作品だったと思うのですが、誰かご存知ある方はいないでしょうか?

2009-11-14

[blog][music]学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点

http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20091025/1256479650

はてブクマしてほっといたがコメントを後から読んでみた感想増田に書きますよ。

あ、先に断っとくとブログ主じゃないですよ。

主さんの考え方とはおそらく明らかに違うことをざっと書きますので。

さて、センス至上主義の人たちってのはことごとく残念な方が多いですね。

僕も頭は悪いけど、どんなことでも自前で考えることを辞めてはいませんから、

この人たちと比べりゃ少しはマシかなと思っています。

なぜマシかな?と思っているかを書きましょう。

芸術に限らず物事を見るっていう行為には、必ず束縛されるものがあります。

物事を見るヤツの脳みそです。

脳みそ(全身の神経、肉体を含んでもいいです)にはそいつが生きてきたあらゆる経験が蓄積されています。

全部喋るワケにはいかないので、芸術鑑賞に限りますが、

鑑賞するにも当然経験というものが大きなファクターを占めることになります。

生来のセンス、なんてものはここでは殆ど意味を成しません。

というか、芸術における生来のセンスなんてものは人間には備わっていません。

しいて言えば、生まれた環境、育った社会で目にし耳にしてきた事、この蓄積が異なるくらいでしょうか。

ですが、肉体の素質の差というのは、確実にあります。

有名な話ですがピカソは10歳ごろには既にものすごく達者な写実絵を描かれていたそうです。

そんなに幼いころにすばらしい絵を書けたという事はものすごいセンスの持ち主ということじゃないか!と言われるかもしれませんが

残念ながら全くの早とちりから来る誤りです。

写実絵というものは、インプットアウトプットの精度の問題であり、センス云々は全く関係しない分野なのです。

つまるところ、肉体性能…筋力とかじゃないですよ。この場合は目の力、空間把握能力、そして手の器用さです。

これが達者だったからピカソは幼くしてすばらしい絵がかけたんですね。

あ、こういうとまた文句を言うヤツが出ますね。

写実絵というのもセンスは必要ですよ。

構図のとり方、ライティング、描くものの配置など、考えなければならないことはたくさんあります。

ま、これはセンス至上主義者、才能至上主義者信仰するような

生まれ持ってのセンスなどではなく(そもそもそんなものは存在しないといいましたね)、蓄積されたセンスですがね。

ピカソの絵はルールを破っているということを理解できてはじめて意味がある。守破離と言うヤツですね。

ルールが無いヤツは最初から型破りなんて出来ないんです。ルールが先にあってこそ、型破りを実行することが出来る。

美においてルールとは、観察と経験の蓄積と人間の肉体感覚によってのみ規定されるものなのです。

かつては文化圏文明圏ごとに感覚が分かれていましたが、ネットによってある程度統一化されてきているなぁと感じます(脱線)。

精巧な写実絵を幼くして書くことが出来たピカソは、それまでの画法と異なる彼独自の画法で表現を行っていく道を行った。

何故かと言えば、それが彼が伝えたいことを彼が伝えたい人に一番伝わる方法だとピカソが結論したからでしょう。

優秀な表現者というものは、ここでは芸術家のみの例を挙げていますが、文筆家にしろ、技術者にしろ、あるいは一個人でも同じですが、

自分が伝えたいことが自分が伝えたい相手に、どうすれば伝わるのかを常に考えているはずなのです。

純粋芸術なら、当然、芸術家本人が持つ問題意識(単純に環境破壊とかそういうものでなく、

赤ちゃんをどうやって可愛く描くか」のようなライフワーク的なものも考えられますね)からなるテーマがあり、

それに対する回答が作品となるでしょう。受け手は問題意識を理解してほしい鑑賞者であり、作者自身でもあります。

商用芸術では昨今では仔細なマーケティングが行われていることは周知の通りです。

それがたとえアウトサイダーアートだとしても、自覚的に商売としてやるのであれば

自分が何をしているのか、自分はそれをどうしたいのか、どう売り込みたいのか、考えているはずです。

それが理解されるかどうかは別として、自分が伝えたいことを自分で明確に出来ない芸術家は大成するはずがありません。

伝わるアテの無いものを創ることは幼い子供や、本当の趣味人に与えられた特権と言えるでしょう。

「そんなこと一切考えて物を作ったことなんて無いけど芸術で暮らしていけているよ!」という方は

きっとダウンタウン松本氏における浜田氏の様な素晴らしい相方と出会えたのですね。おめでとうございます。

さて、問題は伝わる方です。

自分の見たことの無いものを鑑賞するとき、人はどうするでしょうか?

生来のセンスがあれば、ちゃんとした評価が下せるのでしょうか?

それとも、間違っていてもセンスで感じたことが正しいのだと言い切れるのでしょうか?

順を追って考えれば、殆どがまずそのものをちゃんと見ようとするはずで、

目にした瞬間エレクトリックサンダーが全身に走るような至福の体験を得るなどということはありえないはずです。

人間なんてもんの見た瞬間に出る感情は、自分がそれまでに見てきたものから割り出すように出来ているんです。

人は完全にわからないものと触れる時、評価を下すには多少の時間を要するのです。

生来のセンスなるものがあるなら、そんな時間は必要ないでしょう。何も考えずその場でパッと決めてしまえばいいのです。ゲド戦記はクソ、とか。

ま、ゴッホみたいに死ぬまで放置されてから評価される画家もいますから、そんなヤツはセンス0の大馬鹿者であると断じてしまえるわけですが。

ちょっと古いですが、アイフォーンをはじめてみたとき、

「ああ、ついに完全タッチパネル携帯が発売されるのだな。人類革新だ」って思った人は先に記事を読んでる人だけで、

そうでない人は「キーパッドないの?」「液晶DEKEEEEEEEEE」「なにこの□」のように、

見た目からはこれまでの携帯とは形が違うから、どういうものなのかを判断しようとしたと思います。

芸術だって同じです。見たことが無いような作品、バックグラウンドがわからない作品を理解することは出来ないのです。

ゲルニカを最初に見た時、僕はこの絵が壁画として作成されていることがわかりませんでした。

あと感じたことは、「ちょ先生教科書に微グロ入ってるんですけどこれ」くらいのもんです。

だってなんか変な生き物が人を食んでいるんですから。

戦争の絵って言われても戦争まんがははだしのゲンしか知らない僕からしても大いに差があり(だって人間しか出て無いですからゲンは)、

戦争関係なくね?マジキチ」としか考えられなかったことを思い出します。

今ではこの絵がどういう背景で、どういう意図を持ってかかれたものかわかります。

だから、あの大きな絵に描かれた一つ一つの人物、動物にどんな意図があるのか、

それがピカソという偉大な画家の考えと一致するかはわかりませんが、僕なりに思いをはせることは出来ます。

即断即決で評価を下す必要なんて無いのです。時間がたてばわかることだってあります。それが蓄積されたセンスの成長なのです。

一つの作品を前に、作者とその時代、昔の自分、今の自分、そして作品そのものと触れ合う体験が出来るのが芸術鑑賞なのです。

同じような体験として、聴かなくなった音楽を久々に聴いたときの感覚があるでしょうね。

卑近な例で示したとおり、自分自身というものは変らないように思えて、

仕事学校人間関係を経ることで常に変化しているものなのです。

センスなんて言葉確信的に使ってはいけない理由はこの一点なのです。

使っても問題ないのは人を褒めるときくらいでしょう。それ以外の場面では、使わない方がいい。

人間のセンスはある程度のブレ幅までは抑えられるが、完全に固定できない。

それなのに、センスなどという曖昧模糊なもののみを後ろ盾にし、

他に根拠の無い好き嫌いを強弁するなどという子供じみたマネは

魔術的盲目さすら感じる薄ら寒い行為と断じるほか無いのです。

それとも、共感できれば、自分が根拠なく、しかし好きだ、正しいとは感じることが出来ればそれでいいのでしょうか?

僕はそうは思わない。

勿論経験によるセンスは人それぞれなんで、好き嫌いはあります。

見たものをそのまま感じ取ってそれがよい体験となる芸術作品もたくさんあります。

ですが、感情にそのまま訴えかける芸術というものは、やもすれば危険物にすらなりうる可能性を捨ててかかってはいけないのです。

人類歴史は、いかに肉体欲求をコントロールしてきたかの歴史でもあるわけです。

人間のしくみが生命機械であるとわかっている以上、感情もまた肉体欲求の一つです。つまり、制御出来うるのです。

オカルトなんかじゃありません。

あなたがメディアを通してあなた自身とかかわりの無い人間に対してどれほど多くの感情をもっているかを想像してみれば、わかるはずです。

MMRに書いてあったサブリミナルみたいなヨタなんてメじゃない恐ろしさです。

で、メディア芸術の違いは、僕からみれば非常に曖昧です。

出自や成り立ちは芸術大学なんて出てませんから知りませんし、教養も無いからわかりませんが、

聴覚(場合によっては他の感覚)を通して物事を伝え、感情を伝えるという共通点があります。

もしあなたがメディアになにかしらの違和感を感じ、それが問題であると考えるのであれば、

芸術に触れた違和感を感じたら時にも問題意識を持たないといけません。

あなたの友達がそう訴えてきたら、ちゃんと話を聞いてあげないといけません。

(ま、友達の感じたことも受け入れられないのであれば芸術鑑賞そのものの否定をしていることと同じと言えなくも無いですが)

そんな窮屈な思いはしたくないと言うなら、好き嫌いすら語らないことです。

それならセンスが似たもの同士で集まればいいじゃないかと思われるかもしれません。

それが良くないとは思いませんが、しかしその集団に居続け他の意見を聞かないことは、

徐々に感覚麻痺させ自分たち以外の感覚への無理解をはぐくみ、閉塞へ向かって突っ走ってるだけであり、

スイーツ(笑)」やらなにやら言って喜ぶ人間に成り下がるだけのよろしくない行為と言えましょう。

現に今の社会は閉塞したコミュニティの複号体になってしまっており、

その要因の一つが芸術メディアの受け取り方だとすれば、

表現という形でコミュニケーションを図る物自体の存在意義が変化していることの表れなんでしょうか。

(テレビみねー、ゲームとか興味ねぇ、美術館とかブルジョアか!などいろんな派閥がいるでしょうな)

その変化が感覚や感情のような曖昧でふわふわしていると思われているものに密着しているなら、危惧すべきことだと思います。

なんかとっちらかっちゃいましたが、つまるところ、

センス至上主義者は考え直せ、頭を使え、鑑賞してる時の楽しみ方に文句をつける気は無いから。

と、言いたいわけです。

僕としては、こんなクソ長くクソ面白くもなく他人人を完全に否定するようなシャドーボクシング的文章を最後まで読んでくれたあなたが

自分の考えもオンリーワン世界に一つだから思想修正主義絶対反対とか言いながら

芸術作品に対して自分の考えのみを誇示し続け、異論をことごとく無視し自分と同じセンスの持ち主だけで結託して外に出ない、

あるいは自分と異なるセンスは認めず叩き潰すことに快感を覚えるようなサイコパスでないことを祈るばかりです。

だって、芸術の感じ方なんて、人それぞれでしょう?

2009-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20090901160005

意味が分からない.軽く笑った.


いくら著者が「レビューを欲しがっていない」としても,その意志はなんの拘束力も持たない.

売り物として並べた以上,買い手が法に触れないいかなる行動をしようとも,それを禁止する権利なんて販売主にはない.

ゴッホの絵ほど社会的価値が高い訳でもないから,社会運動になって晒しが止められることもなかろう.

2009-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20090719215235

理解されないまま苦しむしかないのかなあ・・・?

死んでから評価されたゴッホみたいに。

2009-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20090514005826

そういうビンテージもそう言われれば中古販売になるな。

何でも鑑定団とかの古伊万里とかもそうだね。西洋アンティークとか。

ああいうのも基本捨てろってことなんだろうか。ゴッホひまわりだろうがダビンチのモナリザだろうが二人目以降の所有者は基本ダメだと。

親から住宅受け継ぐのもなしか。新しい住宅立ててあげないと建築会社に失礼だもんね。

ていうか楽器なんて思いっきビンテージ世界あるよなあ。ギターとかの近年のものだけじゃなくバイオリンとかで何千万とかさ。ああいうのも捨てろってことか。

2009-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20090408121545

はて、才能の有り無しをかたるのは芸術に限った話か否か?

何事につけ才能の有る無しはあると思うんだが。あらゆる分野で。

才能があるからアーティストとして幸せになれるのか。幸せって何?お金

未だに人に衝撃を与えるゴッホはどう見ても社会的には不幸だったし、自覚的にも幸福にはなれなかった。

彼は才能はなかったのだろうか?それとも才能を見出す人間がいなかったのか?

たまた成功するアーティストはどこから生まれてくるのか?

ストリートから生まれて商業的に成功したミュージシャン才能があったのかなかったのか。

NYのアートシーンから生まれるアーティスト才能があるのか。

大器晩成型のアーティスト存在しないのか。

自分才能自分で見切った時点でアーティストとしては失敗なんじゃないのか。

アーティストとは生きている間に評価されるべきものなのか。

人の能力を人が評価することがどれだけ確かなのか。

そこには本当に驕りはないのか?

アーティストとは、名付けられるものなのか、名乗るものなのか。

私にはわからない。







自分は何流だか知らないゲイ大を出て一部上場製造業デザイナーをやっています。

自分才能があるなどと思ったことは一度もありません。

それでもデザイナー仕事にした以上、自分が満足できる仕事がしたいと思いますが、果たせることはないでしょう。

2009-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20090224223532

「優秀」という言葉をそういう風に使い始めるとすべてが混乱するぞ?

そもそも自分に不利な大学を選択した時点で優秀ではないことになる。

結果ですべてを判断すると、世間に認められない場合は優秀ではない。

チューリングテスラゴッホは優秀ではないということなのか。

2008-12-15

処女厨議論(笑)

なんで好き嫌いだけでそんなにみんな必死になれるの?

そもそも、なんで価値観について議論する必要があるの?

処女が好きな人は処女探せばいいじゃない。

処女嫌いな人は処女じゃない人と付き合えばいいじゃない。

価値観」は議論できないんだよ。

納豆はウマいかマズいか』とか、

ゴッホピカソどちらが優れた絵を描くか』とか、

笑い飯キングコングはどっちが面白いか』とか、

そんなの結論出ないに決まってるでしょ?

処女厨議論もそれと全く同じベクトルだよ。

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