はてなキーワード: コーヒー豆とは
鍋の焦げを落とすのが好きだ
自分で焦がした鍋の焦げを落とすのはそんなに好きじゃない(そもそもそんなに料理しない)
妻が焦がした鍋を夜中にこっそり綺麗にするのが好きなのだ
「・・・やっちまった。」という感じでシンクに焦げた鍋が置いてある
妻が寝静まってから、コーヒー豆を挽くついでに、金属タワシとスプーンでゴリゴリとやる
youtubeに何時間もかけて錆びた包丁をピカピカにする動画があるが、気持ちはわかる気がする
私にはそんな暇はないが、30分ぐらいかけて焦げを落とすと満足感がある
翌朝綺麗になった鍋を見て妻は何を思うのか
心なしか機嫌が良くなったような気もする
妻の足を揉むのも好きだ
妻が私の足を揉んでくれることはないが、妻の足を揉んでいると自分が揉まれているような気がして満足感がある
揉み始めると没頭して30分ぐらいやってしまう
没頭するとゾーンに入って、足のどの辺がどう揉んで欲しがっているのか手に取るようにわかる気がする
揉んでいるうちに妻は眠りにつく
妻のおっぱいを吸うのも好きだ
吸い始めると没頭して30分ぐらい吸ってしまう
「そんなに夢中で吸ってる時、何を考えてるの?」
と聞くので、
「鍋の焦げを落としているようなものだ」
と答えた
何も考えていない。ただ目の前の焦げや、足や、乳首に没頭しているだけのことだ
今日も妻は機嫌が良かった
やっぱりうまい!!
もちろん何も買ってない!!
今までたくさんコーヒー豆買ったから、今日くらいタダで飲んでもいいよね!?
うまいよ!!
あの量!
量がちょうどなんだよ!
甘さもちょうど!
最&高!
烈&豪!
せめて生ハムは買おうかな??
悪いもんね
あーーーカルディ最高!!
好き!
愛してる!
あ・い・し・て・る!!
好き好き好き好き
キュンキュンする〜!!
涙!
涙出るよ!
ほら見て!
ここ!
目頭!!
光ってるよ!!👁️✨
あーーーー悶絶!
悶絶してきた〜〜〜!!!
どびゅーーーーーーー
ん!!!!
世界が!
カルディへ!
行こって!!
コーヒー!
飲みなよって!!!
飲もう!
いいよね!
甘いし!
マイルド!!
お姉さんが!!!手渡しで!!
注いでくれるよ!
愛してる!!!
なんで?
サービス??
いつも!
すごくない!?
すごいよ!!!!
うわーーーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーーーーーわー
ーーーーーーーーー
ーーーーーんんん!!
カルディ!!
カ・ル・デ・ィ・!!!!
最も考えやすいのは「何かを入れたら、どれだけ出てくるか」というinput-outputモデルで考えることができる。
おそらく一部の人はinput=労働人口, output=生み出した収益、として計算したいと言うだろう。要するに「人間よ、生産的に働け」と言いたいようだ。
しかしもっとシンプルなモデルとしては、inputとoutputの次元を一致させるために、input=投入金額(¥), output=生み出した利益(¥)として計算できる。
productivity = output ÷ input = ¥/¥ = 無次元量
無次元量であるので、割合と同じ意味合いを持つ。投入金に対して、生み出した利益はどのぐらいを占めるのか、である。
このように、inputを労働人口よりも¥に換算することで、例えば金融を正当化することはできるかもしれない。
inputを労働人口で考えた場合「より少ない人数で利益を沢山生み出すのが良い」ということになり、人件費が考慮されていないことになる。しかも労働以外の技術要素などが考慮されていない。
確かに国民の幸福という観点でみれば、inputは分配されなければならない。
input = 労働者にかかるコストA + それ以外のコストB = ¥
もしinput一定とすると、AとBという生物が資源を奪い合って争っているような形になる。
outputが向上しないなら「人工知能を使えば生産性が上がる」ということはない。むしろそれは、最大限Aを投資しても、まだinputに投資できるときに人工知能などのBに投資するという話が出てくる。
国民が働けるように環境を作るのであれば、AとBの争いが生じた場合に、Aを優先できるような仕組みが要るのではないか、とおじさんは思いました。
追記1: あるいは投資Bによって生産性が極めて上がったけど、失業者が出たと言うなら、パレート改善という観点から見て失業者に手当を出すべきでは。
追記2: ここに資本主義の妙があると思う。金が金を生むということを言っている。本当に何かを生産するスキルのある人 (例.コーヒー豆農家) は奴隷のようになり、金を動かしている人が得をするような状況になっている。
証拠として、以下に日本人が食べまくってる種を挙げていきます。
(「カカオ豆とは」http://www.chocolate-cocoa.com/dictionary/cacao/characteristic.html)
(「コーヒー「豆」は実は「種」だった!」https://hawaii-kau.com/about-coffee-beans/)
お米は種です!
(「お米は、種。」https://www.okome-yamazaki.com/news/2129.html)
ゴマも種です!
(「ごまってどんな植物?」https://www2.katagi.co.jp/blog/2017/06/blog3.html)
大豆も種!
(「知ってるようで知らない大豆のこと」https://www.biokura.jp/sc/daizu_1.html)
お米を食べ、豆腐を食べ、ごまをふりかけ、コーヒーを飲み、チョコを食べる。
日本人って種ばっかり食べ過ぎじゃないですか?
確かに休憩所で飲み物の一つとしてお茶が買えるところってのは京都にはある気がするな。
ただ、個人的に俺の意図するところとはちょっと違う気がするのよな。
コーヒーに関して、別に日本はコーヒー豆の産地って訳でもないのにいろんなコーヒー豆そろえて産地や農園毎の味の違いを味わえる店が全国至る所にあるし、紅茶に関しても似たように紅茶にこだわった喫茶店みたいな店はある。
それなのに自国のお茶である日本茶は全くそういう提供の仕方してるところ無いよな、ってのがもともとの意図だった。
日本茶の茶葉を売ってる店で試飲は出来ても、一杯いくらでプロがキチンと煎れたシングルオリジンの日本茶を客が金出して楽しむ環境が整備されてないと言うべきか。
在庫を増やすことは効率性の低下につながる。このことがわかってない奴が多い。
あなたはコーヒーを毎日飲む。だからコーヒー豆を余分にストックしておきたいと思うかもしれない。だが、コーヒー豆は時間と共に劣化する。現時点で千円分の価値を持つコーヒー豆は1週間もすれば酸化によってクオリティが低下する。そのクオリティが低下したコーヒーの価値が800円だとすれば、あなたが2週間後にそのコーヒーを飲むのだとしても買いだめによって200円を失ったに等しい。その200円は財布から直接失われたわけではないので痛みを感じるわけではないが、生活クオリティを200円分下げている。また言うまでもないが、買いだめしたコーヒーが飲めなくなるまで劣化してしまった場合は捨てざるを得ないので、その場合は分かりやすい形での損失となる。
とはいえ、買いだめをする奴はコーヒー豆のようなものではなく、トイレットペーパーやボールペンの替え芯のような、価値が明確に下がらないものを買いだめしがちである。例えば、トイレットペーパー二千円分を買いだめして、家の倉庫に放り込んで1年間置いておいたとする。この二千円は、本来であれば現金としてあなたが自由に使えたものであるが、トイレットペーパーとなっているがために、用途が限定された塩漬け状態である。極端な話、その二千円を投資に回せば投資からのリターンが得られたかもしれない。その意味において、現金から得られるはずの利便性や可能性が失われたのである。また、単純に買いだめをすることによって、モノの保管コストが発生することもある。あなたがトイレットペーパーを保管している物置はそれ専用に新たに購入したものでないにせよ、有限の物置スペースを占有していると言う意味でモノの保管はタダではない。
しかし買いだめをする連中は、買いだめをする。彼らがなぜ買いだめをするのかと言うと、ものを使おうとした時にそのものがないことによる不利益を受容できないからである。この不利益のことを機会ロスという。
極端な二元論を言うならば、在庫効率性を追求することは機会ロス発生リスクを高めることになり、その逆もまた成り立つ。要はバランスである。バランスが狂っている奴は、そのバランスに対する認知が崩れていて、一方のリスクを過大評価している状態になっているのだと考えられる。