コウノトリが運んでこいよまじで
]]>この記事を読んで思ったことを書く。私もこの記事に出てくるうちのひとり。今の自分の状況に特に不満はなくて、子供も絶対欲しくないわけじゃないけど、なんとなく前向きになれない。
もう少し紐解くと、子供を産むために自発的で能動的な行為をしたくない。妊娠中や子育てが辛くなった時に自分が望んだことでしょ?って言われたら逃げ場がなくなっちゃうから。でも、たとえば神様やコウノトリから「はい、あなたは明日からこの子を育ててくださいねー!」ってポンって与えられたら、有無を言わさずしのごの言わず「やるっきゃねぇな」って覚悟が決まって子育てに邁進すると思う。
仕事にたとえてみる。今の職場は好きでも嫌いでもない状態でちょっと転職に興味はある。でもいざ転職してみたら思ったより良くなくて「転職しなきゃよかったな…」と思うのが怖い。でも上司から「はい、あなた明日からあの部署に異動ね!」って言われたら自分はそこでもがきながらどうにか対処すると思う。
これも他責思考にあたるのかな?自分の選択に責任取りたくないんだよな、こわいよ。
誰かわかってくれる人いないかなぁ。
]]>……とはいっても、『テラスハウス』で人死にが出てもリアリティショーをやめずに平気で『バチェラー』や『バチェロレッテ』を放映していた面の皮が京極夏彦の本くらい厚そうなTV業界の皆様に再発防止を求めるのは、タリバンの方々に女性の尊重を求める以上の難事であることは間違いなく、今後とも安易なドラマ化による原作レイプは引き起こされ続けるだろうし、売上に目が眩んだとか最高級の桃のように押しに弱いとか赤ちゃんはコウノトリが連れてくると信じているほどに純朴だとか色々な理由でドラマ化を承諾する原作者も後を絶たないだろう。この事件が製作側に何がしかの変化をもたらす、ということは、明日『ミナミノミナミノ』の続刊が出版されるくらいにはありえそうもないことだ。
ただし、読者の目線は、ファンの反発は、オタクの実写化に対する態度は、変化するだろう。より正確に言うと、いっそう厳しく硬いものになっていくだろう。
これまでの原作レイプに対するオタクたちの反対というのは、イメージと違うとか原作ではそうじゃないとかこのキャラはこんなこと言わないとか先輩がスパゲティを食べてるなんておかしいとか、言ってしまえばお気持ち表明でしかなく、それによって引き起こされた悲劇といっても、原作者に眉を顰められたりなかったことにされたりするのがせいぜいで、最大の悲劇は裸になったアイドルがいいひとだったせいで連載が終了したことです、という、まあファンがグチグチ怨念をネットの海に垂れ流す程度のささやかなものに過ぎなかった。
ところが、今回は、原作者が自ら生命を絶つという最悪の事態になってしまった。
好きなシリーズの続きが読めなくなったどころではない。もう二度と彼女の新作を読めなくなったのだ。
リアリティショーと同様に、原作レイプでも人が死ぬ。TV業界の人たちはそんな些事を気にも留めないのかもしれないが、業界の外にいる人間、ただ純粋に作品を楽しんでいたいだけの人間からするとたまったものではないわけで、今リアリティショーに対して「なんでそんな死人が出るような番組やってんだよ」という声が徐々に高まっているように、今後、「なんでそんな死人が出るようなドラマ化やってんだよ」という批判の声はより大きくなっていくだろう。だって我々は、まさか人死にが出るなんて思ってもみなかったんだから。
もちろん表現の自由というものがあり、ガイガーカウンターを使って女児を手籠めにする漫画の出版が自由であるべきなのと同じように、恋愛リアリティショーや原作レイプTVドラマといった類の下世話な番組を放映するのも自由であるべきで、自キャラを選挙に動員することに躊躇のない国会議員さんが「業界団体(や場合によっては議員チーム)で検討する組織体を作るべき」とか言ってたのはお前表現の自由はどこ行ったんだよという感じになってしまうのだが、原理原則論からいえばこれらの番組を法的・社会的に咎め立てすることはできないだろう。
だから。せめて我々は、彼らがやったことを忘れずにいよう。事あるごとに蒸し返そう。彼らが原作を蔑ろにした作品を世に出す度に、「お前ら前に原作レイプで漫画家を死に追いやったよな。なんも反省してないの?」と言い続けよう。それは弔いのためではない。彼女はそれを望まないかもしれない。ただ、増田は、二度と原作が踏み躙られる光景を見たくはないし、原作者が苦悩する姿を仄聞するのは嫌なのだ。
]]>感想のメモを残しておく。
・開幕から大嘘のミュージカル。コウノトリが方々へ飛びながら「世界中に赤ちゃんを運ぶよ〜〜」みたいなことを歌う
・同じサーカスにいるメス象たちがびっくりするぐらい陰湿
・ダンボ母ではなくダンボにいたずらした子どもの方を投獄してほしかった。裁判なら勝ってた
・メス象たちの陰湿さがラインを超えてる。保健体育をコウノトリでぼかすなら倫理にもモザイクをかけてくれ
・気のいいねずみが登場した。お前だけが頼り
・労災が発生している
・この京劇メイクのダンボだけ記憶にある。やっぱり見たことあるっぽい
・ダンボがお母さんに会いに行って鼻だけでスキンシップ取るところあまりに悲しすぎて泣いてしまった。愛情だったり名残惜しさだったりを鼻の動きひとつで表すのがうますぎる。うますぎるがこんな悲しいことに世界屈指のアニメーション技術を使わないでほしい
・ダンボが未成年飲酒してシャボン玉で遊ぶシーン、母親が投獄されて以来初めてダンボの笑顔を見たかもしれない。できれば酒以外の福祉を頼ってほしかった
・信じられない映像が流れてきた
・自分が知らないうちに薬をやって幻覚を見たのか、ディズニーが薬をやった時の幻覚みたいなアニメを描いたのか、未だに判断がつきかねている。でもディズニーがあんなアニメを描くわけがないから自分が薬をやったんだろうな
・ダンボがサーカスで好き放題やるくだり、ただ嬉しくて拳をぎゅっと握りしめてしまった
・ダンボ母にまた会えてよかった。あのまま今生の別れになったらどうしようって心配してたからちゃんと命があってよかった
・初見
・ジャックがカリスマ。登場時は「ナナフシすぎる」と思ったのに歌と動きであっという間に魅了された
・サリーを作った博士、何度も毒を盛られるし毎回律儀に引っかかってぶっ倒れる。勉強のできるアホ
・キラッキラのクリスマスシティに迷い込んで「なに!?」「なぜ!?」を連発するジャックがとてもかわいい
・ジャックのうろ覚えのクリスマス、全部間違ってて愛おしい。0点だけど花丸あげたい
・地獄みたいなクリスマスをやらかしたジャック、死ぬほど凹んだあと「……まぁいっか!」「頑張ったし!」「貴重な経験だった!」と信じられない切り替えの早さを見せる。キツめの不動産営業とかやらせた方がいいメンタル
・サンタを早く元の場所に返して適切なカウンセリングを受けさせてほしい。PTSDになっちゃう
・最後にジャックのやらかしをサンタが全部尻拭いしてくれる。拉致られて拷問までされかけたのに。サンタクロースってもしかして聖人なのか?
・初見。たぶん家にあったけど実写は大人が見るものだと思って観てなかった
・写真と絵の中間みたいな不思議な背景。写真にしては幻想的だし、絵にしては立体的でずっと見てしまう
・メリーポピンズ、セリフのひとつひとつが格言めいている。日めくりカレンダーとかにしたい
・魔法が日常と隣り合ってる感じがいい。メリーポピンズが勿体ぶらずにひょいっと魔法を使うので、自分でもひょっとしたら使えるんじゃないかと錯覚する
・この歌って踊れる職業不詳の山寺宏一はバートという名前らしい
・アニメの中に実写が混ざる演出がすごくいい
・メリーゴーランドの馬がコースアウトして駆け回るのとか、煙が階段の形になって登れるようになるのとか、現実のちょっと先に補助線を引くような魔法が一番ワクワクする
・楽しいことをいっぱい知ってて何でもできるけど風向き次第であっさり消えてしまいそうな女、もし思春期に出会ってたら多分まともな恋ができなくなってた
・笑うと浮き上がるおじさんが急に情緒不安定になるの好き
・銀行に呼び出された堅物ダディが急に奇行のギアを上げてきたのでびっくりした。みんなもびっくりしてた
・死を起点としたピタゴラスイッチで急に全てがうまくいってしまった
・「いい乳母は感情に惑わされない」と口に出しながら表情が感情だらけなメリーポピンズ、とてもいい
・初見
・ハデスに相対する神々、全体的に陽キャすぎてオタクが一人もいないテニサーの新歓に迷い込んだような居心地の悪さが伝わってくる。言っても伝わらないジョーク、ポジディブで大味なコミュニケーション、ちらちらと刺さる怪訝な眼差し。悪かったよ。こんなとこ来るもんじゃない。カビ臭い文化部棟に帰らせてくれ
・少年ヘラクレス、シンプル厄災。力が有り余りすぎて「あっ」「やべ」「あー」ぐらいのテンポで街が滅んだ
・教えを仰ぐ武道の達人がスケベなパターンってドラゴンボールやナルトでもあったけど確かに強いやつがスケベだともっと強そうに見えるな
・なんか色気のとんでもない女性が出てきた。ヴィランかヒロインかどっちだろうと思ってたらヴィランでありヒロインだった
・ディズニーヒロインは初恋しかしないって先入観があったけど、メグにはしっかりと元カレがいるしなんなら男に捨てられた経験もある。斬新だしこの設定でないと出せない味があってすごくいい
・言うなれば飛んだ元カレの借金を返すために昼はパチ屋のコーヒーショップで、夜はスナックで、朝はコンビニで終わりなく働き続ける女のようなくたびれと諦めと、それでも損なわれない根っからの美しさがある。そこへ朝練のパン買いに来た体育大生が絡みに行ってあしらわれてる感じ
・ヘラクレスのガタイで誤魔化されてるけどこれっておねショタの構図なのでは?
・この擦れてて屈折してて色気で窒息しそうなのにどこか幼くて放っておけない声は誰なんだと思って調べたら工藤静香だった。今日からファンになる
・もうメグのことしか考えられない
・ヘラクレスがIPビジネスで儲け始めた
・メグ……
・ヘラクレスがボコボコになる展開、少年漫画だったら主線が筆ペンになってる熱さ
・デカい戦いが終わって話も終わると思ったら死者の国を第2ステージに話が展開して最高だった
・メグの元カレのこと許せなかったけどあいつもこの死人洗濯機のどっかでグルグル回ってんのかなと思ったらちょっとだけ気が晴れた
・メグ、幸せになってくれ
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前回はこれ
https://anond.hatelabo.jp/20240126051251
続き物にすると匿名っぽくなくなるかもしれないから迷ったけど、作品のおすすめもいくつかもらってたし感想を誰かに共有したくて結局書いてしまった。
またいくつか観たら書きにくるかもしれない。
]]>「知識として知っているが実体験がないから本番に挑める自信が無い」を
コウノトリと同列に解釈してるのは、さすがに知能が低すぎるぞ
]]>マトモな家庭は股を開かずともコウノトリが子供を運んでくるし片親にはならない
]]>あざてぇんだろうな〜と適当な気持ちで見始めたけど
滅茶苦茶面白かったし
悔しいが赤ちゃん描写はいちいち可愛く感じてしまった
・お兄ちゃんの空想世界、目に楽しい
アニメの感じが変わるし色がパキッとしてていい
子供の空想力爆発!って感じで良かった
・外出禁止空想世界で日数をタリーで数えてるのなんか笑ってしまった
それだけ切実なんだろうけどなんか草
目覚まし時計のウィザードおじいちゃんも囚人服で
磔されてるのかわいそかわいい
・会社の動機が「愛情の対象がペット>赤ちゃんになりかけてる」っていうのが
思ったよりシビアというか現実的でびびった
・メリーポピンズ草
弟であり父であり
・赤ちゃん工場のビジュアルは滅茶苦茶
ふわふわでキュートなおくるみの世界だけど倫理観的に不気味な感じ、
コウノトリ大作戦以来やなぁ
・愛情を全てあげるよのシーンで映画館でみれば
よかったなあと思いました続編は映画館で観ようと思います
・ボスベイビーは「持ってなかったもの」を得る話で
成長の部分はお兄ちゃん担当なんじゃな名作でした
]]>まさかの「子づくり禁止法」だとはね…
日本の将来のことを全く考えていない。
岸田さん、あんなに立派なお子さんをお持ちなのに、どうやったら子供ができるか知らないらしい。
本気でコウノトリが運んでくると思っているのかな。
]]>ゲームで一度も出てこないマリオブラザーズの両親や親族もオリキャラで出てきやがるけど、マリオブラザーズはコウノトリが運ぶ途中でヨッシーアイランドに落っことしてヨッシー達に育てられたはずだろ。矛盾してるやん。
ここだけは完全に同意。
ヨッシーアイランドの設定を完全に亡き者にしやがったならヘイホーも出すんじゃねーよとか思って見てた。
一番記憶に残ってるのがクッパの歌上手いなーというところで、マリオに全然関連しないところもマリオ映画としてはマイナスだ。
]]>ゲームで一度も出てこないマリオブラザーズの両親や親族もオリキャラで出てきやがるけど、マリオブラザーズはコウノトリが運ぶ途中でヨッシーアイランドに落っことしてヨッシー達に育てられたはずだろ。矛盾してるやん。
赤キノピオのキャラもゲーム完全無視。何だよあのひょうきん野郎は。
んでクッパにさらわれるのはピーチじゃなくルイージって…。
ピーチは助けに行く側でやけに気が強いし、マリオ顔負けの身体能力だし。
スマブラやカートみたいな番外編はともかく本編のピーチともう別人だろ。
CGのタッチも何かキモいし、BGMでやたらマリオと無関係な洋楽流してくるし、ブラックジョークをしつこく挟んでくるし…。
ようはこれ「親に見放された無能な主人公が別世界の住人と出会い世界を救ってヒーローになる」っていうベタなアメリカ映画を無理やりマリオでやってるんだよな。完全な原作レイプ。
本当に任天堂が監修したの?ちょっと信じられないくらい酷いんだけど。
あんな内容なのにやけに売れてるし、マリオファンや任天堂ファンにもすげー好評みたいで不思議。
ネットでボロクソ言われてたSTAND BY MEドラえもんとやってることはほぼ一緒だろ。
少なくとも俺はマリオファンとしてこの映画は自分の記憶から抹消したい。
予告の時点で嫌な予感は薄々してたけど、やっぱり観に行かなきゃよかった。
そんな映画。
]]>ちなみにペドです
]]>かーぜにゆられてぶーらぶら
コウノトリがキャベツ畑で子供を産むのはキャベツにキンタマがあるから交尾できるから
]]>嘴広鸛
くちばしが広いコウノトリ
]]>子供なんか嫌いだったし、自分の子供なんか間違いなくガ*ジになるだろうからほしくなかったんだが、
コウノトリさんが運んできたので拒否することもできず、産まれた。
産まれてきてよくわかったのだが、自分は世界の半分――いやもしかしかたら三分の一――しか見てなくて、
しかもそれですべてを知った気になっていたということだ。
日常のなかに、ここまで自分の知らない要素があったことに気づかされるのだ。
そのなかの大きなひとつに、街の子供の存在がある。
それまでは、道路の縁石とか、標識程度にしか考えていた子供が、今でもそこだけ焦点が合っているかのように目につく。
児童館をはじめとした、子供が多い施設ではなおさらだ。
2022年に生まれた新生児の数は80万人を切り、戦後最悪の出生数だという。
俺は新生児を見るたびに80万という数をかみしめながら、なんという途方もない数なんだと思う。
おそらく、80万という数字は統計上、日本という機構を維持するのが不可能な数値なのだと思うのだが、
自分と同じようなこどもが80万人程度いると思うと、その大きさにめまいさえする。
おそらくその子供たちは、まだ喋れないし、多くは歩けないし、多くは毎日ミルクかおっぱいを飲んでいる。
「少子化」という統計的な問題を自分のものとして考えたとき、別に80万人の何がわるいの、とさえ思う。
別に国が栄えようが衰退しようが、親はそんなことより個人としての子供が大事だし、今のところ国籍さえもらえればとりあえずいいだろと思っている。
80万人、多いか少ないかでいったらすごく多いと思う。
]]>まず、慢性的に膀胱炎である。常に残尿感と痛みがある。2ヶ月に一回血尿も出る。
流石に痛過ぎて眠れないレベルになると受診して薬を貰うが、それを飲み終えても3週間後には再発する。膀胱には本当に迷惑をかける。
便も出ない。たまに催して踏ん張るが、あまりの硬さに詰まり、肛門が拡張された状態で数十分耐えなければならない。
それでも頑張ってひりだすと、便器に当たって「ゴン」という無機質な音を立てながら、隕石が落ちていく。人はこんなに硬質なものを生み出せるのか。
かと思うと、たまに盛大に下痢を漏らす。私の腸は飴と鞭の使い分けが本当にお上手だ。
仕事はつらい。1週間に1度以上夜勤もある。
30歳そこそこの人間にさせるにはいささか重い内容だとは思うのだが、今の日本の状況からすると恐らくホワイトなので黙って働いている。でも定年間近でプラプラ遊んでいる爺さんは私の2〜3倍給料を貰っている。そういう層なので仕方ない。
夜勤明けには特に理由なく涙を流しながら帰る。幸いにも帰路はぶっとんだ人間が多い地域なので、情緒不安定な女に擬態できていると思う。いや、実際そうなのか。
帰宅して仮眠すると、夢で上司をボコっている。
夫はもっと調子が悪い。ただ、1〜2年前よりは快方に向かっている。本人もそう言うし、側から見てもそう思う。
夫は私に感謝するが、感謝されるようなことは何もしていない。それも少しつらい。
夫は極度に口下手なので、私が落ち込んでいても上手く慰められない。その代わりに尻を出して振り回すという安易な笑いを取りにくる。慰められてもどうしようもないので、実はそれがありがたい。
母は、裁判沙汰になっている。
本人は特に悪くないのだが、巻き込まれ体質なのである。周りに悪人が多すぎる。
そして母は正義感の塊なので、そいつらを決して許さない。許さない故に猪突猛進な行動をとり、警察も来る。
一緒に警察に行って説明したり、関係各位に謝罪したりする。でも私は何も言わない。猪はそういうものなので。
子供はいない。というか出来ない。
1年以上経つが授からないので、治療に踏み出すべきなのだが、時間と気力がない。
半年前に簡単な検査を受けてみたが、特に問題は見つからなかった。というかそこの爺医師とソリが合わなかったので、3〜4回通院しただけでやめてしまった。
爺「まだ深刻になるのは早いんじゃない?笑」
じゃあ世の中の「35歳以上の妊孕率は下がります」論はなんなんだ、私が勘違いしているのか?
というか、子供を産むことが正解なのかどうかも分からない。一つの命を生み出す程、私も世の中も余裕を持てていない。不幸にするかもしれない。こういう考えの人間に、コウノトリは子供を渡さない。
何はともあれ、
膀胱、肛門、夫、ごめん。特に謝りたいのはこの3者。
今日もうっすら調子が悪い。夫は尻を振っている。
]]>男女が仲良くなったらコウノトリが赤ちゃん運んでくるレベルのファンタジー
]]>やっと認められた気がするので、4年前の話をまとめたいと思う。
入籍から半年。
30歳までに子どもは2人欲しい!という人生設計プランで自分の首を絞めていた私は、焦っていた。
当時27歳、今思えばハードな人生設計だ。
調べもせずに、誰かが言っていた「30過ぎたら高齢出産」という言葉を信じていたからかもしれない。
一般的に、1年試みて妊娠しなかったら不妊だと言われている。
とにかく生き急いでいた私は、まだ早いんじゃ…と難色を示す主人を説得し、
半年で夫婦そろって不妊治療クリニックを受診した。
早めの受診だったと思う。
市内では比較的有名なクリニックだった。
驚いたのは人の多さと待ち時間。
待合いのイスは8割ほど埋まっているし、受診時間は2時間くらいかかった。
不妊治療クリニックはおそらくどこも待ち時間が長い。
(今では待ち時間に買い物など、出歩けるように工夫してるクリニックもあるみたい)
ホルモン値の測定と精液検査をして、後日結果を聞きに行くことになった。
その後検査結果が出たので再度受診。
結果、私はホルモン値が基準値よりも高く、排卵障害。
主人は精子の運動率・総数が少なく、乏精子症。
見事不妊夫婦が誕生した。
検査結果から、自然妊娠はまず無理。人工授精でも厳しいかも、との所見をいただいた。
無謀な人生設計プランは音を立てて崩れ落ちた。
落石を喰らったようなショックだった。
子どもと遊ぶ機会が多い環境で育ち、昔から子どもが好きだった。
(話が合うので、精神年齢が同じくらいなのだと思う。)
数年前に姪っ子が生まれ、お世話を手伝わせてもらい、私ももうすぐ…という希望に溢れていた。
今時は珍しいかもしれないが、良い母になるのが夢だったのだ。
子どもは普通に授かれるものだと勘違いしていた。
コウノトリが運んでくるように、夫婦が臨めば赤ちゃんがやってきてくれるのだろうと思っていた。
努力せずに授っている人も沢山いるんじゃないの?
なぜ私達はそれができないの?
結果が出るかどうか保証のない治療に、どれだけの時間とお金をかけないといけないの?
今まで婦人科にかかったこともなく健康体で過ごしてきた私は、
自分たち夫婦に突然起きた事態を受け止めきれず、不公平だ…と泣いた。
とにかく、ショックで毎日泣いていた。
さながら悲劇のヒロイン。幼稚である。
ストレスは体にも現れ、ちょうどその頃食べ物を飲み込むと食道が痛くなる症状に悩まされた。
豆腐メンタルは百も承知だが、当時はそれくらい辛かった。
同時期に妊活していた友人はとっくにご懐妊してるし
長い間営みがなかったという友人も1回で双子をご懐妊したし
婦人科で妊娠しにくいと言われたことのある友人も2児ご懐妊した。
今まで健康体で過ごしてきたのに、なぜこんなに違うんだ?と自分で自分を追い詰めていった。
その後、クリニックが開催する不妊治療の説明会に参加した。
大きな会場で、200人くらいはいたと思う。
こんなにも不妊で悩んでる人がいるの?と衝撃だった。
願わくば、当時の皆さんが納得のいく道を進めていますように。
説明会で印象に残った言葉はこれ。
「不妊治療は希望のある治療です。人生の優先順位をよく考えて。
時間を大切に、前向きに。ゴールではなくスタートです。
子どもが欲しいと思っている時に頑張りましょう!」
当時は理解していても心が追い付かなかったけど、今はその通りだなと思えます。
そのクリニックでは、人工授精までチャレンジして通院をやめた。
不妊治療は体の周期に合わせるので予定が立てにくく、卵子の状態を見るためこまめに通院が必要。
そして1回の通院時間は1~2時間。尻に打つ筋肉注射がすんごく痛い!
大変だけど未来の子どもと会うために治療がんばらねば。
(まだ保険適用でなかったため)治療のためには何百万と費用がかかるので、お金も必要。
人間関係など悩むことが多かったけど、正社員だし仕事がんばらねば。
治療のためには栄養バランスも重要。家事がんばらねば。
全部頑張ろうとした結果、パンクした。
朝ごはんを食べながら、何故かわからないけど涙が溢れてきて、えんえんと声を上げて子供みたいに泣き、仕事を休んだ。
この時期は泣きすぎて過呼吸になることも多かった。
今思い出しても、精神的に不安定すぎて大変だった。
当時は、友人の妊娠報告に素直に喜べなかったし
友人の子どもの世話を見ることもしんどかったし
励ましの言葉にすら傷ついていたし
本当に心がひねくれてしまっていた。
私には、通院と仕事と家事の両立ができなかった。
当時の職場にはうまく両立しながら明るく頑張れている人もいて、すごく尊敬した。
不妊治療している人は皆偉いと思う。
もちろん、子育て奮闘中のご両親も偉いし生まれてきたお子さんも偉い。
皆、人には見せないだけで色々悩み、葛藤し、乗り越えている。いや、人間って偉くない?
不妊治療は何より、人工授精でダメだった時のショックが大きかった。
期待しちゃうんです、やっぱり。
今回こそは大丈夫な気がする!って期待して、生理がきて、沈んで…というのを繰り返すとやさぐれてくる。
体外受精に進むほど気持ちを強く持てなくて、一旦治療はお休みすることにした。
体外受精という最後の望みを潰してしまうのが怖かったのもある。
まだ奥の手があるぞ!っていう状態にしておきたかった。
不妊治療はよく先の見えない長いトンネルに例えられるけど、まさにそれだった。
真っ暗で不安で、手探りで、ゴールが見えなくて、でもその先に光が見えると信じて進むしかない。
諦めたと思ったとき、偶然子どもを授かれた!
みたいな話をよく聞いたので、その後はワンチャンそれに掛けてみることにした。
しかし諦めるとは難しいものである。
諦めたふりはできても、毎月期待している自分が確かにいて、
どうやったら諦められるんだろう?というのが正直な感想だった。
何もしないのは不安なので、半年くらい不妊整体にも通ってた。
でもそんな奇跡は、私達には起きなかった。
治療をお休みしてから約1年後。
諦めきれなかった私たちは、また不妊治療に挑む決意をしていた。
そんなところにコロナ騒動。
始めようと思っていたタイミングで出鼻を挫かれた。
なんかもう、天からのお告げなのかもしれない。
私達夫婦には、子どもを授かれないなりの幸せがあって、
神様はその道を選ばせようとしているのかもしれない。
不妊治療から離れる時間が長くなると、本当に色々なことを考える。
悩みすぎて、本当に子どもが欲しかったのかどうかさえ分からなくなってくる。
夫婦ふたりだけで、犬を飼って暮らすほうが自然で、私達には合っているのかもしれない。
もしかしたら、里親という選択肢を神様が提示しているのかもしれない。
またあの辛い治療の日々に戻るくらいなら、そのほうが幸せなんじゃないか。
そんな気持ちばかり膨らんでいき、不妊治療に踏み出せないまま 気付けば4年が経っていた。
自然妊娠でできないのなら、それが天命だろう。受け止めよう。
この長い月日の中で、やっと子どもを授かることへの諦めがついていた。
もう生理が始まっても悲しくならないし、
街中で見かける子どもをかわいいなと思えるし、
やっと妊娠した友達に心からおめでとうを言えるようになった。
歪んでしまった自分が浄化されていくような、この変化が嬉しかった。
長い間、不妊を受け入れて消化できず、ここまでくるのに4年もかかってしまった。
4年後の今日、今までの醜い葛藤を書き記そうと思った理由は、
また不妊治療を始めたからだ。
引っ越しをした際、散歩中に不妊治療クリニックを見つけた。
自宅から徒歩数分、開院してまだ間もないクリニックだった。
おや?これはもしかして運命なのか?
今度は神様がもう一度勇気出せと喝を入れてくれてるのか?
なんて幻想が一瞬よぎったが、4年かけてやっと諦めの境地に至れたのだ。
また期待しては結果が出ず…という努力を続けるにはかなりの精神力を要する。
再び長く暗いトンネルの中に突っ込む勇気はまだ出なかった。
が、主人は違った。
主人はこの4年、親戚の子どもたちと接するなかで、子どもが欲しいという気持ちが強くなっていた。
逆に私はどうしても子供が欲しいという気持ちが落ち着いていて、
ふたりの子どもに対する熱量が程よく釣り合ってきたように感じた。
引っ越しを機に、不妊治療を再開しないかと持ち掛けられた。
話し合った結果、回数制限を設けたうえで再開することにした。
長く暗いトンネルを、最初からゴールの見えるトンネルに決めた。
不安は多々あったが、保険適用になった後だったため、金銭面の負担が軽減されていたのも心強かった。
保険適用が治療再開の大きな決め手になったかもしれない。本当に感謝しかない。
また、10年後に治療をしなかったことを後悔するかもしれない、という不安があったため
子どもを授かることをゴールにするのではなく、後悔しない決断をすることをゴールに設定した。
以上の変化によって、比較的安定したメンタルで治療に臨めている。
こうして、31歳にして再び不妊治療クリニックの扉を叩く決意を固めた。
葛藤した4年間。
無駄なことも多かった気はするが、昔の私にはきっと時間が必要だった。
おかげで今は不妊を受け入れ、気楽に治療を進められている。
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