はてなキーワード: クリスマスイブとは
※タイトルに「うっかり」と書く程度には地雷が豊富な話題です。やたらめったらに人を傷つけたくはないです。「うっかり妊娠」がグサッときた人は読まない方が良いと思います。
結婚8年、夫婦二人暮らし。最近性生活はお互い淡白だったのにたまたま気が向いて、クリスマスイブに数か月ぶりにセックスした。ベタすぎて恥ずかしい。
中学生みたいなバカな言い訳をさせてほしい。「コンドームはちゃんとしてたんです!」
夫は勃起不全気味な上に早漏で、装着時間は確かに短かったかもしれない。が二人で思い返してみても陰茎と膣が生で接触していたタイミングは殆ど無かったように記憶しており(挿入時はずっと装着していたし素股もしていない)、一体全体夫の精子がどうやって私の卵管まで到達したのか皆目見当がつかない。挿入時に夫の分泌液が付いた手でちょっと私の膣の入口を触ったとかはあったかもしれない。あとは口淫のとき…?そのくらいしか原因が浮かばない。いい歳して情けない。
私は年明け早々1週間遠方へ出張に行き、帰ってきても出張疲れがいつまで経ってもとれないなぁ、風邪ひいたかもなぁと思いながらゴロゴロしていた。しかも生理が始まらない。そんな馬鹿なと思いつつ妊娠検査薬を試したら一瞬で線が表れた。目の前が真っ暗になりながら帰宅した夫に玄関で検査薬の線を見せた。彼も唖然としながら「セックスって本当に交尾なんだね…」と馬鹿みたいな台詞をこぼした。はは…わかる……(全然笑い事じゃない)
コンドーム以外の避妊も同時に行わなかったことを激しく後悔した。ピルで体調を崩したことがあるので私はピルは飲めない。それなら、セックスの頻度が減っていたとしても子宮内避妊具も選択すべきだった。何もかも後の祭りである。最悪の気分だった。
2日後二人で半休をとり近所の産婦人科へ胎嚢と心拍を確認しにいった。げ。やっぱり妊娠していた。帰宅後、午後出勤までの30分間で夫と軽く話した。「せっかくできた命が勿体ない」といった生半可な気持ちで妊娠を継続してはいけない認識だけお互い再確認して、とりあえず午後の仕事にとりかかった。とにかく時間がない。産むか、中絶か。早く結論を出さなければと焦り、その日は全然仕事が手につかなかった。
私達は子無し派だ。周りにも「子ども自体は好き」を添えてそう伝えてきた。大いに働いて、人並みよりちょぴり多めに稼いでその分しっかり納税してきたし、時短勤務による仕事の肩代わりもまぁそんなもんだろうと特に何の抵抗感も無くこなしてきた。そのお陰かは分からないがお互いちょっぴり昇進もさせてもらってきた。こっちは将来に向けてコツコツ貯金しておくから税金は子どもにじゃんじゃん使って欲しい、なんなら(現実的には難しいが)子無し税や、もっと大胆な妊活助成金・給付金を創設してくれよと思うくらいには「子持ち応援寄りの子無し派」で生きてきたつもりだ。
そうまでしても子どもを持ちたくなかったのは、かいつまんで言うともう夫は将来に向けて暮らしのイメージが固まっており(私もそのイメージにとても共感していた)子を持つと実現が金銭的に難しくなるのは明らかだったからで、私の場合は親族含め実親…特に父親がかなりアレな人で(よくあるパターン乙)自分が親になって子育ての苦労を知ることで実親を赦す感情が芽生えるのが恐ろしかったからである。
混乱の胎嚢心拍確認日から2週間、毎晩夫が帰宅してから子どもがいる人生(産む選択)と子どもがいない人生(中絶し避妊具を装着し続ける選択)、どっちを選択するか話し合った。
個人・共有資産を細々と洗い出したり、現在の仕事のポジションや夢を出し合ってお互いの将来性を皮算用してみたり、将来の暮らしのイメージをもう一回言語化してみたり、子ども時代にどういった教育を受けてきたのか振り返ったりしながら子無しの人生を継続していくことでどんな楽しみが待っていると感じるか…。それはそれとして、先述の「子どもを持ちたくない理由」をクリアするためには何をしなければいけないか、その上で何を諦めることになるか、諦める内容は納得できることなのか等々……
泣いたりイライラしたり、とりとめのない話を挟みながらひたすら意見を出し合った。今思うとサクッと中絶を選ばなかったのは、既に子に対する情みたいなものが生まれていたからなのかもしれない……
2週間話した結果、夫が持つ将来に向けての暮らしのイメージが叶えられなくなる懸念については「将来のイメージは結局のところ増田ちゃんと一緒に年老いていくのを楽しむために今まで抱いてきたもので…だから形が変わっても増田ちゃんが一緒なら楽しめるのではないかと、話し合いを進める中で思うようになってきた。だから子供を持とう」と、夫は結論付けてくれた。
私も2週間話し合いを進める中で「おや?これは子を産んでも、少なくとも父親は良い人だからなんとかなるのでは…?」という気持ちが生まれてきていた。自分が良い親になれるかは分からない。全然そんな自信がない。しかし少なくとも父親はまともだ。夫と子に向き合うことで全然違う親像を学べるような、そんな気がした。そこで「子どもを持つ」ことは絶対確定事項とし、私たちは振り返らずに走り出すことにした。どんな子が生まれようと結局話し合いで出た結論に戻るだろう、とお互い考えたので出生前診断もやめた。
私の子どもを持ちたくない理由(自分が親になって子育ての苦労を知ることで実親を赦す感情が芽生えるのが恐ろしい)は、妊娠生活の中で徐々に噛み砕かれていった。
妊娠は何十、何百回も「人による」を実感させられる現象だ。妊娠に伴うマイナートラブルをスマホで調べると無数の妊娠レポが出てきて、そのどれもがちょっとずつ違った。私と似たような体験をした人もいれば正反対の症状に苦しんでいる人もザラにいた。私は徐々に他人の投稿した妊娠レポを参考にしなくなり、そうしているうちに私の親がした子育ても、ネットに無数に漂う妊娠レポ達と同程度なのではと思うようになっていった。
毒親育ちの人に「自分の人生を生きましょう」なんて言葉がかけられがちだが、それができたら苦労しないでしょ、これだから恵まれた人間は…と私は常々思ってきた。が、毎日のように「人による」を実感させられると、なるほどそうとしか思えなくなるものだ。私もこれから子育ての苦労を何度も何度も味わうことになるだろう。でも親が行った子育ての苦労に思いを馳せる必要はない。なぜなら「人による」から。あの人はあの人で勝手に子どもを作って勝手に育てただけだ。私の腹から出てくるのは私ではない。ただただ反面教師にして私も勝手にすりゃいい、と今は思っている。
正直まだ赤ちゃんがカワイイとかそういう感情は今一つわからない。でも生んだらあとはもう一心不乱に夫と走るしかなくて、走って走って、気が付いたら10年20年が経っているような予感がしている。
子どもは今月のどこかで生まれる予定で、まだどんな子かはわからない。その分、頭でっかちになれるのは今のうちだと思ったので書いてみた。
子が1歳になったときにこの増田を読み返して「こんなバカなこと頭の中で捏ね繰り回してたんだな」と笑えたら良いなと思っている。
これは責任逃れをしたり報道をしていない以上、どういうことになっても仕方がないと思う。
まず関係者は10億円払うこと。日本円なんてはした金だ。これくらい払って当たり前でしょ。
大スターをここまで無職にさせた異常な連中。学者でも言うまでもない。コメントを出したら払うべき。
これが人間のやることか。
性的暴行疑惑の米俳優ケビン・スペイシーに無罪評決 キャリア復活を望む声あがる
東スポWEB7/27(木)15:57
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tokyosports/entertainment/tokyosports-271010
過去の性的暴行疑惑で罪に問われていたハリウッドの大物俳優ケビン・スペイシー(64)について、英ロンドンの裁判所の陪審は26日、無罪評決を言い渡した。これを受けてハリウッド幹部らからは、スペイシーのキャリア復活を望む声が上がっていると27日の英紙「デイリーメール」が報じている。
無罪評決のあと取材に応じたスペイシーは、「陪審がすべての証拠とすべての事実を慎重に検討するために時間を割いてくださったことに、非常に感謝している」とコメント。さらに無罪評決には「恐縮している」と話し、無罪を勝ち取るために協力した関係者への感謝を口にした。
https://digital.asahi.com/articles/ASLDT3F4CLDTUHBI00T.html
米マサチューセッツ州の地方検察官は24日、有名俳優のケビン・スペイシー被告が、18歳だった男性に対する強制わいせつや暴行などの罪で起訴されたと発表した。スペイシー被告はネットで「やっていないことへの代償は支払わない」などと語る動画を公開したものの、起訴には直接言及していない。
検察の発表によると、起訴されたのは2016年7月の事件に関してという。米メディアによると、スペイシー被告は同州の避暑地にあるレストランで当時18歳の男性に飲酒させた上でズボンに手を入れ、性器を握ったとされる。男性の母親の元アナウンサーが記者会見し、被害を訴えていた。
米国では17年、ハリウッドの大物プロデューサーの性的暴行疑惑告発を機に性被害に声を上げる#MeToo運動が高まり、スペイシー被告に対する告発も相次いでいた。スペイシー被告は告発内容を否定したが、人気ドラマ番組「ハウス・オブ・カード」の主役から降板させられた。
スペイシー被告が公開した動画はこの番組の役柄に扮したと見られ、ドラマの内容を語る体裁を取りながら「証拠もないのに言い分を信じないだろう。事実の裏付けなしに結論を出すのか。出さないだろう」などと指摘。「間もなく全ての真実を知ることになるとの確信を強めている」などと語っている。(ニューヨーク=鵜飼啓)
https://globe.asahi.com/article/11532159
触発されたかのように、俳優のケヴィン・スペイシー(58)にベン・アフレック(45)、ダスティン・ホフマン(80)、オリバー・ストーン監督(71)、ブレット・ラトナー監督(48)、アマゾン・スタジオのトップだったロイ・プライス(50)、『トイ・ストーリー』監督などで知られるピクサー・アニメーション・スタジオ共同創業者のジョン・ラセター(60)への告発も続く。ジャーナリストや著名アンカー、政治家と他の業界にも広がっている。
「#MeToo」失業したケビン・スペイシーに35億円支払命令。かつての人気スターが直面する過酷な状況
猿渡由紀
https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20211124-00269545
ここのところほとんど忘れ去られていたケビン・スペイシー(62)の名前が、再びメディアに浮上した。しかも、これまた悪いニュースだ。いや、最悪のニュースと言っていい。ハリウッドを追いやられ、収入が途絶えている彼は、損害賠償として約3,100万ドル(およそ35億円)の支払いを裁判所から命じられたのである。
スペイシーを訴えていたのは、Netflixオリジナルドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」を製作するプロダクション会社MRC。スペイシーが主演とエグゼクティブ・プロデューサーを兼任するこのドラマは、2017年秋の「#MeToo」勃発で大きなダメージを受けたのだ。
80年代にスペイシーからセクハラを受けた事実を俳優のアンソニー・ラップがメディアに語った時、ドラマは第6シーズン撮影の真っ最中。ほかにも過去の被害者が名乗り出る中、スペイシーを出し続けるわけにはいかないと、MRCは、主人公フランク・アンダーウッドが死んだことにして、ロビン・ライト演じる妻役で話を続けるという決断を下した(Netflixも、スペイシーを出し続けるなら配信はしないと、彼をクビにするよう要求したとされる)。
そのせいで、すでに撮り終えていた2話分は、ボツに。脚本を完全に書き直すことになり、納期に間に合わせるため、12話の予定だったこのシーズンは8話に縮小された。MRCがNetflixから得られるライセンスフィーは、その分、減ってしまっている。
スペイシーの被害者は「ハウス・オブ・カード〜」のクルーにもおり、2019年、MRCは、契約内容にある行動規範を守らなかったとして、スペイシーを「契約違反」で訴えた。これを受けてスペイシーは、契約違反をされたのは自分だと逆訴訟。しかし、先に述べたとおり、スペイシーは、損害賠償として2,950万ドル、弁護士代として140万ドル、合わせて3,090万ドルをMRCに支払うことを言い渡されたのである。納得がいかないスペイシーは上訴するも、今月はじめ、棄却された。これらの事実は関係者以外知らなかったのだが、MRC側の弁護士が判決の確認を裁判所にあらためてお願いしたことから、今になってメディアに情報をつかまれたのだ。
スペイシーが迷惑をかけた作品は、これだけではない。訴訟にこそならなかったものの、リドリー・スコット監督の映画「ゲティ家の身代金」も、スペイシーのせいで1,000万ドルの余分な製作費を使うことになっている。
「#MeToo」騒動が起きた時、この映画はすでに完成し、11月のAFIフェストでのプレミアも決まっていた。映画の北米公開予定日は、翌12月だ。だが、騒動を受け、スコットは、スペイシーのシーンを全部カットし、急遽クリストファー・プラマーを代役に立てて撮り直すと決めたのである。共演者のマーク・ウォルバーグやミシェル・ウィリアムズを感謝祭の休日中にもかかわらず再び現場に呼び出し、スコットは、たった8日間で必要な撮影を終わらせ、公開日をほとんど遅らせることなく、映画を完成させてみせた。
そのほんの数ヶ月前には、今作でスペイシーがまた候補入りするのではとささやかれていたのに、授賞式の日、候補者としてレッドカーペットを歩いたのはプラマー。スペイシーは、この授賞式からだけでなく、以後のすべての授賞式から、そして、映画、テレビからも、すっかり姿を消してしまった(日本で2019年に公開された『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』は、アメリカでは『#MeToo』前の公開。『ビリオネア・ボーイズ・クラブ』も、『#MeToo』前に撮り終えていたものだ)。業界から尊敬を集め、観客から愛された大スターは、突然にして、完全に昔の人になってしまったのである。
奇妙な動画で伝えるスペイシーの言い分
そんな中で、スペイシーは、自分なりのやり方で世間とコミュニケーションを取り始めた。毎年クリスマスイブの日にYouTubeを通じてメッセージを送ることにしたのだ。それらの動画は実に奇妙かつ意味深で、その都度、人々の好奇心を掻き立てている。
2018年に投稿した最初の動画に、スペイシーは「ハウス・オブ・カード〜」のフランク・アンダーウッドとして登場。「あなたたちは僕に戻ってきてほしいだろう?」「僕がすべてを認めればいい、僕は自業自得だと思っているのかもしれないが、現実はそうシンプルではないのだ」「やっていない罪の代償など払うものか」「まもなくみんなが真実を知るだろう」などと、自己弁護するようなことを語っている。2019 年の動画でも、彼はフランクになりきり、最後は「次に誰かに嫌なことをされたら、攻撃するのもいいけれど、それを抑えて予測できないことをするのもいい。優しさをもって殺すのだ」という言葉で締めくくった。最後に恐怖を煽るような音楽を流しているのもミステリアスだ。
一方で昨年の動画では、スペイシー本人として、「苦しんでいるのはあなただけではない」「これから良くなっていくから」と、自殺しようかと思っている人に考え直すよう話しかけている。最後の画面は、自殺防止ホットラインの電話番号だ。これを通じてスペイシーは「辛くても自分は自殺をしない」と言っているのではないかと解釈する声もある
これ訴えられて当然でしょう。
THIS WEEK「国際」
近藤 奈香
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b3333
今回、スペイシーが訴追されたのは、2005〜13年に起こした性的暴行など5件だ。彼がロンドンの、オールド・ヴィック劇場の芸術監督を務めていた時期に起きたとされる。
「発端は17年の#MeToo運動。この時、スペイシーへの告発も続出し、これまで約30人の男性が声を上げた。俳優のアンソニー・ラップは、14歳の時に性的関係を迫られたと告発。スペイシーも『酔っていてあまり覚えていないが、不快な思いをさせたのなら陳謝する』と語っている。そして米英で当局による捜査も始まった」(英紙記者)
性的暴行疑惑の米俳優ケビン・スペイシーに無罪評決 キャリア復活を望む声あがる
東スポWEB7/27(木)15:57
一つはオールディーズ(戦後〜1980年頃まで)音楽の深い造詣とそれに裏打ちされた初期の作品のファン。
(ちなみにシティポップとして巷でよく聴かれる作品は初期に集中している)
オールディーズのキュレーターとしての達郎に全幅の信頼を置いている。
ただ中期以後の達郎のサウンドは好みでないため、新譜はほとんど聴かない。
当然ジャニーズ提供楽曲も基本的に興味ない。むしろジャニーズ苦手。
こんな調子だからいちいち細かいことにうるさい、面倒な客でもある。
毎年「クリスマスイブなんちゃらエディション」が出る度に買うような、達郎にとっての太客。
多分今回達郎氏が「私の音楽を必要としていない人達」として切断処理し、これに「がっかり」と声を上げている「ファン」は前者が多いのでは?
忠誠心は低いから最近の達郎は聴かないけど、「歌謡」の殻を破って洗練されたものを作ったかつての実績からダサいことはしないというブランドイメージ(これが多分パブリックイメージでもある)は今でもうっすらあって、そのブランドイメージが壊れ、更に自分らはファンでないと切断処理されて動揺しているのだと思う。
ただこれは達郎および狭義のファンからしたら「課金もしないでこんな時だけファン名乗ってんじゃねぇ」となる。
達郎にしても、切断処理することで相対的に信者優遇できる。課金もしないでケチばかりつけてくる面倒くさい客もどきよりは、文句言わずに課金してくれる有難い信者をより優遇するのは至極当然であるし、気をよくした信者も益々推し活に励むことになる。
これだけ聞くと、いわゆる「マニアがジャンルを潰す」的なものを想像する人も多いかもしれないが、達郎の場合「古参=マニア」と綺麗に分類できないところが興味深い。
それもそのはず、達郎は基本的にサブスク反対であり、必然的に顧客層はCDプレイヤー、LPプレイヤーを持っているような年配者となる。たまにいる10、20代ファンは両親が古参という場合も多いし、たまたまYouTubeで知って聴き始めた若者はそもそもCDプレイヤー、LPプレイヤーを持っていないので狭義のファンにはならない。またYouTubeでリコメンドされる達郎曲はそもそも初期中心なので、最近の曲まで辿り着かない。
なのでごちゃごちゃ文句言う層はむしろライト層であり、信者はむしろごちゃごちゃ言う人がふるい落とされて残った後の純度の高い古参なのだ。
そして達郎は元からお金落とさない自称ファンや新規さんは元々相手にしておらず、今回のことも自分の矛盾を咎めず鷹揚にお金を出してくれる信者以外は客じゃないという、従来の姿勢を再確認しただけなのだ。
サブスク時代は誰もが潜在的顧客なので、そもそも客の定義が達郎と世間とで異なっている。
別にアーティストが客を選ぶのは自由だけど、自分らを客だと思っていた世間は客じゃないと拒絶されたら驚くよね。
達郎自身が自他共に認める相当面倒臭い(よく言えばこだわりの職人気質)人だけど、昔はむしろ面倒臭い客を歓迎すらしていた。
だからその時代を知る人ほど今回の切断処理に驚いているのだと思う。
よく今回のことは職人気質が出たせいと擁護されるが、むしろ職人ゆえの緻密さが失われた結果だと思う。
こんな雑になったのはメンターでもあった大滝詠一氏の死の影響が大きいのではないか。
面倒臭い達郎に輪をかけて面倒臭い話を振ってくる人がいなくなり、周りはイエスマンしかいない状況だと、思考や振る舞いが雑になるのは仕方ない。
あとは歳だよね。70だもの。
だから切断処理された俺たちは達郎はジャニーズの人になったのだと諦めて、タッキーのTOBEでも応援しようぜ。
正直音楽的にはこっちの方が期待できる。
あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。
高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的な理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。
それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。
え、あ。
へえ〜。
はあ、そっか。
言葉が出てこなかった。普段は感情を言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。
友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。
そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ちの弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。
元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。
それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。
こんな簡単な言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手、しかも女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。
きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。
もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。
浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。
そう、私のものだったんだよ。
高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前の漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。
高校1年生の夏、みんなで頑張った部活の練習。暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。
高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後の喫茶店。お前はキャラメルのカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。
高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン。本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから、義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎、義理チョコにあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。
高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったからあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。
高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。
高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石の気持ちを強くわかったな。
高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚のスカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。
高校3年生の春、コロナが流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所に公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。
高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しかも受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語と読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。
高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験を応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。
高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。
でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。
選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。
また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラに爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯をリクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。
もう一度好きになってよ。
もう20年以上前の、まだ携帯も電話とメールくらいしかできなかった時代の思い出話だ。当時の俺は高校生だったが、卒業できたのが不思議なくらい学校をサボっていた。育った環境に問題があったわけでもないし、引きこもりだったからでも、ヤンキーだったからでもない、多分どちらにも成れなかったから学校に行かなかったんだと思う。
学校に行かずに何をしていたのかというと、夜な夜な近所の廃墟になった工場でMDから音楽を聴いて煙草を吸って過ごしていた。大人ぶってジンのポケット瓶なんかを飲んだりもしながら、日が昇ったら家に帰って、起きて気が向いたら学校に顔を出してバイトに行く。そんな生活を繰り返していた。何か月かその生活を続けたあと、風邪を引いて数日ぶりに行った工場には先客がいた。制服姿の女の子だった。彼女は俺と違って複雑な家庭に居り、居場所を求めてその廃墟に来たらしい。ただなんとなく夜を儚んでそこで過ごす俺と違って、彼女は深刻な事情を抱えていたけれど、初めて会ったその日から彼女の身の上話を聞くことはほとんどなかった。もっと言えば、彼女と俺が最も言葉を交わしたのは初めて会ったその日だった。その日から、俺たちは大して話もせずにお互いの背中にもたれかかりながら、イヤホンと煙草と酒を分けながら過ごした。
メールアドレスだけは交換していたけれど、メールで話すこともなくて、何時に行くとか着いたとか、そんなやり取りだけをしていた。すっかりその生活が日常になって廃墟で過ごすにはだいぶ寒くなってきたころ、彼女が離婚した母に付いていくために年内には引っ越すことになったという話を聞いた。俺は彼女に何の言葉をかけてあげることも出来なかったけれど、ただとても寂しくて、具体的にいつから引っ越すのかも聞けなかったことを覚えている。いつ来るかわからない終わりを感じながら、それでも俺たちは何を話すでもなく音楽を聴いて夜を過ごし続けた。
そんな不安を抱えたまま、クリスマスイブがやってきた。いつも朝まで一緒に居たからクリスマスイブになった瞬間も一緒に居たのだけれど、クリスマスだという話は一切しなかった。それでもクリスマスイブの夜、俺はバイト先のコンビニでケーキとスパークリングワインを買ってから工場へ向かった。先に着いていた彼女に向って俺はケーキを掲げてメリークリスマスと言おうとして、急に恥ずかしくなって無言でほほ笑んだ。
ワインをラッパ飲みしながらホールで買ってしまったケーキをプラスチックのフォークで不格好に2人でつついた。相変わらずあまり話はしなかったけれど、彼女はケーキにフォークを入れるたびに泣いていた。朝になって帰ろうかという時、彼女が俺にキスをした。歯と歯が当たるような不格好なキスで、煙草と酒の匂いがする最低なファーストキスだった。でも、今になっても人生で一番長く感じたキスだった。本当は数秒だったのかもしれないけれど、永遠のようなキスだった。唇を離したときに俺は彼女にどうしてキスをしたのか聞こうとしたのだけれど、彼女は「メリークリスマス」とだけ言って去っていった。
翌日俺が廃墟に行くと、俺たちがいつも座っていた場所には俺がいつも買ってくる煙草とジンだけが置いてあるだけだった。彼女は居なかったし、彼女に送ったメールも宛先不明で帰ってくるだけだった。俺がメリークリスマスと言える機会は永遠に失われた。
あの日に泣きながら瓶を抱えて朝まで過ごしたせいですっかり滲んでもう何を書いてあったのかわからなくなってしまったけれど、彼女が置いていったジンのポケット瓶にはメリークリスマスと書いてあった。俺は今でもこの瓶を持っている。今年も彼女にメリークリスマスと言うことはできなかった。間違いなく、もうずっと言う機会は訪れないだろう。でもクリスマスが終わろうとすると、いつも彼女のことを思い出す。