初っ端から「アラブの春にも影響を与えた、あの…」と来た。アラブの春って大混乱の幕開けではないか。
この本はお花畑的なアレではなく独裁体制を非暴力的な政治闘争により打倒する実践的な戦略と戦術を教えてくれるものなのだという。カレン族の歴戦のゲリラがもっと早く知りたかったみたいなことを叫んだという。嘘くせえ&上から目線くせえ。
さて昨今プーチン体制とそのウクライナ侵攻を看ていてつくづく思ったのは
ということだ。
もともと吹き込まれていたのは(そして素朴に信じていたのは)、ことフットワークの軽さにおいてこちとらは権威主義体制にはかなわないんだよということである。あっちはどんな決断でも迅速に行えるのだからと。ぜんぜんそんなことはなかった。むしろ自ら選択肢を潰し、残された貧相な可能な手段を、くるくる変わる目的が追いかける間抜けさこそは権威主義体制の生理であるようなのだった。
そして独裁者の権威と権力には法の裏付けがないので民衆の歓心を買い続けるために不合理な決断・行動を余儀無くされるのが実像なのであった。
解説の学者に言わせると「独裁体制の権力の供給源は民衆であり、だからこそ民衆の非暴力闘争によって体制転覆できるというのがシャープ理論のキモ」なのだという。
前半はそのとおりだ。後半は、支配者より被支配者のほうが頭数は大なのだという当たり前のことを言ってるに過ぎない。「にもかかわらず」支配が成り立つのが人間社会の厄介なところではないか。
戦争にしろ独裁にしろ「みんな心底嫌なのに、なんで…」というのが我々の関心の核である。この本はそこにわずかでも答えるのだろうか?
そして体制転覆のための非暴力的な政治闘争の198の具体的手段というのが示される。まあ予想通りサボタージュのすすめとかで、ふつうだ。
おいちょっと待て。そもそも独裁体制を存続させているキーファクターはそれぞれ違うだろう。しかもそれは往々にして国の外にある。北朝鮮が存続しているのは北京がそれを望むからだ。北朝鮮民衆が勇敢にも非暴力闘争に乗り出そうが乗り出すまいが関係ないのである。
また現在のプーチン体制はひとえに核の脅しでもっている。それがなかったら一瞬で消し飛んでいるだろう。やはり外国との関係が決定的に重要な要素である。
一国内だけの非暴力政治闘争メソッドなんて、頭がお花畑と言われたくないお花畑サヨクのためのポルノでしかないではないか。
盛者必衰の世の中。独裁者の栄華は続かない。ただし滅びる原因は様々だ。数々の例の中から非暴力的な民衆の抵抗が奏功したように見える例をピックアップすればシャープ理論の実証になるというつもりか? そんなのはとんだ事後孔明というものだし、プラハの春や天安門みたいに戦車に一蹴された例はどう解釈するのか。
2夜分を観て、今んとこ全く得るものなし。
ーーーーーーーーー
id:donovantree 日本が存続しているのはアメリカがそれを望むからだ。日本の民衆が勇敢にも非暴力闘争に乗り出そうが乗り出すまいが関係ないのである。そんな日本で愛国保守を標榜するのは滑稽である
なんか意味のあること言ったつもりかコイツ?
と思ったら「オレ釣られちゃった?」の馬鹿じゃん。お前ほんと気持ち悪いよな。馬鹿すぎて。
ーーーーーーーー
id:soramimi_cake 後半も読んだが、増田の中でだけ神になった気分に浸る人っているよねーとしか。
同じ日本語使ってるのになんでこう皆目意味不明なこと言いだすのかね。俺のことかこれ?俺マスダノナカデダケカミニナタキブンニヒタテんの?なにがどうなってどのように?
ちょっと何が言いたいのかトラバなりで説明しろよ。自分の発言の意味を説明するのに何の不都合もないだろう。
でも絶対に自分の言葉に責任とらないんだよな、お前のようなものは。頬かむりか囃し立ててごまかすだけ。
本当、一回リアルで会ってみたい。こいつらみたいなネットでしか見ないレベルのゴミに。真っ直ぐ目を見てじっくり優しく訊ねてやりたい。お前は何が言いたいの?って
]]>第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。
「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語」
「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤーの物語」
もちろんこの二つを両立させることは出来る。
それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。
クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。
それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界をスタート出来てしまう。
同時に、まだプレイしたことがないゲームのネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。
「ゲームの物語」と「プレイヤーの物語」は絶対的に独立している。
それを打ち破ったのがMMOゲームの凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤーの物語をゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。
ゲームがスポーツとしての側面を追求することでプレーヤーの物語をゲームの勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒でしかなくなるのではないか?
将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤーの技術向上に伴いただの記号となる。
その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。
だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブの重要性が語られるようになる内に「プレーヤーの物語」こそが重視されるようになった。
たとえばSEKIROだ。
主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したときは世界の時間そのものが巻き戻る。
第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。
「主人公の物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイトや動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。
そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐の物語」である。
ゲームはごっこ遊びの場所だ。
プレーヤーはコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。
独裁政権の暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物、英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。
ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店でレバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。
「難しいゲームをスイスイと攻略するゲーマー」という役を演じていた。
レトロな世界は人間の想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。
そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである。
段々とゲームは映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクターの冒険を追体験する」という感覚を求めるように変化していく。
そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。
ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体は目的ではなくなっていった。
そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。
単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。
選択がゲームの世界に影響を及ぼすことにより、その世界の構成要素としての没入感がより強まることが発見される。
だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由な選択もまた単なるフラグ管理の確認作業へと認識が変化していったのである。
「自由な選択」や「選択の責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。
再び「ゲームを遊び倒しているゲーマーの自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである。
これには配信やSNSも関係している。
トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。
その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。
「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。
一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである。
それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。
考察が盛り上がるタイプのゲームということだ。
苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイトで議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線をかますゲーム、コントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。
「やり込んだプレーヤーが自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。
ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。
人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。
だが簡単にはいかない。
現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。
カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功の感覚を、自分の物語として味わっているのである。
現代のゲームに求められるのは「自分は成功したという物語」をプレーヤーが味わえることだ。
ゲームにおけるストーリーの良し悪しは、脚本ではなく、プレーヤーのナラティブによって決定されている。
]]>弁護士がにじさんじの炎上を分析する動画:https://www.youtube.com/watch?v=h_5I3JS_k40
7時間あるうちの最初の1時間をまとめてみた
リーガルマインドセット(以下、リーガル):アメリカ人弁護士。日本や韓国で仕事をしたことがあり、日本の法律についての知識がある
ゲーター:Vtuberに詳しい補佐役
リーガル:
にじさんじが行った法律関係での最初のやらかしがこれだ
ひどい慣習だ
契約解除通知を公表することは(英語圏では)ありえない
そんなことをすればa legal nightmareを呼び寄せるようなものだ
大企業で法人弁護士を務めたことがあるが、こんなことは絶対にしない
通知が行くのは、本人とその弁護士だけ
ゲーター:
セレンの場合は本人に通知すら行かず、友人に教えられてツイートを読んで知った
リーガル:
人々はそういうことをやっていいと思ってしまっているんだ
ディズニーもそれをやっていいと思って、ツイートを介してジーナ・カラーノを解雇した
ゲーター:
本来、契約解除ツイートは1ページだけで、もっと漠然とした内容になっている
こんなに細かく描かれているのは普通じゃない
Vtuberはアイドル文化が根底にあるため、文化的な違いもあるだろう
リーガル:
問題は英語圏での観点を理解していない日本人によって運営されているという点
こういう声明を出すのであればよく吟味する必要があるし、こんな情報を出してもみんなが受け入れると思ってはいけない
契約違反に関する法律はわりとインターナショナル(全世界共通)
契約違反の場合、裁判地は被告側の本社となる、つまり日本
ただし、ドキバードがカナダから日本では適用されない法について提訴することは可能
日本の問題について分析する際にはこの点について極めて注意しなければならない
多くの人はこの点を誤解してしまう
名誉毀損と著作権侵害についてはアメリカより遥かに厳しい
例えば外配信をしていて誰かが画面に写ったとして、その人が抗議した場合、即座に修正しなければ大変なトラブルになるので、モザイクを掛けたほうがいい
そういうわけなのでこの言葉はアメリカのそれよりも強い響きがある
極めて日本的な概念だ
1ページ目だけを見ても内容は中傷的だ
日本や韓国では、普通の職場であってもブラックである傾向がある
これをしなければ罰するぞ、評判を下げるぞ、VISAを打ち切るぞ、というような権力構造がある
日本の企業はどこも共に働くのが難しいが、最悪なのがブラック企業だ
にじさんじは間違いなくブラックの側に寄っている
日本や韓国で働いた経験からすると、彼らは外人をあまり気にかけない
何か問題が起きても「自分の国に帰れば問題解決でしょ」となる
コントラクターの定義は国によって大きく異なる
しかしこのレベルのコントロール下に置かれるのあればほとんどの場合ライバーは社員とみなされる
アメリカやカナダであれば社員とみなされるだろう
こうした定義の違いがあるため問題が起きやすい
この時点ではセレンはこのことについてコメントしていないため、問題になりうる
ゲーター:
この点はカナダの法律(健康情報や個人情報保護に関するPIPEDA)に抵触する
アメリカにはHIPPAがあるが、カナダのPIPEDAはそれより厳しく、健康情報の他、住所やローン、年齢、精神状態、障害、職歴に至るまで、本人の同意なしには公開できない
リーガル:
つまり、この点をプライバシー侵害としてカナダで提訴することができる
そして日本では契約違反について提訴すればいい
日本での裁判は大企業相手なので不利な戦いになるが、カナダでの裁判はかなり楽なものになるだろう
この箇所では他のライバーを話題に上げているため、特に問題がある
ハラスメントと他のライバーとが結び付けられているが、もしこれが間違いであれば、他のライバーに対する多大な損害となる
マネジメントに問題があるように見受けられるのに、他のライバーが問題としてやり玉に挙げられていることから、他のライバーがにじさんじを提訴する可能性もある
実際にその合意を読んでみないと確かなことは言えない
ちなみに私はセレンの弁護士から有責性を完全に取り払いたいとは思わない
なぜなら彼もまた守るべき義務があるからだ
その合意の中身を読まない限り、セレンの弁護士がやらかしたのか、にじさんじの弁護士が合意を侵害したのか、はたまたそれ以外なのか、わからない
カナダの弁護士が日本の法律には同様の守秘義務がないことを知らなかった可能性もある
国際法を扱ったことがないアメリカの弁護士の多くはよくこの点について勘違いをしてしまい、他国も同じだと思いこんでしまう(が実際はそうではない)
ゲーター:
両者ともに全く異なる文化、法律体系であり、そこには溝がある
リーガル:
にじさんじ側はカナダの個人情報保護法の強さを知らなかった
セレン側は日本の法律には同種の守秘義務がないことを知らなかったかもしれない
ただし、法律を知らないことは言い訳にはならない
そこはドキの弁護士が上手くやったんだろう
「あらゆる発言は自分にとって不利な形で使われる可能性があるから気をつけなさい」と
にじさんじは全く真逆の行動を取っている
すべての発言は不利な形で使われる可能性があるのに、べらべらと喋り続けている
私からすれば狂ってる
にじさんじの声明を取り上げたあとにCEOの声明も取り上げるよ
「私たちNIJISANJI ENが非常に明確にしておきたい重要なことがあります」
Vtuberたちに会社の代表をさせている、これは滅茶苦茶だ
法人弁護士や広報担当やCEOがやるべきことだ
違法かと言われれば必ずしもそうではないが、でも間違っている
自発的にやっていると言っているが、これは会社がやらせているものだ
]]>Apple Vision Proが現行VRの頂点にいままさに君臨しつつあることを簡単に解説したいと思います。
Virtual reality(VR)の歴史は古く、狭義の"コンピューターで作られた仮想空間を現実であるかのように疑似体験する"という意味でも50年以上前から存在します。
Computer Generated Image(CGI)を利用した模擬飛行装置、いわゆるフルフライトシミュレーターがJALに導入されたのは1977年です。
本物の飛行機に訓練生のせて飛ばすのに比べたら、安全で安価で何度でも使える大変にオトクな装置だったからですね。
(フライトシミュレーターはざっくり100年ほどの歴史がありますが、CGIを本格的に利用しだしたのはここ50年程です)
とはいえ、あくまで比較の問題で、設備投資としてはかなり高額ですし、維持費も結構かかります。
いくつものルーツを持ちますが、Head Mounted Display(HMD)が開発された要因には、より取り回しが楽である、という点があったことは間違いありません。
(直接的な祖先としては1961年のHeadsightと言われている)
ただ、実はHMDは主に技術的な課題を解決する目途が立たなかったことから、プロジェクタのような実空間に映像を投影する装置に一時期流行が移ったことがあります。
おそらく、国内で最も手軽に最先端の空間投影型のVRを体験できるのは、東京ディズニーシーのソアリン:ファンタスティック・フライトでしょう。
(豊洲にあるチームラボプラネッツは、アート寄りなのでVR体験としては若干特殊だと思う)
さて、その後徐々に技術的な課題が解決され、HMD型のVRは少しづつ実用化されたり、販売されるようになりました。
VRにはいろいろありますが、ざっくりとは以下の4パターンにわかれます。
No.1の表示装置というのは、いわば映画館のような大スクリーンをどこでも楽しみたい系のHMDです。
No.2の仮想空間に入り込みたいのは、VRChatのようないわゆるキャラクターになり切る、というものですね。
No.3の現実空間に情報を追加するのは、静止画ならプリクラ、動画ならサーモグラフィカメラなどもそれに該当します。
No.4がApple Vision Proが到達しつつあるものであり、かつ、ずいぶん昔から研究やパテントが飛び交うも実現が難しかったものです。
違和感なく重ね合わせるという部分が、最も困難でした。
人間の五感は大変に優れており、もうちょっと鈍感でも良いのになと思う程度には鋭敏です。
たとえば、任天堂switchのリングフィット アドベンチャーは、仮想空間に入り込むデバイスとしては大変安価で割と追従性も悪くありません。
しかし、"仮想空間に入り込んだ"と感じるかというと、これはかなり微妙でしょう。あくまでもコントローラーの一種だ、と思われるのではないでしょうか。
同様に、新型コロナが流行ったころに飲食店などに導入された、自分が映った映像に体温が重ねて表示されるものを"仮想空間の情報が重ねあわされている"と感じる人もまた少数派でしょう。
と、ここまで読んでいて少しVRに詳しい人ならこう思ったのではないでしょうか。
MicrosoftがMicrosoft HoloLens で実現していたのでは?と。その通りです。
まず、HMDにはいくつかの種類があるので分類しておきます。
(これに、映像をどう見せるかの方式として、ディスプレイ型、網膜投影型、虚像投影型などなどがありますが、今回は割愛)
Meta Questは基本的には非透過型、遮蔽型のHMDです。いわゆる没入感が強く、完全に視界を覆ってしまえるため、大掛かりな表示装置を安価に実現するには最適です。
HoloLensは透過型で、光学シースルータイプです。いわゆる実際の現実世界が透けて見えており、そこに仮想空間を重ね合わせています。非遮蔽型でMRが実現されています。
Vision Proは透過型で、ビデオシースルータイプです。完全に覆ってしまう遮蔽型で、ビデオで撮影した現実世界と仮想空間とを重ね合わせて見せています。
つまり、Apple Vison ProはMeta Questに近く、HoloLensはどちらかというとARに近いMRです。
目的です。
Meta Questは、VRとしては仮想空間に入り込む方に重きを置いています。そのため、大画面で映画を見たい等の場合は、Meta Quest 3などで必要十分でしょう。
HoloLensは、MRとして現実世界側に重きを置いています。産業用途、トレーニングや作業効率アップなど、空間に投影できるマニュアルとしての用途を押し出していますし実績もありました。
Vision Proは、MRとして現実世界に仮想のディスプレイを表示させることに特化しています。ディスプレイの品質を担保するために遮蔽型にし、現実世界を見せるためにおそらく専用チップでビデオシースルー処理をしています。
X(Twitter)の感想や使用感レビューを読む限りにおいては、(属性が極端に偏るという点をおいても)かなり広範囲な人がほぼ違和感なくビデオシースルーで現実世界を見ることが出来ています。
光学シースルーに匹敵するビデオシースルーというのは、その時点で光学シースルータイプの上位互換になります。
そして、最も大きな特徴は、仮想ディスプレイを表示することに特化したその目的です。
現実世界に仮想のディスプレイを表示するというその目的において、Apple Vison Proは性能面ではほぼ完成形です。
ちょっと長くなってしまったので簡単にまとめます。
Apple Vison Proは、現実世界に仮想のディスプレイを表示させる手段としてほぼ完成形です。手軽に持ち運べるマルチディスプレイ環境が欲しい人には最終回答でしょう。
例えば新幹線の車内でトリプルディスプレイで仕事をしていても、他人から覗かれる心配は無く、かつ、車窓を楽しむこともできます。防犯の面でも安心でしょう。(キーボードを使うならショルダーハックに注意が必要なのは変わらず)
仮想空間のみが必要な場合は、Meta Questで充分です。どうせ自室には見るものないし、ゲームしかしないし、という場合には、Apple Vison Proを買うのは勿体ないでしょう。
HoloLensは、その性質上、専用のアプリやソフトウェアが必要になりました。例えばエンジンの修理用のマニュアルを表示させて効率アップしたいなら、それ専用のHoloLensに特化したマニュアルを作成する必要がありました。
大量導入してバッチリハマる用途なら普及の可能性はあるかもしれませんが、紙のマニュアルと無線ヘッドセットの指示を上回るのはかなり難しいでしょう。
そして、Apple Vison Proは普及するのか?という点において、一般的には普及しないでしょう。
ご家庭にはテレビがあり、レジャーでは映画館があり、一般的にはノートパソコンの一画面で充分です。
また、業務用途においてはWindowsに対応していないため、会社で支給されて出張社員がみな使うというのも考え難いです。
そのため、これはMacbook利用者のマルチディスプレイ環境として、使う人が使うような、ほそぼそと売り続けられるApple Studio Displayのような位置づけになるでしょう。
真に空間コンピューティングとして見かけるようになるのは、おそらく三年以上後、iPhoneとApple Vison ProとAirPods Proの3点のみで仕事が完結する人がそれなりに増えてきてからだと思います。
テレビ会議、メール、ブラウジングと動画視聴、主に文字が主体のコーディングや資料作成で仕事が完結する人にとっては、良い時代になりそうです。
]]>20年ぶりの「アイシールド21」読切、どうだった?
・読めて感激、気分はお祭り、文句なしに大喜びできている人
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
・ヒル魔大好きな人
以下の文章を読むことはおすすめしない。
読切うれしい。21周年おめでとう。ありがとう。
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
思ってはいるけど、漫画ファンとしては、
ぶっちゃけ全然手放しで喜べない、
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・かつてのアイシールド21の何が素晴らしかったのか
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
しかしどうしてこうなった。
・アラサー漫画オタク
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・単行本や画集も持ってる。アニメも見た。
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
「お祭り読切です」という言葉にいやおうなく期待は高まった。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
総じてネガティブな意見は言いづらい空気が漂っている。
昨今、批評は批判と混同され歓迎されない風潮だが、
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
「過去キャラ総出演!」
「セナVSヒル魔、まさかの激突で激アツ展開!」
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
そもそも大前提として、本作品はW主人公作品ではないだろう。
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
人気投票では主人公を凌ぐレベルの票をあつめ、
ストーリーに於いても重要な役割を担い、
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語の主人公はセナひとりであり、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
デビルバッツ創立時のコアメンバー3人、
ヒル魔・栗田・武蔵がそれぞれ、
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
物語の構造からしても納得感があるものだった。
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
三国志とはなんだったんだ?????
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
それすらない以上、描き忘れ疑惑が晴れるものではないと思う)
読切の大筋を
「先輩とライバルになり、それを超えていく主人公セナ」
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
あとこれも看過できないので言及するが、
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
アイシールド完結から十数年、満を持しての読切、
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
令和のアイシールドが読めるのか!?!?
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
最終巻付近の、あのへんの絵柄………である。
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
綿密な書き込みやコミックスの隅々の描きおろしに
強いこだわりや作品愛を感じられて、
だけどそんな村田先生が心身の調子を崩し、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
防具や背景の作画もそこはかとない省エネで、
特徴的な造形のキャラ達もどことなく平均化されている、
そんな、あの頃の絵柄…
フィールドにいるはずのキャラがなぜか観客席にもいるとかいう
キン肉マンもかくやの謎作画ミス連発のうえ
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
作画時間、じゅうぶんとれていたはずでは…ないのだろうか。
武蔵はおらず、十文字の顔の傷は違う所にあり、
背番号や服装の誤りも細かく発生しており、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
キャラクターにとんでもない退場のさせ方をしたり、
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
何にせよ相当ストーリー優位の作り方をしている作家と思う。
それはそれで一つのスタイルなので良い悪いの問題ではない。
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
だが、作画を担う若き村田先生は、真逆のタイプだった。
主要人物から端役に至るまで、
あらゆるキャラクターにかっこよさや愛嬌、人間味、
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
見るものに何らかの愛着を抱かせるような造形に仕上げ、
一コマ一コマ情熱をこめて作画していた。
信じられない密度で、オマケページを埋め、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
様々な光景を高解像度で補ってくれさえした。
かような作画者による手厚いキャラメイクによって、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
キャラクターを「推したくなる」作品に化けた。
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
原作者のつくったストーリーとキャラに、
作画者の解釈が加わったことで魅力が倍増している。
つまり村田先生がこの作品に魔法をかけてくれていたのだ。
アイシに推しキャラがいるとしたら、
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
プロの作家、編集者ならなおさらのはずだ。
なのにお出しされてきたのは、
素人でもこれだけの問題点をあげつらうことができてしまう、
そういう出来栄えの読切だった。
逆に、なぜそんな出来栄えで世に出てしまったのか。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
傾向と対策は、作品分析はしなかったのか?
この作品のファン層は?
客観的に見て作品の愛されている点は?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
作者の描きたいもの、興味関心のあるテーマは?
それを作品化するとして、最良の形とは?
プロットは、構成は? 今何をどのように描くべきなのか?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
設定確認や、過去の単行本と見比べるくらいしなかったのか?
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
ジャンプ編集部ちょっとはマトモに機能してくれ頼むから。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
]]>数種類試せばほとんどの奴に効く薬が見つかるよ
劇的かは個人差が大きいけど、プラシーボでもなんでも多少でも楽になるなら月数千円の出費は安いもんだよね
処方箋不要の漢方って手段もある
ほちゅうえっきとう(ツムラなら41番)やジュウゼンタイホトウ(ツムラなら48番)あたりがうつ関係では効くとされているかな
コロナの後遺症にも効くらしいよ
リーマス、ラミクタール、ラツーダ、エビリファイ、セロクエルを試したが双極うつに効果なし
漢方薬は抑肝散加陳皮半夏を処方されたが、非常に弱い抗不安効果を感じる程度だった
双極診断前のうつ病診断時にはルボックス、パキシル、レクサプロ、イフェクサーを十分量、十分期間服用していたが、そこまでバシッとは決まらなかった
色々服用してみて感じたのは、プラセボ効果があるのは服用開始直後のみということだった
]]>https://nakanishi.clinic/conjunctivitis.html
細菌性結膜炎は、インフルエンザ菌や肺炎球菌、黄色ブドウ球菌などで起こります
XBB系統とは?症状の特徴やワクチンの効果・日本の流行状況を解説 | ファストドクター【往診・オンライン診療】全国48,000の夜間往診実績
]]>XBB.1.16系統では、特徴的な症状として「結膜炎」が報告されています。頻度は1〜3%とさほど高くはありませんが、目の充血やかゆみ、目やになどの症状があれば、結膜炎かもしれません。
追記:作りました。
オンカジおじさんと一緒にギャンブル依存症を克服しましょう。
https://chat.openai.com/g/g-rUo9Fmvn3-onkaziozisan
もしかしたら有料プランの人しか使えなくて、当事者までアプローチできないかもだけど。
]]>日本でもタックつけて入ったり、女湯で女児プニプニ触った自慢したり、既婚中年子持ちペニス付きトランス女性が女子トイレに入りたがってやった起訴で勝ったり、アメリカでペニス付きトランス女が、全裸になる韓国風スパの女湯に入れない差別を受けたとかで訴えてトランス女が勝ってるのに、トランス女は女子トイレや女湯に入らないとか平気で嘘をつくしさ。
]]>その後ゆっくりとした動作ならできるが体をひねったり前屈しようとすると痛い。
おそらく腰方形筋というところを痛めた。
毎日筋トレしてるのに。いやもしかして筋トレしてるからか。
昨日は脚トレの日だったが、特にアブダクターのフォームは今考えるとこの腰方形筋に効いてしまってたのかも知れない。
とにかくこれってぎっくり腰だよね?
遂に俺もぎっくり腰デビューだ。
嫌なトロフィーを開放しちゃったね。
]]>以下ソース↓
TransgenderJapanで性加害事件が発生! 内部で穏便に済ませようとしたが関係者が誠実に対応しないため東京トランスマーチをボイコット!しばき隊リンチ事件と同じじゃん
https://note.com/neon_shuffle/n/n36a430ceac9f
一部団体によるTGJPに向けた声明について
https://twitter.com/TransMarch2021/status/1719308234140647508?t=JwK08okmjnxTqRgGPyGaEw&s=19
TGJPメンバーによる性加害の実際
https://junko-mitsuhashi.blog.ss-blog.jp/2023-11-01-1
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性加害行為が行われたのは、2023年2月14日に開催された院内集会「LGBTQ+臨時国会〜理解ではなく差別の禁止を!〜」の夜。
場所は、集会に参加した女性が宿泊したホテルの部屋。
当初は3人だったが、1人が帰宅した後、TGJP最高幹部が部屋に残り、女性が帰宅をうながすも居座り。
そして、シャワーを浴びると言って、部屋(シャワールームではなく)、服を脱ぎ裸に。
その後、女性に対して、不同意わいせつ行為に及ぶ。
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]]>そう思わせたら勝ち。
勝負がお気持ちで決するなら、お気持ちを直接ハックするのが一番手っ取り早い
]]>非公認ご当地キャラクターが守ってる一線を悠々と超えてない?
美少女だけ価値観バグりすぎなんだよ
]]>とあると少し上にあるやん
こういう非公式キャラクターって誤解を防ぐために非公式である事を強調するものなのに
わざと公式だと誤認させようとするのは悪質
宇都宮市大迷惑だろこれ
]]>いかに保つかが最新技術の投入よるも常に優先されてる。NASCARはボディもほぼ全車同じ(顔はちょっと
違うけど)。アメリカのオープンホイールだとインディカーが頂点だけど、あれもF一に比べたらだいぶ
ローテクかつシャシーとタイヤが全チーム同じ。エンジンはホンダかシボレー。なのでマシンの素の
状態では各チームほぼほぼおんなじ。なので違いは各チームのマシンのセッティング能力や戦略、あと
はもちろんドライバーの腕。
あと今年のル・マンの件は、元の方が書いているけどBoPという重量調整とかターボの吸気部分に取り
付けるリストリクターの大きさなんかが元々決まっている。でも今年はガチで総合優勝を狙うマシンを
用意できたのがトヨタだけだったのでレース直前にACO(主催者)が追加の制限をトヨタに与えた。なので
レース好きからしても無理な流れになってしまった。
こういう感じになってきたのはテレビの放映権料も関係しているんだろうなと妄想してる。高い放映
権料払うなら(払ってもらうなら)、いつも接戦で見てる人が飽きない要素が必要だもんね。
]]>オタク界隈で二次創作とされるものには相当部分、著作権侵害ではないものが含まれている。「二次創作」を『「著作権侵害」の概念』として使うべきではない。
]]>アニメアイコンにしといて二次創作周りの著作権知識ゼロで〜すって中学生までにしとけ。
何が絵柄違うしぃ〜だバーカ。
「表現上の」本質的特徴な。
創作性のない部分が似ていたとしてもそれは著作権法で保護される範囲じゃない。
よくあるポーズの絵を真似た人すべてから使用料を徴収できたりはしないんだよ。
半可通なのはお前だろバーカ。その表現が過去に見当たらないと主張できるか?
別に完全に新規じゃなくでもいいが、ある程度、既存の著作物と距離が離れてないと
「創作的だ」とは言えない。手塚治虫にアニメ関係者全員が金を払うような事態は
表現の多様性が求めるところじゃないからだ。
本件の絵が著作権で保護されうるかは、結構難しいと思う。侵害してないと言い張れるし、
してるとも言えそう。
当たり前だけど、絵柄が違おうが自分でデザインしたエロ水着を着せようがウ●娘のサイレン●ス●カと表記しようが、ウマ娘だと認識されるならばそれは普通に二次創作として扱われるし、
公式のガイドラインを逸脱してりゃあ著作権侵害として訴えられうる。
たぶんこれは真面目にオタクやってりゃ感覚として理解できると思うんだけど、
よく誤解されているが、それらが当然著作権侵害だと思ってるなら、誤りだ。
同判決では、著作権法上、著作物の定義が「思想又は感情を創作的に表現したもの」11であることに触れ、「具体的な漫画を離れ、右登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできない。」としました。
例えば、「ONE PIECEのルフィ」という言葉を聞いた我々は、麦わら帽子とか、赤チョッキとか、手足がびろーんとしている様子とか、「海賊王におれはなるっ!」とかを思い浮かべるわけですが、これらはあくまで抽象的な概念であって、具体的な表現ではありません。
「具体的な表現」というのは、尾田栄一郎先生が描いた漫画のコマにあらわれているルフィの絵柄であり、アニメスタッフが描いた一コマにあらわれているルフィの絵柄であるわけです。そして、著作権法は、抽象的な概念ではなく、具体的な絵柄を著作物として保護しているわけです。
「著作権を侵害している」という言葉の厳密な意味
上記のように、抽象的なキャラクターは著作物として保護されません。しかし、個々の具体的な表現は、著作物として保護されています。
つまり、誰かが無断でキャラクターの絵を販売した場合、キャラクターについての著作権を持っている人(作者・出版社等)は、「具体的な著作物がマネされている」ということを主張する必要があります。
例えば、キャラクターの出所が漫画作品であれば、「第○巻の×頁の△コマ目のキャラクターの絵」ということになります12。
作品を無断転載された同人作家は何ができるか:BL同人誌事件(知財高裁令和2年10月6日)評釈|知的財産・IT・人工知能・ベンチャービジネスの法律相談なら【STORIA法律事務所】
]]>漫画において一定の名称、容貌、役割等の特徴を有するものとして反復して描かれている登場人物のいわゆるキャラクターは、著作物に当たらない。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/776/054776_hanrei.pdf
タスク一応動くまでには予定の半分から1/3で終わらす
リファクターだのテストだのあればいい機能だのに残りを費やして期日に出す
バグが入ったり気分が乗らないなど不測の事態がおきた場合は動く状態で期日に出す
やらなきゃやばいことができて気分が乗ったら早めにだしてそっちをやる
=絶対に遅れない
]]>温泉娘に問題があったというのかもしれないけどそれだって言ってしまえば雑なご当地キャラクターってだけの話じゃん
元増田の生活保護を掠め取るような雑さやガバ会計のNPOの雑さを許容しろって言う側が他人の雑さは許さんなんて通るかそんなもん
]]>だから結果としてやったのはレッグエクステンション、ライイングレッグカール、アブダクター、アダクター、カーフレイズだど。
でも頑張ったつもりなのに全然つらくなくて、やっぱり太ももにいっぱい負荷をかけられる種目がないと物足りないど。
でも万年傷になったら最悪だからあと1ヶ月は様子見るど。早く治ると良いなだど。
]]>