はてなキーワード: ギャルゲとは
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019111500004.html?page=1
一部のフェミニストが、"現実の女性を棄損しているぞ"、"奇形である"、というのに対する
その文脈を介さない人間にとっては現実と虚構の区別がついていないようみえる論である。
そして実在しているからそのような表現でも大丈夫というのはあまりにも的外れである。
よくわからんヒエラルキーをアニメを見て現実の言動として再生産するなという指摘は正しい。
しかし、それを踏まえても赤木氏の記事における一方的な決めつけもひどい。
id:kotobuki_84 n_231氏の“描くのが簡単だから普及した”というのは多分そうで、ギャルゲの乳袋絵(あまり上手くないCG)を指して「こんな服、存在しねーよwww」ってオタクが馬鹿にする光景がかつてあった。
id:hapze-23_45 そもそも漫画やアニメって写実的なことに興味が軽薄で、デフォルメや誇張で培かわれてきた文化。そして乳袋は服の皺を省略できて、ウェストを細くして可愛く描ける利点がある。皺を想像で描くのめっちゃむずいよ。
指摘の通り、そもそも簡略化の記号として乳袋と呼称される表現(この呼称は好きではない)が生まれている。
めんどくさい、画力がない、が発端なのである。実は意外と乳房は自然に描くのが難しいし、服を着せるとなおさらなのである。
この点において一部の自称フェミニストによる不自然であるという指摘は実は正しいが、
それが性的に書かれているか、めんどくさいか画力がないかは実は判別がつかない。
そしてこの簡略化について不自然だから嫌いというオタクも少なからずいる。
また、写真はありのままだから問題ないとかいうのは大嘘で、写真は現実を切り取るフレームであることから実際は絵を描くよりももっと撮った人間の意図が重要になる。
敵の描き方にもよるが、共闘したり償いを意識したりする方向が普通か
当然、志々雄は改心しないわけだが、それで面白くするには、読者の納得がいる
志々雄は死んだ
史上最強の弟子ケンイチも「活人拳」と「殺人拳(闇)」を描いているが
最後の方は、どこが闇だよって位に、殺人拳側も善性を表出させる
「赦す」ためには、赦しに値するナニカを描く必要があるってことだ
少年漫画で、主人公が小さい子供だと、「何でも赦す聖人」に描かれる事がある
その場合、読者が納得するための無慈悲な死刑執行人は別に用意される、るろ剣の斎藤のように
少女漫画ではヒロインが菩薩のように描かれるから「何でも赦す聖人」を多く観察できる
苦悩・悲劇・事件が描かれ、解決・赦し・開放をもってカップルに至る
「何でも赦す聖人」の気持ち悪さは、いわずもがなで、主人公が人外になってしまうことだ
過度に「無垢」や「慈愛」を描くと、それはそれで人の道を外れる
主人公を「菩薩レベルのいいひと」に描く必要がないのなら、インガオホーな展開の方が、読み手もスッキリするし展開も楽だ
改心を描くほうが難しいし、それを描かなかった場合、見逃した後の被害が想起されてしまうからな
ギャルゲの攻略対象、乙女ゲーの攻略対象、そんなものを想定してもらえればいい
フェミを自称する人の中には、男女を問わず、男性向け作品のヒロイン像に辟易する人がいるらしい
でも私は、女性向け作品に登場する俺様男子にも辟易するんだけど、そんなことない?
描きたい作品として煮詰めて凝縮されている、なろう作品がわかりやすいけれど
万能超絶イケメン
文化系優男
腹黒俺様
こういうのを、メガネとか記号を加えたり、配合を変えたりしつつつ配置するのだけれど
でも、腹黒俺様系がどうにも受け付けない
これが出てくると読み飛ばしたくなる
なのに、この設定、人気あるんだよね
だから、結構な尺をあてがわれるし、ルートがそっち行くことが多い
「not for me」と言えばそれまでなのだろう
それはしょうがない
斜め読みだから細かいとこ把握できてないと思うけど大筋はなんとなくわかったつもり
AIRの美鈴ちんルート+CARNIVALの渡会泉ルート+CARNIVALノベライズ
だった
さんざんホッテントリで00年台のPS2のギャルゲだのエロゲだの言われててどこらへんだろうと思って序盤読んでて、
シランとこに転がり込んで働くってのがAIRっぽいかなーとぼんやり思ってたら
空とつながってる
ってとこで一気にこれもろにAIRやんけwwwwwwwwwwwwww
ってなってワロタ
そんで警察に追われながら若い男女で逃避行がCARNIVALっぽい
まあCARNIVALに限らずいろんな創作でありえるシチュだけど
ラブホで二人が話すシーンとかモロにCARNIVALでもあったしエロゲっぽかった
エロゲだったらここで確実にエロシーン入りまーすシャララエクスタシーって感じ
ただありがちな逃避行シチュをあえてCARNIVALにたとえたのはもう1個理由ある
結局捕まって鑑別しょ送りになるけどその後日談的なのが結構ボリュームあって、
それがCARNIVALと似てたんだよな
あれもゲームだと逃げたまんま終わるけど続編がひっそり小説で出てて今プレミアついてるけどそれで後日談がかなり語られてる
全体的にその後日談のボリュームって点でちょっと似てるなって思ったの
ただ最後がハッピーエンドっぽく安易に晴れ女と再開したのがAIRと違うとこかな
ほんと新海誠も丸くなったなって感じするよ
ただねーノベライズについて言えば、文章で語りすぎ!!文章くどすぎ!!!ってのがめっちゃあったなー
一方天気の子は、会話だけを拾い読みするだけでだいたい大筋つかめるから地の文があんま意味をなしてない、ただの水増しに見えちゃった
あとがき読むと映像だと可能な一瞬でひきつける演出が小説だとわかりにくい・難しいから、
それを細々説明するのが必要だったってことらしいけど、それにしてもくどいし文章おおすぎ
映像がまさにそうなんだろうな
映画でみるほうがいいと思う
主人公と晴れ女以外の、弟と事務所所長と所長の姪がちょくちょく出てきて全体的な話の流れを邪魔されてる感じがしてすんごい読みづらかった
ギャルゲは「選択肢」「マルチエンディング」「音楽」「セックス」などに依存するのでラノベが「ギャルゲそのもの」ではありえないですね。
もちろんヒロインの造形やタイムループネタなどギャルゲに影響を受けているのは確かですが、まあそれは2000年代のオタクコンテンツ全般に言えることではあります。
むしろ手垢のつきまくった言説ですよ。
つまり、大人向けのインテリ感をまとわせた一般小説とは対照的に、平易な文章で若者の色恋などを中心にして萌えカルチャーを汲んだ娯楽的読み物。
一般向けの小説を「インテリ感をまとわせている」と言っている時点で読んでない感がありますが…。
そもそも「萌えカルチャー」というものは漫画・アニメ・ゲーム・小説が複合的に影響しあって育まれてきたものであり、ギャルゲだけに源流を求めるべきではないですよね。
それが90年代中~後半では葉鍵などのギャルゲという形で、00年代後半~現在では珍妙なタイトルの今風ラノベという形で表れていると考えられる。
ギャルゲ文化の最盛期は90年代後半〜2000年代前半でしょう。
具体的にどういう形で表われていると言っているのか分かりませんが、現在のラノベにどういった作品があるかご存知なんですか。
というか90年代〜2000年代前半のラノベはどこに行ったんですか。
どちらかと言えば「昔のラノベは素晴らしかったのにギャルゲ文化が流入して変質してしまった〜」と根拠もなく語る懐古厨が多い印象ですね。