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はてなキーワード: キルケゴールとは

2016-10-17

実存主義ってさ

倫理の授業で実存主義をやった。ニーチェとかキルケゴールとかの。

実存主義重要トピックとして「私は~である」というのはない、私は私なのだ、ってのがあった。

Bad apple! feat feat. nomicoの「私は私それだけ」を思い浮かべて仕方無かった。

でも実存主義って絶望かいろんなものから逃げることを否定するから、望むことさえ疲れるだけよって言ってたら駄目なんだよなあと。

2016-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20160901192115

キェルケゴールが言うところの「絶望」を経て、次の段階に達しているということかもしれない。

ぼくも『死に至る病』は難しすぎて100%理解できたとはとても言えないんですが、あそこで語られてる絶望ってのは、キリスト教における「罪」を自覚しつつキリスト者にならないことによる絶望を指してると思うんです。なのでここでキルケゴール持ち出すのはおかしいと思うんです。キルケゴールって言いたいだけちゃうんかと。

2014-06-29

町山智浩氏への公開質問状 (追記あり

追記:町山智浩氏よりご回答いただきました。

匿名ダイアリーの公開質問へのお答え - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20140629

これを受けて、

町山智浩さん(@@TomoMachi)、ありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20140629172434

を書きました。


元々の公開質問状は、以下より。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

今回町山智浩氏に対して行う質問は「重箱の角をつつくような」「些細なこと」ばかりかもしれません。

「彼は唐沢俊一日垣隆上杉隆のような巨悪と戦っているのだから、そんな些細な疑惑で足をひっぱるな」と思っている方も多いでしょう。

ただ、ここで些細な疑惑によって、明らかにしようとしているのは、彼の資質問題です。

彼は、「映画ファンによる恣意的解釈は許されない。監督・作り手の考え方こそ絶対真だ。」と主張する『映画見方がわかる本』という著書を出しています

また彼自身、このようにも語っています

映画評論家っていうのはものすごい専門職だっていうこと。


観客とは全然違う立場で見なくちゃいけないんだ。


「咳をしても一人」という句を「人生から自ら人を遠ざけた男が結核を病んだ死の床で孤独と向き合う」と説 明すると「単に風邪かも」「なぜ自ら人を遠ざけたとわかる?」「この7字では説明が足りない」「解釈は自由だ」と言い張って自らの限界内にとどまろうとす る人たちと、そうでない人がいる。


自分が感じた印象を基本的に信じない。自分には超人的な直観力や天才はないと知ってるからしか世間には自分天才エスパーだと無意識に思っている人が多いようだ。


自分を信じすぎたら、何かを学ぶ気がなくなってしまいませんか? 自分はまだ何もわかってないと疑い続けることで学び成長できるのではないでしょうか?




これら町山智浩氏のお言葉を踏まえ、映画評論家町山智浩検証ウィキに掲載されている「些細な」疑問・矛盾についての公開質問になります

引用元http://www63.atwiki.jp/loversrock


時計じかけのオレンジ』におけるキューブリックの「自由意思」について

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/5.html


猿の惑星』の猿のモデルは本当に日本人か?

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/6.html


それでも夜は明ける』の愛憎のもつれをどう読み解くか。

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/7.html


パシフィック・リム』のKAIJUのモチーフを巡るある断言。

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/8.html


X-MEN: フューチャーパスト』の誤った紹介法。

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/9.html


誰が最初に『First Blood』を『RAMBO』と名付けたか

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/10.html


大人は判ってくれない』の原題意味を判っていない?

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/11.html


ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の結末の記憶曖昧でもワンスアポアタイムのことなので仕方ない?

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/12.html


狼たちの午後』ってどんな午後?

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/13.html


桐島、部活やめるってよ』の結末ちがうってよ。

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/14.html


クエンティン・タランティーノの生い立ちをいかにドラマチックに語るか。

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/16.html


あまちゃん』とキルケゴールちゃん。

http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/15.html



私が以上のような細かい事実にこだわるのは、これらの町山智浩氏の発言には細かい事実の歪曲が含まれている場合が多く、いまだこれらの疑問・矛盾についての回答を避けているからです。(キューブリックに関する件は、はてなダイアリー2ちゃんで言及された翌日に回答していたにも関わらず、です。)


ウソを追及しているはずの人がウソをついてもいいのでしょうか?


そのような人が映画の命にかかわる情報を発し、社会に影響力を持つことは危険ではないでしょうか?


「そんなこと、キューブリックは言っていない」



と自著で断言し、ファンによる勝手解釈を許さな立場を明確にされている町山氏には、これらの疑問・矛盾には積極的かつ誠実に回答していただきたいものです。


こちらからは以上です。

太字部分は、下記ブログより引用利用させていただきました。

inspired by 上杉隆氏への公開質問状 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20120314

2011-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20110329222829

キルケゴールの言う「現実」とキミの言う「現実」って、同じ定義概念なの?

なんか、文章の下に行けば行くほど内容が素朴になっていってるんだけど

現実ってなんだろう

必然性現実性と可能性の綜合なのではなく、現実性が必然性可能性の綜合なのだ』 - セーレン・キルケゴール


 キルケゴール現実というものに、多くの価値を置いた。

 逆に言えば、キルケゴール現実逃避糾弾した

 現実から逃げる者、現実を誤魔化す者を糾弾したである


 ところで、現実とは何だろう?

 キルケゴールによれば、現実性とは、神なるものとの関わりによって生じた事実の積み重ねであるそうだ。


 しかし、現実定義は人によって異なることが多い。

 神の前に祈ることを現実なのだと唱える者もいれば、会社家族に尽くすことが現実だと言う者もいる。

 で、現実とは何だろう?


 それは結局のところ、我々が最も大きく価値を置いているものとの係わり合いから生じるものなのではないだろうか?

 我々は、各々が最も大きく価値を置いているものと関わることで、意味というものを生み出すことができる。

 そのような係り合いにおいて生まれた意味こそが、現実なのではないだろうか。

 それはたとえば、神であり、恋人であり、家族であり、未来であり、未知であるところのものから生じるものなのではないだろうか?


 というのも、意味のないことばかりを行うことは、現実的な行いではないからだ。


 また、現実逃避とは『意味のないことばかりを行うこと』であると言えるのではないだろうか?


 このような意見には、反論が多くつきまとうだろう。

 というのも、『現実には意味がない』と断定的に言う人間は、ずいぶんと多いからだ。


 しかし、そのような人々に対して私は言いたいだが――意味のないことを行うことが、果たして現実であるだろうか?

 意味のないことが即ち現実であると思っている人間にとって、意味のないことこそが現実であるようなのだが、それこそが妙な話なのだ。

 そのような人々は、現実のことを無意味な物事の集積と呼び、その中で生きることを現実と呼ぶのだが……これこそが非現実的な話ではないだろうか。

 そのような人々の意見とは逆に、現実であるということは、むしろ意味があることを指すのではないだろうか?


 以上のことから言って、現実とは結局のところ、我々が各々にとって重要な物事と関わることで生み出される、意味というものなのである

2011-03-26

現実ってなんだろう

必然性現実性と可能性の綜合なのではなく、現実性が必然性可能性の綜合なのだ』 - セーレン・キルケゴール


 キルケゴール現実というものに、多くの価値を置いた。

 逆に言えば、キルケゴール現実逃避糾弾した

 現実から逃げる者、現実を誤魔化す者を糾弾したである


 ところで、現実とは何だろう?

 キルケゴールによれば、現実性とは、神なるものとの関わりによって生じた事実の積み重ねであるそうだ。


 しかし、現実定義は人によって異なることが多い。

 神の前に祈ることを現実なのだと唱える者もいれば、会社家族に尽くすことが現実だと言う者もいる。

 で、現実とは何だろう?


 それは結局のところ、我々が最も大きく価値を置いているものとの係わり合いから生じるものなのではないだろうか?

 それはたとえば、神であり、恋人であり、家族であり、未来であり、未知であるところのものから生じるものなのではないだろうか?


 また、現実とは、すなわち『意味を有すること』ではないだろうか。

 というのも、意味の無いことは、現実的ではないからだ。

 意味の無いことばかりを行っている人間のことを、『現実逃避を行う者』と糾弾することは容易い。


 また、意味がどのようにして生まれるのかと言えば、各々が重要だと思う物事と、各々との係わり合いによって生じると言えるのではないだろうか。

 というのも、重要でない事柄との関わりによっては、意味が生まれようもないからだ。

 どうでもいいものとの関わりを、我々は無意味と呼ぶ。


 我々は、無意味なこと、現実的で無いことに対して、できるだけ係わり合いを持つべきではない。

 というのも、そのような関係は、往々にして空虚であろうからだ。

 我々は、常に、重要なものとの関わりによってのみ、意味現実を生み出していくべきなのだ。

2010-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20100820162358

そういう下らない結論付けるのやめてくれないか

ケースバイケースに決まってるだろう

キルケゴールの『死に至る病』を読んで俺は思ったんだよ、できるだけ絶望しない生き方をしようって

2010-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20100617073209

意味はものとものと間に成り立つ関係のことだから、要素は2個あればいい。どういうものが2個あればいいのかというと、包含図考えてみたときに、「A」と「Aを含むようなB」

「末期患者」に含まれてる「かっこよく死にたい人」にとっての自殺の是非 とかそんな感じ

Aを含むようなBをあらかじめ仮定しているっていうのがAが意味を持つための条件かな

こういう言葉論理集合論に持っていって延々考えた人はバートランド・ラッセルとか、悩みそのものは宗教聖典とか、キルケゴールの「死に至る病」とか

これはタイトルからしてそのまんまだけど、哲学者っていうか岩波文庫の青(岩波文庫哲学書は背表紙のラベルが青い)は大概そんなんだったな

とりあえずラッセル?既知だったら恐縮です。

ラッセルパラドックス

2009-07-22

古人の糟粕を嘗めまくり

たとえば新房作品が古人の糟粕嘗めまくりで陳腐である、と正岡子規ばりの批判を展開するとして、

我々の感じる作品の陳腐さ(洗練度合い)のうまい指標はあるか、と考えると、エンディングテーマ

カバー曲を使っているか否かというのは有力な候補に思えるし、ましてエンディングテーマカラオケ

大会にするとかいうのはそれこそ糟粕の糟粕の糟粕ばかりに御座候、と切り捨てることができる。

たとえば「ぱにょデジ」はでじこ本編よりも陳腐さが高い、という判断ができる。

作品テーマが陳腐、とか、ドラマツルギーが安易である、というのは古今を否、万葉を是とする立場から

すれば問題とはならないのであって、同工異曲といわれても新規に書き起こし意識的に何か固有の著者を

もつ作品からの引用を行っていないことが重要となる。最悪、誰か他人の作品を丸コピーしたとしても

そこに原著者のクレジットが一切なければこれは万葉型の表現ということになる。

マーケティングの結果最終的に選ばれる表現が万葉型になるのか古今型になるのか、というのは

主に対象年齢層と作業(典拠の確認や権利処理等)のコスト、企画者のリスク回避度によって

決まってくる(おっさんにウケる作品すべてが必ずしもおっさんホイホイではないけれども、

リスク回避的な企画者は当然おっさんホイホイを選好する)。ただ、「ゆとり伝統を教えてやる」と

いうことで意図的に古今型の表現が選択される事例も多い。これはアーカイブの権利者に近いほど

やりたくなる戦略でもある。

いや、とくに結論というのがあるわけではなく。

追記:ええ、一連の「歌よみに与ふる書」をちゃんと読んでいませんが、日本酒醸造工程

アナロジーで、現代でいうところの「劣化コピー」に相当する語であることは理解しています。

楽曲の再利用のさらに再利用をしているわけではないので確かにあまり的確な表現ではないのですが。

追記:たとえば『トレインスポッティング』でキルケゴール言及されている(記憶によれば)

からといってそれが古今的な作品だということにはなりません。あーうまい説明ができない。

2009-06-08

世間の人のすることはみなおしゃべりの種になるために行われるのだ

専制政治の腐敗や革命時代の退廃はしばしば描写されてきたが、情熱のない時代の堕落もそれに劣らず危険である。ただそれが曖昧であるために、あまり目立たないだけのことである。

・・・・・自分自身ではなにひとつ理解せず、また自分自身ではなにひとつする気もない、この無精な群集、この立見席の観衆は、そこで、気晴らしを求めて、世間の人のすることはみなおしゃべりの種になるためにおこなわれるのだ、という空想にふける。

この無精者は、いかにもえらそうに足を組んで御輿を据えていて、働きたがる人間は、王さまだろうと役人だろうと、国民の教師だろうと有能な新聞記者だろうと、詩人であろうと芸術家であろうと、だれもかれもがみんな、他人はすべて自分の馬だと思ってえらがっているこの無精者を引っ張ってゆくために、いわば馬車の前につながれるということになる。

仮にわたしがこういう公衆をひとりの人物として考えてみるとしたら(思うに、少しすぐれた個人であれば、たとえ一時的には公衆に属することがあっても、自分自身の内に組織統合する凝集力をもっているはずで、彼らが最も高い宗教性を獲得するにはいたっていなくても、それが彼らをささえてくれるだろう)、わたしはまずローマ皇帝のだれかを思い浮かべるだろう。

でっぷりと太った大男で、退屈に苦しんでいて、そこで思いきり笑いを発散できるような官能の刺激ばっかり欲しがっているといった人物である。

キルケゴール 「現代の批判」より

最近ネットの論争でこれに近いのを見たことがある。

世の中すべてネタなんです派が云々。

キルケゴールの昔からある話なのねぇ

2008-11-10

日本語は既にかなり滅びてますがなにか?

梅田もっちーダンコーガイ自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。

餅は餅屋という言葉を知らないか

ま、そんなことはともかくとして、言語学新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学バックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。

高校世界史を復習しろ

そもそも、著者が言うような意味日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語フランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学伝統が花開いた。

日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。

単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。

日本語の最大の敵は「日本語

そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。

いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語オランダ語は、かつてはスペイン語ドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人ドイツ語フランス語を使っていて、アンデルセンキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。

その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁ラジオテレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語日本言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝米朝師匠事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。

あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。

このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。

守るべき「日本語」って何?

というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力政治的な措置なのだ。

それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れナショナリズム保守反動でしかないとさえ言えるのだ。


からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。

仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズム伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。

追記(ブコメ宛)

b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。

水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。

「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。

結局キルケゴールたんが一番明晰で深い

2008-07-08

猿ベージ

http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法岩波書店

アレント全体主義起源みすず書房

ウィトゲンシュタイン哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎『風土』岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル『白鯨』

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心』

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様』

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械』

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成『雪国』

折口信夫死者の書

太宰治『斜陽』

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥『小説神髄』

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎『日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神

吉本隆明『転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-03-15

anond:20080315145308

本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。

グーグルキャッシュ初版なので違うところがあるかも。

プラトン国家』 

アリストテレス形而上学』 

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカル『パンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

カント純粋理性批判』 

キルケゴール『不安の概念』 

スピノザエチカ』 

ルソー社会契約論』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教経験の諸相』 

ニーチェ権力への意志』 

フッサール論理学研究』 

ハイデガー存在と時間』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間と自由』

レヴィナス『全体性と無限』 

フロイト快感原則の彼岸』 

ラカン精神分析の四つの基本概念』 

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール『一般言語学講義』 

チョムスキー『文法理論の諸相』 

ヴェイユ重力と恩寵』 

アーレント精神の生活』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法』 

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』 

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義精神』 

デュルケム『自殺論』 

バタイユエロティシズム』 

モース『社会学人類学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

マクルーハンメディア論』 

ブローデル地中海』 

ウォーラステイン『近代世界システム』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法の原理序説』

ミル『自由論』 マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展の理論』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』

ボードリャール消費社会神話と構造』 

オルテガ『大衆の反逆』 

ミルズ『パワーエリート

リースマン『孤独な群衆』  

イリイチシャドウ・ワーク』 

ベル資本主義の文化的矛盾』 

ネグリ『構成的権力』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

アンダーソン『想像共同体』 

バレーラマトゥラーナ知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ロールズ正義論』 

ハイエク『法・立法・自由』 

ブルデュー資本主義ハビトゥス』 

オング『声の文化と文字の文化』  

M・ポランニー『暗黙知次元』 

クーン科学革命の構造』 

ポパー『推測と反駁』 

サイードオリエンタリズム』 

メルロ=ポンティ知覚現象学』 

フッサール論理学研究』 

ラッセル西洋哲学史』 

フロム『自由からの逃走』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』

デリダ『グラマトロジーについて』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

フレイザー金枝篇』 

シュミット政治神学』 

クラウゼヴィッツ戦争論』

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

リップマン『世論』 

マンハイムイデオロギーユートピア』 

ブルームアメリカンマインドの終焉』 

ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトライス』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

クーン科学革命の構造』 

ホワイトヘッド科学と近代世界』 

ソンタグ『反解釈』 

ドーキンス 『利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学的視覚論』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

ケストラー『機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

ホーキング『ホーキング宇宙を語る』 

イーザー『行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マン『ロマン主義レトリック』 

シオラン歴史ユートピア』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ『経験論と心の哲学』 

パーソンズ社会的行為の構造』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アガンベンホモ・サケル』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

マッキンタイア『美徳なき時代』

こういう時、トラバツリーが各所に残る今の仕様は便利だ。

ツリー内主要エントリ

2008-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20080313030006

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル『精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義の精神』岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー『精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット『政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波書店

アレント全体主義の起源』みすず書房

ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン『精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像の共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎風土岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル白鯨

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル『嘔吐』

ジュネ『泥棒日記』

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集』

ベルダーリン『ヘルダーリン詩集』

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集』

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集』

ツェランツェラン詩集』

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ文学空間』

日本文学

二葉亭四迷『浮雲』

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村『破戒』

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房『砂の女』

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集』

吉岡実吉岡実詩集』

坪内逍遥小説神髄』

北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神』

吉本隆明転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2007-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20071202235019

自分の中で知識のノードが繋がってくのが楽しいのです。

それを文章っていう形に直すと曖昧なところが形になってきてなお楽しいのです。

書いた時点で結構満足してもいるんですが、せっかくだからみんなと議論したいのでwebにあげます。

あとキルケゴールヘーゲル図書館に行けば解説書や訳書がタダです。時間や足代や体力はかかりますけど、比較的安くあがります。置いてない図書館は…… どうしよう。

2007-11-25

思いやりという名の侮辱

今日僕は、彼女さんにフラレる。

初めて心から「すき」とか「愛してる」と、自然に気張らずに素直に思えた彼女。掛け値なしで、100%理想の彼女だった。

別れを告げられたのは水曜日。確かに最近忙しくて会えなかったけど、順調だと思っていた。いや、思い込もうとしていた。

誰でも考えてしまったことはあると思うけど、『仕事で忙しいからごめん』が続くと、ついつい嫌な妄想は膨らんでしまう。

「どこぞのイケメソと会ってたらどうしよう」「浮気してたらどうしよう」、今回はアウトだった。

僕は比較的女子っぽいところがあって、女の勘的なものもだいぶ働く。信じないようにしてたけど、やっぱりダメだったようだ。

彼女は抱え込みがちだし、病院に通うこともあるくらいメンタル弱いので、目の前の仕事と将来の不安が重なっている今の時期は、そっとしておこうと思っていた。

そんな時に、『これ以上あなたと恋人関係ではいられない。連絡取れなかったり構ってあげられないし、寂しい思いをさせるから』と別れを切り出された。昔自分もそうやって別れようとしたことがあったし、女の勘も「これはきれいごとだ。」と云っていた。だから会って別れ話をする前に「きれいごとはやめて、他にすきな人が出来た?」と電話したら確定した。

メンタルの影響というものは、想像以上に大きいもので。

幼稚園くらいからずっと見なかった幻覚とか異常視覚とか、今朝は10何年ぶりに遊びに来てた。どうも久々。

いつもは5秒で寝るのび太くんな僕も、流石に30分くらいはかかりそうだったし、その間に考えてしまうあれこれでトチ狂いそうだったから、寝酒もアホみたいに頂いた。

体育会系自己満足だと嫌っていた一気とかもしてみたけど、酔えないものですね。僕の大好きなジャックダニエルを、むせるほど流し込んだのですが。

僕の人生において「吐く」という行為は2回しかなくて、吐き方を知らないんです。一回目は幼稚園くらいの時に高熱で、もう一度はラムロックを飲み続けた時。

消化物とか液体じゃなくて、今回は正に「"気持ち"が悪い」というやつだったのだけど、ジャックダニエル超えられない壁メンタルだったようで。

本当の想いとか、不平不満を云うのはもの凄く怖いことで。相手が大事であれば大事であるだけ、その恐怖も比例して。

だけどそれを云わずに解る人なんて、母親と心を読める人だけなんだと思う。

僕は高校のときの4つ年上の彼女(『お姉ちゃん』としよう)が泣きながらそれを教えてくれたから、(その時は「お前が悪者になりたくないだけだろ」とか思ってたけど)めちゃくちゃ怖かったけど、踏み出した。

彼女はそれを解ってくれないかもしれないけど、120%理想の彼女さんだと思ってたし、したがって比例した恐怖もとんでもなかった。

それを受け入れてくれたんだと思って、やっと『お姉ちゃん』への後悔を拭えるんだと思って、夢みたいに幸せだった。

僕が夢みたいな幸せにいる中で、彼女には凄く無理をさせていた。

程度の読み違いはあれ、それは僕も感じていたしそういう人だと思ってた。だから精一杯聞いたり思いやったつもりだったけど、それには応えて貰えなかった。

そこには色んな理由が絡み合って、一言で言い切れるものではないのだけど、たぶん今回は「恐怖」じゃなくて「侮辱」なんだと思う。

僕はそれはそれは夢見がちだし、年下だし、適当だし、『無理してる。』なんて云えない程度の相手だ、と判断された。

最終的に深層心理で、それを受け止められる器じゃない、と思われた。

そう思い至ったとき、流石にこれは効いた。

僕の中心思想アリストテレスライプニッツだったけど、一気にキルケゴールに傾きそうなくらいの衝撃だった。(わかりづらい)

いつも読ませて頂いてる限り、はてなの住人さんたちは思想関係も強そうなので、趣味にはしってみた。キルケゴールの捕らえ方間違ってそうだけど、堪忍してください。


『夢見がちな期待に応えなきゃ』『無理してるなんて言ったら、傷つくし怒るし、改善できない』、そう考えてくれたってことなんだろう。

だけどそれは、僕のことを思いやっているようで自分が傷つきたくないだけで、そして僕を嘗めくさっている。 僕が夢見がちを自覚していないとでも思ったのだろうか。

だけど今回、僕はまた一歩踏み出せたような気がする。

「恥も外聞もない」「プライドなんか10円で売ります」といつも云っているけど、やっぱりそれは「フリ」だったし、損得勘定した上での演出も大きかった。

だけど初めて本当の意味でかなぐり捨てられたし、どうでもいいと思えた。どろどろに泣きながら、素直な想いをぶつけられた。

これは大きい。僕にもまっとうな「人の心」が残っていたようであります!

お姉ちゃん』との事に気付いた時のダメージも相当だったけど、今回はそれ以上だった。まさか人生であの時以上のダメージを受けるとは思わなかったw

ツンデレな僕の女神さまが、どんなデレを用意してくれるのかと今から楽しみです。デレツンじゃなくて、ツンデレなのって凄く重要だと思う。最終的に「デレ」で終わってくれるんでしょ?

カッコ悪いついでに云うと、僕があの時の『お姉ちゃん』になれるんじゃないかと、淡い期待を抱いている。

僕は弱いし図々しいから、気付いたときに『お姉ちゃん』に連絡してしまったし、心から謝った。

それを『お姉ちゃん』が許してくれたことが、間違いなく僕の人生を変えた。

もし僕の淡い期待通り彼女があの時の僕になったとしても、『僕を傷つけた』って責任感じて連絡くれないんじゃないだろうか。

そういう人だし、僕の器もだいぶ小さく評価されているし。笑

それが一番の不安なので、そこは強く強ーく伝えることにしました。

それと、そんな不安や「恐怖」を1mmも感じないくらいのいい男になってなきゃいけないんだと思います。


あの時の『お姉ちゃん』はもっと大きな幸せを見つけていたけど、その時の僕はもう一度彼女に想いを伝えるのかな。

裏切られてたとか嘘をつかせてたとか、そんなの全部どうでもいい。そう思えるし、何より僕は図々しいから。



いつも読ませて頂いてるはてなに、ついつい勢いで書き込んでしまいました。乱文失礼しました。

心が乱れまくりじゃ、やっぱり文章も乱れるみたいですね。

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