はてなキーワード: キャリア教育とは
関 係 各 位
平素より若者対策とキャリア教育には格別のご配慮をいただきありがとうございます。
さて、社会の公の場で若者が政治的活動を行なうことを黙認することは、公の場における政治的中立性について規定する憲法の趣旨に反することとなるため、これを禁止しなければならないことはいうまでもありませんが、特にキャリア形成の観点からみて若者の政治的活動が望ましくない理由としては次のようなことが考えられます。
(1) 30歳未満の若者は未成熟であり、労働習慣上などにおいて一般成人と異なつた扱いをされるとともに被選挙権等において完全な参政権が与えられていないことなどからも明らかであるように、国家・社会としては若者が政治的活動を行なうことを期待していないし、むしろ行なわないよう要請しているともいえること。
(2) 心身ともに発達の過程にある若者が政治的活動を行なうことは、じゆうぶんな判断力やキャリア経験をもたない時点で特定の政治的な立場の影響を受けることとなり、将来広い視野に立つて活躍する人材となることが困難となるおそれがあります。したがつてキャリア形成の立場からは、若者が特定の政治的影響を受けることのないよう保護する必要があること。
(3) 若者が政治的活動を行なうことは、社会が将来国家・社会の有為な形成者として必要な資質を養うために行なつているキャリア教育の目的の実現を阻害するおそれがあり、キャリア形成上望ましくないこと。
(4) 若者の政治的活動は、私的な活動であつても何らかの形で公の場に持ちこまれ、現実には公と私との区別なく行なわれ、他の国民に好ましくない影響を与えること。
(5) 現在一部の若者が行なつている政治的活動の中には、違法なもの、暴力的なもの、あるいはそのような活動になる可能性の強いものがあります。このような行為は許されないことはいうまでもありませんが、このような活動に参加することは非理性的な衝動に押し流され不測の事態を招くことにもなりやすいので若者の心身の安全に危険があること。
(6) 若者が政治的活動を行なうことにより、社会や家庭での生活がおろそかになるとともに、それに没頭して就業意識を失なつて若年無業者(いわゆるニート)となるおそれがあること。
なお、罰則には本人に対するキャリア教育作用の面と他の若者への影響や社会の秩序維持の面があることにじゆうぶんご留意の上、適切な措置を講ずることが必要です。この場合、国家・社会の秩序や平穏を損なうような活動や暴力的な行動については、常に厳然たる態度で適正な処分を行なうべきであることはいうまでもありません。
このことについて、ご周知方よろしくお願いいたします。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19691031001/t19691031001.html
就職活動を含めた社会に出ることそのものへのスタンスに幅を持たせられないかと。
新卒正社員での入社以外の在り方をキャリア教育は提供できないのだろうか。
新卒正社員入社以外のキャリアビジョンが無きことになっている。これは大きな問題ですよね。
そこに組織に縛られない生き方としてノマドが食い込んできていて、これも全無思考だと思うわけですが。
契約社員で採用をもらい正社員登用を狙うのもひとつの方法だし、紹介予定派遣という手もある。
そういうキャリアアップの仕方を提示できれば、新卒正社員入社一択から逃れられるかもしれませんね。
雇用市場がざわついている時期は供給過多なわけで、当然ライバルも多い。だからこそ第二新卒orキャリア採用で転職する方法もある。
ところが、その方法は無きことになってる。他の方法論を知らない(知らされてない)のも不幸だと思います。
企業、或いは経産省は「社会人基礎力」なる得体のしれないものを求めてくるわけで。
これを絶対値だって鵜呑みにしちゃったら辛いですね。「面接ごときで自分の何がわかる!」と思ってほしいです。
ただ、これには反対だ。
反対するのは、絶対値的な考え方が前提にあるからではないですか?
「自分より優れた人がいる=自分に価値がない」ではないですよ。
自分は「(この会社を受けた人の中には)自分より良い人がいたんだ」って素直に受け入れてました。
もちろん、悔しい気持ちもありましたが。強力なライバルがいたら叶わない。
ってことを教えてあげればいい。
不採用の理由なんて「君より良い人がいたから」であって、実際問題として出せないんですよ。
採用枠の数に対して多数の応募者がいて、最終的には比較検討で採用・不採用が決まる。
選ばれた人材が内定を辞退すれば、時には次点からの敗者復活もありえる。絶対的に価値がないわけではない。
どうしようもないと考えるから死を選ぶのかも。
「たいしたことない奴に負けた」と思うのは、もっと辛くないですか?
すこし言葉足りなかった。
私も基本的には考え方を変えていくべきと考えている。
就職活動を含めた社会に出ることそのものへのスタンスに幅を持たせられないかと。
例えば、
新卒正社員での入社以外の在り方をキャリア教育は提供できないのだろうか。
社会人になる上で、多様性とかそういうものはないのかと、思ってしまう。
大卒の全員が全員、正社員にはなれない世の中になっているわけで、
正社員でなくとも、この先やっていけるという、人生設計できるようになるべき。
高校や大学という教育機関は正社員になるためだけにあるわけじゃないでしょうに。
とはいえ、
企業、或いは経産省は「社会人基礎力」なる得体のしれないものを求めてくるわけで。
こんな曖昧な能力、表示されても困惑するだけというのがわからないのだろうなあ。
一方的に、これが基礎力ってやつです持っていない奴は採用しません、なんてのは無責任。
結局のところ、環境変化に教育機関も企業も追従できていないのが、今の新卒の就職状況なのだと思う。
教育機関は、時代錯誤な正社員としての価値観だけしか提供できず、
学生は、それらに振り回されっぱなしと。
尤も、これまで教育の一部を企業内部の研修が担っていたことも事実なんだろうなあ。
ただ、これには反対だ。
どうしようもないと考えるから死を選ぶのかも。
「自分より優れた人」というのが、実はたいしたことないなと捉えられる価値観を手にする必要がある。
どうしようもないなんてことはないし、もちろん自殺することもない。
そういうふうに考えられるかどうか。考え方を身につけられるかどうか。
日本的な新卒一括採用ってそれほど悪いものでもないんじゃないか。
と最近思うようになった。
大学卒業して自分でいちから就職活動するよりも、みんなで横並び的に行動するほうが
12月から一斉にスタートした就職活動なのに既に出遅れている私のような人間にはありがたい。
放っておかれると就職できなくなりそうだ。
少なくとも私にとっては、仕事についてよくよく考える良い機会になっている。
もちろん、すっかり肯定しているのではなく。
社会人基礎力だのエンプロイアビリティだの得体のしれない能力を学生に求める
国というか経産省がこれに加担して社会人基礎力とか言い出しているのがますます気に入らない。
それに、大学や文科省も、キャリア教育に力を入れていると言いながら
正社員として働くという選択肢以外を締めだしている。皆が正規雇用されるのは難しいのに。
企業の示している働き方に従属していないで、新しい提案があってしかるべきじゃないのかと思う。
雇ってもらう側にいる人間として、文句ばっかり言っても仕方ないよね。
Facebookで次のようなやりとりがあったので、貼り付けます。皆さんの思考の一助となれば。
(補足:本題は、AとC、Eのやり取りです。B、Dのコメントは前振りです。また、イメージがわきにくいので、男女の別と肩書きを付しました)
AKB48メンバーの恋愛・丸刈り問題、フランスの新聞「リベラシオン」にも掲載されました。
タイトルは「日本のダンサー少女の丸刈りに衝撃」で、事実を淡々と伝えています。You Tubeの画像が24時間で300万回以上再生されたとか、日本で大騒ぎになってるとか。彼女は「自分で決めた」と強調しているとか。それで、「第二次大戦後ナチの将校と寝たフランス女性の懺悔を思い出させる」という反応とか、「これが先例になったら困る。青少年への影響を考えろ」というツイッター上の反応とか紹介してます。そのうえで、。「このように日本の懺悔の伝統に少女を追い込んだことについても、恋愛を禁止したことについても、このような有名人プレッシャーをそれを負うには若すぎる少女に課したことについても、誰も罰せられない」と皮肉っています!
私は、You Tubeは世界中から見られるので、日本の恥を世界にさらさないで!と危惧していましたが、恐れていた通りになりました。 http://next.liberation.fr/musique/2013/02/01/surprise-chez-un-danseur-une-chanteuse-japonaise-se-rase-la-tete_878485
どこかで、次回出すCDに、切った髪の毛を入れて発売するという記事を読みました。すべては商業的に仕組まれたことだったのではと思います。本当ならば、なんとしたたかなことか。
Bさん、私も作為的なものを感じます。でも、それが商業的に成功する国・社会であってはいけないし、フランスはAKBのような存在そのものが成り立たない成熟社会です。
商業的に成功するんでしょうか?さすがに切った髪の毛をCDに入れるのには、ファンも反対すると思うのですが。まあ、ファン以外の人がたくさん買うと思うので、売れることは売れるかもしれませんけど…。
AKBのような存在そのものが成り立たないことを「成熟」と捉えることには反対です。
Cさん、反対の理由は何ですか?確かに「成熟」にはいろいろな意味があるので、ちょっと良い表現ではないかもしれませんが。
Dさん、そうでしたか。うっかり、ひっかかりました。(^^ゞ
端的に、成熟(その裏返しとしての未熟)といえる根拠がないと思うからです。逆に、成熟と捉える理由はなんですか?
ところで、フランスでは、AKBは人気がないですが、モーニング娘。は結構ファンがいるようです。どういう差なんでしょうか…?
私の考える「成熟社会」とは、自由、平等、法の支配がより行きわたる社会です。子ども、女性、障がい者等、弱者の権利がより守られる社会です。
もちろん、この問題1つだけで日本が未熟でフランスが成熟しているという根拠には不十分かもしれませんが、たとえば日本の新聞で、上のように「誰も罰せられないのはなぜ?」と疑問をなげかける新聞があるでしょうか?フランスにももちろん闇の部分はたくさんあるので、100%良い国だなどといいう気は全くないのですが、女性差別とか児童・暴力ポルノ問題への批判に関しては、日本の数歩先を行っています。モーニング娘やコスプレが人気と言っても、あくまで「しゃれ」の範囲で、今回のような丸刈り事件には大多数が反対するのがフランス社会だと考えています。
Aさんのおっしゃるような社会を「成熟社会」と呼ぶことには違和感はありませんが、AKBのようなアイドルが存在しえないことは「自由、平等、法の支配がより行きわたっていること」と関係がないように思います。
児童ポルノ問題については、日本はアメリカやヨーロッパ諸国に比べると遅れていますね。性差別については、議論が盛り上がっているということ自体は先を行っていると言えますが、議論の進展状況については、フランスでのヒジャブ禁止問題を見る限り、単純にそう言えるか微妙なところもあります。
今回の丸刈り事件については、日本でも批判的な見解が大多数だと思います。例えば、朝日新聞の記事はかなり批判的です(http://www.asahi.com/national/update/0201/TKY201302010381.html)。この記事は、むしろ、上記のフランスの新聞よりも問題状況を理解していると言えます(この件について、坊主にされたフランス人女性の話と比較させるのは的外れです。もちろん、単に市民の反応を紹介しただけ、という言い訳はできるでしょうが)。
Cさん、朝日の記事は読みましたが、私には批判的とはあまり思えませんでした。特に、後半の危機管理のプロとかいう方の「謝罪は成功」とか、「アイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要です」というコメントで締めくくる記事構成は、それを是認しているととられる可能性大です。「反省してるから許してあげて」と言いますが、反省する必要はないし、それを売りにしていること自体が明治時代以来の処女神話というか、女性の商品化(差別)の表れと思うと私には耐えがたいのです。フランス社会はそれに抵抗があるからAKBのような存在が(ごく一部のマニアックな層に人気が出たとしても)メジャーになることはないと思っています。
へジャブ禁止令もそもそもイスラムの女性差別に対する批判からでてきた話で、しかも禁止は学校内だけですから、問題ないと思っています。
察するに、今回の件に関してどのような理由から批判するのか、という点について、Aさんと朝日新聞とでは視点が異なるのだと思います。朝日新聞は、「アイドルの恋愛禁止」をやや批判的に描き、「反省の手段として丸刈りにする」ということを体罰あるいはパワハラに類するものだと批判し、また、マーケティング戦略として失敗したのではないかという角度からの意見を紹介しています。そこには、「女性差別」の話は登場しません。
今回の件を女性差別の問題と捉えることは、的を失していると思います。もちろん、女性の商品化→即差別と考える人がいるのはわかっていますが、自分はそうは思いませんし、そういう考え方が一般的だとも思いません(これに対し、男性女性問わず、性の商品化自体が心地良いものではないという意見は多いと思います。それは差別とは別の問題です)。
ヒジャブ禁止は、フランスの差別解消についての独善性が出たものと思っています。ムスリム女性自身の反対を押し切って、よく施行に踏み切ったなと思います。
それはともかく、AKBが存在しえないことが成熟社会である、という言明は、Aさんのコメント内容から推測すると、結局、「女性の商品化は差別である」→「AKBは女性を商品とするものである」→「AKBの存在は差別である」→「差別のある社会は成熟していない」→「AKBの存在は未熟を表す」という思考過程を経ているという理解でよいですか?
女性の商品化=即差別とは私も思いません。それこそ大人の男女が自らの魅力を演出してそれを売りにすること自体は、職業として成り立つのでしょう。でも、そこに「恋愛禁止」のルールなど入りこむすきはないですよね?その自由の否定とそれを受け入れる社会が未熟だという考えです。校則なども一種の自由の制限として私自身は反対です。
なので、上記の「女性の商品化は差別である」という命題からは出発しません。AKBのような未成年を商売道具として利用する大人に対する批判はあるので、AKBに限らず、「10代のアイドルは大人が子どもを商品とするものである」→「特に処女性を売り物にするアイドル(たとえばAKB)は女性差別である」→「子どもを商品としたり、女性に限らず、差別を許す社会は未熟である」という思考過程を経ているかな?と思います。
このAKBの構成員たる若い女子の丸刈りが、いかに多くの女性から嫌悪感を帯びて見られているか、秋元某はわかってないでしょうね。この嫌悪感は、まさしく「女性がオッサンから商品化」され、「搾取」されていると嗅ぎ取っていることからきます。また、「若いにーちゃんがこれを見て喜ぶだろう欲求」を充たしたと、商業ベースから判断されていることを嗅ぎ取っているからでしょうね。
法や人権に携わる者が、これらのことに鈍感であってはならないと強く感じます。そういう意味での「嗅覚」、とても大切ですよね。頭で理屈づけることなど、後から暇な人がすれば良いことです。これが社会的に、また若い女性、若い男性に与える悪影響から考えると、即刻このような「性の商品化」はやめるべしだと思います。また、森美術館の例の展示も、いま問題の体罰も、根っこに同じものを感じます。
Aさんの仰ること、私には大変よく理解できます。ロースクールも法学部も、真面目にジェンダー法に取り組むべきでしょうね。
そうそう思い出しました。キャリア教育などでも「自分を商品と思って売り出すなら、なんて売り出しますか?」というフレーズを使う講師に、それは不適切だと抗議したことがあります。人間は売り物ではありません!それを、いけしゃあしゃあとやっている大人たち、買う人間がいるから売るという発想の大人、これは本当に断罪しなければなりません。
謝罪って・・・誰に対して?写真集の犯罪については責任者=男性・権力者の落とし前は社会的にも不問で、労働者=女子は人権も人格も否定される不平等が搾取だし、キモい。日本はジェンダーバランスの点では著しく未熟な社会である。
AKBの女の子と同じくらいの年齢の娘がおりますので、この女の子の丸刈り姿を直視できません…。これがもし自分の娘だったら…と考えるだけで、死にそうなくらいイヤな気持ちになります。そんな集団に入ることを許してしまった、親としての自分のあり方を呪うと思います。
この画像に対する嫌悪感は、表現しがたいほどです。女性が「罰として丸刈りにする」という行為自体が、ナチスの収容所に入れられた女性や、大戦後、ナチスとの付き合いがあったことで丸刈りにされた女性たちを連想してしまうのです…。
こんなことがまかり通る「幼稚」な国であるということを、臆面もなく世界にさらしてしまったことは、本当に恥ずかしいと思いますね。
私も朝日新聞の記事を読みましたが、あれのどこが批判的なんでしょ?しかも、その記事の横に「板野友美引退」ですよ?スポーツ紙か?と突っ込みました。
テレビのニュースも然りです。この気持ち悪さ、不快感の本質をついてくれない。
Aさんのスレッドを読ませて頂き、やっと胸のつかえがおりました。
>Aさん
女性の商品化というよりは、子供の商品化が問題であり、また、それとは別に、処女性を売り物にすることが女性差別だということですね。処女神話はたしかに女性差別の意識の発現と言えるでしょうから、処女性を売り物にすることが女性差別意識を払拭することを妨げると言うことはできますよね。
ただ、たしかに「男はあの映像を見て喜ぶ」と演出サイドが思った可能性はありますが、実際にはそんなことはおそらくありませんので(喜ぶ人もいることはいるでしょうが)、演出サイドを責めるならともかく、今回の件に対する批判の声が多い現状に鑑みると、社会を未熟と言ってしまうのは、卑下しすぎではないかと思わないではないですね。
少数派の意見を正当化しなければならないときには「嗅覚」だけではどうにもならないので、理屈付けが必要です。もちろん、問題発見のプロセスでは、理屈付けの前に「嗅覚」が先に立つわけですが、正当化のプロセスにおける理屈付けがなければ、味方同士の馴れ合いで終わりです。
>Cさん
「嗅覚」が働かないような人は、学者にも司法関係者にも人権に携わる人にもはなれませんね。どこぞの弁護士みたいに人権が飯のタネ、なら別ですが。かしこぶっても、痛みをわからない人に理屈をつけられるよりは、まずは気持ち悪さを「共感」できる人でないと、自分はおろか他者の「権利」なんて守れませんからね。「正当化のプロセス」を他者がしたり顔ですることが、問題発生のすぐの時点でそんなに必要とは思えません。それを味方同士の馴れ合いなどと断言されるというのは、やはり第三者である自分を安全地帯において評論する、というところからですかね。
Cさん、大衆論理は常に正しいんですかね。女性のことに関して女性の意見を聞かない男性に何がわかるのでしょうか。古代脳である嗅覚すらないならもはや生物とも思えません。
企業に人雇えって助成金出してる暇があるならピラミッド計画だよ。
赤字で人がいらないって言うのはものが売れないって事で、ものが売れないのに人を雇っても会社ごとつぶれるだけだろ。
今仕事にあぶれてる人は一度仕事をドロップアウトした/された人か、よほどの天才かもしくは変人か
それなりに能力があってもコミュニケーション能力がなくて仕事を続けられない人か。
企業もそんな人を雇うなんて博打要素が強すぎる。
要はこれから政府が、「大規模で」「次の仕事が増える起爆剤になり」「雇用にあぶれてる人を使える」仕事をつくるのが一番不公平なくうまくいくじゃん。
「大規模で」っていうのはいわずもがな対処療法でなくこれからの景気(経済活動における雰囲気)すら変えるって意気込みがあることが重要。
「次の仕事が増える起爆剤になり」っていうのは大企業が人を雇うより一定の割合でベンチャーが活躍できる環境を維持しないとブレイクスルーが繰り返さないって前例が多々あるから(これは賛否あると思う)。
「雇用にあぶれてる人を使える」ってのは今回の政策の肝ってのもあるんだけど、例えば今ロボット大国日本とか言って国をあげて研究進めてるけど、ロボットが普及すればするほど人の仕事って無くなるんだよね。昔は「多くの人がクリエイティブな仕事に従事できる!」なんて夢を語ってたけど、ここらへんの理想が今どうなってるかは各自判断してほしい。
とにかくピラミッドだよ!!
助成金とか用意してる暇あったら公共事業として何か大きな計画を立てる!!
できたら都市じゃなくて地方。
そしてみんなに必要なモノ。
できたら若い子向けに教育的な意義のあるモノがいい。
そうだな、、、、、もう一度勉強する意義を見直して、働く意義を問い直せる、キャリア教育施設「私のしごと館」なんてのをつくるのはどうだろう?
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89