はてなキーワード: キャミソールとは
・ノーアクセサリーはだめ
・ファーは殺生を想起させるからダメ→なら肉料理出さないでくれる?
・フェイクファーは毛が抜ける=縁起悪いからダメ→結婚式はハゲ禁止なのか?
・膝を出すな
・肩をだすな
・肩をだすな(キャミソール型のワンピ禁止派)→Tシャツの袖が無いだけみたいなやつはOKってこと??
・肩をだすな(ノースリーブ型のワンピ禁止派)→二の腕の上部をだすなってこと??
・2つに分かれるを連想させるからツーピースはだめ→スーツは???????靴は????イヤリングは??
・キラキラ素材やジュエリー飾り、スパンコール系は夜ならOK、昼はダメ
・2つに分かれるを連想させるからバイカラーはダメ→もうお箸も禁止にしよう
・生足NG
・ブーツ禁止
これらは結婚式のルールだから披露宴だけならもっとフリーだよ派もいて意味わからん。
私の母は毒親だ。
毒親の凄い所は、たとえ直接の関わりを絶ったとしても、延々と子供の脳内に巣食い呪いを撒き散らす所だ。
逃げるように家を出て、一人暮らしで自活を始めてからも、私は毎日のように母に罵倒や暴力を受ける夢を見た。
一人暮らしを始めてからの数年に渡って、夜は悲鳴を上げながら飛び起き、朝は金縛りにあって幻聴で母の足音や罵声を聞いた。
起きている時も私の行動や思考の一つ一つを、脳内で母の声が馬鹿にして否定し、少しでも自分を褒めたり認めたりするとすかさずその十倍の罵声を浴びせた。
そんな私が、夢の中とはいえ生まれて初めて毒親に「勝った」と思えたので興奮のままに記録しておける場所を探し、アカウントを取得してここに辿り着いている。
母は私の容姿や性格をいつもケチョンケチョンに貶すだけではなく、よく暴力を振るった。
私を物で殴る時、母は次々と殴る物の材質を変えて私の反応を見る。一番痛がった物を、次からずっと使うためだ。必死でどれも痛くないフリをしようとするが、幼い子供だ、結局我慢できずに泣き叫んでしまう。脆い物なら、物の方が壊れる。
壊れにくさと痛さから、母が常習的に私を殴る武器はプラスチックのハンガーになった。
あれは痛い。服の上から殴るのではなく、脱がせて素肌を殴るのだ。
私は夢の中で実家に住んでおり、1泊2日で京都に神社仏閣巡りに行こうとしていた。
元々、全てが行き詰まった時に、突然思い立って一人で京都まで行き、7つの神社仏閣を巡って願掛け旅行(?)を決行した経験がある。
今回もそれだ。私の人生は切羽詰まっていた。新幹線の予約を取り、白装束でご利益のある神社を訪れる計画を立てた。
親に行き先を告げずに外泊などしたことがない。親が来客を相手している間に「ちょっと出かけてくる」と装って全身白に着替え、家を出ようとした。
白のワンピースはあるが、白のキャミソールが見つからない。とりあえず下着に直接ワンピースを着てみるが、透けてしまいこれはダメだと着替えようとしたその時。
親がキレた。
「何その格好、みっともない!!!早く濃い色のキャミソールを着なさい!!!」
願掛けのため全身白装束にこだわっていたので、拒否した。白のキャミソールを家で探すか買ってくるつもりだったが、親は一度キレると人の話を聞かない。
言い争いになりヒートアップした親はプラスチックのハンガーを手に襲ってきた。怒鳴り合いながら広い家の中を逃げ回り、数時間の攻防を経てなんとか家を出る。原因がどんなくだらないことでも、毒親にとっては自分に服従するかしないかが大切なので、こちらが全面降伏の姿勢を取るまで延々と戦いは続く。
新幹線の予約時間を過ぎてしまっていた。結局行き先を聞き出した親が車で京都まで着いてきた。
「あんたが一人で京都なんて行けるわけがないのよ。仕方ないから私が送ってあげるから感謝しなさい」
おそらくいつもなら私が形だけ反省と感謝をして丸く収まり、二人で旅行という名の親の行きたい所に付き添いが始まる展開だ。
だが今回の私は徹底して反発した。
京都に着いてからは強引に別行動を取り目的の参拝を終え、帰りの新幹線で親に見つかった。
私が一向に私が悪かったと認めないので、まだキャミソールのことで喧嘩しており、新幹線の中で怒鳴り合い泣き叫ぶ修羅場になった。
「お母さんのやってることはおかしい!どうして下着の色まで決められなきゃいけないの?」
「親だからに決まってるでしょ!親の言うことは聞きなさい!」
「それなら私もお母さんの下着の色勝手に決めるね。自分がされたら嫌でしょ?」
「親に向かってその態度は何だ!」
「親子以前に私は人間だよ!人に向かってその態度は何だ!」
「殴るぞ!」
「じゃあ私もお母さんが逆らったらハンガーで殴るね!」
「親を殴るとは何事だ!」
「だから、それ以前に私は人間だ!人に対して暴力を振るうとは何事だ!」
この返しを思いついたのは現実でも夢でも初めてだった。私はいつも親の屁理屈というか、屁理屈ですらない恫喝に丸め込まれてしまっていた。
延々とこの堂々巡りを続けた。家に帰れば殴られるのが分かっていたが、私は引かなかった。
「お母さんに勝手に下着の色を決められて不愉快な思いをしたので、それをやめて謝らないなら私もお母さんの下着の色を強制する。嫌がったらハンガーで殴る」
私はひたすらこの条件を主張し続けた。親がハンガーを振り上げる。私も咄嗟にもう1つのハンガーを掴み親を殴った。
物で殴り返したのは初めてだ。
毒親の悪夢を見ている時いつも、親に言い返そうとすると何故か声が出なくなる。そしてどうしようもなく涙腺が緩む。涙ばかりが流れ、かすかに囁くような声しか出せなくなる。それをまた馬鹿にされる。そして諦めるか、必死に叫ぼうとしながら目が覚めるかのどちらかだった。
今回の私は諦めず目も覚めなかった。ほとんど息しか出なくなった声帯で懲りずに同じことを主張し続けた。
大人の体になりハンガーを手にしている私を、親は本気で殴ってこなかった。結局脅しでしかないのだ。知っていた。誤魔化すように軽くぺしぺしと叩かれた。構わず私は殴った。これも何故か力の入らないフニャフニャの腕で、それでも出来る限りの本気で親を殴った。
「あんたの格好があまりにもみっともないから。あんなブラが透けた格好して恥ずかしい!馬鹿じゃないの?あんたのためを思って言ったんだよ」
言い訳をし始めたが、そもそも私は白のキャミソールを探していたので透けたまま外に出る気などなかったこともスカスカの声で説明した。
「そもそも、部屋で一瞬みっともない格好になったから何?そういうミスをずっと引きずって馬鹿にするのはただの意地悪だと思うけど」
「何度も言うけどあんたが親とか以前に私は人だ。人に対してその扱いはおかしいだろ。他人同士なら法で裁かれる案件だけど?それをすぐにやめないなら、私はあなたに同じことを要求し逆らえば同じ罰を与えます。自分がされたらどれだけ屈辱的か分かるでしょ?今私に下着決められるのをそれだけ拒否するくせに、私に同じことをしたんだよね?」
初めて親が折れた。親は謝らなかったが、すったもんだの末、私が適当に指定した下着を諦めて渋々身につけた。
そして目が覚めた。
いつも毒親の悪夢を見ていた時と同じように、全身汗びっしょりで喉はカラカラに乾いていたが、今までにない爽快感があった。
こんな単純な反論を今まで数十年間思いつかなかったなんて。
夢で親に勝っただけで、現実は何一つ変わっていない。現実の親はまた、都合のいい時だけ連絡してきて、私に対して支配的に振る舞うんだろう。
だけどその時の抵抗の仕方を夢に教えてもらった気がする。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210305/k10012898081000.html
自分は中学高校と長崎の公立学校に通った。中学高校どちらも下着の色について「白」と指定されていた。白い制服のシャツの下に、白以外の下着が透けるのが見苦しいという理由だ。
この下着とは、キャミソールことを差し、一応ブラジャーやパンティ(増田表記)の色は自由だった。(しかし、派手な色の肩紐が襟元から見えていると注意された)
高校では、女子生徒は防寒のため、セーラー服の下にセーターやヒートテックシャツを着込むのが一般的だった。このとき、セーラー服の襟元や袖口から見える防寒具の色が黒以外であると校則違反だった。また、セーターについては無地と決まっており、襟から見えずとも検査の時に柄物とバレると校則違反とされた。
こうした校則違反を取り締まるために、高校(県立だった)では月に一回、「容儀検査」とよばれる検査があった。
容儀検査では、髪、爪、眉、下着、スカート丈、靴下が検査項目だった。これは月一回程度、多くは定期テストの後に学年集会で説教を聞かされた後、男女別々に体育館に一列に並び、順番に回ってくる名簿を持った3〜4名の教員に身嗜みを検査して貰うというシステムだった。
髪の検査では、教員の前でぐるりと一周回り、前髪の長さは適切か、ヘアゴムやヘアピンは派手でないか(黒や紺色の飾りのないものと定められていた)、おくれ毛はヘアピンで止められているかなどを検査された。男子生徒の場合、耳にかからない長さか、毛量は適切か(?)、ツーブロックなど変形カットではないか(?)などが検査されていたらしい。
また、爪や眉の検査では、爪は手を前に、眉は前髪を上げて教員に見せ検査をスムーズに行うように言われていた。爪は長さが適切か、眉は手入れされていないかが検査項目だった。
下着の検査は、夏はセーラー服の下から、 キャミソールを引っ張り出して、教員に見せるようになっていた。冬は、袖口からセーターを引っ張り出し、爪の検査と同時に見せ、またセーラー服をめくってセーターを見せた。
スカートの長さは、膝が見えない丈と決まっており、教員が屈んで膝に目の高さを合わせ検査していた。
靴下は、統一感を出すため白のみ。長さも、くるぶしが隠れる長さと決まっていた。防寒のため、肌色のストッキングのみが許可されていた。黒のタイツが禁止の理由は聞いたことがないが、おそらく統一感のためだと思われる。
容儀検査は、多くの場合男性教員が男子生徒の検査を、女性教員が女子生徒の検査をするように割り振られていたが、人出が足りないと男性教員がスカート丈を検査することもあった。下着の検査は流石になかったが、同じ体育館に男子生徒や男性教員がいる状態で行っていた。
容儀検査が終わると、名簿を持った教員が集まって、学年で何人違反者が出たか集計し、多いと説教された。容儀検査違反者はクラスに名前が張り出され、近日の昼休みに再検査に合格するまで呼び出されるようになっていた。朝掃除などのペナルティがあることもあった。
クラスや部活単位で、違反者が出るかどうかが教員の中で何故か重視されており、クラス担任から「クラスで違反ゼロを目指そう」などの呼びかけが度々あった。
テスト期間後に容儀検査があるのは、テスト期間で部活動が休みの間に散髪に行けという意図だったようだが、テスト期間には、授業がない午後の居残り自主学習、土日の自主学習が強制されており、かえってテスト期間よりも散髪に行くような暇はなかった。
集会の後の容儀検査以外にも、朝から係の生徒と教員による持ち回りの挨拶運動があり、この時「指定鞄を携帯しているか、身嗜みは正しいか、防寒具は適切か」などのチェックがあり、違反者は注意されていた。
容儀の他にもを学校に持ってくることは禁止されていたが、「帰りが遅くなるときに連絡が必要」「部活帰りに迎えを頼むため」などの理由でマナーモードにしてカバンの底に隠し持ってくる生徒もよくいた。駅などで教員が見回っており、このときスマホがバレるとかなり厳しい指導がなされた。
https://anond.hatelabo.jp/20210130154542
まったくもぉー。
「何この傷は! あんたはこれで他人の同情が引けると思っていい気になって見せびらかして歩いているんでしょうけど穢らわしい! こんなもん見せられたら皆言わないだけで気持ち悪いって思うのよ! 人の善意につけこんでいい思いをしようと思うんじゃないよこのクズ! アバズレ! こんな汚いもの見せつけるなんて人に対して失礼だから、大金払って綺麗に治すのが義務でしょ!」
オーストラリアに留学したとき、ルームメイトの女性がなんと下着を堂々と部屋に干し始めたのだ。そのシェアハウスには日本人男性が俺含めて二人いて、そのことで戸惑ったり、こっそりとニヤニヤしたりした。
するとどうだろう。男性を含む他のルームメイトからゴミを見るような目で見られるようになり、俺達はカースト最下位に転落した。
今考えればわかる。フェミが理想とする、女のブラジャーや谷間などをエロく見られない文化はおそらく存在し得ないが、それをエロく見てる男をカースト最下位のゴミとして扱うことで、それをさせないことは可能である。
なぜ欧米の女性がノーブラやキャミソール一枚で出歩いているのか不思議だったが、なんのことはない、それにニヤつけばカースト最下位に転落する恐怖があるので誰もやらないからだ。
本邦は酔っ払いを許容する文化圏である。人の下心、本音に優しい。そんな文化では先の下着干し事件のようなことはおこらないのだ
イギリス人のブルマーの調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線に脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエのチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。
これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望を喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望の暴走をコントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性像から自由になる手段であり、政治や広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。
前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。
https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu
これは、クラシック・バレエのチュチュの基本的な構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである。
しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代のチュチュとして、次の4つが挙げられている。
短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキ・チュチュより長い。ドガの作品で多く見られる。
これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログの写真では普通、スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。
https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/
http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg
世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201
さて、ウィキペディアのチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュのパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナは下着としてステージ・ショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。
また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエ・ファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュ系である」との記載がある。
要するに、レオタードみたいになっている場合は普通に下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツをはいているわけである。当たり前ではあるが。
ロマンティック・チュチュは1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパンの起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。
また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリルは横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリルの趣味の時代的変遷だろうか?
Wikipedia英語版のballetの記事でバレエの歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。
まず、バレエの起源はルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。
17世紀の頃は、女性の衣装は重たい生地と膝丈のスカートで構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャーに制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面から数インチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンなスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀の絵画だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg
19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体のラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg
そして20世紀、バレリーナのスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである。舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀の作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年の写真を貼る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg
画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。
さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである。
ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装も存在しているらしい。確かにbunkamuraに食事に行ったとき、バレエの衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッションの衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。
ブックマークのコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケートな話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。
僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガの作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。
エドガー・ドガがバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。
もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在を表現しようとしたドガの作品の価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサーの意志だったのか、と。そして、女性が身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか。
もちろん、過去のことだからわからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代の文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的に判断したかの判断は難しい。とはいえ、過去の人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。
しかしながら、現代に生きる僕らは、自分が主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代の文化に支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分のフェチの起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。
身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係でパワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。
スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易に善悪を論じることが困難だ。バレエも例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情や欲望と混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。
今までこうした社会的な側面から女性のファッションの歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装そのものの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である。
何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術やスポーツに励む女性に性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。
今回の調査では、見せパンの起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。
そこから、メイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスやバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマーに回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。
とはいえ、しばらくは休みたい。自分の欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化は妖怪に名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的なものとして把握できるようになった。
つまり、増田に欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的な意見、ねちっこく不快だという否定的な意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝の言葉を述べたい。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg
マッサージしてくれる女性の姿は、キャミソールと下着で、局部にオイルつけて揉んでくれるような店。客の男は、紙パンツを最初履かされるタイプで、ほんで待たされて、普通のマッサージから徐々に..って感じだったんだよな。
なんかこう、南国風のインテリアでコーディーねーとされた部屋で、マットレスが置いてあって。高い金を出すと、浴室風の部屋になって垢すり的なこともしてくれるよなお店。
だったんだけど、夏は季節限定で、Tバックという名のオプションがあった。
思い切って、千円追加で払うんだが。
大いに期待した。
ところが、「はい、これはいてね」と女性のマッサージ嬢から布きれを渡される...。
すなわち、それは男の方がTバックで、女性のマッサージ嬢はキャミソールと普通の下着ままだったっていう。
いわゆる『脱がない』『なめない』『触らせない』の3ナイなタイプをうたい文句にしてる系の求人だわなぁ。特に、サービスが良くなるわけでもなく。
なんか、そんなオジサンでも騙された話を、今日、19才には、教えて上げたくなった。。 (それでも。犯罪は、しちゃダメだよな。)
...それでも、貞操観念が堅くないオバサンに当たると『内緒ね♡』と言って、めちゃくちゃ良いサービスもしてくれるってことも4年ぐらいに一回はあったかなぁ。