はてなキーワード: カルパッチョとは
刺身が滅茶苦茶わかる。外国人が生臭さ減らすためにオリーブオイルかけてカルパッチョにする理由を理解したわ。でも平日は元々酒飲まないから単に全体的にサイクルが悪く鮮度が落ちてるのかもしれないなと思い始めた。
緊急事態宣言でアルコール提供がNGになった。10年近く夕飯は基本的に一人で外食だったので、
まあ黙々と食べるなら良いだろうということで、大きくは生活スタイルは変えずに送っていた。
お酒飲んで食べてる時は週1で通ってたようなお店のご飯もダメだ。
あまりにも味覚の落差に愕然としたので、酒がないとマズくなるものを勝手にランキングしてみる。
第3位 刺身
日本酒飲みながら白身、ビールとマグロなど、和食系の居酒屋や割烹行ったら、間違いなく刺し盛りを頼んでいた。これが酒が無いと途端に不味くなる。
1切れ目は良いが、3切れ目くらいになってくるとムニムニとした食感も飽きてくるし、
醤油の味も辛くなってくる。帆立や赤貝などの貝類が特に好きだったのだが、
磯臭さがどうにも鼻について、気分が悪くなってしまった。
醤油味がダメなのかなと思って、ユッケ的なものやカルパッチョ、
ヌタや胡麻和えなどバリエーションを変えた刺身も試してみたがやはりダメ。
ビストロ系の料理は、もう全部ダメだった。とにかく味が濃くてしょっぱい。
アヒージョ、フリット、カジョス、ロースト、煮込み・・・etc
ワインと合わせて食べた時はめちゃめちゃ美味しいバルだったのに、
普段だったら3〜4皿頼むのだが、2皿も食べたら塩味が強すぎて食べられなくなった。
水飲みながら何とか食べきったけど、寝るときも体が火照ったような気持ち悪さが抜けなかった。
第1位 焼き肉
好きな食べ物を聞かれたら焼肉と答えてたほど焼肉が好きだったのだが、
これが見事なまでに酒が無いと美味しく無い。
美味しいホルモンを求めて都内中を探したり、安全に食べられるユッケがあると聞けば
神奈川や埼玉に足伸ばしてでも食べにいくほど好きだったのにだ。
サシが入るような肉は脂っぽく、赤身の肉もしょっぱい。
ホルモンも脂の多い部位はグニグニと気持ち悪く、コリコリした部位も顎が疲れるだけ。
キムチやセンマイ刺しも一口で十分で、シメで食べてた冷麺やクッパも味が強すぎるように感じた。
あまりの衝撃に店の味が落ちたと思って、別のお気に入りの店に行ったんだけど
そこも同じ。俺が美味しい美味しいと食べてたものは何だったんだろうか。
こんなに楽しく無い外食をしてたのかと思うと結構びっくりした。
追加:
思ったよりみんな色々おもうことあるんだなw
コメント少し返してみる。
○米と一緒に食べたら?
糖質制限的なのやってるのもあって、炭水化物は夜は控えてるんだよなー。
○酒飲んで味覚バカになってるだけ。
飲まないで食べたら、美味しくなった!
ってならそうだと思うんだけど、実際逆なので驚いてるのよ。
飲食店が酒呑みのバカ舌に合わせてるっていうなら、そうなのかもしれないけど、
それならマジで酒飲まない人にとって外食は辛いだろうなと思ったんだよ。
○身体どっか悪いんじゃ無い?
今年の健康診断の限りだと大丈夫そうではある。緊急事態前までは普通に飯美味かったし。
○俺は酒飲まないけど、それら全部美味いぞ!
まあそうなんだろうけど、不思議だよなぁと思うわ。
ノンアルビールは一杯目は「お!いけるやん?」って思うんだけど2杯目から急激に不味くならん?
炭酸水もまぁ良いけど、美味しくは無いよなぁ。
たぶん俺のエンゲル係数聴いたら引くよ。
早くまた、行きつけの店で美味しく食べたいだけなんだよ!
あれから週にパンを1,2回焼くようになった。チーズパンにベーコンを入れたり、生地に黒ゴマを混ぜたり、こまかなアレンジだけでだいたい同じものを焼いている。物忘れおじさんはすぐに焼き上げの時間を忘れるので、だいたいのレシピ (https://anond.hatelabo.jp/20210317160645) を書いておいて本当によかった。
ぼくはパン焼きたいおじさんであると同時に、とつぜんお昼ごはんを作り始めたり、晩ごはんに突然一品料理を増やしたりする迷惑系おじさんでもある。
そんなぼくは、インターネットのおかげて簡単にレシピが調べられたり、本屋さんにもレシピ本がたくさんあるなか、料理ができないという人の気持ちがよくわからない。レシピがあれば大抵の料理(材料の入手が難しかったり、ケンタッキー・フライド・チキンみたいな、圧力なべで加圧しながら揚げるみたいな、怖い工程がない限り)は作れるじゃあないですか。フフン。
このあいだは、戸棚にしまいっぱなしの乾燥ポルチーニ茸の賞味期限がせまっていたので、フフンフフンとしながら「ポルチーニ茸のリゾット」を作った。
ポルチーニ茸の香りがたっていて、ものすごくおいしいリゾットが出来上がった。
ぼくは子供と、おいしいね!おいしいね!と、にこにこしながら食べていると、おくさんは怪訝そうに「これ、キノコはいってる?」と聞いた。
台所をみたらもどしたポルチーニ茸たちがボウルの中で、生き残った喜びを分かち合っていた。
レシピがあっても、ぼくは、人は、人類は、料理ができないこともある。謙虚に生きていこうと思います。
(戻したキノコはあとでアヒージョの具になりました。シイタケの佃煮のような味でした。)
おくさんが「テレビで良いっていってた(*1)」から「レンズ豆を買ったけど食べ方がよくわかんない」とのことなのでここ(https://www.sapporobeer.jp/feature/recipe/0000001560/)を参考にして調理した。(*1 たくさんテレビで見た話をされたけど覚えていない。なんかイイらしいので、否定しないで受け入れることにした)
これもリゾットっぽい味がするので、白ワインで煮たらなんでもイタリアンでまちがいないなとおもった。ニンニク多めにしたらスペインだ。
おじさんはおじさんになると蕎麦を打ったり、スパイスカレーを炊いたり、燻製を作ったり、パンを焼いたり、魚を捌いたりする。ぼくもおじさんらしく、魚を捌いたりする。
日曜日には、大き目のマダイが3匹釣れたので、その日の夜は刺身と炙り刺にした。そんで、普通のお刺身は不人気だったので、月曜日の夜は炙り刺と湯引きして昆布締めにした。(もういっぴきはあげてしまった。)
本当はカルパッチョにしたかったけど、許されない圧を感じた。月曜日はおやすみだったので、昼はお庭で一人バーベキューをした。おじさんはおじさんらしく生きている。
帰宅したら偶然にも「またレンズ豆が食べたいから作ろうと思ったけど、作り方がよくわからない」とおくさんに聞かれたので、これ書いておいてよかった。
キャンプと言えば肉焼いたりカップラーメン食べたり、ちょっと軽い海鮮焼いたり、振り向いてくれないあの子に妬いたりするのが普通よね。
何故かと言えば手軽に美味しいし、バリエーションあるし、片付けが楽だから。
でも何回かキャンプやってると、「また肉かよ……」ってなってくるんだよね。いやもう飽きたから、もうキャンプ自体辞めたいってなってくる。
そんな時におすすめなのが「魚」。え?魚なら焼いたことあるよって人も居るかもしれんけど、イワシとかサンマを想像してるだろ?
まず三枚におろして、皮を湯引きして松かさ造りにする。皮いれんの?うまいのそれ?って言われるけど、皮がコリコリして脂も含まれてるから滅茶苦茶旨い。
ただキャンプ用のちっちゃい包丁じゃ無理。俺は薪用の鉈でやった。めっちゃ身が残った……。
醤油で食ってもいいし、塩でもいいし、ちょっと生臭いならレモンかライムを塗るのがおすすめ。オリーブオイルをかけてカルパッチョにしても良き。
で、残った骨と頭は血合いを取り除いて塩をかける。大体の人は鯛なんて捌いたことないから、身が沢山残ってる。
味噌を入れてネギや三つ葉をかければ、めっちゃ旨い粗汁の完成。こんなに身が残ってるの見たことない!!下手糞でよかった!!ってなる
多分量が余ると思うから、味噌入れる前に取り出して米に入れて炊けば鯛のあら炊きになる。醤油かけると滅茶苦茶鯛の香りと旨味が出てうまい!
ゴミも骨しか残らんし、燃やせるし楽!最高!ってなりそうなんだけど、ただ一つネックがあって、
ゴミは消えるけど臭いが消えないのよな。まずまな板。生臭い匂いが移って、何切っても魚臭くなる。牛肉切っても鯛の香りが楽しめる。最高!!
包丁も、手も、いくら洗っても臭い堕ちない。幕末の人斬りの気持ちがわかる。ちょっと鼻をかいたりすると、鮮明な鯛のイメージが頭に浮かぶ。翌日になっても鯛を楽しめる。
自粛要請が出ている最中だが、用事のついでに旦那と安い回転寿司に行ってきた。
帰れま10とか見ていて「ハンバーグ寿司」だの「炙りサーモンカルパッチョなんちゃら寿司」だの
なぜか「回転寿司」に行きたくて仕方なかった。
10年前というと自分は大学生で、今ほど回転寿司にも変わり種はなかった。
というより富山とか新潟の回転寿司は行ったが、地元で行くならファミレス一択なので
10年ぶりの回転寿司!しかもなんか変わり種が色々ある!席まで寿司が自動でくる!
自粛中なのに回転寿司という罪悪感みたいのもあって、テンションがどんどんおかしくなっていった。
ちなみに3月末から一切外食はしていない。久しぶりの外食が回転寿司なのだ。
入店。
家族連れ数組、おっさん同士、じじばば、女子大生?2名がいた。
タッチパネルを見ると、なるほど期間限定の代わり種が5-6種類。
茶碗蒸しをキープしてから、とりあえずここは軍艦巻きだろうと思って3種盛りを頼んだ。120円、破格だ。
うん!!!美味しくはない!!が、テンションあがる!!!!!!
シーサラダ軍艦が食べたかったのだが入っていなかったので別で頼んだ。(結局3皿も食べた)
推しの和牛も頼んだ。サーモンとバジルとチーズのやつも頼んだ。
ハンバーグ寿司を楽しみにしていたが、メニューになかった。気持ちは泣いた。
200円以上の皿を頼むと、なんだかものすごくセレブになった気分。
大学時代はお金もないので、200円以上の皿は2枚までと決めていた。
もう今は300円の皿だって気兼ねなく頼める。
10年前よりはるかに舌は肥えていたけど、楽しさは5000倍ぐらいだった。
最後はいちご練乳パフェと、チョコバナナパフェを半分こづつして食べた。
(粉末の緑茶かけたら抹茶味っぽくなって美味しかった。試してほしい)
高い。
飲み放題3時間くらい(?) 遅れてくる組みがいるからそうしていたらしい
飲み放題のメニューはワイン4種類と、その他適当な酒。種類としては30程度だったと思う。
何故か子ども(小学校1年生、3年生)を2人連れて来たパート母親が居た。ずっとスマホやタブレットやってて可哀想だった。
料理が酷かった。
4人分ですってきた料理内容なんだけれど
・チーズ(細長い小さめの付箋みたいなの4切れ)
・野菜のチーズフォンデュ(薄くカットされた大根、カボチャ、さつまいも 1切れずつだけ。チーズはぬるい)
・カルパッチョ(マグロ、かつお、たこ 薄くて凄く小さいやつ)
・パスタ(4人分で1人前にも満たないサイズ。1人分は握り潰せるんじゃないだろうか)
・チョコアイス(アイスクリームのサイズのふた周り小さい感じ。めっちゃ小さかった)
めっちゃくちゃご飯少ない。なにこれ。俺は飲むのも好きだが、メシのが重要なんだよ!
お酒の種類も少ないし、なんだこれ。
帰りに腹減ったって仲の良い人同士でラーメン食べに行ったぞ。
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9