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はてなキーワード: カリキュラムとは

2020-10-13

いわゆる高校進路指導って本当に指導してるのか疑問がある

少なくとも自分は、「より偏差値が高い大学を目指させる」指導しか受けてなかったし、例えばカリキュラムを調べさせるとか留年率を見るとか、そういう指導は全くなかった

まあ志望大学全てのカリキュラムとか調べるのは無理だけど、もうちょっと進路指導はなんとかならんのか……って思わないでもない

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2020-10-05

anond:20201004173050

大学受験までは学部学科偏差値序列化されて、受験生全員がほぼすべての選択肢アクセス可能に思える(もちろん学力に応じて)

大学入学した瞬間から情報の非対称性は始まり視野の広い人、情報アクセスできる人、断片的な情報から論理的結論を導き出せる人の差がどんどん広がっていく

最高峰学部修士課程で所定のカリキュラムを修了したとしても、情報を持っているものと持っていないものの差は残酷もの

たとえば灘開成ネットワークがあるとか大学教授の親戚がいるとかね

同じ学科修士でも、情報をもってうまく立ち回りメーカー研究所事業部研究・開発職じゃなくて)に就職する人と、システムインテグレーション部門でクソ上司、クソクライアント、クソ協力会社HPを削られる職場に叩き込まれる人の差は、大学1年から始まっているのだ

とはいえ修士卒の研究員では出世部長くらいまでだろうからSIでとんでもない営業成績を上げて役員になって経費使いまくり地位にのし上がれば逆転のチャンスはある

GAFAMは・・・日本人だと日本でのマーケティングで貢献しないと出世できないんじゃないかな?経歴としてはマネジャークラスでも威張れるし給料も高いけど

2020-09-27

anond:20200927200700

いや学力仕事能力因果関係多少はあるだろ

ほぼないわけないわ

学校に通って、授業を聞き教科書を読み、決められたカリキュラムに取り組んで一定の成果を上げられるということは、会社にバックれずに通い、上司の話を聞き資料を読むのに関係するだろ

というか、大企業(情報強者)が高学歴ばっか採用してるのが答えじゃん

2020-09-17

就活”だけ”頑張ってる人

就活めっちゃ頑張ったけど大企業行けなかったとか言ってるやついるけど、大学在籍中になんか頑張っていなかった時点で就活負け組コースなのに気付けてないんだよな。

東大とかでもない限り与えられたカリキュラム受動的にこなしてただけの人間なんて溢れ返りすぎてるから他にアピールするとこないならお呼びじゃないんだわ・・・。

なんとか頑張って内定もらったけど中小から周りに馬鹿にされるとか、頑張りは認めてくれてもいいじゃないか!とか言ってる人はクソみたいな仕事しても、やったからいいでしょ、私は頑張ったから許してよ、とか言い出しそうだよね

2020-09-14

とある無料講座にて

商工会が開いている会計系の無料講座の講師を務めていました。

こういった無料講座の講師を務めたのは初めてだったのですが、講義時間配分が掴めずに毎回早めにその日の内容を終えてしまうせいで、雑談で繋ぐことが多くなってしまいました。、全6回だったのですが、それが原因でだんだん和気あいあいとした雰囲気になっていったんですね。

最終回カリキュラムとしてもほぼ自習質問に随時対応という時間だったのですが、皆でほぼ雑談をしていました。

そこで少し調子に乗ってしまい、世間話題についてはてなー自分認識とみんなではどれほど違いがあるか確かめようと思って、フェミ炎上について質問してみたんですよ。

ちなみに生徒は20人ほどで会計系の講義とあってか7割は女性です。年齢は知らないので、見たところ20代~40代といったところだと思います

宇崎ちゃん騒動について聞いてみたんですが知っている人は何と…皆無でした。(笑)

誤解の無いように先に言っておきますが、私は創作物、かつ扇情的とも言えないキャラクターに難癖を付けているというのがその騒動フェミに対する認識です。

知らないと言われたので宇崎ちゃんポスター画像を見せてみたんですが、女性からは「そら炎上するよ(意訳)」とか「わざわざそのキャラ?」とかその胸を強調するように見えるキャラクターを起用したこと不快という意見ばかりでした。男性陣はほぼだんまりでしたが、場の空気もあってふさわしくないという意見でした。

たか田舎20人でエビデンスへったくれもありませんし、「嘘松w」で流してもらっても構わないんですけど、「お気持ちw」とか「文脈を知れ」、「ひっそりやれは差別」なんて反論していたら本当に規制されそうだなと。不快ものを見たくないと言われて表現の自由を持ち出すのはいいんですが、やはり大半の人が不快に思っている事実があるようなので、そこを無視して「お気持ちヤクザw」と笑っても多数決社会で数には勝てないよね…と思った夏でした。

2020-09-13

「私がやれと言うわけではないが、自主的に行うべきではないか?」の醜悪

これが理解できてない人がいるらしいんですよね。

そういったことに深く関わってそうな文化について研究してる人や、それを生業とする人の中にさえ。

どうすればいいんでしょうか?

学校で教えるべきなんですかね。

太宰論法は駄目だよって5時間ぐらいでカリキュラムに組み込む?

でもすでに道徳時間かに習った気はするんですよね。

自分がやって欲しいと言ってるも同然なのに、それを相手自発的にやろうとしたことによるすり替え無責任だよ、って。

それ言ってた教師の側が平然とそのテクニックを振り回してたし、それで失敗した人に対して「俺がやれって言ったわけじゃないしー。俺はやっても良くねと単に思いつきを喋っただけ」って逃げてたこともあって、なるほど実物提示教育、ってなりましたが。

簡単じゃないんですよね。

今の私だってまさにその「俺はやっても良くと単に思いつきを喋っただけだしー」のポジションからものを申している訳で。

でも私はこれについて、私がそれをやるべきである提案した時点で、やれと指示を出すほどではないにしろ現状を変えろという意見を口にした事実からは逃げる気はないですね。

現状、この問題社会が抱えてるのは事実ですからね。変えるべきだと思います

その手法として、教育に組み込むというものが既に行われていて、そして十分な効果は上げているがそれで掬いきれない部分に問題があり、別の手法を取るべきというのならそれに同意します。

そして、それに同意たからといって、この状況に対して問題提議をし、実際に動きが起きて然るべきと口にしたことをなかった事にはしません。


あーなんでいちいちここまでいわなあかんねん。こんなん不文律なのに、それをいいことに水面下から破ってくる奴がいるのがヤバすぎんだよなー。

教えるべきは不文律をこっそり破るなの方なのかー?

2020-09-02

anond:20200902124342

同意

現代数学ルーツガロア理論にあることは間違いないが中学で作図などを教えたら

飛び級入学を許して、ゲーデル不完全性定理ラッセル論理学などどんどん読み進めるのがよいと思う

不完全性は量子力学などでも基本的概念であるから幅広く応用が効く

その基礎がユークリッド幾何学で身につけた論述能力にあることは疑いようがない

現行のカリキュラム実用性だけを重視し結果だけ示して細部は曖昧にしているが、これらは現代数学の基礎だから完全に修める必要がある

そういう人は足し算や掛け算もペアノの公理から厳密に示すべきだし、微分積分は測度論などを使い厳密に論ずるべき

2020-08-29

anond:20200827182934

現行のカリキュラムやるくらいなら数Aは丸々いらないまである

データ分析統計もいらん

中高の数学は広く浅くやりすぎ

大学以降の数学やる上で身にならない

ベクトルだとか行列だとか追いやって、二次曲線だの統計だの高校生の学齢に合わない無益な単元やらせる奴の気が知れない

2020-08-28

学歴(勉強できた)自慢がご法度であるつの理由

学歴アレルギー

この前ツイッター

「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と

つぶやいていた御仁がいた

言いたいことはわからんでもない。

でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。

学力試験は全国民参加の強制レース

2019年大学進学率は53.7%。

全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチ勉強して進学する訳でもない。

それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。

勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶駅弁March(最近Smartなんだっけ?)・日東駒専なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識存在する。

そりゃ、義務教育高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である

ある意味しょうがないって言えばしょうがない。

でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。

シグナル(フィルタリング)としての学歴

紙切れ一枚に夢託す

サインコサインなんになる

受験戦争過熱していた受験生ブルースの一節だが

実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単判別できるものではない。

そんなの、みんなわかりきっている。

わかりきってるし、学歴信仰偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。

でも、実際の所はどうだろう?有名企業就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。

場合によっては、就職後の研修まで大学ランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である

もちろん、これにもある程度はちゃんとした理由はある。

学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。

人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。

これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。

(優秀で高学歴増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)

そして学歴コンプレックス非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである

人生の早期における進路決定

増田のような過ごした田舎公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。

就職やその後、たかテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。

もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。

そうした意識学歴コンプをよりややこしくする。

働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。

が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。

特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。

結婚育児職場責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。

④家庭環境出身地などにおける格差

そして、学歴の獲得は所得の再分配、などと言われながらも、

なんだかんだで家庭環境出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである

文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したこと記憶に新しいだろう。

だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校進学校の多い都市圏で暮らすか否か

これが学力に大きく影響するのは残念ながら事実なのである

都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。

その試験突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。

そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。

無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイック学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。

だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である

そして、何よりデリケート問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。

ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、

境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。

IQ学力相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように

勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。

増田スポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。

スポーツが苦手なのは子供の頃からコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。

勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に

そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である

加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難話題である

2020-08-27

中学高校数学にいわゆるユークリッド幾何学不要

ここでいう「ユークリッド幾何学」とは、座標空間ベクトル三角関数微分積分などの解析的手法を用いないいわゆる総合幾何学のことです(*1)。2020年8月現在高校数学カリキュラムでいえば、「数学A」の「図形の性質」に該当する分野です。

ユークリッド幾何学不要だと思う理由単純明快で、何の役にも立たないからです。大学に入って、「補助線を引いて、相似な三角形を作って~」とか「コンパスと定規による作図」みたいなパズルゲームをやることは絶対にありません(*2)。これは常識で考えても分かると思います。たとえば工学研究で、ある物体の弧長や面積などを測定しなければならないとして、ユークリッド幾何学の補助線パズル適用できる多角形や円などしか測れないのでは話になりません。一方、座標空間ベクトル三角関数微分積分などの手法一般的現象記述する上で必ず必要になります

もちろん、たとえば三角比定義するには、「三角形内角の和は180度である」とか「2角が等しい三角形は相似である」といった初等幾何学性質必要になります。そのようなものを全て廃止せよと言っているわけではありません。しかし、高校1年生で習う余弦定理:

OABに対して、|AB|^2 = |OA|^2 + |OB|^2 - 2|OA||OB|cos∠AOB

証明してしまえば、原理的にはユークリッド幾何学問題は解けます。それ以降は、ユークリッド幾何学的な手法問題設定にこだわる必要はないと思いますし、実際それで問題ありません。

現状、少なくない時間ユークリッド幾何学に費やされています数学の1単元を占めているだけではなく、その他の単元にもユークリッド幾何学の発想に影響された例や問題が多く登場します。たとえば、複素平面において4点の共円条件や垂直二等分線を求めさせる問題など。そして最も労費されているのは生徒の自習時間です。以前よりマシになったとはいえ大学入試等には技巧的な図形問題が出題されるため、受験生はその対策に多大な時間を費やしています

高校数学では以下のような事項が重要だと思いますユークリッド幾何学を学ばせている時間があったら、このような分野を優先的に修められるようにすべきです。

これらの分野は数学手法としても非常に強力ですし、大学以降で数学を学ぶ際、現実的問題数学物理問題として正確に記述する際に必ず必要になります。仮にユークリッド幾何学が何らかの場面で応用されるとしても、微分積分などと同レベル重要だと真剣に主張する人っていらっしゃるでしょうか?

ユークリッド幾何学初等教育で教えるべきだとする根拠には、大雑把に言って以下の4つがあると思います

  1. ユークリッド幾何学では証明の考え方を学ぶことができる
  2. 図形問題代数や解析の問題よりも直感的で親しみやす
  3. ユークリッド幾何学問題を解くことで「地頭」「数学直観」などが鍛えられる
  4. ユークリッド幾何学歴史的重要である

しかし、これらはいずれも正鵠を射ていません。

まず①は明らかにおかしいです。ユークリッド幾何学に限らず、数学のあらゆる命題証明されるべきものからです。高校教科書を読めば、相加平均・相乗平均の不等式、点と平面の距離公式三角関数加法定理微分ライプニッツ則や部分積分公式など、どれも証明されていますそもそも数学問題はすべて証明問題です。たとえば、関数極値問題は、単に微分が0になる点を計算するだけではなく、そこが実際に極値であるかそうでないか定義や既知の性質に基づいて示す必要があります。したがって、ユークリッド幾何学けが特に証明の考え方を学ぶのに有効だという理由はありません。

②もおかしいです。図形問題を扱うのはユークリッド幾何学だけではないからです。ベクトル微分積分でも図形問題を扱います。たとえば、三角形の5心の存在や、チェバの定理メネラウス定理などはベクトルを用いても容易に示すことができます。また言うまでもなく、曲線の接線は微分で求めることができ、面積や体積は積分で求めることができます。また、ユークリッド幾何学手法問題ごとに巧い補助線などを発見しなければいけないのに対し、解析的な手法一般方針が立てやすく汎用的です。したがって、図形問題を扱うのにユークリッド幾何学手法にこだわる理由はありません。

③は単なる個人思い込みであり、科学的な根拠はありません。そもそも数学教育の目的は「地頭」などを鍛えることではなく、「大学や実社会において必要数学素養を身につけること」のはずです。また、これも上ふたつと同様に「ユークリッド幾何学以外の数学では、『数学直観』などは鍛えられないのか」という疑問に答えられておらず、ユークリッド幾何学特別視する理由になっていません。

④もおかしいです。そもそも歴史的重要である」ことと「初等教育で教えるべき」という主張には何の関係もありません。歴史的重要ならば教えるというなら、古代バビロニアインド中国などの数学特に扱わないのはなぜでしょうか。もっと言えば、文字式や+-×÷などの算術記号が使われ始めたのでさえ、数学史的に見ればごく最近のことですが、昔はそれらを使わなかったからといって、今でもそれらを使わず数学記述するべき理由があるでしょうか。

数学重要なのはその内容であるはずです。ユークリッド幾何学擁護する論者は、「(表面的に)計算問題に見えるか、証明問題に見えるか」のようなところに価値を置いて、一方が数学教育的に有意疑だと見なしているようですが、そんな分類に意味は無いと思います

大昔は代数計算方程式の解法(に対応するもの)は作図問題帰着していたようですが、現代でそれと同様の手法を取るべき理由は全くありません。記述する内容が同じであれば、多項式や初等解析のような洗練された方法重要な結果を導きやす方法を用いればよいに決まっています数学史家は別として)。同様に、ユークリッド幾何学も、解析的な手法で解ければそれでよく、技巧的な補助線パズルなどに興じたり、公理的な方法にこだわる必要はありません。

たとえば、放物線は直線と点から距離が等しい点の軌跡として定義することもできますが、初等教育重要なのは明らかに2次関数グラフとして現れるものです。放物線を離心率や円錐の断面などを用いて導入したところで、結局やるのは二次関数の増減問題なのですから最初から2次関数グラフとして導入するのは理にかなっています数学教育の題材は「計算問題証明問題か」などではなく、このような観点で取捨選択すべきです。

三角比などを学んだあともユークリッド幾何学を教えたり、解析的な手法では煩雑になるがユークリッド幾何学範疇ではエレガントに解けるような問題を出して受験生を脅したりするのは、意味が無いと思います。それは、「掛ける数」と「掛けられる数」を区別したり、中学連立方程式を学ぶのに小学生鶴亀算を教えるのと同様に、無駄なことをしていると思います

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(*1)

現代数学では、n次元ベクトル空間R^n = Re_1⊕...⊕Re_nに

(e_i, e_j) = δ_i,j (クロネッカーデルタ)

内積定義される空間上の幾何学はすべてユークリッド幾何学に分類されます。したがって、上にあげた座標空間ベクトル微分積分、一次変換なども敢えて分類すればユークリッド幾何学です。しかし、ここではその意味でのユークリッド幾何学不要と言っているのではありません。飽くまでも、技巧的な補助線問題や、公理的な方法にこだわることが不要だと言っています

(*2)

数学科の専門課程で学ぶガロア理論では、コンパスと定規による作図可能性が論じられますが、これは「作図問題ガロア理論が応用できる」というだけであり、「ガロア理論を学ぶのに作図の知識必要」というわけではありません。

2020-08-23

増田大学 後期カリキュラム

必須科目

 

選択必修科目(うち2科目)

 

特別講義

2020-08-21

大学一年生になって5ヶ月目

今年大学一年生になった。

でもまだ、コロナのせいで一度も大学に行けていない。

なんなら、入試の時から一度も大学へ行っていない。

友だちなんて、本当に一人もいない。

前期はずっとオンライン

後期はどうなるのか分からないが、恐らくオンラインだろう。

高校の友だちの中には、zoomを使って授業をしてるところもあるみたいだが、わたし大学一方的動画を聞いて終わるだけ。最初の頃は、意気込んで聞いていたが、最近はそれも苦痛になってきた。ただ60分以上の動画をひたすら見るだけ。

授業で分からないところがあっても、先生にすぐに確認することができなければ、友だちと相談することもできない。

授業をしてる人の顔がわからない状態で授業を聴いている状況が、もうわけわからない。

どの先生も、家で授業を受けているんだから課題を出しても大丈夫でしょ、と思っているのか、科目ごとにある課題えげつない普通大学生活を送ったことがないから、普通課題の量を知らないが、

もし、今の課題の量のまま、毎日登校して授業受けて、サークルして、バイトして帰宅…をやっていたら、確実に終わらないだろう。

それでも、課題をこなさなきゃ単位をもらえない。他に頼る術もないからやるしかない。

そして、理系科目はだんだんオンライン(動画)でやるのは無理があるのではないかと思い始めた。

本来グループディスカッションでやる授業も、一方的動画を見て終わり。実験も、実験をしてる動画を見て終わり。これになんの意味があるの?

去年の秋、冬。

大学に入るためにたくさん勉強した。

この大学の授業のココがいいんだよな、このカリキュラムが楽しみだな。

合格したときは嬉しくて、

4月から始まる新しい環境にワクワクしていた。

なのに今。

高校生と大学生の間を彷徨っているような気分だ。

送ってみたかったキャンパスライフ、受けてみたかった授業や実験、参加してみたかったサークル、通ってみたかった大学

それがぜーーーんぶなくなって、

ただのパソコンの画面越しになって、

なんだか大学に裏切られた気分になった。

もちろん、大学が何かをしたわけじゃない。

悪いのはコロナだ。だけど、

もう大学に怒りをぶつけるしかないのだろうか。







私には、高校生の妹と小学生の弟がいる。二人ともコロナ前と同じように登校し始めていた。

最近二人は口をそろえて、「お姉ちゃんはいいよな。毎日家にいられて。」と言う。

もちろん二人はただの羨望から言ったものだとは分かっている。

それでも。

好きで家にいるわけじゃない。

わたしは、毎日学校に行って直接授業を受けて、友だちと会って笑って話して…そんなあんたらが羨ましいよ。

…これがないものねだりってやつか。


先日、母が電話祖父母と話していた。

話題わたしたちの学校生活

わたしのターンになると母は、

「まだ一回も大学に行ってないのよ。あんなにバカ高い学費を払っているのに…。一度も行ってないのはなんだかね。おまけに、もうそろそろ後期の学費請求が来るのよ。」

母と歩いていた時、バッタリと近所に住む叔母と会った。その時も母は、

「まだ一度も大学に行ってないのよね。バカ高い学費払ってるのに…。」

友人の母と会った時も、

施設費くらい割り引いてくれるとかないのかしらね…。バカ高い学費払ってるのに一度も行ってないんだから。」

わたしは、私立理系大学に通っている。

どれだけ学費が高いかも知っているし、奨学金も利用しているし、何より、学費を払ってくれているのは仕事をしてくれている父と母だ。だから学費がどれだけ家計負担になっているかも知っている。「バカ高い学費を払っているのに一度も行っていない」というのは事実だ。

でも、

必ず、

それをいう時に、

母は、わたしの方をチラリと見ながら言う。

わたしが一体何をしたっていうの?

学費を払ってくれているのはお母さんたちだが、わたし別に一回も行かなくなるようなことはしていない。

なのになんで毎回、そんなふうにわたしを見ながら言うの?

一度も登校してないくせに、高すぎる学費を払わなきゃいけない、それに納得できない気持ちはわかる。

それが学費を払ってくれている側なら尚更だ。

でも、

わたしは何もしていない。

でも、

お母さんがそう言うたび、

わたしは肩身の狭い思いというか、

申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

なにもしてないのに。

なにかしたいのに。



大学に行きたいかと問われたら、

即答で行きたいと答える。

でも、

じゃあ、明日からどうぞ登校していいですよ、

と言われたら渋ってしまう。

大学が始まることで、

コロナが増えてしまうのではないかという心配があるのは分かっているし、

今までの小、中、高とは違い、

大学は様々なところから本当にたくさんの人が集まる特殊なところだ。

から

小学校旅行OKでも、大学OKじゃないのだろう。

この状況でどうして旅行OKなのかいくら考えてもわからないことなのだが。

ただ、こんな中でも不幸中の幸いだったこともある。

実家暮らしということと、バイトがあるということだ。

わたしの周りには、とりあえず何かあったら助けを求められる家族がいて、バイトのおかげでどうにかわたし経済は停滞していない。

しかし、上京してきた人や、一人暮らしを始めた人ならどうだろうか。

同い年なら確実に、オンライン授業を受けて、

友達がいなくて…わたしと同じような状況の人もいるはずだ。

周りに大人がいなかったら?バイトがなかったら?

本来頼れるはずの大学も今はこんな感じだ…

から

大学に裏切られた感じがするのだ。(上記に戻る)

大学に登校させてほしい、とかそうじゃなくて、

とにかく、

わたしは、この状況をどうにかして欲しい。

最終的に望むのは、本当の大学生活を送りたい。

鬱になっている人もいる、というニュースを見たが決してそれは他人事ではないと思う。

この生活想像以上に辛い。何のために受験を乗り越えたのか…。そりゃ希望も失うわ。やる気なくすわ。だって先が見えないんだもん、全く。



しかしわたしは、

一周回ってもう開き直った。

もう、大学一年生の間に友達作るのやーーめた。

大学オンラインで授業を展開する気なら、こっちだってとことん家授業を満喫してやる!!!

寝起きのまんま、パジャマのまま授業を聞いてやる!

カメラを使わない授業のため)

アイスを食べながら授業を聞いてやる!

お菓子食べながらレポートやってやる!!!

喋るの遅い先生は、1.5倍の速さで動画再生してやる!

夜中に課題提出してやる!!

休日メール送って、休み明けのメール業務を増やしてやる!!

教授はみんなおじさんでハゲだと思ってやる!!! 

分かんないところをいっぱいメール質問してやる!!!

サーバーダウンしたらその日は授業聞くのやめてやる!(結局週末に授業が溜まることになる)

金髪に髪の毛染めてやる!!!

ネイルバキバキに伸ばしてやる!!!

夜中まで夜更かししてやる!!

自己紹介がしっかりあるまで、教授名前を覚えることをやめてやる!!!

来年の新入生と一緒に、オリエンテーションガイダンス受けてやる!!

これくらいの受け身いかないと、動画を見てる最中に無になってしまい、気がついたら動画が終わってる、ということがあった。

正直、いつまでこれが続くか不安だ。資格を取るための大学なので、こんな動画で学びが身についているのだろうか、とか、自分一人だけだから学びが広げられないんじゃないかとか。

まあ、もう考えても仕方ないことをこの5ヶ月で知った。

いつか終わると思う…から、その時を待つしかない。

そんなこんなで、わたし入学してから5ヶ月目が来ようとしている。

一度も大学に足を踏み入れたことがない大学一年生がどう思っているのかを書いてみた。

でもこれは、あくまわたしの話であって、

登校してる人もいるかもだし、全く違う考えの人もいるかも知れない。なので、あくまでこれはわたしの思い。

そして来月初めに、オンラインテストなるものがある。

教科書を見てもいいテストだ。

テストなのに見ていいのか…。よく分からないが、答えを探す情報探知能力が上がりそうなテストのために、

友だちとテスト勉強もできないまま、

今日も自室で一人、勉強するとしますか。

2020-08-20

anond:20200819232836

小学生以下は人間とは真理的、肉体的に違う生物だと思っていい。

かつ動物と違ってナイーブに世話をする必要がある。

なので専門的な知識必要

知識技術的な面で言えば必ずしも大学過程を経る必要ないと思うけど、該当するカリキュラムがあるのが大学だけなのだから、そうなる。

逆に言えば、それを教えられないのに教育学部がある大学は淘汰されないといけない。

2020-08-13

ミカおにいさん @Hil_tug

Replying to @hashbami @h_tsuji2011

がっこのカリキュラム中央値が入る1〜2年先に卒業たからなんのことかわからん!なんのことかわからんのです!

大晦日 @z1231a0101

Replying to @Hil_tug

FFから失礼します。

中央値は多い順に並べた時の真ん中の値です。(例・9個のデータの内5番目に大きい値)

この場合20代の人の内、少なくとも半分の人の貯金が5万円以下であるにも関わらず、貯金が非常に多い人の影響で、平均値が約100万円にまで引き上げられているということです。

https://twitter.com/hashbami/status/1293463245215297537

アベが教育に力を入れた結果がこれ。いや、安倍のせいじゃなくて長年の与党のせいだけど・・・ネ。リベラルカースト下位はバカでいてほしいと思っているから変わらないよね。

2020-08-09

anond:20200809014151

若い人や学生さん3d映像制作を教えていて、困ったことに行き当たりました。

自分カリキュラムに入れりゃいいじゃん

2020-08-02

ボッタクリじゃね?

最近小学校教育現場では授業のユニバーサルデザインがもてはやされてる。

学習が苦手な児童にはわかりやすく、学習が得意な児童には真理の追及があり、みんなが「わかった・できた」というものだ。

現場先生には人気で、かくいう自分も関連書籍を買ったり、自費で研修に参加したりしていた。

数年前、UD学会という任意団体ができ、カリキュラムに沿って研修に出れば、資格をとれるという。上級講座になれば、筑波大学附属小学校カリスマ教員と授業について考えられるという。カリキュラムを履修できるカレッジ東京関西の年2回。最近は人気で予約でいっぱいになる。

でもな、たけーんだよ!!なんで1講座5000円以上する?会員費も年にちょろっと冊子くるだけで何千円もぼったくる。しか上級講座は東京のみで副数日で開催。別途上級講座の受講を完了には試験があり、受からなければもう一度受け直し。

え、なめてるん?東京に行く費用、連泊の費用、受講料(40000!)を考えると意味わからんぐらい高い。薄給の中で少しでも良い授業したいと思ってる自腹切ってるけど、切りすぎて失血死するわ!!!!

しかも、コロナ禍でカレッジができなくなったら、1講座3000円以上でzoom講座をするらしい。

舐めてるん?場所代もとらず、ずっと同じ資料使いまわして3000円?稼ぎすぎやろ。社団法人でどんだけ儲けるん?講師はほぼ教員。そこまで売り上げる必要ある?

ふざけんなよUD学会。ふざけんなよ教師の知恵たうん!!!

ボッタクリじゃね?

最近小学校教育現場では授業のユニバーサルデザインがもてはやされてる。

学習が苦手な児童にはわかりやすく、学習が得意な児童には真理の追及があり、みんなが「わかった・できた」というものだ。

現場先生には人気で、かくいう自分も関連書籍を買ったり、自費で研修に参加したりしていた。

数年前、UD学会という任意団体ができ、カリキュラムに沿って研修に出れば、資格をとれるという。上級講座になれば、筑波大学附属小学校カリスマ教員と授業について考えられるという。カリキュラムを履修できるカレッジ東京関西の年2回。最近は人気で予約でいっぱいになる。

でもな、たけーんだよ!!なんで1講座5000円以上する?会員費も年にちょろっと冊子くるだけで何千円もぼったくる。しか上級講座は東京のみで副数日で開催。別途上級講座の受講を完了には試験があり、受からなければもう一度受け直し。

え、なめてるん?東京に行く費用、連泊の費用、受講料(40000!)を考えると意味わからんぐらい高い。薄給の中で少しでも良い授業したいと思ってる自腹切ってるけど、切りすぎて失血死するわ!!!!

しかも、コロナ禍でカレッジができなくなったら、1講座3000円以上でzoom講座をするらしい。

舐めてるん?場所代もとらず、ずっと同じ資料使いまわして3000円?稼ぎすぎやろ。社団法人でどんだけ儲けるん?講師はほぼ教員。そこまで売り上げる必要ある?

ふざけんなよUD学会。ふざけんなよ教師の知恵たうん!!!

2020-08-01

私立学校は潰すべき

親の収入多寡によって教育に不平等が生じるのはおかし

「身の程を弁えた受験」と口にし、大炎上したどこぞの馬鹿がいたが、この国で子供の身の程は親の収入によって決定すると言うのだろうか?

現に、優秀な教育者が私立に引き抜かれ、公立学校の質が低下するという直接的なダメージもある

塾や英会話などといった、抜け駆け的な教育機会は、貧しい子供にはアクセス不可能だ。

高校大学カリキュラムは働きながら通うことを前提にしていないし、基本的に親からの援助を前提とする。

義務教育以上を受けるのに、親の不在が大きな困難となるのは、明らかな格差である

貧しい子は借金して学業に励め、その機会は平等だと唱え、未成年に莫大なリスクを負わせる一方で、富める子は当たり前のように親から学費生活費を受け取る。これは欺瞞以外の何ものでもない。

日本で、結果の平等アファーマティブ受験を支持する人間は少ない。にもかかわらず、教育の機会にも依然として収入多寡による差別蔓延っている。

機会の平等も、結果の平等保障されないとなっては、この学歴社会事実の上の身分制度ではなかろうか?

教育機会の平等を徹底することこそ、真に格差是正することではなかろうか?

極度なメリトクラシー社会結構結構。それが資本主義における合理的平等ではないか?それが、かの人々が我々に唱える合理的差別社会ではないか?あるべき姿に正そうではないか

自身の生まれ持った資質行使して、より良い暮らしを手に入れるのは良い。我が子だけを不当に特別扱いし、教育資源占有させるのは格差の支持だ。この格差存在が、貧しい庶民にとっての出産の壁となり少子化を加速させている。

まれが良いだけで地位ある職に就き迷惑をかけまくるボンクラは、障害者雇用パンでも作らせてろ。

知能と才能を持つものけが上に立つべきだ。それに欠けた人間は、「身の程に合った」人生を歩むべきだ。

ついては、全ての私立学校の剪定公立化を求める。

学習塾予備校通信教育等については、教育格差を強化するとして禁止教育税等をかけての実質的な潰し、子供を無理矢理通わせることを奴隷的拘束行為であり虐待である認定する、子供毎に利用状況を調査入試の素点から減点などの様々な対策が考えられるが、どれも今なところ現実的でないため、はてなー諸君アイディアが求められる。

anond:20200801124534

それでもよい ネット教育もある今学校である必要性は薄い。オンラインに使えるパソコンを配布するのであれば 義務教育カリキュラムを減らすことは不可能ではない

2020-07-31

anond:20200731230433

なんで数学を教えるようになったか知ってる? ワイは知らない。ごめんね。

恐らく、昔は学校っていうのはエリートしかいかないところだったと思うんだよね。エリート数学必須から、教える必要があったわけよ。

時代は下って現在エリートじゃなくても学校に行かないといけないんだよね。でも学校カリキュラムは昔のエリート向けのまま。

これが原因なんじゃないかなって思ってる。

日本学校教育から数学を取り外すという実験10年間ぐらいしてみたらいいと思う。どうなるんだろうね。

2020-07-25

少女漫画付録婚姻届がついているらしいけど

それにブチ切れてる人の意味が分からなくて謎。

小さい頃から性差別助長する〜、とかいうけれど、実際LGBT先進国とか言われてるアメリカとかフィンランドでさえ、実際に学習指導内容にLGBTが入ってくるのが中学くらいのカリキュラムらしいし、それ以前に触れる漫画雑誌で、多くのマジョリティ対象となるベース結婚ごっこに触れるような機会を漫画雑誌から与えられることになんの不都合があるのかイマイチ理解できない。婚姻届付録ナンセンスであることは認めるけど、そんなに目くじら立てて大騒ぎすることなのかなーって思っちゃう

Twitter見てても、感情ベース意見ばっかでいまひとつしっくり来る意見が見当たらなかったのが残念。ここで納得できる「少女漫画付録婚姻届がついてはいけない理由」に出会えたらいいな。

anond:20200725135951

あなたのやりたいことが、できたのか?できなかったのか?できたばあい、何の目的で何を聞いているのかを明確に やりたいことはできたんだよね?ならいんじゃね?学校の話ならカリキュラムが先に進めばチャンスもあるんじゃね?

2020-07-21

anond:20200721220316

ある程度、児童教育の頃から心を鍛える義務教育をつけておくカリキュラムがいいと思う。

大人になってもヤケになったり死のうと思ったりせずにすむ。

プログラミングの授業では先生クラスメイトから鉞を投げてもらう。

その他の情報の授業ではSNSで叩き合い、叩かれてもスルーできるスキルを身につける。

ディベート自分意見がつねに通るとは限らないことを学ぶ。

大人になって上には上がいることを知って鬱になるのも怖いので、一般教科でも身の程を知る練習をしておきたい。

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