はてなキーワード: オートマとは
元々は88年頃に工業高校生だった頃に、学校支給のポケコンで作ろうとしてメモリが足りなくて挫折したやつ。
画面は初期ウィザードリー風の3dポリゴン。ステータスは右に。
(オートマッピングにすれば?とも思っていたが最近Androidスマホにあるオートマッピング付きWiz風RPGを遊んでみたところ、複雑なダンジョンだとマップしか見てないわと気付いたので避けたい)
マッピング機能が無いと没入感が危険なくらいハンパない事に改めて気付いたので、オートマッピングが不要な程のローグレベルの部屋数が良いと思う。
■シナリオ
ローグやWizと同じく、最下層から何かを持って帰ってくる。ただし挑んだダンジョンに「目的の」最下層があるとは限らない。ランダム・ダンジョンなため、地下2〜3階で終わっているダンジョンもある。国中を旅して、目的の最下層を持つダンジョンを探し当てるのだ。
(ポケコン当時はメモリ的に一つが保存限界だと考えていたが)ダンジョンは複数保存できる。深層がありそうだが、ゆえに強目のモンスターが浅い層からゴロゴロ居るダンジョンを見つけることが出来た場合は、一旦そこの探索は中断して別の浅めのダンジョンにて技量を上げ、改めて元のダンジョンに挑むことも出来る。
また「行きて帰りし物語」にしたいため、通った階のレイアウトは変えない。帰ることを考えたゲームデザインにしたかったが、帰り道はどんどんモンスターが強くなっていくのは何か違う気がするので、具体的に良い案を思いついてはいない。食料か?あるいは持ち帰るアイテムが非常に大きいとかか?
今となってはほぼそれですよね。あれの線描画3Dダンジョン版が遊びたいのです。
■おわりに
20代中盤にPSのゲームやろうぜとパソコンを買ったがポリゴン回転が大学数学参考書で球面三角法を頑張って独学してもうまく回転せず(マトリックスはもっと分かりませんでした)挫折し、スマホを買ってこれで開発できると思ったがEclipseが当時のPCスペックでは重くてほぼ動かず、日々の生活に埋没して気付けば昨年老眼になった。
もう作れないと感じているが遊んでみたかった。。
何か車のオートマ限定免許とマニュアルも運転できる免許の違いみたいな考え方だなぁ。
別にコンタクトの処方で生きてるわけじゃない眼科も、手術の設備のない診療所とかやってれば、必要な知識は限られてると思うけど、だからって他の診療科とか手術の知識がなくて良いとは思わないんだよな。
目の周りに症状が出ていても眼科の病気とは限らないわけで、自分は異常にまばたきが増えてしまいに勝手に目が閉じようとする病気にかかったことがある(というか今も治療中)なんだけど、その病名を教えてくれたのがコンタクトを処方している眼科医だった。
たまたまその医者の奥さんが同じ病気だったので研究していて知っていたらしい。「その病気の専門は神経内科です」と教えてくれたので、大病院に治療を受けに行ったときにだいぶスムーズに専門医に診て貰えた。
私は医者にはなるべく広い知識を持っていてほしいと思う。実際問題、専門の領域には詳しくても他の診療科のことはできない医者は多々存在すると思うけど、「コンタクトの処方しかしないから医大で受講する科目を減らして、医師国家試験の難易度も下げてほしい」というのは間違っている気がする。
とりあえず修行時代は一通りの診療科を経験して、その後特定の診療科を選んだとしても、レアな事例にぶつかったときに「そういえば大学時代にこんなの勉強したなぁ」と思い出してほしいんだが、それは医者に期待し過ぎなんだろうか。
以前教習所に通っていたのだが、仮免許まではスムーズに受講できていた。
しかし、路上に出てからが悲惨だった。とにかく怖い。まるで戦場にいきなり放り込まれたみたいな気持ちだった。
歩行者がいきなり飛び出してこないか、自転車が急に方向転換してきたらどうする、煽り運転に出くわしたらどうしよう、そんな不安がよぎってしまい頭の中が真っ白になってしまう。もし交通事故を起こしてしまったらどうなる、罪の意識に耐えられるのか、もし被害者を死なせてしまったら私は二度と外を歩ける自信がない。そんなことばかり考えてしまう。そんなことばかり考えているせいでスピードの維持ができない、ハンドルをビクビクしながら回す...など所内で出来ていたことが全く出来なくなっていた。
もう、車に乗ろうとするだけで不安でいっぱいになってしまっていた。車に乗るのも、上手く運転できない自分も凄く嫌だった。
車の運転ってこんなに怖いものだったのか、こんなに難しかったのか。私は小さい頃から「オートマは簡単だよ」と聞いてきたし、同年齢の友達もみな「簡単だったよ」と言っていたので余裕の心持ちで挑んでいた。だが間違いだった。私にとって車の運転はあまりにも難しかった。この事は教官にも話したのだが「初めは皆そうだよ」「慣れるものだよ」と仰ってくれた。だが、どうしても勇気が出せなかった。結局、そのまま教習所には行かずに期限切れとなってしまった。
第一志望の企業の内々定も取っていたのだが、運転免許が必須だったためにそこを蹴って運転免許が必要のない企業に入社することにした。
教習所代金、第一志望の企業の内定、それらを棒に振って車を運転しないことを選んでしまった。今更後悔しても遅いが、どうしても出来なかった。
車を運転できる人は凄いなと思う。路上には危険要素が溢れている、それを臨機応変に判断しながら運転できるというのは凄いことなのだ。当たり前ではなかった、少なくとも私にとって。
別に自演でもなんでもええやん。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
こだわるなあ。。。それがホントかウソかみたいな。。。。。。。。。。。。。。。。。
みんなそういうの気にするね。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
それはフィクションノンフィクションどっちって。。。。。。。。。。。。。。。。。。
オートマかマニュアルかみたいな。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ていうか、マニュアルをミッションて呼称するんちょいちょい気にしてしまう。。。。。
そういうひといるでしょ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ミッションて、オートマも、オートマチックトランスミッションなわけで。。。。。。。
まあ。。。私もまだまだやな。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
自分で決めなきゃいけないことが増えるとそれだけ疲れが貯まる。
だから課長は係長よりも給料が100万ぐらい多いし部長は200万ぐらい多い。
安易に「学校に行かないという選択もある」と提示するのは相手の悩む対象を増やすだけ。
オートマの車をうまく運転できない人に「マニュアル車を使う手もあるよ?」って提案するようなものだ。
学校に行くのは大前提であり、その中でどうするかを悩んだほうがいい。
それでまともな対処法が浮かばなくなって始めて不登校から始まる選択肢を選ぶべきだ。
登校や宿題すら不要になれば毎日10時間近い可処分時間が与えられ、それを十二分に活かさなければ経歴に巨大な空白が生まれただけで終わる。
それをどう使うかを選ぶことにはかなりのエネルギーが必要になり、その選択肢は膨大だ。
それを扱い切るのは簡単ではないだろう。
とりあえず学校に行っておき、学校の中でなんとかする方法を考えるべきだ。
そして、それでも無理なら「辞めたあとにどうするかを考えてから辞めるべき」である。
とりあえずで辞めていいものではないものを、とりあえずで辞めることを推奨するべきではない。
まあそもそもの話、こういった話してる連中って子供が「学校やめるっていう手もある」って事にすら気づいてない前提でしゃべるよね。
んなわけねーだろ。
信じられないレベルのバカを想定して、そいつに説教する設定で気持ちよくなるってやべえよ。
ポルノじゃん。