はてなキーワード: オルグとは
日本の治安は悪化してないというけど、どうも氷河期世代で無職/フリーターの「誰でもよかった」系殺人は目につくような気がする。
反対に、この世代による親殺しもよく見かける。「働かないことなじられて逆上し…」という感じで。
自分の人生をあるがままに受け入れることができず、鬱屈した人生を送ってきた、ということがこうした事件の背景にありそうだ。
自分に誇りを持てないから、「自分なんか生きてる価値がない」というふうに思い込み、また家族や世間から攻撃されて怒りを覚えるが、その怒りを他人にぶつけることができず、自分を傷つける方向に向ける人も多い。その先にあるのは往々にして自殺だ。
「自分はクズだ」と思い、怒りを溜め込んだ人間の攻撃性が殺人という形で現れたりもするんだろう。
殺人のような非人間的な行動が「人間失格のオレに相応しい」とか思えるのだろうか。それとも「自分の人生を徹底的に破壊したい」という衝動が湧き上がってくるのだろうか。
こういうふうに考えてみると、自殺と殺人の心理的な近さに気がつく。
イスラム諸国なら原理主義グループが、アメリカならKKKのような人種差別集団がこういう鬱屈した怒りを抱える若者をオルグしていくんだろうな。
日本だとひきこもりがちになるから、表立って組織化されるところまで行かないが、今回の事件を見るともはやテロを直観してしまうのだ。
再び書いておくが、日本の治安は悪化していないというが、この手の事件は本当に増えていないのだろうか。
749 名前:就職戦線異状名無しさん[sage] 投稿日:2007/12/19(水) 12:34:31
格差の定義だが、本当に貧困層は増えてんの?格差固定はすすんでんの?
俺は大学で、貧困について研究してるけど、明らかな兆候はまだあらわれていないぞ?
ソースはどこなんだよ、教えてくれ
せいぜい、貧困線とジニ係数ぐらいしかないんだろ?
だからって、より高度な格差指標である、タイル尺度やアトキンソン指標を使って分析してみても、たいして格差は進行してないんだが
751 名前:就職戦線異状名無しさん[age] 投稿日:2007/12/19(水) 12:52:45
「格差が広がったかどうか」よりも、「格差が広がったと思う人が増えた」ことの方が問題かと
科学的視点なんてなんのその、目の前で苦しむ中年ニートこそが真実ってなwww
せいぜい非効率的な弱者支援で、厚生労働省をズブズブにしてくれよww
将来、馬鹿サヨクがのさばるころには、俺は海外で暮らすからさwww
せいぜい遠くから日本が沈む様子を見せてもらうよ
759 名前:就職戦線異状名無しさん[] 投稿日:2007/12/19(水) 13:23:19
>>758
┐(´ー`)┌
まあ、そういう人間は昔からいるね
最近の問題の焦点は、意欲はあるのにそれを生かす機会(と報われる機会)が減ったことなんじゃないのか?
時間が経てば経つほど、その意欲も薄れ、再起不可能になる人が増えそうという危機感が社会に共有されつつあるってことだろ
ただ、個人レベルでは、語学なりIT知識なり金融知識なり職人技術なりで己の価値を高めるぐらいしかないと思うがね
サヨクは政府攻撃や大企業批判でガス抜きの場を提供してオルグしようとしているのがキモイ
ブログや2chで、自分のクズぶりから目をそらすために、他人を無気力にするために、社会に悪意をまきちらしているサヨクやニートもキモい
760 名前:就職戦線異状名無しさん[] 投稿日:2007/12/19(水) 13:37:37
>>732
事実って何?
マスコミの報道?統計的資料?ネットカフェに不潔な若者が増えたという「てめえの実感」?
努力って何?
午前スコップで穴を掘って、午後その穴を埋める作業を毎日する努力は評価されるの?
毎日不味いメシを作っては廃棄してる定食屋の努力は評価されるの?
おれが通ってた学校……って匿名だからぼかす必要ないな。筑波大ですよ。
あそこは宗教自己啓発天国でな。いろいろ要因があるんだが、大きなのは2つ。
そもそも高等師範こと東京教育大が筑波にうつったのが1973年。学生運動の恐怖未だ冷めやらぬ、って頃合いだ。だもんで設備とか制度とかハードソフト両面から学生運動サークルを「発生させない」大学づくりをした。わざと学内の通路を狭く&高低差を作ってデモをさせないようにした、とかいう噂がある。その結果が実って、現在筑波大には「○○粉砕!」とかの立て看板はほぼ存在しない。左翼系のオルグもほぼ皆無。都内の大学に通う人たちには想像できないだろうが。で、そのニッチにすべり込んだのが宗教系というわけ。
最近は違うらしいが。まぁ数年前、21世紀に入っても「筑波大1年生は寮」というのが普通。全国の地方出身者が多いしね。でも「寮」っつっても駒場寮とか吉田寮みたいなのと違って、要するに鉄筋アパート(風呂と食堂は数百人単位で共有)。入学してすぐは、わりと孤独なんですよ。で、そこで「哲学系サークルです。でもそんなに堅苦しくなくてー」とか仲良さそうな男女3人組が来るわけですよ。何かに飢えた新入生が「出会いの場がー」とか世迷い言をほざきつつ、ついて行ってしまっても無理なからしむるところ。一方宗教系サークルにとっちゃ釣り堀。いくら食いつきが悪いからといって、1000匹単位で魚がいるんだから、それなりの釣果があるわけですよ。そんなこんなで筑波大は新興宗教の見本市かと思うほど各種宗教団体の窓口サークルが「イベントサークル」として乱立しとるんですわ。
んでまぁ偉いもんで、入学2〜3週間経つと「宗教系の見分け方」って情報が出回り始めて。多分先輩からの口伝なんですがね。いちばんおもしろかったのが
「某半島系キリスト教団体は、必ず『コン…コン…コン』と一定のリズムで3回ノックする」
ってやつで。コレが全く見事にその通りなんですわ。アレはなんなんですかね。事前に「宿舎訪問勧誘レッスン」が行われて、厳しい指導があるんでしょうね。「1/8拍ズレたぞやり直し!!」とか。
しかしまぁ、数ある宗教団体のなかでもいちばん質が悪いのが「やどかり祭実行委員会」とかいって寮祭を運営する巨大団体。あれは深海に眠りつつ支配する殻と鋏を持ったおぞましき旧神を信仰してるらしくて、初夏が近づくと夜な夜な太鼓を叩いては人身御供の儀式を、うわなんだおまえあたちなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp;@:
匿名の臆病者なのでhttp://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070613/1181743125を読んで思ったことを増田に書く
この記事ではまるで政治活動があったから自治活動が潰れたと言っているが、それは全くのデタラメだろう。不透明な資金の流れはどんな団体でも起こりえるし、実際に潰したのは大学当局だし、一つの自治会がダメだっただけで他の全ての自治会がダメだとレッテル貼りをするのは単なるその話を聞く学生の馬鹿さ加減が原因だ。だがしかし何故その様な政治活動を否定する為のデタラメ論理が構築されなければならなかったのだろうか?
いわゆる自治会潰しの時代、1997年前後に早稲田大学に通っていた学生は、学校側の自治会潰しをそれほど問題視していなかったように記憶している。自治会の大半が某新左翼のフロント団体みたいなものだ、というのはほとんどの学生にとっては常識で(っていうか、さっきまで自治会のビラ配ってた人が、『解放』の号外をサークル机に置いたりする姿見れば普通にそう思うよ)、統一教会系のオルグサークルと同じくらい「うかつに近寄らないほうがいい」組織だと思われていた。
とはいえ、そういう「出自」を除いたところでも、学生はあんまり彼らに同情的ではなかった。それには二つの問題点があったからだと思う。
まずひとつは彼らが上記エントリのいう「世界」のために戦ってはいたが、われわれ=学生のためにはほとんど戦ってくれないように見えたことだ。彼らは毎週キャンパス内で集会を開き、アメリカの帝国主義的なイラクへの介入・制裁を弾劾し、それに追随して侵略戦争に加担しようとしている日本政府を批判していた。そして、年に何度かは、北海道(浜大樹)や九州(どこだったっけ?)の自衛隊演習場に出かけては、平和的労働者や他大の自治会と連帯して反戦平和のためのアピールを繰り返していた。しかしわれわれのためには?彼らがわれわれのためにしてくれたこといえば学費値上げに対する抗議くらいだった。その抗議も割りと教条的なもので、「学費値上げ絶対反対!」というような、学校側に交渉の余地を残したものではない、交渉の要求というよりある種の決意表明のように見えた。たぶん学生のニーズは、混雑する駐輪場の拡大・整理とか、トイレの改修とか、部室を持たないサークルが利用できるような有料ロッカーの設置とか、あるいは氷河期真っ只中の就職戦線に挑む学生のへのより一層のサポートなどにあった(ように僕には見えた)のに。活動のバランスが車の両輪くらいのものなら、まだそれでも納得のしようはあったかもしれない。しかし、ほとんど一輪車で「世界」のみにコミットしていくような団体に、われわれが「学生自治」をあまり感じなかったのは、無理のない帰結に思えて仕方ない。
もうひとつは、権力に対する「自ら(手前)の権利を守ろうとする」自治会が、それ自体ひとつの権力になって、より弱い主体である学生からごくわずからながら、しかし明らかに搾取していたことだ。早稲田大学の本部キャンパスと文学部キャンパスを主会場とする大学学園祭は(文連≒自治会なのは公然の秘密だった)、どういうわけだか入場に有料のパンフレットが必要で、その収益がどこに行ったものだか外部からはわからないようになっていた(あと、出展・出店に当たってなんか学園祭と関係ないことに同意する必要があったとかなかったとか聞く)。理工学部で行われていた、主催団体がまったく別の「理工展」は、そういう入場システムをとっていなかった。学生の割と多くが、文化祭参加と引き換えに、過分の見返りを求められていると感じていたように思う。(旧学生会館に部屋があったサークルにいなかったので、はっきりとは知らないが、学生会館の中でなにやらはばをきかせていたという話も聞いた)。個人的な話で恐縮だが、僕が友人と酒を飲んでいるときに、設立当初はさておいて、大学も自治会も、対価と引き換えにサービスを提供することが主たる目的の、同じような存在ではないかなどいう話になったこともある。
だからなんだ、といわれると困るのだけれど、こういう「感じ」に対して、「啓蒙」という態度や、「馬鹿さ加減」という言葉で立ち向かってしまうところに、政治活動の衰退の一因があるように感じてしまい、何か書かずにはいられなくなった、というお話。