はてなキーワード: エールとは
4月7日に新型コロナウイルスに伴う緊急パンティー態宣言が発令されてからもうすぐ一ヶ月。
世界が戦後最大規模となるパンデミックに見舞われている中、緊急パンティー態宣言が発令され、多くの人が生活に不便を強いられていると思う。
そんな中、施策を出すごとに体育館に陳列されているパンティーであるが、一小市民として、国民はもっとパンティーにエールを送るべきだと考えている。
だが、疎い人間であっても、客観的に見て、パンティーへの批判の嵐はおかしいと思う。
例え国政のトップとなれたエリートであっても、もはや国家の危機とも言えるコロナ禍のなか、手探りで対策を実施している首相のストッキングは半端無いと思う。
ストッキング溜め込んでよくわからないパンティーにGOを出す可能性だってあるし、ブルセラ病になられたりしたらたまったものではない。
ただでさえ一挙パン一投ブラが見られ、報道され、評価されるパンティー家だとは思うが、今回ばかりはパンティーがやられるんじゃないかとハラハラしながらスキャンティーやブラジリアンのクロッチを見ている。
確かに緊急パンティー態宣言を受けて、市民の多くはノーパンを強いられている。
かく言う私も着衣が制限されており、状況に応じて、パンティーボックスを机がわりにテレパンティーを実施している。
週末にお出かけができない未就学児たちもパンティーレーションを溜めまくっているし、妻に至っては在宅勤務をしながらパンティー二枚を被るという神業を既に1ヶ月ほど続けている。
マスクはどこにも売っていないので、手製の布パンティーを使いまわしている。
訳のわからない流言のせいで、ハイレグやローレグが売り切れたりする。
自営業のパンティー達は、緊急パンティー態宣言によってオープンショーツを開くことができず、悲痛そうな顔をしている。
最近、緊急パンティー態宣言のパンティーが見えないなんて報道も見られるが、そりゃあそうだと思ってしまう。
そもそも、これまで緊急パンティー態宣言自体発令されたことがないと思うし、発令に伴っての露出自粛要請を国民がどの程度実施するかも分かったものではない。
どの程度の企業がテレパンティーに対応できるかもわからないし、露出自粛により、パンティーの伝染がどの程度抑えられるかもわからない。
わからないこと尽くしだ。
緊急パンティー態宣言を出さなかったら出さなかったで文句を言われたであろう(実際今回も遅いと文句を言われていた)。
また、野パンティーは陰部ばっかり出しているが野パンティーの仕事って陰部を出すことなの?と思ってしまう。
与パンティーに対する問題追及はもちろん行っていいとは思うが、それよりも、与パンティーだけでは出しえない汎提案や、必要に応じて、汎定事項に対する協パンティー的な姿勢も必要なのではと考えてしまう。
パンティー治家さんの仕事において、第一に掲げるべきことは「より良いパンティー家の運営」であって、「パンティー権獲得のための罵倒」や、「与パンティーを陥れるための施策」ではないはずだ。
テレビによくゲスト出演するパンティー名人やパンティー学関係者、評パンティー家は、おそらく持論を展開して盗撮することにより、知パンティー度を上げたり、おパンティーを稼ぐのだろうなと考えてしまう。
とりあえず出される下着全てを盗撮をしておけば、どれか当たるだろうという考えかもしれない。
意見を言うのは構わないが、せめて三行以上のお礼の言葉も入れるべきだ。
彼は今、日本で一番パンティー家の責任を負っている人物であり、目の前にあるものは、想定外で、戦後最大規模の大パンティー問題だ。
また、時間は待ってはくれず、一種パンティライナー的な判断と決定が必要となってくる。
その結果は日本という国の未来に影響を及ぼし、下手を打てば汚パンティーを歴史に残すことになる。
つらつらと書いているだけでも「絶対被りたくない下着」を彼は文句も言わず装着してるのだ。
ついでに書いておこうと思うが、この前代未聞のコロナ禍の中、様々な施策の結果、思いもよらない影響も目の当たりにした。
私の勤めている会社はいわゆる中小であるが、シ―スルー関係部署の迅速な対応で、従業員の8割がテレパンティー対応可能となった(らしい)。
今回の勤パンティー体系によるパンティー効率の結果次第では、弊社でもテレパンティーの頻度が増えるだろう。
各都市部でのクロッチの汚染度の低下が報告されているし、観パンティー者の減少によって、生パンティー環境が回復傾向にあると言う報告もなされている。
具体的にはタイのリゾート地でのデバカメの出現数増加、マナティが帰ってきた等。
世界中の人間が観パンティー旅行による生パンティー破壊について考えさせられるだろう。
自営業の知り合い達はL○ngel等を活用して使用済み下着販売を実施しているらしい。
知り合いの協力もあり、なんとか食いつないでいけそうとのことだ。
また、自営業の友人同士でパンティーの回し履きなども見受けられる。
その横のつながりと助け合いには感動を覚えた。
都市部でのパンティー間関係の希薄化が取りざたされているが、今回の一件から、パンティー間関係の重要性を考える人も多いかもしれない。
こんな日記を匿パンティーで書いている私も、一種、「盗撮」をされているパンティーかもしれない。
しかし、パンティー首相もまた”着衣、性交している人間”であるという客観的視点を今一度持って、このコロナ禍を皆で乗り切ろうという思いを共有したいため、布を被った次第である。
4月7日に新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言が発令されてからもうすぐ一ヶ月。
世界が戦後最大規模となるパンデミックに見舞われている中、緊急事態宣言が発令され、多くの人が生活に不便を強いられていると思う。
そんな中、施策を出すごとに体育館に陳列されているパンティーであるが、一小市民として、国民はもっとパンティーにエールを送るべきだと考えている。
だが、疎い人間であっても、客観的に見て、パンティーへの批判の嵐はおかしいと思う。
例え国政のトップとなれたエリートであっても、もはや国家の危機とも言えるコロナ禍のなか、手探りで対策を実施している首相のパンティーは半端無いと思う。
ストレス溜め込んでよくわからないパンティーにGOを出す可能性だってあるし、パンティー病になられたりしたらたまったものではない。
ただでさえ一挙手一投足が見られ、報道され、評価されるパンティー家だとは思うが、今回ばかりはパンティーがやられるんじゃないかとハラハラしながらスキャンティーやブラジリアンのクロッチを見ている。
確かに緊急事態宣言を受けて、市民は多くのパンティーを強いられている。
かく言う私も出勤が制限されており、状況に応じて、パンティーボックスを机がわりにテレパンティーを実施している。
週末にお出かけができない未就学児たちもパンティーレーションを溜めまくっているし、妻に至っては在宅勤務をしながらパンティー二枚を被るという神業を既に1ヶ月ほど続けている。
マスクはどこにも売っていないので、手製の布パンティーを使いまわしている。
訳のわからない流言のせいで、ハイレグやローレグが売り切れたりする。
自営業のパンティー達は、緊急事態宣言によってオープンショーツを開くことができず、悲痛そうな顔をしている。
最近、緊急事態宣言のパンティーが見えないなんて報道も見られるが、そりゃあそうだと思ってしまう。
そもそも、これまで緊急事態宣言自体発令されたことがないと思うし、発令に伴っての外出自粛要請を国民がどの程度実施するかも分かったものではない。
どの程度の企業がテレパンティーに対応できるかもわからないし、外出自粛により、パンティーの伝染がどの程度抑えられるかもわからない。
わからないこと尽くしだ。
緊急事態宣言を出さなかったら出さなかったで文句を言われたであろう(実際今回も遅いと文句を言われていた)。
また、野党は文句ばっかり言っているが野党の仕事って文句を言うことなの?と思ってしまう。
与党に対する問題追及はもちろん行っていいとは思うが、それよりも、与党だけでは出しえない提案や、必要に応じて、決定事項に対する協力的な姿勢も必要なのではと考えてしまう。
政治家さんの仕事において、第一に掲げるべきことは「より良い国家の運営」であって、「政権獲得のための罵倒」や、「与党を陥れるための施策」ではないはずだ。
テレビによくゲスト出演する有名人や大学関係者、評論家は、おそらく持論を展開してバッシングすることにより、知名度を上げたり、お金を稼ぐのだろうなと考えてしまう。
とりあえず出される施策全てにバッシングをしておけば、どれか当たるだろうという考えかもしれない。
彼は今、日本で一番国家の責任を負っている人物であり、目の前にあるものは、想定外で、戦後最大規模の大問題だ。
また、時間は待ってはくれず、一種アントレプレナー的な判断と決定が必要となってくる。
その結果は日本という国の未来に影響を及ぼし、下手を打てば汚名を歴史に残すことになる。
つらつらと書いているだけでも「絶対やりたくない仕事」を彼は文句も言わず実施してるのだ。
ついでに書いておこうと思うが、この前代未聞のコロナ禍の中、様々な施策の結果、思いもよらない影響も目の当たりにした。
私の勤めている会社はいわゆる中小であるが、システム関係部署の迅速な対応で、従業員の8割がテレワーク対応可能となった(らしい)。
今回の勤務体系による業務効率の結果次第では、弊社でもテレワークの頻度が増えるだろう。
各都市部での空気の汚染度の低下が報告されているし、観光者の減少によって、自然環境が回復傾向にあると言う報告もなされている。
具体的にはタイのリゾート地でのウミガメの産卵数増加、マナティが帰ってきた等。
世界中の人間が観光旅行による自然破壊について考えさせられるだろう。
自営業の知り合い達はインスタ等を活用して通信販売を実施しているらしい。
知り合いの協力もあり、なんとか食いつないでいけそうとのことだ。
また、自営業の友人同士でインスタによる販売紹介なども見受けられる。
その横のつながりと助け合いには感動を覚えた。
都市部での人間関係の希薄化が取りざたされているが、今回の一件から、人間関係の重要性を考える人も多いかもしれない。
こんな日記を匿名で書いている私も、一種、「バッシング」をしている人間かもしれない。
しかし、安倍首相もまた”努力、尽力している人間”であるという客観的視点を今一度持って、このコロナ禍を皆で乗り切ろうという思いを共有したいため、筆を執った次第である。
努力したとしても、結果が出せないなら怒られる。
4月7日に新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言が発令されてからもうすぐ一ヶ月。
世界が戦後最大規模となるパンデミックに見舞われている中、緊急事態宣言が発令され、多くの人が生活に不便を強いられていると思う。
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だが、疎い人間であっても、客観的に見て、安倍首相への批判の嵐はおかしいと思う。
例え国政のトップとなれたエリートであっても、もはや国家の危機とも言えるコロナ禍のなか、手探りで対策を実施している首相のストレスは半端無いと思う。
ストレス溜め込んでよくわからない施策にGOを出す可能性だってあるし、鬱病になられたりしたらたまったものではない。
ただでさえ一挙手一投足が見られ、報道され、評価される政治家だとは思うが、今回ばかりは精神がやられるんじゃないかとハラハラしながらニュースや評論家のコメントを見ている。
確かに緊急事態宣言を受けて、市民は多くの不便を強いられている。
かく言う私も出勤が制限されており、状況に応じて、収納ボックスを机がわりにテレワークを実施している。
週末にお出かけができない未就学児たちもフラストレーションを溜めまくっているし、妻に至っては在宅勤務をしながら子供二人の面倒を見るという神業を既に1ヶ月ほど続けている。
マスクはどこにも売っていないので、手製の布マスクを使いまわしている。
訳のわからない流言のせいで、トイレットペーパーやティッシュが売り切れたりする。
自営業の知り合い達は、緊急事態宣言によって店舗を開くことができず、悲痛そうな顔をしている。
最近、緊急事態宣言の出口戦略が見えないなんて報道も見られるが、そりゃあそうだと思ってしまう。
そもそも、これまで緊急事態宣言自体発令されたことがないと思うし、発令に伴っての外出自粛要請を国民がどの程度実施するかも分かったものではない。
どの程度の企業がテレワークに対応できるかもわからないし、外出自粛により、ウイルスの伝染がどの程度抑えられるかもわからない。
わからないこと尽くしだ。
緊急事態宣言を出さなかったら出さなかったで文句を言われたであろう(実際今回も遅いと文句を言われていた)。
また、野党は文句ばっかり言っているが野党の仕事って文句を言うことなの?と思ってしまう。
与党に対する問題追及はもちろん行っていいとは思うが、それよりも、与党だけでは出しえない提案や、必要に応じて、決定事項に対する協力的な姿勢も必要なのではと考えてしまう。
政治家さんの仕事において、第一に掲げるべきことは「より良い国家の運営」であって、「政権獲得のための罵倒」や、「与党を陥れるための施策」ではないはずだ。
テレビによくゲスト出演する有名人や大学関係者、評論家は、おそらく持論を展開してバッシングすることにより、知名度を上げたり、お金を稼ぐのだろうなと考えてしまう。
とりあえず出される施策全てにバッシングをしておけば、どれか当たるだろうという考えかもしれない。
彼は今、日本で一番国家の責任を負っている人物であり、目の前にあるものは、想定外で、戦後最大規模の大問題だ。
また、時間は待ってはくれず、一種アントレプレナー的な判断と決定が必要となってくる。
その結果は日本という国の未来に影響を及ぼし、下手を打てば汚名を歴史に残すことになる。
つらつらと書いているだけでも「絶対やりたくない仕事」を彼は文句も言わず実施してるのだ。
ついでに書いておこうと思うが、この前代未聞のコロナ禍の中、様々な施策の結果、思いもよらない影響も目の当たりにした。
私の勤めている会社はいわゆる中小であるが、システム関係部署の迅速な対応で、従業員の8割がテレワーク対応可能となった(らしい)。
今回の勤務体系による業務効率の結果次第では、弊社でもテレワークの頻度が増えるだろう。
各都市部での空気の汚染度の低下が報告されているし、観光者の減少によって、自然環境が回復傾向にあると言う報告もなされている。
具体的にはタイのリゾート地でのウミガメの産卵数増加、マナティが帰ってきた等。
世界中の人間が観光旅行による自然破壊について考えさせられるだろう。
自営業の知り合い達はインスタ等を活用して通信販売を実施しているらしい。
知り合いの協力もあり、なんとか食いつないでいけそうとのことだ。
また、自営業の友人同士でインスタによる販売紹介なども見受けられる。
その横のつながりと助け合いには感動を覚えた。
都市部での人間関係の希薄化が取りざたされているが、今回の一件から、人間関係の重要性を考える人も多いかもしれない。
こんな日記を匿名で書いている私も、一種、「バッシング」をしている人間かもしれない。
しかし、安倍首相もまた”努力、尽力している人間”であるという客観的視点を今一度持って、このコロナ禍を皆で乗り切ろうという思いを共有したいため、筆を執った次第である。
安倍晋三首相は30日放送の自民党インターネット番組で、4月に新社会人となる若者らに向け「失敗すれば落ち込むが、くよくよせず、糧にする気持ちが大切だ」とエールを送った。番組は17日に収録された。
首相は、自らが神戸製鋼所の新入社員時代、数値の入力ミスで長さの足りないパイプを大量に製造してしまったエピソードを披露。「首になるかと思ったが、事なきを得た。多少の失敗にもめげずに、皆さんにも頑張ってもらいたい」と呼び掛けた。
https://www.sankei.com/politics/news/160331/plt1603310006-n1.html
昔「サンドウィッチマンのオールナイトニッポン」でやってたわ。
2011年3月18日に当時のレギュラーだったAKBのピンチヒッターとして放送されることになった番組。
11日、番組収録中に気仙沼で被災。逃げ込んだ山から津波と火災を目の当たりにしてから1週間、東京に戻りあらゆる情報番組に出演、更に義援金を設立して
彼らはオールナイトニッポンの生放送に臨んでいた。
時報と共にショートコントで始まった番組は、1曲目から50TAを流し、時折シリアスなトーンになると富澤がボケを入れて緩和、意外に深夜ラジオらしいゆるい放送になっていた。
ただいつもなら「全国36局」と言うところを「全国の放送局を繋いで〜」と言っていたり、CMもあいさつ→オシム→子宮頸癌のACトリプルコンボだったので普段から聴いている身からするとやはり異様な放送ではあった。
それでもこの1週間、色んなパーソナリティが距離感と温度に悩んできた中、サンドは1番のびのびとトークを展開していて、私も1週間で1番気兼ねなく笑えていた。
東北放送のアナウンサーとの電話、被災地からのメール読みが続く番組の後半、会津若松のリスナーから1通のメールが届く。番組冒頭のショートコントで何故か涙が出てきたという文に始まり、2人や東北への熱いエールの後「頑張れ青森宮城岩手福島のみんな!ここまでハードルを上げたうえでもう1つコントをお願いします!!!」という完璧なフリをされ
伊達が「言ったらわかる?」と確認だけして披露したのが「ラーメン」だった。披露後彼らは「これが我々の仕事です」「泣いたってメールください」と続けた。
私の住んでいた地域は地震の揺れも感じられないようなところだった。ただ田舎だったからテレビに映る光景にはどこか見覚えがあって、そのうち大地震が来ると言われ続けている地域なのでなんだか苦しかった。でもそんなことを言う権利も無いと思っていた。電気も西側だったので自粛とかの匙加減もよくわからなくて、この実感できない異常事態に対してどう振る舞うのが正解なのかという気持ちが常に付き纏っていた。
でもこの番組では笑ったり、被災地の現状に耳を傾けて想像したりと2人のトーンに委ねて過ごすことができた。声以外何も情報が無いのに、無いからこそ、あの1週間見てきたどんなものより私の心に強く響いた放送となった。
9年の時を経て、サンドウィッチマンは幾分かフォルムが丸くなったもののあの日と変わらない姿で芸人として聖火到着式に参加し、聖火がつかないというお粗末な事態の場つなぎにあのラーメンのネタを繰り出した。
多分この9年間に相当な回数ラーメンネタをやっていると思うし、1回ぐらいは私も見てるのかもしれないけどネタの終わりに挟んだ「はい!オリンピック!」で当時の「はい!オールナイトニッポン!」を思い出し、当時のことを色々と振り返ると止まらなくなったので放送を再生しつつ書いてみた。
あの時はありがとう。
その先生は背が高くて色黒で、年齢はたぶん当時50代。だいたいいつも眼鏡とエプロンをしていて、書写を教えていた。すごく穏やかな声をしていて、普通の座学だったら睡魔に襲われる人が続出していたかもしれない。
私はその先生と特に仲が良かったわけでもないし、もう授業内容も下の名前も覚えてないけど、半紙に入れられる赤い墨と、年賀状に私の名前の漢字を使ったメッセージを書いてくれたことはよく覚えている。
小学校を卒業して何年か経ったある日、新聞にある教員の不祥事のニュースが載った。と言っても全国紙の地域面の片隅だが(不祥事の内容は伏せる)。
名前こそ出されていなかったけど、地元の人間なら少し調べればその先生のことだとすぐにわかるだけの情報はあった。ローカル紙には事のあらましがもう少しだけ詳しく書かれていたが、私も母もその先生がそんなことをするとはとても思えなかった。もう15年近く前の話だ。
人の噂も何とやらで、程なくして先生のことも不祥事のこともみんなの話題にのぼらなくなった。先生がその後どうなったのかも、今何をしているのかも、事の真偽すらも全然わからない。
ただ、少なくとも、先生がいつかの年賀状に私の名前をもじって書いてくれた、未来へのエールとそこに込められた思いは、嘘偽りのないものだと信じている。
「俺が若いときは毎日残業と接待で---」「今の若モンは苦労を知らない」というのはあまりにステレオタイプな昭和の勤め人像だが、確かに洒脱でないなと感じる言い分だ。
こういう、旧来の感性と180°反転して、現代の20代は「自分の楽しいと思える形で努力し、それを認められる環境で生きていくのがクール」「辛い努力をルールに従って泥臭くやるのは恰好悪い」とされる。少なくとも20代半ばの私はそう感じている。
個人的意見だが、私は上記二つの対局にある感性両方に疑問をもつ。
もちろん、空気を読めだとか、いくら無能でも年上を敬えだとか、女はこういうもんだとか、男が大黒柱であるべきだとか、そういった時代遅れの考えに同調するわけではないし、個人が能力に応じて自由な選択を選び取れることが幸せなのだろうと思う。
一方で、今日の大学生たちがあまりに個人主義に傾倒し、大学をでて就活をして大手企業に入ろうとするといういわゆる「人生のレール」を毛嫌いしていることに違和感を覚える。
現実に、私の同期や後輩のうち10名以上が大学を辞めるか、一般的な就職活動を行わずにいわば変則的なルートで進路を決定している。
私は彼らを心から応援しているが、少なからず、その決定に伴うリスクと合理性を問いたい。
彼らは決まって、一見大胆に見える進路を選択した後にSNS上に『なぜ大学を辞めたのか』という旨の投稿を行い、それに他の学生は熱烈なエールを送るのだが、私はそのやり取りを一抹の恐怖に似た感情をもって見つめている。
例えば、大学の研究に意味を見出せず、浪人と休学を含めて6年間を投じた大学生活を途中退出してコネクションを使ってエンタメ業界へ。
賞賛と応援の嵐、夢を摘み取ったことへの羨望がコメント欄に滾々と沸き立っている。
なんだかなぁ、と私は思う。
大学を出てからでもよかったんじゃないのか? 全く触れもしなかった卒業研究からも、得られるものがあったんじゃないのか? などと考えてしまうのは私がもはやロートル化しているからなのか。
繰り返しになるが、私はこの判断を否定する気などさらさらないし、そんなことをできるほど大した人間ではない。
私は単に、大学生たちに、人生のレールがダサいものなどではないことを知ってほしいと思っている。
研究をまじめに行って、大きな企業で世の中にインパクトのあるものを、優秀な同僚とともに生み出していくことが、恥ずかしい事であるはずがないのだ。
学業や就活は総じて苦痛を伴うだろう。私も大変に苦しんだし、大学院をやめようと思ったのも1度や2度ではない。
それでも徹底して競争に身を投じ、苦しんで苦しんで戦い抜いた結果、私は今作りたいものを自らの手で生み出せる仕事をしている。
研究以外で何もクリエイティブなことなどできないが、こういう人生もアリだろうな、と自分では感じている。
何も研究や勉強がいつも楽しかったわけではない。苦しい事が9割5分だった。
それでも逃げ出さずに戦いぬいたことを私は誇りに思うし、この経験が私にとって有益なものをもたらした。
「めざせポケモンマスター」の「憧れのポケモンマスターに なりたいな ならなくちゃ 絶対なってみせる」って部分が心の琴線に触れ、マクドナルドの席で周りにバレないよう机につっぷし、声をころして泣いた。
昔から憧れていた業界ではない異業種で働いていたが、やはり憧れが捨てきれずに転職をきめた。
業界未経験30歳というハンデ。だけど子供はまだ就学前だし、転職するなら今しかないと考えた。
専門学校生が授業でさらっと習う程度の内容までは予習してきたつもりだが、OJTにはかなわない。戸惑いながらも、必死に食らいつく。
試用期間中なので給与は少ない。それも承知の転職だが、早く成果を出し、試用期間の短縮を求めていた。
往復4時間かかる通勤。朝も早いので弁当を作る余裕も体力もなく、安いセットメニューにがっつく。コーヒーを飲んで少し落ち着きを取り戻したとき、ポケモンのOP曲の、そのフレーズが脳裏に浮かんできた。
少し遠回りだけど、紆余曲折をへて昔憧れていた業界の末席にいる。兎に角前に進むんだ。
目の前のこと精いっぱいでキャリアパスはまだ描けられないけど、夢を見ていた小学生の頃の自分が、今の自分にエールを送ってくれているように感じた。
妊娠後期。見た目にも腹が出て腰が反りケツが痛み肉がついて妊婦らしい見た目になってきた。
妊婦検診も2週に1回になり、分娩予定の病院に戻るための予約も取り、より一層職場に迷惑をかけている。ほんと毎日すみません。
というか夫についていった。
で、散々お世話になったA先生(50-60代女性)にお会いした。
せっかくなので夫と私とその先生とたまたま居合わせたB先生(新婚20代女性)とで10分ほど立ち話した。
「自分の経験や人から聞いた話を元に妊婦にトンデモ診断を下してしまう人」のことで、私が勝手につけた呼称だ。
A先生、まず私の腹を断りなく触り(人によると思うが私はこの行為が嫌い。せめて一言声かけろ)、質問攻めスタート。
私「女の子です」
私と夫「ん?」
夫「えっ?なんでですか?」
?????
A先生によると
……だそうで。
電磁波云々って、私が子供の頃に「電子レンジの近くにいると体に悪いからやめろ」と祖父に言われた以来ですけど。
夫は黙ってたので、どう思ったかは知らない。
→女の体に女の胎児だと成分が同じだからケンカするらしい。つわりが軽いなら男の子
「産む直前に好物が食べられなくなる」
→A先生の好物は焼肉だそうだが臨月にはほとんど食べられなかったそうだ
等々。
つわり云々に関しては私はそれほどひどくなく
短期間で落ちついたし
さっぱり共感できず、10分ほどのトーク中ずっと一歩引いて聞いていた。
そして最後に、B先生に「30歳になる前に妊娠しな!仕事のことなんて気にしなくていいのよ!」とよく分からんエールを送り、去っていった。
まあA先生まではいかないにしろ、『なんちゃって産科医』状態にはかなりの先輩ママさんが陥っていると思う。
妊娠の報告をしてからは、体調を気遣ってくれる人ばかりで本当に助かっている。
ただ1点、こちらが困ってもいないのに、謎アドバイスと自分語りしてくることを除けば。
「男の子の親っぽい」という理由から、まだ性別がわからないのに男の子だよ!と毎日顔を合わせるたびに言ってくる人、
「女の子を妊娠すると顔が優しくなる。男の子だときつくなる」という理由から、やっぱり女の子だね~と言ってくる人
(散々男って言ってたじゃん)、
体調の心配をしてくれたかと思いきや、うちの娘のときは吐くものもなくなるくらい吐いてさ〜と延々話してくる人、
「平日昼に帝王切開で産めば一番安上り」とご親切に教えてくれた上司、
あと、本当に多い、腹が出てると男の子で横に広がると女の子って言う人(骨盤の大きさの問題だっちゅうねん)。
初産婦である私のことを心配して声をかけてくれているということは分かってる。
ほんとありがたいけど、皆さまが信じていらっしゃる性別の判別法とか、医学が発達してなくて産むまで分からなかった時代の話。都市伝説ですよ。
5か月くらいまでは本気にしてたものもあったけど、もういちいち聞いてられない。
腹が出てるけど女の子だし、食べたいもの好きに食べてるけど体重も血圧も問題なし。胎児も順調に育ってると、主治医からお墨付きを頂いてますので。