はてなキーワード: エヴァとは
「ようやく10代が終わった」「エバーに囚われていたあの頃の自分からの卒業」みたいな「当時のシンジくん達」の感想が本当にきつい。
いや、もちろん本当にそういう人もいるとは思う。謎考察とかをブログなりnoteなりに書くくらいのガチ勢。
そのガチ勢の感想に対しては、「気持ち悪いな」って思うけどそれはある意味ヲタクに対しては誉め言葉であって。
自分が世代的にドンピシャだったからって、そこまでの熱量でもないのに「あの頃から卒業できていない自分」を都合よく作り出す層がほんときつい。
いや確かに当時はめっちゃハマったんだろうし、旧劇でいろいろな感想抱いたんだろうよ。
だからといってそれを後生大事に持ち続けた訳でもなく、他のアニメみたり他の趣味を楽しんだり現実をがんばったりしてて
エヴァはまあ「昔ドはまりしたコンテンツの1つ」であり、たまに懐かしんだり、劇場版が公開されたらまあみるかくらいの感じだろ。
お前らがここ数年エヴァについて語ってたシーンなんてみたことないぞっていう。
作品を好きになると、その作者や舞台裏をどうしても知りたくなったり見たくなったりする人いる?
漫画や小説だと、作者がエッセイ書いていないか探してしまう。映画だと裏側的なドキュメンタリーが無いか、とか。
庵野秀明がどういう人物か知りたくなって、夫人が描いている「監督不行届」や学友が描いている「アオイホノオ」を読んだ。
ジブリ映画が好きだ。どうやって作っているのか気になって、「夢と狂気の王国」や新作ができると放送される「ジブリ新作の裏側」的なドキュメンタリーを見た。
あとハガレンや銀の匙が面白くて百姓貴族を読んだり、エヴァだとほかに貞本夫人の子育てエッセイコミック読んだり、吉田戦車にハマってまんが親読んだり。
でもそういうの関係ない、作品が面白ければ作者なんて関係ねぇって人やエッセイは興味ないって人もいるよね。
あなたはどう?
あ、全然否定してないし心理学は好きなんですが、例えば「エヴァの絵がある女性に性的な不快感を与える理由」がわからない男性を説得できるような理論では全くないという話だと思います。お気持ちを表明するなら理論を示せっていう、よくある暴論があるけど、そんなもの、現段階では地球上のどこにもあるわけないという話です。
いや多分今の理論というのは、エヴァの新作映画出ました!この内容でどれくらいの人がもしくはどの個人が、どれくらい不快になるでしょうか!モデル化しましょう!キャラデザのどの要素をどう変更したら、不快が減るでしょうか!予測しましょう!
みたいな理論でしょ。そんなのむーりむりです。
初号機は胸板が厚い感じ
でも、男性だとしてもブラはしてるんだよね
弐号機は胸の真ん中の方がでっぱってる
これもおっぱい感がない
というか、やはりガンダムではないだろうか
ジオングに至っては垂れ乳になってる
そのうえ、両足がないのである
まあここで違う人と話してもあれだけど
俺の中だと女性が不愉快になるラインっておおよそ人体とかけ離れた女体描写だと考えてたわけね
エヴァってのはそのラインを逸脱してないと思ってたから、ここに問題提起されるとは思ってなかったよ
そこに衝撃だわ
で、あなたはそれを知らなかったって話ですか。
あれ、かなり最初からエヴァは例示だよ、アニメゲーム全般の話だよって明言したつもりだったんですが…無駄な苦労をさせちゃいましたね。
問題の主張はしてなくて、問題だと私は感じることがあるけど、それは説明できない、理解を諦めてくれって話がまったく伝わらなかったですね。
夜中にこんだけ大騒ぎしてるけどその内容が「エヴァの胸」って俺の中では凄い意外に思えたんだよね
それって異常なことか?
新劇場版も上映しだしてから10年近くになるわけだけど「胸がでかくて不快」って意見は今日始めて見たんだよ
だから具体的に何がどうおかしくて大きいから許せないというならどれくらい小さければOKなのか
胸の強調って「性描写」ではあるけど、「過剰」か?って印象
もしかしてその該当作品ってシンエヴァの内容だったりする?もしそうならまだ見てないからネタバレ食らいたくないんでその時点でこのエントリ応酬はやめたいんたけど
まさに今、「自分でゾーニング」してる状態です。例えば、あらすじを聞いて興味が湧いても、実際に見たいと思うアニメが限られているので、友達との話題に乗れなかったり、娯楽の幅が狭まって結構不便です。まぁだから人権が蹂躙されてるとまでは思わないです。不便だなーという話です。
今回の話題で言えば、エヴァのキャラデザはそこまで変わらないのでは…?単に胸が小さくなるのでは?合わせてウェストも調整したりするのかな?何か過剰な恐怖を与えてしまったようで、ちょっと申し訳ないです。
説明下手でごめんね
こっちも感覚で言って申し訳ないけどエヴァの描写ですら受け付けないなら受容出来る作品って相当限られるから普通に自分でゾーニングできませんかね
怖いの嫌いだけど見なきゃわかんないから呪怨見てみようって言われてるみたいで驚きますわ
一ミリも賛同できないけどあなたみたいな人が言う正しいエヴァンゲリオンのキャラデザ、描写ってのを怖いもの見たさで見てみたいってのはちょっとあるわ
1. 最初は「不快なら見なきゃいい」って話だったので、「それやるためにはゾーニングが必要ですよね(見なきゃわかんないので)」って話をしました。まぁ予告編みて避けろってのは実行できますが、それでも2.の話は残ります。「男性向け性描写あり」ってのは個人的には是非やってほしいですね。
2.についてはエヴァはただの例示、の解釈があってます。他にも似たような作品は沢山あるので。規制っていうか、自分みたいな人の感覚がまず認識されてほしいと思っていて、その上で将来的にアニメ全般の画風が変わっていけばこの上なく嬉しいです。もちろん一部に、「そういう作品」として、今の画風のアニメが残ること自体には全く異論はないです。
2点あって、
1. そもそも目にするのを避けられない。特に年齢や性別でゾーニングされてない作品を見たら、エロい絵で不快になることがある。ゾーニングされた媒体(男性向けエロ本とか)での表現は個人的は問題を感じない。エヴァは無制限。
2. 可能な限りいろんな作品を鑑賞したい。特に、性がほぼ関係ない作品で、内容には興味があるのに、エロい絵で書かれていたら、消費者として女性が想定されていないことがわかり、がっかりする。
もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。
見終わった感想は、「本当に終わった」だった。
すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。
それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。
きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画を象徴しているといっても良い部分。
復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。
忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。
だから、題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。
そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけもの」ときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。
NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。
冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレは侵略する側。
派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。
直接の描写が牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。
トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車のメンテはできない」。
食事は配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。
綾波型初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。
そしてそこにいるのは老婆が中心。
若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。
銭湯や図書館も牧歌的ではあるが、つまりは個別の風呂や嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。
でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から)
でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。
たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。
第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。
ひどい経験をしたシンジが家出をして、ケンスケとキャンプする。
TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分の意志では電車に乗らなかったと言う流れ。
ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。
「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。
今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。
あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。
あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。
で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリしたから家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。
その後の、ケンスケとの見回りと治水の管理で「基幹産業たる農作業を免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。
村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。
プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。
その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験に従事しているというのも、良かった。
ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。
あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。
シンジに好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。
シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。
最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分でレーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。
自分で食い、自分で泣き、自分で時間をかけて、最後に無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。
アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。
で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉や綾波型初期ロットとのやりとりでカバーされてる。
TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感の一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで。
落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。
時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。
でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。
親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存の価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。
で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。
それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。
アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリもアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。
シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。
あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリがアスカに言ってなかった?
そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。
シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから、綾波型初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。
たしかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失を経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。
あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手のパーソナルスペース内に入ってんだよね。
破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。
アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだって問いかける。
古今東西の書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのは、イメージとしては「魔女」だよな。
アスカが死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、
わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。
そういや、エヴァで誰を殺せば世界が平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。
Q以降、ほぼ単独で組織的な攻撃に対応してるのとか、そもそもの研究室の件と言い、このオッサンが元凶だろう。
舞台を整えるの全部やり切ってるしな。
セカンドの海の浄化、サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい。
あとゲンドウがきっちり葛城大佐、赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。
ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。
自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初の相手がミサトさんなのは結構グッと来た。
アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。
ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。
きっちり旧劇っぽく親子喧嘩をメタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。
よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。
息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。
聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。
やるべきことを完全にやり切って、マリの必要なものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生。
やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。
ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。
ゲンドウが大人の理解力と表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。
「ユイと出会い、楽しかった、ユイだけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリがちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える。
あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。
新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。
ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。
最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、
繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。
狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション。
旧劇の場所でアスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー
カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置にカヲルくんが居るんだよね。
シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー
加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。
時間も世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。
時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。
たしか、マリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。
てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。
あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力が大人で成長したなあと。
それを、アニメーションのセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。
マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、
いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間で時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。
そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。
最後、シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。
というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。
ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。
ああ、エヴァンゲリオンのアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。
一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。
この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。
鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。
加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。
そもそも全編にわたって無駄なセクシーポーズ・シーンがたくさんあるからな
でもそれがガイナだったし庵野(そもそも庵野がチンコマンコ脳)だから
『子ども達も見てね!!』をしない限りどうでも良いかなって思ってる
けどおつむがアレな人はシン・エヴァをみて成熟とか大人とエロが無いとかいうからな
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや
お行儀はよくないけどディズニー映画でもファミリー映画でも無いからね
いろいろあっていい
残虐表現にも色々あるけど、旧劇の量産エヴァに喰われる弐号機とかは自分は問題ないんだよなあ
でも、ダルマみたいな意図的に他人の身体を欠損させるとか、断首ものとか、
ああいう表現で性的興奮する人間では自分はないので、自分の見えないとこでやっててほしい気はする
だから「イジらないで、長瀞さん」のナナシ氏のPixivは正直つらかった
「うみねこのなく頃に」の皿の上の生首とかはまだいい
胸がデカいキャラが多いってのは、当然、問題だと感じてる人にとってって話ね。あなたの感覚は今関係ない。
他人がエヴァを見るべきかどうか、あなたが判断する権利はない。もし権利があるなら、最初から議論は必要ない。
現実にいくらでもいるかどうかはあなたの感覚。他の感覚を受け入れられないのは問題。普通こういう時に議論するのは、問題を感じる人もいます(前提確認)。問題を感じる人と感じない人がいるけど、どうすべきでしょうかって話。「私は問題を感じない!」ってのは一周遅れた主張。そりゃ当たり前でしょう。現にエヴァみたいな絵は制限なく流通してるんだから。仮にみんな問題だと思ってるなら、野放しに流通してるのはおかしいですよね?