はてなキーワード: エヴァとは
例えば「シンジはガキで、ミサトもやべーおんな。ゲンドウは社会人だからああいうふうにいうしかなかった。大人になってきてそれがよくわかるようになりました」とtogetterでセルフまとめを作る人間が仮にいたとする。
すると、この人物は年を取ってシンジよりは大人になったけれど、ゲンドウよりも大人になり切れなかった人間であるということを暴露することになる。
さらに「この人物は父親へのコンプレックスが克服できなかったんだな」とか「気分屋の女性に恐怖を感じているのだな」とか「社会人経験が全くないのだな」ということを邪推する人もいるかもしれない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81207
ずっと「ガキ」のままの「男」だった「私たち」は、今さら成熟とか、弔いとか、母殺しとか、この20年、30年の間、一体何をやってきたんだ? 恥ずかしくはないのか?
タイトルは半分釣り。劇場版シン・エヴァンゲリオンの感想をいくつか書く。
・一番印象的だったのは、シンジを支え、見守るのは、旧来の命令や強制しかしないオトナ達ではなくて、セカンドインパクト後に生まれた、かつての同世代の若い世代だったという事だ。
農村部の描写は、安野モヨコのマンガ・アニメの「大きなカブ(株)」と重なると思うけど、今、庵野秀明を支えているのはエヴァを見てた若い世代なんじゃないかなと思った。現在向精神薬を飲んでいる自分としては、動けないシンジの代わりに、アヤナミレイ(仮)(そっくりさん)が農村で人間性を取り戻していく過程がリアルに感じられた部分。シンジの回復とそっくりさんの消滅もそういう事かなと。
・裏宇宙でのゲンドウとシンジの描写が、急に安っぽい特撮のような背景になるのは、あそこで物語の位相が庵野秀明の内面描写に移ったからかな、と思った。今回、絵コンテを使わずにプレビズでレイアウトを決めてた辺りも、庵野秀明がパンツを下ろして内面を語る為には、従来のアニメ描写の仕方ではなく、実写映画(というかドキュメンタリー)の手法を使いたかったんじゃないかな。
だから終盤のキャラを見送るシンジは、プロデューサーの立場で、25年に渡って苦労をかけてきた各キャラをねぎらう立場だったんじゃないかな。元々は24年前のEoE(旧劇場版)で消費されてしまう筈だったキャラ達は、その後もスタッフ・キャスト・観客の中で生き続けてきたから、それを演じてきた(という体で)各キャストに見せ場と居場所を最後に与えたような気がする。それがこの作品が卒業式のように感じられた理由かもしれない。
・マリエンドは、個人的にはもうEoEと貞本版マンガでアスカエンドはバッドエンドもグッドエンドも見てしまったので、第3の終わり方としてよかったと思う。
・個人的に残念だなと思う点を上げれば、いくつかの戦闘シーンは大雑把に見えたこと。物量と情報量を上げればものすごい物が見えるわけではなく、逆に大味になってしまった気がする。
でも最初のTV版から見続けて26年経って、こんな作品を見られて本当によかったと思う。エヴァンゲリオンという作品とシンジとアスカとレイとカオルは、アニメの歴史に刻まれたと思うし、今後も神話にはならなかったとしても伝説にはなるんじゃないのかな
遅ればせながら『シン・エヴァ』観ました。個人的な感想メモ(ネタバレあり)。ちなみにTV版から観ている39歳男です。
・旧劇場版でシンジとアスカがお互い傷つけあったのは「二人は他者だから、触れ合えば傷つくのは必然なんだ」と受け止めてた。それに対する『シン・エヴァ』の回答は「あれは二人の相性が悪かったせい。それぞれ別の人とくっつけば幸せになれるよ」ってことだと理解した。マジか、と思いましたね。あまりに身も蓋もなさすぎて。しかし言われてみれば確かにそう。こうなってみると、もうこの終わり方しか考えられない。
・旧劇場版のアスカって、エヴァの全編を通してみてもトップクラスに酷い目にあってたと思う。肉体的にも精神的にも。見ていて居たたまれなかった。なので、浜辺のシーンで惣流のほうのアスカも救済してくれて嬉しかった。
・それにしても、まさか渚カヲルがゲンドウの分身(別人格)だとは思ってもみなかった。これが一番衝撃的だったかも。
・でもよく考えると、TV版の時点でカヲルはレイに「君は僕と同じだね」って言ってるんだよね。レイがユイのクローンだとして、じゃあカヲルは誰の分身なのかと考えれば、論理的にはゲンドウしかありえない。なんで俺は25年間その可能性に気づかなかったのか、ということのほうが今となっては不思議。
・カヲル君の「歌はいいねえ」という台詞とシンジ君のウォークマンが、25年の時を経てゲンドウというキーワードでひとつに結びつけられる展開は震えた。
・あそこに置かれていた鉄道車両は、庵野さんの故郷の山口あたりで昭和時代に走っていたやつが多かったと思う(あとは天竜浜名湖鉄道?)。あの村が箱根のそばに2029年ごろに存在しているとすると、明らかに時空が歪んでいる。この時点ですでに庵野さんの心象風景に片足を突っ込んでいると理解した。あの村全てが仮想空間とも受け取れる。
・作画もあの村の場面の一部だけ、なんか質感が違いましたよね?
・TV版から存在していた夕闇の電車の中での自分との対話シーン。あれはあの旧型国電の中でやってたのか。あの車両は庵野さんの地元の宇部線で長く走ってた形式。なので単に懐古趣味で旧い電車を出してたのではなく、自分の故郷の、おそらく青春時代によく乗っていた電車の中でずっと自問自答していたわけね。なんというか、本当にエヴァって私小説だ。
・村の人がレイを「そっくりさん」と呼び続けるの、普通に気持ち悪いよ! 初日だけならともかく、その後もずっと。同僚に対してその扱いは酷くないか。レイ視点だから悪意がないように受け取れるけど、実際にはあれは村社会の新人イビリなんじゃないの。エヴァは「誰が誰をどういう名前で呼ぶか」について極めて意識的な作品なので、こういう「気持ち悪さ」も織り込み済みでやってそう。
・レイはやっぱり個体によってかなり人格が違う。にしてもTV版の「ばーさんは用済み」のあの子だけは極端に性格悪かったな。あれは何だったのか。
・ミサトさんは「自分は大人じゃないけど、それでも大人の役をきちんと果たすんだ」と決めた人。TV版と旧劇場版ではそういうちゃんとした大人はミサトと加持ぐらいだったけど、新劇場版ではリツコとヴンダーのクルー達も付いてきてくれていて、そこが良かった。
・にしても生命種の種を満載した船で最終決戦に突っ込むのは、リスク管理としてやばすぎ。そいつらはどっか安全な場所に厳重保管しておくべき。
・ミサトさんが息子とずっと会わないと決めたこと。それってユイやゲンドウと同じ過ちを繰り返してるんじゃないの、と思えて複雑だった。ユイも「自分の選択を息子はわかってくれる」みたいなことを言って死んだけど、息子の側からしたら親に捨てられたと思っただろうし、その葛藤を描いてきたのがまさにエヴァという物語なので。これは「シンジの物語が終わっても全てが解決するわけじゃない。親子の葛藤は次の世代にも続いていく」というメッセージだと受け止めた。
・新劇場版の全体を通して、リツコさんの物語はほぼカットされちゃった。新劇から見た人にとっては、あの人はミサトさんの有能な副官というだけの存在になるのかな。まあ尺もあるし仕方ないか。
・新劇場版での冬月が何をしたかったのか全然わからない。旧劇場版まではユイとの再会だよね? 今回は違うの? あんた何なの?
・ゲンドウとシンジの取っ組み合いのケンカは笑った。庵野さんって、映画の前半で綿密にリアリティーを積み上げておきながら後半で暴走するよね。『シン・ゴジラ』の無人在来線爆弾のときも思ったけど。
・「ユイ、お前はずっとシンジの中にいたのか」って、そんなの当っったり前だろうがー!! そんな凡庸な結論に至るまでに人類を3回も滅亡の淵に追いやるんじゃねえよ。
・庵野さんはエンディングの巨匠だと思っている。「全ての子供達に、おめでとう」と「気持ち悪い」。観た人の記憶に刻み込まれるエンディングを2つも作ったのは神業。
・そして今回のエンディングも後世に語り継がれる素晴らしい出来だと思った。俺は泣きました。
・大人になったシンジ君、イケメンだなあ。声は神木君だしパートナーは素敵な人だし。この話って結局「ただしイケメンに限る」ってやつじゃねーの、という思いもよぎる。
・チョーカーを現実世界でもずっとつけてたのは、思春期の呪縛はそれだけ強いものなんだという意味合いかな。それとも単にマリがチョーカーを外す場面が撮りたかっただけ?
・マリは鶴巻和哉の色が濃いっていう評を見たけど、確かに『フリクリ』から飛び出てきたみたいなキャラ。『フリクリ』も大好きなので嬉しかった。鶴巻さんもありがとう。
・でもこの結末って言ってみれば「夢オチ」だよね。それでも自分も含めて肯定的な感想が多いってことは、要するにたいがいの人は登場人物の人間関係に決着がつくことを何より重視していて、そこに整理がつけば夢オチでも構わないと思ってるってこと…?
・「One Last Kiss」最高。天才の曲。宇多田ヒカルのエヴァ関連の仕事は全て文句のつけようがない。こんな荒唐無稽な物語にかっちりハマりつつ、なおかつ宇多田ヒカルらしさを失わない曲をよくぞ3曲も作ったものだと思う。宇多田ヒカルさんもありがとう。
・で、『Q』で出てきたトウジの制服は何だったの? とかそういうことを考えだすとキリがないので、もう考えない。
劇場で自分の前の席に高校生の集団が座っていて、終わった後で「どうだった?」「わかんねー(笑)」と、まさに自分が高校生で旧劇場版を観た時と同じような会話を繰り広げていた。そのことに何だか感動してしまった。
自分でもおかしいと思うけど、どうしても沈んだ気持ちから浮上できない。
私も絶賛したかった。エヴァが完結したことをみんなと喜びたかったし、満足した気持ちで映画館を出たかった。
けれどあのラストをどう消化したらいいかわからなくて、私が2時間半観たものが何だったのかもわからなくて、映画が終わってしばらく放心してしまった。
シンエヴァを批判する人は、カプ厨だとか大人になれないオタクだとか理解力のないにわかだとか言われてるのを目にした。
そうなのかな?そうなのかもしれないね。
カプ厨ではないし、にわかでもないと思いたいけど、大人になれないオタクではあるかもしれない。
エヴァはこういうものだと言われればそこまでだし、エヴァは庵野のもので庵野の好きに作って当然だと思う。
ただただ悲しい。
そして羨ましい。
シンエヴァを楽しめた人たちが。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
そういうコメントする奴ほんとシンでくれなかな。
お前らがそう思うのは勝手だが、他人の感想だの疑問点を書いてる記事に群がって
「俺はこれでエヴァを終わらせる。お前もそうしろ」みたいな押し付けすんのマジでやめろや。
「私は好きにした。お前らも好きにしろ」ならわかるけど、なんで押し付けるんだ。
それならまだいいけど「僕の中ではエヴァはこうなんだ」ってシンジ君みたいになってるやつ、全然卒業できてねえじゃねえか。
そういうコメントしか書けないならプライベートモードにしてつぶやいとけやこの量産型シンジ。
どうでもいいけどシン・エヴァンゲリオンの中で
今まで、お前がダメだった結果、独身で誰とも会話しない生活なってるのに、それを正当化したうえで、人と会わないと悪影響がとか言ってるの酷い。
お前が全部招いたことだろ。きちんと自分と向き合って、引きこもって自省しろよ。
何にも反省しないから飲みに行くし、結局お前はそのままなんだよ。
エヴァに怒ってる奴、こういうのが多すぎ。
でも、月光蝶だか絶好調だかでなくともエヴァ単体で世界を何度も滅ぼしてるのだった…
ネット徘徊してたらラーゼフォンを思い出した人もいたみたいだし、
破壊と再生の物語だから、繰り返せばいくらでも物語は作れるかもしれないけど、
流石に飽きると思うし…
自分達が生み出した記号をこれからも繰り返し使って作品を作るのか、
そのへんの選択にもよるんだろうなあ
一部の女々しいヤツが庵野くんが裏切った!!!って愚痴垂れ流してるとこに、うるせえお前は分かってねえ!とシンエヴァ見てエクスタシーしてる猿みてえな信者達が殴りかかってる様子以外見かけないんだよな
庵野秀明はただの還暦すぎた爺さんであって中年非モテオタクおじさんのオナホじゃないし、かと言って絶賛以外許さない狂信者共がよかったねえよかったねえと相互オナニーしてるのを見せつけられるのもキッツイのよ
マリは基本的に謎だらけですが、コミック最終巻でユイと同じ研究室であることと、Qで冬月に見せられた写真にマリっぽい人がいることで、「世代としてはユイ・ゲンドウ世代」。また、シンで「式波」がクローンだったことは、「波がつく名前=クローン」を示唆していると思われるため、真希波であるマリもクローン、と考えて良いと思います。
問題は年齢ですが、綾波レイの子供バージョンが存在することを考えると、クローンの年齢は好きにいじれることになるので(仮に0歳から育てなければならないとしたら、ユイが死んだ後に作ったレイがシンジと同じ年にはならないはず)、マリはどこかのタイミングでクローンになった、と考えられます。
エンディングで何故か年を取ったマリですが、ここはもう推測ベースで、エヴァの世界を終わらせたことで止まっていた時間が流れるようになり、14歳か16歳だったマリはそこから年を取った。一方、シンジが送り出したレイやカヲル(アスカも駅のホームにいたらしい?)は人生をやり直して0歳スタートになり年齢の差が付いてしまったのではないでしょうか。レイやカヲルの年齢は遠くにいるので外観だけでははっきりしていないのですが、「線路のホームで別のところにいる」という描写が「シンジとマリとは別の世代で生きている」ということを示しているのかなと思いました。
ループについては、テレビ版では青い海が新劇場版では赤い海になっていることから、ループというより時間だけは過ぎているけれど、インパクトが起きたことで世界がやり直しになっていているのでしょう。地球はそのまま年を取っているけど、人間はその記憶がなくリセットされたので西暦とかも自分たちの記憶で使っていて、実際の西暦ではない、とか。
カヲルは第1使徒、つまりアダムという特殊な使徒なので、世界が変わっても記憶は持ち越せているのだと思います。何度も死んでいるけど記憶だけは持ち越せて、だから死ぬのも恐くない?
冬月先生の行動は推測でしかありませんが、ゲンドウ同様ユイが好きだったことは判明しているので、ゲンドウにつきあってユイに会える人類補完計画を応援してたけどどこかで悪いことしているという自覚があり、最後はゲンドウの味方もしつつ自分の心に従ったのでは。
アスカのシーンも2枚会ったの自分が確認できてなかったのでこれもスキップで。
惣流はテレビ版で死んで、式波は波シリーズでクローン、なんだとおもいます。
アスカは破で使徒化してしまい、中から出てきたのはあれを取り出すことで使徒化できたので、使徒化を抑える存在だと思います。
加持さんはまったく描かれてないので今後のスピンアウトに期待。破の最後に出てきたQ予告が実際には予告じゃなくて、破とQの間の14年間を表現しているようです。司令服のカヲルくんとか、山に登ってるゲンドウと冬月とかいるので。