はてなキーワード: エビリファイとは
病院の人事などに以下の文を送ろうと思っていましたがやめました。
病棟はとても大好きだったので。
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解離症状が出現した原因について
1. 出来事
2. 原因
同僚N山さんとの関係、いわれたことで悩み精神的に不安定となった。
別紙参照。
2月21日 女性二人(H師長、K師長)に病院まで連れられ、採血と頭部MRI撮影実施。精神科医師を名乗る男性(O医師)より問診あり。実家に帰宅したほうが良いとアドバイスあり、実家に帰宅。
3月12日 G病院受診。45分ほど個人で心理士による面接、GHQ検査あり。その後、医師診察開始。生育歴、症状、経時記録などを使用して説明する。ストレスによる解離状態が出現している可能性があり、その状態に蓋をするか上手く付き合っていくかという選択がある。症状の落ち着けや気分のむらについては投薬が効果があると説明受ける。解離に対してはエビリファイ3㎎を内服開始、不眠についてはブロチゾラムを使用して治療すると説明うける。採血(生化、HbA1c、FT4、TSH)あり。
3月17日 3時半頃まで寝付けず。希死念慮あり。コードで二度ほど首をしめることがあったため、次回診療日を待たず、19日受診し頓用でのクエチアピン処方受ける。また、ブロチゾラムはニトラゼパムに変更となる。
4月24日 ニトラゼパムの薬効薄く、ロゼレム追加あり。5,6月も休職し休養すると相談。
5月7日 ニトラゼパムを中止し、エビリファイ、ロゼレムで内服を調整する。解離症状出現していないため徐々に減薬する方向性でよいのではないかと医師よりあり。クエチアピンはほとんど使用していない。
5月21日 抑うつ症状悪化。休養時間増やす。薬の増加はなし。
6月4日 休養優先で生活を確認。7月に関東に戻ること決定。甲状腺ホルモンフォローの採血実施。
4. 症状
身体症状:便秘、腹満感、曖気、嘔気などの腹部症状。下剤、制吐剤の使用、食欲不振、夜間過食、排尿困難、動悸、悪心、過呼吸、振戦、頭重感、頭痛。
睡眠障害:いつか患者を殺すのではないかという考えにとらわれ入眠、休息をとることが難しくなった。勤務後21時頃に就寝しても3時頃まで寝付けない日々が続いた。眠りが浅く。寝ている間も常に身体が浮いているような感覚があった。中途覚醒もあった。
幻聴:夜間帯に流涙することが多くなり、それに伴って患者を殺す、患者を殺すという幻聴がみられた。また、同様の独語があった。
不安症状:N山さんと一緒の勤務帯では自分がインシデントを起こし、人を殺すのではないかという考えで頭が働かなかった。患者の安全・安楽よりも自分が何かするのではないかという考えにとらわれた。
被害妄想:2年目フォローや同期に対して、この人たちに助けを求めたら、この人たちが報復を受けると考えるようになった。また、メンバー全員が私を駄目な看護師であると思っていると考えるようになった。
落ち着かない
気力が出ない
物をなくすことが多くなった。
別紙 具体的原因
N山さんより、ほぼ毎月一回は「患者殺す気?」、「患者が死にます」、「あなた看た次の日に(患者が)具合悪くなってるよね。そのうち(患者を)殺すよ。」、「仕事舐めてるの?」と言われた。
受け持ち患者が検査時に出血を伴う状態となったため、16時20分ごろ帰室したが、酸素投与、モニター装着などしていたため当日リーダーだったN山さんへの送りが30分近くになった。送り必要と考えたため声をかけたが、「いらない。もう時間です。」と言われた。その後、リーダーへの送りはせず、夜勤者に直接送りを行った。30分ほど経ってからNさんよりさっき何かあったのかと聞かれたため報告すると「何言ってるか意味がわからない。そういうのは報告してください」と言われた。
夜勤中、休憩直前緊急入院患者の受け持ちとなった。手術の戻りが前半休憩中に重なりそうだったため、休憩は後半を希望した。病棟が落ち着いていたため、私はリーダーのN山さんと休憩のペアを組むと思っていたが、N山さんは点滴交換量が多いため前半に休憩はいると決めた。他看護師2名(1名はリーダークラス)が緊急手術の戻りがあるため、リーダーは一緒にいた方がいいのではと助言してくれたためNさんと後半休憩に入ることとなった。戻ってきたオペ患者の創部から出血あり。Nさんに報告し、医師にも報告したほうがいいだろうかと確認すると「何言ってるの。意味わかんない。」と言われた。実際に一緒に創部確認しやはり出血が持続していることが分かった。来棟していた医師に報告し創部縫合処置となった。
夜勤リーダーN山さんに送り中、日勤メンバーも残業している中、「日勤メンバーがうるさくてあなたの送りが聞こえない」と私に言い、それを日勤メンバーに注意するのではなく、二人で注射室に移動して送りをするようにと促される。送り中、「は?」「意味わかんない」と連呼される。
勤務交代時に麻薬の指示変更があったため日勤者に申し送りをしているとその指示はもう日勤帯での指示であるため残りの記録を書くことを優先しろと言われた。
夜勤帯に変更になってから1.5時間ほど経過してから日勤帯で受け持っていた患者の点滴が滴下していないため刺し直しをして、と命令された。交代時には点滴は滴下していたし、滴下にむらがあることも申し送りで伝えていたためなぜその時間に私がさし直しをしなくてはいけないのか不明だったが、身体が竦んで反論できなかった。
ナースステーションに本人がいるにもかかわらず、休憩室でその人たちに対してプライドが高い、仕事ができない、みんな嫌いでしょ、といった会話をしようとしており、不信感が出現した。
もともと、夜に目が覚めてしまう断眠の傾向があったので、家の近くの心療内科に通ってたのね。んで、そこでルネスタを貰って寝る前に服用してたのよ。ルネスタ自体の効き目は、まあまあって感じ。
んで、元々仕事の進め方に悩みがあって、指示されたことができない、好きな仕事しかできない、最後までやりとげられない、みたいなことに悩んでて、自分はADHDなんじゃね? って思い始めたのが2年ぐらい前。
で、その心療内科で「ADHDなんじゃないかと思うんですが」と言ったらそこの医者は「ネットに出てる診断とかはテキトーなものだから、あんまりあてにしないほうがいいですよ」とか言ったわけ。
最初は先生の言うことだし、そういうもんだと思い込んだんだけど、どうも自分の悩みをどう解決したらいいかわからんもんで、大人のADHDについて診断してくれるクリニックを妻が見つけてくれた。
で、言ってみたらいろんな質問にあてはまるかあてはまらないかの回答に〇を付けるタイプのテストを何パターンかやった上で、見事あなたはまごうことなきADHDですよ、と診断された。
そこの先生はもう70オーバーのおじいちゃんなんだけど、言ってることの筋は通ってる感じなので信頼できると感じた。
最初に処方されたのはテトラミドだったんだけど、これを飲んだら、次の日の朝がすごく静かだったのを覚えている。
週1ペースで通院して毎度テストを続け、しばらくしてからストラテラを処方された。処方の時に「この薬は長く飲み続けて効果が出る薬だから、忘れないように飲んでくださいね」と言われた。たしかにそうだった。飲み始めた当初は何も変わらなかった。2~3週間ぐらいしてから、朝起きやすくなった。起きた直後の体の軽さが段違い。ストラテラ服用する前は、朝起きるのがとてもしんどくて、体を引きずりながら会社に行っていたのが、今は人並みに歩けている感覚がある。少なくとも引きずっている感覚ではない。
仕事について。仕事ぶりはあまり変わらないように思える。好きな仕事から手を付けがちだし、やらなきゃいけない仕事をほったらかしにしがち。ただ、深く考え込まないようになったと思う。以前は一つの物事に対して色々考え込んでしまい手がつかない、みたいなことがあったんだけど、それは無くなった。あと、いい感じに無責任にもなった。アサイン過多でできなかった仕事について、堂々と出来ませんでした、と言えるようになった。逆に、「これは絶対にやらないと詰められる!」!みたいなのにも嗅覚ができて、そういう仕事はきっちりできるようになった。そうか、これがタスクの優先順位というものか。
というわけで、ストラテラ自体は服用し始めて1年経つ。自立支援も申請した。毎晩寝るときに薬飲むのが面倒だけど、これをやらずにいたら、次の日がすごくぼんやりしたことがあったので、絶対に飲むようにしている。
言い方はかなり乱暴になるが、ニュアンスとしていちばん正しいと思う。
統合失調症は恐ろしい病気だと思った。医療ドキュメンタリーなどでよく見る、狂人(これもかなり乱暴な言い方だけど)が家にいるのは正直厳しい。
テレパシーで会話が聞こえる
BGMが常に頭を回る
私は女王だ
母はこの国を統治する女王なので、ベルサイユ宮殿のような屋敷に住んだことがあるらしい。自らの能力を使い、人を助けないといけないらしい。
だから、昨日母は手負いの青年を抱き締め、身を呈して守ったが、もちろんそんな人物は存在しない。一時間半、見えない敵と戦って、力及ばず死なせてしまったと泣く。久しぶりに帰省した娘の言葉は一切聞かず、脳内に語りかけてくる謎の人物ABCDとばかり話をする。よその家のチャイムを押しに行こうとし、暴漢がいると警察に通報する。
内科外科的な症状がないと救急車は使用できず、平日ではなかったこともあって最寄りの精神科は頼れない。ただ、メンタルヘルス系の相談ダイヤルに掛けたら、入院可能な病院を探してもらえた。タクシーで一時間はかかる、山の上の病院だった。
ふっとスイッチが切れたように大人しくなった母を、タクシーで病院へ連れていく。もちろん母は自分が入院するなんて思っていないから、ただ夜遅くまで開いている病院という認識で、楽観的だった。車内の会話はほぼない。
周囲にコンビニもないような山奥で、20時くらいから診察が始まる。自分に何が起こっているのか、医師にひとつひとつ説明していく。周りに勧められて心療内科を受診していること。エビリファイという薬を気休めに飲んで、調子がいい気がするということ。母と唯一同居している兄がとっていた、支離滅裂な言動のメモが決め手だった。医師の表情はどんどん貼り付いたような表情になっていき、屈強そうな師長は慣れた様子でうんうんと話を聞く。
「あなたはね、もうおかしくなっちゃってます。もうね、これは病気です。心配してご兄弟が集まって、相談して、あなたを入院させるために今日ここに来たんです。あなたは帰れません。帰せません、入院です」
緊急措置入院だった。
女王は激昂し、同意書を破り捨てる。こんなのはおかしい、私は正常だ、だから帰る、喚いて逃げようとしてもそれは叶わない。師長は手慣れた様子で女王を取り押さえ、兄もそれを手伝った。医師が義務的に早口で書類の文言を読み上げる。診察室のある棟を抜け、施錠された扉をいくつか越え、保護室へと向かった。
「こんなのおかしい! 拐われる、信用できない、許さない、離して!」
とにかく大声で叫ぶ。ここが山奥で本当によかったと思った。
「味方が必ず助けに来てくれる! お兄様助けて、お父様助けて、助けに来て!!」
入院患者が驚いた様子で見守っていた。ずるずると引きずられるように歩みを進める女王の抵抗は凄まじかった。足を踏み、腕を払おうともがく。ギロチンに向かう女王の姿としては、あまりに無様なものだなと思った。ショッキングな光景ではあったが、正直胸が軽くなった。もう、無理な仕事のスケジュールで帰省することもなくなる。電話でノイローゼになりそうな話を聞くこともなくなる。ご近所の方に怪訝な目で見られることもなくなる。これからきっとよくなる。
母は女王かもしれないが、私は王女ではない。もちろん、臣民にもなれない。入院に関する説明を上の空で聞いて、求められるまま書類に電話番号を書いて、女王には会わず病院を出た。意外とあっけないものだなと思った。
昔、役所務めの親戚から勧められた見合い相手が、役所の税務をやっていた。
今もやってるかもしらん。いや、都会は知らんが役所の公務員は担当が一定期間で変わるはず。それだけじゃない。見合いを勧めた親戚は役所で福祉に強い人だったと聞いている。見合い相手が軽く相談の体で親戚にぽろりとして、いつの間にかに近所に、生活圏に把握されかねない。これは妄想か?田舎なんだ。ありえなくないのだと思う
医師の提案を渋って、詳しく知りたいと言ったら人に説明させようと言う。説明はありがたいものの、看護師や受付で「あなたは障害支援を受ける人に該当している」ほか説明と、受付で待合室にいる全員に聞こえるように言われた。看護師にも受付の人物にも、軽蔑が目に浮かんでいた。
障害支援を受けたら、自分は病院には太い客…いや羽を切られたカモになる。二年も病院を変えられないようだ。
高い検査も気兼ねなく、患者にいろいろさせられるからというのもあるのか。いや、じっくりと治療に当たるために支援を受けたほうが経済的に助かるから素早く勧められただけなんだろう。
妄想的な考えを否定したいが、ああもはっきりひどい扱いや軽蔑を看護師や受付に露にされるともう来るなといわれたようでつらい。
時々、手の震えや眼球上転(眼球が上を向く、調べるの推奨したいが閲覧注意)が出る
十年くらい前からの友人で同い年の健常者。
本題です
「アヘ顔」と言ってきたのだ
しかも、それだけではない
別の日にまたデート中、二人きりのときに眼球上転が出てきた時に
私の眼球上転は 薬(当時飲んでたエビリファイ)の副作用らしく 疲れている時に出てくるようで
眼球上転なってる間はかなり苦しいというかキツいです
エビリファイから2回ほど薬を変えましたが治らないので 現状なったら
「整形女」
高校卒業後歯科矯正して歯並び良くして 一気に15キロ程痩せたしそう思われても仕方ないよね…と凹みました
LINEで彼氏に「なんでアヘ顔とか整形女って言ったの?」と聴いてみたら
「整形女っていったのは顔が今と違ってたから
整形女〜というのはまあ痩せたり矯正とか化粧で変わるだろうと思いましたが
アヘ顔について
あらかじめ障害や病気の事をカミングアウトしてるのにありえない
友人どころか知人レベルでも即縁切るレベルで酷いです ドン引きです
その後LINEは返信していません
涙が止まりません 眠れなくなり もう消え去りたい気持ちになって
薬の量が増えましたが未だに眠れません
正直な話今すぐ別れたいですが報復が怖いです
今までの行い(特に 勝手に女3人と泊まりで旅行したことを自慢、精神病んでる私に死んでという歌詞がある歌を私に向かって歌う、同棲してなくて体調良くないのに部屋の掃除をさせる など)が募りに募った結果です
私は 今後誰とも付き合いたくないし結婚もしたくない
それだけです
これから書く記事は、以前ここに似たようなものを書いたことがある。だから本当は違反行為に近いのかもしれないけれど、前の記事が妄想だと受け取られてしまって、どうしても納得できなかったからもう一回書かせてもらうことにした。妄想だと思われたのはおれに非があって、たぶん時系列の錯綜した書き方が無用な混乱を与えることになったのだと思う。だから今回は単調かもしれないけれど、時系列の古いものから、つまり過去から順番に並べるやり方で行くことにする。ようするに自分語りなわけだけど、タイトルにあるようにとにかくおれが馬鹿なので、「おれの人生はこいつに比べたらだいぶマシだな」と思ってもらえる効果はあるかもしれない。
話は13年前にさかのぼる。おれは入試方式多すぎるやろ!とツッコミを入れたくなる関西の某マンモス大学に意気揚々と入学するも、出だしからいきなりつまずいてしまう。クラスで友人が1人もできず、桜が舞うころに開かれたコンパでは、桜の下でぼっち飯するおれは教育係の先輩から情けで声をかけられるありさまだった。
自然、人恋しさからおれの足はクラスから離れサークル活動に向かうことになった。そのサークルの同じくコンパで、スパゲティ屋で食事をしているとき、「どこ出身ですか?」と声をかけてくれる男がいた。それが1年前あまり行動を共にすることになるXだった。Xとはしょっちゅうカラオケに行ってガンダムの曲を一緒に唱うなどしたいたのだが、当時おれはカラオケで98とか出るのをいいことに(そんなやつはゴロゴロいるのに)、プロの歌手になれるんじゃないかと勘違いして、レコード会社にデモテープを送ったりした。しかもその曲が倉木麻衣のSecret of my heartときていたのがもう・・・・・・。当時、おれは自分が中性的で女性的な魅力があると勘違いしピンクの服を着るなどし「3次元のクラピカ」を自称していたのだった。そんなうぬぼれたふわふわした気持ちもあり、授業からはどんどん足が遠のいていく。1年時の前半にとった単位は4くらいだったと思う。秋になるとサークルもやめ、もっぱらXとつるむようになる。毎晩のように親からの仕送りのお金をレストランでの食事につぎこみ、Xが行きそびっているときはおれがXの食事代も出すようになっていった。そのうちXは交換条件のように、「食費を出してくれるなら(レストランに)行ってもいいよ」と言ってくるようになった。でもおれはじゃぶじゃぶ出した。1人自分の部屋で食べるということが考えられなくなっていたのだ。結局のところ、Xとの関係はおれにとって、1人暮らしのさびしさや心細さを埋めるものでしかなかったのだと思う。1年たった頃には1人暮らしにも慣れてきたのか、それまでスルーしていたXの1人よがりなあつかましさが目に余るようになっていた。「おまえには社会経験がないからバイトが必要だ」とか、「おまえは友達が少ない。友達もできないやつに彼女ができるはずがない」とか、そんな自分の意見を一方的に押しつけて反論をさせない態度を受け流すことができなくなったおれは、ある日意を決してメールを送る。これまで一緒にいてくれたことに対する感謝を述べたうえで、しかし性格の根本のところで合わないところがあり、それはどうしようもないからもう関係を終息させたいと。すると笑いながらの電話がかかってきて、「彼女に言ったらありえんって言っとったよ。恋人が別れるときに」するような行為やって」と鼻で笑われ、おれたちの関係は終わった。
さんざんな顚末とはいえ、1歩引いて見るなら人生はまだまだこれから、おれに必要なのは地歩を固めるための1歩を踏み出すこと、つまり授業に出ることだった。しかしおれの人生はここから急速に転がり落ちていくことになる。
授業に出ようとするものの、1時間半受け身の状態で座りつづけるのが耐えられず、教室を途中退出して図書館に行くことが増え、そのうちもっぱら図書館に籠もるようになった。そして図書館のPCルームでネットに耽溺するようになるのもあっという間だった。友人のいない1人暮らしのさびしさを埋めるためではなかったと思うけれど、おれはネットにほのぼのとした暖かいものを求めていた。もっといえば居場所を求めていた。そのことがあって、あるいは元々のどうしようもない性質のせいかもしれないけれど、おれはちょっとした冷やかしやスルーに対してキレて粘着するようになった。糞コテと呼ばれるまでそう時間はかからなかった。活動していたのは2ちゃんと某有名大学の掲示板で、ある日そんなおれの傍若無人がブーメランになって返ってくる。ある日、おれの使っていた数々のコテを1つにまとめた上におれの本名を記したレスを2ちゃんに書き込まれてしまった。本名で検索するとすぐにそのレスが出てくるようになり、おれは事の重大さを悟った。特定された理由は、おれが調子にのって掲示板のEメールのリンク先に本名を書いたからだけど、それをコテの数々と一緒にして晒されるなんて思いもしなかった。
そんな惨状にあってもおれは能天気なところがあって、ネットからは遠ざかりつつあったものの相変わらず授業には出ずにぶらぶらする生活を続けていた。いまだに自分を「3次元のクラピカ」だと思いつづけていて、そんなキャラクター気分でいるからか、最後は自分の思うようになるみたいな根拠のない楽観的気分でふわふわしていて、青春の倦怠を気取って、19世紀の文学作品をかじったりひとカラに行きまくってソファーに寝そべりながらアニソンに浸ったりしていた。食事はさすがに1人買ったものを部屋で食べたり学食を利用したりして落ち着いていたものの、食材を買いに行く店の人に「おひさしぶりですね」と笑顔で言われてこのお姉さんおれに気があるのかなと勘違いしたり、ナンパブログを真に受けてふるえる声で街を歩くお姉さんに声をかけてガン無視されたり、アニメキャラみたいなスタイルのお姉さんの後ろをつけつづけて感づかれて、店の男に告げ口されて男ににらまれたりと奇行が出始めていた。努力むなしくもちろん成果はゼロ、友人もゼロの極寒生活のなかだれつづけ、単位10程度のまま4年生、留年が100%決定していた。親に説得され、なんとか授業に出ようとするも、今度はマイクの音がうるさくて耳が痛いという症状に悩まされる(あれだけカラオケ行ってたのに)。どうしても苦しいなら耳栓するなりすればいいのにみみせんのみも思いつかず、といって親に相談することもなくずるずると授業から逃げつづけ、気がつけば5年生になっていた。5年生のしばらくたった夏ころ、もう単位をとれる見込みはないと親に電話し、退学させてほしい旨を伝えた。そのときも親からも1言も耳栓案が出なかったのは不思議だが、いまさらそんなことを言ったって仕方がない。
退学して田舎の実家に帰ったおれは、今度は公務員学校に行き始める。でも相変わらず奇行はおさまらない。電車のなかで見かけたセクシーな女子大生をガン見しまくり、友達と一緒に笑われていた。大学中退なのに、ほとんど大学卒業者が受験する地方上級を目指したものの、ここでも根気がつづかず授業に出なくなり、電車に乗って百貨店でケーキを食べて帰ってきたり大型書店で延々と立ち読みして帰ってきたり、もう何をしに行っているのかわからなくなっていった。
公務員学校をやめひまをもてあますようになったおれはまた馬鹿をやらかす。リアル顔をうpして知恵袋で評価を聞くという暴挙に出た。しょうゆ吹きそうな顔だったから予感はしてたけど、超ブサイクって返ってきたときはおれのなかでクラピカが音をたてて崩壊していくのが聞こえた気がした。
実家2年目くらいからは聴覚過敏がひどくなり半狂乱になってきて、家の前を車が走るたびに「うるせーっ!」とか「コラぁ!」とか怒鳴るときもあるようになっていた。対人的にも過敏になっていて、母と折り合いの悪い父方の祖父が母に陰険な感じに当たったりすると、祖父がいなくなった後にわめき散らしたりしていた。
3年目のある日堪忍袋の緒が切れたようになって、実家を飛び出すようにして大阪で1人暮らしをはじめた。頭が常に高揚しているような状態で大学の掲示板に演説調の文章をかきなぐり、もはやネット上でも誰ともまともなコミュニケーションをとっていなかった。1人暮らしをしたらすぐアルバイトをするという父母との約束もやぶり本屋で立ち読みをしまくっていた(図書館のとも思いつかず)。それでも勇気を振り絞って、わざわざ女性募集と書いてあるところに申し込んだら、面接中にひじをついてキレられた。
ある日スマホを書店に忘れて2日後に戻ってきたのだけど、なくしている間に何かをされたらしく、なにも押していないのに勝手に意図しない操作をされるようになっていて、そんなのすぐにスマホを破棄するの1択なのにずるずると使いつづけて、結局それから2年くらい使っていた。
そのストレスがあったのかどうか、また実家に戻ってすぐに興奮がおさまらなくなり、精神科に行くと発達障害と言われてエビリファイという薬を出された。
いまはそれを最低量のみながらアルバイトに行っているけれど、アルバイト先に1日数回、2回のコールで切れるいたずら電話がかかってくる。アルバイトに行くまでは実家にかかってきていて、まず同じやつ(ら)の仕業だと思う。悔しいけれど、ネットで暴れていた自分の自業自得でもある。いまだ友人はいない。もちろん彼女もいない。でも1日1日生きていくしかない。
どうやら飲み忘れたらしい。
うまく形容できないが、姿勢を急に変えた時に、頭がふらりと置いていかれる感覚。
それに伴う目眩。
歩くと足の裏にバネが付いているかのように、ふわふわしてぎこちない。
よくは知らないそれらの薬が、うまいこと作用して、私を社会人としてなんとか生かしている。
そういうことなのだろうか。
私は生かされているのだろうか。
会社や会社に属する自身の行く末を案じたり、ふと実家の建て替えにかかる費用を検索してみたり、きちんと定年まで勤め上げる前提で生涯設計を立ててみたり。
最近こころの調子が良くて忘れかけていたが、それらは全て薬のおかげなのかもしれない。
そんな状態が、もう何年も続いている。
とりあえず、今夜の分を飲む。
エビリファイの後味がひどく残る。
ほどなく心地よい倦怠感がやってくる。
きっと今夜もよく眠れる。
ああ、私は生かされている。
おやすみ。
飲んでいる薬はエビリファイとワイパックス、それに吐き気止めでプリンペランを出してもらってます。
エビリファイ、調べてみたら抗精神病薬でしたが、それが原因なんでしょうか。ワイパックスは抗不安薬でした。
昔から体格がいいわりに(がっしり体形)体力がありません。それに薬の作用が加わって疲れやすくなっているのかもしれません。
甲状腺疾患は母が罹患しているので、調べてみたのですが異常なしでした。
とりあえず内科で検査した血液検査の結果が来週出るのでそれまではなんとも言えないかなとおもっています。
昨年、体調不良で撃沈してしまったのでそれを避けるべくいろいろ手立てを打っている最中ですが、なかなかうまくいってません…汗
患者本人なんだよね?
なら、ふつーに「レストレスレッグス症候群」とも言うの知ってるでしょ
不眠に関するガイドラインなどを見ていると、よくこの病気が隠れてないかなんていって出てくるんよね
あとアカシジアとの鑑別がどーのこーのとか
アカシジアにもレストレスレッグス症候群にもなったことないからどれくらいツライものなのか想像できないんだけど、エビリファイ(アリピプラゾール)で酷いアカシジアが出た人は「気が狂いそうだった」なんてよく言ってるから、そうとうキツイんだろうね