はてなキーワード: イーガンとは
正確に文章が読めない人の話。 | Books&Apps
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ピーター・ドラッカーは、世の中には「聞く人」と「読む人」がいると述べた。
イーガンの長編『ディアスポラ』で、作中のポリス人(デジタル人類)は「リニア」と「ゲシュタルト」という2種類のコミュニケーション手段を持っており、
「リニア」の方は聴覚由来の音声言語的コミュニケーション、「ゲシュタルト」の方は視覚由来の映像的な即時コミュニケーションだ。
「リニア」と「ゲシュタルト」は序盤の世界観作りで出てきた後は話の本筋には関わってこない。
さて、生身の人間は、「リニア」については十全に応答できる。音を聞き、言葉を聴き、声に出して返事をする。
「ゲシュタルト」の方は、目で見ることはできるが見たものを出力するのは難しい。脳内で過去の光景や想像上の場面を思い浮かべることはできる。
しかしその場で出力できることといえば、表情や身振り手振りでの表現にとどまる。時間をかけて絵を描いたり立体作品にすることは可能であるが。
ポリス人は制約なく、考えている図像を出力してやりとりができる。百聞は一見に如かず。
ところで、文字情報は「リニア」と「ゲシュタルト」のどちらに分類されるだろうか。読み上げられれば「リニア」だが、メールの連絡では?
視覚から入力され、音声のような時間経過を伴いながら読解されていく複合的な情報。
眼は外部に露出した脳と言われるように、視覚は人間の感覚の中でもっとも帯域が広い。
そのブロードバンドを占有して、ちょろちょろと文字情報が入ってくる感覚に馴染めない人がいて、
逆に文字のように後に戻ってプレイバックできない音声情報のリアルタイム処理が苦手な人もいるのではないか。
なんていうことを、今むりやり考えてみたが増田には定見があるわけではない。
「リニア」と「ゲシュタルト」っていう分類はいいなあ、と思いながら本を読んでいた記憶が、「聞く人」と「読む人」で蘇ったので書いた。
Amazon Prime Videoのおすすめが定期的に話題になるが、見ようと思ったらプライム対象外になってた…ってことが割とある。ならAmazonオリジナルなら消えないのでは?と思いオリジナル作品からいくつか感想など書いてみた。そんなに見てないので大したリストにならなかった。アマプラ入ってる人は大抵見てるだろう。今から入るって人にはちょっと参考になる…か?
どれ見たか思い出すためにWikipediaの「Amazonが配信するオリジナル番組のリスト」を見てわかったが、Amazonオリジナルと表記されていても「買い取り」作品の場合は配信が終了することかある。現に評判の良かった「Mr.ロボット」はアマゾンでの配信は終了してしまっている。「リーガルバディーズ フランクリン&バッシュ」も一度配信終了リストに載った(現在配信中)。
アメドラ見てる人ならどこかで見たことがある、色んなドラマに(主に)悪役ゲストで出てるタイタス・ウェリバーが主演の刑事もの。顔つきからダーティコップものかな?と思わせて割と真っ当な刑事っぷり。人気が出てS7まで製作され、現在スピンオフの「ボッシュ: 受け継がれるもの」S1配信中。
個人的にはS1はいまいちだがS2からはめちゃくちゃ面白かった。脇のデカ箱+ビア樽コンビが最高。
ちなみにスピンオフは「買い取り」作品なのでいつか見られなくなるかもしれない。
syfyチャンネルでS3まで製作され打ち切られたがベゾスが大ファンだったためにAmazonで拾われたハードSFドラマ。
S1序盤は地味だがどんどん盛り上がっていく。S4からはまた地味になるが。宇宙船や戦闘の描写がいいんですよ。ちゃんと宇宙船に穴が空くし。
サイコサスペンス…サイコスリラーかな?S1はジュリア・ロバーツ主演、S2で完結。一回30分なので見やすい。S1では過去のアメリカの復員兵の復帰支援施設での出来事と、そこで働いていたケースワーカーのハイディの現在が交互に描かれる。とにかくS1の不穏な空気感が良い。演出が素晴らしい。Wikipediaにはズバッとネタバレが書かれているのでネタバレ嫌い組は見てはいけません。
話題になったので知っている人も多いであろう、ブラックな笑いのヒーロー物。かなりグロ。エロもある。話は面白い。ホームランダーが取り繕っていたものがどんどん剥がれていく。
ニューヨークのオーケストラにいたオーボエ奏者による回顧録を原案とし、南米から来た天才指揮者ロドリゴ(デュダメルがモデル)と新人オーボエ奏者ヘイリーをメインにオーケストラをめぐる人間模様や楽団の現実問題等を描く。
自分の中のイマジナリーモーツァルトに話しかけてるロドリゴ、楽団に入りたいヘイリー、ヘイリーのルームメイトのリジー、予算確保に走り回る総裁グロリア、ちょいちょい口を出したがる名誉指揮者トーマスなど脇の人々もみんなチャーミングで良い。S3のシベリウス5番のシーンが美しい。
S4は日本が舞台になるが、変なロボと変なクラオタが出てくる。あんなチンピラみたいなクラオタおらんやろ…面白いからいいが。
画集からインスパイアされたというSFドラマだけど、装置や研究の謎は特に明かされたりしないのでSFっぽい雰囲気のドラマ、って感じ。北欧の田舎の薄暗い空気と佇むなぞのロボ、って絵はたっぷり味わえる。そういうの好きな人におすすめ。
最近公開されたクリス・プラット主演のお父さん復讐もの。クリス・プラット、今回はシリアス演技。アクションは金かかってて見ごたえはある。
これ書いてる今現在3話まで見た。配役の人種がどーたらこーたらと色々物議醸してて、検索してもストーリーの感想までなかなかたどり着かん。個人的には人種は気にならないけど、ヌメノールでのガラドリエルが若者ムーブ過ぎてちょっと気になる。ガラドリエルでも若い頃はあんなもんなんだろうか。
新聞の読者投稿欄の恋愛物語を一話完結でドラマ化。S1はいい感じにオチもある物語が多くてほっこりします。
死後に脳内の記憶をバーチャル空間にアップロードして金がある限り永遠に生きられる世界のコメディ。金が無い人はアップロードしても容量の問題で一日に数分しか活動できなかったりという世知辛さ。主人公がアップロードされた経緯に不審な点があり…とサスペンス展開に。
イーガンで似たような設定あったなと思い出す。
オカルト事件を解决していくコメディ。面白かったけどS1で終わってしまった。
ハルマゲドンを阻止しようとする天使と悪魔、人間のオカルトコメディ。悪魔たちは悪魔の子を人間の子とすり替えるが、うっかり間違ってすっかりいい子に育ってしまうのであった。地獄の番犬もかわいいわんこに。
その他、マーベラス・ミセス・メイゼル、スニーキー・ピート、子供向けだとまほうのレシピ、ゴーティマー・ギボンが評判いいみたいです。そのうち見る。
元英軍兵士で今はホテルのナイト・マネジャーであるパインがかつて殺された恋人の復讐をすべく、武器商人ローパーの組織に潜入。ドキドキスパイもの。
トム・ヒドルストンとエリザベス・デビッキが美しい。ちなみにタイトルはナイトマネジャーだけどマネジャーやってるの序盤だけだった。
スター・トレックの続編ドラマ。親友データを失い、失意のうちに実家のぶどう畑でワインを作っていたピカードのもとに一人の女性が助けを求めて現れる。
スター・トレック全然見てないんだけど、冒頭の掴みが好みすぎて見てしまった。面白かった。
本国アメリカではパラマウントの配信サービスにて配信中なので、最終シーズンはアマゾンでの配信がないかもしれない。悲しい。
二人の破天荒弁護士のドタバタコメディ。よくありがちな深刻な展開がなく気楽に見られる。嫌味な同僚や弁護士の父親との確執もあるにはあるが、全員アホなので全然深刻にはならない。「シリコンバレー」のディネシュ役の人が広場恐怖症の弁護士役で出てくるが、ほぼディネシュ。
あとグッドオーメンズと原作者一緒ということでアメリカン・ゴッズはS1だけ見た。かなり暗かった。
ハンズオブゴッドは1話でやめてしまった。つまらんとか面白いとか言えるほど見てないが、単に1話目の殺人シーンとかが辛くて。
『天冥の標』が好きならこれもどうでしょう
気候変動後の地球を舞台に、陸上民と、遺伝子改造された海上民との確執などを描くシリーズ。
それから短編がいくつかあるけれど、短編は同じ世界を舞台にしたスピンオフ作品なので、どれから読んでも大丈夫。
長編の方を読んで気に入ったなら、短編の方にも手を出す感じになるかと思います。
表題作の1篇が、オーシャンクロニクル・シリーズ。ほかの収録作は、ややホラー・怪奇系の作品が多い
表題作の1篇が、オーシャンクロニクル・シリーズ。ほかの収録作も、ハードSFとまでは言わんかもしれないけど、しっかり目のSF
アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を挙げていたけれど、日本SFでアンディ・ウィアーに近いのは藤井太洋とかなのではないかなあ、と
実は自分も藤崎作品をあまり多く読んでいないので、これ! というのを出せないのだけれど、現実の科学に近い感じのSFという意味で
2010年以降にデビューしているSF作家による書き下ろし宇宙SFアンソロジー
アンソロジーなので、収録作の方向はそれぞれ違っていて、増田の好みではない作品もあるかなと思うのだけれど、
宇宙SFが好きなのであれば、全般的にクオリティの高い作品がそろっているアンソロジーだと思います。
既に多数推薦の声が挙がっているけれど、改めて。
イーガンは、初期は「アイデンティティ」ものと言われたりする、自己同一性とか意識とかがテーマになっているような作品が多く、この時期の作品の人気が高い。また、読みやすいので、とりあえず初期短編集からという薦め方がされやすい。
ある時期から、物理学分かってないと分からんみたいな、かなりハードめなSF長編を書くようになっている。でも、分からんなりに楽しめたりするし、ハードSF・宇宙SFが好きなら、最近の作品から読んでいくのも悪くないのかもと思う。
また、わりと一貫して、科学的探求に価値を置く主人公が出てくる作品が多い気がする。
長編。宇宙ものとアイデンティティものの両方をもった作品。データ化された人類が宇宙進出していく話
超ハードSF長編。そもそも主人公が地球人類じゃない。とある天体の知的生命体が作りあげていく物理学をみていく作品
我々の宇宙とは異なる物理法則が支配する宇宙が舞台。なので、当然登場人物たちはみな地球人類ではない。
自分たちの住んでいる星に危機が訪れることがわかったので、それを回避するために世代間宇宙船を作って飛ばして、また戻ってくるという話
これまた、地球人ではない彼らの物理学の進歩を見ていく話だけれど、一方で、ジェンダーSFにもなっていて、地球人とは全然異なる生態の彼らの社会問題を扱った作品でもある。
イーガンは、この作品に限らず、結構社会派なテーマも扱っている。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んだみたいなので、わざわざ改めて挙げる必要はないのだけど、『火星の人』『アルテミス』も面白いと思う。
『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』『ブルー・マーズ』の三部作
2026年から2225年までの200年間にわたる火星植民の歴史を描く物語。
なお、90年代に書かれた作品なのだけど、当時あった火星探査計画をベースにしていると思われるところがあったり、かなりリアリティを追及している作品
登場人物たちにクセが強いので、最初読み始めた時はそれに慣れるまできついかもしれない。
長編『へびつかい座ホットライン』、短編集『汝、コンピュータの夢』『さようなら、ロビンソン・クルーソー』
ハードSFというわけでは必ずしもないのかもしれないけれど、太陽系の各惑星に人類が拡がった世界を舞台にした諸作品
性転換などの身体改造が自在にできるようになっている世界で、そうしたことをテーマにした作品が多いが、
とにかく色々な惑星などを舞台にしていて、それらの風景が印象に残る
SFでクローンに人格・記憶を転送して延命する技術ってわりとあるよな。例えば
・映画で言うと:シュワルツェネッガーのシックス・デイ
・漫画でいうと:からくりサーカス(転送とかいてダウンロードだっけ?)、銃夢、アンパンマン
で、そういうので転送元の旧ボディ・人格を円満に(?)処分している描写って無くない?
結局、旧ボディ側の視点では死の恐怖を免れてないよなぁと思ってしまう。(アンパンマンを挙げたのはそんなWeb漫画を観たから)
この問題に焦点を当てたり、うまいこと解決してる作品があったら観てみたい。
それと、現実に記憶の転送が可能になったとして、最初にその恩恵を受けであろう権力者は古いボディをどうするんだろう?
やっぱバックアップのために取っておくのかな。何かの事故で目覚めちゃったら悲劇だよな。(まんま、からくりサーカスであった展開だけど)
ユヴァル・ノア・ハラリのホモ・デウスに「右脳と左脳とは別人格を持ってるけど、脳梁で繋がって何とか一つになってる」的なこと書いてあった気がする。
そのノリで新・旧ボディを同期させた状態で、自分の意思で旧ボディ側をシャットダウンできたら一番恐怖を味わなくて済むなぁとという無駄な願望を抱いてしまう。
##追記
これってよく考えると当たり前だ。
円満に済んだらお話のギミックにならないのでさらっと流されるか、何も言及されない。
ドラえもんのどこでもドアとか、スタートレックの転送とシステムとか。
(スタートレックでは事故でライカー副長が二人になってた気もするけど)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718247167480028386/comment/zkq
今更三体問題の1巻目読み終えた。
ネタバレになるけど、今どき珍しい侵略を目的とした宇宙人でようはガミラス星人なんだけど、この手のだとありがちな地球人類が一致団結して地球的脅威に立ち向かう…なんてことにならずに、
自分たちで問題解決無理だから宇宙人に怒られろ!とか(文字通りに)地球死ね!と色々あって破滅願望を持った人間たちと侵略したい宇宙人がマッチングして
地球の内部撹乱をするという展開が現代的と言うか、進んだ科学力持ってる割にやることが案外みみっちいというかそんな印象受けて、
序盤の物理学が揺らぐとかのワクワクの割にはションボリしてしまった。
恐らくメインの読み方であろう政治的には、文革から話が始まってたり、主人公の一人の人類を巻き込む重大な決断の理由の一つにそれがあったりでよく中国で出せたなあと。
余談だけど中国語名ってどうにも覚えられなくてイーガンの宇宙消失でもさっぱりその登場人物抜け落ちてしまった自分的に、しおりに登場人物表書いてくれたハヤカワナイスと思った。
日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。
どの作品を入れるべきか迷った。古典の翻案に見られる知性とユーモア、晩年の作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に「歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活の不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。
「河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界の架空の言語に魅せられたのか、その理由はわからない。
アンデルセンの小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。
で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。
ところで、ディズニーの作品の価値を貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫」だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニーは普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)
「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンがニュートンとアインシュタインの物理学を自力で発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者とエンジニア最高、政治家と宗教家と文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。
そうしたえぐみが比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。
友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代に適応できない英国の執事の物語である。
彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものだから、登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。
カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。
彼の作品は不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい。
作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき、人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯に思考した書物である。
ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。
僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程を子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。
そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物の意識から別の人物の意識へと、外界の描写や連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本の映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分の意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。
「灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。
さえない少年が万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれてしまう。これは主人公が異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式でチートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白い小説なのに、その小説が現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨の台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。
ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆のメッセージのストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人と商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。
基本的に自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉や文字で物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。
元々SFの人だけれども、最近は日本の古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。
どうしてこれほどあなたを信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやかな奇跡であなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。
以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。
ただただ弱くて情けない人物が遠藤周作の作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。
「男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である「女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。
世界の文学をパロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語の関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマが物語レベルとメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。
知的障害者のチャーリー・ゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者とセックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。
チャーリーは女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。
天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか。
素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点が距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。
子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類の運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。
人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙で意味があるのか。
人類の運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。
狐の人、すでにツイートは元ツイ主の誤読でイーガンが自分勝手に「君の名は。は自分の作品と似てる」と主張してるわけではないという指摘がいくつも出て、元ツイ主も「イーガン、日本を知らないのでは?」と嫌味言ったことを「恥ずかしい」と反省ツイートまでしてる中で、今頃ブクマして
って嘘に乗っかってコメントしてる…
https://twitter.com/Dain_sugohon/status/1332682515421663233
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Dain_sugohon/status/1332682515421663233
https://twitter.com/gregeganSF/status/1332663127356309504
グレッグ・イーガンのリプ欄のフォロワーとのやり取りがほんわかしてるな
「レインは見た?」
「『ハローワールド』も見て!脚本家がイーガンの『順列都市』を参考にしたって言ってるんだ
そっちじゃ配信されてないけど」
SF小説家のグレッグ・イーガンがTwitterで「アニメ映画の『君の名は。』見たよ!(俺の短編『貸金庫』からインスピレーション受けたんだって。プロットは全然違うけど)まあ全体的に良かったよ、特に映像」と新海誠の「君の名は。」を褒めた。
「Just watched the anime “Your Name” (which was apparently inspired to some degree by my short story “The Safe-Deposit Box” (!) though the plot is entirely different https://en.wikipedia.org/wiki/Your_Name#Production]).
It was a bit saccharine in parts, but overall pretty good, and visually ravishing.」 / Twitter
そしたら前半のカッコ内の部分が注目され、「イーガンは『君の名は。』のストーリーの起源を主張してる」みたいに読解する人が表れた。
5chを見ると、「全然違っやろ」「入れ替わりなんて他にもある」「『転校生』を知らんのか」みたいなレスが垣間見えた。
いや、お前ら何言ってんの?
イーガンのツイートに「君の名は。」がインスピ受けたって話のソースとしてWikipediaのリンクが貼られてるじゃん
えっ?「イーガンはWikipediaをソースにする情弱なのかw」だって?
いやWikipediaの「Your Name」の項目読めば、イーガンの「貸金庫」にインスピ受けたって文章は、「君の名は。」公式ガイドブックの48ページに書かれている内容をソースにしたものだって出てるじゃん
何も誰かが勝手に「これはイーガンの短編と似てる!」と思って書き足したものではないんだよ
新海誠本人がイーガンのそのツイートに肯定の引用RTをしたから、ソースを確かめるまでもなく誤解して文句言う奴がバカって形になった。やったぜ!
新海誠は、Twitterで反応する前から『君の名は。』でイーガンの『貸金庫』を参考にしたって表明しているんだが。公式ガイドブックは2016年出版だ。ここで「イーガンの「貸金庫」参考にしたよ」って答えてるんだよ。
「友人がイーガンになった」誰か書いて
「美味しさ」は絶対善では無い。つまり、「美味しさ」も光量や音量と同じで、料理は美味しければ美味しい程良いというものではないのだ。
ということを他人に何回話しても、なかなか理解してもらえない。
多くの場合、「美味しくないより、美味しい方がいいでしょ」と返されてしまうのだが、その美味しさが自分が想定する以上に存在するのはラッキーでも何でもなく、単に邪魔だと言いたいのだ。
例えば、天才数学者がアイデアを思い浮かべながら定食屋に入ったとする。提供された料理が彼の思う美味しさをはるかに越えていて、その味に意識を奪われアイデアを忘れてしまった場合を考えてほしい。
調理者はそのはるかなる美味しさに自信を持って、評価を笑顔で期待するだろうが、客である数学者に怒りの眼差しを向けられるのは当然だろう。
言いたいのはそういうことであり、必要以上の「美味しさ」を与えられることは私の意識を奪うという点で、暴力さえに値するような事項なのだ。
つまり、食事においてはハプニングを期待していない。食事には何かを思うことで、思考のリソースを割きたくないのだ。だから、逆に「美味しさ」に関する評価を求めてくるのも辞めてほしい。
その点では、「人間失格」でだったか、太宰治が子供の頃、家族で食卓を囲むのが最も苦痛な時間だったって話も理解できる。食事というのは「美味しさ」を中心とした多大なコミュニケーションコストを伴うのだ。
というか、口に物を入れるなんて一番命に関わるリスクだ。伊藤計画の「ハーモニー」では、食事の度にその飲食物を摂取することの危険性がディスプレイに示される様子が描かれているが、今後は酒類やタバコに限らず、菓子でも野菜でも実際にそうすべきかとさえ思う。
同書の世界では、「プライベート」という言葉が性的な意味合いを帯びて表現されていたが、食事という行為も性行為ぐらいの「プライベート」な存在感になればいい。そうなれば、食事の嫌いな人が居ることや、「美味しさ」の暴力的な一方性を理解してもらえるだろう。
個人的には、イーガンの「順列都市」のように、オプションで、食事不要でも生存できるスタイルが選べれば一番良いのだが、そうでなくとも、藤子不二雄のどっちかの「21エモン」で登場したような、一回の食事はタブレットを何粒か飲むだけで済むという世界になればいい。
(タブレットではないが、今のところは、菓子パンのカロリーの高さに救われている。カロリー÷口への投入回数、という指標において、菓子パンはコスパが良い。「美味しさ」はどうでもいいのだ。)