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はてなキーワード: インドアとは

2020-10-18

「車を持っていない」という時点でだいたい趣味も察してしま

都会住まいなら生活する上で車は必要ない、というのはわかる。

わかるけど、「休日遠くへ嵩張る道具を持っていく類の趣味はありません」と表明するのと同じなんだよね。

ゴルフスキースノボ釣りキャンプバーベキューサーフィンとかは車持ってないとほぼ無理。

私はそういうアウトドア趣味がなく、都内で完結するようなインドア余暇の過ごし方をしてます、と自分から言ってるようなもの

2020-10-15

備考

大抵、表面的にはいい人を気取っている割に、

実は、面倒なことやリスクから逃げて、自分必死になりたくないだけで、

自分限界や実力が露呈することを恐れて、自分を取り繕うことだけを考えている。

自分から女に話しかけたり誘いをかけるわけでもなく、待っているだけの態度で、

同性にすら、自分仏頂面をしていても優しく扱われることを一人で期待していて、

グループ行動ができず、かといって一人でも、一匹狼ではなく群れからはぐれた羊。

自分から企画をしたり、決断をするわけでもなく、すべて人に任せるだけで、

問題が起きれば、自分関係ない顔をして逃げたり、迷惑そうないやな顔をするだけで、

当然ながら仲間からの信頼がゼロに近く、そういう評判にも敏感な女から敬遠される。

当事者として経験を積むことがなく、年齢の割には顔つきが非常に幼く、

そのくせ、ろくな運動食事をしていないのか、肌や体つきがかなり老けていて、

そのアンバランスさが全体的にエイリアンっぽくて、童貞匂いがプンプンしてくる。

会話の内容が、テレビネットを通じた他人の話ばかりで、行動力のなさが窺え、

知識自慢で相手を退屈させ、相手の話には必ず否定的説教をして自分を偉く見せ、

話を膨らませるより遮断させることが得意で、ネガティブオーラが顔をますます暗くする。

・傷つきやすい、非常にナイーブ

同窓会に来たがらない

・周りが異性の話になったら別の話に振りたがる、もしくは喋らない

必要以上に自分卑下している

自分モテないのは顔が悪いからだ、と決め付けている

基本的に『悪』に成りきれない

・良くも悪くも周りに影響を与えることがない

・紹介・合コンなどから逃げる傾向がある

処女崇拝が激しい

・気に入った女性出会っても、その子元彼の話を聞くだけで興味をなくす

・善人だが思い切った行動に出れない・何事にも発生するリスクを最重要視する

女性と話すのは当然緊張するとして、あまり親しくない男性と話すのも緊張する。

自分以外の数人が会話してて、自分一人だけ黙っている状況がよくある。

・用があるのになかなか店員に声をかけられない。

・知らない人(店など)に電話をかける前に、相手がこういって自分がこういうなどある程度考える。

・慣れない場所、状況だと異様におどおどする。

・声が小さく、よく聞き返される。

他人に変に見られてないか気にしすぎる。

インドア派。

・広い交友関係を築かず、いつも同じ人と一緒に行動する。もしくは一人。

彼女は欲しいが合コンは気が進まない。

・順番で何かを発言する状況で、自分の番が近くなると心拍数が高くなる。

職場などで「あっ、すみません」ばかり言う。

自分は人に取るに足らない存在だと見なされていると思うことがある。

毎日2chをやっている。

服装がいつも同じ。バリエーションがそんなにない。

髪型が昔とたいして変わらない。ワックスなんて滅多に使わない。

筋道立ててきちんと話すことができない

・一人で空想妄想に耽ることが多い

趣味は専ら一人で黙々と楽しむタイプのものを好む、あるいは無趣味

・そうかといって趣味や遊びも中途半端

・悪い意味個性的

相手が話すことがうまく聞き取れない。聴覚が悪いだけでなく、脳で理解できていない

・「作業」はできるが「仕事」はできない

単純作業の繰り返し的な職しかまらない

・一人でやる割合が多い、他人と接する機会が少ない職を求める

仕事中も趣味のことばかり考えている

・一人で空想妄想に耽ることが多い

独り言が多い

マイナーな分野にばかり興味がいく

メジャーな分野に抵抗感や反感を抱く

スポーツが苦手

趣味は専ら一人で黙々と楽しむタイプのものを好む、あるいは無趣味

・一つの物事に夢中になると周囲が全く見えなくなる

視野が狭い

場の空気を読めない

・何事にも要領が悪い

・何事にも一生懸命になれない

仕事が嫌い

・そうかといって趣味や遊びも中途半端

・平気で仕事の手を抜く

・負のプライドは高い

他人悪口や噂話が嫌い

ネットアクセスできないと禁断症状に陥る

携帯を持っていても基本料金内におさまる

・基本料金を超えてもほとんどパケット料金

メールのやり取りができる友人知人やメル友がいない

・気の利いた一言や場を和ませる一言が言えない

・笑うのが苦手

・無愛想

満員電車痴漢に間違われないよう両手をつり革に置く

・街で女性の後ろを歩くときストーカーに思われていないか心配

・夜道で女性を抜かすとき驚かれないよう少し前から無駄足音を鳴らす

・すれ違い様女性と目が合いそうになったとき近くの物体を見ているフリをする

・褒められたことがほとんどない

・お世辞で褒められると調子に乗って暴走する

肯定的な事を言われると調子に乗って暴走する

挨拶の声が小さい、自分からはしない

内向的

自己主張が苦手

・無口

・周りに溶け込めない

空気読めない

・神経質

心配

・周りが笑ってると自分が笑われてるんではないかと思う

・根は真面目と言われる

・一回言われたことをすぐ忘れる

・親や上司の言うことに従わない。従わなければと頭ではわかっていても従えない

ビジネス書自己啓発書が嫌い

小説でも漫画でもアニメでも映画でもドラマでも人間関係が中心に描かれた作品が嫌い

仕事必要知識は欠如しているが、役に立たない雑学的な無駄知識の量は多い

ホームレスを見ていると他人事とは思えない。将来の自分だと思う

自分と似たタイプの人を捜し求めている

自分に甘く、他人にも甘い

他人を叱ったり注意できない

・悪い意味で優しい

・良く言えば謙虚、悪く言えば卑屈

集団では常に自分が最下層だと自覚している

八方美人タイプの人が嫌い

石橋を叩いて壊す

仕事の話をするのが嫌い

仕事関連のスキルアップ資格取得のための勉強が嫌い

仕事必要な物を自費で買うことが嫌い

・機転が利かない

馬鹿正直

・たまに口を開くと他人不愉快にさせることを言ってしま

・結果を考えて行動できない

衝動

・短気

・どこへ行っても浮いてしま

・どこへ行っても嫌われる

・少し親しくなると調子に乗って暴走し、嫌われる

・少ない友人知人を大切にする。が、相手から見れば「しつこい」以外の何物でもない

・友人が全くいない、あるいは極度に少ないゆえに仲良くなった人を大切にしようとする。

 が、自分にとってはかけがえのない大切な友人でも相手にとっては単なる知り合いの一人。

 その温度差で結局は嫌われて切り捨てられる

・そのようにして去っていった人に対して根に持っている

・昔のことをよく覚えている

・どうでもいいことにこだわる

お金利益にならないことばかりに夢中になる

お金効率ばかりにこだわる人が苦手

写真を撮られるのが嫌い

電話が嫌い

・何をやっても詰めが甘く、失敗する

・冷や汗や脂汗をかくことが多い

・車やバイク運転が下手

・後片付けができない

・超保守的

環境の変化を極度に嫌う

思春期の頃から回復困難なステータス異常を抱えている

自分精神の発達が遅れているのではないかと思う

レベル(年齢)が20になっても30になってもショボい魔法しか使えない

・去年の今頃の自分を振り返ってみて、全く成長していないことに気づく

・というか10年前、休み時間に1人で寝たフリをしていた頃と

 大して変わっていないことに気づく

・いつも誰かにキモがられている

2020-09-28

我が子をアホの子にするために

6歳の我が子の事だが、成長が早すぎる気がして心配してる。

6歳なのだが、何かと私のまねをしたがるものから、私の書架を漁って司馬遼太郎を読んでるし、私が勉強するときに一緒に勉強したがって既に連立方程式を解くことが出来る。

余りに理解が早いものから、悪いことでもないと面白がって教えてしまうのが良くないのだろうが、知的好奇心を飢えたまましておくのも・・・と思い暫くは知りたいことを知りたいまま教えていた。

勉強をあまり進めてもまずいと思いなおし、将棋を教えたところメキメキと力をつけて、私も既に二枚落ちでは手こずる様になってきた。

子供らしく動物博士かにでもなってほしいと思って、犬を飼い始めたが効果は乏しく、私のジョギングパートナーが出来ただけに終わっている。


困ってしまうのは同級生との関係だ。

そもそも河井継之助が学んでいたという陽明学和訳を読んでみたいから、図書館へ連れて行って欲しい」などと休日にねだるし、

バラエティーよりはドキュメンタリーを好んで見るような子供公立小学校同級生と会話なんぞ成立する訳がないし、

大人ですら手に余るほど将棋が出来る子が同級生将棋をやっていても楽しい筈もない。

なので、必然孤立しがちになるし、本人も同級生よりも大人相手に問答してる方が楽しいと感じていて、それを気にもしてない。

正直なところ、この子未来不安を感じてしまう。早熟はいいとばかりは言えない。

小学校に上がる頃には自分は人と違うと自覚していた私よりも余程に成長がはやいのは問題がある。



親としては、子供らしくサッカー野球でもやって、泥まみれになって帰ってきてほしいんだが、

バットサッカーシューズよりも、中学数学参考書が欲しいという子なので困るのだ。

将来の事を思って子供の間は外に連れて行かねばと思って、サッカーに誘ったり、山登りキャンプなどに連れ出したりしてるんだが

私自身がインドア派で家で勉強でもしてる方が楽しい人間から、親が好きでもないものは、なかなか子供には浸透しないものだ。

近頃はTVゲームなんかをかなり用意して、友達を家に連れてこいと言って同年代友達でも出来ないものかと期待してる。

私も9歳くらいになると友達サッカーをすることが他の何よりも楽しくなっていたので、我が子にもそうなってほしいのだ。

スポーツをすれば自分には出来ない事、上手くいかない事、自分けが凄くても勝てない事の連続で、多くの事を学んでくれる。

大学受験の時期が来れば、この子も、どの大学だろうが志望校に入る位は苦も無く出来るとは思うし、今は勉強は全く大事ではない。

あと7,8年くらいは勉強なんかしないで、TVゲームで遊んでばかりで、悪戯でもしては大人に怒られまくる位でいいし、

中学生になれば彼女でも作って、どうすれば彼女キスできるか知恵を絞る位でいいのだが、

子供というものは、なかなか親が思うようには育ってくれないものだ。

妻は、アホの子なんてとんでもない、今のままでいいなんて呑気な事をいっているが、私は非常に心配だ。

私の父も同じような心配をしていたのだろうか・・・と考えると、なんとも楽しい気分にはなるんだが、笑ってばかりもいられない。


追記

ブクマが大量についてて驚きました。

ギフテッド教育お受験は当然のこと選択肢にはあったけど、夫婦で話し合い特別なことをあえてしない事にしました。

そこには当然、良し悪しはあれども親である私の経験からくるものもあります

私自身、大学に行くと決めるまでは1分も学校勉強にいそしんだ事はないけれど

「色はなぜ見える?」「鳥や飛行機はなぜ飛べる?」

といった好奇心を満たすための書籍漁りや、それを読むために必要勉強は幼少期から嫌わなかったというのもあります

一方で水泳教室やら書道に通わされて、自分が上手く出来ない事が悔しいという思いをしたことも今となれば有難かった。

大学受験程度であれば、苦労なんてする必要もないし、また彼は苦労はしないでしょう。

それよりは普通学校で色んなタイプ友達出会い海外旅行へ行って見聞を広めたり、友達キャンプへ行ったり、サッカーやったり

恋愛したりで人としての裾野を広げて欲しいのが我が家教育方針です。

英語をやりたいと言えば教えてやりますし、読みたい本があるなら何でも手に入れます

好奇心が赴くままに頭を使う事を止める子ではないし、親も興味や好奇心に蓋をするつもりはないのでご安心を。

2020-09-09

anond:20200909181028

今はオンラインもあるが元々は格ゲーマーも音ゲーマーもゲーセンしかいない存在で、ゲーマー定義上は広範囲だがインドア存在

から文化属性も元々は違う成り立ちを経ている。

例えると風俗好きな人同人誌好きな人をどっちもエロから一緒だろ、片側の陣営に対して風俗にも行けるだろとかコミケにも行けるだろとと混同するような行為

2020-09-08

付き合ってない人と自宅でダベるだけでセックスとか一切しないデートがしたい

インドア陰キャに外出は疲れるんだよな。マッチングアプリ出会った女性と、ヤリモクとかじゃくて真剣に家でスマブラやってカルピス飲んでスパゲッティレトルトパスタソースでテキトーに作った夕飯食ってじゃあまたなー!ってしたい。それか外出でもいいかクワガタ取りとかがいい。深夜集合。これ。

いや違うな、俺は小学生に戻りたいんだ……

2020-08-28

私が間違ってるの?

家の中で一人インスタ眺めてたらものすごい気分が落ち込んできたから書く

友達はみんなコロナ前みたいに普通に遊びまくってて、どこ行った〜とか何食べた〜みたいなストーリーばっかりで、対する私は(コロナだしな…)って尻込みしちゃって誰も誘えないまま遊べないままで夏休みが終わりそう

まりに遊んでなさすぎて寂しくなったから、地元友達ちょっとカフェお話しするくらいならいいかなーと思ってこの前遊びにいったら、「え、夏休みどこも遊び行ってないの?なんで?」とか「引きこもりじゃんw」とか言われて悲しくなった

友達に合わせて「そうなんだよ〜私今年の夏まじで引きこもりでさ」とか笑ってみたけど全然楽しくなかった

ある友達8月ほとんど外食か飲みに行ってて家で夕飯とか全然食べてないんだけどwって言ってて、律儀に気にして極力他人との外食を避けてた私が馬鹿みたいだなって泣きそうになった

そりゃ私は周りに比べてインドアな方だけどさ、それでもこの夏遊びに行きたかったよ

でも都外の公園で川遊びとかバーベキューしようって誘われたけど断ったし、飲みだってだいたい断ってるし、私からは全く誘ってない

でもそれって間違ってたのかな、コロナを気にする方が馬鹿なのかな、本当に嫌になっちゃ

2020-08-26

はてなネットの在宅・テレワーク原理主義が怖い

在宅でテレワークやってみたけどキツかった感想がいくつか上がってるけど自分も同感。

https://anond.hatelabo.jp/20200825185628

環境にもよるけど、個人的体験で言えばステイホーム期はそれこそ一日中ワンルームに閉じ込められて発狂するかと思った。

自分の部屋だと気持ちの切り替えもできないし、ノイズも多すぎて全然集中できない。

サボるとかじゃなく、集中できないで何もできずに時間けが過ぎる状態とかよくある感じ。

あと、都心オフィスに通うことによる刺激ってのが想像以上に重要だった。

ずっと家周辺で過ごすからどんどん毎日が平坦で退屈になってしまって、気がついたら一瞬で時間が過ぎる、何もやってないのに。

通勤で歩くことによる程よい運動もできなくなるので、これも地味にストレス

結局オフィスや、オフィスが難しいときコワーキングスペース、のような状態に切り替えたら、だいぶ調子が戻った。

コミュニケーション面については、個人的にはそこまでオフィスで同僚と交流する、ということが大好きではないタイプだが、

それでも雑談交流の機会がまったくなさすぎるのも、今後のコミュニケーションじわじわと影響するなーと思った。

あと新卒コーチングも難しい……

もちろんメリットも大きいけど、自分は以上のようなデメリットが上回るので在宅でのテレワークはやめました。

というのは個人的感想だけど、ずっと思っていたがとくにはてな世論(?)は、

テレワーク万歳テレワーク最高!みたいな意見が大多数で、常々違和感を覚えていた。

例のブログにも「テレワークできるのにしないやつは公衆衛生の敵!許さん」と言わんばかりのコメントが並んでいて、やっぱ怖いなと。

あと、テレワークではないが、湘南奥多摩に人が溢れました、ってニュースに対して「なんでそんな外出たいのかわからん」みたいなコメントが通例で並ぶけど、

「いや、ずっと家にいるのは苦痛でしょ、そりゃ自然や海で息抜きしたいでしょ」って自分は思うんで、そこでも感覚のズレを感じる。

おそらくインドア派が優勢というか「普段休日)も家にいるの好き、新作ゲームNetflixあれば外出る必要ないじゃん?」ってタイプが多いのかね(偏見

でも、世の中はそうでない人だっている、っていうかそうでない人のほうが多数派なんじゃないかな。

まあ何が言いたいというと、自分が在宅テレワークになって嬉しいからってみんながみんな同様に、諸手を挙げて大歓迎しているって思わないでほしい。

あと、在宅テレワークしないやつは非国民!っていうのも謎の全体主義ムーブ吹き上がっていて怖いっす。

もちろん、人それぞれが好きな働き方やライフスタイルを選べるってのは大賛成。

2020-08-25

anond:20200825172434

明らかにインドアのジメジメしたオタクの話だろうにウィンタースポーツなんかを例に出してくるところにうけた

2020-08-23

anond:20200823135328

家にいるとクサクサするって感覚分からんな。脳の構造が違うんだろう。外に出れば向こうから娯楽を与えてくれるものは多いかもしれないが、家にいてもキーボードを叩けば自分から自分にあった享楽世界へ潜り込んでいける。オンラインゲームで気の合う仲間と冒険しに行ったり、モノを買うにしてもその道のオタクの詳細なレビューが見れたり。不足しがちな萌え成分hentai成分もその道のメジャーサイトを覗けばよりスマートかつ迅速に補給できる。いずれにしても外に繰り出すより質の高い体験が得られると思うんだけど、なぜ汗をかいてまで外に出ようとするのか。偶発的な遭遇、という人もいるかもしれないがそれはインターネット上にも溢れている。おそらくだが、外出好きな人動画も好きだろう。ギガが尽きるタイプの人。インドアで無敵感を感じられる人は、おそらく動画はまどろっこしい、文章でよこせというタイプが多い気がする。ギガは繰り越されて尽きる気配がない。

2020-08-16

なんで女はインドア派を自認してるのにいつも男がおるん?

アマゾンとかで調達してんのか

2020-08-15

まぁ、この時期に増田してる人たちは十中八九インドア派だからアウトドアグッズオススメとかあるわけないかおすすめマウスでも聞いたほうがよかったかもしれない。

ありがとうキンプリラッシュLIVE

KING OF PRISM

キンプリ出会ったのは2017年の冬だった。

前年から何やら話題になっていることは耳にしていたが

応援上映……そういうのもあるのか」ぐらいの気持ちだった。

スピンオフであるプリティーリズムレインボーライブは未履修だったし

アイドルものが飽和状態食傷気味だったのもある。

とにかく知ってはいたが特に気に留めていなかった作品に、

ある日、突然に、落ちた。

落ちたというよりは、突き落とされたとか引き摺り込まれたといったほうが正しいかもしれない。

エリートの巧みな誘導により、プリズムきらめきを浴び、摂取し、そして世界が輝いて見えた。

とある個人的理由ダークサイドに堕ちていた私は

プリズムきらめきによって救われた。

あの時出会っていたのが、マルチ新興宗教だったら

私は目を輝かせて浄水器でも壺でもブレスレットでも買っていただろう。

だけど私が買ったのは、スタァジュエルだった。

キンプリにハマり、映画館イベントコラボカフェ舞台など様々なところへ足を運び

それまでインドア派のオタクだった私は初めて「現場オタク」になったが

1番多く触れたのはやはりアプリプリズムラッシュLIVE」だった。

つらい事があった時は景気付けに

嬉しい時は祝砲がわりに

頑張った時はご褒美として

そして、ありがとうの代わりにガチャを回した。


自転車や馬でお届けに来てくれるスタァたち、

大抵は渋い結果に苦笑しながらスクショを撮り

稀に推し降臨しては半狂乱でスクショを撮った。

たった2作の劇場版と1クールアニメを飽きずに擦り切れるほど見たが

ラッシュくんの中では新しいストーリー、新しいキャラクターが生まれ

そこには新規絵が新規ボイスが、新曲があった。

スッスッスがアニメになって

ロズパがあってスパライがあって

ベストテン舞台があって、

いつかジャンルがとても小さくなってしまっても

細々とラッシュくんと暮らしていければ幸せだと思っていた。

朝起きてログインメッセージを見て

かにつけて10連祭をして

トンチキなイベントストーリーを楽しんで

キンプリと共に生きていけると思っていた。

サ終は悲しい。

だけどラッシュくんがくれたきらめきはなくならない。

ラッシュくんと過ごした3年間を忘れない。

私は誓う。

何度でも誓うし、いつまでも誓う。

あなたとの約束を胸に、きらめきに溢れた明日

精一杯生きることを。

キンプリラッシュLIVEーーーー!!!

ありがうとーーーー!!!!!

2020-08-12

ラーメン屋さんで何の曲が増田合うか鵜仇朱眞学ょキノンな伝さヤンメーラ(回文

おはようございまーす!

夏の季語で帯に短したすきに長しって言うけど、

いよいよお盆シーズン到来!

もうさ!ドラゴンケースに入れてね!って言うほどプールとか海とか

この昨今賑わいがないと思うんだけど、

おかげで区民プールはこの大晴天のなか休業とか!

ワッハハハハの大洗海水浴場わ!

笑うしかないわね。

もうこういう時は銭湯通いしかないわ。

私気付いちゃったの。

風呂の水面すれすれの空気は冷たくて美味しい!って

あんまり風呂入りすぎちゃうと、

みんなは入りたがってる人が入れないから、

人が来たらサッと水風呂から上がるけど、

誰も来なかったら延々と入ってられるわ!

この時期さすがに暑いから

冬ほどにサウナで整うって未だによくそ感覚は分かってないけど、

冬よりは整わない感じがするし

でもなんか汗かいスッキリちゃんよ!

調子の良いとき無限に出たり入ったりできちゃえそうな感じ。

だけど、

せいぜいやっぱり3時間が限度ね。

そんな水風呂水面すれすれの冷たくて美味しい空気を味わいたい夏休みにすっかな!って意気込んでいるんだけど、

近場で過ごすのもお金使わなくて良いんだけど、

でもやっぱり遠くに羽を伸ばしたいところじゃないかしら?

今は車にデレビも付いてるから

ブラブラと出掛けて出掛けた先でテレビを観るというなんとも

アウトドアなのかインドアなのかよく分からないけど

インドではないのは確か。

家でやってることを出先でするってことに

旅感を感じるじゃない?

もう全くもって何何感を感じるって言えばそれは二重表現警察人達が来そうな勢いだけど。

私がちょっとお昼前に郵便局に行った時の模様なんだけど、

一方通行を一瞬だけバックしただけで

なんか白バイに捉えられてた人見かけたけて

気の毒だなぁって。

私は自転車からその横をウイリーしながら通っても

ぜんぜん白バイの人には怒られなかったし、

だけどあれ一輪車ウイリーできるチャックノリスさんならどうなってるか分からないわね。

まあその一方通行を逆に行った人には気の毒だけど、

なんで「いっつう」って入力しても「一方通行」に変換出来ないの?って不思議に思いながら、

私たち日本語変換を「ふいんき」で使っていたのかしらってこれも雰囲気変換できないのなんで?って思うわ。

イキフンって打ったらちゃん雰囲気って変換出来るのには笑っちゃうけど、

なんなのよこの倒語対応!って感心しちゃったわ。

私は俄然として

ズージャーの聴けるメンラー屋さんよりも、

メンラーが食べられるズージャーのアーバーがいいわ!

でもよく考えたら、

ABCマートタワーレコードなんかで流れてる店内ラジオみたいな感じの、

ラーメンラジオが流れてたら面白いと思うんだ!

でもラーメン食べてんのにラーメンの話しなんて面白く聴けるのかしら?とも思っちゃうわ。

からやっぱりメンラーに合う音って言うのはなんなのかしらね?思うし

優先でもないしFMでもないし、

やっぱりAMが流れているようなのがベストマッチングかもね。

あとメンラー屋さんの天井角に据え付いてるテレビを見ながら

すするメンラーも格別よね。

あいう所で、

早く食べ終わっちゃって店から出るから絶対事件解決まで見届けることができない2時間サスペンス物なんかみたらたまんないわよね。

マドンナ達のララバイ級に別に最後まで見なかったとしても

いつも結末は船越英一郎さんの決まり手東尋坊の崖落としが決まって終わるんだけど、

でもやっぱり

エジプトで初の日本人ライブを行ったさあ眠りなさいマドンナ達のララバイでお馴染みの岩崎宏美さんはやっぱり凄いと思うわ!

メンラー屋さんでやっぱり一番ピッタリ合う曲はマドンナ達のララバイだと思う。

レコード大賞は取れなかったのは残念だったけど。

私はマドンナ達のララバイだと思うわ!

ではこの辺で

バイナラ

なんちゃって~!

うふふ。


今日朝ご飯

トマト野菜サンドよ。

トマト野菜から厳密に言えば

野菜野菜サンドってことかしら?三度じゃ無いけど二度は言ってるわ。

最近はあっさり軽めのサンドがお好みね。

デトックスウォーター

今日は水出し麦茶ウォーラにしました。

もうこの時期の水分摂りまくりなのはいいんだけど、

むくみ対策もしっかりしなくちゃいけないんだかね!

みんなも気を付けて!

具体的にはと言うと、

カリウムの多くある食品を摂りつつ歩くってことよ。

からキューリ囓りながらウォーキングは理に適ってるってわけよ。

最近よく見かけるでしょ?

見かけない?

じゃ流行ってないのね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-08-10

くっそ金持ち港区とかの中心部に住めて金使いまくりなんだったら都内に住む意味あると思うけどさ

都心まで電車で30分とか1時間とかのところに住んで通勤で体力すり減らして、週末は人混みをお出かけ

こんな生活だったら田舎住まいのほうがマシな気がするよ

昨年まで都内仕事してて毎日通勤時間が往復3時間以上かかってたけど、今は自転車で往復15分

毎日8時間睡眠で、読書したりゲームしたりとやりたいことをやる毎日だよ

自分みたいなインドア派は田舎移住することで、一気にQOLが向上すると思う

2020-08-08

派遣に告られてびっくりした (30歳男性

当時30歳 大手IT勤務

社内でも学歴は高いし、エリートと言われたらエリートなんだろう。

入社5年でチームリーダーを任されてるし、自分で言うのも何だが、仕事は出来る方だと思う。一応上司からは目にかけられて、それなりに出世街道に乗ってるみたいだし。

ただ、見た目は悪い。身長は低いし、胃腸が弱くてヒョロガリだし、顔も自分で言って悲しくなるが醜面だ。性格も社内では取り繕っているつもりではあるがコミュ障だと自負してる。それに服や髪形も大学院に入ったあたりから気を使い始めたくらいで、それらも基本的自己流だからあんまりセンスは良くない。分かってはいるが、それらにあまりお金や時間をかける気にもなれない。

ここまで書いたら分かると思うけど、今まで一切と言っていいほど女性と縁がなかった。正直、当然だと思う。身を整える前、会社に入る前は見た目も振る舞いもキモオタのものだったし、会社に入ってからアニメ映画といったインドア趣味あんまり変わってない。今までの経験もあって、これから女性とは私的関係は無いものだと思っていた。


そんな自分だが、自炊が好きで定期的に弁当を作っていた事から派遣女性含めた弁当組と一緒に弁当を食べる事が結構あった。(ほかの男性社員の多くは社食で、弁当持ち男性は妻帯者ばかりだった。たぶん独身男性自分一人だと思う)

自分はこれを社内コミュニケーションの一環のつもりで行ってきたし、一緒に弁当を食べてる人も同じだと思っていた。

そんな中、派遣女性(Aさんとしておく)に食事に誘われた。最初複数人だったし、これも週末の飲み会とかそういう扱いだと思っていたのだけど、最終的にはAさんと二人で食事をすることになった。(これはもしかしたら裏で口を合わせていたのかもしれない)

その場は会社用の顔をして積極的に話をしたし、(人に話せる扱いの)趣味映画野球で盛り上がった。その後、何度か二人きりの食事や飲みに誘われることがあった。趣味野球で盛り上がれる人があまりいなくて嬉しかった事、今まで女性に誘われるような事がなくて浮かれていた事、単純にAさんと話したかった事、そう感じていて基本的に応じていた。

そうして最初の時から2か月くらい経った後、食事の後に告白された。予想してなかった訳じゃないが、驚いてしまって、しばらく考えさせてほしい、と言った。

自分が人から好かれる事があるのかと思うとすごく不思議な感じがした。電車を乗り間違えたみたいな気持ちになった。頭の中では、テレビ過去のご自身に「お前は一生独身と言っていたが、今は子供が3人もいるぞ」と笑っていたおじさんと、ネットで見かけた「非モテだと自称したなら、過去自分謝罪してからしろよ」という言葉がぐるぐる回っていた。

自分がずっと一人なのだという思いで生きていた事、Aさんと会う時の自分は外面用の顔をして偽っていた事、Aさんは派遣自分正社員から収入目当てで言ったんじゃないかという疑心暗鬼とその猜疑心に対する自己嫌悪、そういった事が重なって、仕事言い訳に1か月半くらい引き延ばした後、断った。

Aさんに何か大きな問題があったわけじゃない。一番問題があったのは自分で、誰かに好かれる事も、誰かを好きになる事も、自分が許せないと思っていた。本当は、怖かっただけ、臆病だっただけのだと思う。

この件が関係したのか分からないけど、Aさんは断った3か月後くらいに別の会社に移った。


この事は、何か決断をする時には毎回、あり得たかもしれない別の未来として毎回思い出しては、Aさんに申し訳ないような気持ちになる。ずっとしこりのように残ってる。でも、自分はずっと弱いままで、後悔という思いはあまりなかった。

からAさんの告白を断った後もあまり多くは変わらなかった。

僕はもう非モテでもなく、既婚者でも勿論ない、自分独身選択したという気もしない、なんだか宙ぶらりんな存在になってしまったという自意識の変化はある。でも相変わらずファッションや髪形は適当だし、ずっと一人なのだという思いは変わらない。婚活を誘われた事があったが、それも断った。インドア趣味はずっと変わっていない。

ただ一つ、自分の中で明らかに変わった事と言えば、弁当はもう作らなくなってしまった。

2020-07-30

盆の帰省無くなりそう。もう我慢したくない。

インドア派だからここまでstay homeは苦なく耐えられたけど、お盆帰省が出来なそうと分かって、急に辛くなった。

祖父にこの春末期がんが見つかり、年内持たないだろうと言われている。亡くなる前に会いたい。

これまではロックダウン肯定派だったけど、ロックダウンのせいで大切な人にもう二度と会えないかもしれないって人が世界中にいると考えると、もう賛成なんて言えない。

2020-07-28

父が死んで良かった

実家燃えてなくなった。

母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。

僕の昔住んでいた田舎実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。

その後、父と母と、一緒に住んでいた次男一時的市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎ放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。

父はぶっ壊れていた。

僕が小さい頃の記憶を思い出してみると、父と一緒にファミコンの難しいステージ試行錯誤しながら一緒に攻略したり、将棋で対戦したりしていた。父の仕事場が家から歩いていける距離にあったため、小さな僕はたまに仕事場まで歩いていき、父が仕事が終わった時に一緒に原付きに乗せてもらって家まで帰ったりしたこともあった。

しかし父は脳に異常があった。その関係で度々入院したり、手術を行ったりしていた。何度も仕事を辞め、何度も新しい仕事をしていた。

そのためうちは母がメインで働いている。働きに出ている母のかわりに家事はおじいちゃんがメインで行っていた。食事洗濯や、子ども病気になった時に病院に連れて行ったり、雪で学校へ行けそうにない時は車で送って行ったり。

父は特に前頭葉に異常があり、理性を保てずふとした拍子に豹変することがあった。僕らがゲームをしていたら急に部屋に入ってきて怒り出したり、部屋で普通に過ごしていただけなのにちょっとした発言で急に説教をはじめたりしだした。

一時期はおじいちゃんが目の敵にされていて、おじいちゃんのやることなすこと全てに文句をつけて自分のやり方を強要したり嫌がらせをしたりしていた。ある日次男は父に「殺いたる!」と言われながら追いかけ回されてトイレに閉じこもって避難したりしていたこともある。僕もある日「ボケてるんじゃないの?」と父にいったらそれは禁句だったらしく、急に後ろから思い切り殴られ、しばらくの間耳が内出血した状態で過ごしていたことがあった。

あとは理性が効かないためパチンコにもハマっていた。生活費ほとんど持ち出してしまたこともあるらしい。そのため家族は色々と対策をしていたようだ。とにかく数え上げればきりがない。家族みんなが何度もひどい目にあっていた。いつ何で発狂するかわからない父と過ごす毎日地獄だった。僕は本当に父のことが大嫌いだった。

中学高校の頃は僕も思春期を迎え、なぜ僕だけそんな境遇なのかと自分人生を呪った。特に僕は人と接するのが不得意だったこともあり、なぜみんな日々学校あんなに楽しそうにすごしているのに僕は何もうまくいかないのだろうかと感じていた。そして僕はきっと父親のせいでこんな風になってしまったのだろうから全てが父のせいだと思っていた。

高校で1日が終わったあと、僕は毎日夕方遅くまで部室でだらだらとすごしていた。やることがあったわけではないが家で父と顔を合わせたくなかったからなんとかむりやり時間を潰していた。そうして父がご飯を食べ終えて2階の自分の部屋に閉じこもるあたりの時刻に帰宅するようになっていた。たしかそのあたりでは父に話しかけられても全て無視するようになっていたと思う。正直、早く父がこの世から消えてほしいと思っていた。

進学は田舎から遠い関東大学を目指した。高校での人間関係は何一つうまくいかないし、家に帰っても狂った父親が家にいることが耐えられなかった。とにかく全てを捨てて新たな地で心機一転新しい生活をはじめたかった。

結局僕は関東大学合格し、そっちで一人暮らしをはじめた。自分以外誰もいない家。好きなことを好きなだけでき、誰からも急に理不尽文句を言われることが決してない、人生ではじめての心から落ち着け空間だった。

外での人間関係が決して完璧にうまくいくわけではなく苦悩も多くしていたが、それでも大学サークルに入ってみんなと普段から活動し、その中でいつも遊べる友達も出来てそれなりに充実はしていた。

そんな4年間を過ごし色々なことを経験する中で、僕の心も徐々に溶けていった。

色んな失敗をした。失敗をする中でなぜ僕はこうもうまく行かないんだろう? と考えた。一生このままで生きていかなければならないのだろうかと思った。そんな人生に何の意味があるのだろうかと思った。何もないのであれば死んだほうが良いのではないかとも思った。何かある度にすぐ父のせいだ、と思った。しかし、父のせいにすることは何の意味もないことにある日気づいた。たとえ本当に父のせいだったとしても、この先幸せになりたいのであれば、僕自信が変わっていくしかないのではないかということに、運良くたまたま気づくことが出来た。

それに気づいてからは父のことが頭によぎることがなくなった。自分にとって重要なことは、今後自分がどうしていくか、ということだけとなった。過去は何も関係ない。ただひたすら未来を描いて進むことだけが重要なこと。ひたすら考えて、考えて、考えるようになった。

そうやって過ごしているうちに、いつの間にか父のことを許していた。正確には、父に対しての興味を一切失った自分がいた。

僕は性格的に、一つのことに極端に集中してしまう傾向がある。大切な物は愛おしい。しか自分に全く関わらないものには興味が無い。ちゃんと考えて話している人の言葉は気になる。しか思考停止で人を傷つけるだけの言葉には全く興味が無い。嫌悪ではない。そんな人は世の中にたくさんいることが当たり前だからどうでもよすぎて興味が持てない。だから父のことも興味が持てない。しかし形はどうあれ、許すことも興味を失うことも同列だったため、僕の中で父のことは全てが解決した。

その後の父

僕は自分普段生活のことばかりを優先して考えていて、あまり実家にも帰らなかった。たまに帰った時やたまたまから電話が来た時に話をするのだが、父は窃盗もするようになっていた。窃盗と言っても数千円を盗むくらいだったらしいが。

とはいえ特に意外性はなかったし、その後どうなったのかなども興味はなかった。しかし一緒に住んでいる母としては大問題だった。家族が盗みを繰り返すのを放置してはおけない。

結局そのあたりから、母は自分が不在の時は時々父を介護施設に入れるようになった。もちろんはたから見れば早くそうしとけばよかったじゃん、みたいな話だろうと思う。事実母も父と離れる時間が増えることで精神的にはかなり楽になっていたのではないかと思う。

しかし、施設費用はそんな安いものではない。時々だけとはいえそれなりの費用がかかる。家のローンに加え、介護費用。そのころ母はもう60近かったがとにかく定年まで働かねばと嘆いていた。

そしてなんだかんだで月日が過ぎ、父はどこかの溝に落ちて負傷してしまったらしく、自分で体を動かせなくなってしまった。完全な要介護者となった。

僕はといえば、そんな話を聞いても全く興味が持てず、帰省したときにも特に会いに行こうとは思えなかった。というかそういった発想すら出てこなかった。もう僕の中では全てが終わったことだったため、このままもう二度と会わなくても別にいいと思っていた。会ったほうがいいんじゃないかと兄弟に言われたりすることもあったが断っていた。

終わりが近づく

それから数年が経った2019年年末ちょっと前に母から連絡が来た。父がもうそろそろ長くないとの話だった。丁度正月前後に亡くなるかもしれないということだったため、喪服などを購入して準備をした。

しかし、年末近くになり、再度連絡が来た。どうも結局峠を超えて今のところ問題ないということだった。

年末になり、実家帰省した。正月はだいたいいつも帰省し、子どもたちを妹の子どもたちと遊ばせたりしている。

さすがに状況が状況だったため、自然と父のところへ行く流れとなった。僕は別に行かなくてもいいと思っていたが、妻が子どもたちと父を合わせてあげたいという事を言っていたため、それもまあ子どもたちにとって何かの意味があるだろうと思い、特に拒否もせず行くことにした。

母と僕の兄弟とその家族でそれぞれ数台の車に乗り、大人数でぞろぞろと介護施設へ行った。

部屋に入るとベッドに横たわっている父がいた。父はもう当然自分では動けない状態で、しゃべることもできないため、うー、うー、とずっと唸ったりしていた。目が合うような気もするが特に変わった反応もなく、何を考えているのかは分からないし、そもそも何かを考えることが出来ているのかもわからない。結構多い人数で来たためぐるっとみんなでベッドを囲み、ぎゅうぎゅう詰めとなる。みんなで父の様子を見て、きっと大勢来ているから父もびっくりしているだろう、とか、喜んでいるときの声だわ、みたいな話をしていた。

父はたしかの子たちを見たことがなかっただろうと思うので、子どもをそれぞれ抱きかかえて父の目線の先に連れて行った。特に反応もなく、自分の孫だと分かっているのだろうか、分かっていないのだろうかもよく分からなかった。

そんなこんなでそこで少し過ごし、写真を撮ったりして帰ることになった。

最後大人たちがうちの子に「早く元気になってね」と言ってあげて、と促した。7歳の長男と5歳の次男がそれぞれ父に、まだ幼い可愛らしい声で「早くおもちゃ買ってね」「早く元気になってね」と一生懸命伝えた。すると突然、父が今までと違うかなり大きな声であー、あー、と言った。みんなびっくりしていた。一応子どもたちの言葉は伝わったのだろうか。詳しくはわからないがそれっぽかった。

父が死んだ

それから半年ほど経った。コロナ流行し、緊急事態宣言が発令されて終了した頃。2020年6月29日、朝起きたら妹からLINEで父が3時頃に亡くなったという連絡が来ていた。月曜日

妹に電話してみたところ、コロナのこともあるし別に来なくてもいいよ、ということを母が言っているとのことだったため、僕は葬儀には行かないことにした。僕も正直葬儀には興味が無いし、それよりも子どもたちに学校に行かせたり普段生活をおくらせてあげたかった。

しかし妻が不安になって再度母に連絡をとってみたところ、そんなことは言っていないらしく、来いと言われた。一体なんなんだ。

とはいえコロナのこともあるし、妻もちょっと体調的にウロウロできる状況ではないため、僕一人だけ行くことにした。

葬儀は7/1。朝からだったため前日に仕事を終えたあと実家に帰った。弟や甥っ子たちも実家に来ていた。大切な父……というわけでもなかったため、みんな普通に過ごしており明日告別式ということも忘れそうだった。

次の日、起きて甥っ子たちはフォーナイトをしたり、みんなでだらだらと朝ごはんを食べたりしていた。そうこうしているうちに時間になり、葬儀場へ向かう。

葬儀

葬儀場は宿泊できる部屋があり、実家にいなかったメンバーはそこにいた。しばらくすると大阪のおじちゃんとおばちゃんがきた。それぞれ父の兄弟で、夏休み冬休みには僕の兄弟と同じくらいの子どもたちをつれて実家に遊びに来ていた。大勢マリオカートをして遊んだりしていた。おじちゃんはいつも海につれていってもらっていたし、おばちゃんは逆に夏休み大阪に泊まらせてもらっていたため二人とも馴染み深い。

おじちゃんによると、父は子どもの頃に事故で頭をうったという。当時は額あたりの怪我治療前頭葉があるため、簡単はいじれず、医師にも難しかったという。誰もしっかりとした治療はできなかったらしい。その後父は元気にスポーツをしたりしていたらしいが、大人になって障害が出始めたのはもしかしたらそのあたりが原因だったのかも、という話をしてくれた。とはいえ母も僕の夜泣きが原因だったのでは、と言っていたりするので何が原因かはよくわからず、おじちゃんの話も懐疑的だった。

しばらくして葬儀が始まった。みんなが部屋に集まる。何もよくわからない状態だったが言われるがままに並んで椅子に座った。部屋が暗くなる。導師さんが念仏を唱え、みんなで繰り返す。

その後も式が進行し、導師さんが話を始めたりした。誰なのかもよくわからないし、何を話していたかももう忘れてしまった。

導師さんの話が終わると、今度は親族代表ということでおじちゃんが話をすることになった。おじちゃんは前に出てきたのだが、マイク全然違うところで話をし始めた。式場のスタッフを見るとあわてておじちゃんのところに駆け寄ってマイクのところに連れて行こうとするところだった。おじちゃんはいわれるがままにマイクのところまで行ったのだが、なぜかマイクを背にしてマイクがない状態で話し始めたので再度スタッフ誘導したのがおかしかった。

おじちゃんはおじぎをしたあと、先程のように事故の話をし始めた。頭をうち、前頭葉があるため治療もできず、でもスポーツをしたりしていた、ということ。

そのあと、父が大勢の人に迷惑をかけるようになってしまたこと、そして、その父のことを母が最後まで面倒を見てくれたことを話した。すると突然、何か急にこみ上げてきたものがあったらしくウッと声を止めて泣き始めた。それを見て母も泣いた。なんとなく空気が変わった。

元々そんな雰囲気はなかったためびっくりした。僕はもらい泣きもしなかったし悲しくもなかった。ただ、みんな何かしらそれぞれ思うところがあるのだなと思った。おじちゃんからすれば身内がとんでもない状態になってしまって、父が元々赤の他人である母にひどい仕打ちをたくさんしてしまたことに申し訳ないという気持ちが非常に大きいのだろう。

母は実際にひどいめにたくさんあい、この年までずっと働き詰めで大変な思いを今もしている。しかし、お見合い結婚だったとはいえ、楽しく幸せな時期も経験し、僕らがまだ生きて経験したことのない年数を父と一緒に過ごしてきた。詳しいことはわからないが、そこには本人にしかからない無数の思いがあるのだろう。自分と妻も一緒に生きてきているが、子どもたちはそこであった多くのことを何も知らない。当たり前のことなのだが、不思議なことだ。

そして、ここにそれぞれの思いを抱えた色々な人が集まったことも不思議に感じた。みんな何を思ってここにいるのか。僕には分からないが、何かを思っている。

その後告別式は終わり、父の棺にみんなで草花を詰めた。父の顔は処理を施されてつやつやしており、蝋人形のようだった。

その後棺を閉じ、それを男たちで車へ運んだ。そしてみんながそれぞれの車で焼却場の方へ向かう。

焼却場は僕が今まで行ったことがあるような汚い場所ではなく、きれいな施設だった。コロナの影響で焼却場には15人だけが入れるということらしい。父に近い15人が部屋に入る。部屋の中にある等間隔に並んだ足のマークの上にそれぞれが立った。

次に、父が入った棺が焼却する空間に納められた。スタッフボタン類をアルコール消毒したあと、閉じるボタンを押した。機械により扉が閉じられる。

そしてどのボタンを押すと焼却が始まるかの説明を受け、準備が出来たら押すように説明があった。しかし誰も反応しないため僕が母に押しなよと促した。しかし、どうも嫌だったらしく、いやいやという手振りをしたので僕が押した。

その後は1,2時間ほど時間がかかるということで休憩の時間となった。密をさけるため、どの部屋も人数制限があり適当バラけることとなった。弁当が用意されていたためそれを食べて過ごした。

しばらくするとスタッフから声がかかったためみんなで部屋に集まった。中央には棺の台を収めるスペースがあり、今は空いている。そのそばに長い箸がたくさんあり、それぞれがその箸を手にした。

しばらくして台が運ばれてきた。まだ熱く、気をつけるよう注意があった。その上には骨が置かれている。葬儀は何度か経験したことがあるため特に新たになにか思うということはなかった。そういえば昔妻が飼っていたうさぎを看取ったのだが、その時に焼却されて出てきた骨を見た時はとても悲しくて泣きそうになった。

スタッフ説明されながら、足から順に骨を入れ物に詰めていく。みんなで行ったり来たりしながらそれぞれ骨を詰めていった。思ったよりもポロポロともろい。頭の方になると、大きすぎるため箸で割って詰めていく。頭には手術の跡の金具がついていたりした。それも母が詰めていた。

そして一通り詰め終わり、葬儀の全ての工程が終わりとなった。皆それぞれ準備をし、帰宅した。僕も一度実家に帰って着替えをして荷物を整理し、車で帰路についた。

思うこと

僕は仕事もあったし、あまり車で長距離移動をするのは事故死ぬ可能性もあるし好きではない。そのためとにかく早く全てを終わらせたいと思っていた。なんとか生きて帰ってくることができたが、かなり疲れ果てていた。とにかくいつ始まるのか分からなかった大変な出来事が一つ終わり安堵した。

父が亡くなったが、母は元々次男と一緒に住んでいる。近くには妹の家族もおり、しょっちゅう甥っ子や姪っ子たちと遊んだりしている。三男もわりと話が好きで母によく電話をかけているらしい。僕は離れていて長期休み以外は音沙汰も無いが、それでも母はみんなのおかげで楽しく暮らしているように見えるため特に心配はしていない。

父がいなくなったことで母は父の介護費用を払う必要がなくなった。だいぶ生活も楽になるのではないかと思う。僕は本当に良かったなと思っている。

昔「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ている時に、一人の若い女性の家に行く回があった。

その女性の家には父親がいるのだが、要介護のため自分では動けない。女性はその父親介護をしていた。自分では動けないため、あらゆる事を補助してあげなければならない。朝起きてから、昼食、夕食、風呂トイレ、あらゆることだ。もちろん生活のため仕事もしている。ヘルパーさんがいたのかもしれないが、それでも何もなく普通生活をしている僕らには想像できないレベルの大変な毎日であることは間違いない。

女性はまだ若く、色々なことがしたい年頃だろう。彼氏を作ってデートをしたり、友達ショッピングに行ったり。インドア派であればゲームをしたり、ゲームキャラにハマって腐女子をしたり、好きなアイドルライブにも行ったりしていたのかもしれない。しかし、全て介護のためできない。ただひたすら介護をしなければならない。夢もあったのかもしれない。でももう諦めてしまったのかもしれない。

父のため仕方がない、と思いながらも、女性毎日どれだけ苦しいか想像をするだけでも苦しくなる。

その父はどう思うだろうか。自分の娘が自分介護のために全てを犠牲にし、尽くしてくれている。ありがたいと思うだろうか? 僕だったら死にたいと思う。一生懸命育てた自分娘。さなから育てながら思うことは、この子楽しいことも辛いことも含め色んな事を経験し、苦悩しながらもそれでもたくさんの素晴らしいことを経験しながら歩んでいき、やりたいことをやって自分未来を掴んで幸せになってくれればいいなということ。どんな未来でも自分が進みたい方向に進んでいってほしい。

しかしその全ての未来自分の手で摘み取ってしまう事になったとしたら。耐えられる自信はない。すぐに死に、失いかけていた大切な未来を与えてあげたいと思う。若い娘がそのような境遇さらされて多くの時間を失ってしまうことは世界にとっても大きな損失だ。

でも、死ぬということは難しい。自分死ぬ覚悟ができるものかどうかは全くわからない。さら介護されている状態自分死ぬこと自体そもそもできない場合もあるだろう。

この世には安楽死必要だと思う。死にたくても死ねない人を助ける制度必要綺麗事だけでは救われない人達がいる。その人達が救われる世界になってくれればいいと思う。しかしどうすればそういう世界にできるのかは壮大すぎて僕にはわからない。とにかく僕にはこうやって苦しむ人達がいるということを文字にして発することしか出来ない。

とにかく、その一つとして父が死んで本当に良かったと思う。

テレワークから湘南に住む!

って奴、アウトドア趣味サーフィン山登りが好きで、月に1回はキャンプでもするのかな?もちろんフットサルマスト

自分湘南に住んでる。実家湘南子供部屋おじさん予備軍。今はテレワークから基本在宅。出勤とかマジ面倒

湘南は住むには良いぞ。物価だって高くも安くも無い。車あれば買い物の選択肢も多い。本来ならこの季節は『都民神奈川県民と埼玉県民は消えろ!』ってくらい混むけど、今年は静かで暮らしやす

交通の便だって良い。電車都内にも出やすい。横浜町田にも出れる。最悪でも本厚木

まぁ、数ヶ月に一度都内に出るくらいなら良いんですけどね。ほんとインドアには暮らしにくい場所オタクにはこの距離は辛い

全部通販で済ませるなら良いよ。交通費考えたら安く住むし。でも、マジでから出なくなる

結局都内に行って買い物したり、食事したり、買い物したいんだよ。百貨店で買い物したい。有名なラーメン屋行きたい。品揃えの良いショップで買い物したい。美味しいカフェ行きたい

金があるなら毎週片道1000円で行けば良い。でも、気軽に地下鉄乗って乗り換えて帰る距離じゃない。なんというか東京駅出て気合い入れて帰る感じ

ほんと地元とその周辺20kmくらいと通販で済ませれて、東京とかは「都会はええなぁ~」って指加える事が出来る人は湘南でも江ノ島でも住めばいい。間違ってもいつもは湘南で楽に住んで、たまに都内出て遊ぶとか考えている人はやめておけ。その『たまに』の頻度が絶対増えて、そして東京までの距離が憎らしくなる。立川に住む友人すら恨めしく思うようになるぞ

あと、ガチオタクマジで止めておけ。Amazon届けば問題ないとか妄想。やっぱ人間は近所にゲーセンアニメショップ模型屋が無いと駄目な生き物だから

2020-07-27

妻の話を聞くのが限界

40代男性結婚10+数年。

妻は妊娠出産の一時期は専業主婦をしていたものの、徐々に仕事に復帰し始めて、今はフルタイムで勤務している。最初の勤務先に復職しているのではなく、新たに就職し始めた感じ。とはいえ、もう全部合わせると5年以上のフルタイム勤務を続けている。

 

妻はもともと僕との会話で、延々と愚痴を話すような人間だった。それは付き合いたてのころもそうだし、結婚したての頃も、妊娠出産して専業主婦をしているころも、そしてもちろん今も。

愚痴の内容はその時期の彼女属性に基づくものになる。

 

結婚前は職場での立場の低さからくる給与仕事内容のバランスの悪さや、友人たちとのライフステージに対する焦燥感についてのもの、その矛先はしばし僕に向き、いつになったら態度をはっきりして結婚に向けて進めてくれるのか、一人暮らしはいい加減に疲れたし、家賃もったいないから、そろそろ一緒に住みたいみたいなことを毎日毎日電話で一日に30分以上話していた。休日に顔を合わせると一日中そういう話を僕にしていた。

その頃の僕は、前の彼女と別れた理由が「僕が彼女の話を聞かず、僕の愚痴ばかり話すこと」だったこともあって、自分が話すより相手が話してくれる楽さと頼られている心地よさに身をゆだねていた。

 

結婚してから愚痴は、仕事のものが一気に増えた。彼女転職先がひどいパワハラ職場で、いつも莫大なストレスを抱えていたからだった。かつ、仕事時間基本的孤独環境になりやすかったこともあり、同僚と共有するような感じになりにくかったこともあったようだ。

そして、仕事ストレス八つ当たり的に僕に対して、「子供を作る気はあるのか」「いつまでこんな狭い家に住む気なのか」とか詰め寄り続けた。僕は仕事でかなり大きな問題を抱えていたが、それを妻に愚痴ことなく、休日マンションモデルルーム見学に何度となく歩き回った。あの時期、おそらく全部で20件はマンションを見たと思う。彼女はどこに住みたいとか具体的なイメージを持つことなく、僕がネットや分厚い情報誌(当時は電話帳くらいの住宅情報誌が毎週出ていた)を探しながらリストアップしたマンションに対し、この町は好きだけど、部屋が狭いとか、このマンションはすごく雰囲気がいいけど、街が嫌いとか、この地域は好きだし、マンションも好きだけど、駅から遠すぎて通勤イメージがつかないとか、ずっと文句を言い続けた。結果的には、最初から3番目に見たマンション半年近くたって完成目前のタイミングで再度見学をしたら、運よく出物の部屋があり、そこに決めた。

 

子ども結婚3年目でできた。3年目ならごく普通タイミングだと思うのだが、彼女は30代前半のうちに何とかほしかったらしく、最後の方は不妊外来にも通っていた。一度は僕も精液検査をしたのを覚えている。

子育てが始まると生活リズム完璧にしたい彼女は、僕が子どもの就寝時間に帰ってくるのをひどく嫌って、そういう時間帰宅するとものすごく不機嫌になった。そして、ママ友の家の話をしたりして、その夫の献身ぶりや子煩悩ぶりを延々と僕に愚痴った。僕は休日には子供とべったり過ごして、買い物や妻の食事の世話をしたり、妻を休ませるために子どもと二人でぶらぶらと散歩したりした。それでも妻の愚痴は止まらなかった。その愚痴の中には「子供は二人いないとかわいそう」という、一人っ子の僕に対して、何を本気で言ってるの、それ、みたいなことも含まれた。

とはいえ、数年後に子供はもう1人できた。子どもが二人になると子どもと家庭に関する愚痴は2倍かと思ったら3倍になった。僕の家事労働力は飛躍的にアップした。僕はたまたま休日子どもの体調が悪かったりすると僕が一人で病院に連れていくことも日常茶飯事だった。土曜日なら小児科でも父親だけで連れてくる家庭は少なくないだろうと思ったが、全然そんなことなく僕は母親たちに紛れて、子どもと待合室で絵本を読んだりしていた。それでも週末に登山キャンプだ、アクティティだと繰り出したりすることが苦手な僕は、妻から見ると子供との時間をさぼってる夫に見えていたようだ。そして、そういう体験を与えなかったことで、子どもたちがインドアになったと今でも思っている節がある。

 

の子どもが幼稚園に通い始めたタイミングで、徐々に妻は仕事に復帰し始めた。朝の幼稚園の送りは僕の仕事になる機会が増えた。幼稚園に送るとどうしても朝の出勤時間が数十分間に合わなくなり、それが毎日続くので、上司に白い目で見られた。僕は事情説明して了解をとったものの、やっぱり、それは時間ルーズイメージを作っており、若干査定に響いた(数年後にコアフレックスになったので、今の後輩たちは自由に送り迎えをしている)妻は子育て愚痴に加え、仕事愚痴が爆発的に増えた。仕事の内容的にブランクが足をいろいろ引っ張るらしく、しかも、年齢的にはかなり厳しい状況で新領域チャレンジすることもあり、その悩みは大きかったのは薄々わかるが、その愚痴を吐き出す先は僕一人だった。妻の職場環境や同僚などについて僕はひどく詳しくなったけど、たぶん妻は僕が今どんなことを仕事にしていて、どんな人と働いているのかは全く知らない。たぶん、会社辞めてもしばらくは気づかないんじゃないかな。

 

そして、新型コロナの猛威が世界を覆い始めた。

うちの会社リモートワークを導入し、僕の出勤回数は大きく減った。自宅で仕事をするようになると必然的家事の一部を僕が賄うようになる。僕が平日の夕飯をつくることも大きく増えた。もともとサポートしていた掃除洗濯も僕がやることが多くなった。

妻はリモートワークがしずらい職種なこともあり、出勤を続けている。4月ごろは日々減っていく通勤客と自分感染するかもしれない恐怖を毎日30分くらい愚痴っていた。それ以外にも職場愚痴を1時間程度、子どもたちに関する愚痴(主に一日中ごろごろしてるとか部屋が汚いとか)を1時間程度話している、その話はたいてい僕がしっかり怒らないからだという結論に収斂される。この辺の愚痴は今に至るまでずっと続いている。僕は本を読んだり、スマホを見たりしながら3割程度耳を傾けて聞いている。家事に関する愚痴が大きく減ったのが救いだ。まあ、部屋の掃除ちゃんとしてないとかあるけど。

 

考えてみると妻が日常生活で楽しかたこと、感動したこと面白かったことを聞いたことはこの5年はない。テレビ番組ストレス発散できるタイプならいいのだが、なんでもかんでもnot for meにしてしまうので、僕への愚痴に収斂してしまう。お前の大好きだった80年代90年代バラエティより今のほうが面白ものはるかに多いよ。ネット記事に心をざわつかせてるのに、子どもYouTuberの話をうのみにするのをバカにするのはダブルスタンダードだと思うんだがね。子どもボカロとかネット音楽を好きなのと、お前が90年代クラブポップが好きなのは何も変わらないといつになったら気づくのかね。

もう足掛け15年程度は妻の愚痴を聞き続けているが、いつの間にか自分限界が来ているように思う。毎日家で仕事をしていても妻が帰ってくる時間憂鬱になる。妻が最初に何について愚痴るのかを考えると気が重くなる。妻と過ごす寝るまでの6時間程度をどうやってやり過ごそうかを考える。日々、やり過ごすだけで過ぎ去っていくように思う。新しいことは家でも仕事でも何もしていない気がする。家庭のある人、NetflixとかAmazonプライムとかどうやって見てるの? そんな自分のためにテレビを使う時間なんてどこにもないんだけど。というか、自分のために時間を確保するなんて、子どもができてから家の中では微塵もない。

僕は時々妻と結婚しなかったら、こういう愚痴時間を何に使っていたのかを考える。

2020-07-26

anond:20200726202007

自信を持って挙げたいのは

DQN

この語句は初期にはカタカナ書きで「ドキュン」と書かれた

重要なのは2ちゃんねるができる以前の1998年から使われている点(!!)

あと、2ch由来のネットスラングはほぼ発言者不明だが

2ch前夜にできたこ語句はめずらしく発言者がわかっている

マミー石田と名乗る「自称高学歴高収入エリートである

2000年前後に成立した2ch由来のネットスラングの多くは現在では廃れたが

ガイシュツ、すくつ、ぬるぽオマエモナー等々)

DQNという語句は今も細々と使われる機会がある

カタナナ書きのドキュンと変化系の「ドキュソ」は見なくなった)

この語句が広まった背景には

スマホネット対応携帯電話もなかった時期

初期のネット利用者が高額なパソコン所持者に限られ

その中核は理系高学歴者だった点が少なから関係している

その後ネットユーザーの枠が広がって以降も

平成日本ネットは従来であれば教室カーストで目立てなかった

インドア派のギーク的な者(オタク)がリードしてきたので

不良、ヤンキー系、粗野な体育会系は多くの場合目の仇にされ

そうした人々を侮蔑的に呼ぶ言葉はずっと変わらず需要があった

それがDQNって言葉が生きのびた理由だと思う

以上のような点から平成代表するネットスラングだと思うよ

(一時はネット外でも使う人がちょくちょく現れてた)

anond:20200725181538

近代以前は全員結婚できる社会だったとか大ウソですわ

江戸時代江戸とか大坂とかの男女比は男3に女が1とかが普通

農家農地を継がない次男坊とか三男坊とかは都市部流入して

長屋に住みながら日本橋肉体労働人足なんかの仕事をして

結婚せず30歳とか40歳とかで死ぬのがごろごろいた

一方、大名とかは実質的一夫多妻

自由恋愛じゃない時代ほど強者けが遺伝子を残せる不平等システム

建前上は自由恋愛時代になった近代以降だって

明治から昭和30年代頃までは産業構造が圧倒的に

農業とか鉱山とか工場とか軍隊かに偏っててデスクワークなんか少数派だから

モテるのは筋力のある体育会系ばっかり

インドア派のオタクタイプなんか現代以上に人間扱いされてなかった

自由恋愛時代近代)はダメだ、昔は良かった」とか大ウソ

つの時代にもユートピアはないの

つの時代だってその時代価値観範囲内で不自由はあったの

それでも元増田が納得しないのであれば1つ解決策の案を挙げるが

ホモになるという選択肢はどうかね

多分だけどさ、君、金がある男やイケメンを選ぶ現実の女嫌いだろ

野獣先輩の方が魅力的かも知れないぞ☆

2020-07-25

さっき飲み会から帰ってきた

さっき飲み会から帰ってきた。こんな状況になってから初めての、本当に久しぶりの飲み会だった。しばらく会ってなかった友人にも再会できた。楽しかった。楽しくてマスク居酒屋に置き忘れてしまったくらいだ。自分インドア派でステイホームなんて別に不便でも何でもないよとか思ってたけど、やっぱりちょっと我慢していたんだななんて思った。

で、けっこう通りに人も戻ってきてるなとかタクシーの窓から外を眺めてたら、あれが目に入った。

「車導指 会協ーヤイハ〇〇」

パトカーみたいに白黒に塗り分けされてるけど、パトランプはない車の側面に書かれていた。もちろん反対側には「〇〇ハイヤー協会 指導車」とあるはずだ。(〇〇は町の名前

前もって言っておくと、私は普段、「イケメン/美人だと言われてるあの芸能人の良さが分からない」とか「名作とされてるあのアニメの良さが分からない」とかい人間に会うとウルセーなと思う側の人間だ。お前に好かれたり理解されたりするために世界存在してねーよ、と。自分理解できないものや良さが分かないものでも理由があってそこに存在していたりするものだ。それは分かってる。

でもだ、「車導指 会協ーヤイハ〇〇」はやっぱりおかしくないかハイヤー協会のやつは今回初めて見たが、トラック商用車でよく見るあれだ。そもそも、何らかの理由(美しさとか?)で左右対称にしたいなら、当然ここは鏡文字になっているはずだ。そうしないと反対側と完全にシンメトリーにならない。それだと読みづらいだって? いや、「車導指 会協ーヤイハ〇〇」は読みづらいだろ。読みやすさ重視なら、普通に車の両サイドに「〇〇ハイヤー協会 指導車」でいいだろ。

こういうのを目にするたびに、私なりに理由一生懸命考えてみるんだが、何度考えてもやっぱり納得できない。たぶん昔は横書き日本語右から左に読んでいた、あたりが関係してきそうな気はしてるんだが……

もうずっと長いことこのモヤモヤを抱えて生きている。たのむ、誰か納得のいく理由説明してくれないか? こんなにこの世に存在しているからには、必ず理由があるはずだ。いや、納得できなくてもいい。私が納得できなくても、なるほどそういう風にこれを正しい/美しいと考えている人たちがいるのだ、という理解はしたい。

あとついでにCDのことを「シーデー」と言うと笑われるのに、「スィーディー」と言うとやっぱり笑われる(ような気がする)のは何でなんだ? シーディー? おかしくない?

酔っぱらってるのかな。寝ます

2020-07-24

母の一周忌を迎え、私を取り戻す。

母の一周忌が来た。


一人称としての「私」は、母に奪われたものだった。

幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、

見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。

『私ってだあれ?』

…誰?確かに誰なんだ?


それ以降、どうしても使わなければならない時以降、

一人称としての「私」は使わなくなった。

一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内こだまするからだ。


ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。

母にミロを飲まされていたのを思い出す。

小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。

父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたこから母方の祖父暮らしていた)

それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。

母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。

恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。

それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。

怒鳴るしかしなかったのだろうか。

しかも、祖父料理がとてもうまかった。


母については、他人愚痴を言っているか、怒鳴られているか記憶しかない。

しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。

こうはなりたくないな、しか思っていなかった。


そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、

私が中学生になった頃から母の様子がおかしくなってきた。


母が笑うようになった。


正直、何に笑っているかからない。


話は戻るが、

私が小学生の頃から聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。

私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。

父と祖父が、黒服女性が来るたびに何度も何度も追い返した。

ある時から、本当に来なくなった。


黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。

父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。

そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。


笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。

座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。

笑う、泣く、ツイッターbotのように出てくる支離滅裂言葉


こんなのずっと見てたらこっちがおかしくなる

一人暮らし金銭的にできない

からできるだけ家にいないようにしよう


中学陸上部を始めた頃だった。

友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。

インドア派なのに帰りが遅くなる矛盾人生が始まった。

陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。

運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。

ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲーム難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。

気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。

そして、聴く音楽自分メンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。

これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。


そうやって私が我が家から現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。

つの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。


デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って

「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。

「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。


目の前にいるのに。

大学生になって、もう陸上は辞めてしまっているのに。


その時、珍しく母は笑顔だった。


その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、

昨年ようやく亡くなった。


申し訳ないが、「ようやく」という気持ちのほうが強かった。

死因は若年性アルツハイマー認知症、病歴20年。

病歴を見たとき人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。

妹なんて、元気だった母の記憶が無いレベルだ。


母の一周忌が来た。

これから取り戻せるものがあるのかどうか正直わからない。

今までいろいろな物事を諦めたような気がする。


結婚なんてできる気がしない。

母と同じような結末を迎える気がしてならない。

祖母も脳縮症で40代に亡くなっているからだ。

母も40代からボケ始めている。

そもそも、今更相手がいない。


この先どうやって生きていくべきか分からない。

でもまだ生きていたいから生きている。

ただそれだけ。


言い方はよくないが、母が亡くなったことで

一人称としての私は、取り戻し始めている。

そこから先をこれから見つけていかねばいけない。

2020-07-14

anond:20200713175912

増田はまず母親に「美人である故の苦労」を聞いた方がいい。なかなか壮絶だと思う。

おそらく母親が着飾らないのも化粧をしないのも世渡りの一つだ。出る杭は打たれるというありがたいことわざがあるが、美人も出る杭なので打たれまくる。

男は下心ありで見てくるし女は嫉妬してくるから人間関係が粗末だ。友達がまず少ない。32歳増田みたいな友達美人には心底ほしかった友人だと思う。

ストーカー心配も山ほどあるし、仕事で成績を上げれば枕だの美人は得だのと言われる。セクハラされても同情されない。

芸能人になれるようなメンタル持ちなら美人もいい。しかインドア気質で引っ込み思案の美人だと人生悲惨だ。暴力男に無理やり交際に持ち込まれるのがこのタイプ

美人には美人の苦労がある。せっかく身内というアドバンテージがあるのだから母親に苦労を聞いてみるといい。多分違う世界が見えてくると思う。

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