はてなキーワード: インカ帝国とは
・単純労働は全て機械化されているため、経営者か一部の頭脳労働者しかいない
・アメリカの庇護の下で、国体は維持されているが、そもそも遠隔勤務で国境を跨いで働くのが主流の社会においては、国民にとっての国家とはサーバーやインフラの管理者ぐらいの意味合いしか持っていない(税金は管理費ぐらいの感覚)
・寿命は伸びて、250歳ぐらいまでなら生きることは出来る(ただし、経営者か頭脳労働者限定)
・総人口の10%未満だが機械が不得意な領域をカバーする伝統芸能人、伝統料理人、伝統業界人のようなものは存在している(特殊単純労働者)
・機械化社会に反発する反社会勢力は沖縄に拠点を構えて前時代的な生活を営んでいる(平均寿命は80歳ぐらい、2018年ぐらいの生活水準)
・寂れてしまった六本木の街では、総人口10%未満の特殊単純労働者が200年前の伝統を守りながら慎ましく暮らしている(テレビ、クラブ、ミズショウバイ、バー、カフェ)という名で知られている
・現代生活に馴染まない、反社会勢力や特殊単純労働者は容易に犯罪に走る傾向があり、沖縄や六本木ではロボット警官と犯罪者(飲酒罪・喫煙罪)が逃走劇を繰り広げる光景が日常的である
・沖縄の反社会勢力は大陸の反社会勢力とも強い関わりを持ち、ボーエキやシホンシュギいう伝統文化により生活水準の維持を試みている(2050年のシンギュラリティ以降に誕生した者から見るとインカ帝国の生贄文化ぐらいの衝撃を感じるらしい - ヘイキンカブカという占いで族長が政を判断したり生贄を決めるイメージ)
・中東に全世界の反社会勢力の拠点があり、アメリカの政策により物理的に隔離されている(2018年でいうとガザ地区のようなイメージ)、経営者や頭脳労働者から生成された子孫にも遺伝バグが発生する場合があり、生体検査や行動ログにより事前検知されると中東に輸送されると言われている、アメリカ主導の政策であるが、日本も従属しており同様の手法で「沖縄送り」という政策を実施している
「かはく(国立科学博物館)で古代アンデス文明展がやっているらしいですぞ」「あんですって!?わたくし行っていインカ?ですわ。えっ?行っていいんですの!?サンクスコですわ」
なんて会話はありませんでしたが今日行って参りましたわ。
アンデスのなんたら文明の出土物とかミイラとかがありましたわ。それと合わせて文明や文化等を解説してましたわ。この文明たち文字がないんですのよ!
わたくし正直あまり興味がなかったので、増田様の興味を引く文を引用させて頂きますわ。
ピサロによりインカ帝国の傀儡皇帝として擁立されていたマンコ・インカがクスコを逃れて反乱を企図し、10万の兵でクスコを包囲する。
ピサロが、ピンサロだったら一発アウトですわ。頭がマチュピチュしそうですわ。あとシカン文化とかもありましたわ。
恒例の展示最後のデカ画面上映で流れたウユニ塩湖が素晴らしかったですわ。会場を出た第二会場ではウユニ塩湖体験VRが500円でできるようでしたわ。わたくしもう疲れてたのでやりませんでしたわ。
とりあえず図録は買って帰るのですが何回か前から500円値上がって2500円、音声ガイド500円、特別展入場は友の会会員なので一回は無料なのであんまりお土産を買ってる余裕がありませんわ。インカコーラを買いましたわ。350缶130円でしたわ。
1回目は分かりやすい本を読む
→2回目は覚えるべきところを、マーカー(赤ペンじゃダメ)書いていく(覚えれば点になる場所だけに絞る)
→3回目はノートにマーカー部分で覚えていなかったところを書き写しながら読む。
で、
みたいな感じで、ノートに1対1の単語暗記みたいにただただ書いていく。
で、このノートを、覚えていくんだけど。
ただ暗記しようとするんじゃなく。片方を見てもう片方が出てくる「スピード」を上げる。
インカ帝国→ピサロ。ピサロ→インカ帝国の両面からスピードを上げる。
単にう~ん、って思い出して出てくるのは暗記得意な奴ならできるだろうが。
見た瞬間出てくるレベルってのは、トレーニングしないとできない。
この部分の差で暗記はカナリ行けるっぽい。
あと、ADHDは間違いなく、集中できないから、音楽聞いたりしながらやってる。
音楽で多少気がそれるくらいのほうが集中はできなくても、机に座り続けることはできるし。
http://anond.hatelabo.jp/20130528133141
世の中には色々な考え方があるのに、立場や状況によってモノの見方が変わることを理解できない原因が想像力の欠如にあるというのは、そうだと思います。でも読書をしないと想像力が欠如するというのは、違うんじゃないかなー。読書ばかりしてる人は、それはそれで想像力が欠如するんじゃないかなー。この方の書いた記事を読んで、そう思いました。
この記事を書いた方は、「時間を消費した代わりに、現実世界で役立つ知識が得られないと、意味がない」という考えが根底にあるように感じます。そして、現実世界で役立つ知識を得るには、読書が最も効率良いと考えてるのではないでしょうか。
実際に体験せずとも、いつでもどこでも知識を得られるというのは読書の良い点ですし、効率が良いとも思います。でも本以外にも、テレビやラジオ、映画、インターネット、その他のメディアも、充分に効率が良いんじゃないですかね。また読書では得がたい、実体験から会得できるような知識もたくさんあるんじゃないですか。それに、何らかの体験から得られるものは知識以外にも、富とか名誉とか、その他の何かとか、それらにも価値がありますよね。
実際には体験せず、擬似体験で知識を得ることもできます。私はビデオゲームが大好きなんですが、ビデオゲームにはそういう可能性があるように思ってます。わかりやすい例だと、シリアスゲームと呼ばれてるようなやつですね。『シムシティ』とか、そういう可能性を感じます。
ところで近ごろ私は、『銃・病原菌・鉄』の文庫版が出てたので再読してるんですけど、いやー、面白い。この本を読んでると、『シヴィライゼーション』というビデオゲームは実にうまく人類史をデフォルメしてるなあと思えてきます。
「肥沃三日月地帯とかズルくね? メソポタミアの連中はチートだろ、チート。最初に建てた都市の周りに、小麦と牛と馬と豚と羊と、全部あるじゃねえか。ワシの周囲にはトウモロコシしかありゃしねえ!」(インカ帝国のワイナ・カパックさん談)
読書以外で価値観の壁を超える方法が理解できないという点で、えらく狭量な方だなあと思いました。この方が書いてるのは結局、「趣味が合わないと話ができない。自分の趣味に合わせてみんな本を読め」ということじゃないですかね。
ゲームも新興宗教も、それ自体はコミュニケーションの妨げにはならないはず。コミュニケーションの妨げになるのは、自分の見える範囲しか見ず、それを絶対だと根拠なく信じこもうとする心持ちじゃないでしょうか。定番の決まり文句を言うと、書を捨てよ、町へ出ようってことですかね。そしてビデオゲームを買って家に帰ろう。今なら、『真・女神転生IV』が面白いらしいですよ。