はてなキーワード: イレギュラーとは
東京都の感染者が300人を超えましたが、実習が例年通り行われると言う連絡がきました。このコロナ禍で大学側は対策もなく、実習生全員がPCR検査をすることもなく、実習校でなんの対策も取られることもなく、手洗いうがいだけで例年通りの教育実習を敢行しようとしています。
児童も保護者の皆さんも本当にこんなどこに住んでてどんな生活してるかもわからない、いつ飲み会に行ってるかもわかんない、どこでバイトしてるかもわからないような検査も受けていないグレーゾーンの大学生がのこのこ学校に来ていいんですか?子供が可哀想、子供のための教師じゃないの?自分の利益のためだけ、免許のためだけの実習なの…?児童がもしこの教育実習の影響で感染したらどこが責任を取るんだろうか。通学の電車ですね、で終わらせるんですか?感染要素が校舎内に入ってきてるのに。
こんなイレギュラーなことが起こりつづけている現場の教員の皆さんは本当に実習をやりたいと思っているんですか?Twitterのトレンドは #先生死ぬかも だし、そんな中もっと死ぬかも要素を増やしに学校に行くのめちゃくちゃ申し訳ないし、いい仕事ができるとも思えない。コロナでただでさえ忙しいのに、もっと忙しくなったら本当に人が死ぬ。実習校から連絡も来ないし。オリエンテーションの連絡も、教科に関する連絡も。
呼吸器疾患なので万が一感染したら死ぬ確率がとてもあがります。辞退はもう学校が受けられないようになっているし辞退もできない。秋学期の授業と実習オリエンテーションはオンラインなのに9月、10月の実習は集まれるってめちゃくちゃ矛盾してないですか?大学生の日常があーだこーだ言うならこの問題にも気づいてくださいよ。学校で実習中止求めてるの4人しかいないっぽいしみんなコロナ怖くないの?薬のないウイルス、どんな力があるかもわからないのに?若い人が死なないとは限らないし、私たちが児童にうつす可能性が高いのに、本当にこれでもやるんですか?
文科省のガイドラインでは、中止にして座学での取得可能だし、うち国立だよね、国のガイドラインに従ってよ。現場に出ない学生が教員になったらさっさと辞めそうだから教育実習やんないといけないみたいなのTwitterでみたけどそれならまず現職の仕事内容考え直してよ、明らかに一人の教員がやるべき仕事の量超えている。本当に教育実習が必要で教員になる前に授業をやりたい人は来年4年でいったり、自分でボランティアでコロナ終わった後に学習サポーターで行く。こんな不安定な情勢の中でやる実習がいいものになるとは思えないし、自粛してた意味ってなんだったんですか?助けて文部科学省。
千葉マリンの裏や栃木の滝で水難事故が起きた。亡くなった人も居るようなので、これから行くであろう人に
大前提。泳げない人は海や川に入ったらほぼ死にます。水深とかそういう話じゃない。イレギュラー時の慌て方が違う。入るな
泳げない、泳ぎに自信ない人はライフジャケットかウェットスーツ着ましょう。実際問題ウェットスーツはオーバーなのでライフジャケットでしょう
人間首から上が水面に出てたらすぐに冷静になれます。ただし、ちゃんと着ましょう。羽織るだけとかだとライフジャケットに置いてかれます。あいつらマジですぐ浮く
飛び込んで足つってとかあるでしょうが大半はこの2つ。
堤防の場合堤防に沿って離岸流があるので、堤防に向かって泳いでも沖に流されるだけ。落ちた所を背にして泳ぎましょう。流れが落ち着くか、浜への海流に乗るので遠回りですが大体助かります。
滝壺はそのまま浮き上がろうとしても滝のおかげで猛烈な縦回転の渦があり下に押し戻されます。下に潜って前に進めば押し上がる流れに乗って勝手に水面に上がれます
両者ともライフジャケット等があれば落ち着いて行動できます。最悪浮いてりゃ助かります。サメはいません
歩きスマホをしている人が怖い。
何故、人が行き交う街中でそんなことができるのか。
常時、TwitterやInstagramを見ていないと落ち着かないのか。
そして、大概そう言う人は、耳もイヤホンで塞がっている。
なので、こちらが何を言おうが聞かない。効かない。
最近多くなってきた、駅や街中のアナウンス「歩きスマホ(ながら歩き)は他のお客様のご迷惑になるので、おやめください」等も聞こえない。
耳が塞がっているから、自分の声を調節できずに大声で文句を言う。
街中でいきなり大声を出すその姿、側から見たら気違い以外の何でもないんですよね。滑稽。
関わりたくないから、こちらで歩きスマホの人を避けようとして進路を変えると、高確率で同じ方向に避けて歩いてくる。磁石か?
手段を変えて、数メートル手前で立ち止まってみる。これは中々効くようで、後2・3歩という所で、はっとして立ち止まる。その時の顔のなんと間抜けなこと。
そもそも、何故ながら歩きをしている人に対して、前を向き周りを見ながら普通に歩く私が、配慮しなければならないのか。
子供はイレギュラー要素が多すぎるというのに賛同だし、現代社会では出産して自分の子供を持つことはもはや贅沢な趣味の領域に入りつつあるという考えを持っているから。
母親は「私も昔はそうだったなあ。でもまあ若いうちはみんなそうだよ、産んだら何だかんだかわいいよ」みたいな感じだけど、恋人は体のコンディションとかもあって「実子を持つこと」にはとりあえず今のところは興味ないと言っている。この先彼が急に心変わりして「やっぱり産んでくれ」と言っても、少なくとも今の私は同意しないだろう。
他の人も言ってたけど他人にわかってもらう必要はなく、他人にわかる義務はない(それは誰かがあなたを説得しようとした時にも言えること)。しかしあなたにはあなたの身体、そして人生について決める権利がある。
歩きスマホをしている人が怖い。
何故、人が行き交う街中でそんなことができるのか。
常時、TwitterやInstagramを見ていないと落ち着かないのか。
挙句、スマホやそれ以外のゲームをしながら歩く、子供までいる。
そして、大概そう言う人は、耳もイヤホンで塞がっている。
なので、こちらが何を言おうが聞かない。効かない。
最近多くなってきた、駅や街中のアナウンス「歩きスマホ(ながら歩き)は他のお客様のご迷惑になるので、おやめください」等も聞こえない。
耳が塞がっているから、自分の声を調節できずに大声で文句を言う。
街中でいきなり大声を出すその姿、側から見たら気違い以外の何でもないんですよね。滑稽。
関わりたくないから、こちらで歩きスマホの人を避けようとして進路を変えると、高確率で同じ方向に避けて歩いてくる。磁石か?
手段を変えて、数メートル手前で立ち止まってみる。これは中々効くようで、後2・3歩という所で、はっとして立ち止まる。その時の顔のなんと間抜けなこと。
そもそも、何故ながら歩きをしている人に対して、前を向き周りを見ながら普通に歩く私が、配慮しなければならないのか。
ケータイ小説というのは読者層が10代のケータイジャンキー少女でかつ一般小説には親しまなかった故に独自のフォーマットに適応できる、という相当ふるいにかけられた層だから可能な形態だっただけ。
Webの文章というのは、老若男女だれもが読む可能性のあるもんなんだよ。だからBlogで改行しまくる謎の文化や文字色・文字サイズをせかせかと変える文化があったが、だいたい白眼視されていただろう。最近は芸能人ブログといえどもそこまで過度にうざったい書き方をするのは少なくなった印象だな。黎明期は一時イレギュラー的にあれこれ独特なことをしようとする人がでてくるが、結局教科書的な落ち着いた作法で問題ない、ということが証明された例と捉えるべきだろう。
Web最適化というのは、実は文章作法面ではさほど必要ではないと思うんだよ。むしろビジュアル。例えば縦スクロール漫画のようなのは、優れた発展型だと思うよ。
無職期間があったこともあり今年の年収はやっと300とちょっと。
来年は少しだけでも上がるかな。それでも東京で暮らすにはギリギリ。
将来を考えてなんとか少しずつ貯金をし、
決して広くもなく新しくもない賃貸の部屋だけどできるだけ掃除をして、たまに花とか買って、それだけのことしかできない。
服なんかユニクロやプチプラで数ヶ月に一度しか買えない、それでもなんとか体格や骨格に合うものを苦労して探している。
長年死んでやろうかと思うほど悩んでいた肌荒れは、別の健康上の問題で飲みはじめたピルで解決をしたものの
月数千円の薬代と医療費を恒常的に払い続けるのは地味にはつらいなと思い、代わりに化粧品のランクを下げた。
そして私は実年齢よりも若く見られることが多かった。別にそれについて何ら感慨はない。
誰も本気で褒めようとして言っているとは思わなかったからだ。
ずっと肌が死ぬほど荒れていたしそうでなくても元々自分の容姿には自信が一片もない。
人はなにかを潤滑にするためにお愛想を投げ合って生きている。それ自体はまあ悪くもないでしょう。
そんな風に生きてきているはずなのに
「30過ぎて見た目より若いなんて『歳のわりに金持ってなさそう』という言葉の代わりに言われている」という旨のブクマに、
自分でもちょっとびっくりするくらい打ちのめされている。ずっと気が重い。苦しい。
なぜならそれは本当のことだからだ。
ギリギリ暮らすお金があっても、世の年相応の豊かさに見合うだけのお金がないのだ。
ずっとそれがコンプレックスだ。
年齢が足りていないし収入が足りていないし貯金が足りていない。
だから容貌から年齢が、何かが欠落するのか。なんだそうなのか…
今月は台所の調味料がたくさん切れたから食費がかかってしまって新しいトップスを1枚諦めました。欲しかった化粧品も先送りにしました。
それでもお金がない。ないんですよ。
自分の暮らしからマイナスを出さないことを目標にしていたけどそれではダメらしい。
若く見られたいとも思ってなかったはずなのに、単に幼く見えてただけなんだって。苦しいな。
明日をどうやって楽しく過ごせばいいか、今夜はちょっとわからない。
なんとかやりくりして貯金に回した1万円がむなしい。みんなもっと持ってるんだろうな。なんなんだよ。
先週買った花がしおれている。
化粧水がもうすぐなくなる。お金を持ってなさそうに見えるらしい。
だから何なんだよ。苦しいわ。
………
昨日の夜中にわーっと書いて寝て、朝起きたらすごく体調悪くなってて半休もらってまた寝て、
お昼に起きて見たらブコメいっぱいついててびっくりしました。そこからこそこそ見てました。
いろんなお言葉をありがとうございます。
以下、なんとなく補足します。
・誤字、気づかなかった!
ご指摘ありがとうございます。恥ずかしい……
・300万は手取りじゃないです。額面。だからだいたい月20万ちょっとと思っていただければ。
まったく無収入だった月もあれば、転職中のつなぎの派遣(時給)で残業いっぱいしてちょっと多かった月もあるからまちまちだけど。
さらにそこから住民税も天引きじゃなく払ってた時期もあるのでまあ……お察し……という感じです。
やっと衣替えをしてクリーニング代がかさんだりしてそもそも余裕がなかったので、
そこにきてサラダ油とごま油とオイスターソースと米と洗剤と柔軟剤が一気に切れて、
そういうイレギュラーがなければもう少〜しだけ貯金に回せる月もあります。
自炊も好きだし、いろいろ工夫しながら暮らすのもひとつひとつはそんなに嫌ではない。
なんですけど、やっぱりいろいろ複合的に「自分に何かが足りていない」というコンプレックスがあって、
美醜もまあハッキリはしやすいですけど、
もっと一番わかり易いのがやっぱ収入と貯蓄なんですよね。やはり数字かついろんなものに直結するので……
とはいえ現実は現実なので普段は飲み込んで暮らしてるんですけど、
時々どうしようもない不安と、かといって無い袖ぜんぜん振れねえしというむなしさが爆発融合してしまう。
そこに更に自分ではわかりかねる他者からの外見的な視点と評価、
さらには年齢というこれまた不可逆な要素を絡めた値踏み、そういうものが悪魔合体したことで
もうダメだ!!!!!できることなんもねえ!!!!!!となってうちのめされたんだと思います。
そしてたぶんこれからも度々うちのめされながら生きては行くんですけど……
元気を出してというような声を実際にいただくとほんとに元気が出るんですね。びっくりしています。
「私なんて〜〜だからあなたはえらい」という言葉には大変恐縮しつつ、
優しい方に「私なんて」と言わせたかったわけじゃなかったのだ……とすごく反省もしています。
でも、ありがとうございました。
みなさまお互いなんとかやっていきましょう。
花に関してはここまで触れられると思わなくてちょっとびっくりですが、
ずっと気力がなくて買う気になれなかったのが最近継続して楽しめるようになりました。
週に数百円の出費ではあるけど、毎日変化があるし、太陽の方を向いたりするし、
しおれたら処置で元気になったりもするしほんとに面白くてかわいいです。
昼に水切りして水換えて、新しいのを買いに行って足しました。
この記事は『ツイステッドワンダーランド』の新イベント、『ゴーストマリッジ』について偏った目線から書いた感想のような怪文書でございます。
イベントストーリーの他、ストーリーのネタバレを含んでおりますので「ツイステ気になってるんだよね~」という方の閲覧はおすすめしません。
メインストーリー(特に3章)はできるだけネタバレ見ずにプレイしてほしい…!
同担拒否の方はウィンドウ(タブ)をそっ閉じ、もしくはブラウザバックすることをおすすめします。
また、この文章はあくまで思考の整理であり、誰かに向けたものではございません。
(誰もこんな文読まないだろうけど予防線を張っておく)
まず、私個人の感想を申し上げますと「大草原不可避」。この一言に尽きます。
当初自然回復分でブーケを集めて少しずつ読んでいこうと思っていたのをやめ、かけらを少々砕いてどんどん読んでいったぐらいにはストーリーが楽しかったです。
でも、アズールの出番をざっくり拾うと、
2年寮長ズで勉強会してたら追い出される→運動場で監督生を気にかけるような発言(社交辞令の可能性あり)→『オペレーション・プロポーズ』に案外乗り気→先に玉砕したリーチ兄弟のことを詫びつつ自分も花婿候補として名乗りを挙げる→(「薔薇の花束を捧げて、高らかに愛を歌い上げ」る→)イライザちゃんビンタ→第2陣組でひときわ悔しがる(※個人の見解です)→イデアにボドゲ部のよしみで助けを求められるも切り捨てる…とよく考えたら夢女的にアウトになりかねない要素が普通にあるんですよね…
多分他作品の推しで「演技とはいえある程度ノリノリで異性に告白→玉砕」の流れがあったらブチギレる。きっとお気持ち長文書いちゃう。最悪他界する。
そして大変恥ずかしい話ではあるのですが、わたくし、推しの扱いにあまりにも納得がいかなくてその作品から距離置いたり他界したりなんかした経験があるめんどくさいオタクであるという自覚があります。
冒頭でゆるーい夢女などと申しましたが、鍵掛けずに推し×夢主アイコンにしているような夢女子(夢男子)さんがはっきり言って地雷なめんどくさい夢女です。(もちろん見かけても絡んだりはしませんし、自分の推し関連以外はそこまで嫌ってない)
それなのに、なぜ今回は笑っていられるのか…
平気だった理由として考えられるのが、「監督生に対しての台詞があったから」「推しだけじゃなくて他のキャラも同じような目にあっているから」「コントのような雰囲気だから」「花嫁が求婚を突っぱねたから」…
ストーリー自体から挙げられるのはざっとこんなところでしょうか。
「◯◯さんも、ご無事でなによりです」ですって…!
公開されないからへーきへーき、と少々恥を忍びつつ主人公の名前を本名(世界観に合わせてカタカナ)に設定していた私は不意討ちを食らうこととなりました。宇宙猫状態。
アズールの性格を考えると何度も言いますが社交辞令である可能性は十分にあります。
ですが、なんであれ監督生を気遣うような発言をしたのは事実です。
そして、ライターさんの解説でもない限りこの発言の真意が明かされることはないと思っていいでしょう。
そうです。せっかくだから都合よく解釈したろ!ということです。
他人に自分のそれを押し付けない限りはどう解釈しようが自由です。なので私はアズールのあの発言は本心からと思うことにしますね。
これはシンプルながら個人的にはわりと馬鹿にできない理由です。
後半どうなるかは不明ですが、現時点でレオナ、ヴィル、ジャック、セベク、トレイ、リーチ兄弟、リリア、デュース、ケイト、そしてアズールと半数近くのキャラがプロポーズチャレンジからのビンタ(紅葉の刻印)を食らっています。
やっぱりなんだかんだ言って「みんなそうだから」っていうのは強い。
推し一人だけがひどい目にあっていたら怒りたくもなりますがこれだけの人数が同じ目にあっていればちょっとした平等さすら感じます。
あんな人数の多種多様なイケメンが順番にビンタを食らう流れに笑わずにはいられませんでした。
似たような感想をすでに多数目にしましたが、イライザ姫の「却下!」からのビンタからにじみ出る「笑ってはいけないシリーズ」臭…
次から次へと挑んでは玉砕する彼らに笑いが止まらず、推しがぽっと出の女性キャラに求婚して惨敗していることにショックを受けるどころではなかったのです。
花嫁側がプロポーズを受ける様子が全くなく、バッサリだったのも個人的にショックを軽減する要因だったように思えます。
あそこで少しでも「素敵♡」みたいな反応を見せていたら私も絶望の淵に立たされていたことでしょう。
ここまでがストーリーそのものから考えられる理由、ここからは幻覚も交えていきます。
ナニソレ、イミワカンナイ!って感じかと思われますが、はしょった結果なので仕方ないね。
でもアズールが何にでも努力するからこそ、ショックが少ないのです。
ぱっと思い出せるだけで少なくとも、
過去100年の出題範囲からテスト対策ノートの作成(3章)、ユニーク魔法の習得(3章)、ハッピービーンズデーに向けて1年前から準備、サイコロの目を狙って出す練習をする(制服パソスト)、などが挙げられますし、そして何より自分を良く見せるための努力が随所から伺えます。
あの場でイライザさんに例の指輪渡すことができたらスゲー、ってなるでしょうし、そりゃアズールも名乗りを挙げるし全力で花婿になりきるよね。
妄想マシマシ、まさかまさかの5つ目。なんか嫌な予感がする文ですね。
ええ、どうも私にはアレが自分を良く見せる努力の一環、つまり打算的な行動にしか見えなかったのです(結果はお察しだけど)。
ここで例の台詞の話に戻る…という訳だ。
『オペレーション・プロポーズ』を成功させれば周りからの評価が良くなる→でしゃばるのも無理はない…
ですが、逃げてきた運動場で監督生を気遣う発言をしたところでアズールに何らかの得があるとは思えないんですよね。
だって監督生、美しい声もなければ一国の跡継ぎでもない普通の人間、おまけに小汚い雑巾ですしおすし。
あんな対価要求マンが得るものがないのに人を気遣うって一周回って本心からの発言しかあり得ないんだよねってこと。パンドラの箱、開けちゃったんだよね。
…話を戻すと、要は「監督生のことは素で気遣ってくれた(と思ってる)けど、あのプロポーズは本心からのものではない(と思ってる)ので痛くもかゆくもありません」ということです。(言ってることが)ヤバいですね☆
…と、まぁ自分でも着地点がわからなくなってきましたが、これら5つの要素が地雷原をお花畑に変えてくれたのだろうなと思います。
えらく雑なまとめ方だな…
ここまでピンピンしている私ですが、ショックなことももちろんありました。
比較的監督生と行動を共にすることも多い、デュースのプロポーズの様子から、監督生の性別が男であることがほぼ確定してしまったみたいなのです。
いや、NRCは男子校だから何もおかしくないんですけど。むしろ女である方がおかしいんですけど。
でも魔法士養成学校に魔法使えない人間が入学した時点でイレギュラーなんだから、男子校に女がいるというイレギュラーを重ねたっていいじゃんアゼルバイジャン。
しかし、紅一点だからといって逆ハーは私の好みではないです、あくまで男子いっぱいの中からたった一人にだけ恋愛感情を向けたいし向けられたいのです。うわキモ
まぁこれ書いてる奴はレオナより少し年上だから監督生=自分としてプレイは無理あったんだけどね!
自分の分身を何だと思ってプレイしたらいいのだろうか、男装女子か、はたまた男の娘か…
一体どうしたらいいんだ、脳内で『ツイステッドワンダーランド~イケメン♂パラダイス~』とかいって『イケナイ太陽』でも流しておけばいいのかな…
推し関連ではショック少なかったものの、こっちではなかなか大きなダメージを負ったかもしれない。
いい感じにオチがついた()ところで私のお気持ち表明は以上となります。
読んでくださる方がいるかはわかりませんが、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
普段は見なかったことにしてしまいがちな同担夢女子(夢男子)さん(いる?)も、ありがとうございます!相互不干渉(私はひっそり暮らしているので関わることはほぼないと思います)でお互い強く生きていこうな!
私は一介の十二国記ファンである。中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。
本記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈や思い入れにも立ち入るかもしれない。
各物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟の視点から見た世界よりも、庶民から見た世界の比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座に上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆のレジスタンスの物語であり、それがさらに大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。
もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベルで出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。
しかし、「丕緒の鳥」からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理な世界で生きる人々へのエールとなっている。
つまり、これから尚隆や陽子の視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。
前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。
十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。
天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。
しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上の奴隷だっている。
そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。
言い換えると、天は王と官吏と農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会を形成してきた。そして、この世界の民衆はルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主の世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領に支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たちの世界の大統領・首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たちの世界の鏡像なのだ。
今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。
それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界の宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。
十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟の運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠・出産からの「解放」だ。女性の苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観も女性に優しい。王も麒麟も官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性は再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSF・フェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。
しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会の軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに性暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界のセックスワーカーがどれほど過酷な生活を送っているかは不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実の中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。
考えてみれば、官吏は女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である。育児の負担がこちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。
それと、生理の問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から「解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信・タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。
天帝が女性、または西王母が兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから、天帝が西王母より偉い理由は別にない。
十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である。麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋な空想だ。
考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝がラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに「黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。
だが、もともと中国・道教の死生観がそういう面がある。「救急如律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国の役人が賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。
そして、自分は天帝がラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記が不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧な世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。
私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。
また、
そして、長編がありうるとしたら
と考えている。
少しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。
王朝の最後にはいくつかの傾向がある。一つは陽子を暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人の劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所が裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実を検討する能力に乏しかった。
で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らしをしろ、という趣旨の台詞がある。
これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しかも御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険なものはない。ああいう仲のいい家族が崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。
「王気」という言葉は一見すると単純な造語である。しかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。
黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。
十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人のお話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義が歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。
また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。
最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力を行使可能な麒麟がいるとか、かなり危険な情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。
楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝は盗賊が活躍するピカレスクロマンである。文人肌の楽俊とはだいぶ違う。
桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」の意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。
祥瓊の父の字は仲達で、三国志の諸葛亮のライバル、司馬懿と同じだ。雁の白沢は瑞獣の名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国の官僚や文人たちから名前が取られている。とはいえ、名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い。
「帝」という称号は始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである。
しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。
語彙だけではない。現実の中国の文化には、周辺の異民族との交流から生まれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートやキルトではない、ズボンやパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界が匈奴や西域の影響の薄い中国の文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。
十二国記のアニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。
つらつらと書いてしまった。
残念ながら、小野不由美の他の作品との比較・検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。
積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。
そして、次回の新刊をのんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語の物語を完結させてくださり、ありがとうございました。
NLをHLにしたい云々みたいな話を耳にしましたが個人的にはしんどいです。この話はLlGlBlTlQの推進派が読んだら泣いて倒れちゃうほど頭が硬い話です。検索避けするくらい。
いつかは時代に従わなきゃいけなくなるかもしれないので、だったら全く新しい考えに染まっていない綺麗な「古い考え方」を残しておきたいと思いました。あわよくばこの考え方のまま生きていたいけどね。
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私は頭が硬い「男女が交わって子どもを産むからNL」派の人間です。
ヨメと子どもが幸せな家庭に必須ではなくなった時代ですが、本当にそれでいいと思いますか?出生率が下がって子どもを必ずしも育てなくなって全てのお金と時間を自分に捧げるようになる、私はそうなりたくはないんです。
私はLlGlBITIQだからそんな高望みはできないって思う人もいるかもしれませんが、同性でも子どもが作れたらとしたら、子どもを望みますか?できないと望まないは違うんです。
なんの根拠もないけれど地球と生き物はみんな生存と繁栄を目標にしていると思っています。
叶わないと望まないは違う、現に私は叶わないになりかけてる。でも地球はきっと私の子どもに会うのを待ってます。男じゃなくて地球とでも子どもが作れればすぐに見せてあげられるんですけどね。
男女でも子どもが生まれなければ地球にとってイレギュラーで、ノーマルの中にだってアブノーマルはあるんです。
でも私は地球の設計を信じているから異性愛にノーマルを名乗って欲しい。
ご都合主義で同性同士でも妊娠する作品ができた!それは私にとってはBLだろうがGLだろうがNLです。それはその世界の地球がそう設計したんです。
それがダメならもうヒトバースでいいです。オメガバースからはじまりなんとかバースの種類は多いので、本来メインであるべき男女もバース設定のひとつとしてカウントすればいいんです。
同性愛も異性愛も本能だと聞きます。本能じゃなきゃきっと運命です。
私にとって異性愛は重力です。対して同性愛は引力です。異性愛が同性愛を輝かせ、同性愛が異性愛を輝かせる。違うからこそ個性になると思ってます。
地球が異性愛を基本にしたと思い込んでいるので、異性愛がノーマルでなければ私にとって性別に意味なんてないんです。HLにしたい人の中には性別の意味をなくしたい人がいるのかもしれませんが。
男らしくとか女らしくとか、そういう言葉も大好きです。これまでの文化が作り上げた記号が好きですが、それを強要する人間が嫌いです。男性が男らしくいる必要はないし、おしとやかな男性もいっぱいいます。メイクをする男性だっています。でも記号があることで「男勝りな女の子」のような萌えを表現することだってできるんです。それは「元気な女の子」とも「わんぱくな女の子」とも違っていてほしいんです。
日本語も性別観もこうやって議論されて変化するものですけど、私にとっては地球と人間に尊さを感じるポイントなので、変化することで不利益を感じます。
話が戻りますが私にとって異性愛は地球上の法則によりノーマルです。でも、研究開発が進んで同性でも子どもができるようになって、ノーマルが増えていったらすごい嬉しいです。
気軽にHLに乗り換えてしまう素直な人も、意地でNLを使い続ける人も、絶対自分が正しいと思いながらHLを主張する人も、どうでもいい人も、どの表記がいいのか自分の地球に聞いてほしいです。案外ヒトバースみたいな言うだけはタダで実用性がないアイデアにつながると思います。
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ちなみにこの話のアホな点は私が地球を創造主か何かだと思っていることと、地球が人間に滅んでほしい場合は同性愛(直したやで)こそがノーマルになることです。人間増えすぎたしいっつもなんか考えてどっかの国で争ってるから地球にとって人間が解釈違いかもしれない...ごめんね地球。
機械的に生成されたものでなく、他人が自分のために手を使って書いてくれたメールとか特に
別に数独がやりたいわけじゃない。メールを開きたくなくてそれ以外のことも何もしたくないだけだ。
スリップダメージがずーっと続いているような感覚でただただ胸がチリチリする
細かい感情とか抜きにして事務的にメールを開き、事務的にわかっていることを書き、わからないことはわからないと書いて返信すればよいのだ。
でも胸がチリチリして体が動かないんだ。多分発達障害的な何かなんだろうな。
望んでやっていることなのに、手続きが少しでもイレギュラーになった途端すべて投げ出したくなるこの感じ。