はてなキーワード: イレギュラーとは
お疲れさま。私は9/27に第二子産んで大体似たような頃合いの赤ちゃんを抱いている。
授乳しながらスマホという僅かな自由時間に辛そうな増田を見つけたので少しだけ先輩風吹かすのを許してほしい。反省を活かしつつ新生児期2周目してるので。
第一子の時に同じくしんどくてしんどくて、産後うつになった。少しの過失でも赤ちゃん死なせてゲームオーバーという不安から夫のご飯まで手が回らなかった。そもそも台所まで2ヶ月くらい行ってない。
日中トイレにも行きたくなくて亡くなった祖母の残りの紙オムツで寝ながら放尿していた事もある。これは隣で寝ている赤ちゃんを起こしたくないのと、骨盤がガタガタだったから。
食べ物は朝の内に夫にお握りを2合分握ってもらって、それを食べながら母乳に変えていた。水は水道水を部活用みたいな2リットル水筒に入れて飲んでた。夫の飯なんか知らん。
風呂なんか遠い世界の話で、3日に一度のシャワーだった。夫の風呂なんか知らん。
授乳Tシャツから乳を放り出してずっと添い乳で寝かしつけ、赤ちゃんに向き癖がつかないよう数日おきに左右入れ替えるくらいしかしていなかった。
不安になってはスマホで検索、斜視に怯え、黄疸に怯え、SIDSに怯えていた。
それに比べて元増田はどうだ。ご飯を作って夫をおだてている。そして他人が読めるまともな文章を書く。無理をし過ぎているのではないか。
うちの夫は母性が強いタイプで、私が交通事故だの病気だのと寝込む度に世話をしていたので、妊娠出産はイレギュラーではない分安心して看病?できたらしい。
元増田も一度寝込んでみるのはどうだ。立ちたくない、横になっていたいと布団の中で言ってみるんだ。
下手に元増田が立ち働くから旦那さんもわからないんだろう。戦場なんだから参戦させろ。旦那さんに頼むのは沐浴ドキドキ体験ツアー参加じゃなく、自分の事を自分で済ませるという一人暮らしの大学生がやるやつだ。
日々の洗濯、埃取り程度の簡単な掃除、炊飯器で飯を炊く、惣菜を買ってきて並べる、風呂に入って歯磨きして寝る。ちゃんと間違えずできるようになったら増田の分も頼めばいい。
寝込め寝込め。
赤ちゃんがかわいくない、泣き声が怖いと思い始めるとお世話するよつらいぞ。もしかしたら既にそう思ってるかも知れないけど、余裕のある状態で見る我が子はかわいいぞ。
プログラマだけど、これに関していつも思うのはそもそもプログラミング言語が英語ベースなのがよくないということ。
機械語が人間にわかりにくいから自然言語をベースにしたんだろうが、そうじゃなくて「人間にわかりやすい機械語」を開発すべきだった。
自然言語だとどうしても害しかないイレギュラーな文法の弊害に遭う。たとえばモデル名は単数形・テーブル名は複数形みたいな規約が多いけど後者は単語によってsだったりesだったりそのどちらでもなかったりとルールが違ってややこしい。その辺自動で生成してくれるフレームワークとかあるけどそのためにわざわざ不規則変化する単語の辞書持たせてんだぜ。そもそも単数形・複数形って何だよそもそも言語に必要なのか?日本語にはないぞ。
こういう自然発生した事故みたいな自然言語のクソ仕様に振り回されながら機械に指令を出すってアホらしくない?俺はもう老害だから若手はこの辺21世紀内に解決しろよ。
まず前提として。
私はあのイラストたちが女性蔑視とは思っていないし、アツギしかなかったらアツギ普通に買うというタイプ。
広告を見た時は「間違えてるなあ」とは思ったけど、何か許せないほどの怒りは特にない。
タイツの件で、「萌え絵を好む女性もいるのに、多様性の軽視だ」と言う人がいて、
個人的にそうとは思えなくて、
なんでかなーって言葉を探してたんだけど、
多分あの広告で「怒り」まで抱いている人たちは、多様性の前に「権利」を気にしているんだと思った。
女性の権利を確保する前に多様性を掲げても、限られた範囲での多様性にしかならない。
なのに女性の「性的に見られない権利」を蔑ろにした、限られた範囲での多様性ではいけないと。
あれが多様性の否定なら、リカちゃんの件も多様性の否定にならないのかな。
子供用グッズを見に纏った子供を見るのが好きな人に向けたイラストは子供の権利を守るべきという傾向になる気がするんだけど、
子供の権利は守られて、女性の権利や男性の権利は「大人なら自分で守れるだろ」ってなるんだろうか。
「私は女だけど、あのイラストでタイツ買おうと思いました!女から除外しないで!」っていう意見もたまに見て、
個人的には、今回の広告に好意的な人たちが「アツギはちょっとやめておこう」という人たちの数を上回ればオタクの意見が正しかったことになると思う。
「あの広告やだ」って言ってる人たちのほとんどは絵自体に文句があるわけじゃない。
ただ、絵が気に入らない人の意見ばかり目に入るなら仕方ない。
「今の若い女の子たちはババアほど萌え絵に抵抗ねーんだよ」って知ったかぶって語る人もいるけど、論点がズレている気がする。
若い女の子たちは、男のオタクが思うほど萌え絵には親しんでいない。アニメには親しんでるけどね。
(私は女だけど親しんでると言う人、あなたはそれでいいです。アツギの広報にそういう趣味の人がいたように、それが否定されるべきではないから。)
個人的にはツイフェミ好きじゃない。(これも多様性の否定かな?)
あの人たちにとって、私のような、ゆるく働いてご飯が食べられるだけ稼いで、結婚して仕事辞められたら一番いいなと思っている女は、輝いていないから。
あの人たちは、基本的に「強い女」以外を認めていない気がして、好きじゃない。
今回のことでもやっとしてる人の中には普段フェミニストが嫌いな人たちもたくさんいる。
アンチフェミが反論するtogetterや掲示板に反論するのは一般化した人ではなく、「個人的には嫌だったなあ」程度の人だから、
じゃあ男のオタクたちは黙っていれば良かったのかというと、そうでもない気がするんだよねえ。
難しい。
タイツは当然頻繁に買うけど、ATSUGI?知らんなあと思って調べたらめちゃくちゃ見覚えのあるパッケージで笑った。買ったことある。
こういう、企業名は知らなかったけど買ったことある人たちが、次に買うとき「あーここちょっと嫌だな、隣にあるやつにしよう」ってなるの悲しいね。
私もわざわざ買わないだろうな。靴下屋とかチュチュアンナとか行く。
よくわかんないのが、「わたしは男性向けにエロいタイツ履きたい」「私はモテ意識してタイツ履きたい」「女性が自主性を持つことへの抑圧だ!」という意見。
それは自由にすればいいのでは。
買った人がどのように使うかは自由でしょ。
「もっとうちのタイツを買って欲しい!」と思って作るには不適すぎる広告でしょ。
そもそも値段とデニールしか見てないし。(デザインが可愛いものなどは別)
たとえば女性の中でタイツ買う層が半分、買わない層が半分として、その買わない人って「魅力を知らない人」じゃなくて、ズボンが好きとか生足が好きとかそういう人だと思ってて。(LGBTの人もいるんだろう。)
その人たちが「じゃあ履こう」ってなるか?という話。
履かない人は履かない。
どうしても反論したい人たちは「20代のオタク女性にもタイツを履いてほしい広告で、それを30代40代のフェミおばさんが燃やすな」と言うけど20代のオタク、めちゃくちゃタイツ履くよね?
わたしは毛の剃り跡が見えるの嫌で履いてたし、友人は毛を剃りたくないから履いてる。
リカちゃんもタイツも、性的に見てる人が存在してるなんて、企業は知ってる。
でも、「その人たちはイレギュラーで、本来は健全なんですよ」って体裁じゃなきゃいけないものじゃないの?
下着の広告はそれを少しずつ改善している気がする。吉田沙保里の起用とかね。
とりあえず男性たちは「元々顧客じゃなかったんだろ」「ババアは履かない」って思い込みを呟くと「女と関わらない人なんだな」と思われるだけだからそれ以外の反論材料探したほうがいいよ。
全然違う話を書く。長い。
遺伝的特徴とは、「遺伝的特徴通りに生きなければいけない」ものではない。イレギュラーな個体を含みつつ、たまたま多数派が繁栄している「状況」にすぎない。
イレギュラーな個体の方が有利な環境であれば当初イレギュラーだった特徴が多数派になるだけだ。
ある生物種の遺伝的特徴がたまたま環境に適応していれば次世代が残っていく。ヒト種の繁殖は、妊娠と出産の他に子育てが必須であり、社会環境に大きく左右される。
繁殖はリスクがあるので個体の快適な生存と引き換えな面がある。基本的には雄も雌もまず、自個体の快適な生存を追求している。
ヒトの幼体は弱く、育てる個体は絶対に必要なので、種として存続「したいならば」育てる個体である雄や雌が個体として追求する快適な生存環境を整えることが大事だろう。
快適な生存環境を放棄してまで種の存続にエネルギーを注げるか?他の生物種にはそういうのもいるだろうが、ヒトは脳が発達しちゃって考えちゃうので生存欲が勝ってもおかしくない。でかい脳という身体を持っちゃった。それはイレギュラーとも思えるし、ヒト種に普遍的な特徴とも思える。
で、イレギュラーかどうかはおいといて、他の動物と違う特徴がヒトにはある。
ヒトは自力で環境を変えられる(ビーバーとか蜂とかもそうじゃんと言われそうだがまぁ変える力が段違いってことにしておく)。
自然環境は(限定的ではあるが)衣服や家や冷暖房や灌漑で変えた。
社会環境はそもそもヒトが作り出したものだ。ヒトはそのときどきで狩猟や牧畜や農耕や工業化、ムラからクニへ、政治体制や社会保障制度などで社会環境を変えた。
雌が子育てを担い食糧調達は雄が担う社会もあった(のかな?雰囲気で書いてる)。そのような社会では雌は行動を制限され雄は死の危険があったかもしれない。ただそれはたまたまだと思う。種の存続はたまたまその社会がうまくいった結果にすぎない。
社会は変わる。ヒトは個体としてもっと快適な環境を求めて工夫してきて、社会環境は徐々に変わってきた。
ヒトの雌の身体的特徴が、18〜25歳が妊娠出産に最適かは知らんけど、現状子育ては金がいるし自分も快適に暮らしたいし、そういう環境の中で個体の快適を求めてんのが今の少子化なんだろう。うまく環境を変えられたら種は存続するし、失敗したら存続しないだけのこと。
個体の利益と種の存続がうまくバランスする仕組みが欲しいねぇ。男が過労死や自殺しないで済む社会、女が妊娠出産しても自活できる社会、子育てコストを一部の人がかぶって苦しまなくて良い社会。妊娠出産だけじゃヒトの次世代は絶対に残らないんで…。
まあ、残らなくてもいいよ〜、という考えももちろんある。
まとまらないまま、オワリ。
全然違う話を書く。長い。
遺伝的特徴とは、「遺伝的特徴通りに生きなければいけない」ものではない。イレギュラーな個体を含みつつ、たまたま多数派が繁栄している「状況」にすぎない。
イレギュラーな個体の方が有利な環境であれば当初イレギュラーだった特徴が多数派になるだけだ。
ある生物種の遺伝的特徴がたまたま環境に適応していれば次世代が残っていく。ヒト種の繁殖は、妊娠と出産の他に子育てが必須であり、社会環境に大きく左右される。
繁殖はリスクがあるので個体の快適な生存と引き換えな面がある。基本的には雄も雌もまず、自個体の快適な生存を追求している。
ヒトの幼体は弱く、育てる個体は絶対に必要なので、種として存続「したいならば」育てる個体である雄や雌が個体として追求する快適な生存環境を整えることが大事だろう。
快適な生存環境を放棄してまで種の存続にエネルギーを注げるか?他の生物種にはそういうのもいるだろうが、ヒトは脳が発達しちゃって考えちゃうので生存欲が勝ってもおかしくない。でかい脳という身体を持っちゃった。それはイレギュラーとも思えるし、ヒト種に普遍的な特徴とも思える。
で、イレギュラーかどうかはおいといて、他の動物と違う特徴がヒトにはある。
ヒトは自力で環境を変えられる(ビーバーとか蜂とかもそうじゃんと言われそうだがまぁ変える力が段違いってことにしておく)。
自然環境は(限定的ではあるが)衣服や家や冷暖房や灌漑で変えた。
社会環境はそもそもヒトが作り出したものだ。ヒトはそのときどきで狩猟や牧畜や農耕や工業化、ムラからクニへ、政治体制や社会保障制度などで社会環境を変えた。
雌が子育てを担い食糧調達は雄が担う社会もあった(のかな?雰囲気で書いてる)。そのような社会では雌は行動を制限され雄は死の危険があったかもしれない。ただそれはたまたまだと思う。種の存続はたまたまその社会がうまくいった結果にすぎない。
社会は変わる。ヒトは個体としてもっと快適な環境を求めて工夫してきて、社会環境は徐々に変わってきた。
ヒトの雌の身体的特徴が、18〜25歳が妊娠出産に最適かは知らんけど、現状子育ては金がいるし自分も快適に暮らしたいし、そういう環境の中で個体の快適を求めてんのが今の少子化なんだろう。うまく環境を変えられたら種は存続するし、失敗したら存続しないだけのこと。
個体の利益と種の存続がうまくバランスする仕組みが欲しいねぇ。男が過労死や自殺しないで済む社会、女が妊娠出産しても自活できる社会、子育てコストを一部の人がかぶって苦しまなくて良い社会。妊娠出産だけじゃヒトの次世代は絶対に残らないんで…。
まあ、残らなくてもいいよ〜、という考えももちろんある。
まとまらないまま、オワリ。
1000円カットと5000円カットの違いを的確に教えてくれよ
3000円の洋服と、100000円の洋服、どちらが実用的か教えてくれよ
この増田は、こう書いているのに読めねぇの?
イレギュラーな格好をしている訳でもなく、
他の人に迷惑をかけないようにしていても
オシャレに全く興味が無いのは悪なんでしょうか。
心が汚いなお前、醜いわ
がこれは特殊漫画枠で、大流行とかそういう枠ではないと思う。大流行してくれたら嬉しいが、読んでる人は特殊な漫画だというのは重々承知している。
少なくとも面白いと言っている同志ではメチャクチャ盛り上がれるが、未見の人にチェンソーマンおすすめだぜ!という感じではない。
10人読んだら5、6人は気に入ってくれるかなーと思うけど。
内容的にはこの漫画はデビルマンとキン肉マンと初代仮面ライダーを混ぜて合体事故起こしたイレギュラー的作品で、読んできた少年漫画の経験値が多いほど面白い見たことのないインパクトのある漫画になる。
見る側に少年漫画に対するリテラシーを実は要求してて、少年漫画の見方を知らない人にはインパクトが強すぎて珍紛漢紛頓珍漢摩訶不思議というスパイスが効きすぎて味が分からない作品になるんじゃないかと思っている。
例えると、ドンパッチを大量投入したクレイジーなカレーライスみたいな料理だと思ってくれたほうがいい。当然食べると口の中がパチパチし放題だ。
大体同じ理由で子供が欲しくなくて、10年付き合った恋人と別れるべきかどうか考えてる。
ちなみに自分は28の女性、同い年の彼氏は絵に描いたように素敵な家庭で育った素敵な人で、何度も話し合ったけど子供のことだけどうしても折り合えない。自分の気持ちが変わるのを待ちつつ、変わったとしてもこれまで子供が苦手だった歴史は変わらないから不安も拭いきれないよなぁと思いつつ、他にいい人がいるわけでもないし現状維持で付き合いつつ、お互い他の人を探すなら早い方がいいよなぁとも思う。
以下は結論のない吐き出しです。
「毎月XX万払うから子供を諦めて(そのお金で楽しく暮らそう)」 vs 「毎月XX万払うし離婚時に親権は自分が持つから産んで(子育てに耐えられなかったら離婚して、キャリアの損失や養育費はそこから捻出すればいい、後戻りできるよ)」という交渉をしたことがある。彼に「いくらでも払うし念書も書くし、専門家を頼って法的に有効な書面を残してもいい。君が僕や子供を不幸にして去っていくとは思わない。いくら貰おうと子供がいる人生の方がいい」というようなことを言われて(惚気)、「確かに私は彼らを不幸にして去っていくことはできない。子育てが嫌でも耐えるんだろうな。でもそんな人生は嫌だな」と思って決裂したけど、彼が折れてくれればお金で解決できるかもしれない。なんか嫌ではあるけれど。
自分の場合「産んだら取り消せない」という不可逆性が嫌で、カジュアルに取り消せるなら試してみてもいいかな、と思っている。かつ親が健康で孫を強く望んでいるので、産んでみたもののどうしても育てたくなかった場合には全面的に子育てを引き受けるという約束を親として、産むだけ産んでみる?祖父母に育てられて幸せな子供もいると思うので、いかにしてそれが可能か模索する?責任とか倫理とかはもちろん考えるけど、だから自分としても実行のハードルはかなり高いけど、「社会で子育て」って言うし、こんな大きなリスクを個人が背負って十分な保険もない社会システムもおかしいと思う。子育てで不幸になったらお金がもらえる保険がほしい。
「幸せはお金で買えないが、大抵の不幸はお金で回避できる。」 そして不幸のない人生はまぁまぁ幸せだと思うので、とにかく仕事を頑張る。
経済的に自立していて、寂しがり屋でも恋愛体質でもない、結婚式も新婚旅行もどちらかというと億劫。友人がみんな家族と過ごすようになった将来ふと寂しくなるのが怖くて、それで結婚を意識して子供について考えているだけで、今は別に、結婚したいわけじゃない。寂しくはあるけど別れて一人になっても大丈夫。彼が他の女性と幸せになれるなら、それはそれで、望ましいことだと思う。
地主と飲み友達だから都心にある機械式の立駐を月極3000円で借りられてる人。
大学時代の先輩からの紹介で身内が大家をやってる家賃8万円の1DKアパートに7万円で住めてる人。
自分の家は田畑を持ってるわけでも農家をやってるわけでもないけど、近所の農家から流通ルートに乗る前の一番美味しい所をピックアップした米を常に貰い続け、「上京するまでお金払ってお米を買うという概念がなかった」と言う地方出身者。
通常手にしえない得って面でもそうだけど、社交性についても格差を見せつけられた気分になる。
自分にはそういう頼りになる人もいなければ、そういう施しを受けた経験がない。そういうイレギュラーな得を与えて貰えるような人付き合いができるとも思えない。
VTuberファンに親か何か殺されたのか? どんな実害を被った?
たんに自分が流行り物を楽しめなくて逆恨みしてるだけじゃないのか?
少し前はソシャゲーマーや(アイマス系の)プロデューサーやラブライバーなどを独特な蔑称をつけて叩いてたりしなかったか?
流行り物に乗っている人の中でも特に面倒くさい思いを鬱積させた人がここに集まってきやすいだけであって、愛好者全体やコンテンツ自体は嫌うほどのものではないと思うぞ?
むしろフラットな心で接することができればきっと素晴らしいものばかりだ。素晴らしいから人が集まるんだ。その感性を共有できないことを不幸と感じてしまうのは仕方ないかもしれないが、まあ世代の壁などもあるんだろう。
ネット越しだとそういうものが不可視だから「自分も楽しめるはずのものだったかも」のような未練を抱いてしまいがちだよな。だがダメなもんは仕方ない。
そうなったときに楽しんでいる人たちの中で叩きやすい出る杭みたいなイレギュラーを見つけて来て「それ見たことか」と詰ってもどうしようもなくないか?
自分への慰めになるのか? 短期的にはそうでも長期的にはむしろ自分を追い込んでいく毒なんじゃないか?
逆に「ファンでなくて良かった」と思うのもちょっとこじらせててアレだが。いずれにせよ、何でも楽しめて輪に入った経験がある方が楽しいし捻くれずに済むのは事実だ。
だがそうはなれなかった。誰しもが全ては楽しめない。運悪く自分にマッチしなかったのが流行りものだった。それだけのことだ。他をあたって、流行りの話題が出てもひらりと躱していけばいい。
マッチしなかったコンテンツを悪意的に見てあげつらうことはいくらでもできる。だが楽しんでいる人々を口汚く罵ることで自分が得られるものは何もない。
むしろ自分が楽しんでいるコンテンツをそうやってネチネチと突かれたら……と思うと、先回りしてどのコンテンツでも自ら率先して石橋を叩くノリで重箱の隅を突付いて渡り歩くことになる。
以前ヤフオクで自転車のフレームを購入したものの、出品者から譲渡証明書の発行を断られたときにしたことメモ。
自転車を個人売買で買ったはいいが売主と揉めて喧嘩別れしちゃったときにも役立つかもしれない。
ネット個人売買以外だったら領収書とか運送会社送り状とか、証拠になりそうなものをできるだけ多く。
これから防犯登録をしたいと思うので、この自転車に盗難届が出てないかどうか調べていただけませんか? などと頼んでみる。
当然ながら事情を聞かれるので、支払明細のプリントアウトなど見せながら説明。
問題なければ「とりあえず盗難届は出てないっぽいね」くらいの返事をもらえる。口頭で差し支えなし。警察の人が面倒がるので書面交付などは求めない。
「もし盗難車だったときのために、そのプリントアウトは保存しておいてね」みたいなアドバイスはもらえると思うので、そのように。
自転車屋さんへ行く。どちらかというと大型スポーツ用品店の自転車コーナーあたりが頼みやすいと思う。そこで「中古で買った自転車ですが、〇〇警察署で盗難車ではないことを確認してもらいました。防犯登録お願いします」みたいな感じで依頼する。
以上。
キモくて金のないおっさん、kkoとも言われるが、彼らは救いが与えられないこと、救いを与えられうるものとして自身らが社会的に認知されていないことに対して不平や嘆きの声を上げる。
しかし彼らは救われるべきか?
社会的にゴミだから野垂れ死ねばいいとか、そういう暴論で〆るつもりはない。
努力してもしなくても苦しくない人は沢山いる。努力しなかったから今苦しい目に遭っている、などという因果関係を人間の否定に安易に使っていいなんて、疑いなく言える時代は終わりつつある。
ではどのように考えようか。
僕の人間救われ論では、ある程度の理由を持って不幸である人間は、その理由がどれだけ自分に帰責されるかによらず、理由なく救われることはないと思っている。
だから、キモくて金のないおっさんが理由なく救われる(社会の視点が変わって、彼らに優しくなるなど)ことはないと思っているし、そんな世界であるべきだとも思わない。
だから、キモくて金のないおっさん側の変化が必要であると思う。
一つに、キモくて金のないおっさんは、キモくなくて金があれば幸せになれるのかということから疑いたい。
おそらく、最も穏当な結論は「一概に言えない」だろう。
幸せになる奴もいる、でもなれない奴もいる。
そいつにとっての幸せがどういうものなのか、そいつが関わってる仕事、業界、趣味の世界、または家族、同僚、趣味仲間、友人などがどういうものなのか、などで、幸せになれるかどうかが変わってくるだろう。
「金より容貌よりも、性質の良さや他者への配慮、感謝、愛があれば…」なんていう″諭し″には、なるほど唾を吐きたくなるかもしれない。
さっきの「一概に言えない」は、この文脈でも効いてくるからだ。
だが、現状において容貌も金も手に入らないなら、その路線でやっていくのがヘルシーであると言わざるを得ない。
金を使わずに人に大切にしてもらうためには、人の良さか面白さを身につけることが妥当な、もしくは堅実な道だと僕は思う。
ただ面白さは難しい。人を不快にする、モラルに反する、人間性を疑われる落とし穴がそこかしこにある。
勿論スベることも想定に入れるべきだ。
一方で人の良さは、個人に、過度に、攻撃的にやらなければ、おおかた何とかなることが多い。
コンビニやスーパーで目を見てお礼を言う、ゴミの分別をしっかりして時間通りに出す、会社の人間に横柄な態度を取らない。
このくらいなら、あまり顰蹙を買うこともないし、人の目にとまれば良い印象を持たれる可能性が高いだろう。
偽善者だとか、キモくて金ない奴がそんなことやったっていい気持ちにならないんじゃとか、そういうことを言う輩もいるかもしれないが、そいつらも大抵不幸だからほっといていい。
もっと言えば、人や自分を属性で結んで、その属性で人を叩いたり蔑んだりしないこともやるといい。
それだけでも、「人間を安易に区別して良し悪しを判断することで自分を慰めている貧しい人」ではないんですよ、とアピールできたりする。
難しいけどね。口では「差別する気はないのよ?」とか言ってるけどバリバリ属性で人間を語るし差別するしという奴らも多いしな。
案外、そういう語りはあまり相手にいい気を起こさないと思う。だがこの感覚は僕の属した集団によるバイアスが大きいかもしれない。そういったカテゴリー化→叩くの会話しかできない奴しか周りにいなかったら、それはすまない。このやり方は採用しないでくれ。
これに関しては、普段からやらなくてもいいと思う。多かれ少なかれ、人間はカテゴリー化して何かを捉えようとする。徹底してやろうとすると毒だ。ただ、普段からやるとイレギュラーな場面でもそういう振る舞いができる。
善意です、とか、優しさです、とか、そういうパッケージで売るなら尚更。
キモくて金のないおっさんとして社会からの孤独を感じているならば、「目の前のその人にやってやると良いこと」の感覚がズレてしまってる可能性がある。そうすると、良かれと思ってやったことが仇になるなんてことが起こってしまう。
これは悲しい。本当に誰も幸せになれない。
人の良さを提供しようとして出てしまう攻撃性は無自覚なものだから、なかなか気づけないとは思うけど、意識と反省、訓練である程度どうにかなる。
ゴリ押しになっちゃうんだけど、人生、難しいことはゴリ押しでやるしかないことも多いと僕は思う。
キモくて金のないおっさんは救われるべきか?とはじめたが、僕の答えは最初と同じ。
「救われたい奴が救われようとしたら救われるといい」
そんな感じ。長々書いたけど、リアルキモくて金のないおっさんの相談とか受けたことないからこの文章はかなり適当だ。最後まで読んでくれたならありがとうやで。