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はてなキーワード: イマジネーションとは

2022-04-07

No More Dヲタ界隈の暗黙ルール強要

 批判覚悟書き込みます

 シンデレラ城前等映えるスポットに居座ってTikTokやインスタの撮影をしている子達と、一番ベストポジションでショーパレを楽しむために何時間も前からショー、パレードルート地蔵している人達に違いはありますか?

どちらも景観を損ね、通行の邪魔になっているという意味では大して変わらない気がします。

正直前者はオタクが単に自分達の中で決めた暗黙のルールを破っているか排除対象として非難されているようにしか見えません。

 トゥーンタウンの木箱やアラビアンコーストの窓枠、シンデレラ城の階段の手すり、アクアスフィアの石枠等確かに高い場所に登って写真撮影を行うことは危険だと思うし、注意が必要だったかもしれないです。けど、それはネットで総叩きして個人情報を晒されるという制裁を加えられなければいけないほどのことでしたかキャスト一言「あの子たち危険行為をしていませんか?」と伝えれば、それがもしトラブルにつながるのであればキャストゲストに直接注意して終わる話ではなかったのでしょうか。

あの一件10インスタ映えの子達が悪かったが世論でしたが、正直トゥーンタウンの木箱の周りに植栽が置かれたり、アラビアンコーストの窓枠が埋められたり、アクアスフィアの柵が増設されたりしたのも、ゲスト危険から遠ざけることだけを目的に設置されたんじゃないと思います。これ以上OLCが介入できないようなゲストトラブルを避けるための対策という意味合いもあったのではないでしょうか。

 一部のDヲタはよくよく自分の行動を振り返ってみてほしいです。やりすぎていませんか?

 一部のDヲタの「気に食わない。」という憎悪の私情一心での度の過ぎた注意喚起、本当によくないと思います。皆んなTDRでの楽しみ方の価値観が違うだけなんだということを知ってほしいです。

私はTDRがDヲタけが居心地の良いDヲタのためのパークになって欲しくありません。TDR魔法イマジネーション世界に包まれて、時には誰かの夢が叶う素敵な場所であってほしいです。

2021-11-22

anond:20211122101708

おれもある種の作画ファンだけど、色々な方向性で楽しめる作画アニメはあると思うけどな。鬼滅の3Dマッチングの高い丁寧さとか、進撃の巨人日常演技の表現とか、映像研のイマジネーション溢れる動きとか、閃光のハサウェイリアル感のある仕上げとか。

まぁ、深夜アニメ乳首描写には期待してないことは確かだが…。

2021-08-12

スタートゥインクルプリキュアの思い出

プリキュアの中でというより、今まで見たアニメの中でもかなり好きな部類に入るので、どこが好きか列記しておきたい。

1.主人公星奈ひかるの性格

キャラクター設定、変身シーン、ストーリーなど全部好きだが、一番好きなのは主人公「星奈ひかる」の性格プリキュアピンクというとリーダー存在キャラが多いが、ひかるはあまり「行こう!」「しなきゃ!」とメンバー押し付けてくることがない。「どう思う?」と相手に考えさせ、答えを引き出す。

星奈ひかるは宇宙星座UMAなどが大好きで、その明るさゆえ「ちょっと変わってるけどいい子」としてクラスに馴染んでいるが、自分と同じ熱量で好きなものについて語れる親友はおらず、天体望遠鏡で星を眺めてはオリジナル星座を考えたり、一人でプラネタリウムに通ったりしていた。決してクラスの人気者、みんなを引っ張るリーダー存在、という感じではないところが好き。一つ上の先輩である天宮えれな、香久矢まどかプリキュアに加入した際も呼び捨てにすることを躊躇するなど、意外と常識人の面もある。

2.キャラクターたちの独立

スタートゥインクルプリキュア』は5人いるが、皆が常に一緒にいるわけではない。サマーン星人のララは13歳ながら大人であり、キュアミキーに変身したが、物語序盤はAIの助けを借りながら故障したロケットを修理していた(その後地球学校生活が送ってみたいと思い、ひかると同じクラスに通う)。5人目のプリキュア、キュアコスモとなったレインボー星人のユニに至っては、地球人に興味がないのかプリキュア加入後も自由に行動している。

キュアソレイユ(天宮えれな)、キュアセレーネ(香久矢まどか)は3年生だがクラスが違うし、活動分野も違うのであまり一緒にはいない。えれなきょうだいたちの面倒を見ながら実家花屋を手伝っており、まどか生徒会長弓道部習い事などで忙しくしている。

プリキュアとなって戦う際は行動をともにするが、「みんな一緒で、いつも仲良し」という感じを押し出してこないところが好き。

3.敵たちとの交流

ラスボス映画通してだが『スタートゥインクルプリキュア』では敵の存在を消し去るような勝ち方はしない。特に主人公である星奈ひかるは敵のことすらもっと知りたいと思い、理解しようとしている。物語の後半、パワーアップするために「トゥインクルイマジネーション」というものを獲得する必要性が生じるが、これは5人それぞれが自分自身の課題と向き合い、自分で見つけなければならない。これを獲得する過程が好きだった。

キュアコスモアイワーンの激しい感情のぶつかり合い、キュアセレーネとガルオウガ90年代を思わせる熱い戦闘シーン、本当の笑顔とは何か問いかける、キュアソレイユとテンジョウのやりとり、宇宙であることがばれ、恐れられながらもクラスメイトを守ろうとしたキュアミキーの決意、キュアスターカッパードの雨の中の戦いと、差し伸べた手…。敵の宇宙人にもそれぞれ敵となった理由があり、葛藤を抱えているストーリーが良かった。

個人的にはまどかの成長が一番好き。「自分は一人では輝けない」と悩み父親の言う通り生きてきたまどかが、父と一体となって矢を放ち、父を超えていくところが良かった。

4.歌いながらの変身シーン

キュアミキーの動きは永久保存版だが、他の面々も可愛い。後のプリキュア継承されないところを見ると、やはり長すぎたか…?

5.バケニャンなんていない

プリキュアを見ながらこれほど衝撃を受けたのははじめてだった。バケニャン、どこか怪しいとは思っていたが…アイワーン様以上に驚いた。

6.秋公開映画映画 スタートゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』

映画独自ドレスアップで敵を倒すこと」で終わらないのがいい。他のプリキュアシリーズとのコラボがなくストーリーに集中できたのも良かった。

美しい地球風景、ユーマとララの心の交流と別れへの不安、「それだけで、いいのかなって」ひかるのララへの問いかけ、ユーマが宇宙に還っていくシーン…。知念里奈さんの主題歌も美しかった。一度は見てほしい。

7.星、宇宙テーマしたこと

始まるまでは「星というとセーラームーンイメージさせないか?」と若干心配したが、そんなことはなかった。12星座に焦点を当てたこと、他の星に行き、宇宙人たちと交流するストーリー宇宙での機動的な戦いも面白かった。ロケットで頻繁に地球宇宙を行き来するため体への負担が大きそうではあるが。夜空や星を見上げるシーンが多いところもスタプリならでは。取り上げているテーマが深いし、ストーリーもわりと中身があるが、ひかるやララキャラクター、絵柄、色味などをポップにすることで見やすくなっている。

8.はじめての褐色プリキュア

個人的好み。ソレイ可愛いエンディングダンスで目を細めてニコッと笑うソレイやばい。人気ないの…?

2021-07-21

すぐに並行世界解釈するのは、漫画というメディア自然イマジネーションなのかもしれないけど、なんというか厳然とある現実を軽く扱われちゃうような気もしてしまって苦手。

登場人物の強い決意が最後に描かれてることを考えると現実は一つ捉えたいな

2021-07-18

anond:20210718185230

音楽は耳で聴いて自分の中でイマジネーションを膨らますのが楽しいから

少なくとも最初の1回はPV見ない。

「夜に駆ける」はずっとApple Musicで聴いててPV見てなかったか

自殺推奨ソングとか言われてて「えっ?」って思ってしまった。

2021-07-02

anond:20210701205115

ここだけ気になった

あと、プラカードガール自殺してしまうのではと心配している人がたくさんいることにも驚きました。イマジネーションが豊かなのは結構ですが、そんな微粒子レベル可能性を心配するくらいなら実際に転んで実際の怪我をして実際の痛みを抱えて走ることになった選手たちのほうを思いやってほしいと思います

木村花さんの件覚えてないの?最近SNS攻撃性はもう制御不可能になってて、みんな「微粒子レベル可能性」だと思ってて言いたい放題言って、10人や20人なら実際「微粒子レベル可能性」なんだろうけど、それが1万人、10万人になったらどうだろうね。これだけ多くの人から「小さな悪意」をぶつけられたら人は死ぬよ。それを象徴するのが木村花さんの件だし、日本だけじゃなくて世界各国で起こってることだよ。実際にそれで人が死んでるんだから微粒子レベル可能性」と矮小化するのはやめよう。よく知らないことを知ったように言うのがダメだってのはあなたが一番よくわかってることだよね。

2021-07-01

ツール・ド・フランスについて少し書く

(7/2 再追記しました)

先日からこんなブクマが次々とホッテントリに入って戸惑っています

ツール・ド・フランス、クソ観客のせいで大規模落車 - Togetter

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3354342

ツール開幕ステージで大クラッシュ主催者は観客訴える意向 写真7枚 国際ニュースAFPBB News

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3353664

ツールの大クラッシュ、原因つくった観客逮捕 写真13枚 国際ニュースAFPBB News

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3354342

まり熱心とは言えないけれどNHK BS時代から30年近くツール・ド・フランス(TDF)をテレビ観戦しているいちファンとして、こういうかたちでTDFが俎上にのぼるのはあまりうれしいこととは言えないし、寄せられたコメントを眺めていて感じるところもあったので、少し思ったことを書こうと思います

 

なぜ観客を柵とかロープとかで規制しないの?

もっとも多い疑問がこれでした。無理もないと思います

古代マケドニア歩兵みたいに密集して50km/h以上のスピードで驀進してくる集団を、手を伸ばせば触れる位置一般観客が観戦できるというのは、あらためて考えるとかなり異様な光景ですよね……。

ロードレース距離

なぜ観客を柵とかロープとかで規制しないのか、この疑問へのおそらく一番単純な答えは「距離が長いから無理」だと思います

3週間にわたって行われるTDFの各ステージ走行距離は大半が150km~200kmの間です。3週間合わせて、ではないです。1日にそのくらいの距離を走り、それを3週間続けます。最終的に全行程は3,000kmを超えます

TDFに限らず、一般公道で行われる自転車ロードレースは1レース距離が200km前後あります。たとえば、もうすぐ開催される東京五輪自転車ロードレース調布だか府中だかをスタートして、富士山がゴールです。244kmありますコースの左右両側に規制必要ですからロープを張るとしたらその総延長は488kmになりますね。おそらく安全運営にやかまし日本東京五輪でも、全コースロープ規制などしないと思います(つまり東京五輪は、誰でも・タダで・選手に触れる場所で観戦できます!)。

ガードレールなんかほとんどない

どこに行っても車道歩道がきちんとガードレールで分けられた日本道路事情に慣れているとあまりピンと来ないかもしれませんが、ヨーロッパの道(少なくとも自転車レースコースに使われる道)にはガードレールという無粋な調度がほとんどありません。そもそもTDFは「田舎町を出発し田舎道を通って隣の田舎町に到着するのを繰り返してフランス一周する」というコンセプトのレースなので、スタートからゴールまでガードレールというものほとんど目にしない日も多いです。

柵は部分的にはある

コース最初から最後まで野放しというわけではなく、スタート地点やゴール地点、ポイント賞のチェックポイント付近、町中のタイトコーナーなど、選手も客も白熱するエリア走行上の危険があるエリアには鉄柵やバリケードが置かれ、安全対策されます

とは言っても、柵のないところで観たい人はたくさんいるわけです。安全対策の手は及んでいないが勝負が白熱しそうなところ、観戦に慣れているファンたちはそういうポイントに集まります

下り坂の広い一本道なんかは選手たちは80km/hくらいでカッ飛んでいくので、集団は秒で通り過ぎてしまます。そんなところで待っていても面白くないですよね。

逆に、峠道の急勾配では走行スピードが20km/h以下まで落ちるし、勝負のかかった叩き合いになっていることが多いのでお客さんが集まります。そういうところではコース上いっぱいにまで観客があふれ(コースぎわじゃないですよ、コース「内」です)、選手の接近とともにモーゼの十戒みたいに群衆が左右に割れていく光景をよく目にします。「ラルプデュエズ オランダコーナー」などで画像検索していただくと雰囲気がわかるかと思います

とにかく選手と客が「近い」競技

距離が近いだけでなく、選手と観客の関係性もほかの競技からするとびっくりするくらい近いのが自転車ロードレースです。

上り坂でへたばりかけている下位の選手を観客が手で押してやったり(審判団は見て見ぬ振りをするのが普通)、転んだ選手を観客が介抱したり転がったマシンを脇にどけたり、沿道の客が差し出す水のボトル選手が受け取ったり(何が入っているかからないので飲んだりはしない・身体にかけて冷却に利用する)。

このように、勝敗に直接関わらないようなかたちで観客がレースある意味「関与」することは当然のように行われてきましたし、その関係性は100年以上かけて育んできたサイクルロードレース文化の一部と言えます

後を絶たない観客との接触事故

件のプラカードガールは訴追されることになりましたが、大会運営がこのように厳しい措置をとるのは珍しいことです。長く観戦していますが、初めてのことかもしれません。

近年、セルフィー撮影するためにコース上に身を乗り出したりカメラ突き出したりして選手接触する事例が目立ち始めて問題視されたりもしていますが、選手と観客が接触するのは(まったく歓迎できない出来事とは言え)TDFでは毎年必ず起こる事故ひとつであり、それを理由に観客を沿道から締め出せとか選手と観客をきっちり隔離しろといった議論にはなっていません。100年かけて育んだレースと観客の関係性にクサビを打ち込むことは選手も望んでいないでしょう。良識ある観戦マナーの周知を徹底する、というのが大会運営基本方針かと思います

しかし多くはない

観客との接触事故は時折起こるものの、落車の原因としてはまれなケースです。大半の落車は普通の原因のアクシデントです。

普通の原因というのは、選手同士の接触です。前輪が前走者の後輪と触れ合って転んだり、ゴールスプリントで絡んだりといったものです。

中でも近年のTDFで増えているのは選手の不注意による落車で、よそ見していてほかの選手とぶつかったり、ほかの選手が投棄したボトルを踏んで転んだりといったものです。ひと昔前はこういったアクシデントは今より少なかったように思いますレースハイレベル化・高速化が進んでリスクが高まっているのかもしれません。

選手たちの抗議行動

第4ステージではスタート後しばらく選手たちがレースをせずにスロー走行デモンストレーションしました。

が、このデモは実はプラカード落車とは関係ありません。選手たちの抗議のメインテーマコース設定の安全性であり、沿道警備の強化ではありませんでした。プラカードの件も少しはあるかもしれませんが比重はかなり小さいと思います

コース設定の安全性というのは、第3ステージではゴール付近コースレイアウトが狭くてカーブが多く、事故を誘発しやすものだったことを指します。ゴール寸前の選手集団制御のきかなくなったオッコトヌシ様のようなもので、そんなものを狭くてくねくねした道に突っ込ませたら何が起こるかわかりません。少なくとも万が一そこで転んでもタイムを失わないような特例を設けよ、というのが彼らの主張です。

大会運営に対して選手たちが一丸となってこのような抗議行動をとることは珍しくなく、私も過去に何度か目にしたことがあります

マフィアに消される? ん?

プラカード女性マフィアからひどい目に遭うのでは、と心配するコメントがいくつもありましたが、いったい誰が言い出したことだろうという感じです。

様々なブックメーカーがTDFを賭けの対象にしているのはきっと事実しょうがマフィアがもしそれに関与しているとしても常識的に考えて胴元の側でしょう。そもそも、3週間にわたって不確定要素が連続し続けるTDFの、それも初日に起きた落車事故で賭けを台無しにされたと腹を立てる人などいるでしょうか? レースは始まったばかりです。これから先にだって何が起こるかわかりません。

そして、ここが大事なところですが、プラカード落車に巻き込まれて転んだうちの一人、ジュリアン・アラフリップはそのステージで優勝しています選手たちがペースを落とし、落車に巻き込まれた人たちを待ったのです。このように、自転車ロードレースでは不測の事故で不平等が起こった時はそれを是正するようにわざと脚を止めてレースを仕切り直すことがよくあります

プラカード落車でリタイヤすることになった選手もいましたが有力選手ではありませんでしたし、後続車に頭を轢かれたトニーマルティンも続くステージを元気に走っています。つまり落車は大規模でしたが、レース全体に及ぼした影響は軽微だったと言えます

というわけで、プラカードガールマフィアに消されるなんて話は噴飯ものの与太話です。

あと、プラカードガール自殺してしまうのではと心配している人がたくさんいることにも驚きました。イマジネーションが豊かなのは結構ですが、そんな微粒子レベル可能性を心配するくらいなら実際に転んで実際の怪我をして実際の痛みを抱えて走ることになった選手たちのほうを思いやってほしいと思います

最後

今年のツール・ド・フランスはまだ2/3ほどの日程を残して開催中です。

アマゾンプライム有料チャンネルやJSPORTSオンデマンドで視聴できます。いずれも登録料は2000円ほどです。

この大会が終わりしだい来日して東京五輪を走る選手もいます

選手には長身痩躯、金髪碧眼の美丈夫も多くいるので女性の方もお楽しみいただけるのではないかと思います

この機会にぜひ。

伝わらないこの思い(追記とも言う)

まり噛み砕いて言えば「伝統」や「文化」だから、どんな危険事態が起ころうと、外野はとやかく言うな、と。甲子園の支持者とかが喜びそうだな。

さっそくこんな頓珍漢なコメントがついてしかもそれに星がつき始めてるのを見ると、自分文章力のなさが本当にイヤになります

沿道をロープ規制しないもっとも単純な理由レース距離にあるとかなり前のほうで書いたのですが、ご理解いただけなかったのはひとえに私の筆力不足です。

私の想像ですが、ロープ程度の規制なら大会運営側もできるだけやりたいと思っているだろうと思います。去年のTDFはコロナ蔓延下での開催だったためそのような措置がとられている区間もありました。が、やはり距離200km、両側の沿道400kmをロープ規制するとなるといささか非現実的です。たとえばモノタロウで売っているトラロープは一巻き50m、約3kgです。400kmの規制をしようとするとこれが8千ロール必要ということです。重さにして24トンです。

文化があるから規制しないのではなく、物理的にそんな規制ができないためにいつしかそういう文化が育まれた、という順番です。

 

ついでなのでもうひとつ疑問にお答えしておきます

スタート直後くらいは規制してもいいんじゃないかな。

問題プラカード落車は198kmのレースの残り45km付近で発生しており、スタート直後ではありません。スタート直後と誤認したコメントをよそでも見ましたが、もしかしたら「ツール・ド・フランス開幕直後」を「スタート直後」と読み間違えているのではないでしょうか。問題出来事は3週間のツアー初日に起きています

なお、スタート地点はたいてい大きな町だしセレモニーなどもあって観客も多いので、バリケード規制があります。が、スタート地点からしばらく集団のんびりとパレード走行をするので、バリケードはあってもなくても基本的にたいした危険はありません。交通整理程度の意味合いです。数キロ走ったあたりで号令がかかり、実際のスタートとなりますフォーメーションラップからローリングスタートみたいなもの、と言えばわかりやすいでしょうか(わかりにくい)。

お礼(7/2 再追記

予想以上に多くの方に読んでもらえたようで光栄です。あたたか感想をたくさんいただき、書いてよかったーと思いました。個人的には徳丸先生Webセキュリティのとても偉い人)から文章をおほめいただいたのが特にうれしかったです。心臓がでんぐり返るかと思った。

私の不徳から批判をいただいた箇所もあり、それらの点については言い訳がましいことは申しません。真摯反省いたします。

中途半端知識でとんでもない勘違い知ったかぶりやらかしていないか心配だったのですが、どうやら今のところそういったツッコミわずかなようで一安心しています

加えて、

抜粋)概ね同意だけど、ちょっと現状追認しすぎじゃない?

抜粋)言いたいことは伝わったけど、じゃぁ今後どうするの?感が拭えないな。

このようなご指摘はごもっともと思います

というか、〈議論スタートラインを揃えるための現状把握〉を目的にまとめた記事なので、そうなるのが当然というか。基本的には、TDFがどんな催しか客観的に知った上で語ってほしい、そのための参考資料ひとつ、という位置付けです。いささか無責任スタンスではありますし、ところどころ私自身の思想漏れ出てしまっているところもありますが……。

そして! 多かったのが! こういう疑問!

抜粋コース半ばでもあんな揃って走ってくることあるんやな…

抜粋)あれだけ団子になってるとスタート直後に思えてしまうんだが

抜粋)てか、150キロほど走ってもあんなに密集してるんだ。

ですよねー不思議ですよねー!(興奮)

マラソンのような個人競技を見慣れていると、200kmも集団がほぐれずに固まったままでいるのは不自然に感じると思います。でも、みんな仲良くサイクリングしているわけではなくて、これにはちゃんとした意味があります。そして、これこそが自転車競技もっとも特徴的なところなんです。

ただ、ここでそれをご説明するには紙幅が足りません。いずれ稿をあらためてサイクルロードレース基本的な仕組みや楽しみどころをご紹介できたらなあと思っています。(誰かが代わりにやってくれてもいいです)

参考

ツール・ド・フランスの楽しさ

https://anond.hatelabo.jp/20210704190113

2021-05-29

フィリップK.ディック『高い城の男』

 私は、歴史専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前戦時中アジア諸国へ与えた被害南京虐殺従軍慰安婦問題米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本責任が有ると考えている者です。

 フィリップK.ディックというアメリカSF作家小説に『高い城の男』という作品があります貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから無視して貰って構いません。

= 粗筋ここから =

 第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国大日本帝国という2つの大国支配され、アメリカ日独による占領分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。

 作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったこからアメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸日本相手商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。

 戦勝国となったドイツ日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟であるドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。

 このように敗戦国の人間戦勝国人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。

 1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである物語登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。

 もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である占領国の官憲により発禁本指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。

 この本を執筆した作家暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ女性作家の下へ向かう。

 「高い城」に居ると噂される作家の下へ。

= 粗筋ここまで =

 私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。

 『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。

 これらのモチーフ描写現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています

 最初に書いたとおり、私は戦前戦時中日本による蛮行については、日本責任が有ると考えていますしかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者家族が「自分家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国過去歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者家族場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。

 『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きますネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。

【【【注意!ネタバレ有り!】】】

 実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。

 SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます

 心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。

 しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争アメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本ドイツと同様に「無い」のです。

 では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています

 『高い城の男』には、占領軍の日本将校相手に「アメリカ骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきますしか物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史付与した贋作骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナル創作物を作って売ることを決意します。

 『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。

anond:20210527145539

 私は、歴史専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前戦時中アジア諸国へ与えた被害南京虐殺従軍慰安婦問題米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本責任が有ると考えている者です。

 フィリップK.ディックというアメリカSF作家小説に『高い城の男』という作品があります貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから無視して貰って構いません。

= 粗筋ここから =

 第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国大日本帝国という2つの大国支配され、アメリカ日独による占領分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。

 作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったこからアメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸日本相手商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。

 戦勝国となったドイツ日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟であるドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。

 このように敗戦国の人間戦勝国人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。

 1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである物語登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。

 もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である占領国の官憲により発禁本指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。

 この本を執筆した作家暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ女性作家の下へ向かう。

 「高い城」に居ると噂される作家の下へ。

= 粗筋ここまで =

 私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。

 『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。

 これらのモチーフ描写現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています

 最初に書いたとおり、私は戦前戦時中日本による蛮行については、日本責任が有ると考えていますしかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者家族が「自分家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国過去歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者家族場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。

 『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きますネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。

【【【注意!ネタバレ有り!】】】

 実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。

 SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます

 心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。

 しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争アメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本ドイツと同様に「無い」のです。

 では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています

 『高い城の男』には、占領軍の日本将校相手に「アメリカ骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきますしか物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史付与した贋作骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナル創作物を作って売ることを決意します。

 『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。

2021-04-13

今のところ完全に童貞なんだけど俺弱者男性かな

異性にめんどくさいアプローチとかせずに性欲は全部自分イマジネーションでどうにかしてる

この場合は人に迷惑をかけないだけの弱者男性ってこと?それとも迷惑非モテに対する単なる蔑称から人の迷惑にならなければ弱者男性ではなかったりする?

2021-04-07

弱者男性だが俺はもう大丈夫

もともと女性一般から広くモテたいとか、誰でもいいかセックスをしたいとかさせてほしいとか、社会から魅力的な男性として認められたいといった願望はない。俺が惚れた女がたまたま俺に惚れてくれないという状況がン十年続いているだけだ。しか世間一般ではその状況こそ恋愛弱者とされているのだろう。俺からしてみれば弱者という自覚などないしこうした現状を特に気に病んでもいないが、うるおいのない人生であることもまた事実だ。たしか人生はパサパサだ。顔は脂でネチョネチョしているが。さて、独り身の男がうるおいのない人生に慰めを見出すとしたら? もっとも手軽な手段は読んで字のごとく自慰である。というわけで、ここから先はオナニーの話をします。恋愛弱者論は出てきません。お引き取りください。

100%イマジネーションだけで登頂できる程度にはまだ元気な私だけれど、もちろんよいおかずがあればそれに越したことはない。私の世代男性はさまざまなおかずで食事をしてきた。うつろいゆくエロメディアの変遷をすべて経験してきた。いや、ピンク映画経験してないか。まあいい、それはさておき、自宅の電話線に通信モデム接続されるまでの長い長い間、私の主食は紙媒体だった。エロ本、エロ小説エロマンガである劇画タッチの暗くて薄汚いエロマンガに代わってアニメ調のかわいらしい絵柄の美少女エロマンガ雑誌が続々登場し、それに夢中になったりもした。アダルトビデオもすでに文化としては大輪の花を咲かせていたが市場的にはレンタル専用の位置づけで、日々の主食とするにはコストがかかりすぎるごちそうだった。どんなに気に入った作品でもレンタルは返さなければいけないし、セル用VHSともなると1本が1万円以上したのだ。

こうしたおかず環境インターネットの登場で激変し、通信環境パソコンの処理能力の向上でもう一度激変した。このあたりの変遷はくだくだしく振り返る必要はないだろう。かつて、何世代ものダビングを経て裏か表かすらよくわからなくなった飯島愛ビデオに目をこらしていたことを考えると、常時接続ネット回線からフルハイビジョン無修正動画無料でドバドバ降ってくる現代の状況は「隔世の感」などという月並み言葉では語り尽くせない感慨がある。「この世の春」が少し近い。

もっとも、この変化はあくまでも量的な変化に過ぎない。ガビガビの飯島愛とフルハイビジョンの七沢みあの違いは、端的には解像度と入手性だけであり、メディアとしての質的な差はないと言える。どっちも同じ動画だ。そこには、かつてエロ本(静止画)に代わってエロビデオ動画)が登場した時のようなパラダイムシフトはない。作品の内容についても同様である。80~90年代のAVに比べると現代のAVは内容がめちゃくちゃに高度化していて、とんでもない美人がとんでもなくエロいことをとんでもない演技力でやってのける時代になったが、これとても地道に連続的に向上していった結果であり、その間に何か飛躍があったわけではない。

この先もこういう線形な向上がひたすら続くんだろうな、と俺は思っていた。モデルますます美人になり、エロ演出ますます洗練され、解像度4K8K、16Kとますます向上し……そのうちテレビも買い換えなきゃだな、と。この先に非線形な、飛躍をともなうパラダイムシフトが起こるとは思っていなかった。

ところが2016年になってそれは起こった。アダルトVRの登場である

それはまさにパラダイムシフトだった。静止画動画になったあのパラダイムシフトさえ超える革命だった。初めてアダルトVRを見たとき、「これは今までのAVとはまったく異質なものだ」と私は確信した。

VRゴーグルをかけて再生を始めた時、自分行為の「当事者」になっていた。それまでのAVでは(一人称視点モノであっても)自分あくまでも「傍観者」だった。見慣れたハウススタジオで繰り広げられている知らない誰かと誰かの性行為を神の視点で眺めるだけの傍観者だ。男優の求めに応じて、あるいは自発的女優が行う行為淫靡さ大胆さ、背徳さや不潔さ、それを傍観して興奮するのが従来のAVだ。AV嬢は裸になるのが当たり前だし、裸になるまでのチンケな三文芝居など早送りするしかない。

しかアダルトVRはそれとはまったく違った。なぜか間取りをうっすら知っている家の中に自分はいて、目の前にはめちゃめちゃきれいな女の子がいる。冬服に変わったばかりで今タンから出してきたようなブレザーの制服を着ている。樟脳のにおいがしてきそうだ。その子がこっちを向いて「うふふっ」と笑う。こちもつられてつい笑ってしまう。「ンフッ」 今までAVを見ていてそんなことがあったか? 俺はなかった。画面の中で何が行われていても、握力と緩急の調整こそすれ、表情は真顔のままだったと思う。

驚くべきは女優たちの演技力だ。アダルトVRは基本的に「女優の一人芝居」である自分役の男優はいるがただの木偶であり、ストーリー進行はすべて女優の演技に任されている。女優たちはこれを見事にしてのけるのだ。イッセー尾形とまでは言わないが、正直私はAV女優たちがここまでちゃんとしたお芝居をするとは思っていなかった。また、そのくらいアダルトVRは女優演技力重要ジャンルなのだった。棒読み学芸会の芝居だとまったく白けたものになってしまうのだ。結果として、ただかわいくてスタイルがいいだけの女優ではなく、きちんとお芝居のできる女優が日々発掘され、適性が見いだされ、人気を得て活躍していくようになった。

一人称AVというジャンルは古くからあるが、久しくマイナージャンルであった。しかしここへきて一人称AVは突然業界のどセンターに据えられることになったのだから世の中わからないものである

一人称という形式により、2Dでは早送りしていたような行為前後のたわいもないドラマシーンががぜん意味を帯びてきた。この女性下宿美人管理人さんで、俺はしがない浪人生。この女性かわいい妹で俺はモテない兄貴。この女性神待ちJKで俺は一人暮らしの冴えないおっさんリーマン。2Dではわりとどうでもよかったそんな設定がいちいち重要になってきた。その設定に没入すればするほど、目の前の女性が服を脱いだ時の衝撃と興奮が大きいのだ。もし美人教師かわいい看護婦さんが「現実に」目の前で服を脱ぎだしたら、誰だってびっくりするでしょう?

風呂上がりでバスタオルを胴に巻いただけの妹が俺のほうに上半身をのり出してきて、急にまじめな顔になって聞く。「ねえおにいちゃん、そらのおっぱい見たい?」俺はあまりのことに声も出せずただブンブンと首をタテに振るしかできなかった。「ほら!」バスタオルの前が勢いよく開かれた。椎名そらの、いつもAVで見ていたあこがれの椎名そらの、あの白くてすべすべしてふっくらとまろやかで、ぷにぷに弾力のあるかわいい乳房が、俺の目の前でぷるんと揺れた。「あっ、あっ…!!」人は感極まるとカオナシみたいな声が出てしまうことを知った。「興奮する?」「うん…する…する!」思わず答えていた。

目の前に素敵な女の人がいて、自分を信頼して親密に身を寄せてきてくれるあの幸福感が脳を満たす。「幸せ物質」みたいなものがあるとしたらそれが体中を駆けめぐる感じ、2DのAVでは決して味わうことのないゾクゾクする感じがアダルトVRにはあった。もちろん相手が生身の女性だったらその歓喜もっとずっと大きいはずだが(長いこと感じていないのでどのくらいか忘れてしまった)そんなことはもうどうでもいい。少なくとも2Dにはそれがなく、VRにはそれがあるのだ。

心通じ合うパートナーがいなければこの先ずっと得られないと思っていたあの歓びを、わずかでも擬似的にでも感じることができたし、ゴーグルをかければいつでも感じることができる。そしてこの先まだまだVRゴーグルの性能は向上するし、きっと動画解像度も上がっていくだろう。素晴らしいじゃないかコロナにおびえながらキャバクラ風俗に通わなくてもいい。俺はもう、大丈夫だ。これさえあれば、アダルトVRさえあれば大丈夫だとわかった。生きていける。

2021-03-20

著作権表現の自由関係ないのか?(ウマ娘おまけつき)

anond:20210317235416

これに著作権者の言うことだから聞くべきだと言っているブコメがあって驚いた。

著作権というのは憲法上の権利ではなくて、国が著作権法という法律で認めた権利だ。歴史的にも、憲法表現の自由規定されるようになった18~19世紀前半には著作権保護はろくすっぽされていなかった。そして、著作権国家保護するということは、ある著作物を利用して二次創作をつくる人を国家が抑圧する、という側面をどうしても持たざるを得ない。それが表現の自由に照らして問題ないと思うのはちょっと信じられない。それに著作者二次創作ダメだと言ったらそれでおとなしく諦める、という淡泊姿勢も納得がいかない。私は、(性的表現を含めて)二次創作者は、どうしても二次創作を書きたいから書くんだと思っていた。こんな淡泊姿勢をとる人が多いということは、実は単なる商売ネタに過ぎないのかな。訴訟になると面倒だから、ということならまだ分かるが。

私は著作権著作者人格権が必要ないとはまったく思わない。でも、パロディ事件しかり、ときめきメモリアルメモリカード事件しかり、日本著作権法や判例法理国際的に見ても原著作者保護が極めて強いわけで、それは表現の自由に照らして非常に問題があると思っている。著作権には表現の自由が及ばない、みたいなことを言っている人がいるのは驚きではある。原著作者が権利主張を始めたらいわゆる二次創作物を壊滅させることができる(コミケは単に目こぼしされているだけ)、それを国が著作権法によって認めている、それが問題だと思わないのか。そういう問題意識を持たない人には二度と表現の自由などと口にしてもらいたくない、とすら思う。

~おまけ~

ウマ娘 プリティーダービー』の「お願い」は、

キャラクターならびにモチーフとなる競走馬イメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮いただけますと幸いです。

作品には実在する競走馬モチーフとしたキャラクターが登場しており、許諾をいただいて馬名をお借りしている馬主のみなさまを含め、たくさんの方の協力により実現している作品です。

モチーフとなる競走馬ファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮くださいますようお願いいたします。

というものだった。

https://umamusume.jp/news/detail.php?id=news-0106

これは、そもそも著作権著作者人格から来る要求とは考えられない。競走馬著作物ではないから、著作権著作者人格権の客体ではあり得ない。馬主不快に思われる表現をやめよと要求する権利があるとすれば、おそらくは馬主名誉権などの人格利益保護となるだろうか。競走馬ないしキャラクターイメージを著しく損なう表現をやめよ、と要求する権利があるとすれば、知的財産権というよりは、商品化権ないしパブリシティ権キャラクターイメージ毀損については著作者人格権の問題になり得るが)といったビジネス上の権利問題になるだろう。これを概括して「著作権」による要求と解するのは粗雑に過ぎる。

キャラクターイメージ毀損については、一般的性的表現がすべてそれにあたると簡単に言うことはできないのではないか。たとえばどぎまぎイマジネーション事件※(ときめきメモリアルのもう一つのアレ)の東京地裁は、詩織ちゃんが「優等生的で、清純な、さわやかな印象を与える性格けが、本件ゲームソフト及び関連商品の売上げ及び人気の向上に大きく寄与している」という一方で、被告が「清純な女子高校生性格付けられていた登場人物藤崎詩織と分かる女子高校生男子生徒との性行為を繰り返し行うという、露骨な性描写を内容とする、成人向けのアニメーションビデオに改変、制作した」ということを問題にしているのであって、一般性的表現は許されない、と言っているわけではない。ある改変行為性的表現に限った話ではない!)によってイメージ毀損がなされているかどうかは、そのキャラクターがどんなキャラクターなのかということを考察してみないと始まらない。

モチーフとなる競走馬ファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターイメージを著しく損なう表現」として、性的表現一般がそれにあたるのではないかと考えた人がそれなりにいたことは確かに興味深い。

もっとも、これに関するツイートを見ると、性的表現に限らず何が「不快に思われる表現」なのかはよく考えてみないといけないはずだというものもあって、結構冷静に考えている人がいるのが分かる。

例:https://togetter.com/li/1239211https://togetter.com/li/1673486

ただ、私自身は、これは「「何にエロを感じるのは人それぞれだし、どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と噛み付いていた人々が「ウマ娘エロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めたの笑う」(https://twitter.com/rtoiuyuiotyuijj/status/1371455240143212545)というのとは正反対事態ではないかと思う。先ほども言った通り、何がキャラクターイメージ毀損するかというのは、そのキャラクターがどんなキャラクターで、どんな描写をしたらイメージ毀損するのかを具体的に考えなければ分からないはずである(そして、そうするべきだ、という人も確かにいた)。むしろ性的表現一般を諦めるという態度をとった人が少なからずいたということは、「何がエロだと受け取られ、馬主不愉快にするか」を考えられないから、一般的性的表現はやめました、ということになったのではないだろうか? まあ、自分の描くものはあまたある性的表現の中でも確実に人を不愉快にさせる類のものからやめました、ということなのかもしれないが。

※どぎまぎイマジネーション事件では、東京地裁詩織ちゃんイメージ毀損によってどのくらいの損害が発生したのかという問題をあまり扱っていない。イメージ毀損という無形損害の賠償はどうしても裁判官裁量、つまりブラックボックスになりがちだとはいえゲームソフトの売り上げの損失(をコナミ証明することは困難だろうが)や、詩織ちゃんを使った事業にどのくらいの問題が生じたのかというような部分で争う余地があったのではないだろうか。それこそ表現の自由観点に照らせば、「被告行為によって受けた原告信用毀損は少なくないと解される」という短い言葉検討を終わらせて良いとは思えない。判決文の短さから察するに、被告法定代理人無能だっただけかもしれないが。

追記

ブックマークより)

解釈論と立法法政策)論は別物だからな。増田の言うことは「日本フェアユースを認めるべき」と前から議論されている。一方現行法サイゲの「お願い」は正当性がありそれは尊重されるべき。

そんなに厳然と区別できるものではないと思う。ある法解釈の結果、いかなる帰結が発生するかという帰結主義的な考慮を法解釈に持ち込むことは裁判所普通にやっているだろう※。著作者人格権については、著作権20条は、著作物の改変について、客観的名誉侵害から保護というよりも、主観的思い入れを強力に保護しているようにも読める規定になっているわけだけれども、著作権現実行使するのが、著作権管理している出版社レコード会社といった大資本であることに鑑みれば、その解釈は非常に大企業に有利な体制を作ることになる。立法によってテクストを変更する前に、解釈可能性が開かれているとき、まず解釈で争うことを諦めるべきではないと思う。

※もちろん、あまり政策的な考慮を重視するべきではないという立場はあり得る。特に刑法場合罪刑法定主義との関係上、処罰をする方向へと政策的な考慮を強力に効かせることには問題がある(古典的な例では、電気財物にあたるかという問題が良く採り上げられる)。ただ、政策的な考慮を一切しないというのは、それはそれで異様な考え方ではないか

なお、一見してみて、Cygamesの「お願い」が一理もないとは思わない。仮におうまさんのことは度外視しても、ファンコミュニティの維持は大事なことだろうし。単に、著作権には表現の自由は譲るという単純素朴な理解をしている人がいることが意外だっただけである

メタボ教授競走馬種牡馬)は法律上『金融商品』なので単純に損害賠償請求される恐れがある」https://youtu.be/o3glYqYwsHs

金融商品とは何のことだろうか。カッコつきで書いてあるということは、金商法上の金融商品有価証券預金債権等、通貨)ではないということかな? キャラクターないし商品イメージブランドイメージ毀損について不法行為による損害賠償請求がされうるというのはその通り。パブリシティ権との関係では馬名の使用について許諾はいらないということになるとしても、後からゲーム中の描写イメージ毀損になっているとケチをつけられると訴訟を抱えて面倒になるから、馬名の使用拒否する場合はその馬名を使わない、というゲーム会社経営判断理解できる。ただ、この金融商品という言葉遣いは唐突に感じる。

憲法上の権利である財産権幸福追求権を著作権著作者人格権という形で具体化しているので著作者権利基本的人権範疇では。おまけは113条11項的なアプローチと思うので著作者人格権の問題なんじゃないかと。

かに、あらゆる法律上の権利は煎じ詰めれば何らかの憲法上の権利に行き着く可能性が高い。ただ、憲法上の権利である表現の自由と、憲法上明示されていない著作権とをフラットに扱って、何も重み付けをせずに天秤に乗せるべきものなのだろうか? あと、おまけでは「お願い」が著作者人格権の問題ではない、ということではなくて、法的な権利性質主体・客体がバラバラな諸要求が一枚のお皿に盛られているので、著作権とひとくくりにするのはまずいということを言っている。

著作権表現の自由問題は多分学問的にもまだそれほど論じられてないので表現の自由戦士の中でもガッツリ法学系の人じゃないと考えるのも難しかろうとは。現状の著作権システム是認するのが不当とは言い切れんが

これは、知らなくてもしょうがいかなという気はする。ただ、こういう論点も考えられるようにしておかないで何が表現の自由かとも思う。実際には、超有名論点にすら関心は持たれていない(性的表現制限する刑法175条がまるで問題にされていないようだし)のでそんなのは無理、ということになるかもしれないが。

そもそも表現の自由戦士」はただのレッテルであって、何でもかんでも表現の自由ゴリ押す人たちのことじゃありません。法律に守られた権利を「お気持ち」でゴリ押そうとする人たちに抵抗しているだけです。

私は「表現の自由戦士」というレッテルは使っていないと思うのだが・・・。「法律に守られた権利」というけれども、ある表現に対する「お気持ち」表明(これもまた表現だ)を差し止め権利表現の自由に含まれているとは解されない(名誉毀損のような場合は別だが)。それとも、「お気持ち」に基づいて出版物差止訴訟を濫発した、みたいな事件があるのかな? せいぜいツイッターでボロクソに言われた程度の話しかないような気がするけれども、それが元増田言葉を借りれば「自由制限」とはまこと大仰な話だ。

※以下はこの方に対する直接のリプライではないが、関連する内容ではある。

性的表現(正確には、わいせつobscenityにあたるもの)というのは、日本アメリカ判例法理上、保護されない言論位置づけられている。なぜかというと、表現の自由について司法審査基準を厳しく設定する理由として、民主的過程の維持や人格の発展といった目的が持ち出されるわけだけれども、ということは、逆にいえばそういった価値との関わり合いが薄い表現は、別に手厚く保護しなくて良いということになる。となると、性的表現は「法律に守られた権利」とすら言えないのではないか。私は、それで良いとはまったく考えないけれども、それならそれで現在判例法理を覆す理由付けを考える必要がある。悲しいかな、私は専門家でもないトーシローだし、中々良い案が浮かばない。表現の自由について考えている人は、是非この問題について詳しく調べてみて、知恵を貸して欲しい。なお、定義的衡量(何が「わいせつ」にあたるかという論点で戦う)をいくら頑張っても、いわゆるハード・コア・ポルノにとっては役に立たないということは申し添えておく。

二次創作者やその支持者の大半は「表現の自由」を信奉してるわけでは無いと思ってる。その観点から表現の自由」という言葉を軽々に使うなというのは分かる / エロ即ち不快表現との理解はびっくりするよね

そう、私も性的表現ただちに不快表現にあたると解した人が少なからいたことが驚きだった。こういう短絡を起こしたということは、将来、あらゆる出版社ゲーム会社がこの手の「お願い」を出したら、性的二次創作表現は全部ピタリと止むということになるんじゃないかな・・・。

2021-02-18

https://togetter.com/li/1669386

この当たり前の羅列と連続に「目からうろこ発言をしている人は普段なにを描いてるんだろう。

全部当然のことしか言ってない。

ちなみに増田個人じゃがりこテスト最初から受かった。

ただしその内容には苦言がある。

あれは感情吐露するためのものではなく、物体感情を想起させることを顕す事が大事で、その意味イマジネーションの錬成に近い。

しかし作者のイメジネーションは貧弱なので、感情吐露大事だ、という一歩前の回答で終わっている。

コメ欄も同じ。お前ら一体何年クリエイティブに関わってんだと思う。

感動する内容も全然ない上に一昔前の精神世界セミナーのようなアメとムチを利用した脳死ホイホイをやってるだけ。

ちったあ頭使え。

2021-02-01

anond:20210201132855

DLsiteとかの同人ゲーでは結構あるよね

会社立ててるギャルゲメーカーあんまり反社・非倫理系のネタを堂々とフィーチャリングすること少ないけど

同人だと売春宿経営どころか泊まりにきた冒険者を薬物暴力洗脳などで手駒にして肉の盾化して資金調達するようなゲームもあれば奴隷を溺愛するゲームもあるし人間蹂躙するゴブリン側になるゲームとかも増えてきた

そうでなくとも女性ヒロインが旅をするうち魔物や人に犯され売春に手を染めついには淫蕩に堕ちていくという堕落的な構造RPGが最大勢力でテンプレ化してるもんね

会社を立てて女性スタッフがたくさん制作に関わってるとやっぱりどうしても主人公は男で男女1:1の純愛的なのをベースにせいぜいのオタク要素としてSF要素入れてみたりするくらいになりがちだけど

同人として男の欲望のまま好きなようにイマジネーションを働かせて創作をするようになると男は結局竿役にしかならず女性主人公がひどい目にあいながら(と言っても可哀想すぎるのは抜けないのが多数派であると思うが)性に染まっていく様を見たい、要するに女性には性にオープン淫乱であってほしいというのが現代日本人男性の最大の願いだと思うんだよね、知らんけど

2021-01-11

個人的2020年増田の振り返り

1月に入ってから1週間以上が過ぎもう成人の日連休中だが昨年自分が書いた増田の中で気になったものをまとめておきたい。

僕は他人自分の話を聞いてもらいたくて増田を書くことが多い。

聞いてもらいたいといっても大層な主張ではなくてくだらない話が常だ。

しかしくだらない話題であっても小難しく単純明快はいかなかったり重箱の隅をつつくような珍妙話題だったりで、雑談の中に織り込むのは憚られるような自論や疑問である

そういう特定人間には面白いかもしれないが一般的感覚ではつまらない話を増田に投下している。そして何らかの反応があることを期待している。

ブクマカトラバ増田玉石混淆だが、たまに自分では思いつかない気づきがあってそういうことは強く印象に残る。

そして傲慢といえばそうかもしれないが期待したものの全く箸にも棒にもかからないことも当然多い。

印象深い増田も惜しい気持ちがある増田も毎年溢れるほどあるが、読み返して募った気持ちを供養したいので、この場を借りて列挙し読み返して思ったことを書き連ねておく。

ごめんCR超雑食腐女子に見えた…

anond:20200127125713

いわゆる腐女子長文にぶらさげたトラバ。当時はけっこうウケると思った。その気持ち寒い

ちなみに生まれてこの方パチンコはいたことはない。

あれだけパラサイト話題で…

anond:20200216024658

"前田建設ファンタジー営業部という映画オススメ "(https://anond.hatelabo.jp/20200213214854)という増田に下げたトラバ

まごうことなクソリプ。のちのち有名になるがあの豪邸の大部分はCGという事実省みるとアイロニカルな気持ちになる。

3月上旬自粛期間に国や東京都は何してたんだ?

anond:20200327102210

いまでも何してんだって思うよ。

ハリーポッタージャンプ連載作品

anond:20200322113704

ものすごーく湾曲的に現在連載中の作品Mを揶揄してるんだけど、書いてあることが馬鹿すぎて誰にも相手にされなかった。

男だけどこじるりの筋肉発言はわかる気がする

anond:20200504070205

筋トレ自己肯定感が上がる」とかいうの、結局自己満足じゃないですか。ある程度絞れた体見て主観で「オレスゴイ」って言ってるわけで、それができる奴はもともと自己肯定感高いはずなんですよね。

からすれば漫画キャラになりきって周りにお構いなく生活してるのと変わらない気がする。自分がそうだと信じて憚らない人いるでしょ?右手邪神が宿った奴とかヒーローとか魔法少女とか猫の化身とか…

そういう痛い奴、中二病精神病者たちとどう違うんだってどうしても考えちゃう

多分、自分フィジカル客観的評価する視点があればトレーニング尊敬できるんだと思う。明確な数値目標があったり試合とか大会とか結果が問われる環境に身を置いたり。

実際に俺はボディビルダーとかすげえなって思ってるし、オリンピックとかも存在意義はあると思うタイプ

でも筋トレ精神面がー生活の質がーとか言い出す人ってだいたいはちょっとランニングしたりストレッチしたりって程度でしょ?個人でやる分にはいいけどそれをアピールしたり人に勧めたりされると鬱陶しい限りで、それでお前より人間が出来てるって調子マウント取り始めたときなんてもう耐えられないね

暇つぶしで体動かしてるって次元じゃなくて、意義のあって何らかを生み出すレベルに達してる筋トレって絶対何かが犠牲になってると思うんだよね。

それに費やした金銭時間別に回せばあり得た未来を惜しんだり、鍛えすぎて却って体に負荷がかかったり精神的に追い詰められたり。

そんなこと考えずお気楽にやってる程度なら、ラーメン味わったりゲームしてケタケタ笑ってんのと何が違うんだろう。

やってほしくないとかやるのはおかしいとか思わないけど所詮個人趣味なんだから正義面したり他人からの賛美や協調を無理強いしたりは辞めてほしい。だまって粛々とやっててほしい。

豆腐屋って本当に実在してたの?

anond:20200630220407

煽りすぎタイトル。流石に豆腐屋は今でも実在する。

でも豆腐屋経営はどう成り立っているのかは今も疑問。

あるときから小島アジコ氏が描いた…

anond:20200627091810

とあるブクマカについての増田に下げたトラバ

今のアイコンになってからちょっと苦手になったのって俺だけかな。

大河の主演に和泉元彌ってすんなり受け入れられたもんなの?

anond:20200711191757

純粋Wikipedia見てて気になった。和泉元彌ってみんなにとってどういう人だったの?

あらすじ紹介系Youtuber

anond:20200820005256

語り口調がなんかやらかしてるな。2か月くらいまえにネットニュースとかでこの話題ちょっとバズってて、やっぱりみんなそう思ってたんだってちょっとホッとした。

パプリカ

anond:20200820162005

シュールってこういうことなのかな?って思いながら書いた。

日本が歌下手アイドルの国になったのではなくて洋楽にはもはや音痴という概念がないという話

anond:20200927060919

言いたいことが元増田の内容と少しずれてたり、ブクマカ受けを意識して変に煽り口調や極端な断言をしたせいでやや支離滅裂になってしまった。

要は「カラオケ精密採点で競い合うバラエティ番組みたいな評価軸が海外文化にはなくて、それよりもアドリブで尺を埋めたり即座にハモったりする様な表現力が評価される」

「これがオリジナリティでもあるけどJ-popコード進行に対する拘りが強すぎて曲に拡張性がない。今は二次創作的なリミックスでヒットを広げる時代で、その都合上全世界的にポップスアレンジやすループミュージック主体に変わってきてて日本もいずれそういう流れになるかも」

「『メロディを考えること=作曲』『メロディを考えてからアレンジャーが細部を考える』という認識が変わってきてて、ビートバックトラック)ありきでメロディを考えるというヒップホップのやり方で他ジャンルの歌もの制作されるようになってきてる」

ってことが書きたかった。

人生賛歌かと思ったらただのラブソングで幻滅

anond:20201107114821

反対にお洒落のつもりでMegan thee stallionの下ネタな曲流してる服屋とか見かけるとちょっと笑っちゃう

Megan thee stallionはヒロアカミルコっぽくて好き。

ネット最初のシーン結局何だったの?っていうのの考察ネタバレ有)

anond:20201101080121

無駄に長いし書くのが遅い。

吹き替え版TENET観たいなー。

鬼滅の刃を蹴ってさらざんまい放送するテレビ局ってめちゃめちゃ尖ってるよな?

anond:20201203164559

これも煽ってやらかしてるやつ。なんとなくあの時ノイタミナと幾原作品についてちょっと書きたくなったんだと思う。

当たり前だが三文ゴシップ誌に書いてあるような、作風がどうだとかそんなんで企画が通ったり製作に関わったりが決まるほどテレビ局事情は単純な話ではない。

パプリカ」と嵐の「カイト」と米津玄師

anond:20201231121747

はてなの、それも増田ジャニーズアイドルの話をしてもせせら笑われるのがいいほうで、「カイト」にしても増田では米津玄師に幻滅したというファンエモい心情が何回か吐露されただけだった。

俺は「カイト」という曲が好きで、それはオリンピックアイドル活動休止といった一市民生活に直接は関係のないことを意識的に取り扱いながらも、あらゆる人にとって共感できる曲として昇華されているからだ。

そしてあの「パプリカ」と通底するポイントがありこの二曲を同一世界だと捉えることでイマジネーションが広がる壮大なストーリーに一人感動した。

2020-11-02

anond:20201101174453

未成年?ちがうちがう、それは絵です。

あなたイマジネーション表現した絵です。

未成年要素はありません。

2020-09-24

覗き魔のアイツが来るとイマジネーションの2/3くらいが不感症になる。

こいつ自身がまるで想像力イマジネーションもないからなんだろうけどな。

2020-09-05

ファンタジーなのは現実セックスSMと何も変わらない

脱毛したり臭いに気をつけたりシチュエーションに気をつけたり涙ぐましい努力してますやん

そこまでして子作り以外のセックスする必要あるか?だが (体外受精出来るのでなんならセックス自体する必要あるか?)

古い価値観マウントを引きずってるのだろうな

 

セックス必要なのは相手に対する思いやり尊重以上にファンタジーである

セックスにガッカリとはファンタジー体現力が足りないという意味である 

 

SMも同様である

完全にイマジネーション世界

 

まぁ身体を改造系のガチ勢以外は微笑ましいのでは無いでしょうか

anond:20200904003801 anond:20230604211339

2020-07-24

イマジネーション

トイレよりも、風呂場で頭を洗っているときのほうがいろいろ閃く人はいませんか?

2020-07-18

増田民ほど自由の恐ろしさを熟知している種族はないさ

ほとんど禁じ手がないことで人間想像力(イマジネーション)の限界を試されるサイトさ。

2020-06-26

ジェロム・レ・バンナ米松について

いつも行く近所の図書館

そこには君がいた。図書館の一番奥の、窓際のイスに君は座って、何やら難し気な本を読んでいた。

僕は本棚で本を探すふりをしながら、横目でちらちらあなたを観ていましたよ。

僕はよく君との会話を妄想していた。

「あのぉ…」僕はおずおずと話しかける。

君「はい?」

僕「僕、ジェロム・レ・バンナ米松と言います。お見知りおきを」

君「は?」

続きはない。

こうしたイマジネーション図書館に行く前は必ずしたのだが、図書館の奥に座る君には結局一度も自分の名を

名乗ることはできなかった。

そうしてある日、突如としてコロナが湧き、緊急事態宣言が出され図書館は封鎖された。

解除された後、僕は毎日のように図書館に通うが、いまだに君の姿はない。

2020-06-18

世間体のため

看護師仕事に選んだ。

ほんとは漫画家とか作家とか、イマジネーションに生きる仕事が良かったけど、才能も努力も足りなかった。編集者につけるような学力もなかったし。

結果としては良かったと思う。

この仕事ならではの大変さはあったが、喜びもあったし、大きく成長できた。婚期は逃してしまったが。なにより、生活基盤が大きく安定しているのが強い。生活のことを考えながら創作するよりは、インターネットがある時代余暇を生かして創作している方が自分には向いていた。

あと数年で、五十歳だ。管理職になったけど、結婚出産経験していないので、人を導ける立場として足りないところが多いのではと悩む日々だ。これを乗り越えて五十歳になったら、残りの人生、好きに使いたいなと思う。

六十歳まで、働き続けるとしたら、老後のためなんだけど、六十歳でしたいことより、体力ある五十歳でしたいことがあるのだ。

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