はてなキーワード: アルファブロガーとは
http://anond.hatelabo.jp/20070223011440
ところでさー、いや別にいいんだけどね、ちょっとまえ、一年くらい前かな?学歴の話がすこーしはてな内で出てきたときって、あんまり過剰反応する人は目に付かなかったように思う。つーか、発言力のあるidに限らず、はてな全体がミョーに学歴の高いコミュニティだった気がする。2chまとめサイトのクリップのためにはてブを使い始めたようにしか見えないidも散見される今日この頃では、学歴コンプレックスを持つ人がはてな内にも増えてきたってことだろうか。
以前、ブックマーカーは自分の知性をアピールするためにアルファブロガーのエントリをブクマしているというような話があったと思うが(うろ覚え)、その逆にはてブを使うことで無意識に自分の評価を下げてしまっている人たちの話。
ブクマ傾向からどんな人物かを推測・判断されるのは避けようが無いし、常時行われていることだと思うけど、それが露骨に表に出てきたのは衆愚化論のあたりからかな。
こういう感想を見るたびに、SBMというのは体面を気にする人にとっては激しく使いづらいツールだろうなと思う。
プライベートモードにして純粋に情報収集に特化した使い方をしていれば問題ないんだろうけど、それじゃつまらないって人も多いだろうし。
まあ、こういうのはSBMに限らずブログなんかでも同じで、継続的に同一名で活動していれば背負わざるを得ないリスクではあるんだけどね。
特に結論は無いので、「自分を良く見られたいのなら、ブクマの傾向をどうするかなんていう小手先のテクニックを気にするより、自分自身を磨いて本当に優れた人間になるの一番の近道なんだ!」と、愚にもつかない正論を吐いて締めておきます。
文学部出身で、今は普通に就職して働いている。文学部の常ながら、今の仕事に、大学時代に学んだことは全く役に立っていない。しかし、最近、大学時代の知識の「生かしどころ」が分かってきた。
ブロガーの選別に使うのだ。
ブロガー、特にアルファブロガーのエントリは、一見、示唆に富んでいて含蓄溢れるように見える物ばかりだ。これらがホンモノなのか、ニセモノなのかを判断しようと言うときは、私の学んだ分野のエントリを見ればいいのだ。人気のあるブロガーで更新頻度の高い人々は、次第とあらゆる話題に手を出すようになる。その時に、私の学んだ分野というのは非常に手を出しやすいところにあるのだ。
手を出しやすいところにあるので、本もいろいろ出ていて、トンデモに近い物が氾濫している。メディアに露出する有名な学者も多いが、中には「?」な人もいる。また、ここ十何年かで大きく進展があって、ちょっと昔の話を聞きかじっていたりすると、今では全く通用しない。
アルファブロガーたちがこの分野に触れたときに、誰の説・誰の本を取り上げて議論するか。それを見ていれば、その人の「専門外の話題の信頼性」が分かる。大抵のブロガーは専門分野があって、専門分野はたいがい信用できるだろうけど、この人が専門外の話題に手を出したとき、本気にしていいものか、話半分に聞き流していいものかを、私の専門分野の話題が出たときに判定している。かなり信頼できる指標だと、自分では思っている。
ここまで聞くと、その専門分野はなんなのか気になった人もいるかもしれない。なんのことはない。言語学です。
現役ブックマーカー(兼増田住人)の私が書いている分、あまり説得力がないエントリになってしまうことをご了承願いたい。
fromdusktildawn氏が、『アルファブロガーたちの地位争いが優良コンテンツを量産する』という記事の中でこう述べている。
また、ブックマーカーは、経済学の知識のある人の記事をブックマークすることで、「自分は経済学的に正しい記事をきちんと見抜くことの出来る人間なのだよ。」ということを、周囲に示すことができます。もちろん実際には、「単に経済学的に正しいだけで、議論的に見てピントのずれた記事」に肯定的なコメントを残すと、わかっている人たちからは「ああ、そういう人なんだな」と思われちゃいますけど。
同様の理由で、氏の『「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで本当か?』というエントリに群がったブックマーカーが批判されている。albinoalbinism氏の『見渡せば、はてブはバカばかり』というエントリである。
このような糞下らない記事を得意げに書ける神経が理解できないし、また、現時点におけるはてブの数はまだ78だが、またもや「この記事は納得! カイゼン、カイゼンっと」だの「上手にまとまってる、すごい!」だの言ってるバカが発生していることからすると、今後更にその数は増えて行くのかもしれない。
これらをまとめると
ということになる。そして、「バカでインテリぶりたい」ブックマーカーをいかにひきつけるかがアルファブロガーに求められているのだろう。再び『アルファブロガーたちの地位争いが優良コンテンツを量産する』という記事から引用する。
アルファブロガーたちの行動原理も、これです。池田氏は、山形氏や弾小飼氏がたくさんのブックマークをもらうのを見て、あまりの嫉妬で居ても立ってもいられなくなったのです。
「バカとハサミは使いよう」ならぬ、「ブックマーカーとニュースサイトは使いよう」と言いたいかのような話である。ブックマーカーは自分の欲求に忠実なバカで、それをアルファブロガーは上手く生かしてトップへと上り詰めていく、と言うことだろうか?
ブックマーカーが己の欲求に忠実なことは事実だろう。欲求に逆らって生きている人間など、世の中にはほとんどいない。
しかし、「ブックマーカーはインテリぶりたいからアルファブロガーの記事をブクマする」、と言う話は正直疑問である。なぜなら、それが真実だと仮定すれば『ブログにつまらないことを書かないために知っておくとよい10の心得(前編)』などという駄エントリはなはだしいものをブクマしたりはしないはずだ。この記事をブクマした人は、記事に書かれている内容が役に立つと思ったか、記事の内容に疑問を持ったかのどちらかだろう。見ず知らずの人間が書いた記事に、インテリジェンスなどという概念を感じるわけがない。
また、「理解できているかどうかはどうでもよい」、「ブックマーカーは、題名にすぐ釣られる」、というのは実のところ、普通の人間にとっては必然だろう。100%の理解はありえない。また、考え方は何通りもある。そして、記事を読むかどうか判断する際に、タイトル以上に重要なものはない。
それでも「ブックマーカーはバカだ」と主張する人がいるかもしれない。そうなれば、ブックマーカー、もとい「普通の人間」はバカでクレクレ厨なのだと割り切るしかないだろう。もっとも、大多数の人間をそうやって突き放している人間のほうがよっぽどバカであるようにしか思えないのだが……。
前々から「はてブ衆愚論」などという話が横行していたようだが、何のことはない。至極当然、なるべきしてなった話である。それを嘆く理想主義者がいるとしても、現実は彼らに味方しないだろう。
結果論、ブックマーカーはバカじゃない。もっと誇りを持ってブックマークしていけばいい。そうやってたくさんの記事が紹介されることで、議論は活性化されるのである。ブロガーたちは「ブックマーカーはバカばっかりで相手にできない」とか、「ブックマーカーとニュースサイトは使いよう」とか思う前に、まず自分を支えてくれているブックマーカーたちに感謝すべきだろう。私はそう思う。
やあ増田,僕の古い友達
君とまた話をしに来たんだ.
なぜなら幻想が静かに忍び寄ってきて
僕が寝ている間に種をまいて行ったから.
僕の頭に植え付けられた幻想は,
今もってなお,404のURLに留まっている.
裸灯の下で僕が見たのは,
1万人もしくはそれ以上のブロガーたち
人々は考えもせずにコメントし,
記事も読まずにブクマし,
404のURLを妨げようともしない.
衆愚が! 僕は言った.君たちは知らないのだ.
404が癌のように広がるということを.
僕の教える言葉を聴くんだ.
僕の伸ばした手を掴むんだ.
だけども僕の言葉は404の雨粒のように零れ落ち,
404の壁の中にこだました.
そして人々はお辞儀して祈った,
彼らが作ったアルファブロガーという神に.
その光は文字を織り成していた.
サインは語っていた,
youtubeの投稿に書かれている」と.
それは404のURLの中で囁いていた.
http://alphabloggers.com/modules/news/article.php?storyid=5
アルファブロガーと呼ばれる人のブログを見てもなんかテキストばかりで04年のブログのスタイルって感じで古くて、ピンとくるとか羨望しちゃうとかはないですよね、悪いけど。
あぁいうもて囃されてるブログが07年01月に「アルファブロガー」として評価(?)されてるのは自分にはよくわからないけど。それに比べれば自分が去年から始めたこととか今年から始めたこととかは06年や07年に沿っているから安心する。「まだこんなことしてるブログなんだ…」と思いつつアルファな人のブログを見て自分が安心するってのも趣味が悪いですが。
いわゆるアルファブロガーの文章をコピーしたレポートを拝む機会があった。IT化を推進するその授業では、学生たちが提出したレポートをWEB上で全て読むことができる。その中の一つ、梅田氏の『ウェブ進化論』について書かれたものが、R30氏の書評まんまだった。自分がこの本を読むきっかけとなった文章だったから読んですぐにわかった。剽窃された部分はほとんどいじられていなくて、後からとってつけたような彼自身の感想とR30氏の評が、見事なほど分離している。あまりにも惨めだ。
一部の学生によるものにすぎない、と理解はしている。だが、仮にも日本の決して少なくはない高校生が目指す大学だ。その格差にはあまりにも決定的なものがあって、思わずうなだれたくなる。その学生はたぶん、自分の拙い感想文より、ネット上に転がっているそれらしい文章のほうが、時間もかからず評価も上がると考えたのだろう。だが、皮肉なことに、その行為自体ももちろんそうだが、剽窃した結果出来上がったレポートはむしろ彼自身の無能さを垂れ流すものとなってしまった。彼は自分の文章と他人の文章の違いを理解し寄り添わせることすらしなかった。いや、できなかったのだ。圧倒的な力量の差が見えなくなっているほど盲目化している。
結論としては、コピペすんならもっとうまくやれ、である。そもそもあんなメジャーなところからコピーするのがアホすぎる。その時点でネットリテラシーがないのが露呈してしまうし、こんなことにgoogleが利用されるようでは梅田氏も草葉の陰に隠れて泣くしかない。確かにレポートのコピーはネットが普及して進化した。だが、手段が簡易化しても利用者が変化するわけではない。レポートコピペ2.0は、哀れな学生たちを厳しく白日のもとに曝す役割を果たすことになるだろう。本人たちが無自覚であるだけで。
要するに「アルファブロガー」ってブロガーになれてない奴らだろ?
早く真のブロガーになれるよう頑張ろうぜ!
そうだな…まずは「ベータブロガー」を目指してくれや!
今さらなんですけど、d.hanena.ne.jpで人気エントリーとか注目エントリーとかにその、売るルンさんという俺が知らないし特に興味を持つべき理由も見いだせない(好みの問題ではない。別の人生で互いにリンクなしというだけ)がけなされたのそれで感情を切らしたのそれをとりなすの、という鼻毛以下の価値しかないことが、その内輪やネットでお友達な人や通りすがりな人たちがブックマークを10個ちょっと張った、というだけで、ネットの表玄関のリストにアップされる仕組みというのは、はてな創設時ならともかくですが、なんか別の仕組みをそろそろ構築しろよと思うのです。アルファブロガーだかその候補群だかしらないが、少なくとも売るルンさんのブログ発言なんて過去にさかのぼって、内容ないよね。ブックマークされることが大事で考えていたんでしょ、売るルンさんとその対抗馬の方々?それで友情やケンカ青春ストーリーが生まれるのも自然だがやはり価値ない。ブックマークを、はずしてくれませんか、ブックマークしている方々。そんな無価値な事象が表紙に出て行くのはライトユーザーの俺様たちにはげんなりだ。楽屋芸も甚だしい。ぜひ、それらの人たち全員プライベートモードにして解決まで闘ってください。見えないところで。
お互い仲いいのはむつまじきことでしょうか、まったく共有のしようがない。公然となりすぎないような仕組みをつくってほしいぜ、ぜひぜひ。
機械的な処理によるアルファブロガー選出である。
だからなんだというのだ?
というのが素朴な感想である。
自分の興味と関係ないことを書いている人は
たとえ、数量的にアルファであっても
イプシロンするのだ。
虐殺の巻物を手に入れた。入手経路の詳しい説明は省くが、分かりやすく言うとこれはすごいデスノートみたいなものだ。デスノートと違うのは、個人名ではなく、種族を書くと、その種族が一斉に死ぬところである。「アメリカ人」と書けばアメリカ人がみな、「悪人」と書けば悪人がみな死ぬ、そう説明書には書いてある。種族の定義については割愛、とも。
そんな巻物が手元にある。私は想像を思い巡らせたが、最後には緊張しつつも「非モテ」と書いた。「はてなブックマーク」の注目エントリーに「非モテ」話がいつも挙がってくることを、私がどれだけ苦々しく思っていたかご理解いただけるだろうか。他に虐殺すべき種族もいるが、あまりに大規模では、どのような影響が生じるか予見出来ない。まず肩ならしとして「非モテ」はちょうどいいサイズに思えた。
書き終えて、私は窓を開けて街を眺めてみる。なにも変化がない。テレビを点けたが、なにも変化がない。テレ東は世田谷区で一番うまいラーメンはどこかと騒いでいる。知るか。西武新宿線に乗って新宿まで出てみたが、やはりいつもと変わらない、騒がしくて汚ならしい新宿である。カラオケ店の呼び込みがわずらわしい。巻物は偽物だったのだろうか。私は不安になった。クーリングオフは効くのか。残りのローンはどうなる。私はふて寝した。
変化に気付いたのは翌朝のことだった。いつもなら深夜のうちに更新されるはずの多くのブログが、今日は更新されていない。もう何年も毎日更新されてきたようなブログもだ。私は不意に勝利を確信した。「非モテ」は死んだ。私が殺したのだ。大停電の日や家族の葬儀があった日、自転車で転倒して両腕を骨折した日でさえ携帯電話を片手に絶えずブログを更新してきた者たちだ。彼ら彼女らの沈黙は死でしかありえない。私は更新が止まったブログを次々に見つけては微笑んだ。意外なアルファブロガーも沈黙しており、だからプロフィール画像がアレだったんだ、と私は一人ごちた。
その日の「注目エントリー」は「非モテ」話が消え、ライフハックで溢れた。無数のブログが同時に活動を止めたことに気付く者はいなかった。どうでも良かったのだ。特に「非モテ」でない者にとって。私は「ライフハッカー」と巻物に書いて床についた。
http://anond.hatelabo.jp/20070118193602
いやなんかね。弁当じじいが
男が、どうしても、僕ちゃん=子供=正しい世界はどこどこ、というメタモードと、やりたい=やりたい=性欲というモードがあって、実際のところ男なんてそこがうまく切り替えられないというか、切り替えられる一群の男たちに、ああはなれねー、ああなるのはやだ、と思っている。
つってて。
ああ。ソレだ。って(アルファブロガーにもろに影響されるおれかっこわるい!)。
おれはメタモードで「やってやれよ」って思ってて、同じくメタモードで純愛指向の人と議論してたわけ。
あとさ。痴漢被害読んでて「あ、おれも」ってなって。
あとあと。palさんの
悪いですが、僕は、自分の裸をみて勃起する危険性のある男とは友達になれません。一緒に寝てたら、夜中のベッドに入り込んで、体中さわりまくるような男も論外です。危険すぎるからです。
ってのもあって。考えた。
ちょっと背景説明。
おれ結構痴漢に遭うのさ。最近はないけど10代後半は酷かった。半年に1回くらいの頻度で遭う。一番ショックを受けたのが、地域の図書館で受験勉強してたときのやつ。息抜きに新聞読んでたら、50代くらいのハゲのじいさんが話しかけてくるわけ。で、おれも爺ちゃん婆ちゃんっこだから、老人と話すのは好きで世間話がはじまって。ちょっとしたらピロティーの自販機でジュースおごってもらえることに。2人でジュース飲みながらまた世間話。なんかその時点でベンチ横並びで、よく考えるとおかしかったんだけどね。ほいでおっさんの発案で天気良いから外の公園散歩ついでに一服しよう(館内禁煙)ってなって。まあ断る理由も無い。ちょっと歩いて、木陰のあずまやで
「一服しよか」
「へえご馳走になります」
っつってタバコ喫ってもやっぱりなぜか横並び。そのうち手とか握ってきて。そのうち膝とか触ってきて。
とか。その時点ではまだおれは信じたかったんですよ。それがモーションだとは思いたくないわけですよ。ジュースとタバコおごってもらったし善い人そうに見えたし。いま考えると巧いな、と感心しますよ。でも終いにゃ内腿に手が伸びてきて。まあさすがに恐怖。ちょうど喫い終わったし、すぱ!と立ち上がってまた歩き出して、この時点ではまだ五分五分で信じてたけど、公衆便所が見えてきて
「ぼくトイレ行きたいな。きみもいっしょにどう?」
と言われた瞬間に「友達がもぐもぐ」とか言いつつ早足で戦線離脱振り返ったら走ったら食われる襲われる!
でもいまゲイの友達はいてる。
うん。で、だ。
おれは「やってやれよ」とか書いた死んだ方が良いアレな人なんだけど、その友人に
「 や ら な い か 」
て言われたらたしかに断る。
「何言うてんねん縁切るぞw」
っつって。切らないけど。切りたくないけど。切らせないけど。
でもこれってつまりおれが例の男女の友情を維持したい糞女で、ゲイの友人がお兄ちゃん扱いされた彼ってこと? こと?
おれの中の僕ちゃん=メタモードは「やってやれよ」が今でも正しいと思ってる。でもおれの性欲=ベタモードはそれを拒否して「やりたくないやつとはやれねーよ」って囁いてる。じゃあこれについて語る資格はないな、と。ていうかおれはおれのために語るべきでないし語りたくないな、と。そんなことよりその友人と飽きるまでは関係してたいな、と。
なぜか弁当じじいの構図とは逆方向ですが、アンビヴァレントは抱え込むべし、というのはいっしょ、ということでひとつ。
いま増田の存在意義が判った! だって自分のブログじゃこんな自分語りに陥る話題なんか恥ずかしくてあつかえねーもの!(いまさらかよ
ブロガーは万人によって求められることを自ら欲し、ブックマーカーは万人によって愛されることを自ら望む。かつてはホッテントリを衆愚ならしめるためにGIGAZINEが最も強き大旦那にブクマされたことがあった。今やホッテントリと注目エントリとをアルファブロガーの独占より奪い返すことはつねに進取的なるはてな市民の切実なる要求である。匿名ダイアリーはこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽のエントリを少数者の見栄と体裁とより解放してはてブトップページにくまなく立たしめはてな市民に伍せしめるであろう。近時大量セルクマの流行を見る。その自作自演の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称するエントリがその編集に万全の用意をなしたるか。千古のネタの執筆企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに通過を許さず読者を繋縛して過去ログの読破を強うるがごとき、はたしてその揚言するWeb2.0のゆえんなりや。吾人は天下のアルファブロガーの声に和してこれをRSS登録するに躊躇するものである。このときにあたって、株式会社はてなは自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかの2ちゃんねるにとり、古今東西にわたってWeb2.0論・はてな論・無断リンク禁止論・なぜころ問答等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真の古典的価値あるエントリをきわめて簡易なる形式において逐次投稿し、あらゆる人間に須要なる生活向上の釣堀、生活批判の劇場を提供せんと欲する。この匿名ダイアリーはidの表示を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する話題を各個に自由に執筆することができる。うんこ投げに便にして敷居の低きを最主とするがゆえに、顕名を顧みざる内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来のはてなコミュニティの特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって匿名ダイアリーの使命を遺憾なく果たさしめることを期する。はてなを愛しブクマを求むる士の自ら選んでこの挙に参加し、改変ネタとやおいネタとを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上モヒカン的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世のはてな市民とのうるわしきクネクネを期待する。
主人公、渋谷ハテナは、ブログ初心者の頃自分を助けてくれたアルファブロガーに憧れる少女である。だが、彼女は、いわゆるアルファブロガーがいつか迎えに来てくれるのを待つブクマザルではない。アルファブロガー本人に憧れるあまり、自分がアルファブロガーになりたいという願望を持つようになった少女だったのだ。しなもん学園に入学したハテナは、そこで「薔薇の村長」と呼ばれる少女、瀬野本ミカと、渋谷ハテナがアルファブロガーから貰ったのと同じ指輪「トラバの刻印」を持つ生徒会役員達(ベータブロガー)に出会う。彼らは、「WWWの果て」という謎の人物からの手紙に従い、「薔薇の村長」を賭けてdisを繰り返していた。薔薇の村長とエンゲージしたものに与えられるという、「Web2.0を革命する力」を得るために。そして、ハテナもまたこのdisゲームに巻き込まれていく。
Via:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E9%9D%A9%E5%91%BD%E3%82%A6%E3%83%86%E3%83%8A
mixiが2ちゃんねらーを名乗る人に「敵」認定されている。実際はいいおもちゃが手に入ったと、個人情報のあら捜しをし炎上させ、炎上の責任をmixi運営に追及する、という遊びだ。
「2ちゃんねらー」がはてなに目をつけたら、どうなるか。2ちゃんねるで「はてなに突撃しよーぜwww」みたいなスレが立ち、勢いが出たら、という仮説。
フリメで大量の新規アカウントが取得され、はてなブックマークの人気エントリは2ちゃんねらーのブクマによって突撃スレの各レスで埋められる。はてなで人気のアルファブロガーには[これはひどい]タグで辛らつなコメントを残す。普段、はてなの衆愚化を恐れていたブロガーは2ちゃんねらーの行いに我慢ならず発狂し、ダイアリの更新を停止してしまう。読者は、はてなから離れ、人がいなくなったはてなに2ちゃんねらーも飽き、はてなは廃墟と化す。
これは冗談にしても、「はてブでVIPのスレ1位にしよーぜwww」みたいなのがいつかは立てられてもいい気がするが、はてなサービスの知名度が2ちゃんねるの中でまだまだ低そうなのが、2ちゃんねるもはてなもする身には寂しい。