はてなキーワード: アルファブロガーとは
http://anond.hatelabo.jp/20070516030459
某アルファブロガーって元河上イチロー現松永英明本名はまた別の名前で書くと削除要請が来る人のことだろうけど。
あの場合、入会脱会のウソを何度もついていたって背景があって、まだ帰依してるんじゃないかとある種の恐怖を周囲に与えちゃってるんだよね。
しかもはてな社長はそのアルファブロガーの正体がばれた時点で擁護してしまった。
何をしでかすかわからないえたいの知れない人物に、お墨付きを与えた社長が運営しているサービス、だから叩かれるんだよ。
それって怖いでしょ?
元オウム?の某アルファブロガーが、はてなでブログを書いているとか、それだけの話を針小棒大に騒ぎ立ててるだけでは?
それくらいではてながオウムの手先になるのなら、2ちゃんねるはバスジャック犯や殺人犯の手先という事になるぞ。
かつてid:Hayashidaが自分こそ痛いキモオタなのを棚に上げて「オタクはオウムと同類」とか出鱈目を抜かしてたし、十年くらい昔はゲスッが「エヴァオタはオウムと同類」扱いをしてエヴァ関連サイトの掲示板を執拗に荒らしてた。
自分の気に入らない連中をオウム呼ばわりして中傷する事は、昔からあちこちで見かけるもの。
カルト宗教は思い込みが激しくて聞く耳を持たない傾向があるけど、カルト宗教に噛みつく連中の一部も、さらに輪を掛けて思い込みが激しくて聞く耳を持たない上にすごく暴力的だったりするもの。
だからと言ってカルト宗教のやってる事が免責されるという意味じゃないけどね、やり方を間違えると「反カルトという名の新しいカルト」になるだけだってこった。
知人からこの日記を改変してくれーと言われたので書く。ということで間借りしますー。
常々ここをヲチされている、顔も知らない愛すべき増田民たちの想定の範囲内だったかどうかは別として、自分はふだんはてなダイアリーで日記を書く人である。いや。1ヶ月ではてなブックマーク100個ブックマークしてそのうち半数をコメントするかどうかも結構あやしい超ライトはてなダイアラーの自分が、ここを覗いている数多の重度のはてなダイアラーたちを前にしてこう堂々とはてなダイアラー宣言するのもおこがましい話ではあるのだが、世間一般的な基準に従うと、いちおうはてなダイアラーの部類に振り分けられるらしい。もともとがまんが足りなく、「finalventの日記」のいいかげんな書き飛ばし記事がはてブ注目エントリー入りしているのを見た瞬間に心がムズムズして記事を書いてトラックバックを送らずにはいられない、傍目にはおよそ典型的なはてな依存症の自分がなぜそうまでして毎日はてなダイアリーを書いているのかと言えば、これでも物書きの端くれだと思っているからである。モノを書く人間ならはてなのダイアリーやブックマーク、嗜んだことがなければ文字通り「お話にならない」し、はてなダイアリーを使わない人間が書いた文章なんて、大抵ロクなもんじゃない。
読む価値が無い、とまで言ってしまうとそれは過言として。非はてなユーザーが書いたものでも読むべき文章は無数にある。はてなユーザーが書いたものでもはてブ1発分の価値すらない文章もザラにある。あらゆるものの90%はクズである。はてなダイアリーを使わない物書きがなぜダメなのかと言えば、それははてなダイアリーを使っていないからだ。彼らは「はてなダイアリーがない世界」のことしか知らない。はてなダイアリーを使う人間は、はてなダイアリーを使わなかったこともある人間である。彼らは「はてなダイアリーを使う世界」と「使わない世界」、両方について自らの経験に基づいて一応の見識を持つことができる。モノを書く人間や、ブロガーにとって一番の武器は、彼が持ちうるそのパラダイムの多さだろう。
普段はてなダイアリーを使っていない人間は、ためしに想像してみてほしい。どうやって「記事を書く」のかを。まずジャンルは? いったいどれを選べば良い? 非モテダイアラーのrepublic1963とfurukatsuとkiya2014とumetenは、それぞれどうキャラが違う? スキンはどれを選択する? hatenaシリーズはともかく、指定なしって結構ディスプレイサイズがでかいユーザーにとってはクセ者よ? キーワードになっている単語はどうやってつける? なにも考えずに記事を書いてるだけじゃ、誰も読まずに流されるだけですよ? どこで記事を書くのを止める? 先っちょだけ書いてほのめかす?真ん中まで書いて読者に思考の道筋を与える?それともギリギリのところまで書いて「続きは後日」? [続きを読む]って、どこまで溜まったらつけてほしいものなんだろう……? 等等。いかに「はてなダイアリーの世界」について無知なのか気づくはずだ。自分の周りには、あんなにもはてなダイアラーが多いと、ずっと思っていたはずなのに。いままで非ダイアラーは一体ネットの何を見ていたというのだろう?
はてなダイアリーひとつとっても、「こちら側」と「あちら側」でこれだけものの見方が違うのだ。思考の越境はかくも困難なり。しかしおそらくモノを書くことを生業にする人間こそ、常々何かについて考え、不断の「思考の越境」に努めなければならない人種である。それが日常の些細な事象についてなら尚更だ。ここで勘違いしてほしくはないのだが、自分がはてなダイアリーを積極的に奨励し、その欠点を必死に覆い隠してはてなダイアリーの普及に尽力している、と思われるのは心外である。そんなつもりは毛頭ない。どう言い訳してみたところで自分の文章をロハで叩き売るのは毒だ。百害あって一利なしである。それでも、絶望の際に立っておずおずと久遠の深淵を覗き込んで尚、闇の底から見るはてなダイアリーのシンプルな美しさについて必死に思いを巡らせる。それがモノを書く人間の、最低限持つべき心意気だと思う。
『はてなダイアリーを使わない人間にものを書く資格がない』と言うわけではない。が、やはりモノを書く人間には何かしらの「はてな(hatena)」がなくてはならないように思われる。別にそれがはてなダイアリーであれ、とは言わない。ブックマークでも、アンテナでも、人力検索はてなでも。物書きならば何かのhatenaじゃなければならない。そうでなくては、思考がねばついたものにならない。さらさらした思考からは、何も生まれない。さらさらした文章が生まれるだけだ。思考の「越境」と「拘泥」はものを書くために必要不可欠な要素である。その為には、多くのブログを読むのもいろんなアルファブロガーから話を聞くのもよいが、やはりはてなの「キーワード検索」こそが最も頼りとする素養となるだろう。
と、ここまで書いてしまえば、これ以上ない決定的な批判に晒されずにはおられないことは馬鹿ではないから自分でも分かっている。
「オマエのダイアリー、まだはてなアンテナ登録数10人いないじゃないか」と。
いや。まぁ。それはそれで。そっちのほうがマイノリティな界隈にバカ受けな文章が書ける、ということにしておいて。
おまけ
手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』
宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』
庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』
富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』
藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、
私の持っている漫画観は全く逆です。
人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。
全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。
あまりの反響に腰をすえて色々なご意見にお答えしなければと思いつつ、議論の焦点がぼやけているためにアニメやらイラストやら消費形態やらいろんなものの系譜を頭の中で整理していたらとてもじゃないけどすぐ書ける様な話でなくなってしまったので、脊髄反射で思ったことだけ書き記しておきます。
本文のクオリティは保証しないので、君はこのエントリを読んでもいいし、読まなくてもいい。
さて、元エントリ「なぜ作画の評価は割れるのか?」では、あえて“脚本・演出”の評価と“作画”の評価を切り離しています。これは、最近みられる“作画崩壊”に対するネット上のアニメファンの反応における問題点を明確にしたかったからです。
『グレンラガン』#4は脚本がダメだったから叩かれているのに、小林作画を擁護しているのは検討違い。本当にグレン観てるの?という批判については、上記の理由より「いやそんなこと申されましても…」としかいえません。
ちなみに、今回シナリオにも小林治の手が入っていますが、自分としては小林演出と、氏の描く女子の可愛い表情、仕草は大好物ですので、ふつうに楽しめてしまいました。
ゆえに「ふつうのアニメファンには見向きもされない」と『BECK』を評された増田様におかれましては、「じゃあふつうのアニメファンって何を観てるんだ?!」と激しく抗議申し上げたい。
冗談はさておき『グレンラガン』#4はあくまで元エントリを書くことになったキッカケに過ぎず、各人にとってそれが面白かったかどうかは、今回述べたかったことではありません。
「作画崩壊祭り」に限らず、「トレス祭り」「パクリ祭り」など、ネットでの炎上事例は枚挙に暇がありませんが、本来、非難されるべきでないものまで含めて祭りの対象となっている様に思われるケースが多々みられます。
祭りに参加している人には「わざと叩いてる」荒らしもいますが、中には、ブログのエントリやまとめサイトに煽られて、かなり真剣に批判的な書き込みをしている人がいる様に思います。
例として適切かどうかわかりませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』における「晴レ晴レユカイ」の振り付けはトレスである(パクリである)というエントリが一部で話題になったことがあります。このダンスについては、京アニの山本寛がアイドルユニットBerryz工房の大ファンであり、作画スタッフは絵コンテとともにPVを幾度となく見せられたというエピソードが公開されていて、“盗用”ではなく“オマージュ”と見るのが正しい受け取りかただと思うのですが、このエピソードを知らなかったとしても、ハルヒのEDとベリ工のPVから同じ動きのカットをならべて「トレスだ!」「パクリだ!」と言うのは、ちょっと違うんじゃないのといいたくなるわけです。
教養主義や世代論でこの問題を解決したいとは思いませんが、クリエイターや著作権に対する無知・無理解、あるいはリテラシの欠如が、こういった祭りを加速する要因のひとつだととらえると、元エントリのような教科書的にジジむさい説教も書かずにはいられないのです。
実際のところ、自分もアニメーターブーム直撃世代ではなく、その後のキャラクターデザイナー、イラストレーターが注目される時期に、アニメにはまっているので、キャラ萌え、ビジュアル重視という傾向にむしろ拍車をかける様な消費形態をとってきました。ゆえに、作画やアニメーターに関する知識においては半可通であるという負い目もあって、あえて増田で書いているわけですよ。出来ることならばタイムリープして自分に説教したい!
そんなこんなで、誰かを突き放したり、権威ぶったりするのではなく、消費する中で自分が獲得した視点とか面白ポイントを、Web2.0的に共有したり継承したりできればいいのになと思って頑張って書いてみたのをご理解いただけると増田うれしい。
あと、anond:20070424113453の増田さんはおそらくバランスのとれたアニメの観かたをできている人だと思います。「あー、おいしかった」というアニメの観かたの中には、知識の有無は関係なく「アニメーターの凄い仕事」に対する感動が含まれているハズだと思います。「作画崩壊祭り」の輪の中にいる人たちの言動が、あまりにも極端に「絵の美麗さ」と「キャラクターの一貫性」を非難の根拠としていることから、元エントリも極端な反論になっているので、実際バランスをもっている人にとっては、そんなことないよと反論されるものだと承知しています。
「さすが京アニ」を「さすが京アニ」にとどめず、ちゃんと理解することが、理想的な状況につながる突破点だと考えているのですが、それを記すには膨大なリソースが必要となるので、いつかまたどこかでやりたいなと思ってます。あるいは某アルファブロガーとか某アニメライターとかがやってくれないかと思います!!たりきほんがーん!!
キャラクターの一貫性に対する寛容・不寛容については、同人におけるキャラクター消費の盛況から、実際は若いファンほど寛容であるという意見があったのですが、公式キャラクターグッズのひとつとしてのアニメ、DVDという観点からより強力に一貫性が求められる傾向にあるという理解です。この議論につっこんで「データベース概念」や「キャラとキャラクター」という話を始めると、「批評うざい」といわれるので、あまり掘り下げることはしません。というかこれ以上、泥沼に足を突っ込みたくありません!
最後にひとつだけ、ガイナックスというスタジオは、少なからずその出自を“オタク”に持つ、あるいは持っていると思われることで、アニメオタクから支持されてきたはずなのに、なぜ今回のような事件を起こしてしまったのかが、残念に思えてなりません。
もっとも、エヴァの時点で庵野秀明がいろんなことを言っちゃってますが、そのフラストレーションのアウトプットとしてそれ相応の作品ができてくることで、むしろ根源的な部分で切っても切れないオタク性みたいなものを炙りだしていたので、自分としてはほほえましく思いました。
しかしながら、ガイナックスの内部スタッフがキモオタ氏ねというコメントを(意図的ではないにしろ)発表してしまい、そこに赤井孝美が乗っかってるというのは正直どうよと。いつからそんな風になっちゃったの!と。オタク目線をわすれないガイナックスというのはもはや幻想なのかもしれないと感慨にふける14の夜(嘘)でした。
増田宇宙通信所では、アルファブロガーからの電波を受信し、ブロゴスフィアが正しい軌道や位置及び姿勢を保っているかを監視したり、搭載している人工無脳などが正しく機能しているかを知るためのデータを、筑波宇宙センターに送っています。また状況に応じて、分裂勘違い君にコマンド(指令)信号を送信し、小飼弾の軌道や姿勢の制御及び搭載機器の調整を行っています。 小飼弾の追跡管制とは別に、otsuneからの電波を受信し、飛行状態の監視を行うとともに受信したotsuneのデータを鹿児島宇宙センター(種子島)に送っています。
日 時:
イベント:
詳細はチラシ(PDF:280KB)をご覧ください。
http://www.ascii.jp/elem/000/000/027/27335/
これって要はアルファブロガーの中の友達同士ではやってる内輪受けなんじゃないの?
それがこんな風に記事になって「いかにも世の中の流れ」的に書かれて、ますます世の中との流れにギャップが生まれている気がするよ。
どこで勘違いしたのかわからないけどちょっと前まで「アルファブロガー=ブロガー予備軍」だと思ってた。ソフトウェアだとα→β→正式版って流れでしょ? そんな感じの表現なのかなあと。じゃあ具体的にどんな層を指すと思っていたのかと言うとソーシャルブックマークのヘヴィユーザーとかミクシィで凝った日記書いてる人間とか、そういうブログ未満だけどちょっとネットで情報発信的なことをやっていますよぉ、みたいなの。増田とかそれっぽくね? って思ってたら真逆の言葉なのだね。初出が04年って。お兄ちゃんは無知でした。06年暮れになって初めて知りましたよ。しかもそれ以来勘違いしっぱなしだったのだもの。恥ずかしい。誰に対してというわけでもなくただただ恥ずかしい。うらー、うらー、って叫んだわ。
別にただのジャーゴンだと思えば知らんかったからどうってこたないんだけどさ。うへへ。
http://anond.hatelabo.jp/20070303112637
彼は、ネット上にはびこる様々なブロガーやブロガー、アルファブロガー、増田、収入に悩むブロガーや、ブクマのつかないブロガー、もしくはブログ界そのものに対し、「ブロガーのn%以上はaである」と、十把一絡げの分類を提示する。
否定的な増田が返ってくればそれを論破する新たなエントリーを考え、肯定的なブクマがつけば、「私はブロガー全てを理解している」と悦に浸る。
そして「自分の発言はブロガーを変えられる」と信じ、日常生活でも「いい事を言った」気分を求める心が頭から離れない。
自分の発言はブログの真理を突いており、狂ったこのブログ界と、様々な本当に役立つブログを書こうと思っている人たちの手助けになっている、そう信じている。
レッテル貼りばかりしているメタ議論屋と、彼らの考えなど別に気にもせず文章を書き続けている普通のブロガー。
さて、ブロガーを代表できるのはどちらでしょう?
参考:レッテル
彼らは、ネット上にはびこる(仮想的な)ニートや引きこもり、2chねらーや非モテ、独女、もしくは、収入に悩むサラリーマンや、生産性の上がらないSE、或いは業界や社会そのものに対し、「それは●●という部分が問題で、▲▲な考え方・手法で行うべきだ」と、様々なメタ的解決策を提示する。
否定的な反応が返ってくれば、それを論破する新たな主張を考え、肯定的な反応が返ってくれば、「私はあなたたちの気持ちが分かる」と悦に浸る。
そして、「自分の発言力は誰かを変えられる」と信じ、それは日常生活でも頭から離れない。
自分は正しい事を主張しており、狂ったこの社会と、様々な悩みを持つ人たちの手助けになっている、そう信じている。
2chばかりしているニートと、彼らの考えを変えようと、解決策ばかり考えているアルファブロガー。
さて、依存症はどちらでしょう?
参考:共依存