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はてなキーワード: アルジャーノンに花束をとは

2021-11-26

アルジャーノンに花束をってマジで名作だよな

まだ読んでないやつは読んだほうが良い

飛行機の中で読んでたらCA心配されるくらい泣ける名作

2021-11-09

anond:20211109113620

仮面ライダーには詳しいのに「アルジャーノンに花束を」すら読んだことなさそうなの、文化指数高くて好き。

B型作業所キラーワードになるネット世界を見て惨めになって発狂してる中年なんだね。

B型作業所って割り箸を袋に詰める仕事をするところなんだ、詳しいね

頑張って社会貢献して日本を支えてね。

2021-06-25

ゴジラSP面白くなかったね

思ったより円城塔連れてきた意味ないなあって。しりとりのシーンみたいに、もっと言葉遊びなら言葉遊びだけで押し通すと思ってた

ジェットジャガーも戦いが終わってアルジャーノンに花束をみたいな感じに一時的に獲得した自律知性を失うのが良かったのに普通自己犠牲でだいなし

アニメ映像的に美麗にゴージャスに人間サイズアクションをつけてくのは他でも見れるので怪獣モチーフでやらなくていいのにって思った

大怪獣普通人間ってサイズ感が違いすぎるから人間のほうは適当無視しないと怪獣中心の絵にならないのはわかりきってるがそうでないし

あるいは怪獣を大胆に無視して人間だけに寄ってくのかなと思ってたけど(元祖ゴジラぽいのが骨なのでそういう路線かと思ってた)

どっちもやりたいでどっちつかずで、いかにもネトフリオリジナルらしい売れる要素はコレだからで足し算して作った感じ

ブシロードとかサイゲとかカードゲームソシャゲでカネじゃぶじゃぶなとこが割とコンセプトはっきりした尖ったもの出してくるのに

同じカネじゃぶじゃぶなネトフリが尖ったもの出せないの何故なんだろうね

動画配信サイトとか一つのものがハマらなくても別のものがハマればいいわけ

それぞれ別方向に尖ったものを100並べて5ハマればいいと素人考えでは思うんだが(ユーザー検索誘導だってできるだろう)

なんでどれも同じような無難な作りを幾つも並べちゃうんだろ

2021-05-18

anond:20210518133153

かに言ってる通りかもしれん

ダニエル・キイスアルジャーノンに花束をで、精神遅滞を真似た文章キャラクターの歪な幼さや純真さ、それに伴う苦しみを描いたように

この元増田も不完全な倒置法や間違った助詞を使って弱者男性の不完全さや救われることのない辛さ、なぜ救われないのかという真実表現しようとしてたのかもしれん

俺の考えが浅はかだったと気がついたよ、ありがとう

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(1)

日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。

芥川龍之介河童

どの作品を入れるべきか迷った。古典翻案に見られる知性とユーモア晩年作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。

河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界架空言語に魅せられたのか、その理由はわからない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン雪の女王

アンデルセン小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。

で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。

ところで、ディズニー作品価値貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニー普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)

グレッグ・イーガン祈りの海」

「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンニュートンアインシュタイン物理学自力発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者エンジニア最高、政治家宗教家文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。

そうしたえぐみ比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。

カズオ・イシグロ日の名残り

友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代適応できない英国執事物語である

彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものから登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。

カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。

ミシェル・ウエルベック素粒子

彼の作品不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい

作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯思考した書物である

ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人

僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。

そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物意識から別の人物意識へと、外界の描写連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。

灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。

ミヒャエル・エンデはてしない物語

さえない少年万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれしまう。これは主人公異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式チートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白小説なのに、その小説現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。

ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆メッセージストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。

円城塔文字渦」

基本的自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉文字物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。

元々SFの人だけれども、最近日本古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。

遠藤周作沈黙

どうしてこれほどあなた信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやか奇跡あなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。

以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。

ただただ弱くて情けない人物遠藤周作作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」。

男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。

世界文学パロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマ物語レベルメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。

ダニエルキース「アルジャーノンに花束を

知的障害者チャーリーゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者セックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。

チャーリー女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。

天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」

素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。

アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。

人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙意味があるのか。

人類運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。


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2020-09-05

勉強以外の一切を禁止されて育った増田さん、「無敵の人」 予備軍へ

秋葉原通り魔事件宮崎勤事件。ああい事件で「抑圧されて育った人間の歪み」を見聞きするたびに、他人事ではないなと感じる。

母親教育関係仕事をしており、子どもを立派な大学に入れたスーパーマザーである

しかし、その子どもは、無事に無い内定引きこもり無職(一応学生)となっている。社会性が育つ場面で極端に制限をかけられた子どもがどうなるか。20年をかけた壮大な人体実験の記録を一つ読んで欲しい。

1.恐怖で抑圧させて勉強させられてきた幼少期

 私は物心つく3歳の頃から毎日ノルマ」を課せられ、やりたくもない勉強と向き合い続けてきた。母親が帰ってくる前までに母親の決めた「ノルマ」を仕上げないといけない。このノルマが終わっていないと、「指導」が始まるのである。例えば、「なぜ今日は出来なかったのか」について一時間、二時間、と向き合う。答えられず無言でいると「そうやって私を無視するのか」と詰められ、「バカだったからです」と答えれば「勉強が出来ないバカは家から追い出す」、「離婚したダメ父親の元に送る」、などが提案される。この「話し合い」は深夜にまで及び、「なぜできなかったのか」答えさせられる「自己批判」の時間では「どのように答えればこの人は納得して寝かせてくれるのだろうか」をパニック状態の頭で考えることとなるが、どれを答えても地雷最後には不甲斐ない自分に関する悔し涙を流す。すると「反省しているポーズをとるな」と詰められる。涙を拭けとティッシュを渡され、鼻水を拭いたティッシュ丸めて置いておく。

今日ノルマをやってから寝るよ」。勉強をしていて情けなさに涙をこぼすと、「泣くな!」と怒られ、鼻水を拭いたティッシュを口に入れられることもあった。彼女自身子ども支配するのに必死だったように思う。子どもの一日というのは大変長く、誘惑に満ちているので、ついつい遊んでしまうのだが、昨晩課された、あるいはノルマ棚に置かれたプリントを見て勉強をするほど私は賢くはなく、この「指導」の時間が辛く無駄時間だったと感じる。

2.ゲーム漫画・交友関係制限された小学中学

 そんな物理的な圧で勉強に向かわせてくる母親であったから、うちはゲーム禁止だった。周りの友達が全員「たまごっち」を持っている中、買ってもらえずに輪に入れないということもあった。何度かお願いをしてみたのだが、ダメだったし、この人には何を言ってもダメだと分かっていたから、諦めた。現在、「スーパーマリオ」や「ポケモン」は基礎教養だと思うが、私はそれらで遊んだことが無く、アクセスできなかったため、それらに関する話題が出た時に全くついていけないのがかなり困っている。一生困ると思う。「ポケモンの金銀並みだな~」とかい比喩表現を聞いたとき、「そうですね」とへらへらと笑って合わせていくスキル20過ぎに身に着けたが、付け焼刃感というか、相手の言っていることが何も分からないので悲しい。

 友達の家でやればいいというお声もあるだろうが、「母の目の敵にしているゲームを触ること」は私にとっては「大麻トライすること」くらいハードルが高かったのである。今でもゲームをしている人を見ると謎の居心地の悪さを覚えてしまう。

 漫画は、年の離れた兄弟が大量に所持しており、そこからこっそりと借りることが出来た。捨てられたジャンプから、好きな漫画カッターで切り抜いて、単行本を作っていた。ただし見つかると私刑である生命活動勉強時間に全振りすることで東大合格できると思い込んでいた母親は、勉強以外の活動をしていると烈火のごとく怒った。弟の気に入って隠し読んでいた「純情パイン」は八つ裂きにされて捨てられてしまった。

 幸いにして私は小説を読む方にはまっており、私のメインの趣味である読書は「推奨」される行為だった。(ただしノルマをやった後、寝る時間を惜しんで読書を優先すると叩かれる)図書館お気に入りの本は読みつくしたし、母親検閲(中身には興味がなく、文字かそうじゃないか重要だった)をクリアする「涼宮ハルヒの憂鬱」等ライトノベルには大変お世話になった。グロ系や耽美18禁のものも、「本」なので良かった。ここに関しては寛大な処置を頂いたと思っている。

 そんな読書少女に育った私は、頭でっかちの、言語性だけが身に付いた、悲しいモンスターだった。小学生の頃、女子特有クラストラブルに悩んだ時、最高指導者である母に相談してみた。すると「増田ちゃんはそんなレベルの低い子と無理して仲良くしたいの?」と一刀両断。そうか。周りの子レベルが低いから、関わらなくていいのか。誤解した増田ちゃんは「基本的に物腰は柔らかいが、トラブルにすら巻き込まれないように一歩身をひく付き合い」を心がけるようになる。また、友達と遊ぶことは制限されており、家に友だちを呼んではいけなかった。新しい友達も「どこの、誰で、何をしている親の、どういう子」かを説明するという責任があり、母親に認められない子と遊ぶことは良い顔をされなかった。そんな中でも文通をしたり、こっそり会うといった方法で仲良くしてくれた友人には頭が上がらないのだが、やはり「友人と遊ぶ」ことがダメなので、せっかく仲良くなったクラスメイトとお祭りや、ショッピングなど楽しいイベントに出かけることは出来なかった。(そもそも自由お金がなかったし、バスにも乗れなった)

3.女子高生同士の付き合いが出来ない高校時代

 高校では、最初は素敵な友人グループに属させてもらった。友人たちと仲良くしてもらって感謝しているが、その中でも「この間のショッピングモールで~」のような会話にはついていけないことが増えていく。ついに深い交流をすることは出来なかった。今でも交友関係を続けている同級生同士がとても羨ましい。

 そういった抑圧の下で生きてきた結果、やはり20代半ばで実感しているのが、「勉強だけ出来てもダメ」ということだ。

最近教育分野では「非認知能力(社交性とかもろもろ)」が重視されているが、詰め込みノルマ型の勉強の成果をどうにか形にしたり、就職して社会還元したりする上ではこの能力必須である。元々ASD傾向がある上に、社交の一切合切無駄と切り捨てられて育ったことは大変大きな損失だった。そもそも母親も社交スキルが低く、同級生ママを見下しながら、自分適応できないことの憂さ晴らしをしていた。母親も、社交スキルをどう教えて良いかからなかったのだと思う。その結果、「コミュ強を見下す」という戦略に走ってしまった。結果はどうか。増田で長文を投稿し、コロナもあって友人関係が更に狭まり就活で全滅の、「無敵の人」予備軍の出来上がりである

 母親上記のようなことをほぼ忘れ、「でも〇大に受かったから、よくママ頑張ったでしょ」と承認を求めてくる。〇大に受かっていなかったら、今よりも肩身が狭い、バカコミュ障が出来上がっていたかもしれない。

ただ、〇大に受かった後、うつになり、頭の良さがかなり下がったので、結局「何もできないコミュ障」が完成してしまった。

 20年をかけ、社会的なコミュニケーション能力を切り捨てて詰め込み教育をするとどうなるか??うつになり、頭も悪くなる。

アルジャーノンに花束を」のチャーリィよろしく、どんどん阿呆になっていく様を記録して後世に残すことが私の役目なのかもしれない。

2020-07-15

anond:20200714170855

「『歳の割に若い』というdis」は心ひねくれた健常者の高度な心理戦から

アスペルガーの人は言葉を素直に使えばいいし、おじさんも素直に褒め言葉として受け取って喜んでるよ

アルジャーノンに花束を

2020-04-25

アルジャーノンに花束を」で、主人公ニューヨークブロンクスにある理髪店に入るシーンがあるんだけれど、そこのメニューに「日焼けリートメント」なるものがあって驚いた。

白人は日に焼けてることがステータスになるとは聞いたことがあるが、アルジャーノンが書かれた当時からそんな風潮があったのか。

その日焼けリートメントなるものは、日焼けサロンの簡易版みたいなもので、顔に紫外線ライトをあてて目には薬品をひたしたガーゼを当てるというものだった。

なるほど、人工的な紫外線を使って日焼けするときは目の周りをガーゼかなにかで覆うのがアメリカスタンダードなのか。だからトランプ大統領は目の周りだけ白いのね。

なんか最近本垢のほうでタレントとか芸能人に立て続けにフォローされちゃってさ〜

「そのうちの一人がDMいっぱい送ってくるんだよね〜」

と裏垢で呟いている人がいた。

「何人かはフォロー返ししてるから本垢フォロー欄見れば分かるよw」

というのでチェックしてみた。何人か目星はついたが全員既婚者のオッサン芸能人で、フォロワー数は多いがフォロー数は絞っている人ばかり。

吐き気がした。

その発言の主は女装した姿をアイコンをした男性(本人曰くヘテロらしい)だが、本垢では性別を明らかにしていない。

そして美少女であることを売りにしている。実際に美形である女性しか見えない。ツイート内容は面白くてフォロワー数も多い。

「そのうちの一人がDMをいっぱい送ってくる」理由は推測の域を出ないが、下心だとしたら……気持ち悪すぎる。

TwitterなどのSNSは人の心の闇の部分を浮き彫りにする。

私が、好きな人にはSNSをやってほしくないと思うのも、見なくて済む闇なら見ずに済ませたいからだ。

人の薄汚い部分なんて見たくないからだ。

美少女アイコンの彼が裏垢でそんなことを呟いたのは、おそらく単純に嬉しかったのと、少しの自慢したい気持ちからだろう。

ももウンザリしてしまった。超人然としているように見えたけれど、その彼も含めた誰もが所詮はただの人間である、という事実あらためて見せつけられてしまたからだ。

彼のツイートはとても面白くて好きだったが、今は「見たくないものは見ない」方針で生きているので、本垢も裏垢もフォローはもう外そうと思う。

今、「アルジャーノンに花束を」を読んでいるんだけど、チャーリイのIQが高くなるにつれて周りの人間にどんどん幻滅していく様子にとても共感してしまっている。

もちろん私は一時期のチャーリイほどIQが高いわけではない。しかしこの小説は、自分を含めた人間の薄汚さや闇を見てしまったときありがちな心の動きをとても精緻表現していると思った。

追記

たまたまだと思うが、この増田投稿した直後に彼は裏垢に鍵をかけてしまった。なので誰かが検索してももはや見つけられないだろう。本垢はおそらくすぐに見つけられるはずだが。

2020-01-28

ADHD夫婦の片方が投薬を始めたら生活が終わりかけた話の元増田だけど

https://anond.hatelabo.jp/20200128105229

元増田だけど

たくさんコメントをもらうと返信するのが難しいんだね

ここでまとめて書く

まず、結構優しいことを言ってくれる方が多くてびっくりした。ありがとう

コメントに対する返信としては、

・なんとなく結婚したという表現について

→これは書き方が良くなかったな。理由が独特すぎて本当のことを書くと特定されるかもしれないので怖くて書かなかった。ごめん。決して結婚を甘くみていたわけではないんだ。あと少し毒っぽい表現になってしまうけど、結婚したことあなた方になんの迷惑もかけていないと思うし(実は増田の両親だったとかならめちゃくちゃ謝るが)ましてや子供をつくったわけでもないのに非難してくる人たちはどういった立場ものを申しているのだろうかと思う

離婚した方がいいのでは

追記にも書いたが離婚するつもりは全くない。ただこのままでは互いに辛くなることはわかっているので、対策を考えたい

・無理やり薬を飲ませるな的なもの

説明をして飲んでくれたら楽かもなと言っただけで強要をしたつもりはない。強要みたいに聞こえるかな?だとしたら妻に謝りたい。

・話し合いをするべきだというもの

→何度か今のままでは俺が潰れるという話と、妻がやりたい家事はあるかという話し合いはしたが、「じゃあ○○やるね」からの3日坊主の繰り返しで疲れ切ってしまった、、、。

社会人学生立場の違いを指摘しているもの

→①家賃は全額増田実家負担増田自体基本的毎日学校のあと終電までバイトをしているので全く養われてはいない。(お前は一体何の勉強をしている何歳なのかという質問が来そうだと思ったけど、身バレが怖いのでその辺りは追求しないでほしい)

・正常な精神状態ではないのでは?

・「アルジャーノンに花束を」みたい

→これはとても正しいと思う。アルジャーノンに関しては批判なのか揶揄なのかわからないが、お前はまともじゃないと赤の他人から言われるのを待っていた気もする。ありがとう。ちなみに増田ADHDと診断される前からである(診断済) 後出しですまない。

社会人になれば変わる

増田社会人(正社員)経験者なので、根本的な考え方はまた社会人になっても変わらないかなと思っていたが、もう少し勉強をしてからまた社会に出たら考え方も変わってくるかもしれない。楽しみにしておく。ありがとう

あとは、同意を得られると思って書いたわけではないが、意外と同意してくれる人や同じような経験をしたという人が多くてそれも驚いた。みんなどうやって乗り切ったのだろう。

増田はなんだかんだいって妻のことを愛おしく思えなくなるかもしれないという事がただただ怖いのだ。

2019-12-26

anond:20191226141453

なろう系なら1つのクエストに対して1冊分のハーレムイチャイチャ展開と1冊分のクエスト進行描写合わせて2冊分に出来るし、なろうのほうが濃いな!

アルジャーノンに花束を」も「1984」も1冊完結だから世界観スカスカだな!

独自言語まで作ったホビットの冒険上下しかいからなろう以下の世界観しかないな!

2019-12-04

anond:20191203134044

ドルフを読んで何故「ヒゲさらば」をご存知ないのですか?!

もの(とか猫が出てくるもの)ならまあやっぱり「夏への扉」、ネズミが出てくる「アルジャーノンに花束を」、児童書だが「宇宙からきたネコ」あとハードボイルドファンタジー(?)「黒ねこサンゴロウシリーズもカッコイイです。

2019-10-25

知的障害治療する薬

アルジャーノンに花束を」の主人公が飲んだような薬の開発は難しいのだろうか

例えば脳内ニューロン組成を爆発的に促すような革命的な新薬とか

先天的知的障害だけじゃなく、事故で脳に障害を負った人にも適用出来るし、何より知的障害者に対する障害がこの世から無くなることに近づくと思う

2019-10-11

死が途中で主人公になる話ってないよな

俺、大嫌いなんだよ。

作品の主役が「死」そのものになる奴。

アル花(アルジャーノンに花束を)とかあなため(あなたのための物語)とかが最たるものかな。

やっぱこう主人公交代をするにしても人間であって欲しいんだよな。

人間物語から「死」の物語になっていく過程が受け入れられないんだよ。

君食べ(君の膵臓をたべたい)やゆなさく(夕凪の街 桜の国)みたいにもう最初からこの作品主人公は「死」ですよーって宣言しておいて、途中からいやこれはワンチャンと思わせて結局裏切るようなのは全然大丈夫なんだがなー。

「死」を描くために人間が利用されるのはセーフで、人間の話がいつの間にか「死」の話にすり替わるのがアウトなんだよな。

純愛モノだと思っていたら寝取られモノでしたに近い感覚かな。

不倫モノから純愛へ変化すると見せかけて結局は欲望に流されたって話はさ、別に不意打ちとは感じないのと同じなんかな。

こういうのだとセカチュー世界の中心で、愛をさけぶ)は誠実だよね。

死ぬ話だよー →死んだアイツを思い出すぜ →コイツが死にます →はい死ぬ死ぬぞ →死んだぞ!泣け! →よっし泣いたな!この話はこれで終わりだ!

誠実すぎて涙が出てくる。

なんで売れたのか分からないっていう人いるけど、この正面突破っぷりはそりゃ評価されると思うよ。

死ぬ死ぬ言い続けて本当に死んで死にましただもんな。

不意打ちで殺そうとするテンプレ感動人殺しや、多分殺しますよって言ってはおきながら最後まで死ぬかどうか秘密にする犬映画とかとは違うからね―。

まっすぐいってふっ飛ばす右ストレートでふっ飛ばすの世界よ。

いやー、なんで俺セカチューこんな褒めてるのかなあ。

それだけ世の中にセコく不意打ち狙ってくる奴が多くてうんざりしてるってことなんだろうなあ……

2019-08-30

字下げっち愛好会

アルジャーノンに花束を、の書評で「エレベーターのようにぐんぐんと打ち上がって、頂点に達して真っ直ぐに落ちていくような、勢いのある話だった」って言うのがあって好きだったんだけど

字下げっちの文章には同じものを感じるよね。

かつては拳を振り上げ熱狂したもの熱狂した同志、熱狂した場所があったのに、今は誰もいない。踏み潰された草地と、忘れ去られた立て看板とがあるだけ。まるで、何にも残らなかった戦争みたいで好き。

今日特にいい。そこそこ文の意味も通るし(そのせいでちょっかいかけられてるけど)、何より失われたものの輝きを上手く描けている。警察教授など、明確な抗えぬ悪者が出てくるのも好きよ。被曝跡地で燃え尽きた家の瓦礫の陰に、溶けて輝くガラス瓶の埃を拭うような美しさがあるわ。

たまに正常側に針が振れてる時の字下げっちの文章垣間見える理路整然としたもののも、かつての栄誉の面影が見えるからいいよね。

もうすっかり、歪みきってしまっても、昔はそこにあったと思うとエモーショナルよね〜。

2019-07-09

エターナル・ラヴに花束

グラブルが好きだったオタク自分語り。大体愚痴グラブル好きな人はこんなもの読んでないでグラブルやってください。

オチから言うと、グラブルすごい好きだったけどここ2,3ヶ月くらいで一気に冷めた。

グラブルやってる人ならなんとなくわかると思うんだけど、まあ最近すごいよね。自分場合はやっぱ6月これグラでのキャラ調整中止がトドメを刺した。

何にってそりゃボーダー爆上がり古戦場からの軽量版削除から鯖落ち古戦場でほぼゼロになってたモチベにね。

グラブルを始めたのはたしかモドリカツウォヌスのイベントの時だった。サポーター石の加護はフレンドじゃないと効果がなかったし、サポ石欄には属性40%石とかがゴロゴロ転がってた。

風はほとんどアナトだったしフレンドのヱビスによく世話になった。

マグナ編成完成とかどれだけかかるんだって思ってた。十天加入なんて夢のまた夢みたいな話だった。

ティアマグが最初に確定流し出来るようになった。よく語られるグラブル一番楽しい時期、マグナ確定流しの時期だった。正直それでも周回きついと思ってたけど。コロ短剣、ユグ拳、その他SR方陣武器ガチャ武器ありがとうな…

アンチ事件とかコルワハレゼナとかもあったな…DOもちょっとだけやった。ザ・ワールドとも2回くらい戦った。

その後ブラック企業就職してゲームをやる時間が取れなくなり、しばらくブランクを空けて、転職を機にグラブルを再開した。

これが去年の2月頃。

それはそれは浦島太郎だった。

まず140石にビビった。必死こいて確定流ししてたマグナをワンターンキルできるようになっていた。え?バハルシは?130%?あ、そう…セラフィックウェポン?アーカルム?新石マルチ?なんそれ…

よくわからんけど復帰前に自分には手の届かないコンテンツだと思っていたバハ武器イベントで貰えると知ったのでとりあえずバハ短剣を貰った。

まあマイペースにやろうと気が向いたときちょっとずつ触っていた。いつのまにか日に5時間ほどグラブルプレイする、一般的な騎空士になっていた…

ストーリー見るのも楽しかったし、イラスト集も全部買ってたし、サントラも買ったし、二次創作も楽しかったし、友達や団員と編成の話とかキャラの話するのも楽しかった。コラボカフェにも行った。たぶんものすごい脳内物質が出てたと思う。

グラブルに、運営チームに、KMRに、感謝していた。3月までは信者だったと思う。

4月エイプリルフールナゾブルはストレスと10000石を残した。

普通にクイズがわけわからんのに加え、先着順で10000石配布とか言うので、絶対に無理だとわかっていながら夜中に謎解きを始めた。

ナゾブルの答えを見たときと「先着順は嘘でした!」というお知らせを見たとき、完全に同じ顔をしていたと思う。は?という顔。は?しか残らなかったコンテンツ深い闇普通にしかった。

その後、ダークラプチャーと四大天司マルチが追加される。

ルシNはまあいいとして、ルシHはもともとやる気はなかった。じゃあセラフィック4凸するか!と勇ましくマルチに向かうも、まあその…あれだろ。

初めての四大天司連戦部屋は途中で悲惨なことになってきたので(時間がかかりすぎてて退出者がポロポロ出ていた)退出した。自発はしてない。

ちなみに最近野良の四大天司に入ったら途中からどんどん速度が落ち、ふとログを見たら自分ともう一人しか殴っていなかった。というかおそらく自分が殴ってるからもう一人も抜けるに抜けられず、その人が汁飲むから自分もこいつだけ残して抜けられないなと思っていた…四大天司にいい思い出、無し…

まあそれで、軽量版削除だ。その少し前に雫ステージ廃止すると言いながら中止したことを覚えていたし、ネットが荒れたこともあって軽量版削除も中止されるものだと思っていた。実際に削除されるその時まで…

自分Androidを使っている。終わった。

削除前は「ボイス聞きたいから通常でやってることも多かったしまあなんとかなるやろ」と思っていたが、周回とマルチで通常強制はかなりストレスだ。

明らかにかかる時間が大幅に増えている。

連戦に参加するのをやめた。

そして5月土有利古戦場

土はマグナ4凸程度だったし上述の諸々でモチベが下がっていたので気合いはそんなに入っておらず、鯖落ちしたときも少し祭りのような浮かれた気持ちジオトレンド入りするTwitterを眺めていた。

ただメンテ明けの告知が雑だったことと2日目の補填無し、予選延長なんかに対して不誠実だなと感じた。

この古戦場関連で一番アレだと思ったのが、プロデューサーの特例対応だった。あっふーん、そうなるんだ。なるほどね。そういうのあるんだ。

プロデューサー飲み会の件については自分には不明な点が多いので特に言及するつもりはない。

そして来るこれグラ6月号。

古戦場への言及が無かったことと予告していたキャラ調整中止を見て、なんというか、ついていく気がなくなった。ああそういうスタンスなのかと。

ゲームに不満は多いがいつか何かしら改善されるだろうから、と期待していた部分が瓦解した。これ何も改善される余地がないなと悟った。

それから武器集めも石強化もランク上げも面倒になって、ログインだけするようになった。ちょっと気が向いてやろうと思ったりしたこともあったけど、渋いドロップを見るとやっぱやんなくていいなと改めて思うだけだった。

そのあとは別のゲームを始めたり新しいことを始めたりして、怒濤のようなスタレサプチケ乱発や謎のBAN(BAN自体はいいことだと思うけど)なんかを眺めたり、月末イベのイルカドン引きしたりして今に至る。

ここ数ヶ月で色々なことがあって、その時は憤ったこともあったと思うけど、特に自分の中で印象的な上述のこと以外はもう盛り沢山すぎて忘れた。

おわり。

タイトルについては、「アルジャーノンに花束を」の主人公が手術でものすごく頭がよくなって最終的にもとの状態に戻った、というストーリーの読後の感情(小説の内容ではない)と、熱中したグラブルに急激に冷めた自分の今の感情がなんとなく似てるなと思ってこういうタイトルにした。好きな人不快にさせたらごめん。エタラヴは初めて最終したリミ武器だった。

2019-04-21

アルジャーノンに花束を」の続きが読みたい

ズルいよね。

一番きれいな所で終わってさ。

あのあとアルジャーノンは障害者施設でもがいてもがいて周りの人に迷惑をかけまくって、キレまくって、自己嫌悪を起こす知能すら無くなって、最後には何も分からなくなってヘラヘラ笑いながら脳が壊れて死んでいくんだよね。

それを描かないで終わるなんてズルいよね。

物語主人公であるという特権を振り回して、人生の一番激しくて美しかった部分だけを写してもらって舞台裏に消えていく。

その後声をかけてもカーテンコールに出てくるのは、惨めにクソをたれながらそれをゴリラみたいに投げつけて回る狂人じゃなくて、爽やかな笑顔青年だけ。

ズルいよ。

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