作画とか枝葉末節にこだわる人にはお勧めできないけど、まず一話が凄い
一話の演出が、シナリオが、作りこまれた設定や世界観が、モビルスーツの巨大さを表現するアオリ構図が、
今となっては当たり前の表現がすべてここに詰め込まれているし、今になっても当たり前になってないのは、
初代ガンダム一話の無駄のなさ、まったくといっていいほど無駄がない、
これから始まるであろう作品に絶対必要となる道具、登場人物、世界観、設定、技術、あらゆるものが詰まってる
はっきり言って、初代ガンダム第一話は教科書に載せるべきレベル
安彦氏の描く、ぐにゃりとしなるロボットによるダイナミックな動き
父親との葛藤から、これは父殺し、少年の成長の話だと分かる
そして、青葉区での最終決戦まで話は飛ぶ
その間の話は、当然物語に必要な要素も多くあるが、単なる時間稼ぎのようなくだらない話も存在する
それもこれも大人の事情というやつである
アッザムが登場する回なんて、そんなに物語上必要だろうか?
そんな枝葉末節をあげつらって、ガンダムが喋ったwとか、作画崩壊wとか、くだらない話である
であるならば、作画は現在のレベルだと目で補完して観てほしい
というか、劇場版での安彦氏による描き直しでさえ、もうかなり今でも観ても十分耐えるどころか素晴らしいものがある
結論を急ぐと、ZやZZはオチがショボい、盛り上がりに凄い欠ける
初代はアバオアクーがあった
最終激戦地という設定が、嫌でも視聴者を盛り上げた、生身でのアムロとシャアとの宇宙でのフェンシングの一騎打ち、
そして、最後には自分にも帰れる場所があったんだ、という全面的な自己肯定感で満たされる主人公
正直言って、初代ガンダムが富野氏の頂点だったと自分は思ってる
まぐれも重なって、中途半端な時期に頂点を取ってしまった
つまり、今度は自分で取ってしまった頂点を、更に越さなければならなくなる
自分で最強の敵を生み出してしまい、更に次でその敵を倒さなければならないのに、最強なだけに倒せないのである
ZやZZにはアバオアクーのような舞台が設定されておらず、盛り上がりに欠ける
富野氏自身、なんというか、もう物語全体を盛り上げることより、シャアという人物をどう描くかばかりに固執するようになっていく
初代ガンダムで実現できなかったリアルさ、未来の技術の設定はZの方が格段に上であり、
ZはZで、第一話のリックディアスの地面擦れ擦れの飛行、全天候型スクリーンなど、とにかく設定は盛りだくさんであり、ディティールは格段に上がった
でも、初代ガンダムにあった、ものがたりのようなものは失われ、よくわからない政治描写に煙に巻かれたり、無意味な暴力シーンがあったり、
これって単に現場の苛立ちが作品に反映されただけなんじゃないの?と思わせられるぐらいだった
Z以降には、黒い三連星だの、マチルダさんだの、そういったものがたりっぽいものが失われている
そういった、誰もが観て、共通に語れるような要素がなくなってしまっている
大人はみんな難しい顔をして、複雑な政治に奔走し、かといって、やたらに他人を殴るし、姿は大人なのに、行動は大人のやることじゃない
もちろん、そのカオスな感じが、監督の女性観のようなものとか、そういったものが面白おかしい作品になっているのは確かである
しかし、初代ガンダムの本当の良さは、Z以降で失われしまったのだと思う
]]>俺は父親を越えられなかった
アムロやカミーユにはなれなかったんだ…
]]>「アムロ行きまぁぁぁあす!」の掛け声で特攻する隊員も多かったのかな。
それぐらいその一瞬ぐらいはバカにならないと自分の命捨てれないからね
]]>(ユニコーン部分はカットでいいや)
サイド3でジオン・ズム・ダイクンがニュータイプ論を提唱
極悪センスのズムシティが出来る
ダイクンがザビ家に暗殺される
シャアとセイラら遺児が身分詐称して逃亡
以降、ザビ家のジオニズム、ザビ家のジオンになる。
けっこう時間が飛んで
サイド3でMSの開発開始。旧ザク完成。
サイド3、独立宣言と同時に宣戦布告
直後にシーマ様の毒霧でコロニーがシドニーに落ちるー
ルウム戦役で連邦が大敗
レビル将軍が捕まる
シャア・黒い三連星が戦果を挙げあだ名がつく
ランバラルもここ?
ザク(ザクⅡ)完成?
ニューヤークやオデッサなど地上が占領されていく
レビル脱走、ジオンに兵なし
V作戦がサイド7で始動
アムロがこいつ動くぞ
シャアが見せてもらうも負けて認めたくない
ズボン組が死んでシャアが一時撤退
WBがルナツーへ向け出航
シャアの追撃 3倍発言が禍根を遺す
ルナツーに到達できず、ルナツーのワッケインがやられ、アムロが単独大気圏突入。謎ビニール
ニューヤークに落下
ガルマ編
腐女子が見ている中、ドップり濃厚なBLの傷跡を残すもお父上が悪くてシャアが図る
ガンダムが活躍した記憶があまりない
ギレンの演説
そういえばデギンはいつ死んだんだ?
シャア少佐が「お前呼びにくいんだよ」と左遷される
ランバ・ラル編
アムロが2回も殴られて脱走
リュウさん死亡?
黒い三連星編
WB、ミデアで補給を受ける
マチルダさんが死ぬも踏み台にして勝利
ジャブロー到着
アムロたちが軍属に
学習コンピューターの経験がジムに反映される
ジャブロー対ジオン水泳部編
シャアが呼びにくさから謎の昇進をする?
シャアズゴックがジムのおなかを突き破る
よくわからんが連邦が勝つ。アカハナたちの結末は謎。
オデッサ反攻についてく
VSアッザム?
ミハルー!
いい壷が出る
VSマクベ編
アムロの反応速度にガンダムがついていけなくなる?
オデッサ奪還
アムロ、酸素欠乏症にかかったテムレイからゴミをもらう?
WBは宇宙へ?
月のグラナダかフォンブラウンかな?
マグネットコーティングという見た目の変化0の強化をもらう (別ルートのG-3もまた地味でアレックス寄こせと言いたい)
強化後の無双回?
リックドム食べ放題
シャアがララァを助ける?妙に慕われてるが経緯が謎。ララァのNT能力発揮エピソードも謎。部下にする。
アムロ対なにか。ブラウブロ?
シャアたちが観戦してララァが白いのが勝つわと予言。
シャア、ゲルググとララァ・スン専用モビルアーマーでアムロに挑む
ララァ死亡。刻が見える
ア・バオ・ア・クー攻略へ
ア・バオ・ア・クー前哨、ソロモン要塞攻略編
ドズルのビグザムがやらせんかったがスレッガーさんの特攻でIフィールドを破って勝利 コアファイターはどこからわいたんだ?
ソロモンはコンペイトウに改名
ア・バオ・ア・クー攻略
VSザクレロ? まったく情報を持ってない もしかしたらもっと前かも
ソーラーレイで連邦艦隊が大打撃
シャアが飾り気も赤くも無いジオングで戦う。気にいらんが私にも敵が見えだす
ギレンがキシリアに後ろから額を正確に射抜かれる キシリアは脱走するも失敗?のちにキシリア軍残党が便利に二次創作される
ガンダムの顔がつぶれジオングは顔だけ残るという合体の気配を出すも、実現せず
WBがア・バオ・ア・クーに突入というか不時着
アムロとシャア、なぜか基地内でパイスーフェンシングする→経緯も結末も謎。シャアは生き残る
アムロ、カツレツキッカの声を受けコアファイターで脱出。こんなに嬉しいことは無い。ガンダムは自動操縦でラスシュー
ラスシューで何を撃ったかよくわからない。ジオング?ソーラーレイシステム?
ザビ家居ないし戦いは数だしなんだかんだでジオンが負けたっぽい。アムロはずっとシャアといちゃいちゃしててジオンに勝ったって気がしない感じで終わる。
一年戦争 ~Fin~ そして監禁へ…
うーん、忙しい。
ラスト付近もよくわかってないけど、他に謎なのは
・アムロが反応速度以外にニュータイプっぽいオカルトしぐさを見せたのがララァ死亡時とラストしか思いつかない
・ククルス・ドアンはいつ?
・アムロとシャアとララァは生身で鼎談したことある?二人ともララァに固執する理由がよく知らない
・アムロくんはララァ出る前後でフラウとの関係どうだったの?
・セイラさんって最後までいたっけ?ってかアルテイシアとシャアが対面したのどこ?ニュータイプ設定が判明したのはいつ?
・シャアが情けなさ過ぎる。アムロはともかくザビ家はガルマしか誅殺できてない?あと軍人が民間人にフェンシングでドロー?なのはどうなのよ
・ララァが民間人だったらサイコミュ開発まで早すぎる気がするムラサメ研って初代からだっけ?
・ジオンに政治家とかのサブキャラがいないせいかザビ家の物語になってる。共和国から影薄かったりぽっと出ばかりになっちょる。
・ガンダムがジャベリンやハンマーやナパームを使った場面は思いつかなかった。あと合体変形も。
・弾幕薄かったのはいつ?
・ゴップが無能ムーブしたのは?別にそれでWBが危機に陥ったりはしないのか。
こんな感じか。
だいたいあってると思うけど細部がまったくわからないね。漫画ではカイやジョブジョンとかに注目しようかな。
それじゃ、増田、いっきまーす(言ってない)
]]>あれとか「学んだ」からカミーユを助ける事が出来たんだろうけど、
クェスは死んでもああいう風にはなれなかっただろうなぁ、というのはある。
よくよく考えるとシャアとアムロの痴話げんかに巻き込まれた不幸な若者なんだよな。
自ら飛び込んだとは言え、大人二人がまったく若者二人を意識してない。
それに二次的に巻き込まれたブライトもたまったもんじゃねぇ。
]]>こちとらシャアとアムロのガチンコの殴り合いを見たいのに、それを邪魔する雑音にしかなってないんじゃね?っていう
もちろん居なかったら居なかったで寂しいのかもしれないけど、それはホントに閃ハサがあったりするから思う事で、
映画単独で見たら「またこんなキャラかよ」って感じてたと思う。
だから「富野の事だからなんらかの意図があったに違いない」って深読みしてしまう。
]]>この辺りのシャアとアムロが、それまでの二人とはちょっと違って、それは富野としては意図的だったのか?
ようするに「最終決戦を覚悟した余裕のないシャアとアムロ」を印象付ける為に、クェスとハサウェイが用意されたのかな?という邪推。
]]>アムロにもシャアにもなれなかった中途半端なヤツって感じで、それがアニメではどういう描かれ方するんだろうな、っていう。
]]>逆シャアみたいな形の決着にはなってなかったんだろうな。
終始アムロが圧倒しそうな気もするし、逆にシャアがもっと過激な方向に走りそうな気もする。
]]>まぁシャアは元々目的の為なら他人をいくらでも使い捨てするみたいなトコあるけど、
アムロまでハサウェイやクェスに気を配れてないのは、ちょっと面白い。
ゼータの頃のアムロなら、上手く導いてあげれたのかな?と思ったりする。
そういう意味でいうと、イボルブのアムロとクェスの描き方は、原作者による真っ当な「もしも」で、またそれも面白い。
]]>まるで能登にボランティア行く人を正しくまともに批判してると思いこんでこたつでぬくぬくしている自分を正当化し罪悪感も帳消しできるのと似てるな。
環境活動家を腐して何もしない自分を正当化できる上に視座が高くて賢い偉い様の気分にも浸れて気持ち良いだろうけどそれこそを批判して否定してるんじゃないのか。
タクシーの運ちゃんがハサウェイに言うセリフもそうだろ。
こういう発言をする市民の気持ちもハサウェイの気持ちもわかるのに結局何もしないお前ら。と、俺。
ハサウェイゴミ拾いしろよwwゴミ拾いして仲間集めろよwwじゃないんだよ。
じゃあお前はなんでゴミ拾いしないんだ?いくらでもやってる人はいるだろ、学校でもやったろごみゼロ運動。俺がやりたくなるような企画や方法を取らない環境活動家が悪いってか?
まあ色んな理由を上げてお前は明日も来年もゴミ拾いをしない。
要はさ、叩ける人と叩ける要素を見つけて安心してんだよ。
「お前ほど急ぎ過ぎちゃいない」って言う都合の良い発言を聞いてアムロが正論とか言うけど、アムロはやれることやってんだよ、こたつでぬくぬくしながら言ってるわけじゃねえんだよ。
シャアもアムロもどっちも自分の考えを持って行動はしてんだよ、だから互いを批判し合うんだよ。
お前ら(と俺)は何も行動せず、他人の発言切り取ってスクショ画像載せてキャラクターに語ってもらって真理に到達した気になってるだけの何もしてないクズなんだよ。
なのにハサウェイにゴミ拾いしてねえwwとか言ってんの。どの口が言ってんだ?って話だよ。
]]>ガンダムというモビルスーツは人気だったけど人間アムロ・レイに憧れるガキんちょはいなかった。
後半めきめき覚醒するニュータイプとしての能力も、ガキんちょが憧れて手に入るもんじゃないので「へー」って感じ。
実際、ルックス的かっこよさでの女性人気はシャアやガルマのほうがずっと上だったし、ランバ・ラルが好きなガキんちょも多かった。
敵役に美形が据えられるのは当時すでに王道でした。
]]>話が進むと主人公を見守るちょっと大人立場になったりする。
そして逆シャアではララァにいつまでも囚われてるシャアよりも精神的にもパイロット技能的にも超越して、
MSで肉弾戦に持ち込んでボコボコにする。
そう言う、成長の物語がアムロの人気の背景にあるんじゃないかな?
スパロボとかの作品だと大体この逆シャアのアムロがベースになってるので、ガンダム主人公としては年齢が高めで、
他のまだ若い主人公をサポートするような役回りを与えられることが多いので、そのあたりでポイント稼いでる節もある。
後、最後の搭乗機であるνガンダムがアムロ専用のワンオフ機でありながら、
パーツ単位で見れば入手や整備の容易な量産機のパーツを多く取り入れてるってのもオタク心をくすぐってる気はする。
]]>シャアが情けないからだよ(情けなさも大きなシャアの魅力)
]]>ジャンルそのものをメタる系統の作品で、一見「令和の勇者ロボシリーズ」だけど、おそらく最終的には「令和のまどマギ」枠になるのではないだろうかという予感がある。ジャンルについて自己言及的なあたりのメタさは「SSSS.GRIDMAN」にも通じるところがある気もしなくはない。
ジャンルをメタる上で重要になるのが「様式」で、本作の序盤は「スーパーロボット系アニメ」の様式が(相対的に)リアルロボット寄りの世界観に持ち込まれたときのギャップや違和感の描写が話題になりXのトレンドに上っていた。
本作の監督である大張正己その人は、特にロボットアニメ造形や演出において数々の様式を作り上げた人で、特徴的ながらも非常に汎用性が高く効果的な技法は名前を文字って「バリ○○」みたい名前がつけられたりしている。アニメに詳しくない人でも独特のケレン味と「気持ちの良さ」は一度見ただけで確実に印象に残るはずだ。
氏の功績や影響力はめちゃくちゃ大きいのだが、それにしてもロボットアニメというジャンルは全体として演出に様式を重んじる傾向にある印象がある。理由はいくつか考えられるがそれは置いておきます。
演出の様式という視点で注目すると非常に面白いのがオープニング映像だ。ロボアニメのオープニングアニメーションは様式美が強く、翻ってそのアニメ作品がどの程度ジャンルの様式に則っているかを測る一種のリトマス紙にもなる。
冒頭で例に出した「SSSS.GRIDMAN」はアニメーション全体が映像演出の教科書になっていいんじゃないかというレベルで非常に様式を押さえた作りになっている。OP映像も非常にわかりやすい。
https://www.youtube.com/watch?v=ku6Lz0dlTfs
味方は上手(かみて)からのベクトル、最後のラスボスは下手(しもて)画面上側。物語のキーになる人物の配置、顔の向きなどかなり構造として作り込まれてあり完璧だ。余談ながら、この作品は大張演出をオマージュしすぎたあまり、本人から若干苦言を呈される(のち和解)ということもあった。
上手下手は映像演出の基本のキながら一瞬のカットでも効果が抜群なのと、ロボットには人間ほどの露骨な顔の表情がつけられないからか、OP映像では比較的様式に則って素直に使われるようだ。
「バーンブレイバーン」でも見事なくらい上手下手の様式に則っている。
https://www.youtube.com/watch?v=Zkg_03wzNKQ
味方勢力が上手から下手向き。グリッドマンもそうだが、徹底することで非常にヒロイックな印象になる。ここで気になるのが、1分あたりからの鍔迫り合いだ。当初上手にいたブレイバーンが途中で相対する敵(?)と逆の向きになり下手側に移動する。
下手側は「攻撃を向けられている側/劣勢側」にもなるので、この剣戟シーンでブレイバーンが押されている状況なら無くはなさそうだが、キメのカットではほぼシンメトリーで力が拮抗しているもの同士に見える。
他方同じような構図で味方側が下手にくる鍔迫り合いは他にもある。
ガンダム00 2nd 1期OP
https://www.youtube.com/watch?v=5gdItTOUpDM
ガンダム00 2nd 2期OP
https://www.youtube.com/watch?v=CgqXWXjA8WE
どちらも終盤、主人公機とライバル機が鍔迫り合いをするが、主人公側が下手、ライバル機が上手になる。
これは作中での2人の関係性を理解すれば納得がいくもので、というのもこのライバルキャラは主人公に一方的に執着して付け狙うだけで逆に主人公側にはこのライバルキャラとは特に戦う理由がなく、都度からまれてはあしらうというだけの関係性でしかない。ライバルの強い一方通行の片思いが反映されている演出だろう。
ガンダムといえばそれ自体様式の重力が強い作品だが、中でも演出に様式を重んじていると思われる作品に「ガンダムSEED」がある。シリーズの中でも妙に大張成分を感じさせる作品は、メカデザインも含めて独特なケレン味を帯びた作風になっている。
この作品のOPでも鍔迫り合いが登場する。
SEED無印、確か3期くらいのOP。※期間限定公開(おそらく劇場版上映のため)
https://www.youtube.com/watch?v=AHwxpKaufrw
ここでも1分あたりで味方と因縁のある敵との剣戟があるが上手が味方機だ。
ちなみにこのOP、物語が大きく動くタイミングでの新規OPで、演出によってその後の勢力の変動が暗示されるものになっており楽曲の歌詞とも絶妙にリンクしたSEEDシリーズきっての名OPになっている。
鍔迫り合いではないが、上手下手の扱いが非常に巧みなのがガンダムW後期OPだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ICOwBtm8L_s
冒頭で上手からまっすぐに抜けていくウイングゼロがとてもヒロイックだ。最後にウイングゼロがライバル機と相対して下手に地球を写したあとの掴み合いで画面が回転してウイングゼロが下手下側にくる。その角度のままライフルを発射する。
牽強付会すれば、初代ガンダム1話でアムロがザクを刺した決めカットと同じ構図で劇的である。そもそもガンダムWという作品自体、味方がとにかく劣勢になりがちでだいたい常に負けている側なので、主人公の見上げるカットとともに逆転の一発、というのはとても熱く効果的だ。
最後に、同じガンダムシリーズのOPでいうと映像演出の面で興味深いと思ったのが直近の「水星の魔女」。ネタバレが含まれるので未視聴の方はご注意。
https://www.youtube.com/watch?v=aU8ruUe7UlE
冒頭で主人公が上手入りの動きをするのに対して、主人公機であるエアリアルはサビ部分の見せ場で、一瞬上手から入ったあとは画面中央奥に飛んでいく。そして最後に逆光シンメトリーという、若干不穏なカットで終わる。特に最後の構図は何か小骨がのどに刺さったような違和感を覚えるものがある。
初期の作品キービジュアルではエアリアルが逆立ちをするように反転していたりと、何かしらエアリアルという機体に異質さを表現しようとした意図がうかがえる。
そして2期OP
https://www.youtube.com/watch?v=0Zmt74GeVpY
45秒あたりでようやくエアリアル改修型が上手入りするが、それを見上げるスレッタの表情は不安気で、新型機登場というOP華のシーンながらどこか不気味なシーンにもなっている。
そして、物語がクライマックスに入り、OPカットが更新される。
https://www.youtube.com/watch?v=bJa4Fwi5X9g
1分あたりからスレッタの本当の後継機になったキャリバーンが満を持して上手から随伴機とともにバーストし、その先から敵対してしまった改修型が下手入りし、剣戟のカットでキメる。
]]>なんかファンタジー色の強いマンガを現代日本の現実感のある話に作り替えちゃったのがあったはずで
そんなテイストでできないだろうか?
生まれ変わりとか転生とかの裏設定にしてしまって
アムロは日本人として違和感のない名前に……安室透は安直でやめておくとして
モビルスーツはどうするか?
大河ドラマで合戦シーンを端折ってブーイングだったが、そういう例があるからできないこともないだろう
中途半端に CGで再現しても月曜ドラマランドみたいになっていくな
]]>キラがシン達の眼の前で彼らを指して「弱いから」と言うところのキラのいけすかなさが印象的だった。
「サイが僕にかなうはずないでしょ」というSEEDでのセリフと一貫性があって、何かの拍子に出てくる本音で、他人の能力の部分を見下している。
完璧超人だからこその短所であって、キラに人間らしさを持たせるために必要な短所なのだろう。
それがアンチを作る要因でもあるかもしれないが、当時も今も新しい主人公像だろう。SEEDを新しいガンダムたらしめた特徴ではないのか。
劇場版本編の話にもどると、あの場ですぐ殴ってくれるアスランの相棒としての価値がですね。
頼もしくもありエンターテイナーでもあり。言い換えると今回は葛藤のないキャラだった。
アスランはシャアの要素が多分にある。
SEED DESTINYでも途中までゼータにおけるクワトロの立ち位置だった。
黒背景でゆっくり動くズゴッグを見てキラが「アスラン?」と気づくのはオマージュというより笑い要素を含んだパロディかと思った。
真面目にツッコむとキラはズゴックのどこからアスランを見出したのか?これが人の愛?
キラと殴り合うのはよく考えたら逆襲のシャアの殴り合いシーンから来ている?これは考えすぎか?
シンがキラに心酔していたのはあまり好きではなかった。
ただ、吹っ切れて戦えている姿が良い。自分の目的と合致した戦いができていることが良い。
ステラがシンの心を守ったところ、「どんな闇を抱えているんだ」⇒SEED DESTINYでのシンの物語の積み重ねが無駄じゃなかったところにグッと来た。
巨大兵器破壊は間違いなく主人公の功績。
劇場版の物語はキラとラクスが中心だったが、キャラクターとして報われたのはシンとルナマリアだと思う。
アグネスの物語上の役割は、SEED DESTINYでアレだったルナマリアの恋愛部分を着地させること。
正直アグネス周りの話は蛇足に感じたが、よくよく思い返してみればあれはクエス・パラヤのオマージュだ。
アムロに興味を持って、拒絶されたと感じて脱走し、シャアにその価値を見出される。
スポンサーから押し付けられた枠か?Gアーマーの合体シーンやシュラク隊を思い出した。
ジャスティスに至ってはアスランに乗ってもらえずシンにディスられる始末。
サプライズだった。新しい試みとして肯定したい。
デュエルブリッツやデスティニーのカラーリング(これは鑑賞後にSNSで見た情報)など、テレビ版で退場した機体の要素を、そのパイロットに縁のあるキャラが受け継ぐところが良い。
デュエルはアサルトシュラウドないと他より特徴がない部分をブリッツ要素でカバーとしてるので、なんか説得力あった。
でもわざわざ旧型のデュエルとバスターを核エンジンにしてコクピット周りをザク系統にするのは非合理だよなと。合理性よりお祭り感を演出する分には良し。
インパルスのシルエット全部来て良い。カラーリングのアップデートは何か元ネタあるのか?
ミーティアやデスティニーの換装など、外部装備の共有はなんかガンプラ系の番組の表現っぽかった。でもガンダムってそうだろう。
視聴者にとって悔いが残ったところをキチッと終わらせて、キャラクターやメカの見せ場をこれでもかと出し切る。お祭り、同窓会。
復活のルルーシュ、グリッドマン、シン・エヴァンゲリオンなど、最近のTVアニメの完結編としての劇場版は大体そうだし、そういうものが求められているというか、これが完成形なのではないか?
それから今作は平成の逆シャアを予想して挑んだが、要素ががあるような無いような。この辺は解読力がなくて、教えて欲しい。
]]>意外とこれで波動砲とか避けれるんじゃない?
ミライさんなんかでも「回避運動任せる」って言葉だけでムサイのビーム砲避けてたんだからアムロならきっと出来るわ
]]>発売されたレコードのジャケットはアムロのイラストだったけど
]]>とアムロに捨てられたビームライフルを回収しに行くのがお前の仕事だろ?
]]>…オマエはもう、聴いている
ミンキー・ヤス「『逆シャア』、アムロとシャアの痴話喧嘩に終始してたという印象」
是枝Dの愛娘はC子ちゃん
3rdアルバムは時代的にそこそこ良曲あったとおもう…
]]>シャアがどうだの、アムロがどうだのってそんな表で活躍してる人ばかり取り上げられてる感じがして、
その戦ってる戦線に物資や武器補給とか(さすがに物語でもそういうのは描画した方がいいと思うので)
そういう裏方の人も戦ってるんだ!って
そこに脚光を浴びさせてもいいんじゃないの?
きっと裏方も壮絶な物語があると思う。
]]>これが引っかかって引っかかってしょうがなかった当時
通りいっぺんの一般論で妹の幸福を最期()まで願う、そんな当たり前の美意識?が「あの」シャアに残っているかぁ~?って
そうすることで無理やりアムロとのニュータイプとしての世代差を表したかったんだろうか
]]>