はてなキーワード: アブストとは
背景 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20170413#p1
博士論文「From brain to business : 脳の環境適応戦略から企業の環境適応戦略を紐解く」
http://ci.nii.ac.jp/naid/500000436370
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/136459/1/ynink00396.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshikikagaku/47/4/47_6/_article
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy/2013/0/2013_19/_article/-char/ja/
特集「脳科学と組織科学の接面を求めて」に寄せて (特集 脳科学と組織科学の接面を求めて)
http://ci.nii.ac.jp/naid/40020155472/
IFRS導入時の経営者の公正価値評価に関する脳実験研究 : 時間割引・社会割引の観点から
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009821195/
どちらかというとマネジメントよりか。
英語の学会発表・論文誌: 査読付き、無し、未投稿にかかわらず発見できず。(あったら教えてください)
nekoluna nekoluna あるよ https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19204791
私は、27歳の男性で、韓国の大学院で月10万くらいもらいながら博士課程の学生をしています。
年齢が高い人物を尊重する、という文化は日本だけでなく、世界各国にあるらしく、それがとても窮屈に感じます。
皆さんは、年齢が高いと尊敬される文化のほうが、仕事や日常生活を送る上で都合がいいですか?
研究室には韓国人(7人くらい?)、日本人(私1人)、ガーナ人(2人)、バングラディッシュ人(1人)がいます。全員男性。
ガーナ人、バングラディッシュ人、韓国人の人間関係があんまりうまくいかない。(私自身はみんなとうまくやれていると思っています)
①言語の問題(ガーナ人は英語が母国語レベル、韓国人は1人がtoeic Lv6くらい(らしい)、あとはかたこと)
②年長者に対する態度の文化的背景
一番大きな問題は、②と思われます。年長者を尊重する文化は果たして、メンバー全員に都合がいいのか?というのが疑問です。
人種も言語も違う人間でチーム組むのはまーじで難しいです。でも、創造的な仕事にはダイバーシティが必須らしいので、
成果が出ることを祈っています。
いわずもがな、英語でコミュニケーションが取れないため、ガーナ人は研究室で起こっていることが理解できない。
例)韓国人が(教授の指示のもと)新たな研究機材を購入。ところが、ガーナ人が前々から必要だと言っていたものは購入されない。
その理由がガーナ人には説明されない。(英語が喋れない韓国人が説明するのをめんどくさがる。結果無視した形になる)
これは一部、教授の問題でもある(ガーナ人に説明をしていない)。とはいえ、そんなこと位学生のチーム内でうまくやれ、とも思う。
韓国では年長者が敬われる傾向が強い。これは日本より強い。はっきり言って旧時代的すぎてついていけないレベル。
ただ、幸運なことに、外国人は、そのSeniority(年功序列?)の枠外にいる。
これは普段の会話の呼びかけ方にも象徴される。通常、韓国人は年長者を呼ぶ際に特別な敬称が使われる。
例えば、韓国人男性が自分より年長の男性を呼ぶときは”ひょん”(兄という意味らしい)を付ける。
ガーナ人2人は、英語を喋れる1人の韓国人を除いて、全員より年上。ただ、韓国人は誰一人敬称を付けない。
これは日本で外人にSmithくん、と呼び掛けたら変な感じがするのと同じ感覚だと思われる。
そのフラットな関係が、どうもガーナ人は気に食わない部分があるらしい。(呼び方の問題ではなく、接する態度の問題)
ガーナ人も、韓国ほどではないが、年長者は無条件で(?)敬われるものらしい(ガーナに行ったことがないのでわからない)
ただ、韓国人の学生は、外人への呼びかけ方に象徴されるように、そのような年長者に接するような態度はない。
上記の①のように、むしろ蔑ろにする傾向すらある。その辺のミスコミュニケーションで、お互いにうまくやれない。
ガーナ人は、なぜ年下の向こうから(例えつたない英語でも)事情を説明してこないのか、と思うし、韓国人は韓国に来てまで韓国語を
これは意外に思えるが、結構大事な要素に思われる。まず、豚肉を食べないと韓国で生きていくのは難しい。
ガーナ人の1人とバングラディッシュ人は豚肉を食べない(宗教的な理由で)。そのため、韓国人と豚肉を食べない外国人が、
一緒に食事をすることが難しい。そうすると、コミュニケーションをする機会がなく、親交が深まらない。
やはり、何か感覚を共有するというのはコミュニケーションの第一歩であると感じる(同じものをおいしいと感じる等)
そろそろ大学院入試シーズンなので,聞かれそうな質問をまとめてみた.
質問は大きく分けて2種類ある.コンテキストに強く依存した質問と,テンプレ質問だ.
このうち,後者は仮に試験官が一切話を聞いていなかったとしてもできる質問だ.時間を掛ければ対策はできる.
よっぽど試験官の頭が良くない限りはテンプレ質問ばかり来るから,
テンプレ質問の準備をしておけば院試は恐れることはない.試験範囲が決まった筆記試験のようなものだ.
また,コンテキスト依存の質問も発表内容のみからできる質問と,そうではない質問に分けることができる.
『「手法にはナイーブベイズ法,決定木,SVMがあり,そのうちSVMを採用する」
とおっしゃっていましたが,なぜ他の手法を採用しなかったのですか?』
穴のない発表をすることは難しいので(試験官がちゃんと話を聞いていれば)
この手の類いの質問はよく来る.
論理的に行われる質問は,論理を押さえておけば容易に対策できる.
つまり,
あたりを押さえておけばいい.
例に挙げた質問に対しては,他の手法を採用しない理由,SVMを採用する積極的な理由を
きちんと答えられればOKだ.
これは試験官がその領域に対する知識を持っていて,かつ突っ込みどころがあるときに来る質問だ.
質問の種類としては一番対策が困難だが,これを綺麗に返すことができれば評価はうなぎ登り.
例えば,『「機械学習にSVMを利用する」とおっしゃいましたが,
ニューラルネットワークなど別の手法はご検討されなかったのでしょうか』
といった質問だ.もちろん検討しているけれど時間の都合上紹介しなかったという
雰囲気を出しつつ,隠しスライドでも出しながら説明すれば良い.
この質問に関しては,ひたすら基礎勉強・サーベイをして知識を身に付けるしかない.
時間がないのであれば不勉強を悔いつつ,このような質問が来ないように誘導しよう.
こういう質問だらけになることはまずないが,現実はそうではない.
逆に言えば,誰もが思いつくようなこのような質問に
うまく答えられない場合は評価はかなり低くなってしまうだろう.
いつでも明確な回答ができるように準備しよう.
上記新規性・有用性の変形だが,こちらの方がやや難しいことがある.
志望研究科が学際的な場合,特に前者の質問にはかなり困るけれど,
何となくそれっぽいことを答えよう.
時間が短い場合,これらを全て押さえた十分な発表を行うことは難しい.
ただし,これらについてはいつ聞かれてもいいように,
発表には使わなくてもスライドは用意しよう.
修士の院試であればどうせ研究は終わっていないのだから,絵空事を答えればいい.
このような質問をする人は大抵何もわかっていないので,何を答えても納得してくれる.
読んで無くてもタイトルを5本くらいは挙げて,
それらしい説明をしよう.
院試なんてものは通過儀礼なので適当に流せばいいと思うけれど,
これらの質問は学会その他にも応用できるので日頃から考えておくと良い.
また加減が難しいところではあるけれど,例えば先行研究を一切説明しないなどのように
あえて穴を作っておいて質問をそこに誘導するという手法もある.
明かな穴がある発表をしたことのマイナス評価を上回る場合は有効だ.
学位審査や院試といった場においては狙ってもいいかもしれないが,
タイトルは読むけどアブストさえ読まない。迷ったら取り敢えずいつも読むジャーナルを引く。
1-1 一番最近まともに読んだ文献を思い出す。それを引用している他文献(Pubmedで言うところCited by ■ PubMed Central articles)のうち、出版時期が一年以内のもの且つ変なジャーナルでないところを引く
1-2 ReadcubeのRecommendationをあたる。
2. PDFを入手
母艦はMendelayを使用する。「指定フォルダを常時監視して文献データを同期する機能」と「同期したPDFのファイル名を編集して再保存する機能」を使って手間を省く。
2-1. Pubmedから引く場合、「Save to Mendelay」のブックマークを利用してPDFをダウンロードする(たまにできないときもあるのでそのときは手動でやる)。
2-2. Readcubeの場合、PDFはワンクリックで自動ダウンロードしてくれるので、そのダウンロード先をMendelayの同期参照フォルダに設定しておく。
3. Reviewが混ざっているのでそれを弾く
分かりやすいタイトルの文献ってたいていReviewなのよね(こなみかん)。
4. pdfファイルをFireFoxで読み込んでAbstractを訳す
これにより辞書を引く手間を省く。
5. 読めそうなものだけ本文も読んでAbstract訳を多少味付けする。
以上、必要がなければ一ヶ月に1本も文献を読まない意識低い系の人間が抄読会用の論文を7本ほど急遽収集するさいの、特に勉強にはならないけど取り敢えず用意はできる意識の低い楽なやり方をお示ししましたのでご確認ください。
卒業研究がまるでうまく言ってなくて来週提出の卒論アブストが全く書けない現実逃避に。
I was rejected by my best girl nine months ago. It has been unclear the reason why they broke up despite the each other's intense love. In this thesis, we provide a clear explanation about the event.
What plays a invaluable role for our study is descriptions gathered from me about each incident that had happened along them. We were able to obtain a large number of the descriptions, since a winter chill in the air reminded me the divine memories of the days with her. We carefully examined each of them and arranged the incidents into some categories. By combing chronological order and categories of the incidents, we analyzed the emotional changes of me and her.
We propose a simple model that explain the breakup between them, based on the above mentioned analysis. From discussions about the model with some people, the model is considered to be capturing major matters. We also present our attempt to match the model to the existing collection of patterns of the way how once loved people would break up. Even though this attempt is not much succeeded, at least it reveals that what I experienced was quite ordinal breakup.
私は九ヶ月前に恋人から別れを告げられた.互いに強く想いあっていたにも関わらず彼らが別れることとなった理由は,不明瞭であった.本論文において,我々はこの出来事についての明瞭な解釈を提示する.
我々の研究にとって非常に重要な役割を果たしたのは,彼らに起こった事象に関する多くの私から収集された叙述である.冬の寒さが私に彼女と過ごしたかけがえのない日々を思い出させたおかげで,我々は多くの叙述を得ることができた.我々はそれらの一つ一つを注意深く調べて,幾つかの分類へと整理した.各事象についての時系列順と分類を組み合わせることで,我々は私と彼女の感情的な移り変わりを分析した.
この分析に基いて,我々は彼らの別れを解釈する単純なモデルを提案する.本モデルについて幾人かと行った議論から,本モデルは重要な問題を捉えていると考えられる.さらに,かつて愛し合った人々がどのようにして別れるかのパターンを集めた既存研究と,本モデルを照らし合わせる試みを示す.この試みは十分に成功してはいないものの,少なくとも私が経験したことがありきたりな別れであったことを明らかにしている.
俺も4年生になって卒研に入ってしばらくはそんな感じだったよ。読まないとならない論文はどんどん積まれて行くのにひとつひとつの論文が泥沼の中を腰までつかりながら進んで行く感覚。
英語力の問題とはちょっと違うと思う。ペーパーバックの小説は普通に読めてたから。
論文には論文の読み方があるんだけど、数をこなさないと読めるようにならない。まあ何ヶ月か頑張って読んでれば気づくとさくさく読めるようになるよ。
分野にもよると思うけど、うまい博士論文の序論や背景の部分は論文誌や会議予稿よりも丁寧に書かれてることが多いので、自分のやってるところの研究の流れで重要な博士論文があったらそれを見てみるのも背景を頭に入れるのに良いかもしれない。
(複数の横増田がいるよ、という前置きを置いた上で、)
まぁ確かに、ポンポン落とせるかよ!って気持ちが分からないでもない。
自分も今はサイトライセンスを買ってる機関に所属してるから、ポンポン落としてるけど、
そうじゃない機関にいたこともあるし、サイトライセンスもやたら高いことも知ってるし。
そうはいっても、アブストとページ数と論文名・雑誌名で、ある程度の精度で
自分に必要な論文かのジャッジはできるだろうし、よっぽど最新の情報でも
なければwebのどっかやブルーバックスで同等(以上)の情報は得られたりする。
学会運営に関しても、海外は評価がキビシイので、それ相応にスリムな運営をしているし、
日本でも学会事務局代行サービスってのをやってる会社があって、たいていの学会は
最近はたいていそういうところに委託しているから、ムダ組織ばかりってわけじゃぁない。
・きちんとした情報の入手には、きちんとした対価を支払う。という、情報量の概念。
・まっとうな学会・審査なんだから、まっとうな対価を求めることが正当。という、共通理解。
そして、最近はあんまりやらなくなったけど、
・学者同士の交流なら、直接著者に別刷を請求すればいいじゃない。
という考え方もある。
論文誌に投稿する際の引用文献にリストアップしたい場合みたいに、
http://anond.hatelabo.jp/20081117230750の一番上に僕が書いたじゃん。形式と書くと幼稚に見えるから言い換えますって。簡単な論理的な手続きを踏めていないので、元増田はちょっとあやしい人だねって。読めていないのはなく、読んでいない。
それは「間違い」じゃなくて君が読解力が足りないだけ
「知識」を読解する必要がないんだけど。その前段階の形式的いい改め論理的なあやまりだから。読解しなくても=知識の正しさに踏み込まなくても、それ以前の段階を形式的に判定しておかしいってこと。もう一度書いておくと、元増田が特定の形式は重要視しなくてもいい、と言い出したので、じゃあ「論理的あやまち」にすると逃げられないね、と前回修正した。
専門家がというところは、元増田は自分の頭で考えるのがモットーなのに、あれおかしいね、そういう循環の構造を形式的に持っているのが元増田の言い分に見られる。ここは皮肉だよ。僕だって意識的にチェックをかけないと、専門家の意見は鵜呑みにしているところあるし。
知識について無知だろうという批判は関係がないので、それ以下はばっさり削除。田中氏の新書ならよんだことはある。ことばのなんとかだったけど、内容は忘れた。学歴に固執しているところも、気持ちはわかるけどスルーする。はずれているから。
アブストを読んでいる人だから同業かもしれないけど、流し読みするには形式が優先されてしまうが、形式は整っていないけど内容はあるものもある。だからこそ形式という名のマナーを優先させたほうが読まれる確率は上がる。
元増田を打ち抜いちゃったと。ごめん。アマチュアハンターにうたれる元増田。たしかに僕はアマチュアかもしれない。同業者をうっちゃいかんいかん。
文脈上(アブスト云々が出てきて以降で、僕がどれを書いたかは以前示した)、元増田が書評をしたかは争点でないから、その自分なりの読み方は外れる。
次に、君は書評を書いた人の属性を挙げて「どれが信用に足りるか」とかいってるけど、それは的をはずしてる。私が言ったのはそんなことじゃなくて「知識」の問題。
信用足りえるには、その人の「知識」レベルがあるかの判断が先行するのだから、その程度のことは内包されている。
そのレベルで素人目にも明らかな間違いを多くしでかしてるらしい。そんな本が学術的な意味で信用できると思う?んなわけないでしょ。
ということはブログで書いて批判すればいいんではなかろうか。「らしい」ではなくて元増田の解釈で。「らしい」から抜け出して自ら判断するには同等の判断能力がないといけないだろう。
もうひとつひっかかるのは、「学術的な意味で信用できると思う?」の部分。信用するものじゃないし、それは鑑定人によるのかな。そういう監視の目が行き届いていればいいけど。
今のところ元増田が言っているのは、「学術レベルの能力があると見なされる人がある間違いを指摘している」ことに根拠なく同意しているだけである。現段階では。
ちなみに、
「トンデモ」と呼ばれたくないのなら「エッセイ」なり「フィクション」なりと名乗って満足すべきってのはわかるよね。そういうこと。
僕も読んでいないので言うのもなんだが、もう少し前に書いたけどローマ人と同じくエッセイレベルだと、なんとなく、思っているので、ガチの学術レベルでの論争なぞ望んでいないのではないかとは思うし、そうすることは無粋なのかもしれない。無味乾燥な世界史の教科書とローマ人を比べても。
「らしい」と言っているだけでは、例の学術レベルの人に追随する「ビリーバー」との区別がつかない。そこを聞いているんだけど。何度もね。
僕は元増田に「学術レベルの人のことを、学術レベルで理解できて、批判できるか」かどうかについて聞いているのであって、今のところ「学術レベルの人の言うことを、学術レベルでは、完全かどうかは不明だが、理解はできないにもかかわらず、何故か正しいと信じている」の段階で留まっている。ただ真の学術レベルの能力を持たなくてもなんとなくわかる、ということに関しては少しは同意はするのだが、それに見合った「知識」を元増田が持っているようには見えないもので。あるならあるで自分のブログで書いてくださいな。
読んでいるなら読んでいると言えばいい。しかし、その私の問いにこれまで一言も応えていないのだから、こちらとしては判断のしようがない。エスパーでもあるまいし。
著者のインタビューがアブストに当たるとして、ひとまずは読んだことにしておこう。
そして誰が書評をしたのかね?
さて誰が書評すると信用足りえるのか。片方の言語学の専門家とやらになると、学歴経歴がはっきりしないのだから、全く信用にたるとはいえないだろう。海難記の人はわりとはっきりしているし、梅田氏も同じ。となると、元増田が判断を何処に求めているのかさっぱり不明。専門家が常に信用できるなら、世の中こうはならないだろう。
また似非科学の伝道者とて、一応あやしげなところから博士号を取得しているわけなのだから、ひょっとすると学位においては程ほどの信用力を獲得していると見なされるのかもしれず、元増田はこれを信用してもおかしくないのだが。
あの本を引用して書評してるのはいくらでも見つかるし、その引用部分見ただけであの本がトンデモなのはすぐにわかるんだけどね。
そもそも数ある書評の中から、梅田氏の書評もどきのやつだけを否定することが可能なのか、その理由さえ示されていない。どうしてだろう。教祖様が梅田氏を否定しているから??
さらに、引用部分が、著書はいうまでもなく過去の学問においてどのように敷衍されているのかを理解しないといけないのだが、元増田はそれが可能であろうと推定するに十分な学歴や相応のトレーニングを積んできたとも思えない。つまり理解する能力がないにもかかわらず、トンデモと非トンデモを分類していることになるのであるが、これはあまり奇妙で且つ不可解すぎて。
なにより教祖っていうのがすばらしくいいひびきです。元増田の教祖様を教えていただければ幸いですが、その前にこのような発言をしている人は、あまり頭が良くないと見られるんじゃないかと思うのですがいかが?書評の良し悪しにも、たぶん主のオーラが直結しているように推測されるのだけど、そうするとこの元増田も自身でマイナスイメージだけを積み上げているようにしか見えないです。
最後に、総表現社会になれば、本当に権威があるのか不明な権威にすがりつくトンデモクンがイナゴのように大発生する。何しろ自分には権威もなければ、判断する能力も何にもないんだから。このようなプチ教祖様にすがりつく信者様がイナゴ。ネット社会は大変だあ。殺虫剤を作れば一儲けできるね。
俺のやりたかったことは
だまし絵みたいにいくらでもまではいかないけど、少なくとも複数の見方ができるものはあるんだが、見たいように見ていてはw
少なくともはっきりしたことは、
その根拠は
そんなところだ。
言うまでもないことだけど、アブストというエッセンスを書いている人は研究者本人なわけだけど、第三者の書評なりは研究者が主張するエッセンスと必ずしも一致するわけではない。無論後者のほうが正しい場合もあるのだろうが、後者のみを持って前者の評価を下すことはどうかな。例外的に後者の判断を下した人の能力を持って推し量ることは出来ないこともないが、それもさてさてどうだろうか。
さらに増田の分が悪いところは、新潮も書籍も読んでいないとなると、純粋な意味で一次情報に当たるものはタイトルだけである。タイトルで全てを推し量るには些か危うい。タイトルが似非科学ほど怪しい雰囲気を出しているわけでもないからだ、というには若干厳しいがw
アブストを持ち出したのは俺ではないが、言いたかったであろうことはそんなところであろう。
君の思ったとおりに他人が動く訳じゃないんだよ。
正義感とか、観念的な話で盛り上がるのもいいけど、学術的、定量的研究をもとにして話をするとエラい人に見えるかもよ。ということで、タダで全文あるいはアブストが読める研究論文をいくつか。