はてなキーワード: アフォーダンスとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 57 | 8408 | 147.5 | 60 |
01 | 39 | 5773 | 148.0 | 34 |
02 | 24 | 5217 | 217.4 | 60.5 |
03 | 17 | 4615 | 271.5 | 70 |
04 | 19 | 2725 | 143.4 | 40 |
05 | 10 | 976 | 97.6 | 30.5 |
06 | 12 | 1153 | 96.1 | 53 |
07 | 25 | 2119 | 84.8 | 62 |
08 | 35 | 4793 | 136.9 | 46 |
09 | 66 | 6047 | 91.6 | 41 |
10 | 83 | 10496 | 126.5 | 50 |
11 | 120 | 11087 | 92.4 | 37 |
12 | 133 | 12678 | 95.3 | 30 |
13 | 112 | 9825 | 87.7 | 35 |
14 | 129 | 12906 | 100.0 | 46 |
15 | 147 | 13202 | 89.8 | 43 |
16 | 76 | 6199 | 81.6 | 34 |
17 | 103 | 7773 | 75.5 | 39 |
18 | 195 | 25768 | 132.1 | 53 |
19 | 140 | 10751 | 76.8 | 42.5 |
20 | 162 | 25071 | 154.8 | 37 |
21 | 187 | 15881 | 84.9 | 32 |
22 | 190 | 17265 | 90.9 | 39.5 |
23 | 178 | 14569 | 81.8 | 33.5 |
1日 | 2259 | 235297 | 104.2 | 41 |
女性手帳(6), GARP(6), 商家(3), 温水洋一(3), 気象衛星(4), 5000回(3), きまぐれオレンジロード(3), 学位記(3), 洋一(3), 月姫(9), BM(3), zakzak(3), スパム(49), 転勤(16), 出世(26), ハラスメント(23), 学術(12), エロゲ(14), Python(9), 痴漢(49), 記(6), 熱量(5), パート(13), パスタ(9), 自炊(8), 逆転(8), 広まっ(9), 正社員(18), 会議(17), 婚活(14), 既婚(12), 一人暮らし(11), 来年(10), 匂い(11), 言語(13), 夫(22)
■おっさんが「静かな女性差別」に気づいた話 /20201012175534(19), ■男社会から早々にドロップアウトして人生ヌルゲー状態 /20201013012600(18), ■痴漢にあったことのない女、というマイノリティー /20201012174007(15), ■なんで型月ってあんなに売れたの /20201003105829(13), ■おいおい誰か誕生日を祝ってくれよ! /20201013103534(13), ■「なんとかハラスメント」と言うのはもうやめるべき /20201013121426(13), ■鬱病の妻を支えてたつもりが離婚を切り出され慰謝料を請求された話 /20201013131938(10), ■最近透明人間のように扱われるようになってきた /20201013223244(10), ■少子高齢化が大きな社会問題と言われ久しいのに /20201013181252(9), ■鬱病の夫を支えてたつもりが離婚を切り出され慰謝料を請求された話 /20201012035107(9), ■「その作品はファン全員が嫌っている」という暗黙ルール /20201012142538(9), ■一人暮らしの自炊はパスタが最強 /20201012125859(8), ■一人暮らしの自炊したくない勢にはスープが最強 /20201012190604(8), ■ブックマークが欲しい /20201012223833(8), ■日本に戦車は必要ない /20201013182243(8), ■博物館/美術館/図書館っていらなくね?360度映像や4Kで見る方がコスパいいよね /20201013122910(7), ■ /20201013123112(6), ■ /20201013112118(6), ■痴漢(電車外も含む)の実数はせいぜい3万件ってとこ /20201013163204(6), (タイトル不明) /20201013215334(6), ■人間の赤ちゃんてマジで欠陥クソ生物だろ /20201012110525(6), ■アフォーダンスって /20201013043944(6), ■「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」という差別タイトル /20201013114720(6)
「平服でお越しくださいとコンサルティングがあった場合はビジネス鎧がコアコンピタンスであることを意味しています」←は?
平服ってランゲージには「ふだん着ていつつパラレルでタスクを消化している衣服」って、この前読んだビジネス書に書いてあったよ。
この先の時代を生き抜いていけないキミそのスーツでM&Aに高みを目指したり散歩に出かけたり、英字新聞を読了したりするんですね。
え、「礼装じゃ...取引先との商談が上手く行くことがなくてもwinwinでしょう。一般的にはよ」と読み取れる意味で話題になって、「改まった場所でも逆に恥ずかしくないアパレル」を着るのがコンプライアンスだって?
じゃあそう言えばいいじゃない、それに私はこんな所でくすぶる気はないです。
こういう日本を変えないといけない。
「平服」というランゲージにそんなアフォーダンスはありませんよ。
まぁ、薄々感じてはいましたが。
この案件が激動の時代LAで流行の忖度を要求する形になるやり方ですか、また1つ勉強になった。
こうしたアンチテーゼに対して「真意が伝わらないというより、あえてしなかった」と言いたいことは分からなくもないよ、でもねエクスキューズ致しますように別途調整になんのかな、っていうね。
「人材発掘はオフィスカジュアルで構いません。はい、今の発言シェアしといてね」とプレゼンするのも、「オフィスカジュアル、ってか普通ここまではいいよね?」をAARRRしているんですよね、あなた方は。
重ね重ねヒアリングしますが、あなたそれで勤労感謝の日、働けていることに感謝過ごしているんですか?
なぜなぜ分析して言外の意を聞き手にくみ取らせるような言動をなさるの…、ホリエモンの言う通りでしょうか、間違いないよ。
ごフュールジッヒなさっていないようなのではっきりとフィードバックして差し上げますが、甚だ自分勝手で幼稚です…、だってスティーブ・ジョブズも言ってたからね、俺はもう卒業したけど。
エスカレーター、歩く人がいるのは自然なことかと思われる。歩く人がいる(≒片側を歩く人用に空ける)のが日本だけではなく海外でもみられることからも、あれは自然と歩くものだ。アフォーダンスから考えても、①階段と同様の形状をしていて自然と歩ける段差であり、②進行方向に歩くことで乗り降り操作を行うことから、歩いて通り抜ける人が出るのは当然だろう。
今現在、「歩く人のために片側空ける」から「両側てすりを掴んで止まる」の過渡期あるいは過渡期を目指しているところであるが、この際、従来派と先進派の間で文化的な衝突が起こり、それは具体的に言えば「空いている側に立ち止まっている人、のすぐ後ろで、いかにも急いでいそうな様子でエスカレーターを歩く人、が、あぁとうせんぼされてしまった! という形で立ち止まる」ということが起こる。これは容易に想像されることであり、今自分の後ろに立っている人の邪魔を今自分がしているという状況は抵抗があるだろう。両側に立つ理由も決定的なものはないというのに、今すぐ後ろには自分が原因で困っている人がいるのだ。
さらに言えば、思い違いかもしれないが、両側立ちという新しいルールを率先して守ろうというタイプの人は、性質として、自分が迷惑をかける側になるのを殊更に気にするのではないだろうか。
こういうわけで、「呼びかけによって両側立ちルールを定着させる」ということは難しいと思われ、本気で根本的に解決するにはエスカレーターの構造をハード的に変えることが不可欠だ。
いくつか「新しいエスカレーター」の具体例を挙げてみたい。
ひとつは、「両側に立つ二人組のサクラ人員」を用意することだ。駅なら駅員、店なら店員などユニフォームかビブスでも着用してもらった方が、トラブルへの対処がスムーズになると思われる。 ハード的解決といいながらハード面はいじっていないし、だいぶ力技感がある。が、後述するが、コストと安全を考慮すると結局こうするしかないのではというのがわたしの結論だ。「とおせんぼをして恨まれる人」が客ではなく、両側立ちをさせたがっているハードの管理者であるのは重要だ。
ふたつめは、エスカレーターの段差を大きくして、歩いて登り降りしづらくすることだ。歩けないものは歩けまい。この案の欠点として、コケる人や手荷物を落とす人がでたときに非常に危険ということがある。
最後にみっつめは、幅を今の1.5倍、3人分にすることだ。エスカレーターの両サイドに手すりを掴んで立ち止まる人がいても、ど真ん中をすり抜けて歩ける隙間が残るようにする。本当に急いでいる人はカバンを左右にぶつけながら駆け抜けることができるので、とおせんぼにならず、心置きなく左右に立ち止まれる。また、この真ん中をすり抜ける操作は手すりがなく、危険であり、マナー違反だという印象を強く与えるものだろう。
欠点は、ひとつには、トートロジー的だが、「真ん中に人が通れるほどの隙間があったら、歩く人がでてきてしまう。しかも、歩く人にとっては手すりがないので、フェイルセーフとしてよろしくない」ことそのものだ。これはまあ物は言いようということで、幅を広くしたのはゆったり心地よく利用してもらうためで真ん中を歩く人なんているわけないじゃないですか、とでも言い張ってもらいたいところだ。第二の欠点として、エスカレーターの占用する体積が150%増加するということで、新設設計時においてすら前提の変化として大きいポイントだろうし、既設のエスカレーターの改修はまず望めないだろう。
はたしてそもそもそこまでして両側に立つべきなのか、駅は諦めてデパートなどの急ぐ人が少なくて呼びかけで解決するようなところのみで目指すべき新ルールなのではないか、と思ったところで筆を置く。
2歳の次女は最近プリキュアがお気に入りだ。魔法使いプリキュアのエンディング曲をうろ覚えの歌詞で歌い踊る姿は大変可愛らしい。
ひとり遊び、平行遊びから協同遊びへと順調に発達してきた娘。とうぜん避けて通れないのがプリキュアごっこである。しかしこれが現在悩みの種でもある。
「まほうっ!ぷりきゅあ!! きゅあ!ぱぱぱ! かいじゅうを、やっつけろ!!」
の掛け声と共に唐突に始まるそれは「トリプルダンス ハニーバトン」によって行われる。物理攻撃だ。魔法使いなのに物理攻撃。
「トリプルダンス ハニーバトン」は長女のお下がりだが、さすがはバンダイの幼児向け玩具というか非常に頑丈だ。ゆえに非常に硬い。なので当たると痛い。尖った部分などは無く幼児向けとして配慮が行き届いている素晴らしい玩具たが、当たりどころによっては非常に痛い。バリアを展開し物理無効を宣言して魔法メインに誘導するなど展開に工夫を試みているが、エキサイトとしてくると、バトン形状という長さの影響で人間の本能が呼び覚まされるのか、はたまたアフォーダンスによるものか、バトンによる物理攻撃に戻ってしまう。
鈍器よろしくバトンを振り回す妹に見かねた長女が「トリプルダンス ハニーバトン」本来の使用方法を啓蒙したりもしているが前述の通り効果は薄い。キュアハニーの音声が流れる愉快な玩具だが、そもそも彼女はキュアミラクルなのだ。もしかしたら彼女の暴力的な行為は、2年落ちの玩具を使わせている父親への抗議ではないかと疑い始めている。
佐野研二郎氏盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。
彼はご存知の通り多摩美術大学のグラフィックデザイン学科を卒業し、現在はアートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています。
実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身が講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)
統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス(世田谷区)にあります。
学科長はプロダクトデザイナーの深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナー・インターフェイスデザイナーの中村勇吾教授、HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクターの佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学科専任の講師や先生で構成されています。
現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授(統合デザイン論)と中村勇吾教授(メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。
世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザイン・ベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的にローンチできるプロジェクトのデザインを学んでいきます。具体的には現在、グラフィック・プロダクト・インターフェイス・描写などの必修と、そのほか選択を受けています。教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインをあらためて"統合"することで、「これからのデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在、デザインそのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材が必要とされています。一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなものも学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたものが現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります。
(武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)
(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)
先ほども言った通り、まだ学科が生まれてから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから、就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。
〜〜
ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科のサイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います。
さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。
関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授と現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身、亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。
最初に自分があのエンブレムをみたとき、直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京のイメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的で結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒で形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからのベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科の学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭のロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブなイメージで彼がデザインしたということはないかと思います。
造形的にベルギーのデザイナーのエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています。
さらに、ベルギーのデザイナーはそのロゴを商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。
記者会見で佐野教授が感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係の仕事が多く(映画やTOYOTAの広告の成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストランで新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真を新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思います。 http://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/
このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授に問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員に問題があるのです。他に、もっと「オリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。
その選考が一般的な選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインだから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的に選考は名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。
これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授の下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまったからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります。一般的なデザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事でお金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。
ネット上では、佐野教授周辺の関係図みたいなものが話題となっています。審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまり、デザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います。業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。
自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックやプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナーの作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったもののなかには現在問題視されているような業界内評価システムの土壌でうまれたものもあるのかもしれません。
一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。
いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインがネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈が形成されていくと、そこには明らかな引用や模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインもスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体を否定することと同じになってしまいます。なにかから影響を受け、文脈が形成されていくことを「パクリ」の一言で否定しないでください。
今回の件で佐野教授に問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックのエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。
亀倉雄策の仕事で一番好きなのは1964年の東京オリンピックのエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプルで骨太な仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインはシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザインは思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。
エンブレムの問題とトートバックの問題は根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。
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・エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭のロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォントが幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的なフォントであったとは思いません。
・学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊な試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚は私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・。
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・ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまいます。商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみます。 http://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックのエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w
・佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生ごときが評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事もダメになるというか、結局ものをつくるときの姿勢ってそのひとの評価やデザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナーや関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリや模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。
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・多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。
・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザーが根拠のない事実を拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。
10年以上前からずっと思ってきたことなんだけど、「よく振ってお飲みください」と「振らずにお飲みください」をもっと簡単に判別できるようにして欲しい。
現状、缶の側面などに小さく書かれた注意書きを読んで、振るor振らないを決めているんだけど、それだと時間がかかるんです!
以前だったら、炭酸=振らない、それ以外=振ってもいい、みたいなざっくりした区別があったけれど、最近は炭酸じゃなくても窒素充填してあって振ってはいけないやつとか、逆にゼリー系炭酸飲料みたいな、振って飲む炭酸飲料なんかも出てきてさらにややこしい。
こないだなんて、駅ホームの自販機で買った「DyDo 振って泡立つプレミアム」 (http://blend.dydo.co.jp/premium/) を、内容をよく見ずにジャケ買いしたんだけど、この手のフタ付き缶コーヒーによくあるやつ(水平にして振らずにお開けください)の類だと思って振らずに飲んじゃったよ。
アルコール飲料に必ず付いてる「お酒」の丸いマークみたいに、「振る」・「振らない」・「どっちでも良い」が一目で分かるような業界標準のマークを作って、分かりやすいところにバーンと載せて欲しい!
振らないやつ→缶底の素材を変える。缶底だけ側面・上面とくらべて金属を厚くするか、または比重の大きな金属を使うようにして、重心を下のほうにずらす。そうすると持った時に自然と振りにくくなるはず(=持った時の重みの感触だけで振ってはいけないやつだと分かる)
振るやつ→缶の側面にくびれや凹凸を作り、手で握った時に力強いグリップ感を持てるようにする。手に持つと無意識に振ってしまいそうになるような感じの。
シャンプーとリンスのギザギザの有無みたいに、こういった形状の規格も業界標準になれば良いのに、と思ってる。
1.処理能力が高い!
「Qualcomm Snapdragon 800, 2.26GHz」と「Adreno 330, 450MHz」を積んでいます。
どう見てもオーバースペックです。本当にありがとうございました。
2. 画面が綺麗で大きい!
解像度は445ppi
それに大きくて見やすい!
4.95インチの画面は、片手でホールド・操作できる限界のサイズかと思われ。
3. 安い!
コスパ最強。
Nexus5 ならGoogle Playで4万、オクだと3.5万、芋場NMPなら0円で手に入ります。
メモリすっきり! 動作快適!
広めのソフトウェアキーボード、秀逸なIME(Google日本語入力)。
押下するとヴァイブレーションで「押したよ」と教えてくれます。
6. 拡張が高い!
林檎の「ほら、こうすればいいんだよ。これがアフォーダンスさ」といった鼻持ちならない感じがありません。
7. 可哀想!
モトローラ売却か〜ら~の Google Play Edition 一本化で、Nexus シリーズが消えるとの噂があります。
デジタルネイティブはほんとにネイティブ、生まれつきなのかなと疑問にがふとよぎったことがある。生まれた時にPCが隣にあれば放っといても使い出して、いつの間にかコーディングを始めて、行く末はWebサービスを支えるエンジニアみたいな。デジタルネイティブを足らしめる要素は枕元に情報機器を置くことだけなのかって。
TechCrunch Japanの記事はそんな自分の疑問に答えるものだった。
Naverまとめで新世代ェ・・・デジタルネイティブの恐るべき生態なんて見かけると、iPadを与えた全ての子供たちが何も教えなくても自然に使い方を覚えて、勝手にデジタル環境に適応していくように思える。幼少時代、外で誰に教わることもなく缶けり、鬼ごっこ、お人形で遊んでいたように。
デジタルネイティブなら当たり前にできて当然じゃないの?と見過ごしがちだけど、デジタル機器もまた単なる道具。見るだけで使い方がわかるアフォーダンスデザインなんて存在しないんだ。誰かが使うのを見て知らず知らずのうちに子供は使い方を学んでいく。ある日突然しゃべりだすように。でも、それだけだ。コミュニケーションが場数を重ねて上達していくように、人と交わりあって自然と人間関係の難しさを覚えていくように、デジタル機器もまた教える人、教わる関係があって初めて学べることはすごく多いんだと思う。まとめを見ていたら、デジタルネイティブはすごい、すごいともてはやす裏に、自発的に歩む可能性に全てを押し付けて、教えることを放棄してるんじゃないか、なんてことを勝手に考えて勝手に暗くなった。
大学が推奨してたiBookG4を買ったはいいけれど正直持て余してたのでそれっぽいことをしなければと思ったからだ。
その最初の受講日、スライドを見ながらぼちぼち打っていた時、後ろからちょんちょんと肩をつかれた。
「漢字、かな」の変換はコマンドキーとスペースの両押しでできるよ。
スペースキーの隣にある林檎のアイコンを押してみてと言われるがままに実行すると、
...それまではマウスボタンでわざわざ右上にもっていって逐一切り替えていた私。Windowsと比べて、右クリックのボタンはないし、「半角/全角」のボタンもないし、UIもおかしいし、@の位置は違うし、起動の音はでかいしとMac使いづらい理由のトップ5が初めて切り崩された瞬間、自分はどんな顔をしていたのだろうか。
後に友人になる彼にはその後もいろいろ教えてもらった。ジョブズの名前を初めて知ったのもその一つだ。彼の死亡が報道されて、名前が連呼するようになった後、初めて正しい発音を知った。他にも似たようなことがあったので当時の彼は自分と五十歩千歩だったのかもしれない。だが、yahooで質問することを覚え始めた自分には、顔が見えるだけで安心するかけがえのない貴重な師だったことは間違いない。予断だけど、ウェブの善意が最初は怖かった。どこの馬ともしれない自分にどうしてこんなに親切に回答をくれるの?とあの頃は不思議でしょうがなかった。そんな自分が今増田で書いているのがひどく可笑しい。ここまで来るのに義務教育と同じ時間がかかってる。ここまで来てなんで増田なのか、振り返らないこともないけど、私の人生の分岐点を担ったのは紛れもなく友人だ。YahooによるTumblrの買収について、Gizmodoの記事読んだ?そんな話を振ってくれる彼は今も私の前を走り続けている。
ショートカットキーの一つや二つ、普通は勝手に覚えるものじゃないかと思う大半の方にとっては奇妙な話なんだろうけど、少なくとも私にとってショートカットキーは教わるものだった。教えてくれる教材はウェブにいくらでも用意されているけど、「ショートカットキー」という言葉を知らなければたどり着くこともない。yahooポータルのホームページには「ショートカットキー」という言葉は載っていないから。だから、無知に気づくこともない。知らないことを知らないから。
勉強をするための教材も、
全部ネットにはあるけれども、
ただあるだけ。
そこへ行くのは誰でもない本人の意思だけど、
本人の意思じゃない。
その動線はやっぱりリアルなのかなと思う。リアルの知り合いでフォローしていたら偶然回してきたリツイートで知らなかった世界を知った時にそこで新たな世界を知るか知らないかを決めるのは、今までに築いたリアルなソーシャルの環境だから。デジタルネイティブと言われ、みんながみんな、同じような情報機器を所有する中で、私たちの世代には予想だにしなかった"格差"がこれから生まれるのかな。
あれこそ神の与えたもうた奇跡だ。
すまないが、ここから先は乳首の嫌いな男と、乳首の美しくない女性は帰ってくれないか。
たぶん、読んでも気分が悪くなるだけだろうから……。
いや、正確に言えば、美しい乳首を持つ女性の乳首は美しい、だ。
美しい乳首は、何分、何時間、いや何日見続けても飽きることがない。
美しい顔、美しいスタイルなのに乳首が美しくない女性は、とても罪深い。
乳首のかたちを確認せずに、顔やスタイルや性格だけでパートナーを決めることは、
ブルカで顔を隠したまま相手を見初めるイスラム圏の風習よりも、はるかに不条理である。
乳首の形状には、人によって色々と好みがあるだろうが、自分が至上の乳首と崇めるのは、
直径3cmほどのなだらかな山状の乳輪から連なる、直径1cm高さ5mmほどの円柱型の乳首だ。
勃起時には、乳輪にツヤとハリが出てふくらみ、乳首は高さ7.5mmほどの円柱にふくらむのが望ましい。
もうお分かりだろう。
自分は、大きすぎる乳輪もお断りだが、小さすぎる乳輪にはもっと魅力を感じないのだ。
勃起すると縮んでしわくちゃになる乳輪など、むしろ憎んですらいる。
逆に、ほんの少しだけパフィーニップル気味(知らないやつはググれ)の乳首など大好物だ。
軽めのパフィーニップルの魅力は、勃起した時に乳首と乳輪と乳房がロケットのように一体となることだ。
だが、結局のところ地の肌の色によって決まるので、極端に黒かったり逆に白すぎたりしなければ良い。
基本的に、女性の乳輪から乳首にかけての色は、ノーメイクの唇のふちの色から推測可能だ。
これを覚えておくと、脱がさなくても乳首の色がわかるので便利だ。
女性のノーメイクの顔を見るよりも、服を脱がす方が楽かも知れないが……。
わかっていただけただろうか。
大きかろうと小さかろうと、乳首さえ綺麗なら「がっかりおっぱい」はあり得ないのである。
柔らかそうな山のてっぺんにボタンがあれば、そりゃ押したくなる。
その無駄のないデザインは、今にも押されるのを待っているかのようだ。
実際、自分は恋人の乳首を日常的に押しすぎるので、よく怒られる。
押すとへこみ、離すともどる。
乳首を押せば、ほぼ必ずなんらかの反応がある。
セックスの前に押すことで、セクシーなモードに入るスイッチになる。
ただし、このセクシースイッチの効果には、非常に大きな個人差がある。
本当に乳首の感度が高く、平常時にも乳首を押すだけで一気に性欲が高まってしまう女性もいる。
最も多いのは、性欲が高まっている時はセクシースイッチになり、普段は敏感なので押されるのを嫌がる女性だ。
逆に乳首が鈍感すぎるあまり、普段から押しまくっても全く平気で、嫌がることもない女性もいたりする。
自分は、平常時にいきなり乳首を押すので、女性の乳首タイプによっては怒られたりする。
だが、それもまたインタラクティブだ!
乳首丸見えでパリやミラノやニューヨークのランウェイを闊歩するファッションモデル達のように、
日本女性もノーブラで乳首の形をおしゃれに見せることを覚えてはいかがだろうか。
不自然な谷間など見せている場合ではない。横乳と下乳は認める。
乳首の形がくっきりと浮かび、時にその色までがうっすら透けて見えるノーブラの女性は美しい。
とりわけ、柔らかで編みの細かいニットを下から突き上げる乳首の突起には激しい興奮を禁じ得ない。
特にピタっとした白いTシャツなどはノーブラで着るためにあるのではないだろうか。
日本では、濡れTシャツコンテストがあまりメジャーでないのが、とても悔やまれる。
日本人女性は乳首をひた隠しにすることで、自らの乳首の価値をおとしめていることに気づいてほしい。
胸元のゆるい浴衣はもとより、着物と乳首の組み合わせも素晴らしい。
着物?と、意外に思われる方もいるだろう。
あんな分厚い着物に阻まれた状態で、どうやって女性の乳首を愛でるのか、と。
これだから、着物を着ている女性に対し、帯でくるくるあーれーをするくらいしか能のない素人は困る。
和服には、脇の下あたりに小さく空いた穴、身八つ口(みやつぐち)というものがある。
この穴の役割は、表向きにはお端折り(おはしょり)を調整しやすくするため、と言われている。
しかし、身八つ口の本当の役割は「男がすっと手を入れて乳をダイレクトに触るため」だ。
もし、彼女や奥さんが和装を身につけることがあったら、是非ためしてみてほしい。
脇の下にある穴、ここから手を入れることで、襟元を一切乱れさせることなく、ダイレクトに乳首を触れるのだ。
着物を着たままで、ダイレクトに、指先で、女性の、乳首を、まさぐれるのだ!!!!
このホールインワン乳首とも言えるダイレクトアプローチ感は、試してみないとなかなかわからない。
ひとことで言って至上である。
こんなところからも、乳首と乳首を愛する文化の奥深さがかいま見える。
長々と女性の乳首の魅力について語って来たわけだが、素晴らしさが伝わっただろうか。
女性の乳首の美しさ、尊さ、気高さがわかっていただけただろうか。
人間の女性の乳首は、乳児への授乳のためだけにあるものではない。
男性を魅了し生きる活力を与えるために、女性の乳首以上のものはないのである。
われわれ男性は、今後もおっぱい画像の収集に励み、女性の乳首をますます崇めたてまつろうではないか!
……と、言いたいところだが。
それを皆に伝えて、この文章を終えよう。
はじめておっぱいを触った http://anond.hatelabo.jp/20130416120520
【そして、名も無きおっぱい星人に捧ぐ】