はてなキーワード: わんぱくとは
わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい。
あのさ、
外食する、
うわー!って感動する感動がないのよね。
焼き鳥とかが小さいのよ。
もうわんぱく相撲で優勝した子どもちゃんも不満を漏らすぐらい焼き鳥が小さいの。
うーん。
原因はこれかーって
私なりに私なりの私なりのための結論が出たのよ。
それなら値段多少倍でもいいから
食べ応えのある焼き鳥を!って
今選挙の公約で焼き鳥デカくします!って公約掲げているところがあったら絶対投票するわ。
いまだかつて
投票行く行かないって論争あるけど、
実感としてなんか良くなったね!って言うことなくない?
私はそう思うわ。
でも焼き鳥屋さんの言い分も分かるわよ。
その分お肉を小さくしなくてはいけないのは分かるわ。
レンゲでミニラーメン作ってお行儀良く食べてくださいね!って言うのとは話が違うのよ。
そう思わない?
一口で一串全食べできる焼き鳥屋の串ってもはや焼き鳥なのかしら?って
これはお店側からのお客さんへ解釈を委ねる問題定義なのかも知れないし、
いろいろと考えさせられるわ。
旅行でもさ
県割りってあるじゃない。
焼き鳥の串をデカくして欲しいわ!ってそこに焦点が当たる朝まで生テレビでもじっくり焼き鳥を文字通り食べながら話し合って欲しいわ。
焼き鳥屋さんのそう言う串を見ると元気があるのかないのか分からないけど、
やったー!焼き鳥だー!って感じはションテンが爆上がりしないのよね。
まあそう言っても仕方ないので、
結局それないなかーい!って思っちゃうわ。
うふふ。
早朝から空いてる人気のパン屋さんでオムレツと海老フライのサンドイッチよ!
朝早く行けたら行きたいパン屋さんで
ラッキー!
美味しさの感動はワーイ!って感じで満足感あるわ。
そう来なくっちゃって感じよ。
スッキリとした喉ごしに爽やかな緑の風味が香るわ。
なかなかこの時期には嬉しいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
芥川賞直木賞の受賞歴と夏休みに課される読書感想文コンクールの大賞とはどっちの方が稀少でムズイんだろうか
芥川賞とかは作品出してる新人なら誰でも(つまり世代に無関係に)選考対象という意味で分母が大きい
読書感想文も少なくとも公立の全ての学校の子供が受けさせられるから母数は相当なもの
といっても全世代が受けられる芥川賞などと違って、大人になってから子供に紛れて受けるということはできない
読書感想文なんて文学賞に比べれば子供のわんぱく相撲みたいなものだと言っている人もいたのだが、
自分自身もまた、実力がまだ未熟な子供もときしか賞をとれる機会がないという意味では、難しさの単純な比較は困難
また読書感想文の方が簡単というなら、芥川賞直木賞の受賞歴がある人なら子供のころに
読書感想文の大賞を取ったという経歴を持っていていいはずだが、そういう人は寡聞にして知らない
どちらの方が難しいのだろうか
ネコチャンです
こないだは、
雨漏りのための
をして
雨漏り補修材を2度塗りましたニャ。
今日は
またもやマスキングをして
午前中は日差しが強いニャので
昨日雨が降ってたので
雨の日の翌日はやや抜きやすい👍
そして
門のところに
🦀カニさんが居ましたニャ。
動かないのは死んだふりしてた。ふりすんなよwww
ということで、そのまま見逃しちゃったけど
近所のわんぱくお子様たちがいたら
飼いたがるだろうなー。
午後。
ベランダにマスキングするためにジャージに着替えただけでも暑い。
そして午前中の熱線が~。
途中でへらを替えたらやりやすくなり。
両親の世話しながら塗った雨漏り補修材の
数年前の塗ったあとが生々しい上に
コンクリで溝を埋める……。
なんとか数時間で出来て
さっきみにいったら
ちゃんと固まってました。
なんでもそうだけど、
作業の後の片付けと
お昼は
夜は
緑茶たくさん
おやつがわりに
【ご予定】
明日は
手すりの下塗り
をします。
私は小型犬が大嫌いだ。
私のすねを丸かじりして血みどろになって幼少期トラウマになった。
(※慰謝料や、消毒、謝罪、なーーーーーんにもしてくれず、「あらあら私のワンちゃんわんぱく★」って感じだった。お母さんも居たのに)
結婚相手の自宅に行ったら吠える小型犬がいた。事前知識として持っていたし、吠えるのは番犬としては最適だけど、入りたくなかった。
誘われるまま仕方なく入り、その間も吠え続けられ、トラウマが蘇って部屋のど真ん中で目を見開いて号泣した。
その後、通ううちに犬と触れ合い慣れてトラウマもマシになった。
未だに、原因となった友人、犬は大嫌いだし二度と会いたくない。
でも、犬に対する感情は少し変わった。
好きな人も居れば、嫌いな人も居るさ。
「刺身が嫌い、あんなもん食えたもんじゃねぇ、食ってるやつ頭おかしい!」って言う言い方をしたりとか
急に言って周りの空気を壊すのでなければ、別に良いと思うなぁ。
お互いに「ふーんそうなんだー」で終われるようになるといいねぇ。
昼食を食べ終わった頃、お義父さんが今日の夕食の材料を買ってきました。
今日の夕食は「ハト」です。今日の夕食は「ハト」です。大事なことなので2回言いました。
丸々と太ったハトが3匹。真っ白、茶色の斑点、グレーとまだら模様と3種類。1匹50,000VND(約250円)で買えるそうです。田舎の価格からすると結構高い食材なんじゃないかな。
鳩が3羽ビニール袋に入ってる
まだまだ生きていて、懸命に逃げ出そうとします。
逃げ出す鳩
足が縛られていて、ほとんど飛ぶことはできません。
足が結ばれている
ちょっとグロい画像が続くのでモザイクかけています。クリックしたらモザイクなしの写真がみられます。
逃げ出そうとするハトをお義母さんが押さえつけます。このあと壁に叩きつけて、瀕死状態にしていました。
瀕死状態でおとなしくなったハト。かわいそうですがしょうがないですね。
せっかくなんで羽毛をむしるのを手伝います。
ハトの羽毛って意外とかんたんにむしれるんですね。ぶちぶちと抜けていきます。
残酷な作業に恐怖の顔を浮かべ甥っ子。この子はわんぱくでいつも走り回ってるんですが、こういうのはショックだったようです。笑
こんなこと言っても、親に失礼だとか、不妊治療している人に失礼だという意見が多いだろうことは重々承知だけど、なんか最近自分の中で不妊治療で生まれたってことが肥大してしまっていてしんどい。
医療の発達で不妊治療で生まれる子もこれからもっとずっとどんどん当たり前になっていくと思うけど、そういう子たちも将来思い悩むんでは、とか勝手に想像してしまってそれも勝手に苦しくなる。
近ごろ、なぜ両親は不妊治療してまで子どもを産んだのかとぼんやりずっと考えてしまう。両親は仲が良くない。仲が良い悪い以前に、「ちゃんと話し合って」物事を進める、みたいなのがない。
なぜそんな家庭環境にしたのか、そんな家庭環境でよく子ども生もうとか思ったな。
それに、平成10年生まれなんだけど、その頃ってそんなに日本はいい国だったの?産み落とすには十分な国だって思ったの?とかも思ってしまう。
「国」は置いといて、この子たちをできる限り慈しみ育て上げる家庭環境を作り上げよう、ママパパ同士お互いコミットしあおうね、ってちゃんと考えあって不妊治療しましたか?ってのも聞きたい。
あなたたちはなぜ子どもが欲しいんですか?それも自然妊娠でなく、なぜお金と労力をかけて不妊治療するんですか?どういう風に育てていこうか、そういうところちゃんと突き詰めて2人で考えましたか?話し合いましたか?
いろんなことを聞きたい。
責める、っていうつもりなんじゃなくて、ただただ確認したい。私みたいにどこか虚無を感じる子どももいるかもよってことをわかってほしい。
私が物事がわかるようになってきたころか(小学校高学年だったか)、不妊治療で生まれたってことをなんとなく知った。
母は、父の方に原因があったのよと憎々しげ言っていた。父の母に、子どもができないのを責められたこと、原因を視てもらえとそういう系の人を紹介されたこと、逆にその人に父の家の水子供養の不備を指摘され、それが原因といわれて父の母が慌てたこと。
一人娘で婿養子を迎えて子どもを産まなければならなかったこと。
私は大変だったのよ、と言っていた。実際大変だったんだと思う。
その時は全然言語化できなかったけど、言語化できなかった思いはイシューの種となり埋められていたようで、自分が成長するにつれてどんどん芽が出て伸びてそして絡まった。
今思えばいろいろ絡み合っていた。
という思いと、
私はそこまでして母を苦しめて産まれてきたのか?という思い。自らに加害性をも感じている。
それに自然妊娠じゃないんでしょ。なんか人工的だし、人間ってなに様?とすら思う。
不妊治療は心身ともに女性の負担がとても大きい。ああ残酷だ。そこまでして産まれてくる命。
不妊治療って今、保険適用とか言い出してるしもっとポピュラーなものになると思う。で、ポピュラーなものになって、誰がなにが救われるんだろうとか考える。
産まれてくること、出生自体苦しみなのに不妊治療で「がんばって」「むりくり」産まれてきた私の存在ってなんなんだろう。ナチュラルじゃないとか思ってしまう。
今も多くの夫婦が不妊治療していると思うけど、なぜ未だに多くの家族がお金と労力をかけて子どもを持とうとするのかよくわからない。家族の最小単位って夫婦のはず。愛の結晶とかいう幻想に惑わされないで欲しい。そもそも愛は見えませんしそういう人はやっぱり子をかすがい化するんですよなぁ。
令和になっても多分いつの時代になってもママじゃないと、パパじゃないと肩身が狭いんだろうな。わかる、わかるけどそんな理由で不妊治療するのだとしたら、なんだか本当に残酷です。
「子どもを持ちたい」って簡単に言えるし、簡単に実現できる世の中だけど、その「子ども」って赤ちゃんとか5歳とか小学校のわんぱく盛りだけじゃないんだよわかってるのかな?って思う。19だってあなたの子どもだし、成人したって25だってあなたの子どもだし、40だってあなたの子どもだよって感じ。
不妊治療して産んだとしたならせめてその子には必ずこう言って欲しいです。ずっと言い続けて欲しいです。
「あなたに会いたくて会いたくて産んだんだよ」って。