はてなキーワード: よしことは
数撃てば当たる戦法で条件に合致したところにはすべからく応募しまくって
面接まで辿り着いても、面接終わった瞬間に「よしここは不合格だから次探すか」って昼飯食いながら求人を見る
スケジュール的にきつそうだったら優先順位の低い求人はこっちからお祈りメール送信
いけそうならとりあえず予定突っ込んでおいて、3日ぐらい前までにどうするか決める
ってやればメンタルやられないし効率的に数こなせますよって言ったら笑われたけど
「〇〇だったんだけど、合格フラグかも!?」とか考えるだけ無駄だから、その時間で新着の求人見てた方が捗るわ
未経験の転職なめんなよ。学歴ショボい、短期離職アリ、実力0、適正不明人柄不明の人間を青田買いとかやるわけねーだろ
そういうののお試し動画を見ると5秒くらいで映像をつないでいて
テンポが良くてわいのチンポもいい感じなる。
しかし、よしこれならと購入すると当たり前といえば当たり前なのだが
ワンシーンはもっと長く編集されていてだいたい射精まで何分間かの動画になっている。
まあそういうのが定番なんだろうけど、わいはそいうの飽きてくるから
もっと短い尺のやつを次々とつなげていって欲しいんだよな。
それだと素材が足りなくなるだろうから同じ動画をリピートすることになるんだろうけど
それはそれでいい。
チンポの具合もよくなってくるので
是非そういうのを出して欲しいし
そういうのはタイトルでわかるようにしていて欲しい。
さらにタレントでソフトウェアエンジニアの池澤あやかからは「ここ数日、表現の自由と児童ポルノ規制に関する話題で日本共産党が炎上していたが、主張に矛盾はないのか」との質問が出た。
吉良氏は「矛盾はない。ジェンダー政策の部分で言っているのは、子どもに対する性暴力は絶対許さないということだ。児童ポルノも子どもへの性暴力だから許されないということだ。ただし、児童ポルノという言葉を使った表現規制ということに対しては明確に否定している。表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」と答えた。
氏の見解が共産党の見解と一致しているのであれば、共産党は実在しない青少年を対象にした二次元ポルノも「児童ポルノ」であると素朴に定義しており、ゾーニング(実際に一部の例外を除けば既に大部分の店舗や商業施設では18禁コンテンツのゾーニングは完了していると思うが)や、児童ポルノはマズイよね(実在の児童を対象にした児童ポルノなら当然であるのだが)、儲からないよね(これがよくわからない、その手の漫画やアニメのニーズを欲求ベースで消滅させる=その手段に民主主義的な合意形成を用いるということなのか?どうやって?)という合意(これ本質的には合意というよりも市場)が形成されることによって、児童ポルノクリエイターの自然消滅を企図している様子だ――このマニフェストを俺は【児童ポルノ自然消滅計画】と仮称したい
【児童ポルノ自然消滅計画】、字面だけ見れば素晴らしい計画の様に思われるあたり皮肉が効いててええじゃないか
俺は震えた、なぜなら俺の命とは陽と血と詩と「さよならを教えて」によって満たされた器に他ならないからだ
この共産党の見解に基づけば、「さよならを教えて」は確実に児童ポルノとして認定され【児童ポルノ自然消滅計画】による滅殺対象にされてしまうではないか
俺にとって「さよならを教えて」は人生のバイブルだ、信仰の対象だ、憲法第20条だ
俺にとって共産党は確かな野党だ、国政の安全装置だ、憲法第25条だ
俺は迷っている、選挙権を獲得して以来常に比例は共産、小選挙区は立憲民主党に投じてきた
俺は第二次安倍帝政以降の自民党政治が嫌いだ、そして資本家も投資家も嫌いだ、ぶっちゃけ資本主義が嫌いだ、ヨハンモストによって物されマルクスが改訂した「資本と労働」を読んで以来俺の自意識は真っ赤に燃えている
だが共産党は今回の選挙において野党第一党である立憲民主党とその他の泡沫政党と協力して候補者を一本化し、政権交代の果ての果てに【児童ポルノ自然消滅計画】の実行という青写真を描いているんだ
俺にとって「さよならを教えて」は共産主義者にとってのマルクスの「資本論」、マルクス&エンゲルスの「共産党宣言」と同等以上のバイブルなんだ
俺の世界にとって「さよならを教えて」は日本共産党よりもよっぽど世界の真相なんだ
日本共産党がもし本当に「さよならを教えて」を児童ポルノ認定するような政党であるというなら、俺は今回の選挙、共産党に「さよなら」を告げざるをえない
幼稚な「女の子母親」のケア役として調整された子供達の末路を憂いています
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
むすことおやすみってタッチしたらマザコンって言われるのか……
うちは行ってきまーすってたまにハグするしソファに座ってると隣にくっついてくるし手つなごうよ~ってベタベタしてくるから大丈夫かなって思うこともあるけど、むすこから来るうちは受け入れることにしてる。
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
今朝むすこがわたしと夫にベタベタしながら「ぼくさ、多分反抗期来ないと思うよ。だってパパとママが好きすぎるもん」って言ってたんだけど大丈夫かな
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
そう言えばむすこが帰ってくるなり「参観日きてくれてありがとう!ママが1番かわいかったよ!!」と言ってきたので昨日のプリントの件はまぁ許そうと思う。
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
しかも同じクラス同じ部活のわたしのお気に入りイケメンくんがわたしのことキョロキョロ探してわざわざむすこに「来てるよ」って教えに行って、「お母さん髪の毛の色かえた?」って言ってたらしいんだけどめっっっちゃんこかわいくない!!!??
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
って言われたって言っててウッヒョーーってなったよマンモスうれP!!!
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
昨日、顔周りの髪の毛がくるんって上手に巻けて、むすこに
ねぇねぇここ上手に巻けたんだよかわいい?
って訊いたら
5.陽気婢 2×1
7.藤丸 ラブミーテンダー
21.こっぽり生ビール 宵はじめ
26.長月みそか あ・でい・いん・ざ・らいふ
27.雨がっぱ少女群 小指でかき混ぜて
30.てりてりお な美らる
38.軽部ぐり ふしだらハニー
40.いーむす・アキ いーむすまみれ
41.翁賀馬乃介 粘膜
50.ぢたま某 聖なる行水
51.胃之上奇嘉郎 BLACK MARKET +PLUS
52.石川シスケ あなとも
53.みちきんぐ 主従えくすたしー
58.法田恵 イナカナかれっじ
62.馬鈴薯 かわいげ
63.鉢本 性欲群青
65.南北 みんなのお嫁さん
67.Kanbe 痴戯のナカ
71.緑のルーペ ガーデン
81.Reco てんぷてーしょん
85.ひげなむち みすでぃれくしょん
88.皐月芋網 痴的性活
95.六角八十助 とろとろにシてあげる
96.終焉 めすさかり
97.かるま龍狼 はだかな
……ん?
https://anond.hatelabo.jp/20200324160510
保護犬の成犬を引き取った話の続きです。
このご時世なのでリモートワーク暮らしとなって以来、今年初めて飼い始めた犬と接する時間が増え、様々な経験、発見があったのでここに記す。なお俺も嫁も子供の頃から犬も猫も大好きで子供の頃は住宅事情、大人になってからは仕事の事情も加わり一度も飼う機会のないまま歳月が過ぎ、今年念願の初めての犬を飼い始めたのだ。なので「そんなことも知らなかったのか」とか「そんなの当たり前だろ」とか思うことも書くかも知れないがそこはご容赦頂きたい。なお「保護犬と過ごした」と過去形で書いたのは単にリモートワークが終わって今は出社しているからで、犬が死んだわけではない。元気いっぱいである。
嫁は最初から「〇〇〇〇」と名づけて日常ではそれをもじって「〇〇ちゃん」と呼ぶつもりだった。要するに例えば「八兵衛(仮)」と名づけて「はっちゃん(仮)」と呼ぶようなものである。俺は保護施設で呼ばれていた名前の方が本犬が混乱しないんじゃないかと思ったが、実際には杞憂であった。
犬は自分の名前を何となくではあるがすぐ認識した。いやこの犬が並外れて賢いだけなのかもしれないが、響きとアクセントで認識したのだ。窓際のカーテンの下に寝そべる犬を「こうすけ(仮)!」と呼んでもキョトンとした顔でこっちを見ている。だが自分の名前である「八兵衛(仮)!」と呼ぶと尻尾をびたんびたんと床に叩きつけ始める。「はっちゃん(仮)」と呼んでもだ。ただ「こうちゃん(仮)!」と呼ぶと同じようにびたんびたん始めるので、そこまで精密な理解ではなさそうである。そして俺が「呼んだだけだよ」と言うとやがて「用もないのに呼ぶなよ」と言いたげに前足に顎を乗せそっぽを向くか「まあそう言うなって、ほらボールだ」とボールを咥えて寄って来る。
大好きである。ただしこの犬、体重が27キロある。それでもお構いなしに乗ってきて抱っこをせがむ。向かい合うように縦にする抱っこでもいいのだが、人間で言うお姫様抱っこが好きだ。ただし俺たち(特に嫁が)が立った状態では瞬間的な抱っこしかできないことを学んだか、ソファや椅子に座っているときに膝の上に無理やり乗って抱っこさせる。この習慣があるから後述のSkype中での乱入もし始めたのかもしれない。
動物は相当リラックスした状態でもない限り仰向けにならないと思うのだが、この犬はいつまでもお姫様だっこ仰向けになって反り返る。それをこちらがしばらく放置していると顔をこっちに向けて「おい、なでなではどうした」と催促してくるのだ。ちなみにひとしきり撫でてもらうと体を反転して「今度はこっちね」となる。
リモートワークになって以来、家のPCでSkypeを使うようになった。基本的にはチャットを開きっぱなしで通話はあまりしないのだが、たまに通話していると犬が不思議そうに寄ってくるようになった。何か四角い画面に向かって俺がペラペラ喋っているのをずっと観ていたからだとは思うが、やがてあの着信の「ぽんぴんぽんんぴんぽんぴんん(わかる?)」アラームが鳴るといそいそと隣の部屋から来るようになった。始めは遠慮がちに机の下にもぐり込み、俺の膝の間から俺の顔を見上げてるだけだったのだが。やがて俺の膝の上に飛び乗り無理やり座るようになった。
ちなみにこの犬、レトリバーとポインターの雑種と思われ結構大きい。そして俺もやや大柄ではあるものの大型犬を膝で愛でるほどの巨人ではない。と言うことは犬にとって俺の膝の上でこの姿勢は窮屈だしおさまりが悪いはずなのだ。しかし無理やり俺の膝の間に無理やり座ると画面に向かって「こんにちは犬です」とやるようになった。画面の向こうの相手は高確率で「おお!可愛い」と笑顔になっているはずだ。なぜ「はず」なのかと言うと俺の視界は犬の後頭部で阻まれているからよく見えない。
定時連絡も含め一日4~5回のアラームが鳴るたびに犬は家のどこにいても駆け寄って来て、そのうち2~3回はこのように割り込んで来るようになった。
犬は散歩が好きである。もちろん運動が嫌いな犬もいるだろうが概ね犬は散歩が好きであり、うちの犬も好きだ。しかし毎日朝晩の散歩をしているうちに気づいたことがある。それは散歩で大事なのは「距離よりルーティン」であることだ。うちの犬の散歩は道路に出て左に曲がり、家のある区画を一周するショートバージョンと、同じく右に曲がって河原まで行くロングバージョンがあるのだが、いずれのコースのときも上機嫌である。まるでパトロールをするかのように「うむ、この電柱は今日もいい匂いだ。この草むらもいい匂いだ。よしここでうんちすることするからちょっと待ってくれ」と言った具合にだ。蛇足だがうんちしてる所をこちらが凝視していると「何見てんだよぉお前はうんちしないのかよぉ」と、上目遣いのとても情けない表情になって面白いからつい凝視してしまう。ちなみにおしっこのときはそうでもない。
そんな日々のルーティンのコースから、たまに飼い主の都合でちょっと寄り道するため違う道に行くと、犬がこっちを見上げる回数が増える。さすがに踏ん張って抵抗まではしないものの「ん?こっちか?どうした?」と何度も見上げてくる。その寄り道が犬とは関係のない飼い主のランダムなルーティンで、やがてその道を覚えたとしてもそれでも犬にとってはそれは「散歩」から「ご主人のお供」に切り替わるのだ。実際寄り道をすると犬はトイレをしない。
いずれの散歩からの帰宅でも犬は家が近づくと引っ張り気味に前に出て、道路から正確に俺の家に入り玄関でばっちゃばっちゃと水を飲む。そうだよな、わかってるんだよな、ここはお前の家だから当たり前だよな。
好きでも嫌いでもないが、他の犬が吠えても「ん?犬が吠えてるぞ?」と言った様子で相手にせず、おとなしくおすわりしている。だが俺のそばにぴったり体を寄せて座ってる所を見ると緊張はしているようだ。ちなみに俺も嫁も緊張している。獣医に来たのは、昨日の夜の散歩で何かを踏んだらしく後ろ足の猫で言う肉球と呼ばれるゴワゴワプニプニした所から血を流していたからだ。帰宅してからすぐにお湯で洗ったし血も止まったが大事を取って獣医に来たわけだ。リモートワークで良かった。
ちなみにここの獣医は患者を呼ぶとき「増田さん」とは呼ばず「増田さん、犬くん」と呼ぶ。そうして呼ばれて診察室に入ると、いかにも動物大好きって顔に書いてある初老の先生と、奥さんだろうか険しい表情の看護師さんがいる。とりあえずライス国務長官をイメージして欲しい。俺が抱きあげて犬を診察台に載せ、ライスが犬の頭の横から肩にかけてなだめるように撫でると犬も落ち着いたようで軽く尻尾を振った。すごいぞライス。
昨日起きたことを説明して、そしてこの犬の出自や、俺たち夫婦が犬をずっと飼いたくて遂に飼い始めたんだけど飼い方がおっかなびっくりになりがちなことまで話すと、先生はまず犬の傷口を診て「傷もふさがってるし綺麗ですね。問題ないと思いますがしばらく無理させないように」と言ってくれた。そして「僕は犬猫にはどんな症状でも必ずやるんで」と触診を始めた。するとライスが青いピッタリした手袋の包みを取り出して先生に渡すと、犬の向きを変えて正面から軽く犬の上半身を抱く押さえる感じで抱きしめた。「はい犬くんお尻を失礼」と手袋をはめた先生がも尻に指を突っ込んだ。ライスの肩越しから見える犬の表情は絶望的になり「おい!ご主人助けて!こいつ俺のお尻を!俺のお尻が!!」と言わんばかりに、暴れたり唸ったりはしなかった分、目だけが鬼気迫る圧力で必死に訴えていた。
最後に犬にあげてはいけない食べ物リストという小さな紙を渡して診察は終わった。やはり初めて飼うことを伝えておいて良かった。このリストを見ると「まあそうだろうな」という品目が並んでいたので、俺が「これに書いてませんが魚の骨とかはいいんですか?鶏の骨はなんかガラスみたいに胃の粘膜を傷つけるとか聞きますが」と言うと「一番怖いのは中毒です。そのリストにあるものを与えると高確率で中毒症状が出ます。あとはあげ過ぎです。それと鶏の骨の成分で内蔵を傷つけるなんてありません」と言う意味の答えを頂いた。嫁が真顔で「ケンタッキーの骨と〇〇の手羽先はあげていいんですね」と俺の家の食生活をつまびらかにするような質問をするとライスが「あそこの手羽先おいしいですよね!」と笑った。ライスもあそこの手羽先を食べるのか。
実は俺たちはそろそろ子供を作ろうと思ってる。いわゆる妊活って奴だ。しかし、すぐにできると思ってたのだが少し時間がかかっている。まだ医者に相談するほど深刻なそれではないものの、嫁がほんの少し不安に思っているようだ。なので俺は嫁を安心させる意味と本心の両方からこう言っている。
10年以上フィギュアを集めた私が、今回フィギュアを売るにあたって、自分の気持ちを整理するためにフィギュアに対する想いを長々と綴った。
業者さんに送った文をほとんどそのまま投げる。業者さんの名前は出していいかわかんなかったからとりあえず空白にした。
自分でも今後読み返せるようにしておく。あと誰かに読んでほしかった。
ーーー
今から十数年前。高校最後の年に友人から食玩フィギュアをもらったのが、私とフィギュアの出会いでした。
あのころはガチャガチャ・食玩フィギュアが多数存在しており、小さいながらにそのキャラクターの特徴が捉えられていました。ゲームばかりしていた当時の私に多大な衝撃を与えてくれ、自分のオタク趣味の世界が少し広がりました。バイト代をガチャガチャにつぎ込み、クローズド食玩フィギュアの中身を数少ないフィギュア仲間とトレードしていました。
翌年進学してすぐ、自分へのお祝いとしてショップで初めてのスケールフィギュアを購入しました。マックスファクトリーのアル・アジフです。この頃はフィギュアの購入者層も限られており、ギャルゲのフィギュアが圧倒的に多かった時代でした。
これは偏見かもしれませんが、当時学生だった私のオタク趣味の中でスケールフィギュアというものは、とても高額でありかつガチオタが楽しむものだとされており、とてもハードルが高いものでした。友人間でも冗談で「そっち(スケールフィギュア)に踏み込んだら終わり」という謎の感覚が浸透していたので、ショップで会計をしているときは心臓が早鐘を打っているようにうるさく、とても緊張したのを憶えています。大きい袋を持って帰路につき、自室の机でさっそく開封して台座に立たせました。まずはその圧倒的な存在感。ガチャガチャ・食玩と比べてその大きさもさることながら、それまで手の届く範囲にあったものとは圧倒的にクォリティが違いました。こんなすごいものがあるんだと、いろんな角度から夢中で眺めました。
そしてここからズブズブとフィギュア沼にはまっていきます。私はすっかりフィギュアの持つ魅力の虜でした。
この頃はメーカーによってフィギュアの出来に大きく差がついており、好きなキャラクターが出ても購入意欲がそそられないものもある時代でした。そのため私は自然と、知らない作品のキャラクターでもクォリティが高ければ買うという、造形買いをし始めます。
初めは大手メーカーのものから買い始め、原型師さんによっての造形の違いが分かるようになってくると、好きな原型師さんが作っていれば買うという原型師買いもし始めました。
社会人になると使えるお金も増え、より多くのフィギュアを手に入れられるようになりました。そうすると飾る場所も考えなければなりません。ガラスケースを購入し、大きな部屋に引っ越しするなど、更に管理のために室温なども考えるようになりました。
そうして現在、多くの素晴らしいフィギュアがリリースされる時代になりました。有名なキャラクターはほとんどがフィギュア化され、ハイクォリティで360度眺められます。その分値段が高くなりましたが、メーカーから比較的安価のものも出ており、可動やデフォルメ、プライズも素晴らしい出来で世に出ています。フィギュアの世界はこの十数年で大きく広がったなあと思っています。
そんな時、ふと自分の部屋を見回すと、未開封のフィギュアが積まれているのが目に入りました。いえ、今まで目を背けていただけで、本当は分かっていました。今の現状を、アル・アジフを買った当時の私が見たら罵倒されるでしょう。今の私は、惰性でフィギュアを買ってしまっています。
私の家にはガラスケースが3つあり、そこに100体ほどのフィギュアが飾られています。一年前くらいからそこに入りきらなくなってしまい、仕方なく積んである子達です。いつか飾るからね、と思いながらどんどん積んでいくフィギュア達。同時に作ってくれた原型師さんやメーカーさんにも申し訳ない気持ちが積み重なっていきます。
ケースを追加して飾ることも可能ですが、必ず限界が来ます。フィギュアの管理は箱から出して空気に触れさせた方が良いと言われていますが、あれだけ管理面にも気を付けていたのに今の私はそれすらできていません。さらに物を捨てられない・売ることができない物欲の塊の私は、どうしたらいいのかわからず悩み始めました。
こんな思いを引き摺って数か月、答えが見いだせないまま、近々引っ越しをすることになりました。今まで通りなら当然フィギュアも連れて行くのですが、悩んでいる自分が今まで通りでいいのかと言ってきます。今が引き際なんじゃないかと。
まず友人に譲ることを考えましたが、当時のフィギュア仲間はほとんどおらず、今の友人もだいたい同じものを持っていました。また、量が多いので個別に送るとなると手間もかかります。そうして私は、思い切ってネットでフィギュア買い取りを検索し始めました。そして見つけたのが「 」さんです。
決めてはこの「愛情買取」でした。先に買い取り依頼をした方の愛情紹介を読んだ時には、私と似た状況の方もおり、正直泣きそうになりました。
よしここで売ろう、と決めて買い取りオーダーをしましたが、やはりまだフィギュア達には未練があります。自分が惚れ込んで買った子達なのに、飾ることができなかった状況がとても悔しくて申し訳なくて悲しいです。でも私の手元にあったのではこの子達は輝けない、他の人の手に渡ることによって輝けるなら、それが一番いいんじゃないか。売ることに対して引っ掛かりを感じていましたが、こうして文章にして自分の想いをまとめると少し心が軽くなったような気がします。
「 」さんでは「娘を送り出すようなもの」と書かれていましたが、私の友人間では昔からフィギュア達のことを「養子」と呼んでいました。大げさかもしれませんが、まさに子を送り出す親の心境です。
私はダメな親だったけど、みんなに魅力がなかったわけじゃない。それぞれの造型美に惚れ込んで、迎え入れた時の気持ちは本当でした。これからは新しい家で存分にその魅力を振りまいて、きらきら輝いてほしい。みんな、幸せになってね。さようなら、ありがとう。