はてなキーワード: ゆとりとは
保育園のおむつ(+使い捨てスタイ+おしりふき)のサブスク、自分はめちゃくちゃ有難かった。
お昼寝布団一式もリース利用。
準備片付けや送迎の身軽さは、それだけで心のゆとりに繋がる。
持ち込みに比べれば確かに多少高くつくけど、何万円も差額が出る訳でもない。
その程度の差額で解決できるなら、有難く払うわ~という気持ち。
あと個人的に、持ち込みだろうとサブスク式だろうと、使用済みおむつの持ち帰りはどうしても許容できなかったのでそれも無い園を選んだ。(というか自治体が回収サービスに取り組んでるので無いのが標準)
使用済みおむつを持ち帰らなくて良いの、全国的にはまだまだ当たり前じゃないことが結構衝撃だったな。
園児の体調管理のため、らしいけど、いや、持って帰ったおむつの中身いちいち開いて見る…?
園側だって、わざわざ脱いだ後の汚れたおむつを個人別に管理、保管するの、めちゃくちゃ手間でしょう。
今の園は、下痢でお迎え要請あったりしたら、その時だけ「病院への持参用に取っときますか?」って確認して対応してくれる。すっごい有難い。
お金で解決できることはがんがんお金使います、という価値観が夫婦で一致しているので、共働き子育て、概ね順調に推移している。
結婚7年目30代で子どもは二人いるけど、今も月2~3で夜の営みあるよ
ずっと仲が良かったかというとそんなことはなく、人並みに第一子妊娠から1歳ぐらいまではすれ違いが多発していた
明確に関係性が持ち直したきっかけはわからないけど、多分妻の不安を取り除いたことだと思う。
貯蓄・教育費が将来どう必要になるかスプレッドシートでまとめて家計の可視化したのとか
家を購入したりとかね
家計の管理は自分がやることにしたよ。専業主婦に任せるとどうしても節約方面に意識が向いてしまうからストレスになると思って。
あと時間を無駄に浪費するような節約は辞めたよ。時間のゆとりはこころのゆとり。収入を増やせばいいだけ。
夜の営みというか親から男女に戻れるような時間と場所があればいいんだとおもうよ
自分のところは子どもを寝かしつけたら、晩酌しながらNetflixみたりゲーム一緒にやったりしてる
育休はとってないですけど(自営業なんでそういう制度がそもそもない)、私はかなり恵まれてる環境でほとんど仕事してないんで生まれて一ヶ月の家事は全てやりましたし、その後もほとんど家にいるんで半分ぐらいは家事も育児もやってたと自負してます。妻は専業主婦、両実家の支援は一切なし。
ヨッピーさんの本楽しみにしてたので発売日にさっそく買って読んで、で、感想。
「そこじゃない」
育児は大変!と思ってしまう、全ての人に届けたい育児ハック集!
家事に育児に仕事、全てを効率化してゆとりのある子育てライフを送ろう!
育児の大変さ=(子どもの手のかかり具合+家事の手のかかり具合+仕事の手のかかり具合)÷投入コスト
以下私が独断でまとめただいたいの内容です。詳しくは買って読んでください。
他の家事とかがいろいろあるから大変に感じるだけで、それがなかったら育児楽勝になるよ。
(私はこのへんで既にん?という気がしてる。)
で、洗濯乾燥機を買おう!とか服を一種類に統一しよう!とか宅食使おう!とか食洗機買おう!そういう話が続く。
次の章では運動して体力をつけろ、睡眠の質を上げるためにいい寝具買って朝日浴びてカフェインやアルコール控えて……みたいな話が続く。
さらに次の章では育児の最適化と題して、アレクサを導入してテレビのリモコンやタイマー使うと便利だよ、とか見守りカメラベビーセンサー便利、みたいな話。
次の章はお金の節約のために買い物でポイント貯めよう!ふるさと納税しよう!みたいな話。
だいたいこんな内容。
いや~~~~そうじゃないんだよな~~~~育児大変なのって私はぜんぜんそこじゃないんだよな~~~~
ヨッピーさんは本の中で育児を自動車の運転に例えてて、車の運転は短時間ならいいけどぶっつづけだと疲れるでしょ?って話をしてるんだけど、それは本当そう思う。だから交代ってすごい大事だと思う。
でも運転と全然違うのは、「目的地に到着したら運転が終わる、わけではない」ことなんですよ。そもそも育児には目的地はない。
育児の中で大変なのって「目が離せない」 「ずっとかまってないといけない」ことなんですよね、私にとって。
運転だったら休憩せずに目的地に走り続ければその分早く終わるけど、家事を早く片付けたからって子どもから目を離せるわけじゃない。
「育児のタスクなんて時間にすれば2時間ぐらいで終わる」みたいなことも書いてるけど、それだって同じ。おむつ替えとか食事とかは育児のうちの一部分でしかない。ずっと子どもを見てないといけないこと自体が育児の時間で、車の運転ってアクセル踏んでる時間だけが運転ですよね、まとめたら2時間ぐらいですよね、みたいな話されてる気がする。
そういう育児の長時間にわたる大変さから比較すれば、家事のタスクってそこまで大したことじゃない。ワンオペしてる人だと違うんだろうけど、うちは常に二人いたから家事の間は育児交代できてかえって気分転換になるぐらい。サービスエリアみたいなもん。
だから「育児ハック」というタイトルで私が期待してたのはこの退屈でずっと子どもと向き合っていないといけない時間をいかに減らせるか、退屈じゃないものにできるか、ということなんですよ。家事ハックは求めてなかったんです。
なのでちょっと育児ハックというタイトルからは期待外れだったな~って思った。
でもタイトルだけで内容思いこんで買った私が悪いだけで、Amazonの解説はちゃんと本の内容そのままなんで別にヨッピーさんが悪いわけではない。
それに家事ハックで提案されてた内容のうち服を揃える以外はだいたいもうやってることだったってのもあります。
体力つけろはそこまでやってないですけど……まあそれが言われてできれば苦労はないわけで。そもそも運動して体力つけるみたいなの、すごい地道な努力で全然「ハック」じゃないじゃないですか。
とそんな感想でした。ヨッピーさんエゴサしてるらしいから届くかな。もし届いたら退屈な時間どうすりゃいいのっての教えてほしい。
私は誰しもがそう望むように幸せになりたいと思っていた。それは我々の権利でさえある。しかしそれは法で定められなくてはならないほど、私たちに縁遠いものなのかもしれない。例えば社会的地位、経済的余裕、暖かな人との繋がり、夢や希望をこの地であくまで追求すること──。
これは生活に追われて疲れ果てたある女の手記だ。私はこんなくだらない文章を書くほど暇なのだ。それは決してゆとりではない。それに真実でもない。「何もすることがない」というのは恐怖なのだ。自分自身、もしくは人生の虚無と向き合うはめになる。それならこうやってスマホの白い画面に黒字を打ち続けるほうがよっぽどマシなのだ。
私はつねに漠然と死にたいと願っている。先に告白しておこう。私はうつ病者だ。だから歪んだ世界に生きている。そして発達障害(当事者)でもある。私の目に見えるものは本来の姿を留めていないのかもしれない。私は何重にも孤独なのだ。恋人も友人もいない。私は一人だ。いや、少なくともいま現在はと付け加えよう。
私には子どもが一人いる。
まだ幼い、母親の庇護を必要とするか弱い存在だ。私の苦悩の全般は子育てに起因するように思う。人より劣る私のような人間にはそもそも育児など不可能だったのだ。すでに夫だった(それ以前は恋人だった)男とは離別している。「孤育て」とは誰の造語かは知らないが、なんとも言いえて妙だ。
私の人生で誇れることがあるとすれば、それは離婚だ。自分で考え自分で行動し自分で決着を付けた。そして学びを得た。「私のことを粗末に扱う人間とはもう関わらない」夫はいわゆる“モラハラ”体質だった。デートDVもあった。でも私は気付けなかった。それを理解したのは最近のことだ。ということは私にもそれなりの成長があったのだ。しかし、もっと早くに気付いていれば傷は浅かったし、それから、それから、息子を産まずに済んだのだ。
私が心を病んだのは十代の頃だ。夫と出会う前だ。だから全面的に彼を非難することは出来ない。初めて行った産婦人科で、エコー写真を見た。モノクロのテレビ画面に不思議な抽象画のようなものが映し出された。そして写真を撮るカチッとした音が響いた。それで私にも分かったのだ、この腹のなかに何かが居るのだと。動揺して頬にしずくが伝ったのを覚えている。真っ白で消毒液臭い古びた院内。私にとって希死念慮は懐かしく親しみ深い欲求だ。だからこの一連の愚かで頓馬な騒動のなか、私は一つの結論に達した。つまり、子どもが産まれたあとに自殺しよう、と。私のその願い(この人生を終わりにしたい──)と胎児とはなんの関係もない。巻き込むにはしのびなかった。その程度の理性は持ち合わせていると自負している。
だが私は当初男に中絶を訴えた。私はまだ“女の子”でいたかったのだ。くたびれた子持ち女になるなんて、とんでもないことだ。子どもなんていらない、私には夢がある、そんな責任背負えない──などなど、私は空回りする言葉を口にした。男は泣いて反駁した。絶対後悔させない、幸せにする、土下座してもいい……。いずれにせよ上っ面な言葉が二人の間に投げ交わされた。その中で、男の涙も出産を決意した理由の一つになった。私たちの深刻で感情的な会話は回転寿司屋で耳目を集めた。あの人が泣くのを見たのはあれが最初で最後だ。希望のない結婚生活はすぐさま破綻し、ただの狂女と化した私を男は見切った。離婚は合意によるものだった。結婚は、結婚はといえば寄り切られただけだ。それに実家では死にたくなかった。「家」から出るための判断だったと今になって思う。
そして母親から望まれなかった子どもは今や四歳になる。つまり私は死ねなかった。ひどく臆病なのだ。だらだらした生を送り、日々は過ぎ去り、私は今日もただ生きているという苦痛に耐える。
16時半になると息子が帰って来る。彼には発達特性があり、療育と呼ばれる困りごとを抱えた子どもたちを支援する施設に通っている。青い車に乗った彼はたいていはご機嫌で帰宅する。そして「今日のご飯は? なんのおやつがある?」などと訊ねる。その都度私は答える。どうでもいいことを、どうでもいい感じで。
私たち親子をこの先待っているのはなんだろう、とふと考える。私の予想では、息子はグレるか引きこもるかのどちらかだろう。“軽度の発達遅滞”──、医者の言った言葉だ。
私が憂うのは──、また興味を惹くのは、私たち家族が年々機能不全家庭に成り下がってゆく事実だ。
曾祖母は戦争で夫を亡くしお茶お花の教室を開いては子ども二人を育て上げた、祖母は家業と家事育児を両立させ手作りの洋服を娘らに着せていた、私の父は男手一つで私を曲がりなりにも成人させた。では私はどうなのだろう。三十路の子持ち女、気ままなパート通い、充実した福祉政策にすがってその日暮らしをしている。闘病中だから仕方ないでしょ、が最大の言い訳だ。もちろん私は合理的配慮の必要を認める、国だってそう言ってる。だが私の怠惰と甘えはとどまることを知らず、日に日に心身が肥大していくのだ。もはや若くもなく、痩せてもいず、まぶたに色を添えるでもなく、唇はささくれだっている。元夫が愛した頃の可愛らしい私などとうに消失した。ミニスカートを履くことも今後この人生にはないだろう。
だがこの点において私は絶望していない。若さゆえの唯美主義とは残酷なものだ。それを脱して豚になるのだっていいだろう。“おばさん”にはセクハラも痴漢も起こり得ない、少なくとも私はそう考える。
閑話休題──と打ちかけて気付いた。この文の本論はどこにあるのだろうか。私の人生を言葉の力を借りて小説にし美化するため? それはそれで良いだろう。だが打開策にはならない。私は毎朝ダブルベットからのろのろと起き上がり息子を登園させる、夕方になれば電話が鳴り息子をアパートの外で出迎える。その間は私一人だけの時間だ。支援職の人々は「ゆっくり休んでください」と口を揃えて言う。でも物事を複雑化して自作の迷路に一人で迷い込んでゆくのは私の大得意だ。つまり安息などない。私は息子の帰宅を恐れる。逃げ出したいと思う。実際逃げ出したらどうなるか綿密に考えてみる。それもいいと時々思う。でもだいたいは「居続ける」ことを選ぶ。人生においてもそうだ。やめようか、どうしようか、でも面倒ごとは御免だ──結局私は生き続けることを選んで来た。それが正解だったのか、正しい判断なのか迷う。安易に出せる分かりやすい答えにはさほど価値がないように思う。あらゆる人間関係のなかで悩み苦しむこと、その明快な人生の定義を思い浮かべる時、もしかしたら私は幸福なのかもしれない。
2024/08/27 18:28
長年の自慰行為における乳首への性的刺激によるものかどうかは不明である。
先日、秋冬に備えてユニクロで鼠色のフード付きパーカーを購入しました。
とはいえ、残暑厳しい日々が続いたせいで家での試着すらしない日々が続いていました。
が、ようやく雨降って残暑弱まる。
少し涼しくなり気持ちにも余裕ができたのか、そうだユニクロで買った鼠色のパーカーを一度も袖を通していなかったと気づきました。
私はおもむろに立ち上がり、ユニクロの鼠色のパーカーをどこにしまったのか思い出すところから始めました。
その中にユニクロで10円だか20円だか払って買った茶色い紙袋の中に入った鼠色のフード付きパーカーがあるはずなのです。
ああ、わからない。
私の部屋の中ではあの茶色い紙袋はかなりの迷彩効果を発揮するようでなかなか発見に至りません。
私は何の取り柄もない男(女だと思ってここまで読んでいただいていた方すいません私は男です)ですが、癇癪だけは人の百倍ぐらい強いと自負があります。
隣近所に奇声が聞こえるのは間違いがないほど声を張り上げながらゴミ山からゴミを拾い上げゴミ山に向かって力いっぱい放り投げました。
するとどうでしょう、私の肩は信じられないほどの脆さでもってグニャッと歪んでまるで肩が外れたかのように激痛が走りました。
私は痛みに叫びました。
さきほどの癇癪の奇声にも負けないほどの声の張り上げ方です。
日頃、声を出すことがほとんどない喉はそんな叫び声を連続してあげてしまったことにより、もうそれだけで血が出てるんじゃないかと思うほどの痛みを感じました。
そして肩の激痛。
投球練習もせずにマウンドに上がればさもありなん。
子供の頃大好きだった侍ジャイアンツをふと思い出しながら涙流し、肩の激痛に耐えました。
でも、実際にはそれほど大したものではなく2分ほどしたら痛みはあるものの激痛はおさまりました。
そんなことをしているうちに当初の目標であったユニクロの紙袋を探しだし鼠色のフード付きパーカーを試着するという目的はすっかり忘れ果て、PCの前にどっかりと座るとエロ動画を見ながら明日のトレードについて思索を深めました。
ちょっと流し見してるつもりが自分が大好きな乳首舐め手コキのシーンが始まると集中してしまいます。
ああ、今日はまだオナニーする時間じゃないのにな、と思いながらオチンチンに手が伸びてしまいます。
、っとその前にティッシュペーパーの準備をしなければ、と思い部屋の中を見回しますがどこにティッシュペーパーがあるのかわかりません。
青い袋に包まれたエリエール+Waterがどこかにあるはずなのですがゴミゴミゴミのゴミの山の中のどこにエリエールがあるのか皆目見当がつきません。
また癇癪を起こしそうになりましたがさきほど声を張り上げたあとから続いている喉の痛みと、まだジンジンしてる肩の痛みがかろうじて爆発する私の感情を押し留めました。
私はユニクロのフード付きパーカーの試着をするという目的を思い出しました。
Mサイズを選んでおけば街がありません。
と思っていたのですがユニクロの中でも「U」というイニシャルが付け足されてるやつは油断がなりません。
今年の春に通販で買った黄色のシャツはMサイズを買ったはずなのに間違ってXLサイズが届いている!とまた癇癪を起こしそうになるほどデカイやつが届きました。
いやこれはXLサイズに間違ってMの札を付けたに違いないと思うほど大きかったのですがいろいろと調べてみるとどうやらオーバーサイズというやつでわざとそういう作りにしてるらしいです。
ですが正直これはやり過ぎだろうと当時思いました。
いくら大きめのサイズが流行っているからと言ってこれはやりすぎだ、と。
やっぱり物事というのはすぐにやり過ぎ、インフレになってしまうものでこれはジャンプの漫画と同じです。
子供の頃読んでいたドラゴンボールのようにすぐに戦闘力のインフレが起きるのです。
だからこそ適時適時に緊縮を行わなければ行けないのですが、世の中緊縮は喜ばれません。
綱紀粛正は必要ながら、それを旗振りするとスケープゴートされるのが世の常です。
うすいアンダーシャツのうえに試着するとサイズはぴったりでした。
着てみるとちょっと予想よりも厚手感のあるパーカーでしたがサイズは適度なゆとりがあるちょうどのサイズでした。
え?
驚きました。
夏のTシャツなどで乳首のある場所はここです、と主張するのは最早常識になっていました。
それはいい。
しかし、秋冬の決して薄手というわけでもない鼠色のフード付きパーカーで乳首の場所が明示されているのは納得感が欠けます。
色が悪かったのでしょうか?
黒にしておけば、黒にしておけば、もっと目立たなかったのでしょうか?
まあどうでもいいです。
これは着ません。捨てます。
大手IT企業に勤めて10年。入社当時は希望に満ちていたが、今やブラック労働環境が俺の精神を削り取っていく。
上司からの終わりなき要求、毎晩深夜残業、休日出勤も当たり前。さらには納期前の修羅場が終わったと思ったら、すぐに次の案件が舞い込んでくる。
俺の心と体は既に限界を迎えていた。
30代に突入した俺、彼女なし、非モテで童貞。そんな俺の未来は一体どうなるんだろう。
そんなある日のことだ。
いつものように深夜になってから会社を出た俺は、無意識に道路を横断していた。
反射的に飛びのく俺。
もしあのまま死んでいたら、俺の人生はどうなっていたんだろう。俺は一度、死んだようなものだ。
…もう限界だ。今までの俺を捨てよう。俺はトラックに轢かれそうになったことを転機に、人生をやり直す決意をした。
決意した俺は、退職届を叩きつけるように提出し、その日のうちに会社を後にした。
ある日、町役場の掲示板で「町役場 IT担当者募集」という求人を目にした。
今までのITスキルを活かせる仕事じゃないか。早速、役場に電話をかけてみると、なんと即採用。田舎の求人ってこんなに簡単に決まるのか?
それはともかく、これで俺も新しい生活が始まることになった。
初出勤の日、俺は役場に足を踏み入れた。
周りには地元の人々がいて、みんな穏やかな表情をしている。なんだか、これまでのIT業界のギスギスした雰囲気とは全然違う。
古いPC、紙ベースの書類、さらには手作業で処理される業務の数々。
どうやら3日かかるという資料の整理やデータの入力作業があるらしい。
こんな非効率なことをやっていたのか…と俺は驚きを隠せなかった。
「え?」
上司は驚いた顔をしていたが、俺は早速作業に取り掛かることにした。
例えば、エクセルのVBAで自動化するマクロを作成し、データ入力の手間を大幅に削減。
紙ベースのデータをスキャンしてクラウドにアップロードし、共有フォルダを作成。
さらにGoogleスプレッドシートと連携させてリアルタイムでの共同編集も可能にした。
その他、タスク管理には「Trello」を導入し、進捗管理を視覚的に把握できるようにするなど、次々と改善を行っていった。
「ほら、終わりました」
俺がにっこりと微笑むと、周りの人々は唖然としていた。
「す、すごい…!これまで3日かかっていた作業が、1時間で終わるなんて…!!」
拍手が湧き起こり、俺は周囲の称賛を浴びることになった。
俺は動揺した。
「あれ?な、なんか俺…やっちゃいました?」
周囲の評価は急上昇し、町役場のスーパースター扱いに。さらには、なんと女の子たちから告白されるという事態に発展したのだ。
と、いつも仕事のことしか話さなかった女史社員が、俺に突然告白してきた。
これには正直驚いた。俺みたいな非モテ童貞が、まさかこんな田舎で女性に告白されるなんて夢にも思っていなかったからだ。
それだけじゃない。田舎の空き家に引っ越してからというもの、なんと3人の女性と同棲することに成功した。
彼女たちはみんな俺に好意を抱いてくれていて、こうして俺の田舎転生生活は順風満帆に進んでいる。
毎日仕事も早く終わり、夕方には家に帰って猫と一緒にのんびりする。
あの頃の俺に伝えたい。無理をして都会で働かなくても、田舎にはこんな幸せな生活が待っているんだぞ、と。
10年ぶりくらいにお世話になるんだけどさ
とりあえずネットで出てきた近場のクリニックに電話しても新患の受付は停止してるとか
予約いっぱいで早くて来月、中には来年まで予定埋まってます、なんてところもあった
本当は明日にでも診てもらいたかったんだけど、田舎だから病院の数も多くないし、足伸ばせばどうにかなるかなーって思ったけど、ある程度通うこと考えるとやっぱり地元のクリニックがいいかなって
とりあえず来週の金曜日、運良く予約できたところがあるから有給使って診てもらおっと
カウンセリングとかも調べたけど、面談だと1週間は猶予持って予約しなきゃ駄目なところとかあるし、60分で一万円か〜って考えるとちょっと尻込みもしちゃう
でも直に会って聞いてもらうほうがそれはそれで良さそうな気もするんだよな
ゆとりですがなにかじゃねーか
元ネタをざっと見ると、発達障害特性の強い人を避けたいように見える
http://hhttps//www.youtube.com/watch?v=hh7BZCFO414
うつ状態になると服装に気を使うだけのゆとりがなくなる。なので人事としてはうつ状態の人を避けたいと思われる。
なお、発達障害はうつの合併率が高く、発達障害の人を避けるとも解釈できなくはない。
周りとうまくやれず、それとなく追い出されていることを意味し、こういう人は発達障害を持ってることが非常に多い。
発達障害持ちは協調性がなく、空気も読めず、コミュニケーションコストが高いので、発達障害を避ける意図があるものと思われる。
高卒のほうが残念な人が多いらしい。ここでいう残念な人というのは勉強をまじめにこなすことができても、
周りより能力的に劣っており、知能の面で問題があるということを指す。
知能の面で問題がある人は指示が理解できず、マルチタスクもできず、発達障害をしばしば合併しているからだと思われる。
発達障害持ちは前述のとおり採用されない特徴を兼ね備えている。
だが、元気がよく、口だけは調子がよく、おべっかを使うのがうまい人は問題を起こす確率が低いという経験則があり、
すると、面接も潜り抜けるが、仕事を始めた途端、馬脚を現し、様々な問題を起こしてしまう。
だから、元気だけよく、口だけ調子がいい人も採用されなくなってしまった。
かといって、声が小さく、内向的な人は陰口が多く、それはそれで周りのやる気をそいでしまう。
なので、明るすぎないというのが重要なのかもしれない。
今の会社は育休があるので、結婚後の子育てのために退社する必要なく、寿退社をするような人はすぐ逃げるらしい。
確かに発達障害持ちで、仕事自体つらく、結婚して逃げる人はちらほらいるので、あながち間違いではない。
こういうことを言う人はミスも多く、遅刻も多い。ミスを指摘すると他人のせいにするので扱いにくいらしい。
ここら辺も発達障害を持ってるパターンがあるので、発達障害を避ける意図があるものと思われる。
発達障害はしばしこのような会話をすることがある。また、境界知能もこのような会話をすることが多々ある。
どちらも、職場でトラブル招くので、このような会話をする人は避けるほかない。
ドアを強く開ける人、足音を立てる人、皿洗いで音がうるさい人は周りに気を使うことができない。
このような人は空気を読めない特性があり、発達障害を持ってる可能性が非常に高い。
この手の特徴を持つ人はメンヘラらしい。メンヘラというのは今は発達障害のことを指し、
安いからバスでいいかって思って長距離の夜行バスに乗ったことが人生で3回あるけど3回とも不快な思いをした
出発して間もなく吐いて、落ち着いたと思ったら1時間後にまた吐いてた 着くまでに3回ぐらい吐いてた
換気が悪くて臭いからこっちも吐きそうになった というか隣の席の友達は吐いてた
隣の席の人がずっと体中掻きむしっていて気味悪かった
虫刺されで痒いとかそういうレベルではなく、血が出るぐらいまでずっとかいていて、床にめくれた皮がポロポロ落ちていて汚かった
たまたま席が空いていたので、休憩のときに運転手さんに相談して他の席に移動させてもらえた ありがたかったが、服や荷物に皮がついたんじゃないかと心配で気分は最悪だった
3列式でゆとりのあるシートで、これなら大丈夫!と安心していたが駄目だった
隣の人がやはり汚かった
乗ってきた瞬間に刺激臭が凄くて、あーヤバい人だな、と覚悟した
ちょうどコロナ禍の頃だったので、ずっとくしゃみをしているのも嫌だった
見るからに変わった人だったのであまり見ないようにしたが移動中ずっと、髭を引っ張って抜いて床に落としていた 気持ち悪かった
また席を変わろうかとも思ったが、車内に二人しかいない状況で移動したらトラブルになるかもしれないと思い、怖くて移動できなかった
というか、前日時点でガラガラなのになんでわざわざ隣の席を予約したのか分からなかった
百歩譲って隣の席を選んだとして、隣に人がいるのだから髭を抜いたりするのはやめてほしかった
折角新しいスーツを着ていたのに
同年代の人は夜行バスなんてへっちゃらという人が多いが、嫌な思いをしたことがないんだと思う
何がいいんだよバスって 汚い人ばっかじゃん
0313 花と名無しさん 2024/08/14(水) 05:14:01.24
少女漫画の絵が白くて(または極端に黒くて)冷たい感じがするのは
ルッキズムや自己陶酔じゃなくて「ゆめかわいい」絵がベースだからである
本当はリターントゥオズみたいに温かみや感触萌えの表現もできたりする
少女漫画の絵に攻撃性がないのは、似非平和風の雰囲気に酔ってるのではなく
バトルの描けなさに酔っているのでもなく、女体に触り男に敵意を抱く男読者を読んで話を脱線させないためだ
プリキュアが「ごっこ=メタっぽい動きで」アクションして「浄化」する形で敵を倒すのも攻撃性がNGな理由が分かりやすい
オールバックやハゲが醜いと思ってるんじゃないし、頭の形が描けないのを誤魔化してるのでもないし
老人が皺入れた若者なのは画力がないんじゃなくて老人の中身が若者だからである
平成の少女漫画でもやぶうち優みたいに口の中にピンクやトーンを塗って歯だけを白くくり抜く表現もあったりする
口の中を描いちゃ駄目なんじゃなくて
オーラルセックスを想像させるネチョネチョした口内を描いちゃ駄目なんだと思う
「※ちゃんと笑ってます」と分からせて叙述トリックみたい表現にしないためである
作り笑いなら口は笑ってるのに眉毛がこわばってたり、苦笑いなら笑いながら汗をかいてたりする
相手を惑わす魔性、二面性は女の魅力だがそれは男向けの萌え漫画でしか描けないのである
少女漫画で感じてた違和感が実録?のエッセイ漫画で叩かれ出したのが嫌だった
ちむどんどんみたいなDQNしかいなくて共感できる人物がいない作風はオタ向けで多かった
女児向けでもおねがいマイメロディがこの作風じゃなかったか
マイメロとふたご姫は恋愛以外の社会問題のほうが印象に残るのに恋愛の話しかしないゆとり共が腹が立った
ID:/be4D89f0(1/4)
「日本の注目論文数が世界13位であった」というニュースが今更ながら読売新聞に載っていたので、日ごろ思っていることを書いてみる
出勤前のただのガス抜き
日本「質の高い」論文数はイランに次ぐ世界13位、過去最低でも文科省研究所「下げ止まりの傾向」…自然科学分野 : 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/science/20240903-OYT1T50055/
国立大学が法人化されてから20年、日本の大学における研究力の低下は歯止めがかからない。
研究力低下に対する危機感は、すでに10年以上前から言われていたが、文部科学省は長いことそれを認めなかった。
この記事のような明確なデータがようやく一般に見られるようになって、今になってあれこれ施策を出してきているが、どれもこれも遅きに失している。
大学の研究力がここまで低下した理由は、個々の教員の能力とかやる気問題ではなくて、完全に政策の問題。
個々の教員の努力でどうにかなるものではないということをはじめに書いておく。
国の研究力は(国内の研究者の数)×(研究時間)。あと金さえあれば向上する。
それがこの20年間、研究時間と金の両方が著しく減少している。
大学には金が無い、という話がネット上には溢れているのでここでは、教員の研究時間が無いことについて書く。
現状、ほんとうに時間がない。まったくない。
(わたしだって、ゆとりのある時間が確保できるのであれば、こんなところで愚痴を書かずに、ゆっくり腰を据えた研究をしている)
その原因の1つは明らかに「教育改革(笑)」に時間を投入しすぎているから。
この20年間、大学は教育改革w、教育改革w、教育改革w、そんなことばかり繰り返してきた。
これは、教育改革しないと文部科学省から予算が降りてこないからだ。
しかし、この教育改革(笑)と言うのは、ひたすらに教員の時間を奪う。それによって研究時間は大幅に減った。
学生はおおよそ4年間大学に在籍するだけで卒業していくから、その変化は感じにくいだろうし、すでに卒業後の社会人には今の大学の実情が見えていないだろう。
この教育改革には、学部改組、新規学科開設、ディプロマポリシーの明確化、カリキュラムマップ整備(笑)、シラバスの整備(笑)、成績評価の厳格化、学生からの不服申し立てへの対処法の整備、成績不振者のサポート、リメディアル教育(高校の内容の再教育)、海外留学支援、インターンシップ支援、情報リテラシー科目、データサイエンス科目の整備などなどがある。
反転授業、アクティブラーニング、グループ活動といった準備負荷の多い科目も増えた。
一般入試で入ってくる学生はひたすらに減少し、推薦、AC入試、各種特別枠で入学してくる学生が大半を占めるような大学もある。
一般入試を乗り越えていない学生は、基礎学力が怪しく学習習慣が身についていないケースも多い。おのずとサポートの負担は増加し(成績の悪い学生は呼び出して面談をしないといけない)、講義のレベルも下げざるを得ない。
アカハラ、パワハラは厳禁である。それようの講習も受けないといけない。学生に寄り添った学生の日常生活の支援、メンタルサポートも必要となってくる。
入試の多様化は入試業務の負荷増大に加え、オープンキャンパス、高校訪問、パンフレット整備、Webページ整備などの負荷も増やす(これらを教員がやっている)。
では、こういった教育改革によって大学を卒業する人材の質は向上したか。
おそらく底辺層、落ちこぼれ層の救済には一定程度貢献したに違いない。まさに我が国が得意とする、足並みをそろえて仲良く卒業しよう。という理想の実現に近づいているわけである。
(それでも、大学の教育は手抜きであって学生は遊んでいる、といつになっても非難される)
全体的に講義のレベルは下がった。授業への出席が求められるようになった。
初年次には、分野横断総合的な学習が重視され、専門を深く学ぶ機会が先送りされた。
その一方で、早くからインターンに参加し就職活動に取り組むことがあたりまえになった。総じて、深い学びの機会は失われている。
では、大学院はどうか。
大学院の重点化、大学院教育の実質化(笑)も、大学教員の負荷を確実に増やした。
修士の学生は増加傾向にあるが、残念ながら修士程度の学生は即戦力にはならない。
博士の学生や専任の研究員が減少し、修士の学生にも教員が手取足取り指導しなければならない。研究成果と言う面においては完全にマイナスの生産性だ。
こうやって育てた修士の学生が博士へ進学してくれればありがたいが、そうはならずに多くは就職してしまう。
ここ数年の博士進学実績は低下基調だ。日本のアカデミアは学生にも見限られている。
こういうった状況をスポーツ界に喩えるならば
国内トップクラスのスポーツ選手に対して、地元の中学高校の部活の面倒をみるのと同時にオリンピック出場を目指せと言うようなものだ。
さて、今後の展望。
これから少子化によって18歳人口が減少するため、ますます大学間の競争が激しくなる。一般入試を経ずに入学する学生が増えて学力は低下する。
活路を留学生に求めることになるため、ますます入試システムが複雑になり、学内には英語コースの設立が求められる。これは、新しく学科を1つ開設するのと同等の労力(つまり時間)が奪われることになる。
文部科学省(財務省)もようやく現状打破の施策を立ち上げ始めた。
博士の学生を増やすための支援を増やし、若手教員比率を高め、若手教員の研究時間確保のための取り組みを大学に求め始めた。
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、容姿、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
息子は中学生、一人息子。夫は三十代後半。私は四十代。
お盆に先立ち、中学生の息子は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。息子が出かけた夜、私の夫が、こんなことをいってきた。
「息子はチー牛なのではないか?どうにかチー牛にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう夫に悲しくなった。
実の息子に対してそんな感情を抱くのか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、いろいろな感情がよぎった。
チー牛という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、あの有名な画像と、牛丼店でチーズ牛丼を頼みそうな性格・人格、という、何か表面的なことだけだが。
私は夫に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」と伝えたうえで、なぜ息子を「チー牛」だと思うのか、夫の考える「チー牛」とはそもそもどんな存在なのか、尋ねてみた。
夫曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「チー牛」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性が見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、それによって逆恨みや卑屈さを増幅させる悪循環に陥るであろう男性の総称。
・この「チー牛」という言葉は、夫の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした息子への疑念が生じた。
・息子を「チー牛」と思った理由は、息子の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に息子が「チー牛」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして『チー牛』という概念を息子に当てはめようとするのか? 我々も例えば『ゆとり』とか『新人類』とか『さとり世代』とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずで、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(夫)そう感じてしまったものは仕方がない。息子がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。チー牛という分かりやすい言葉がある以上、それを使うのは当然だと思う
(私)私もあなたも息子の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその『チー牛』で何が悪いのかわからない。息子は何の非行もしていないし、逆にしていたら『チー牛』じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(夫)息子にヤンキーになってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべきだ。
(私)息子は中学生であり、親に関与できる部分もあれば、息子個人の未来もある。私たちが自分のやってきたことを息子に強制することはできないし、まずそういう人生観を伝える上で『チー牛』ということばを使うのが間違っているのではないか。
(夫)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、『チー牛』という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)息子には、まさか、面と向かって『チー牛』などと言ったことはないよね?
(夫)使っていない。(これは本当だと思う。息子が何かショックを受けたり夫を避けてる様子はないので。そう信じたい)
しかし、そのやり取りの中で、注意した私に腹を立てた夫の顔が真っ赤になっていった。怒りが頂点に達した夫は、私を5メートルほど吹き飛ばした。驚いた私は反撃しようとしたが、手も足も出なかった。夫の身体能力の前に、私の力は無力だった。
どうにかこの状況を打開しなければならないと感じた私は、秘密裏に開発されていた活性魔液を肉体に投与することを決意した。この戦闘薬は、体力や瞬発力、腕力などを一時的に強化するものだった。
再び夫と対峙し、彼の暴走を止めようとするが、果たしてどこまでやれるのか…。息子が今は実家で楽しくしてくれていることを願うしかなかった。
夫が、娘を、腐女子と言い出した
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
お盆に先立ち、中学生の娘は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。
娘が出かけた夜、私の夫が、こんなことをいってきた。
「娘は腐女子なのではないか?どうにか腐女子にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう夫に悲しくなった。
実の娘に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。
腐女子という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、BL(ボーイズラブ)を好んでいる女性、という、何か表面的なことだけだが。
私は夫に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ娘を「腐女子」だと思うのか、夫の考える「腐女子」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。
夫曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「腐女子」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう女性の総称。
・この「腐女子」という言葉は、夫の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした娘への疑念が生じた。
・娘を「腐女子」と思った理由は、娘の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に娘が「腐女子」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「腐女子」という概念を娘に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(夫)そう感じてしまったものは仕方がない。父親であっても異性としての視点があり、娘がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。腐女子という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。
(私)私も夫も娘の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「腐女子」で何が悪いのかわからない。娘は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「腐女子」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(夫)娘にスクールカースト上位になってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。
(私)娘は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、娘個人の未来もある。私も夫も、自分のやってきたことを娘に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「腐女子」ということばを使うのが間違っているのではないか。
(夫)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「腐女子」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)娘には、まさか、面と向かって「腐女子」などと言う言葉を使ったのか?
(夫)使っていない。(これは本当だと思う。娘が何かショックを受けたり夫を避けてる様子はないので。そう信じたい)
夫が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と夫は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。
個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも夫がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、娘に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。
しかし夫にとっては、娘が「腐女子かもしれない。腐女子だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。
ただ、私は腐女子という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。
だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度腐女子という言葉を知り、娘に当てはめてしまった以上、夫は娘に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「腐女子」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。
単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「娘が腐女子だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。母としての自分は、では「腐女子」に対する何かを打ち出せたのか。