はてなキーワード: ものづくりとは
で、お前さんの給料は、ここに書かれてる2002年から2005年の間にどれだけ上がったね?
でも、その間ずいぶんと手取りを増やした方々がいる。
日本では2002年1月から景気回復が始まり、名目GDPが14兆円増える一方、雇用者報酬は5兆円減った。だが、大企業の役員報酬は1人当たり5年間で84%も増えている。また、株主への配当は2.6倍になっている。
まあ、これをふまえて「オレは手取りを増やしたぜ」とか、あるいは依然として「会社が豊かになれば労働者の給料も上がるんだぜ」とか言い続けるなら、オレはあんたがどういう立場で物を言ってるのか少し疑いたくならないでもないな。
参考
高収益企業なのに「給料が上がらない」の声(日経ものづくり Tech-on)
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20070619/134454/
確かに意味不明だけど、別にただの日記だろうし、そんな突っ込むことの程もないとおもうんだけど・・・
まあ、おつきあい程度につっこむとしたら、
代わりに、じゃあそれがなんなのかは提案しないとだめだよね。
http://omake.accense.com/wiki/DoNotBeACraftsman
まず、大辞泉によれば、職人とは「自分の技能によって物を作ることを職業とする人」だそうだ。ソフトウェアは物では無いから、ソフトウェア技術者は職人ではあり得ない。へりくつに聞こえるかもしれないけれど、なんも解ってないで「ものづくり」だなんてどこかで聞いてきた言葉を使わないで欲しい。
まず、ソフトウェアは物です。せっかく辞書を引いたのなら「もの」という語も調べたらいいのに。前提からして間違い。そのくせ、その後の文章が全部、職人でありえる前提になっている。何のための前書きなのか意味不明だ。
百歩譲って、ここではソフトウェアを作ることが物を作ることの一種であり、ソフトウェア技術者が職人であり得るとしよう。すると、ソフトウェア技術における職人とは、職業としてソフトウェアを作る人のことだ。あるいは、プログラムを書いてご飯を食べる人のことだ。
ぜひ、百歩譲らずに論を詰めてみてほしい。「職人になるな」と言うのに、「そもそも職人ではあり得ない」のならば、何も心配しなくてもだれも職人になどなれないので、何の問題も生じない。
後半の文章は、「自分は技術についていけないから若い連中から搾取する側になる。」という宣言にすぎない。
すべての人がリーダーにはなれない。コードを書かない人間はソフトウェア開発チームのリーダーになるべきではない。コードを書きながら統率は出来る。コードを書かずに統率はできない。
大切なのは適材適所だ。年功序列の為のヒエラルキー作りで無駄なポストを増やしすぎる会社は、ソフトウェア開発には向かない。コードを書かない連中の大きなヒエラルキーこそが癌だ。昇給のためのポストを作るな。非マネジメント面での評価をどうするかしっかり考えろ。ソフトウェア開発はコードを読まずに判断する者が上にいたら成り立たない。大まかな開発方針ならそれでいいが、ソフトウェアという物の良し悪しはコードを読むのが一番早いのだ。コードを書かない者にそれを説明する事ほど無駄で困難で不毛なことはない。結果、コードを読まないが上の過ちの積み重ねで最良な判断から遠ざかる。
この国の最近の技術軽視はどうにかならんのか。若いころはとにかく技術を磨け。リーダーなんてのは、必要になったときに、ごく一部のそれに長けた人間が兼任すればいいことだ。歳をとっても技術を磨け。経験と組み合わせてコードを読み書き良し悪しを判断するべきだ。
旧帝大の経済学部を目指してますが、そもそも本当に文系のままで良いのかどうかで迷ってしまう。
最初、「この社会の仕組みや成り立ち、そして色んな問題(特に地域格差)の対処法を勉強したい」
と思って経済学部を志したんだけど、「経済の奴は勉強しない」「教授も実学的なことを教えない」とか聞くと
本当にこの道でいいのかどうか、迷いに迷って体調を崩しました。
工学部に行ってものづくりを学んだほうがいいんじゃないか・・・とか、
いやいや、二浪は親が許さないだろう、だとか。
何より、周りの同級生達が「全然そういう将来の不安なんて感じてない」っていう風なのに
自分だけこういうことを悩んでるのが凄い苦しい。
判定は結構いい線行ってるので、このまま志望校を受けたら通るだろうけど…辛い。
去年は全然悩んだりしなかったのにな??。
ソフトウェア企業の経営の文脈で「ものづくり」と言う場合はそれなりに意味が決まっている。
逆の状態がなにか、を考えてみればわかる。
単に部品を集めたり、下請けにやらせるだけのマネージメントなんかをやりたがる会社が多い。
そっちのほうが効率よく儲かるから。
中国みたいに人件費の安い国に対して競争力で勝てないというテーマがソフトウェア会社にはずっとテーマとしてあった。(今もたぶんある)
収支に危機感を持った会社はどんどん上流行程にシフトしていく。
自らはコードを書かないで、下請けにやらせる。
しかもなるべくすでに存在する部品を組み合わせる形で実現させる方向で。
実際にそのやり方は儲かる。
儲かるのだが、こういうやり方では技術を持った人間は育たないし、
プログラムの作成を外国に発注することになるので国内産業が空洞化する。
そういうことへの反省と、ある種の反骨的な決意を込めて「ものづくり」と言っている。
うん。そう。だから、その両方を持ってないと、ものづくりなんてやってらんない。
逆にそれができる人は、年齢もなにも関係なく、ものづくりを楽しんで続けてられる。
理想論でもなんでもなくて、それが現実でしょ。自分の意志でものづくりしてる人
ってのはそういうこと。
前記事ではつい感情的になって回りくどくなってしまった。
叩かれてめげないことが幻想?そんな一蹴されると悲しいなあ。というか、ものづくり、という言葉の指し示す先が食い違ってる気がするけど。
あなたが知ってるその「現実」ってなに?今自分がものづくりの現場にいて、本当にそれをものづくりだって思ってるなら、自分がそれをつくっている理由を自問しなおしてみるべきだと思う。それって創造的?ただの作業じゃない?
俺は、自発的な意志やこだわりが入らない作業なんてものづくりとは言えないと思っていて。それはmalaがLDRを作ってる理由だとかdankogaiがEncodeをメンテしてる理由だとか、そういうところに通じる。
まあ、あくまでプログラム書く人の視点なので、他分野だったら違うのかもだけど。でもどんな分野でも、自分が作ったものがすげー叩かれたから、ってやめるようじゃ、現実問題やってけないしそもそも向いてないよね。自分が悪いなら反省すべきだし、そうでないなら適宜反論するなりスルーするなり対処する。
個人的には、そういう経験積んでる人が一番いいモノの作り方を知ってるように思う。どんな分野でも。
自分の意志でものづくりしてる人だったらいくら叩かれてもめげたりしないよ。
どっちが正しいとかはどうでもいいが に関する戯言。
匿名ダイアリーを初めて見た俺がこのエントリを見て、なんか増田って人が滾ってるなあ、と思っちゃうのと一緒なんじゃね。色々話が混濁しているけど、そもそもの原因は、(この界隈での有名人を)自分が知らなかっただけ、という点だけでしょ。そこから、
こりゃこの業界が育たないわけだ。
とか、
他人の失敗に耐えられないのならもうそんなサービスやめてしまったほうがいいと思いますよ。
とかエクストリームすぎる方向に発散しちゃって、本人も収拾がつかなくなってる。
ってのは、失敗に耐えて(非常に面倒な思いをして仕様上本来は必要がなくむしろするべきではない対策をする羽目になった) mala の苦言だと思うけどね。俺も mala に関しては、ブログをいくつか全読みして mala が脱ニートして LDR の中の人になったってことぐらいしか知らないけど。
なんだかキチ○イな人が文句言ってるよぉ
と思ってる時点では、そもそもこれを字面通り受け取ってなんかいないでしょ。そこで終わってればよかったのに、わざわざ「周りが肯定的だったから」って思いっきり世間に流されて困惑して勝手に滾っちゃったのがこの結末。まぁ、
たしかにアメブロのやったことはかなりウザかったしキモイとも思ったけどクズ呼ばわりされるほどのことじゃないし何よりこの人の文章の方がひどい
という一文で、大体の認識のズレが見えてる。
自分が無知だったって気がついた時点で引かなきゃだめでしょ。議論を進めるのに無知は罪。
自分の意志でものづくりしてる人だったらいくら叩かれてもめげたりしないよ。
うーむ。僕が言いたいのは、環境の変化で、一点製作と大量生産の差は無くなってきてるよってことだ。それ以上ではない。ある商品を世に出す際に、いわゆる一点的な製造方式で製造するか大量生産的な方式で製造するかも(どっちが利益が出るかという意味で)微妙な判断になってきてる。差がなくなってきてる。一点製作が異様に安く出来るようになったとも言えるし、大量生産の商品の作り方がモジュール化なんかの影響で自作・試作品に近い感覚になってきたとも言える(そうしないとイマドキのスピードについていけない)。
ハンドについてはモノを見てないので印象だよ。これを書いたのは、最近の寿命も開発期間も短いものづくりを前提とした話で、元増田が大切にしてるっぽいハンドのことまで一緒くたにすんのは元増田に悪いかなあと思って(実際、時間かけてものづくりしてた時代の製品なんだろうし)。エクスキューズって奴だ。
アヤつけるのもどうかと思うのだが、気になったので。
ここには実例を出せないが、持ち込み企画には「いったい、誰が読むんだろう?」と思うようなものが少なくない。
自費出版なら、それもいいだろう。けれど、僕がやっているのは商業出版、ビジネスである。
ある程度の読者が期待できる企画でなければ、GOは出せない。
出版社に企画を持ち込んでもなかなか通らない人は、まずはその企画の「ニーズ」の有無を考えるべきである。
これは何も出版に限った話ではなく、「ものづくり」なら当たり前のことではなかろうか?
「ニーズ」に対して、自分の「シーズ」が活かせるような企画の切り口を考える。
そうやって、まず読者のことを考えて企画しなければ、なかなか採用はおぼつかない。
あなたの持ち込み企画が、通らない理由。(「シーズ」はわかった。で、「ニーズ」は?)
本の販売量が絶賛下降中、あんだけカスみたいな本が本屋で供給過多になってる現状をこの人はどう考えているんだろう。
出版業界のそれはそれは特殊な流通事情とか(流通フェーズがJASRAC並みの独占状態にあって、とんでもない手数料をピンハネしてたりする)を鑑みると、格好良いこと書いてても「パチンコ必勝法」を語るような薄さを感じるのよね。
http://anond.hatelabo.jp/20070426180318
Wikipedia は、ある程度信頼のおける第三者機関(あまりに弱小でない新聞社とか査読制度のある論文誌とか)の発表を参照することでその事実が存在することを検証できる場合に限り記事を書いていい、という風に厳格に定められてるので、具体的な都市伝説の事例を記事に書く場合、その都市伝説が実際に「伝説」という形で社会の中に存在したことを検証できなければいけないんだよ。逆に言うと検証さえできればセンスなかろうが書いて構わない(もちろん君がセンスのない記事を書くなと言ってないことはわかってるよ!)。
そんで、「都市伝説一覧」の記事はほとんどが出典を提示してないか、出典に信頼性が無いよね。つまり検証不可能。そっちの方が問題だなあ。
検証可能であることが明らか、もしくは検証可能なのではないかと(俺が)推測できる都市伝説を「都市伝説一覧」の記事から探すとこんなもんかな。ちなみに都市伝説が検証可能であるかどうかを判断するためには、「都市伝説とされる噂が実際に流れていたことが検証可能」「その噂が事実ではないことが検証可能」の二点を考慮しなければならないことに注意。
2006年9月30日読売新聞朝刊の3面で、ソニーが製作し他社製品にも供給しているノートパソコン用のリチウムイオン二次電池の回収問題に関連し、記名コラム"「ものづくり」の原点に戻れ"にて、「ソニータイマー」について、利用者の中には一定期間で故障すると指摘する声があるという内容の記述がなされたという記述がある。この新聞を元にソニータイマーという噂が流れていたことは検証可能だろう
臓器売買の為に大規模な誘拐団が園内で幼児誘拐を繰り返しており、ディズニーランド側もそれを黙認している。この事実がばれそうになると、ディズニーランド側はありとあらゆる方法で事件を隠蔽するについて)
三船敏郎が「男は黙ってサッポロビール」と言うCMが放映されていた頃、ある男子学生がサッポロビールの入社試験を受けた。しかしその男子学生は面接社員の質問に対し無言のまま何も答えない。怒った面接社員が「どうしてずっと黙っているんだ?」と聞くと男子学生は「男は黙ってサッポロビール」と発言。この発言で、男子学生は内定をもらったについて)
めんどくさかった。時間を無駄にしたような気がする。あまりにめんどくさくて、途中から「信頼のおける第三者機関の発表の中に噂の実態が含まれている」と「信頼のおける第三者機関により噂の実態が存在することが発表されている」の差に突っ込まなくなってるわ。
それにしても、明らかに「噂は実話だった」というタイプの、「都市伝説一覧」から排除すべきものも結構あるな。それはまた今度まとめるか。
いまさら言うのもなんですけど、ごめんなさい、課長。あなたが悪いのではないのです。あなたは良い上司でした。人間的にも憎めない性格をしてらっしゃいますし、今でも多分うまくやっていけたと思います。
でも、私は疲れました。私の中の倫理観や信念を押し殺して仕事をするのに。また、精神的な支援以外が全く受けられず、実質的には孤立無援であることに。そして定年までこの心を潰す状況が続くだろうということに。15年後に会社の荷物になって無理にかじりついているのであろうという予測に。
いえ、業務内容は世間一般からすればそう悪くはありませんでした。ベストではありませんが、ワーストでもないです。ただし、私の信じている信念が青臭くて特殊で、依存心が強く、心が弱かったのです。心と業務の相性が良くありませんでした。
苦しかったのです。ものづくりのふりをしてハリボテ、フェイク、偽物を作って納めるのが。
本物を作りたかった。
でも私に与えられたリソースは貧弱なPCが一台と、大学でたての自分の頭だけでした。何をどうがんばっても、フェイクになってしまいました。私の作る貧弱なものを貧弱なものとして納めるなら、あんなに苦しくはなかった。でも大きな顔をして画期的ですと嘘をついて売りに行かねばならなかったのです。
心が痛かった。
誰かに助けてほしかった。経験豊富な、師匠に導いてほしかった。こんなものはお天道様の下には出せないと、駄目を出してほしかった。
会社を辞めたのは、心が潰れたからです。自分に嘘をついてだますのが無理になったからです。
今の会社は、あらゆる分野の師匠であふれています、課長。毎日、私は安心して仕事ができます。そういうわけなのです。
改めて申し上げます。会社を辞めてしまって大変申し訳ありませんでした。謹んでお詫びいたします。