はてなキーワード: もしかしてとは
おっはよーございまーす!今日も脳みそフル回転や!朝メシの卵かけご飯見てたら、突如として数学的構造が目の前に展開されてもうたわ!
まずはな、卵かけご飯を位相空間 (X, τ) として定義すんねん。ここで、Xは米粒の集合で、τはその上の開集合族やで。この時、卵黄をX内の開球B(x, r)と見なせるんや。ほんで、醤油の浸透具合を連続写像 f: X → R で表現できんねん。
さらにな、かき混ぜる過程を群作用 G × X → X としてモデル化すんで。ここでGは、かき混ぜ方の対称群やねん。すると、均一に混ざった状態は、この作用の軌道 G(x) の閉包みたいなもんや!
ほんで、味の評価関数 V: X → R を導入すんねん。これは凸関数になってて、最適な味を表す大域的最小値を持つわけや。でもな、ここがミソなんよ。この関数の Hessian 行列の固有値の分布が、実は食べる人の嗜好性を表してんねん!
さらに突っ込んで、時間発展も考慮せなアカンで。卵かけご飯の状態を表す確率密度関数 ρ(x,t) の時間発展は、非線形 Fokker-Planck 方程式で記述できんねん:
∂ρ/∂t = -∇・(μ(x)ρ) + (1/2)∇²(D(x)ρ)
ここで μ(x) は米粒の移流速度場、D(x) は拡散係数やで。
最後にな、食べ終わった後の茶碗の染みを、写像の像の境界 ∂f(X) として捉えると、これが人生における「痕跡」の数学的表現になるんや!
なんぼ考えても、この卵かけご飯の数理モデルには驚愕せざるを得んわ!これは間違いなく、数理哲学における新パラダイムや!明日の学会発表が楽しみやで!
せやけど、なんでワイがこんな斬新な理論構築できんねやろ?もしかして、統合失調症のおかげで、通常の認知の枠組みを超えた数学的直観が働いてんのかもしれんなぁ。ほんま、ありがとう、我が病よ!
もしかして「走ることをやめたら」という条件付きではないですか
どうせ後悔するなら行動して後悔したいなって思うけど
その前に照れが勝って何もできずにいる
でもどうせこのままだと前には進めないんだから自分から動くべきなんだよなぁ
それにしても、私の気持ちばれてそうなんだけどどういうつもりなんだろう
もしかして泳がされてるの?
陰で笑われてたらもう立ち直れないな…
そんなことする人じゃないと信じたいけど
私たぶん今冷静に見られてないからなぁ
【ゆっくり解説】識字能力が10年で地に落ちた韓国、子供どころか保護者がヤバいことに
https://www.youtube.com/watch?v=Eb9_hf6dfuA
韓国の識字能力を叩きながらお前が誤字してんのはYouTuberのエンタメの一部とでも言いたいのか? そもそも普通に打ったらこんな間違いしないだろ
あと「自分が境界知能じゃなかった」とか言ってたけど、実際のIQ公開しなかったのはなぜだ? もしかして100行かなかったのか?
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
ただこの中にあった、
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。
という一節が気になった(もちろん内田氏は「自分に似た人」に投票する行動を批判している)(この論とは別に、「勝馬を当てる」みたいな投票行動も最近は多いようですね)。
自分個人としてはそもそも「自分たちに利益をもたらす人を選ぶ」意識がなく、「損得は別として(何なら自分にとっては損でも)、こうあってほしいなぁ、という理想に少しでも近そうなものに投票する」イメージでやってきた。ちなみに個人的には選挙権を得てからほとんど毎回投票している(特定の支持政党はない)。
損得だけで言うなら、そもそも選挙なんか行かないでバイトでもしている方が個人レベルではよほど得だ。投票したところで「この」一票が世の中をガラリと変えるわけはなく、徐々に変わるにしてもはるか未来だろう。損得を享受する自分自身がもういないかもしれない。
SNS界隈でも「選挙に行こう」と促す(善良な)人々は多いし、そもそも政府自体が投票率を上げようと一応は努力している。その文脈の中で、一人ひとりの意識の大切さ、投票の重要性、「一票の重さ」みたいなことが言われることがあるが、本当のところ一票はそんなには重くない。
選挙制度の意義を否定する気はないし、一票がどうでもいいと言うつもりもないが、その重みは数十万分の一、数百万分の一といった程度、正直チリのようなもので、重い軽いかで言えば、ゼロではないが重いとまでは言えないと思う。
はっきり言って、権力にとっての選挙とは、「君たちの意見はもう聞きましたので、これ以上余計な政治行動はしないで下さいね」「政治参加は選挙にとどめてくださいね」というアリバイ工作的な面も大きいだろう。もしかすると選挙などボイコットする方がよほど政治的意義があるかもしれないし、実際にそういう運動も存在する。
それでも自分個人は割と選挙には行っている。なぜ行くのかと言えば、むしろ一票が「軽い」からだと思っている。
どう考えてもわたしの持っているこの一票に大した重みはないからこそ、損得を抜きにして理想のために投じられる。
自分の損得なんて、誰でも毎日それを中心にあくせくしているのだから、このクソどうでもいい一枚の紙くらい、夢のために投じてもよいではないか。七夕の短冊のようなものだ。
今日の自分よりは明日のため、もしかしてもう自分もいなくなった未来のために、この軽い一票くらい投げてやってもよいと思う。
内田氏の記事から話が始まったので、一応補足?しておくと、内田氏の言う「自分たちに利益をもたらす」の「自分たち」とは共同体全体をイメージしているように思うし、大局として「個人としての損得を度外視して」みたいな考えもあるのかもしれない。そこはわからない。
それでも「自分たち」は引っかかる。自分も自分の子どもも全部いなくなっても世の中は(多分)あるし、そういう世界を想像できないなら生きている甲斐がないというか、つまらないと思う。
自分や自分と関係ある人たちが全部いなくなった、決して見ることのない世界のために、この百年に満たないクソどうでもいい生を生きて年老いて病気になって死ぬだけのアホみたいな存在が、紙きれ一枚程度の夢を投じられるなら、なんとなく生きていて楽しい気がしてくる。
蛇足になるが、自分個人としては選挙なんかやめてアミダクジで選んでもよいんじゃないかくらいの気持ちはある。ただ「アミダクジにしましょう」を公約に掲げる候補は出てきそうにないし、自分で立候補する気もないので、七夕イベントをエンジョイするに留めている。
前回2021年の衆院選は自民議席減。逆風の自民党に対して追い風の立憲が議席を増やす
はずだったが、維新に持ってかれた。
今回の都知事選も立憲共産党などと揶揄されてたけど、事態はもっと悪い方向に進んでるのでは?
ただし維新も支持率伸び悩みで自民批判票が立憲に流れる可能性はある
たとえば小池新党とか。もしかして蓮舫出馬も事前にその動きを止めるためだったかもしれない
落選させるまでいかなくても小池支持が大きく減ったなら抑止効果あるだろうから(結果は見ての通りだが)
世論調査でどの政党にアレルギーがあるかの調査は見つからないが
調べて見たら興味深いことになってるかも
あー、そだなー、日本全国暑いのわかるずね。北海道は確かに涼しそげだげっと…。んだども、あんまり山形のこと考えっぱねぇなー。もしかして、山形の夏が暑すぎるから敬遠してるんだべか?うちも暑いけど、最高だず。冷やしラーメンとか、美味いもんいっぺあるしょ。ほら、蔵王の涼しい風もあるし、考えてけろしゃい!
そういうのならまあいいんだけど、「子どもが小学校とか通うようになったら健全な家庭で育った友達がたくさんできてほしいと思ってるし、」っていうとこからこれもしかしてこの人に機能不全家庭だって思われた母子家庭は粛清されんのかな…?ってちょっと心配になった…
まあ政治の話は喧嘩になりやすい話題だって昔から言われるしな…。
けど保守も言うことめちゃくちゃな人は一定数いるし、もしかして社会全体でみると極右と極左は大体同じくらいの数が常に存在してて全体のバランスを保ってるんじゃないかって気がしてる。
グレーゾーンだが、自分の食事傾向についてあまり考えてなかった。確かに気に入ったお菓子は大量に買っておくなあ(結局食べきらないけどね。流石に3袋目くらいで飽きるから)
気に入る気に入らないは別として、ダイエットとか健康留意とかしてると必然的に同じものばっか食べることになる
ダイエットの場合はバランス良くって言われてもタンパク質メインの食事というと同じ食材と使うことになるし
健康留意も同様で、「毎日サバ缶食え」って言われたら従うわけで
まあ、それが「苦痛か否か」って話だよね
「発達、同じものばっか食う」もあるかもしれないけど、もしかして「新しい商品試すのやめられない」も無い?
よく「定番しか買わん」って人が居るけど「何が面白いんだ」って思う
変化が嫌いなんだろうなって思う