はてなキーワード: むずがゆいとは
みんなすごいなー!
自分の、ものすごい「内なる感情!」みたいな、半ば哲学者のような、中二病みたいな、アツい思い、
そうゆうのって、本を読んだり、日常生活でも、抱くことがある。
それをブログに書いたら、同じような場面に出会った人や、同じ本を読んだ人が見たりすると、もしかしたら楽しいのかもーと思うんだけど、残念なことに恥ずかしくて書けない。
ネットの友人に見られるのも恥ずかしいのに、大学の友達に見られたときなんて、恥ずかしさで軽く死ねるくらい、というか、
自分のことを深く知らない人に、そういう記事を見て、そういう先入観をもって接されるのもむずがゆい。
でも書きたいなー。
たぶん、どこかしら潔癖っぽいところがある俺は、記事を書いても我に返って、それを消したりしてしまう。
自分の読んでる本とか、その感想を、ガンガン書いていける人って、すごいな、と思ったとです。
思いをさらけ出すことが出来る人ってすごいな
某氏のオナ禁日記まとめの続き。
2008/11/29(土) 00:18:09
【3日目】
今のところ生存。
昼までは特に問題なかったが、夜になって自然に起ってきだした。
これからが勝負所。
ちなみに、さっき、トイレに行ったら、勝手に勃起して、小便出来なかった。
収まるまでトイレは我慢。
ついでに前回リセットしたときの詳細を報告する。
8日目の朝、ムラムラというより、チンポから何か出そうでむずがゆい状態になった。
仕事中勃起する訳にも行かず、もちろん、精液を漏らす訳にもいかないので、オナ禁を断念してしごいた。
久しぶりにオナニーをするのでじっくりしたかったけど、仕事前なので、あまり疲れないようさくっとしごいた。
いつも行くときはドロっという感じで垂れるように出てくるくけれど、さすがに1週間以上溜め込んでたら、勢いよく出てきた。
量も2倍くらい出たと思おう。
2008/11/30(日)
【4日目→リセット】
そろそろ金玉が精子で満タンになってくる頃だが、それほどムラムラしていた訳じゃないけど、家に帰ると、あるオナニーをやりたくなった。
そのオナニーとは・・・。
チンポの先に絆創膏を貼って、行っても出せないようにしたらどんな気分なのか?試したくなった。
普通に竿をしごいてオナニーすると4日間溜め込んだだけあって、あっというまに行った。
でも、出さないと意外とムラムラ感は続いた。
しかし、張り付いた絆創膏がちゃんとはがれるか心配になって、ムラムラ感を押さえて、絆創膏はがしに取りかかった。
やっぱ粘膜に直接絆創膏を貼るとヒリヒリした。
ほんとはいった後、小便してみようと思ってたんだけど、怖くなってやめた。
2008/12/01(月)
【1日目→リセット】
前日使った絆創膏は通気用の穴がないやつだったので、精液が全く漏れださなかったが、今回使用した絆創膏は通気用の穴があるやつだったので、見事にその穴から精液が漏れだしてしまった。
今回も本当は絆創膏を貼った状態で小便したらどうなるか試してみようと思ったけど、やめた。
2008/12/02(火) 12:38
【1日目】
今のところ生存。
http://anond.hatelabo.jp/20070425021728
いやね、秋山瑞人の『猫の地球儀』を面白がれるSF好きの人だったら、古橋秀之の『ブラックロッド』に始まる〈ケイオス・ヘキサ三部作〉をオススメすれば「ライトノベルはじまったな」状態になるのはわかっているんだけど、でもなんかいいかげん増田で古橋布教するのも飽きたというか、業界(?)内評価高まり過ぎでいいかげん長年に渡る古橋ファンの俺でも尻がむずがゆいというか、「ライトノベル=SFの植民地」という大森望と早川書房にばかり都合のいい史観をセカイにまた広めてしまうのもどうかというか。そんなこんなの小理屈をこねてツンデレしてヘビー級ライトノベルを進めてしまう俺なのだった。べっ、別にライトノベル読んで欲しいなんて思ってないんだからねっ!
ライト級ライトノベル(桜庭一樹とヤマグチノボルの中間)なライトノベルって、改めて考え出すとタイトルが出てこないもんだなぁ。
ああ、そうだ賀東招二の「フルメタル・パニック」シリーズ(長篇の方)とかがライト級ライトノベルかも。
目の前に彼氏がいて、その目が近い距離から私を見つめていて、その瞳を見つめ返して、自分の両手を彼氏の両頬にそっと添えてみたりなんかして、ちょっといいムードになってくるそんな瞬間、「あ、この人って私の『彼氏』なんだ」という当たり前な事実が脳裏をよぎってしまうことがある。
そんなの当たり前なんだけど、そう思った瞬間に、どこかで脳味噌が冷めちゃうと言うか、下手したら空虚感さえしてきて、すごく変な気分になる。
自分自身のことについて、つまり(特に)主観的に認識されている事柄について、あえて(客観性を持つ)言葉にしてみると、何か変な感じがする。むずがゆい。非モテ乙女に彼氏ができちゃったどうしよう的な問題じゃなくて、それはあくまで一例。
他にも、自分に関する事実としか言いようの無い言葉を思い出すたびに、上みたいな感じがする。自分の年齢をふと思い出して頭の中で「○歳、○歳」と連呼してみたりすると、胸にぽっかり空洞ができたような虚しさに襲われる。
いろいろ要因はあるんだろうけど、一番大きいのは、言葉は単に事実を示すだけじゃないってことなんだろうな。例えば「彼氏」。どことなく軽薄な響きとか、メディアによって典型的に作られたイメージとか、あとは私自身の経験や価値観や偏見なんかが、たかが「彼氏」なんていう短い言葉にぎゅうっと詰め込まれている(引きずっていると言った方がいいかも)。その詰め込まれた要素と、実態(私の「彼氏」という存在)が上手く一致しないとき、脳味噌が混乱して違和感を訴えて、上みたいな感じになるのかなあと思う。だったら違う言葉を当てはめればいい(恋人とか)と言われるかもしれないけど、単純に事実としてみたら、冒頭の「彼氏」氏は「彼氏」以外の何者でもないし、恋人ってのは言葉として使い勝手が良くないので、結局「彼氏」に落ち着いてしまうのだ。
年齢も同じだ。かつて「17歳」が騒がれたように、「30歳」が三十路として特別のニュアンスを持つように、年齢は単なる生存年数を表すわけではない。社会的属性やイメージやその他諸々が、ただの数字のくせに恐ろしい分量でくっついている。
本当に言葉とは、つまらない単語一つ取ってみても、辞書的意味では語り尽くせないものであるなあ。
さて、変な感じとか虚しさとかって、結局何なんだろ。一致しないことへの違和感、ぴったりの言葉が無いもどかしさ、言葉の方から私を規定してくるような圧力、それに対する抵抗感(あるいは諦め)、言葉が伴う理想的イメージとその言葉に該当するにもかかわらず理想的イメージを満たせない敗北感・虚脱感などなどがあるんでしょうかね。もっと詳しく分析しようと思ったけどめんどくさ。