はてなキーワード: ますたとは
覚えられない。
最初はど田舎に住んでいた。車社会と言っても近隣どころから町全体が知り合いのような。
その時は知り合いの車が色も車種も同じような車が無く、仮に同じだったとしても、汚れ方というか、へこんだ後というか、そういうところから知り合いの車かどうかを判別することは可能で、すぐに「お、あいつか」と分かった。
去年4月、少し発展しているベッドタウン的な所で一人暮らしを初めた。ど田舎の同級生はど田舎の不便さからみんなこの街に来る。
今の職についてもうすぐ1年立つがなかなか良好な関係でいられていると思う。
休日明けて出社すると同僚に「お、おまえ昨日○○所ですれ違ったな!」と言われてもわからない。
車の車種も色も同じ、汚れてる感も同じような車、どうしてそんなに見分けがつくのか。ちなみに自分が乗っているのは黒色の軽なので特別なわけじゃないし同じ車種・色・汚れ具合も同じような車を見る。
そう考えるとやはり車のナンバーで覚えているのか?と思う。でも、自分の車のナンバーは覚えているものの他人の車のナンバーなんて覚えない。自分は運転中の眠気を覚ますために前の車やすれ違った車のナンバーを見て、その数字で10を作るとかやってるしナンバーは見てる方だとおもう。
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大卒の人が大卒は正しいと喚く記事を読んで、学歴コンプレックスっていうコメントを見たわけだけど、これって学歴コンプレックスとは違う何かじゃないかなあ。
抽象的なはなしだけど、多分その記事の筆者は(そして多くの人は)「幸せが確定するチケット」を求めていて、この20年位、それは大卒の肩書だと思われていたし、購入者もそう信じていたのではないかな。
彼が記事の中で肯定しようとしたのは「大学卒業資格は人生を幸福にする」ということそのものではなくて、「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」ということなのだとおもう。
彼が守ろうとしたのはは「大学卒業資格は人生を幸福にする」という事実ではない。もちろん「幸福」ってのは主観的なものなので、統計で一刀両断にはできないんだけど、経済的な側面で言えば、大卒資格者のほうが高卒資格者よりも、生涯賃金が大きくなるというデータが有るのでそれですむ。示す必要すらなくて、彼自身がその統計を見て「そうだな」と思えばそれで済むので、そもそも記事を書く動機にはなりえない。
そういう経済面に限れば、大学卒業資格というものが、100%確定ではないにせよ確率論的にはある程度効果のあるチケットだったっていうのは有る。しかしそれは同時に、「確率論的」「ある程度効果のある」にすぎないわけでもある。「それを購入すれば購入者は確定した幸福を保証される」わけではない。効果の程は購入者によって程度の差がある。
(そもそも大学というのは研究/教育機関なわけで、そこに「幸せ」なんて主観的な、しかもチケット一枚で生涯を保証するようなものを求められても、大学側は「知らんがな、困るがな」でしかない。この件で大学が悪いわけではない)
筆者が守りたかったのは、「俺は大学を出て幸福だ」という以上の、もっと広範な「大卒チケットを購入した人間は幸福になれる」という「世界観」だったのではないか。それはすなわち「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」という保障でも有る。もうちょっと踏み込むと、「攻略法Xを実践すれば人間は幸福になれる」みたいな思想なんだとおもう。そして、これは、すごくわかる。
人間は日々を生きる上で脳みそ空っぽで生きるのは難しい。どうすればうまくいくか考えちゃうし、試行錯誤しちゃうし、うまく行けば嬉しいし、失敗すればなにが悪かったか考えてしまう。「セカイには攻略法が有るはずだ」って思想は人類進歩において巨大なアドバンテージだった。それは、自然科学分野においてはおおむね正しい。背景には物理法則があって、同じ入力には、同じ出力が返ってくる。技術研鑽や職人的な人生においても、概ね正しい。そういう態度で経験を扱えば、一定の知見が得られる。
だから「攻略法Xを実践すれば人間は幸福になれる」みたいな思想はすごくわかるし、自分を点検しても、この類型は形を変えていくつも発見できる。
でも実際問題、本当にこれが正しいかって言うと、ぜんぜんそんなことはない。人生という関数は入力が同じでもその個人ごとに出力がぜんぜん違うようだ。そもそも「同じ入力をする」ということ自体が人知では制御できないほど難しい。双子なのにぜんぜん違う人格になったり将来を迎えたりするわけで。人生という巨大関数はすくなくともワンチケットでフリーパスになるほどちょろいものではない。信用できるデバッガもない。
でも、その事実はかなり痛みを伴う。「人生に攻略法がない」というのは(もちろん確率論的にだが)「どんなに頑張っても不幸にしかなれない人間が存在する」ということを意味するからだ。
(※もちろんこれは一部宇宙の事実と異なります。瞑想とジョギングと野菜はすべての人生を攻略します。Yes、ぶくまますたー!)
そんなわけで、件の記事はなんだか悲鳴のようにも聞こえた。「この世界に攻略法は有るよ、ぼくらが幸せになれるチケットは実在するよ! ボクの過去の努力コスト支払いは間違ってなんかない! なぜならボクはいまそのチケットで暮らしているからだ!」――あの記事で筆者が説得したかったのは、誰より筆者自身だったのではないかと思う。
同様の光景はあちこちで見ることが出来て、それが先鋭化すると、論理が逆流を始め「(大卒資格が幸福チケットであるという)世界観を守るために、高卒以下の人間は不幸でないとならない」な方向に拗れてしまう(連中は全員DQNみたいな発言)。そうなると地獄の二次生産だ。だがどちらにせよ、それは学歴コンプレックスと言われているものとは、隣接しているけれど、もっと何か違うものなのじゃないかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160617143210 は、この事件を知らなさそうだが。
ある中学校で家庭に大問題のある生徒が、いじめをしていたんだ。そいつはヤンキーというわけではなく、頭がよく優等生だったんだけど。
先生がそれに気づいて色々対処しようとして、結局そいつは逆にはぶられることになっちゃうんだ。
そこでなんやかんやでソーラン節を文化祭で披露することになって、そいつをセンターに置こうとしたんだな。
クラスの団結は高まっていくんだけど、何度も言うようにそいつの家がもう最悪の最悪で、まわりまわって、思わずソーラン節教えてくれたじいちゃんを刺しちゃったんだなぁ。でも団結を強めてたおかげで、クラスメイト一丸になってそいつを支えていくことができるようになったんだ。
その中学でそういうことがあって、そのあとも転校性のソフトバンクの長女の学年の時にその先生の息子が白血病になってな。
その時に前述の問題あった生徒が、その息子を励ますためにもソーラン節踊ってあげろと頼んで一斉に踊るんだ。
そのあとの後輩生徒もまた問題でな。なんと薬物に手を出してしまったんだよ。元々父親がやってたんだよな。
で、母ちゃんノイローゼでそいつを殴るわけ。逃避のために薬にのめりこんでいくんだよ。おかしくなっていく友人に口出ししたやつが居て、そいつのせいで父ちゃん逮捕されちゃうんだけど、それを責められてその友人、家から飛び降り自殺しちゃうんだよな。平成でJUMPしたいと思ったのかも。だからそいつ自分を責めてさらに薬にのめりこんで、もう大変。
その年も、継承するようにソーラン節を踊ってたんだ。まだ優しいころのアイツがセンターで踊ったんだよ。
だけどそいつ、薬がバレて捕まっちゃってな。本当にかわいそうなやつなわけ。
だからそいつが刑務所行くときに、河原でみんなでソーラン節踊って見送ったわけ。
そのあともなんかソーラン節は続いてたんだけど、その評判がどういうわけか全国に広まってな。
私には「自分らしく生きるって何だろう私って何だろう」と無限の思考の海に投げ出される言葉がある
そして、もし今私と同じ「自分らしさ」について悩んでいる人 、苦しんでいる人にヒントになるかは分からないけれど何か悩んでいることや苦しんでいることの出口に繋がると嬉しい
私を思考の海に投げ出す言葉とは「⭕⭕さんの分も頑張って生きないとね」というような類いの言葉である。(この⭕⭕に入る名前は殆どの確率で亡くなっている人の名前である)
私がこの言葉をかけられるようになったのは10年前母を亡くしてからだ
私はこの言葉をかけられると「私は母の代わりなのか?母は母なのになんで私が母を背負わないといけないのだろう」と当時も今も思ってしまう
この言葉をかけてくれる人は、落ち込んでいるであろう私を励ますために言ってくれたのかもしれない もしかしたらなんと声をかけていいかわからずに出た言葉がこの言葉でそれで言ってくれたのはかもしれない
その人を亡くして落ち込んでいる人になんと声をかけたらいいかわからない気持ちはよくわかる
しかし「母を亡くしてこれから頑張っていかないと!」と思ったことはあっだろうかとも思う ても「母の分も頑張って生きていかないといない!」と思ったことは1度もない
やっぱり私というフィルターを通して
「母」という存在を見られているようでどうも居心地が悪い
そもそも私がどこまで生きたら母の分を生きたことになるのだと思う
それと同時に私は母の分も頑張って生きないといけないほど今頑張っていないのか 私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのか?
私には特技という特技はない しかしたったひとつ言えることがある
それは「どんな困難に直面しても力強く生きてきた」ということである
私の今までの人生はまだ短いけれど、それなりに山あり谷ありな人生を送ってきたと思う
小学生の時には母を亡くした他にクラスの半数から苛められたこともあった
中学校では一時期 思春期故の心と身体の不安定さで学校を休みがちになった
実父には暴言・暴力を浴びせかけられ育児放棄され虐待を受けた 今も親子関係が上手くいかずにほぼ絶縁状態にある
正直 このまま死んでしまって大好きな母の所に逝きたいと思ったことは幾度となくある
しかし 私なりに頑張って周りの人に助けられながらも乗り越えてきた
苛められても小学校に行くことをやめなかった、中学校を休みがちになっても塾の勉強には一生懸命に取り組んで第一志望の高校に入学をした 父親に育児放棄されたことで自分で生計を立てるしかなく働きながら学生をしている もちろんこれからも不器用ではあるが持ち前の強さで生き抜いていくつもりだ
次に私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのかということだがこの答えはNoである
母は私が生まれたときから亡くなるまで私に100%の愛情を注いでくれたそして最後の最後まで病気と闘っていた そんな母の人生を頑張って生きていなかったなんて言わせない
ここまで書くとだいぶスッキリとした気がする
私は負けず嫌いで意地っ張りで頑固で不器用である 正直人付き合いが上手なタイプではない
しかしこれからもきっと今までどおり周りの人に助けられながら不器用なりに強く生きて行くと思う
最後の最後まで頑張って生き抜いた母の分は頑張る分がもう残っていないので頑張ることは出来ないが、自分自身に残された私だけが頑張ることができる残りの人生を他のひとが頑張る分がなくなるまで頑張って生き抜きたい
次に母に逢えるときには胸を張って母みたいに最後まで頑張って生き抜いたと言えるように母には天から私のことをこれからも温かく見守っていてほしい
私には「自分らしく生きるって何だろう私って何だろう」と無限の思考の海に投げ出される言葉がある
そして、もし今私と同じ「自分らしさ」について悩んでいる人 、苦しんでいる人にヒントになるかは分からないけれど何か悩んでいることや苦しんでいることの出口に繋がると嬉しい
私を思考の海に投げ出す言葉とは「⭕⭕さんの分も頑張って生きないとね」というような類いの言葉である。(この⭕⭕に入る名前は殆どの確率で亡くなっている人の名前である)
私がこの言葉をかけられるようになったのは10年前母を亡くしてからだ
私はこの言葉をかけられると「私は母の代わりなのか?母は母なのになんで私が母を背負わないといけないのだろう」と当時も今も思ってしまう
この言葉をかけてくれる人は、落ち込んでいるであろう私を励ますために言ってくれたのかもしれない もしかしたらなんと声をかけていいかわからずに出た言葉がこの言葉でそれで言ってくれたのはかもしれない
その人を亡くして落ち込んでいる人になんと声をかけたらいいかわからない気持ちはよくわかる
しかし「母を亡くしてこれから頑張っていかないと!」と思ったことはあっだろうかとも思う ても「母の分も頑張って生きていかないといない!」と思ったことは1度もない
やっぱり私というフィルターを通して
「母」という存在を見られているようでどうも居心地が悪い
そもそも私がどこまで生きたら母の分を生きたことになるのだと思う
それと同時に私は母の分も頑張って生きないといけないほど今頑張っていないのか 私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのか?
私には特技という特技はない しかしたったひとつ言えることがある
それは「どんな困難に直面しても力強く生きてきた」ということである
私の今までの人生はまだ短いけれど、それなりに山あり谷ありな人生を送ってきたと思う
小学生の時には母を亡くした他にクラスの半数から苛められたこともあった
中学校では一時期 思春期故の心と身体の不安定さで学校を休みがちになった
実父には暴言・暴力を浴びせかけられ育児放棄され虐待を受けた 今も親子関係が上手くいかずにほぼ絶縁状態にある
正直 このまま死んでしまって大好きな母の所に逝きたいと思ったことは幾度となくある
しかし 私なりに頑張って周りの人に助けられながらも乗り越えてきた
苛められても小学校に行くことをやめなかった、中学校を休みがちになっても塾の勉強には一生懸命に取り組んで第一志望の高校に入学をした 父親に育児放棄されたことで自分で生計を立てるしかなく働きながら学生をしている もちろんこれからも不器用ではあるが持ち前の強さで生き抜いていくつもりだ
次に私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのかということだがこの答えはNoである
母は私が生まれたときから亡くなるまで私に100%の愛情を注いでくれたそして最後の最後まで病気と闘っていた そんな母の人生を頑張って生きていなかったなんて言わせない
ここまで書くとだいぶスッキリとした気がする
私は負けず嫌いで意地っ張りで頑固で不器用である 正直人付き合いが上手なタイプではない
しかしこれからもきっと今までどおり周りの人に助けられながら不器用なりに強く生きて行くと思う
最後の最後まで頑張って生き抜いた母の分は頑張る分がもう残っていないので頑張ることは出来ないが、自分自身に残された私だけが頑張ることができる残りの人生を他のひとが頑張る分がなくなるまで頑張って生き抜きたい
次に母に逢えるときには胸を張って母みたいに最後まで頑張って生き抜いたと言えるように母には天から私のことをこれからも温かく見守っていてほしい
プーアル「すっ すごいっ!!! ヤヤ ヤムチャさま「じゅうりょく波」って いったい……!?
ヤムチャ「『じゅ…じゅうりょく波』……!! 巨大な質量が運動する際の空間の歪みが波のように広がっていくという武天老師の大技だ…!! こ この目で観測することができるとは……!!
36+29質量ブラックホール(武天老師)「じゅ… う… りょ… く…… 波!!
https://www.youtube.com/watch?v=QyDcTbR-kEA
62太陽質量ブラックホール(武天老師)「ぷひゅ~~…… ほれ合体したぞい…
LIGO(牛魔王)「あんの~老師さま…… た た…… たすかに波は観測できますたけんど…
LIGO(牛魔王)「……ついでに3太陽質量分のエネルギーも…
62太陽質量ブラックホール(武天老師)「はりきりすぎちゃった!! てへっ
ブラックホールの衝突というすさまじいパワーでじゅうりょく波を観測することができた。
しかし、そのじゅうりょく波のエネルギーは太陽3つ分というとてつもないものだったのだ!
ビッグバンの真実、ブラックホールの誕生、さらには今後の工学的応用のためにいくつもの科学的発見・技術革新が必要となるだろう!
つづく!
邦題ひどすぎる
小説(日本語版)が好きすぎて原作もkindleで読んで、普段見ない映画まで見に行ってしまった。
いろいろネタバレる
====
メカがなんかちゃっちい。なんでだろ。
必要な耕作面積を算出したり
ついでに0.4Gじゃなくて1G
ワトニーが死に方を考えとくシーンも
70年代~80年代のドラマ見るシーンが無い。なのでアイイイイイーの意味がわからない
嵐に気がついてよけるシーン無い
アレス4の降下船で助ける計画も無い
メカニックであり
描かれたのは農家と宇宙海賊だけ。しかしこう書くとTOKIOっぽいな
小説にはなかったシーンが最後にあった。正直見たかった部分でもあるのでそこはうれしかった
救助シーンでなぜか**がしゃしゃりでる
2時間30分くらいでは全部はこなせない。12・3話のTVドラマにしてくれればいいのになぁ
あ、私はもう一度見に行きますたぶん。
呼吸するように嘘をついて生きてきた。
親(第一子で早熟だったのでわりと高い水準を求められたから?)や教師からの自己保身のためと友達を励ますため(これも人が悲しむのを見たくない→面倒なことは避ける→自己保身)の嘘のどちらか。どちらのタイプも半分ぐらいは自覚がない。現実と願望がごちゃ混ぜになっていて自分では現実だと思っていたことが客観的に見ると嘘なのだ。
それだけでなく他人が自分の中に侵食してくる感じがしてゾッとするので、自分の感情や趣味について他人に話せない。
自分で言うのもなんだがかなり嘘をつくのがうまいのであまりバレることはないのだが、それでもたまにバレたときには親にすごく悲しまれたり怒って殴られたりした。それでも嘘がいけないと思うことはない。今でも嘘がいけないのではなくバレるような嘘をつくことがいけないのだと思っている。
嘘をつくと結果的に辛いのは自分だという話をよく聞く。漠然とした孤独感が常にあって確かに辛い。でも嘘をつかないことによって他人を辛い気持ちにさせるのはもっと辛い。嘘がバレて他人を辛い気持ちにさせるのも同じぐらい辛いが頻度が低いので我慢できる。
嘘をつかないで生きる方法が分からないしそのメリットも分からない。だから嘘つきは治らない。
また1つ今嘘をついてきた。いい加減病気入ってるな。あーあ。
なにかといつも面倒を見てもらっている目上の男性と、つもる話もあり久しぶりにサシ飲みをした。
世間話のつもりで何気なく「奥さんはお元気ですか?」と聞いたら、「ああ、実は離婚したんだ」と返ってきた。彼の声色はいたって平静だった。まるで今日の日付でも聞かれたかのような。
おしどり夫婦で有名な方々だったので、私は唖然としてしまった。地雷原を歩いていたことに無自覚だった。
数秒間の間ののちようやく「すすすみません!その、知らなくて」と言うのが、そのときの私には精一杯だった。そうしたら驚きすぎだと笑いながら、「いやいいんだ。もう三ヶ月も経ってるし大丈夫だよ。それに別れたことを隠すつもりもなかったから。心配しないでほしい」と逆に気を使われてしまった。だが一般的に言って、三ヶ月という期間は離婚の傷を癒すのに十分長いとは言えなかった。そのうえ、大丈夫でないときにしか大丈夫と言わない強がりな彼の性格を、私は経験上よく知っていた。罪悪感で胸が痛んだ。
そんな私の心情を察したのか、彼は少し困ったような表情で私の顔を覗き込んできた。まずい、何か言わなくてはと必死に考えたが、何も浮かばなかった。
幸いなことにちょうど料理が運ばれてきたため、気まずい沈黙は破られた。私は素晴らしくタイミングのいいウェイターに心の中で感謝しながら「美味しそうですね」と彼に言った。
そのあとずっと、私も彼もその話題に触れることはなかった。
目上の人から離婚の報告をされた場合、どのような反応をするのがベストなのだろうか。
どうしてですか、は配慮がなさすぎる。大丈夫ですか、は大丈夫じゃないに決まっている。大変でしたね、を人生経験の少ない私が言うのは違和感がある。今時バツイチなんて珍しくないですよ、と相対化するのも失礼な気がする。力になります、と目下の人間が言うのもおかしい。向こうが詳細を打ち明けてこない以上は自分から水を向け聞くこともできない。励ますために元配偶者の悪口をいうのも心情や理由が判然としない状態では不可能だ。
>普通に私達喫茶店やってますたまたま欠損してますけどなにか?文句あるヤツラは出てこいよっていう態度こそが差別のない世界だろうがよ
何言ってるんだ?
ごっちゃにしてるけど、体に欠損を抱えててそれを売りにせずに喫茶店やってる人と
喫茶店をやるに当たって集客として自分の体の特徴=欠損をアピールして、需要がある層に訴えること、
この2つは全く違う人のことだし、ごっちゃにするのが失礼だよ。
体が欠損してる人にもいろんな人格の人がいる。
おまえが「それが吐き気がする」ってレッテル張りしてるからじゃないのか?
見世物にする方法が違うだけだろ。頭の中身を見世物にするのが小説家や芸人、練習した競技を見世物にするのがスポーツ選手。
それは頭のよさをもとに話をつくる能力をみがいて人様に売りつける行為。
それはスポーツが好きとか恵まれた肉体をみがいて人様に売りつける行為。
どっちも感動を売り物にしてる。
この人達もお前の理屈だと見世物小屋だし、突き詰めれば見世物小屋の何が悪い?
見世物小屋にもプライドがある。その態度が差別的だとは思わないか?
隠していきたいと思う人もいれば、これを好きだという人への売り物にする行為もあっていい。
本人たちが好きでやってて、需要もある。成立してるだろ。
それに横やりを入れる正当な理由ってなに?
何より本人が自分の障害を特長、魅力として売り物にしてるのを隠せって?
それが差別だろ。
念のためもう一度言うけど、
もちろん、差別を売りにせず喫茶店をやってて、たまたま欠損してる人に何か言う必要はないぞ。
それとこれとは全く別のことなんだよ。
俺は、女は外見しか見ないと思っている。
だって、ダイヤとか真珠とか、服とか、男からみたらどうでもいい中身関係無いものに、見た目だけで女はエライキャーキャーしてる。
逆に、男は路線地図だの、ロボットだの、女からどうでもいい意味不明で、だけど見た目どうこうでなく、中身ばっかりにギャーギャー騒ぐ。
これを見ても、男は中身、女は外見しか見てないように思う。
と思うのだが。女から言わせると、男は見た目しか見てないというらしい。どー考えても男は中身しかみてないように思うけど。
さらに、女は男の中身を見てるという、やさしい人とかそういうのが好きらしい。
もし本当に『中身』を重視するなら、漫画よりは文学とか読むんじゃないかと。
だって、世界的に認められた文学は、ブリーチだのより『中身』はあるわけだ。
しかし、外見のカタさから避けられる。男も同じかというと、男はそこそこ哲学書だの読んでいる。
で、最後に。
ヤリチンって当然だけど、文学も哲学も分からない、学歴も無い。
これが、中身があるといわれると。
あ~そうか、漫画が面白い漫画とか、ハンターハンターが下書き(ネームっていうのか)状態でも面白いから、絵より中身でしょー。程度の意味の『中身』なのかな。と思われる。
そんなもの、何の価値も無いのに。だから、そんなものを、中身だというのは、すんげー恥ずかしいことだと思うんだけど。
中身重視、と恥ずかしげも無く女は言う。
これ、理解できない。
ようするに、結婚で妥協した相手と結婚するときに、ATMと見るために、ATMとして利用しやすい、これをマイルドに言うのが、中身重視とか。マイルドに言うっていうか、自分を自分でだますために女もそう思い込むのかな。