はてなキーワード: ぼんぼんとは
一月三十日(土)
彼女とオンラインデートで映画を見た。外出できないのは残念だが、緊急事態宣言下なのでやむを得ない。妹は毎週のようにテニスに、父はコンサートに一度だけ行っているので自分だけ自粛するのはやや釈然としない。なるほど、こういう心理的な機序で自粛警察が生まれるのだな、と一人納得している。しかし、彼女と一緒に過ごせば当然食事をしてマスクを外すわけで、二人に比べれば自分のデートのほうが感染を広げてしまうリスクは高い。彼女に移してしまう恐れまでもある。それに、ズームを使ったデートは自宅で一緒にだらだらしているみたいで、これはこれで楽しい。テレワークもできるだけ利用しつつ、感染の終息を願う。
一緒に観た映画については、プロットが甘いという点で二人の意見が一致した。二人が好きなものが一致するのは大切だが、嫌いなものが一致するのも大切で、むしろ後者のほうが重要かもしれない、と聞く。
ところで、この映画が気に食わないもう一つの理由が、かつて一緒にデートしたが結局おつきあいできなかった女性と見に行った映画だからだ。今の彼女とその映画を見たので、なんというか怨念が成仏した(自分が提案したわけではない。見たのは彼女がずっと気になっていたからだ)。他にも、別の女性と一緒に行った場所に彼女を連れて行っているので、記憶の混同がないように綿密に日記をつけないといけない。
さて、彼女についてだ。彼女はおっとりしているというか善良というか、自分がぼんぼんである以上にお嬢様な感じがする。映画があまり好きじゃなかった、思っていたのと違った、というときにも言葉に棘がない。そういわれるとなんだか一緒に笑えて来てしまう。以前は、もっときびきびした女性と付き合ったほうが楽しいのではないかとも考えていたのだが、結局そういうタイプの女性とのデートは長続きしなかった。鋭いタイプの女性は自分のことを優柔不断でまどろっこしいと感じるのだろうか。学生時代に憧れていた女性もそういうタイプだったが、結局振り向いてもらえなかった。
ここまで書いて、そういえば自分と長くデートしてくれた女性は全員山羊座だった気がして確かめてみたのだが、確かに一番多いのは山羊座だった。でも、他に十月生まれとかもいたので、自分の記憶違いであった。
彼女はとても真面目で物事を真剣に考えてくれる。真面目だから、セックスは結婚した後がいいと言う。彼女がそう思うならそれでいい。もっとも、神様に真面目な彼女をお願いしたとはいえ、ちょっと真面目過ぎやしませんか、と感じる日もないではない。自分が何をおかずにオナニーしているかがばれたら困惑させてしまうだろう。
一月三十一日(日)
今週もジョギング。先週と比べればずっと暖かい。今年の冬は年末年始が一番冷え込んでいた印象がある。一番寒い時期を半袖にウインドブレーカーを羽織っただけで乗り切ったので、ウエアはしばらく買い替えなくてよさそうだ。単純に買い物が面倒なだけのことだが、気温の変化に対する抵抗力がついたかもしれない。もっとも、半袖のウエアがボロボロになってきたので買い替えろと家族には言われている。夏からずっと着てきたのだから無理もない。
寒さは平気だと言ったものの、北向きの自分の部屋の寒さには参る。温度計の示す温度の割にコンクリートの壁から冷気がしみ込むので体感温度が低い。低温下で運動するよりも、少し冷える部屋でじっとしているほうがずっとつらい。ジョギングは真冬でも汗だらだらになるのに対し、部屋では布団をかぶっていたくなるほどだ。
そういえば、先日の日記でTENGAを購入しても紙袋がもらえないことについて言及したが、今週は試しにコンドームを一緒に購入した。やっぱり袋はもらえない。予想はしていたが、環境を守る方向に本当に強く舵を切ったのだなと感じた。
ジョギング帰りに近所の公演の傍を通ったら工事をしており、見通しの悪い茂みが刈り取られていた。小さい頃はそこに隠れて遊んでいたものだが、不審者が出たのだろうか。遊具も随分と安全なものになった。金属製からプラスチック製になり、九十度近くあった滑り台の角度もずっと緩やかになり、むやみに飛び降りられる個所もなくなった。
二月一日(月)
最近韓国料理を口にしていない。原因の半分はテレワークで、もう半分はなじみの韓国料理屋の混雑だ。昼休みの時間はそれなりにあるが、寒い中店の外で待たされるのは面白くない。もう一年ぶりくらいになるだろうか、かつて通っていた韓国料理屋を訪れたが、やはり数分待ちだという。別に五分程度なら待っても構わなかったのだが、少し行ったところに別の韓国料理屋があることを思い出したので、そこに行ってみた。久々の新規開拓だ。石焼ビビンバはおいしかったが、やはりタンパク質が不足してしまう。そういうわけで、本日の間食はベビーチーズとした。
で、会計をしようとしたら財布を職場に忘れていたことに気づいた。荷物を店に預け、職場まで戻る羽目になった。なお悪いことに、エレベータの定員が三密回避のため少なくなっており、いつも以上に行列ができていた。確かに毎朝九階まで階段を使っているのだが、昼休みが終わるまでに往復しなければならないため、いつもよりも速足で昇らされることとなった。やれやれ! しかも午後の仕事は十二階でだった。
帰路、職場前の書店をのぞくが、目当ての漫画の欲しかった巻がない。アマゾンで頼むべきか。実は、朝一番で書店に足を運んだのだが、新型コロナのせいか開店時刻を遅らせていたので、書店に向かったのは二度目。どうも今日は間の悪い一日であった。電車が少し遅れさえしたし。
今週は新しい韓国料理屋のプルコギ、カレー屋、ビーフカツレツ屋を開拓しようと思う。筋肉食堂も気になっている。夕飯はおでん。
まず注意いただきたい。
以上気をつけて欲しい。
そもそも推考をしていないただのゲロなので気分が悪くなったらそっとタブを閉じて欲しい。そこら辺は自衛してくれ。
みんな思ったでしょ。
いや別にだから悪いってことではないんだけど、安易に気持ちの問題で強くなるっていうのを連発しすぎじゃないか?(少年週刊誌のバトルものにありがちだが)
ちがうんだ、それは別にいいんだ、私も歳だしそういったことには慣れている。だが今回私が言及したいのはどうして心理描写が曖昧なまま強くなるんだ? 共感できない部分が多々あったということだ。
少し応援されたからと元気になったりしすぎだろうと、いい加減そんなゲームじゃないんだからと、せっかくのボンズ屈指のバトルシーンで映画に入り込んでいた自分が急に覚めてしまったりして非常に残念。
まあ、それもいいだろう。どうせファンタジーだ。
しかし、ヒロアカ原作に関してはファンタジーでも確かにそこにキャラクターたちが生きていて、それがリアルに、まるで自分がその世界で生きているような引力のような没入感が素敵であり、だからずぼらな私も1ファンとして単行本、アニメ、映画を欠かさず見ているのだろう。
キャラを大事にし、そのキャラの迷いやこういうこと考えていてこういうことに重きを置いていて、ストーリ進行時には蚊帳の外にいるときはちゃんと外でモブやってたりする、といったリアルな感じがいいのだ。
たぶんこれは、心理描写のために一時戦闘を中断させたりする、漫画ならではの表現なのかもしれない。映像はテンポだ。リズムが全てだ。わかる。わかるんだ。でもそこを上手に見せれなくてはヒロアカには、いったい何が残るんだ?
とまぁ、いろいろと「おや?」と思う点はあるものの、実際の脚本に文句はない。
個性譲渡、別に良い。そもそもデクもそんなこと言ってた(うろおぼえだが)
めっちゃドラゴンボール。すっごいドラゴンボール。髪の毛そんなとげとげにならんでもいいやん。いやいやそんな規模の攻撃受けてふつうそうじゃん、まじ鉄人じゃん。っていうのがほんと何度も出てくる。4日目のカレーの気分だ。「え、また?!」なのだ。
特になにが嫌って言うとだ、個性遺伝した後のバトルだ。爆轟がすぐフルカウルを使えることや100%っぽい力が使えたこともそれ全て含めてワンフォーオールの奇跡って言いたいのかい・・?それは、あまりに投げやりすぎないかい? ヒロアカって、”なんでも個性のせいにしてしまおう”っていうのがなくて、“個性を持ってるからこそこういう悩みがあってそれをどう解決して行こうか向き合う”みたいな葛藤と成長を描く作品なんじゃなかったのかな?
余談だが、私は海外のグロやバトルものの映画でよくある、音楽だけで効果音なしのバトルシーンが大嫌いだ。
馬鹿の一つ覚えと言うと言葉の悪さが際立ってしまうが、まあその表現方法はあまりに使い古されてしまった。
なのでラストバトルの音楽だけですごいバトルを見せられた時、冷めてしまった。映画館でやるんだ。もっと音響を意識して、音速を超えた一撃みたいな表現でも面白かったんじゃないかとか思う。 パッと思い返すのが映画 幼女戦記だが、常にバトルしてて、音があちこちから聴こえてきて自分もその場にいるという臨場感がほんとうに素晴らしい映画だった。
それを、こういってはなんだが1曲に全ての感情を背負わせるのは重荷すぎたのではないだろうか。
私は、そこで完全に映画からリアルの世界に戻ってきてしまった。
(ただこの映画に限っては、ボンズの全力のバトル映像のおかげでまだ見入ることができた。本当に動画がいい。ほんとコマ送りで見たい。ガンダムやAKIRAや攻殻機動隊なんかをよくコマ送りで見た口だ)
少し話が脱線したが、豚カツカレーマーボー天津飯みたいになってしまった可能性はあるか?
起承転結で、転結はかなりテンポよく進めるのがスタンダードだが、それにしても端折りすぎたように感じた。
見せ場のバトルはほんと多彩に入っていてこれはもう大満足で言うことなしなんだがちょくちょく強敵との対峙で勝てない描写をとことんやりたいが為にどうしてもワンパターンなキャラパワーアップに違和感を覚えてしまって、没入感の減少を感じた。
映画だけでなく、どんなアニメも、漫画も、ゲームも、小説も。 その世界に、私が存在できるかどうかでその作品を好きになるかどうかが決まる。
本作に関してはラストに行くにつれ、私はこの映画の世界と融合できなかった。非常に残念だ。
私は、今作でヒロアカ製作陣に何かお偉いさんからのお達しがあったのではないかとか深く勘繰ったりしたほど様変わりを感じた。
とにかく派手に、とにかく意外性を、とにかく話題性のあるものを! みたいな思いを感じてしまった。
もちろん商業作品なのでそういったことを意識して作るのは当たり前だし、別に反対もしない。だが作品を生かしてくれ。頼む。
ここら辺の違和感の解のようなものは、パンフレットを読んでいて考えたのだが、先生監督脚本の皆が口を揃えて「1作目を超えたかった」と言っていた。(1作目はほんとうに良かった。作品を通して”ヒロアカ”していたし、オールマイトの過去の描写や共闘も原作の延長として受け止めることができた)
大変受けた1作目の後の2作目、3作目と作っていく際にやはり重荷になったんだろうか
パンフレットの対談インタビューを読んで、堀越先生が原作ラストで使うネタ候補の一つ「ワンフォーオールの譲渡」を提供し、制作側もそれに飛びついたような発言がうかがえた(個人の感想だよ)
やっぱり人間が作っているんだなぁと実感したし、これからも応援を続けたい。
(なんだ急に媚びうるのか?)と思った皆様、違うんだ、聞いてくれ。
その作品の感想って好きなところ・嫌なところが入り乱れた上で成されるものじゃないか。
もう間違いないやつだ。ボンズファンにとっては言うことなしすぎて、逆にボンズ色強めな印象で、純粋なヒロアカファンは大丈夫か?とか思ったが、そもそもアニメも体育祭やらUSJやらワンフォーオール戦でアニメ視聴者は調教済みだった。
何度でも見れる。ほんとうによく動くし、戦闘の表現のパターンがすごい。これは良い。ほんとうに良い。
ちなみに私が一番好きなヒロアカアニメシーンは体育祭の轟vsデクの回だ。あの回を見た後そっと忘年のザムドを見に行った(私のボンズを意識して見た初めての作品だ。デビューはハガレンだ)
本作を見た後、一番印象に残ったのが雲やなんかの描写なんだが、すまない語彙力がなくて伝えられない。だがみんなの心にも残ってるでしょ?私は今すごくひそねとまそたんが見たい。映画に何度も行く余裕がないので、今作の空の映像を思い出すべくnetflixでひそねとまそたんを見たい
最高だ。原作やアニメでは活躍の少なくなりがちな1-Aのみんなが余すことなく活躍する。各々の連携や委員長の指示なんかも見れてほんとうに良い。
キャラへの愛がほんとうに感じられたし、この人たちはこういう動きをするのか、と私の記憶の中の1-Aの皆に命が宿ったようだった。
尾白くんはやっぱり弱い印象を持って残念だったが、いつもの8割マシで戦っていた。たぶん。 (私は尾白くんを推している)
青山くん、瀬呂くんなんかもしっっっかりと活躍をしていて、ファン大歓喜だ。次回は砂藤くんにも頑張ってもらいたい。
(この活躍というのがちゃんと戦っていて大変興奮もので、本作で印象深いバトルの一つだ。といっても本作は常に戦っているのでどこからどこまでを一戦と見るかは謎だが)
(無理やりな理由で少し違和感を覚えたが)大人を排除した上での各々のヒーロ像というものがしっかりと見て取れて本作はほんとうに原作の延長線にあるもののように感じた。
「君はヒーローになれる」
いい夢だったけど寸止めばっかだった
教室でHについて語ろうみたいなのをやるらしい
そんでそれに武田弘光キャラの娘と母親がくるということを知った俺はどうしても顔を見ときたくて、
なかなか見つからない
やっと見つけた
近くに二次元的女がいたから、そいつに話しかけるていで、お前、○○さんと兄弟姉妹だったっけ?みたいにてっきとーに話しかけた
そんでその後さっと逃げた
ほんとは娘のほうが好みだったけどそっちは囲まれてたから母親のほうを追いかけた
海岸の砂浜にあるすっげーでかくて高いオブジェをスタスタジャンプしながら歩いていったからそれを追いかけた
追いついて話しかけようとしたら、母親はそばにいた別の全裸の女に話しかけてどっかに行ってしまった
がっくりきて帰ろうと思う
そばにゲレンデというかスノボコースみたいなのがあって、それを裸足ですべって帰ろうとした
途中に壁に穴が3つ開いてるところがあって、穴をくぐらないと向こう側に行けないんだけど、
俺の前にいたやつが穴につまった
バイクだったり車だったりだった
そばにいたやつがいらついて車の排気口にゴミをぼんぼん投げ込んでたけど爆発はしなかった
すると、今日はもう中止でーすみたいなアナウンスが流れて職員がやってきた
俺も諦めて引き返した
おれは理系の大学院を卒業しているんですが、受験では親もホント大変だったと思います。お疲れ様です。
大学をどうやって選ぶかって、生徒によって本当にケースバイケースだと思うんです。
男女でも違うし、頭の出来とか興味の対象とか生活力があるのかとか親の脛の太さまで、様々な要素があると思うんです。
そして幸福な大学選択とは、生徒が有意義な生活をできるかどうかだと思うんです。在学中もそうだし、卒業後もです。
んで、学校や塾の教師が誤りを言っているとは思いません。彼らも四大を卒業していると思いますし、ホント、一生懸命考えてくれてると思います。
ただ、彼らだって大学の全てを熟知してるわけじゃ全然ないのも間違いないんです。大学だって1回しか入ったことないと思います。
そして自分の出た大学の自分の出た学科以外のことなんか、大抵わかんないと思うんですよ。少なくともおれ自身は、他人に説明できるほどわかりません。
しかも教育系って特殊ですからね、教員養成を卒業した教師は、教師のことしかわからないのは当たり前です。それ以上を求めるのは酷かと思います。
少なくともおれの高校の担任は数学のこと以外何にもわかってなかったです。
つまりね、お子さんがどういう人物になりたいのかによって、相談する相手が違うと思うんですよ。
教師になりたいなら教師に聞くのがいいと思うし、エンジニアになりたいならエンジニアに相談すべきです。
こういうこと言うと大学は職業訓練校じゃねーぞとお叱りを受けるかもしれないんですが、現実問題として本人の強い意志がない限り(あったら失礼)職業で考えるのがマ無難でしょう。
なんか難しいこと言ったような感じになってしまったんですが、とはいえ、大学の学部出たくらいで運命決まっちゃうわけじゃ全然ないですからね。
何かの専門家になるんだったら大学院行くべきだと思うんですが、そうでなければどこの大学行ったって似たようなこと習うと思います。多分。
そして大学院行くにしても、大学院選びで考え直すチャンスあるんで、国立大学に限れば大学の学部選びは全然決定的な要素ではないはずです。要は入学後に当人が何するかにほぼ完全に依存します。
おれは大学では勉強ばっかりしてたんですが、本人が勉強する気がなかったら勉強しないまま卒業することになるし、
勉強する気があったら学部なんか全然関係なく勉強することは可能なんです(と、今は思いますが、高校生の頃はそんなこと思いもしませんでしたしやり方も知りませんでした)。
勉強は沢山はしなくても卒業できればまあいいと思うんですが、興味沸かないと卒業さえ地獄だと思います。
モラトリアムも悪くないと思いますが、連日増田に書き込まれる就活生の阿鼻叫喚をみると、それはそれでまあ楽じゃないようです。
大学生活をどう過ごすかは、完全に本人の希望次第です。これが日本の大学のいいところだとは思います。
あと私大行く連中は結局ぼんぼんなんで、なんも考えてないです。考えてないけど、何とかなる連中です。そして学生同士で遊ぶにも金銭感覚が違うと大変らしいです。
おれはもっぱら独りで遊んでたんでよくわかりませんが。
おれも高校の時は模試では点数はよかったんですが、あんまり勉強しなかったので第一志望の大学には入れなかったんです。でもまあ今は納得してますし、満足しています。
おれは高校の頃は神経質で下痢ばっかりしていましたが、いまは大学なんか適当でいいぜと思っています。
知りたいことがあったら、大学近くの飲み屋で管巻いてる学生に一升瓶与えれば何でも喋ると思います。冗談です。
なんか長々書いたんですが、上記のことは全て嘘なんで、ネットの情報を鵜のみにせず、信頼できる人に相談することをお勧めします。