はてなキーワード: ひらひらとは
Q.2枚のコインでコイントスしました。1枚はテーブルの上に乗りましたが、もう1枚がコロコロ転がって棚の下に潜り込んでしまいました。
答えは当然「2分の1」だ。
何でかって?あたりまえだろ。
(棚の下で縦に立っている可能性もある!とかいうのはなしな。)
え?お前は引っかかってる?3分の1だろって?
「1枚は表ってわかっているんだから、2枚とも裏は除外できる、(表、表)(表、裏)(裏、表)の3通りのうちの1つだから3分の1だ」だって?
違うなぁ。それは「2枚とも表である確率」だろ。ここで聞かれているのは「コロコロ転がっていったほう””が””表である確率」なんだよ。
風邪を引いたたかし君が病院に向かっているとき、牛がモォ~と鳴き、ちょうちょがひらひらっと飛びました。たかし君の病気はなんでしょう?
こんななぞなぞ解いたことがあるだろう。答えは盲腸ではなくて風邪だ。最初に風邪って言ってるじゃん。
テーブルの1文は牛がモォ~と鳴き…と同じ奴なんだ。
「テーブルの上のコインのことが書いてある…そうだ!これは2枚とも表になる確率を聞いているんだ!!」と引っかかってしまうわけだな。
よく「あの家には2人の子供がいて、上の子が女の子だとわかっている。下の子が女の子である確率は?」って言うのを見るけど、それもおんなじなんだよ。
…というわけで、確率のふりをした日本語の問題だったというオチでした。
本文ではひっかけと言ったが、テーブルの件を踏まえて2枚とも表である確率を聞いていると解釈するのはおかしくないと思う。
「コロコロ転がっていったほう””も””表である確率は?」と聞かれても、「2枚とも表の確率を聞いているかどうか」っていうのは人によって解釈変わると思う。
1910年代までに、たいていはミディブラウス(訳注:セーラー服みたいな襟・ひらひらがあるブラウスのこと)つきのブルマーパンツは、多くのアメリカの高校で体操着として採用された。サマーキャンプでも着られたとも思われる。1940年代までにはブルマーは中学でいまだに採用され続けていた。女子のブルマーは比較的足が長かったが、徐々に短くなった。特に40年代に女子の間でショーツが人気になった頃はそうだった。20年代には長くて黒いストッキングといっしょにはかれていたが、これは30年代には衰退した。40年代になるまで、一般的な学校ではショーツを女子に適切だとは考らえていなかった。ブルマーは50年代から60年代まで、ずっと短い足へとかわっていった。ミディブラウス付きのブルマーから一体型のロンパースーツに形式が変わった。明るいブルーのロンパーで、ショーツのように短かった。私が1957年から61年のあいだ高校に在学していた頃、女子はひどく古臭いと考えていて、子どもっぽいとも不満を言っていた。ロンパースーツはアメリカの高校で広く着られていた。
女子のブルマーは1910年代から30年代には足が長かったが、徐々に短くなり、1940年代にはショーツが女子の間で人気になった。1920年代には長くて黒いストッキングとともにはかれたが、30年代には衰退しはじめた。言える限りでは、ブルマーの衣装は体育だけのものだった。
1960年代から70年代になるまでは、多くの学校では一般的にショーツは女子に適切な格好だとは考えていなかった。ロンパーの衣装はずっと短い脚で、セーラー服の要素と共に、1950年代から60年代まで生き残っていた。スタイルはミディブラウス付きのブルマーからワンピースタイプのロンパースーツに変わっていった。ミディブラウスの要素は背中のひらひらに残っていることもあった。
ロンパー服は女子が主に体育やサマーキャンプで来ていた。これらのロンパー服はアメリカの高校で広く着られていた。ほとんどのアメリカの高校ではブルマーとミディブラウスの体操着があった。これらの服はサマーキャンプでも着られていた。ブルマーあるいはロンパースタイルの体操着は1960年代になってもアメリカの学校で着られていることがあった。
rompers : gender connotations Gym and Camp Uniforms
個人サイトのせいだろうか、誤字脱字がかなりある。中には1つの単語で複数のスペルミスがあるせいで、正しい綴りの推測が困難なものもあった。表現の重複もある。
なお、こうした上下一体のロンパースタイルの体操着とブルマについて書いた別のブログを見つけた。そっちのほうがわかりやすいので近々そっちも訳す予定だ。
提灯ブルマーについて調べようと思っていたのだが、ロンパースタイルの体操着があったとは知らなかった。
しかし、実は以前に上下一体の体操着について書かれたサイトを見つけているし、以前つぶやいたロシアのレオタード/体操着とも関係していそうである。
それと、和訳をしてみて思ったのだが、英語を英語のまま理解するのとは別の難しさがある。語順を変えないと読みやすい日本語にならないし、英語で理解したあとで日本語の文章にするという二度手間が発生する。なるほど、英語の先生が英文は英語のままで理解する方が訳すより速いと言っていたのはこういうことだったのか、とあらためて納得している。
はてラボの便所は元旦から大晦日まで一日数千件もの文章が毎日深夜0時から24時までネットの場末に所狭しと書き綴られます。
この便所の起源は平成十六年、あるコンビニに勤めていた一人の増田に始まったと言われています。
ある日、店長から「SNSで客を獲得してこい」と言われた増田は小さなノートPCに店舗用のメールアドレスが書かれた紙をひらひら挟んで休憩に入ったものの、はずかしくてどうしてもアカウントを開設することが出来なかった。集客できずに帰ると店長に叱られる。かといって、はずかしくて名前を入れることもできない。
途方に暮れて泣き出しそうになりながら書き込んだ所がはてラボのはてな匿名ダイアリーだったそうだ。
そこに偶然VIPのニートが書き込みを見、トラバを書いてくれた。
その後、又別の人が書き込みを見てトラバを書いてくれ、増田はその日の内に客を5人集めることができた。あくる日もそこへ店の宣伝を書くとトラバが書かれ、増田はいつもその場所に書き込んでカテゴリを作るようになった。
ある日、増田のあとに別の店名を記した日記が連なって書き込まれた。実は、その書き手もやはり増田と同じくSNSが出来ない気の小さな人だったという。二人並んで宣伝を書くようになり、そうこうしている内にだんだんトラバを返すニートも増え、しだいに暇人も集まり、いつしか小さな便所が立つようになったと言われております。
少し長い増田ですが、お許しください。
増:「はい」
詐:「トンカツ屋さんのお隣の家でアンテナの工事をしていたものですが、
そしたら教えてあげてきてと言われて、伺いました。」
増:「えっ、どこの事を言っているのか分かんない...?ちょっと今、出ていきますから。」
外に出ていくと、二十歳以下位の鳶の格好してる若いあんちゃんが、立っていた、
取りあえずどこが壊れているかを聞いてみた。
詐:「雨樋で見えずらいかもしれませんが、あの上に乗っかってる部分ですね。」
増:(ん!?さっき話してたところと違うんじゃない?)
詐:「浮いているだけなんで、釘で打ち付けられてるんですけど、踏んづけるだけで直りますよ。」
増:「あそうなんですか。うちは〇✖▽ハウスにお願いしてるんで、そちらに連絡してみます。
ありがとうございました。
ところで、古館さん(仮名)と言ってましたが、どこのお宅ですか?」
詐:「あのトンカツ屋の2軒隣の、...ほらあそこの古館さんで、アンテナの撤去作業してたんです。」
増:「えっ、あそこは大館さん(仮名)ですよ。(あそこのお宅も以前からケーブルテレビのはずだけど??)」
詐:「あ、そうでしたそうでした。大舘さんです。」
増:「ま、とりあえず、教えて頂いてありがとうございました。」、ペコペコとお礼のお辞儀を。
詐:「いーえ、もし何でしたら、言ってもらえれば直ぐに屋根に登りますので、言ってください。」
増:(良く知らないあんちゃんに家に入らせたり、屋根に上らせたりできないし、
ただでとも言いにくいし、〇✖▽ハウスの瓦谷さん(仮名)に電話しよう。
...
増:「瓦谷さんいらっしゃいますか?実はこんな...忠告を受けたもので、
瓦谷さんに直接電話したのですが出られませんでしたので、
そちらに電話した次第です。」
0120:「瓦谷は外に出ておりますので、増田様に電話するよう申し伝えます。」
増:「では、お願いします。」
...
10分後
瓦:「もしもし、瓦谷です、増田さんご無沙汰しておりまーす。」
増:「お世話になっております。」
瓦:「増田さん、屋根がひらひらしてるって、大舘さんのお宅の事ですか?
それとも増田さんのお宅の事ですか?」
増:「私の家のことです。」
瓦:「いや実はね、大舘さんからも屋根がどうのこうのって電話が入ってるんですが、
それとは違うということですね。」
増:「えっ!?大舘さんの所で作業されてた鳶の方が、私の家の屋根の事で、
伝えて来いって言われて、それで私の家に知らせに来たと言ってましたが。」
瓦:「うちの会社には、大舘さんの屋根が壊れていると忠告されたと、
...
...
んー、それね、新手の詐欺のようなんです。
良かったらすぐ直せるから登りましょうかって言って、
じゃあお願いしますというと屋根に上って30分位?、一服してきて、
2、3万位請求して帰るんですよ。
2、3万って払えない額じゃないじゃないですか。そこを突いてくるらしいんです。
増田さんの様にその人には頼まないで、うちの会社に電話してきた人の家に実際に行ってみると、
屋根は全く壊れていないんです。
そんな問合せが数十件、いや百件以上かもしれない、この市内で凄く多くなってきています。
ただ一回だけ、本当に少しだけ屋根が壊れていたことが有りましたが、
ものの1分で直るような軽微なものでした。そんなことも有る事は有りましたが。
...
とりあえず後で増田さんちに行って、屋根に上ってみますよ、気持ち悪いでしょうから。」
3、40分後、
瓦:「お待たせしました。」
増:「すいませんね、お忙しいところこんな用事作ってしまって。」
瓦:「いやいや、そんなことありませんよ。」
...
瓦:「いやいや、全く問題有りませんでしたよ。
良かったですよ、増田さんがその詐欺師にお願いする事が無くて。
それじゃこれで失礼します、大舘さんのお宅にも説明しときますので。
では...」
増田諸兄もご注意を。
・黄昏シリーズ第一作『アーシャのアトリエ』の主人公。フルネームはアーシャ・アルトゥール。
・公式の肩書きは「黄昏の大地で一人、生きる少女」。人里離れたアトリエに祖父と妹と三人で住んでいたが祖父は死亡、妹は数年前に行方不明になって失意のあまり塞ぎこんでいたという重い境遇がある。最近のアトリエ主人公は「家族と死別して一人ぼっち」だとか「周囲の環境がクソ」だとかの何かしら不憫な境遇を与えられがちだけど、その中の一人ぼっち部門に関しては堂々の一位を取れる不憫さ。マジで周囲に人がいない。
・そんな女の子がある日突然何の手がかりもないまま、「妹を救えるのは3年以内」という期限だけ与えられて黄昏の世界を彷徨うことになる。その心細さと合わせて、雰囲気がとてもよい。
・アトリエといえば「世界を救わない」というキャッチコピーがあるが、このゲームではその意味がちょっと変わってくる。"黄昏"という現象で世界の荒廃が進んでいるという、いわゆる終末ものの世界観でゲームが進む。その中でアーシャは世界を救うためではなく、妹を救うためだけに行動する。
・実は過去の文明が「黄昏からある方法で世界を救うための機構」としてある装置を作っていた。アーシャは妹を救うためにその装置を破壊するが、本当にその行動が正しかったのか悩み続けて"答え"を探すための旅に出る、というのがトゥルーエンド。とても好き。
・ただし続編ではその旅で無茶苦茶しすぎて指名手配というひどい扱いをされている。
・ゲーム序盤ではゲーム全体の雰囲気がとても暗い。アトリエ定番の「たる」も言ってくれない。
・妹を救出するとアーシャも元気に「たるー!」と言うようになる。アトリエのBGMも一気に明るいボーカルソングになる。その安堵感がとても好き。ただし世界は何も救われてないよ。
・アトリエでは作品ごとに百合CPだったりノマカプだったりが推されるが、アーシャではCV.中田譲治のツンデレおじさんとの28歳差歳の差CPが正規ルート。続々編の『シャリーのアトリエ』ではほとんど夫婦みたいになっている。
・女性主人公はどれだけビジュアルがよくても作中では「ちんちくりん」とか「色気がない」みたいな扱いされることがよくあるが、アーシャは違う。作中でたびたび美人だとか綺麗だとか言われまくる、設定からして美人。恐らくこんな扱いを受けてるアトリエ主人公は他にいない。実際イラストを見ると本当に美人なので納得するしかない。なお、本人は一切自覚していないので、直接言われても自分のことだと思わないかお世辞だと認識する。
・スピンオフ作品である『ネルケ』ではかなり影が薄かった。本人がボケるキャラでもないし同シリーズ内の他の錬金術師との接点もあんまりないし。薬師という設定だけ拾って「薬が必要になったら何でも作ってくれる」みたいな便利キャラになっていた。
・黄昏第二作『エスカ&ロジーのアトリエ』の主人公の一人。フルネームはエスカ・メーリエ。
・公式の肩書きは「黄昏の空に夢を追い続ける少女」。錬金術士の母を亡くしている、リンゴ農家の娘。ロジーさん(後述)と一緒に地元の役人として働く。
・タイトル名が「エスカ&ロジーのアトリエ」で、「エスカとロジー」→「エスカトロジー(終末論)」という言葉遊びになっている。
・ゲームとしてはエスカ主人公とロジー主人公のどちらかを選択して始めることになる。正直ほとんど変わらないが。エスカルートを選ぶと「暗い過去を抱えたイケメンを口説き倒す乙女ゲー」みたいな気持ちで遊ぶことができる。
・近年のアトリエの中でも特に恋愛要素が強い。他の作品では作中でCPが推されるといってもぼんやり出される程度なことが多いが、エスカとロジーの組み合わせに関しては作中公認カップルである。(ちなみに後のスピンオフ作品『ネルケ』でもそのレベルで甘々なカップルが出てくる。)ただしエスカを主人公にした場合でもロジーを主人公にした場合でもエンディングによっては別キャラとの恋愛要素を匂わせることができて、自由に脳を破壊することができる。
・『フィリスのアトリエ』でも登場する。何故か幼女の姿で。これはパラレルキャラとしての登場で、同じく登場するパラレルのロジーさんとここでもイチャイチャする。
・役人なのでアイテムは申請すれば自作せずとも補充してもらえる。これを悪用してお菓子を量産してもらっていた。
・アトリエシリーズの中で唯一テレビアニメ化されている。正直なところ出来が悪い...というか題材が悪いと思うけど。ゲーム自体のストーリーがそもそもかなり薄めなのでほとんど日常回だらけになっている。それを楽しむスピンオフくらいの気持ちで見よう。
・黄昏シリーズの主人公の中では一番露出度の高い服装をしている。というかすごいおっぱい推しされる。アニメの温泉回とかすごかった。ゲーム内のスチルでは作中の時間経過に合わせてどんどん大きく描かれるという細かさ。
・正直キャラクターそのものより担当声優のイメージの方が強い。アトリエシリーズの定番としてクリア後のおまけコンテンツで、登場した声優によるボイスメッセージのコーナーがある。そのメッセージがエスカ担当だけ異常に長い。他のキャラが1,2分で終わらせるところを10分とか15分とか平気で使う。『エスカ&ロジーのアトリエ』『シャリーのアトリエ』『フィリスのアトリエ』『ネルケ』のそれぞれでめちゃくちゃに語るし、長すぎて前後編に分割されたりしてる。内容もなかなか脳みそふわふわなトークで好き。
・黄昏第二作『エスカ&ロジーのアトリエ』の主人公の一人。フルネームはロジックス・フィクサリオ。
・アトリエキャラクター人気ランキング第5位。もちろん男性キャラクターとしてはトップ。
・公式の肩書きは「見果てぬ夢を黄昏の空に願う青年」。元は中央の技術者だったが、やらかした結果地方の役人としてエスカと一緒に働くことになった。
・空中に存在する遺跡「未踏遺跡」に到達するため、かつて大事故により挫折した飛行船の製造に再挑戦する。エスカのおかげで過去の傷と向き合うようになるという関係性が熱い。
・トゥルーエンド到達のためにはエスカルートとロジールートを両方クリアする必要がある。ロジーは功績を認められた技術者として中央に戻り、エスカは錬金術士として地元を守る。二人の道が一旦分かれるが、数年後成長した姿で再会する。好き。
・銀髪イケメン。近年のアトリエでは唯一の男主人公。イケメン。「彼のカッコよさを超えられないからもう男主人公は出せない」とまでいわれる。
・杖ではなく剣を使って戦う。かっこいい。さらに手甲のような仕込み武器を身に着けていてそこからエネルギー的なものを放出することもできる。かっこいい。なんかライダーキック的な技も出す。かっこ...いいか?
・戦闘面ではエスカと合わせてアイテムを使うコンビネーション技「ダブルドロー」が最強。どんな敵もこれだけで倒せる。二人合わせて屈指の戦闘種族となっている。
・過去の事故により腕に大火傷の痕がある。それがうっかり見られてしまうイベントスチルがあるのだが、どちらかというと「お着替えしてたらエスカが入ってきちゃったお色気シーン」みたいな印象の方が強い。ちなみにこれと対になる(1ルートでどちらかしか見れない)エスカのイベントスチルもあるが、これはお着換えではなく「盗み食いをしてる瞬間をロジーに見られる」というシーンになる。なぜだ。
・先述した通りエスカとの恋愛要素を出してくるが、DX版でゲームとして遊ぶとちょっとチグハグな印象を受ける。これは『エスカとロジーのアトリエ』の無印版からPlus版で追加された要素があるため。ただの相棒的な扱いとがっつりカップル的な扱いが混在する。その辺の解釈・表現がわりと作品ごとにふわふわ。
・個人的には恋愛感情よりもお兄ちゃんくらいの気分でロジーさんを慕うエスカと無意識にめちゃくちゃ距離が近いエスカにドキッとしちゃうロジーさんくらいの距離感が一番熱いんですがどうでしょう。あなたはどうですか?
・「新式錬金術」と呼ばれるエスカやアーシャとは異なる錬金術を扱う。錬金術を「理論化された科学」として扱うもの。これは黄昏世界ではむしろ主流の方式だが、錬金窯を用いた錬金ができない。じゃあ何するのかというと鍛冶場で武器を作る。というわけでこのゲームでは、アイテム作りはエスカが担当し、武器づくりはロジーさんが担当する。錬金術とか言ってただの鍛冶師になってるがそれでいいのか?それは錬金術なのか?
・『ソフィーのアトリエ』『フィリスのアトリエ』にもパラレルキャラとして登場する。本当にただの鍛冶師として。それでいいのか?
・アニメ版『エスカ&ロジーのアトリエ』にももちろん登場するが、めちゃくちゃ影が薄い。エスカ&ウィルベルのアトリエとか言われるくらい扱いが雑。イケメンお兄さんがターゲット層に合わなかったんだろうなあ。
・DVD特典のイラストとして、なぜかシャリーの衣装(女装)を着せられたロジーさんのイラストが公式で存在する。いや本当になんで?
・黄昏第三作『シャリーのアトリエ』の主人公の一人。フルネームはシャリステラ。小さな部族の出身なので苗字が存在しない。
・アトリエキャラクター人気ランキング第28位。ロロナ以降のアトリエ主人公としては最も低い順位。
・公式の肩書きは「使命を胸に黄昏の海へと赴く少女」。船の一族と呼ばれる部族の長の娘。水源が枯れた村を救うために砂漠を進む船に乗ってオアシスの街に来た。
・黄昏の海=砂漠。砂漠を駆ける不思議な船(兼アトリエ)を拠点に冒険する。
・愛称はシャリー。同じくシャリーと呼ばれる名前をきっかけに錬金術士・シャルロッテと仲良くなり、お互いをシャリーと呼び合うようになる。
・ある理由で仲違いするが、それぞれ別の事情がある別の人間なんだということを認識するようになり、それ以降は「ステラ」「ロッテ」と呼び合う。この関係性は好き。
・武器は杖ではなく鈴。ひらひらした衣装を身にまとってくるくる回りながら鈴を振って戦う。とてもかわいい。
・ゲーム開始時にシャリステラを主人公にするかシャルロッテを主人公にするか選ぶ。この選択肢によって序盤はわりと変わる。後半はだいたい同じ。
・シャリステラについて語ろうと思うとわりと愚痴が多くなる。作品として評価が低いシャリーのアトリエだが、特にその悪い部分の要因になりがち。
・シャリステラルートで最初に仲間になるキャラクターとシャルロッテルートで最初に仲間になるキャラクターが変わるが、シャリステラ陣営のキャラクターが全体的に薄い。シャリステラそのものも「村のために頑張ってる真面目な子」以上の印象が生まれなくてかなり薄い。せいぜい「お肉大好き」みたいな設定しか出てこない。それぞれのキャラデザがいい分描写が負けているのが惜しい。
・村の問題も特に解決しないままストーリーが終わる。無印版に比べてPlus版ではストーリーが追加されてるのだが、それでもシャリステラの問題に関してはノータッチ。すっきりしない。
・キャラデザはめちゃくちゃ好きだし「錬金術の船に守られた一族」って設定もワクワクする。もっといろいろ見せてほしかった。その辺はアトリエシリーズの悪いところ出てるなあと思う。
・通常戦闘BGMはシャリステラとシャルロッテのどちらを選んだかで変化する。さらにそれぞれストーリーの進行度によって三段階でアレンジが変化する。合計6曲あることになるが、その全てがクオリティが高い。シャリステラの曲は浅野さんが担当の神秘的で爽やかな曲、シャルロッテの曲は柳川さんが担当で明るくて元気なイメージの曲となる。キャラのイメージに合っていて好き。
・エスカ&ロジーのアトリエのアニメにも最後の最後にちょっとだけ出てくる。シャルロッテと揃って「がんばって!」とだけ言う。何を頑張るんだ。
・黄昏第三作『シャリーのアトリエ』の主人公の一人。フルネームはシャルロッテ・エルミナス。
・公式の肩書きは「大いなる野望を胸に黄昏の海を駆ける少女」。街の掃除屋として使いっ走りをさせられているだけのポンコツ錬金術士だが、いつかビッグになりたいという夢を持つ。錬金術士の父親は亡くなっていて、病弱な母と二人で暮らしている。
・愛称は「シャリー」「シャル」「ロッテ」といろいろ呼ばれる。
・蛍光色の緑のショートヘアと女子高生みたいな現代的な服装で、シリーズを通してもかなり異質なデザインになっている。錬金術の道具を詰めたバッグを常に掛けていて、パイスラッシュになっている。この点はあらゆる一枚絵で強調される。スピンオフの『ネルケ』でもここだけは欠かせない。おっぱいも全シリーズ全キャラを通してかなり大きい方。
・シャリステラ陣営はキャラが薄いと先述したが、それに対してシャルロッテ陣営はなかなかキャラも描写も濃い。
・シャルロッテは突然謎の歌を歌いだすアホの子でありつつ、年相応の悩みを抱えた女の子でもある。その二面性が魅力。特にシリアスが加速している『シャリーのアトリエ』において、服装もあいまって「等身大の普通な女の子」を感じさせる彼女の存在がとてもありがたく感じる。
・ストーリーの最初に、黄昏シリーズ皆勤賞の魔法使い「ウィルベル」と出会う。彼女のことを錬金術士と勘違いし、シャルロッテは弟子入りを申し込む。ウィルベルはちょうど不要になっていた箒を渡し、適当に師匠ぶってあしらうようになる。ウィルベルはウィルベルでちょうど魔法使いとしての行き詰まりを感じていて、だんだんシャルロッテの存在がウィルベルにとっての救いになっていく。シャルロッテがウィルベルを励ます一枚絵の美しさは必見。あるエンディングではシャルロッテがウィルベルに正式に弟子入りする。ウィルベルに居場所ができてよかった...という点だけでもシャルロッテ好き。
・将来に悩んでいたシャルロッテが、ストーリー終盤に見つけた目標が「空を飛ぶこと」なのが好き。ウィルベルの姿に憧れたんだね...。そのために錬金術の船の原理を調べ、過去主人公達の力も借りていく。全体的にシリアスな黄昏シリーズの、特に終盤も終盤で普通の女の子がちょっとした夢をかなえるために頑張る姿がよかった。「空を飛ぶ練習」と言って落ちるだけのアホなタスクが挟まるのも好き。
・シャルロッテの武器は箒。これは便利屋として街の掃除に使っていたことから。最終的にはウィルベルからもらった箒を装備して、ブンブン振り回して戦う。動きが全体的にコミカルでかわいい。
今日は良い天気ね!
だいたいいつも夜お洗濯するんだけど、
こないだ午前中に洗濯してしまってめちゃくちゃ気持ちよかったわ。
まさに爽快!
そうかい?って聞かないで!
そうそう!
今朝さー
私もそんな気持ちがあったけど
結局誰も拾わないのね。
よっぽど勇気がいるわ。
あの千円札の行方は!?って映画化したら全米が泣いてくれるかな?
紙幣が落ちていると、
罠かも!って上を見渡してカゴみたいな小鳥を捕まえる罠になってないか心配になるけど、
たいていの場合はそう言う罠はないけど、
拾おうとした瞬間に
実は釣り糸で結ばれていて、
取ろうとした瞬間しゅ!っと竿をいいて
とれなくする
トルコアイスの売り子さんより意地悪な、
あのトルコアイスの人も素直に渡せば良いのに、
ケバブではそんなことしないのに、
そんな扱いには出来ないって意味もあるかも知れないけどね。
そんで、
その紙幣を拾おうとしたら、
紐が付いていて、
ずっと千円札を追いかけるところを遠くからウォッチされて動画にされてアップされてしまうわよね。
やっぱりおろしニンニクチューブやおろし生姜チューブは冷蔵庫にいざって時にあったらいいわよね。
今すごくいい上手いこと言ったからパクっていいわよ!って言わんばかりのドヤ顔アンドドヤ風を吹かせつつ
直接すり下ろした方が美味しいのよね。
風味的な意味でも。
クララの比ではないわ。
ってアルプスの少女のハイジの知ってる知識はそこだけかよ!って人多いと思うわ。
あと干し草のベット!
あれはふわふわですごく柔らかそうに見えるけど、
チクチクすると思うんだけどね。
そして、
意外とホームに落ちている千円札は誰も拾われないのね!っても思ったわ。
うふふ。
皮ごと使えるレモンかったので、
厚めの輪切りにして
風味が立つわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
テニスのアンスコといえばフリフリ白パンツか、紺ブルマーのイメージだ。純白のスカートから躍動する脚、チラチラのぞきブルマー。実物は見たことないのに、なぜかドキドキしてしまう。この偽装された記憶はどこから来たのだろう。
ウィキペディアによれば、第1回大会はセンターコートに置いてあった芝生の手入れ用のローラーを新しくする資金集めを目的に、1877年7月9日から始まったそうだ。種目は男子シングルスのみのアマチュアの大会だった。
1884年に女子シングルスと、それまでオックスフォードで開催されていた全英男子ダブルスがウィンブルドンで開催されるようになった。1913年には女子ダブルスとミックスダブルスが加えられ、1968年にはプロ選手の参加が認められた。
世界中から強豪選手が参加するようになったため、地元イギリスの出身者は長らく優勝できなかった。男子シングルスでは1936年のFrederick John Perryから2013年のSir Andrew Barron "Andy" Murrayまでの77年間、優勝がなかった。また、女子シングルスでは1977年のVirginia Wadeの優勝を最後に40年以上イギリス人の優勝者は出ていない。
ちなみに、このように海外勢いに門戸を開いた結果、地元勢が淘汰され消沈することを「ウィンブルドン効果」という。
開催時期は原則として6月最終月曜日から2週間で、ちょうど英国の社交の季節だ。競馬のロイヤル・アスコット(「マイ・フェア・レディ」に出てくるあれ)、競艇のロイヤル・ヘンリー・レガッタもこの時期だ。
ドレスコードが厳しいのでも有名で、原則身に着けるのは白一色である汗じみが見苦しくないようにともいわれる。ブリタニカのページなので確かだろう。
https://www.britannica.com/story/why-do-tennis-players-wear-white-at-wimbledon
元々、ウィンブルドンでは女性はロングスカートや分厚いシャツ、それから帽子をかぶることが要請されていた。こちらではコルセット付きだったとも(ただし白い衣装について異説を紹介していることに注意)。20世紀初頭のテニスプレイヤーは道行く女性の姿と大して変わらなかったのである。だから本気で優勝を目指すことはおろか、ちょっと大きな球を返すのさえ大変だった。当時の男性がずっと軽装だったのと対照的である。
流れを変えたのはDorothea Douglass Lambert Chambersという選手で、1900年により簡素なシャツにネクタイ姿で登場した。7度シングルで優勝し、1908年には夏のオリンピックで金メダルを取っている。彼女は1910年にドレスコードやエチケットについての本を著している。
その後フランスのSuzanne Lenglenがテニス界のフラッパー(新しい女)として知られるようになった。飲み物をブランデーと入れ替えたり、強めのメイクをしたりといたずらも好きだった。負けると感情的になったことでも知られる。彼女は白のみのファッションを許容していたウィンブルドンに立ったが、エキセントリックなファッションセンスでも知られていた。ミンクやオコジョのコートをまとい、当時としては短いスカートでプレイしたのである。彼女が次の世代の女性たちに道を切り開いた。
そして戦後の1949年、Gertrude Moran(Gorgeous Gussie)がスキャンダルを引き起こした。というのも、ウィンブルドンの意匠は白一色だと規定されていたのだが、そのあまりにも「明らさまな」白い衣装に観客はショックを受けた。どういうことか。試合の前にMoranは公式開催主のTed Tinlingに衣装をデザインしてくれと依頼していた。一見すると規定に従った衣装に見えるのだが、実際にプレイするとフリル付きの下着が丸見えになったのだ。
これに関し、All England Club’sの委員会は「ウィンブルドンに野卑と罪を持ち込んだ」と猛烈に批判し、国会でさえ適切な衣装についての議論が起こった。Tinlingは33年のキャリアにもかかわらずウィンブルドンのホストを追放された。にもかかわらず、Moranは魅力的な姿から彼女は人気だった。彼女は後に「自分はただの女の子だったが、メディアが大げさに書き立てたのだ」という趣旨の発言を残している。彼女は60年代まで活躍した。
https://www.thecut.com/2018/08/womens-tennis-outfits-convtroversy-history.html
衣装に関する議論は定期的に起きている。全ての内容を翻訳していてはページが長くなるので、見せパンに関係するいくつかのみをピックアップする。
1958年にアメリカのKarol Fagerousは金のラメ入りの見せパンを全仏オープンで披露したが、すぐさまウィンブルドン大会への参加を禁止された。「対戦相手を不快にさせる」のがその理由だ。しかし、金のラメを白いレースで覆うことで参加を許可されている。
あるいは2016年のナイキがデザインしたベビードール風のテニスウエアがある。しかし、選手が身体を隠すのに苦労したし、ひらひらして浮いてくる。実際写真で検索するとしょっちゅう短パンというか見せパンが丸見えになる。なので、ナイキはすぐにその衣装を改善したそうだ。
https://www.slideshare.net/guimera/wimbledon-2014-fashion-through-history
見せパンについてはこちらも参照。たとえば6番目の写真のChris Evert、1976年のピンクの見せパンや、41番のTracy Austin、1981年の黄色の見せパンを確認できる。50番はTatiana Golovinは赤の見せパン(短パン)で、このときウィンブルドンは衣装がすべて白という規定に抵触するかどうかでもめたらしい。一応、下着の色は自由だということでおとがめなしだったそうだ。56によるとMaria SharapovaやSerena Williamsの赤の短パンが、そして色付きのネイルが問題になったらしい。
https://www.dailystar.co.uk/news/latest-news/bbc-bosses-blasted-focus-female-17086364
なお、大衆紙によると2016年にBBCの偉い人がテニス選手の見せパンやお尻ばかり撮影したと批判されたようだ。以前にビーチバレーの記事でも書いたが、カメラが性的にならないようにする工夫というのは必要である。
https://www.news-postseven.com/archives/20190904_1444086.html?DETAIL
エラリー・クイーンを読んでいた時に、確か「Zの悲劇」だったと思うが(いや、「レーン最後の事件」だったかな?)、ペインシェンスという娘が恋人とスキャンティ(パンティー、ショーツの別名)を買いに行く場面があった。同時代の小説での証言として興味深いのでメモしておく。
https://www.elle.com/jp/fashion/fashion-column/a35747586/history-of-pantslooks2021/
また、パンツでヒットしたのでここに記す。死文化していたが、フランスでは女性がスカートでないパンツスタイルをはくことが法で禁じられていたとのこと。女性の権利に関して非常に進歩的である地域に見えても、案外不平等なシステムの残滓が残っていたりするのもので、ときおり愕然とさせられる。たとえばスイスで女性参政権が得られたのは驚くなかれ1991年である。女性への制限、男性への制限、どっちでもない人への制限、みんなで少しずつなくしていきたい。
よくドレスコードなんかでもめる話で、ハイヒールを必ずはくよう要請される場所というのがある。なんかの映画祭でも話題になっていたことを記憶している。伝統に敬意を払うのは大事だが、はいていないと入場できないのはやりすぎのように思う。ドレスコードってのはみんなが居心地悪くならないようにするためのもので、人を縛るものとはちょっと違う。
例えば、足を怪我していたらどうするのか。もっと極端な話、脚が生まれつきない人はどうするのだ。茶化しているのではない。様々な疾患や障害があろうが困らないようにするほうが、誰にとっても生きやすい社会になるはずだ。
「Tennis Girl」というスカートからお尻丸出しの歴史的に有名な写真がなんと英語版ウィキペディアには掲載されている。ウィキメディアコモンズにはときおりとんでもない画像があるから驚かされる。
自分の投稿をブルマ増田としてまとめてくださる方がいる。あるいは、いつも応援のコメントをつけてくださる方がいる。ありがたいことだ。けれども、どうやって拾い上げているのだろう。一日に何千件も投稿されるはてな匿名ダイアリーの中から見つけるというのは大変な作業だ。すべてが注目エントリに入るわけではない。いったいどうやっているのかちょっとうかがってみたい。ブルマーというキーワードで定期的に検索をかけているのだろうか? それともそういうスクリプトが組めるのだろうか?
例えば女性のショーツ(そして見せパン)の形の変遷、チアの見せパンの歴史。また、古代エジプトでクレオパトラはカエサルと会ったときにどういう服装をしていたのか(絵画のようにトップレスになることがあったのか)、それからトップレスが許容されていていた地域の時代的変遷だ。これは身分にもよるだろうし、少し複雑になるだろう。あるいは、どうしてギリシア・ローマの流れを引き継いだ西洋絵画では、長らく女性器と陰毛があまり表現されていなかったのか。多くの古代文明では時に具象的に、時に抽象的に表現されているのに。謎は多い。