はてなキーワード: できちゃった婚とは
今日も世間の女どもが俺の股間見て涎垂らしてるのを見ながら街を闊歩してるスーパーイケイケ増田よ。やろうと思えば全員そこらのトイレでファックできたんだけどな、今日はまっすぐ帰ってきた。
そんな俺にも悩み事があってさ。
子供さ、嫌いなんだけどさ、みんな「自分の子供は別だよ、私も昔子供嫌いだった」みたいなこと言うわけだ。
いやそれはね生物学的にね、わかるの
でもさ。
もし、俺がその例外だったらどうする?
やっぱ育児大変だし、人って変わるから「産まなきゃよかった」っていうだったらどうする?
俺は責められないよ、だって人間だもん思ってたことと違うことだってある。
お金の問題とか、もしも障害を持った子供の妊娠だったらとか、妊婦が死ぬ系の難産とか、なんかもう心配しなきゃいけないの多くない?
そこまで心配なら産まなきゃいいだろってのは正解な気がするだろ。
でもうちの彼女がもし将来お友達に子供できない可哀想な中年扱いされたらどうする?
うちの彼女が妊娠まぁまぁきつい年齢になって「子供がほしい人生だったな」って思ったらどうする?
今まで人生何回も俺は色んなものの例外だった気がするわけだよ。
でもそんなことにビビって俺の将来の奥さんが不幸になられても困るだろ。
まあ、お母さんなんかは孫見たいだろうな。俺、一人息子だし。
嫌味なく俺はこいつら本当にすげえと思う。
誰も答えなんか持ってねえだろうからさ。
俺は引き続き悩むことにするよ。
Twitter覗いてたら、フォロワーの男が彼女を孕ませたことをしきりに、1時間に数回ペースでおんなじ内容を呟いていた。
最初は、それってただの「できちゃった婚」に繋がるようなバカ丸出しの話で、その底抜けなアホさ加減に気が付いていないんだろうなぁと
しか思っていなかったのだけど、これって結構社会問題とも関連があるんじゃないかと思えてきた。
そのフォロワーはまだ30手前で大して仕事でも出世していないようなんだけど、家庭を持とうとしている。
しかも、結婚→妊娠→出産という段階を踏まない、人間が他の動物とは異なる所以の「理性」を無視した
行動であり、人間の価値そのものを下げる一翼を担うような行動をしていて、他者に対してかなり無責任なんろうだと思った。
この、「理性」を排除した「性欲第一主義」とでもいうべき行動によってこの世に生まれてくる命が受ける過酷さを思うと、今から胸が痛くなる。
上記の行動をするような人間は、命を生み出すというスタート段階で「責任」を持っていないから、自分の子に対して責任を持たないし持てない。
だから、世の中の児童虐待事件の内容はどこか、生物学的な「親」が未熟で、幼稚で、底抜けのバカらしさを露呈している。
必ずしも、「できちゃった」ことや望まない妊娠が、虐待に至ると主張するつもりはないけれど、セックス的に親になることと、メンタル的に親になることは
別物なんだということが再実感される。
とりあえず、無計画に妊娠させた大した経済力もないであろう男がどういう行動をとるのか、良い観察対象なので引き続き警戒しようと思う。
ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。
本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。
ただあまりにも「結婚=幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。
結婚にはメリットもデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります。
まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間やタイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまうもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。
…あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。
強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?
結果としてついてくる分には勝手にしろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。
てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。
それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。
①安心感
安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。
文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間が自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。
つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的な手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。
それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。
これは交際前と交際後という比較的浅い次元の関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。
言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。
言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚な気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分の勝手な期待を相手に押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。
言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップルの破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。
浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。
人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。
付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。
交際前から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というものが法的拘束力を持つからだ。
これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。
②義務感
さっきの安心感に比べればこちらはシンプルなもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事のモチベーション向上に繋がる良い面がある。
その代わりに、義務感という言葉に強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。
人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐な言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。
できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。
とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。
まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意だから、必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。
子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれた子どもとしての役割、というこの二つ。
これはやはり一般的に幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。
正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵からの攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要な問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ。
ただ、現実問題そのように理想的に機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界。
そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感、自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。
それに、世間一般の家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分も父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。
ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。
それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というものは基本的に孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。
世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。
もし自分が父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。
まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。
子どもにとっては母である自分のパートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。
「子は鎹」という言葉がある。
こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係の人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。
けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。
子どもができることによって夫婦の関係は父母という関係にもなって、彼氏と彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児や教育や家計の問題でやっかみ合うようになり、関係は悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである。
…とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。
あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分が結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。
という記録。
できちゃった婚をおめでた婚や授かり婚などと言い換えてからもう随分経つ。
この少子化の中で、でき婚/できちゃった婚について昔ほど叩かれることはなくなったように思える。
しかし、未だにデキ婚を叩く人たちがインターネットの片隅に、井戸端会議のその中に、マックの女子高生の会話に、ところどころで生息していることを観測する。
私は彼あるいは彼女らがどういう属性で何を思ってデキ婚を叩いているのか知りたい。
彼あるいは彼女らの属性としてまず考えれるのは童貞あるいは処女である。
これらの人たちが婚前交渉をした末にデキ婚をした人たちを叩くのは無理もない。偏見であるが5ちゃんで観測する人たちはここの属性が多いように思える。
自分たちは結婚まで我慢したのだからデキ婚はさぞ不潔に見えよう。
そして考えられるのは、子供がデキたら必ず中絶してきた/させてきた人たち。
あまりこの属性の人たちがデキ婚を叩くのは想像し難いが、デキても中絶することを信条にしていた人たちならデキ婚を叩いても仕方がないように思える。
同じように考えられるのはデキても結婚せずに生む人/生ませる人たち。
デキても男に逃げられた女だとしたら、さぞデキ婚が憎かろうし、デキても逃げてきた男だとしたら、デキ婚する奴は憐れに見えよう。
上記四分類の属性の人たちがデキ婚を叩いているとしたらまぁわかる。
しかし、中には婚前交渉をしているにも関わらずデキ婚を叩く人たちがいるのを私は知っている。
彼らは「自分はコンドームつけてるから」と避妊していることをアピールするが、日本で主流なコンドームによる避妊は完璧ではない。
たとえピルによる避妊を併用したところで100%完全な避妊とは言い難い。
それにも関わらず、たまたま自分が黒ひげに当たらなかっただけで、たまたま黒ひげに当たった人を烈火の如く怒り叩く心情を私は理解できない。
某2.5俳優さんが某女優さんと授かり婚をする云々の周辺で、どうにも気持ちが悪いなと思って書きたいことを書く。
見ないようにしていても色々な言葉が流れていきました。
祝福する人、できちゃった婚はどうなのと言う人、タイミングが悪いと言う人、気持ち悪いとまで言う人。
あげく女優さんのほうからの不用意な発信で浮気の二股でどうしたこうしたで、なんかもうしっちゃかめっちゃかです。
気持ちはわかります。失望したとか嫌になったとかそういうのはしょうがないと思います。
でも、一回思い直してみてほしいのです。本当は、私たちオタク、つまり一消費者には、彼らのプライバシーをあげつらって批判したりする権利なんてないはずです。
俳優だろうがアイドルだろうが、一個の人間として人権を守られねばなりません。
プライバシーは守られるべきです。私たち芸能人でない人々と同様に。
現にあったことは、ひと組の男女が授かりものを機に結婚を決めましたということだけです。
授かったかどうかなんてもっと関係ありません。二股だろうが略奪だろうが、成人の二人が合意のもとに進めたことです。祝福しろとはいいませんが、それは彼や彼女の仕事とは本来なんの関係もないことです。
誠実じゃないという人がいます。
でも、貴方がお金を払った何時間か、何万円か、仕事場のなかで彼は貴方を最大限楽しませてくれたのではないですか。
逆にいえば、貴方が支払ったお金は各仕事場の彼、板の上の彼に払われたものであって、板の外の仕事をしていない状態の彼を縛るものではなんらありませんよね。
お行儀の悪い商売でしょう。しかし、これはどうにも、ホストに貢いだけど自分のものにならなかった、というのと変わらないと思います。
「営業」なので、「営業」が終わればそこでいったんおしまいではないですか。
「営業」中に夢を見せてもらって、きっと貴方はその分に見合った金額を、自分の意思で支払ったはずです。そしてそれは、彼の人生に指図できるほどの金額ではないはずです。
それこそ余計なお世話です。どんなに気をつけていても授かることがあるということですから、誰かが言い立てるほど軽率なことではなかったのかもしれません。よしんば軽率であったとしても産む決断をしたのは彼女であって、結婚すると決めたのはお二人です。そういう諸々がお二人の役者のキャリアに何か傷をつけてしまうのだとしたら、いまどきそれは業界の仕組みに疑義を提示してしかるべきではないですか。
男女ともに自分達で決めたタイミングで結婚・出産を決めてよいはずですし、それによって仕事を制限させられるなんてことが一般企業のなかで起きたら(起こりますけど)、批判されるのは企業側のはずですよね?(実態がどうとかは別として)
どうして芸能人のことになると、建前ですら人権を守れなくなる人がたくさん出てくるのでしょうか。
どうして、さも言ってやるのが当然のごとく、口汚く罵ったりできるのでしょうか。
どうして、正義のような振りをして、人権を侵害できるのですか。
どんなにお金を払っていても、それは仕事をしている彼ら彼女らの「仕事」に払われるべきものです。
人生の選択にケチをつける権利が、恋愛に口を挟む権利が、かけてきた好意やお金で手に入るとどうして思ってしまうのですか。
どうしてもクソもないんですけど。
ゴシップ誌は昔から、私生活を暴き立てて、恋人がいたりなんだりすることを悪いことのように書いてきました。
板の上で「恋人」を演じてくれていとしても、その人が板の外で人間的に暮らしていることが「悪」であるはずがないのに、です。
「恋人」だといいなと思っているファンは、そういう私生活を想像するのは避けるかもしれません。
私生活が見えてしまったら、嫌だな、夢が見れないな、ファンをやめようかな、と思うかもしれません。
でも、ゴシップ誌は「イメージどおりでない」ことを「悪」と言い立てます。
そうすると、ついファンのほうでは自分の「嫌悪」を「正義」に寄せてしまいます。
「正義」に寄ると気持ちいいし、やっぱり他人の下世話な話も気になるのでゴシップ記事は売れます。
業界側はそこに阿って、「イメージどおりでない」ことを暴き立てられたことを理由に、お仕事を降ろしたりします。(プライバシーを侵害された被害者だというのに!)
そうしていつしか恋愛禁止だのガチ恋営業だのお行儀の悪い商売をするようになりました。
そしてますます「イメージどおりでない」ことは「悪」に、それに対する「嫌悪」は「正義」であるかのようになってしまいました。
その「正義」なるもので、好きだったはずの人の人権をぶん殴っているわけですよね。
腹立たしいです。結局は低俗なゴシップを書く人の思い通りかと思うと吐き気がします。
アイドルや役者のなかには、「イメージどおり」であろうと努力し、私生活を律する人もたくさんいます。
そして、そういう人のほうが好きだな、という人もたくさんいます。
それ自体は尊いことです。よりよきことです。でも、「正義」ではありません。
「お客様は神様です」の話と同じです。
アイドルや役者本人が、そう志すことは立派で尊いことです。けれど、そうでないことが「悪」ではないです。
兄:38歳、男、既婚、バツイチ(前嫁との間に子どもがひとり、親権は前嫁)
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まず抱いた感想は、お嫁さん頑張ったなぁ(お嫁さんは今年で45歳で、一人目は今年で4歳)。
その次に、おめでとう。
そして最後に、兄でも子どもを育てているのに、自分は…という自責。
兄はいつも両親に迷惑を掛ける人だった。ヤンキーではないが、気分屋で頑固なクセに不器用でナイーブな扱いにくい性格。
当時高校生でアルバイトをしていた私に、「パチンコですってしまったからお金を貸してくれ」というくらいには結構ダメなやつ。
特に目的もなく一般の大学に入り、縁あって医療系のアルバイトに勤めたことがきっかけで看護師になりたいと決意し、卒業と同時に晴れて看護学生となった。
母は、「大学生のうちにやりたいことが見つかってよかったわ~」と言っていたが、本当にその通りだと深く頷いたのを覚えている。
だって、一人暮らしも3ヶ月で断念してしまう兄が普通に就職していたら、たぶん「もうやだ~辞める~」と言って退職しているだろうなと思ったからだ。
その後、留年したりなんやかんやあったので、兄が新社会人になったのは26歳のときだ。
兄はいつもそこそこ美人な恋人を連れてくるが、大体兄のワガママで長くは続かず、1年以内に別れる。
その時に結婚すると連れてきた人は、兄よりも年上で女芸人のゆりあんに似ていて、しかも少し会っただけで性格がキツイとわかるような人だった。
たかだか3ヶ月付き合っただけでなんで結婚まで?気が早すぎるのでは?と不思議に思っていたら、妊娠していると。
絶対に俺が育てる!結婚する!といって聞かないので、まぁ兄がいうなら…と両親も結婚を認めた。
が、子どもが1歳にならないうちに離婚した。というか、離婚する前から今の嫁と付き合っていた。不倫である。
そして、またできちゃった婚。なんだこいつ。
兄が大学+看護学校に行ったので、私は自分で学費を払わなければならなくなった。
大学を諦めて、奨学金とアルバイトを掛け持ちして学費を稼ぎながらデザイン系の専門学校に通い、20歳で就職すると同時に実家を出た。
給料は低かったけど、幸い好きな仕事ができる職場だったので苦ではなかった。
とにかく必死に頑張ったら、とんとん拍子に昇給し、生活も楽になった。春からは役職者だ。
私は、自分の力で生きていけるんだ、一人前の大人になれたんだ、と自信を持てるようになり嬉しかった。
しかし、そんな自信も兄にぐしゃぐしゃにされる。
たまに実家に帰ると、兄が無邪気に言ってくるのだ。
「早くお前も子ども産めよ! 兄妹同士で子ども遊ばせるの、憧れるんだよな~」
いつも自分の面倒は自分で見てきたけれど、正直いってこれ以上は無理。手一杯だ。
寧ろ、やっと余裕がでてきて、やっと好きなことができるようになったのに、なんで更にキツイ生活を送らなければならないんだろうか。
なぜ兄に合わせる必要があるんだろうか。そもそも年齢も職種も立場も違うのに。
しかも、産むときに痛い思いをするのは自分だ。そんな覚悟まだない。
でも、世間の常識からしたら兄の言う通りで、どんなに人様に迷惑を掛けないよう生きたって、子どもを産まない自分は半人前なのだろうな、と思う。
こんなことを考えてはいるが、兄は今の嫁とはうまくいっているみたいだし、姪っ子は可愛いし、生まれてくる子に罪はないので、兄の嫁やその子どもたちを恨むつもりはない。寧ろみんな好きだ。
増田だけど(笑)、名を変更した。氏ではなく。つまり例えば、増田佳美から増田宏実になったような話。名を変更するには家庭裁判所の許可がいるけど、許可が出たあとの話をする。
私は他人と性行為をしない人なんで一生結婚しないと思うから、氏を変更することもないだろうと思う。だから、名の変更はいい人生経験になったと思う。
家庭裁判所に申し立てるまでも大変なんだが、許可が出たら長型○号かなんかの封筒の定形郵便で審判書謄本がペらッと送られてくるので、いささか拍子抜けするかもしれない。審判書の謄本というのは、審判書をコピーしたやつに書記官が「謄本である」とか書いて記名押印したやつ。これを持って役所に届け出てはじめて、名が変更される。
金融機関とかの要らない口座は、なるだけ解約しておく。そうしないと、もっとめんどくさくなる。要る口座も、現住所に変更してないやつがないか確認しておく。
電力ガス水道とかは本人確認書類なしでもいいことが多いので、あらかじめ契約名義を変更しとくとラク。(電話は無理)
運転免許証も住基カードも個人番号カード(マイナンバーカード)も持っていない人は、マイナンバーカードをあらかじめつくっとくといい。可能なら、原付でも小特でもいいから運転免許をとっとく(有料)。名の変更がすぐに反映される顔写真入り本人確認書類だから。パスポートは、戸籍抄(または謄)本も必要で日数がかかる。マイナンバーカードや住基カードは受け付けてくれない業者もあるので、運転免許証が万能。
名の変更の届出先は、本籍地か住所地の市町村(東京特別区含む、以下同じ)。政令指定都市なんかは実際には区役所に行くと思う。本籍地と住所地で市町村が異なる人はどっちでもいいんだけど、本籍地から戸籍謄本を取り寄せないといけないとはいえ、住所地の方が便利だと思う。なぜなら住民票に即日反映されるから。
持ち物は、
名の変更手続の経験が少なそうな市町村ならば、前日かなんかにあらかじめ連絡しとくとスムーズになる。そうしないで奇襲すると大騒ぎになるかもしれない。私は奇襲攻撃をしたけど、住民票の写しをとって国民健康保険証を再発行しても1時間くらいで完了。
国民年金の人は、手続き要らないらしい。年金手帳も、氏名変更を載せたければ勝手に書いていいって言われた(笑
住民票には、旧氏名のところに取消線が引かれた状態で新氏名が載り、備考欄とかにも経緯が載るので、履歴がわかる。
運転免許証を持っている人は、すぐに記載事項変更手続。本籍記載の住民票を持って警察署(または運転免許試験場)に行く。裏面に書き加えられ、ICチップの内容も書き換えられる。こいつは万能型本人確認書類になる。完璧。
そして、新氏名の金融機関口座をつくる。既存の口座でも、本支店で即日変更可能な金融機関もあるかもしれないけれど、罠にハマる可能性がある。というのは、いままで口座自動振替(自動引落)とかで使っている口座だと、口座の氏名変更で引落し不能!ウェッってなることがある。滞納とか言われることもある。金融機関や、それと事業者の間の契約の内容によっては、口座の氏名を変更しても引き継がれることもあるけどケースバイケースで、いちいち確認して言質をとっとかないとヤバい。
自動引落をやっている人は、口座をつくるのと同時に申し込んどく。公共料金とかは金融機関店頭で申し込めることが多い。けどこれが切り替わるまで1か月くらいかかると思うので、気長に待とう。それまでは既存口座の氏名変更手続はやらない。
ほかの、銀行とか証券会社とかの変更手続は、可能なところからやっていく。住民票とかでやれるところと、戸籍抄本出せというところがある。後者は戸籍抄本を取り寄せてからなので期間がかかる。反対にPaypalみたいに氏名変更でさえも本人確認書類を撮影してアップロードすれば済むという金融機関もある。(どっちかってーと、撮影画像の方が改竄検出に特殊技能要らないから、コピーを郵送させるよりもラクなんだと思うよ実は。)
届出印と氏名が変わってしまった人は、改印届も一緒にやる。証券会社の入出金口座は口座名義と一致している必要があるから、さっきつくった銀行口座を使う。
クレジットカードを持っている人とか、発行会社との手続めんどくさそう(デビットは良いね)。住宅ローンとか自動車ローンとかで借りている人は、そっちも重大だよね。
国民健康保険や国民年金でない人はおそらく、手続が要る。つまり、協会けんぽや健康保険組合とか、厚生年金とか。要は職場関係。
不動産の所有権の氏名変更登記も、法務局の人に訊いたら、戸籍でないとダメって言われた。
詰むことはないはずだけど、金銭と期間と労力がかなりかかり、地道にやっていかないといけない。
こうして経験してみると、結婚で氏が変わる人は多いはずだけど、それも物凄く面倒くさいんだね。いわゆる「できちゃった婚」だと、結婚してすぐに手続やっていく余裕なんてないだろうなあ。さっさと選択的別姓制度やれや!
今年に入って、毎月心がざわつくことが多い
深田恭子の可愛さと松山ケンイチの素直なアホさ(褒め言葉)に目をひかれるが、かなり骨太なドラマだ
ここでは、コーポラティブハウス(ドラマで初めて知った)という住宅に
が住んでいる
この4組がわざわざこんな隣人との距離が近いところに住まないだろというツッコミを心の中でしつつも妻と見ている
毎回、大号泣だ
匿名だから言えるが、うちは39歳同士の小梨で、もう不妊治療を5年以上続けている
流産したこともあれば、しんどい治療を進めてもかすりもしなかったこともある
深キョンができちゃった婚の妹の妊娠を喜べない気持ち、めちゃめちゃよくわかる
テッシュがなくなるくらい泣いた
涙が枯れたんじゃないかと思う
妊娠してもしなくても、きっとモヤモヤは残るだろうが、変なラストに持っていかないで欲しいと思う
脚本家の中谷まゆみさん、監督の中野利幸さん(この人のインタビュー記事も、とてもいい)、
そして好きすぎで監修も調べたくらいなのだが、産婦人科クリニックさくらの桜井明弘先生、株式会社ファミワンの石川勇介先生、
みなさんありがとう
あえてここに書いてお礼をいいたい
そのくらい感謝している
深キョンをこれ以上苦しめないで欲しいけど
で、2月にきてこれだ
ママがおばけになっちゃった!を美談として取り上げていたマスゴミもだが、
このママにきーめた!という本が本当にひどい
ウケを狙いすぎる作風で、どこかで炎上すると思っていたが、ようやくだ
正直子供がいないので、歌のお兄さんとは知らない
歌詞を見ただけでヘドが出る
おまけのその偏見の塊が、どれだけの人を傷つけてきたのか考えたことないか
ドラマを見て学んで欲しい
監督の爪の垢でも煎じて飲め!
なんだか感情のままに書いたが、すっきりした
後悔はしていない