はてなキーワード: じわじわとは
ネット炎上で自殺問題が騒がれてて、きょうもえさんとイケダハヤト氏と周辺がもみ合っていて、どうしてこう遺産相続問題みたいにみんな負の遺産を皆で押し付け合いたがるかなーとも思う。
実際こんだけ騒ぐのは理由があって、多分皆できることなら死にたいんだと思う。もとい窮屈な社会から離脱したいんだと思う。だから声を上げる。俺がもっと自由になれる世界を作れと声を上げる。
人気絶頂で死にたい、注目を浴びて死にたい、でも実際は限られた理解者に見守られながら死にたい、そんな人もいたなって思われる状態をつくってひっそり死にたい。
でも本当はネットの弱い連帯の中なんてくそ食らえだ。寿命で死にたい、家族といえる人たちもいる中で死にたい、できたら窮屈じゃない場所で死にたい、綺麗な田舎で死にたい、それでいて便利さと人と会える距離感のある場所で死にたい。
それができないからすべてネットで弱音や怒りを発散したい。賢く見せたい、ちやほやされたい。
メンヘラの方々は乖離といって、生きてる心地がしないから皆リストカットに走って、血が出ると痛いとかより気持ちいいと感じるそうだ。それから痛みに襲われて、生きてる心地を取り返すのだという。
もしかしたらブロガーは死ねといわれて、それに反論することで自分の生きる理由が見つかると思ってるのかもしれない。死ねといわれてそれに傷つくことで自分が生きたいと思ってるんだと実感したいのかもしれない。そうして実際に死ねといわれても特に傷つかなかった自分を見て少しショックを受けているのかもしれない。死ねといわれてじわじわ呪いのようなものが自分の身体に侵食してくるのを感じて気持ち悪いのかもしれない。死ねと言われても死ぬことができなかったので他人に死ねと撒き散らして不穏分子を排除して自分のユートピアを作りたいのかもしれない。加藤か。
電子書籍が普及して、ブロガーが出版する事例がどんどん増えてきて、もしかしたら目立つことでワンチャンしたいのかもしれない。だれかがたくさんのイナゴの中からバッタを選び出して、家の広いゲージに飾ってくれるかもしれない。みんなそんな目立つピンクのバッタになりたいのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20130624132442
よその子供に対する、どこまでの指導をするべきか、ていうのもポイント。
僕自身は、子供が悪いことをするのであれば、それを正すことが可能な立場にいるのなら、腕を掴んででも引き留めるべきだと思っている。
それは、大人として。
・
他方、喫煙を悪と捉えることは出来ない。少なくとも成人の喫煙は許容されている。
彼女が、「大人になったら」「タバコを吸う」と言っている以上、それは許容されるべきだ。
しかし同時に、喫煙という行為の中毒性も、喫煙に伴う様々な害悪も僕は知っている。彼女と違って大人だから。
堂々と吸えるはずの大人でも、様々な理由で禁煙を試みる人は多い。しかも全員がタバコをやめられる訳ではない。
公共交通機関でも、路上でも、喫煙者の立場はじわじわと厳しくなっている。
はっきり言えば、タバコを吸い始めたばかりに向き合う苦労は本来、不要なものだ。
・
金があれば、喫煙してもいいわけではない。でも、それは言葉が足りなくて言えなかった。
僕は、彼女が不要な苦労を背負うことを防ぐことが出来る立場にいるかも知れない。
・
かといって、喫煙自体は否定できない。
それは、絶対に駄目だ。だれか答えを教えてください。
何とは言わないが、ひとつの区切りが付いたタイミングなので、追記する事にした。
ウサギィが社外のエンジニアを安く買いたたいた件が、じわじわと話題になっていた当時、僕の経験を元にウサギィ社長と会った話を記した。
今、ウサギィという会社は変わっているかもしれないし、昔のまんまかもしれない。
ウサギィの社員をRubyのイベントで見かけるようになった。そして社員が執筆したRubyの書籍も、良く出来ている。
HTML5 Japan Cup 2014では、ECサイト賞と花王賞を獲得した。プロダクトも素晴らしいと思います。
HTML5+画像認識(HTML5とか勉強会LT) - SSSSLIDE
画像解析の機能を分離したサービスがリリースされた。大変よく出来ている。
最先端の画像認識技術が簡単に試せる『画像解析できるマン』をリリース致しました。(2015/5/19)
Googleでウサギィとぐぐると、公式サイトの次にこのエントリーが表示される。
申し訳ない。という気はさらさらない。当時書いたこのエントリーを覆す気はないし、当時僕が感じた社長のニヒリズムと態度は、すこぶる不快だった。
が、あのとき社長が言い放った「何も話す実績はないし、聞かれても話す事はない」という状態ではなくなったと思います。
(別に守秘義務を破れと言っているのではない。来客に対して、品定めするような目でありながら、己の手の内を明かさず、悪辣な態度に腹が立ったのである。いくら守秘といえど、ものには言い方がある。)
今のウサギィには、いくつかの公開された実績があるし、コミュニティでの活躍もある。
これからも頑張って欲しい。ウサギィの今後を、応援してます!!
追記はここで筆を置き、以下は2013年5月当時のままとする。
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http://anond.hatelabo.jp/20130510163712
id:ssig33さんが「山岸和利の話」というエントリーを公開しているから、
彼についての技術力とか、金額が妥当かどうかは、そっちを参照。
それはともかく、僕も昔、ウサギィに見学に行ったけれども、良い印象を持たなかった。
とにもかくにも、社長の態度が悪いです。見くびっていたのでしょうね。
こちらの技術力とか、経験とか、雰囲気を見て、下に見る感じでした。
非常に失礼な応対だったので、同行者がいなければ、さっさと帰ろうと思ったほどです。
イラツキ半分、どうしようもないなぁ半分という微妙なきもちで、彼らの会話を見ていました。
それでいて「ウサギィでは何を作っていらっしゃるんですか?」と問うと「守秘義務だから」って、何も言わぬし。
そんな会社に、なぜ自分の実績や経験を話さなければならないんだ。って気分になりました。
いや、守秘義務は守秘義務だけどさ。君らの手札を見せないで、なんでこっちの手札を見せる必要があるんだろうね。
それとも「コイツには手札をチラ見させる必要もない」って判断をされただけかもしれませんが。
そもそもこちらは、ウサギィの守秘義務案件を聞いて、どうこうしたい訳ではない。
お話のとっかかりというか、コミュニケーションとして「どんなお仕事しているのですか?」と尋ねるのは、「今日はいい天気ですね」と同等レベルだと思う。
要するに気を遣っているだけなのだ。それに対して「守秘義務なんで」の一言シャットアウトは、さすがにコミュ力低すぎてびびる。
守秘義務と職業倫理が結びついている、医者や弁護士だって、もっとましな返答をする。
どうせ僕以外にも多くの人が同じ質問をしているだろうから、トークスクリプトを考えた方が良い。
小規模ベンチャーにありがちな、技術力至上主義的な考え方を持っていらっしゃるようでした。
でもさ。はっきり言って、飛び抜けて技術力持ってる。って訳じゃないよね、ウサギィの中の人。
もちろん、得意不得意分野はあるだろうけれど。
何か専門分野の特許を持っている訳でも、それに相当するような研究開発をしているわけでも、
特定の業種に特化してソフトウェア開発しているわけでも、不特定多数の人に使われるソフトを公開しているわけでも、
オープンソースの世界でバリバリ活動しているわけでもなく(WikiにRailsの機能紹介があるくらい)
何やっているかと言えば、いろいろな会社の社内ツールとか作ってるんだよね?ウサギィって。
でもさ、ウサギィ規模の会社が、外部非公開&守秘義務縛りの社内ツールしか作っていないって、結構つらいんじゃないかな?
7年(だっけ?)も会社やってるのに、訪問してきた人に、1つも話す実績がないって、なにやってきた会社なんだよ。どういう契約なんだよそれ。
そりゃ、お邪魔しても海鮮丼食べておしゃべりして帰るしかないよ……。
別にコンサルタントみたいなこと言うつもりもないが、会社として軸足持った商品開発した方が良いんじゃないでしょうかね。たぶん。
その全部がプロフェッショナルとして価値を提供できているんだろうか。あの人数で?
もしそうなら、すごい逸材ですね。かずー氏も町裕太社長も。
それから。会話でも採用情報でも、「デザイン、デザイン」ってやたら言ってるけれども、
ウサギィのウェブサイトは何年前のデザイン・センスだよ!!!!リニューアルしてこれかよ!!!!
いくらペーパプロトタイプで裏側設計をデザインしても、表向きの表現力がないなら、ただの残念ウェブサイトです。がんばりましょう。Adobeも月額5000円で使えるんだし。
えーっと。技術力がある人って、ウサギィみたいなことやっている会社に魅力を感じるんでしょうか?どこに?
ウェブサイト、リニューアルしてました。この増田を読んでくれたのかなぁ。おーい、かずー氏、みてるー?
今風になって、なかなかシャレオツだと思います。さすが、ソースコードも綺麗です。
まぁ、この記事を書いた当時は糞ダサかったって事で。
悪いコトばかり書きすぎるのもアレだ。かわいそうだ、うん、ごめん。さて業務について良さげな点を記そう。
開発環境の構築&業務フローの最適化については、しっかりしていると思いました。
こういうの、小さい会社ほど小回りがきく分野ではありますが、誰かが旗を振って導入しないと難しい。Gitとかペーパプロトタイプ導入とか。
別に珍しい手法を取り入れている訳ではなさそうだけれども、ちゃんと業務が流れているんだなと一目で分かった。
大きな会社であっても、ダメな所はてんでダメ。その点、ウサギィの業務フローはしっかりしてるように見えた。
そのあたり、かずー氏の得意分野なのでしょうか。
これが出来ている会社だと、従業員が増えた時の進化が早くなります。
渋谷あたりでソシャゲ作ってる弱小ベンチャーとかでよくある話ですが、
アプリがヒットしてエンジニアを大量採用したものの、情報管理や連携が取れなくて死屍累々って例は無数にあります。
しかし、もしかしたら。ウサギィにはそういう問題とは無縁かもしれません。
いつかウサギィに主軸事業ができ、会社が大きくなる時、比較的スムーズに開発業務を拡大できるのではと感じました。
「Twitterは宣伝道具。広告費がないから、Twitterで人を呼んで、優秀な人材を集める」
と言っていましたし、まぁそれもひとつの戦略なんだろうな。と思うものの、
人を安値で買い叩いてるっていうなら、もちろん感心はしない。
まぁ、そこはあまり僕の知っている範囲じゃないから、控えるけど。
ウサギィにインターンやらで行く学生が、僕の周りにいたら、止めるねえ。
今回の噂もあるが、それ以上に、ウサギィは体制が整っていない会社だ。
ウサギィ社長が言っていた「女性こそ、プログラミング能力を身につけるべき」という考えや
独立志向の思想(Independentな考え方)は、大変結構なことと思う。
せいぜい、ベンチャー企業の中身をちょこっと覗かせて、場所を提供して、終わり。ってレベルでしょう。
この業界、女性エンジニアというだけで、大した技術力や経験がなくても、引く手あまた。
教育してくれるところも、資金があるところも、いろいろあるからね。
ウェブサイトで「ウサギィの女子力!!」とか書いちゃってるけれど、女性エンジニアのタマゴは別にこんな会社に行く理由はない。
結局のところ、ウサギィは何をやっているかわからない、すこしTwitterで人気な、零細企業なのである。
まぁ、それを魅力に感じて働きたいという人は、行けば良いと考えますが。職業選択の自由です。
ウサギィの人達がよく使う「おもしろいことを、仕事にしたい」って、なんなんだろうね。
僕には、君たちの考える面白さが、分からなかった。伝わらなかった。
直接話したかずー氏も町社長も、リアリスティックでニヒリズムに満ちた発言ばかりだった。
Twitterでは、クールで知的なキャラクターにうつる。しかしリアルで会うと、ただの尖った思想のコミュ症ではないか。
君たちに実際に会って「ウサギィ、面白い、クールだ」って感じる人、どれくらいいるんだろうか。
経営者の役割って、一緒に働く人に、なにかしらの夢やら目標やら、見せるものじゃないかな。
そういう点で、ウサギィってどうなんだろうね。
ステッカーを大量に配りまくるのも、Twitterで知名度得るのもいいけど、
本気でブランディングしたいなら、もう少し考えた方が良いんじゃなかろうか。
君たちの目指す"おもしろさ"って、なんだい?
現在24歳。高2の頃に学校に行けなくなった。うつ病と診断された。高校に紹介された精神科に通うようになった。
それから引きこもったり、バイトをしては無断欠勤を繰り返したり、
一か月に一度は「トイレ以外でベッドから一歩も出られず、食事も一切採れない日」が2日~3日続いたりして、
まあ当然バイトをクビになって、「私はどこに行っても使い物にならないポンコツのゴミ、死ぬしかない」と大量服薬して吐いたり、
3か月間くらい一切家から一歩も出られなくなって引きこもったり、またバイト探したり…と散々だったけど、
名刺交換も最初は震えながらしていたし、頭が真っ白になって相手の言っていることが何もわからなくなったりもしたけど、
最近ではそういう場にも慣れた。以前の自分を取り戻したな、という感じがする。
そして、学校に行かなくなって6年目のあたりから、勤怠と対人能力が安定しだして、回復を実感するようになった。
私は以前、自分をストレス耐性の強い楽天家だと認識していて、かかっている負荷を"無かったこと"にしていて一度潰れた。
負荷には、今後の成長に繋がるものと、何の発展性もなくただ人を潰すだけのものがあると思う。
(ブラック企業の話にもつながるところ。激務でも高給を与え、成長しやすい環境を与え、
元従業員が起業したり転職したりで成功している人が多い企業は叩かれないが、
低い給料で従業員を酷使し、自殺者や精神病の患者を生み出している企業は「人材の使い捨て」と叩かれる)
つまり生きていくためには、負荷の種類に自覚的になり、自分の状態を客観視して、
できるだけ「自分をすり減らしながら耐えている期間」を長引かせないことが大事なんじゃないか。
その期間が長ければ長いほど、回復にも時間がかかり、大事な時間を無駄にすることになる。
今思うのは、メンタルの調子を既に崩している人のケアだけでなく、一見普通だし、ストレスに無自覚な人へのケアの重要性。
スキルス性うつ病とでもいうか。早期発見が重要なので、メンタルの定期健康診断とかあるといいんじゃないかな。
形骸化するかな~。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」
誰もが知っている超名門高校を出て、日本で最高と言われる大学に入った。大学では少し遊び、遠回りをすることとなったが、いわゆるリーダーシップを発揮する経験も積み、所属する組織において一定以上の地位に立ち、そして価値を提供してきたと自負している。腹を割って話すことのできる友人にも多く巡り合った。このような大学生活の後、就職活動に臨むこととなった。誰もが羨む、そして自らも納得することのできる企業に直ぐに決まると信じて疑わなかった。
「しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。」
同期が着々と内定を獲得していく。自分は滑り止めだと思っていたところにすら落ちる。自分よりも愚鈍であろうと思っていた人間も進路が決まっていく。周りが浮かれていく中、かつて歯牙にもかけなかった企業のエントリーシートを書く。
「彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。」
こうして李徴は虎になってしまったわけだが、私もまた虎になってしまうかもしれない。
彼は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を虎となった原因として挙げていた。これは(特に「素晴らしい」経歴を持つ人間であれば)誰もが持ちうるものではなかろうか。
私は今もなお虚勢を張り続けている。期待をかけ育ててくれた両親や語らいあった友、後輩に情けないところは見せられないと必死である。「就活は100m走じゃないから、ゆっくりと納得のいくところに行くんだ」「なまじ考えが新卒っぽくないから、染まりにくいと評されているのではないか」と嘯き、自己を正当化しようともがいている。この言動が関わりのある人間を安心させるためのものではないことは自明である。自らの臆病な自尊心を飼い太らせるためのものだ。
実際私がなぜ内定を得ることができないか、正確な理由はわからない。企業からのフィードバックは当然ながらないので、不確定な仮説を立てる他はない。この仮説を立てる上で私の尊大な羞恥心は牙を剥く。「縁がなかった」「合わなかった」と結論付けるのだ。
何も現状の仕組みについて不平を言うつもりはない。それで結果を出す人は多くいるのだから。企業の採用活動は慈善事業ではないのだから落とす人間にコストを掛けないことは道理であるし、両親や友が期待も道理である。誰もが道理である行動をとり、結果私の中で猛獣が、虎が猛るのだ。
むしろ虎になってしまったほうが楽なのかもしれない。今からでも間に合うような、一般的に東大生が行くとは到底言い難い企業を受け何とか内定を取るのか、またはそうではないフリーターか何かになってぶらぶらとその日暮らしを送るのか。しかし虎に身をやつした李徴がどれほど悲しみに胸を灼いたことか。ふと我に返り、自分の無駄にした人生に嘆くこととなるのは目に見えている。
これらを総称するといわゆる「大手病」であろう。良く聞く言葉だ。しかし、私の経歴を辿るような人は皆この病に罹っている、猛獣を内側に飼っているのではないだろうか。誰がこのシステムの中、好き好んで羨まれる経歴を歩みながら道を外すことがあろう。大手病自体が悪いのではなく、結果が出ないことの原因を大企業だけを受けていることに求めているに過ぎないのではなかろうか。特に一定以上の学歴である場合は。
熱意があればいいだろう、熱意が足りないのだ、熱意を見せろと言われたこともある。が、そもそも何で測るというのか。志望理由は明快にし、論理は組んでいるはずである。そういった準備をおろそかにするほどに馬鹿ではなかったから。もっとも、「作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがある」のかも知れないが。
私は見えないものと戦っている。取り掛かるべき相手が誰なのか全くわからない。自分なのか、他者なのか、企業なのか、はたまた社会システムなのか、何に不平を言えばいいのだろう。何を変えればいいのだろう。そこには悪意はない。悪意のない殺意が私の首を真綿で絞めるように、私をじわじわと殺している。
嗤ってくれ、虎になってしまう哀れな男を。そしてこの虎の中にかつての私がまだ生きているしるしにこんな文を書いてしまった。願わくばより広く広まれば。
本当に虎になってしまうのか、それとも「人」として就職活動を終えることができるのか。それは神のみぞ知る。天命に任せよう。がおー。
なにやら「じゃじゃもれ」を想像していたけど、報道資料を読むと、じわじわしみだしているような感じなのだな。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130409-00000092-mai-soci
でも、この問題、福島第一じゃない全然別の所に飛び火しそうな気がちょっとしてる。
この一時貯水槽の構造って、一般廃棄物の管理型処分場の構造と全くおんなじなんだよね。
このスタイルの処分場って、「焼却灰を通過することによって生じた、汚染物質を含む浸出水は、この遮水構造によって自然土壌には流出しません」って言うのを売りにしてる。しかし、今回の福島第一漏水問題で、どうもそうとばかりは言えなくなったような。
もっとも、対象とする水量のレベルがまるで違うので、同じように管理型廃棄物処分場の水がザザ漏れ、というわけではないだろうけど、色々とにぎやかに騒がしくなる界隈が出てくるんだろうなー、なんて増田で書いてみる。
その昔は児童ポルノ禁止法というものが存在しておらず、代わりに「陰毛禁止」という妙なルールが出版界にあった。
タレント・宮沢りえが、かつて写真集“サンタフェ”でフライング気味にヘアヌードを公表・発売したのは、今からすればヘア(実質的に)が解禁・入れ替わるように少女ヌード写真集が発禁になっていく転換点だったように思う。
ちなみにこの“サンタフェ”だが、撮影した時点(not出版)では彼女は17歳だったとも言われており、ヘアヌード&児童ポルノという、いろいろな意味で今の世の中には「存在してはいけない存在」になってしまった感がある。
序盤から脱線したが、自分も見せてもらったこの“サンタフェ”では、さすがにヌけなかった。アートと表現したほうがいいような、さわやかな印象の出来の写真集だった。
さて自分の場合は、エロといえばまずは二次元から入っていったタイプだ。
たとえば「地獄先生ぬ~べ~」は、少年誌連載にしてはけっこうきわどい(エロ的に)描写の多い漫画として知られるが、それよりも前に毎号どうどうとヌードシーンが載っていた漫画といえば、「おじゃまユーレイくん」を思い出す。
ただしこれらは、どちらかといえば「ボインちゃん」がメインな作品である。というか、ぬ~べ~の舞台ってたしか「小学校」。。。
自分にとっての決定打は、内山亜紀氏の作品を立ち読みしたことに尽きる。
思えばその時期を前後する形でオリジナルアニメブームが湧き、一方ではごく一部を中心として当時にカルト的人気を集めた「魔法のプリンセスミンキーモモ」あたりを題材にしたエロパロ同人誌が、徐々に一般にも販路を延ばしてきていた時点の話である。
ややマニアックな漫画雑誌・あるいはパソコンゲーム雑誌では、さすがに直接的な性的描写こそ無いものの、少女のヌードをモチーフにしたイラストなどが読者欄などで散見された気はする(この点、事実と相違があったらお詫びしたい)。
というかそもそも、当時のエニックスから出ていたパソコンゲーム作品に、そのものズバリの「ロリータシンドローム」というタイトルがあってだな。。。
時代はさらに下り、会員制のBBS・いわゆるパソコン通信というものが普及してきたあたりで、PC-9801の仕様に合わせた4096中16色で表現されたイラストが多数作成・アップロードされていた。その中でダウンロード数が多いのは、「エロ」を感じさせる作品に集中していた。(注・当時はすでに、エロゲ=9801の図式ができてきていた)
中には、(当時は)一部の機種でしか見られない多色JPEGデータをアップロードするような猛者がいたが、電話回線を使った28800bpsの速度でやり取りするにはデータ量がちょっと多過ぎたせいか、ダウンロード数はそれほどでも無かったような記憶がある。
そんな中で衝撃的に出会ったのが、写真家・力武靖氏の撮影による少女ヌード写真集である。今から思えばそれは「FRIENDS」の一部だったのだが、まともな検索手段が無かった当時としては、まったく未知の存在に触れた気がした。それのスキャン取り込みデータが、BBSに無断でアップロードされていたのだから、提供した側もずいぶんと大胆といえば大胆である。当時は自分はすでに成人していたが、家族と一緒に住んでいる手前、実写のエロ・しかも少女ヌード写真を本屋で買うほどの行動力はさすがになかった。通販事情としても、今のようにアマゾンほかオンラインショップで気軽に本を注文、という販路はまだ整備されていなかったので、しばらくはそのデータについて出どころが知れないままモヤモヤとしていた。
(もちろん、性的な意味でも)
やがて、個人でも準定額・のちに完全定額のインターネットが利用できるようになってきた時点で、検索サイトというものの存在を知る。
パソコン雑誌のコーナーでは、いわゆる「電脳アングラ」的な本がじわじわ売られてきていたが、そんな中で海外のサイトでのお宝画像(=エロ画像)のダウンロード方法が説明されていた中、自分はなぜかあの少女ヌード写真集の事が忘れられなかった。OSもWindows98以降が標準となり、安価なパソコンでもフルカラー画像を見るのがようやく当り前となってきた頃のことだったが、いくつかの紆余曲折の末にようやく、とある方法(具体的には省略)であの写真集と思われるデータを手に入れる事ができた。その時の感慨を表現できる言葉を、いまの自分が持ちあわせていないのは残念なくらいだ。
その後、写真集の被写体だった少女達は、日本人ではなく顔の造作の似た外国人である事を知ったりしたが、それでも彼女の人気は一部では根強く、後日にヌード部分を除いてまとめられた写真集(※アマゾンでも売ってた)が発売された際には高評価を得ていたように記憶している。
その写真集データを得たのと前後して、「ロリエロな漫画・イラスト」のデータの蒐集も続いた。二次元と三次元のエロは、近いのか遠いのか、と問われれば「遠くはないというか、ある意味別腹に近い」と自分は答える。喩えて言うなら、店で食べるラーメンとカップ麺の関係のような感じだろうか。
さらに言えば、実際にもし実行すれば確実にアウトな「幼女・未成年女子とのセックス場面」が、二次元での表現としてはまだセーフな事も(わいせつ物頒布うんぬんの論点はさておき)、見ていて自分のささやかな妄想を想起させた。
ただし、自分はどうもレイプを思わせる描写が(創作物であっても)ダメなタイプなので、その系じゃなきゃ燃えない方とは一緒に見られたくない、とワガママな主張をしておきたい。
だがそういった日本での内輪の価値観も、TPPその他での動きによって、そろそろ終わりに近づきつつありそうなのが正直悲しいし、怖い。
私の両親は私が小学校に上がる前に離婚した。私は母について行き、小学校低学年の時に新しい父が、その1年後に弟が一人できた。
母は恐らく、私が惨めな思いをしないように色々と気を配ったことだろう。私自身も、子供心に「自分が惨めがると母が悲しむ」と感じとっていたかもしれない。
ともあれ、私は父なし児といじめられる事も、経済的に困る事も、新しい家族に意地悪をされるような事もなく、自分が可哀想だとは本当に思わなかった。
だが、母方の祖父母は私を哀れんだ。そのことを隠さず口にした。
弟は新しい父の方の家から遺産を相続できるが、私にはそれが無いからと、私を祖父母の家の養子にしようとまで言った。
当時の私はそれを聞いて愕然とした。母や弟と離れて祖父母の家の子になるなんて考えられなかった。
私の何がそんなに可哀想なのか、全然理解できなかった。
後から思えば、祖父母は親の離婚が私の結婚の障害となったり、前の父が再婚してそちらの家の遺産争いに巻き込まれたりするのを危惧したのだろう。養子と言うのも、祖父母の生まれ育った土地と時代にあっては、さほど珍しくなかったのかもしれない。
幸いにも今に至るまで、私は両親の離婚を理由に直接嫌な思いをしたことは一度もない。影で何か言われてはいるかもしれないが、少なくとも人々は私にそれを感づかせないようにしてくれてはいるし、それならば何もないのと変わらない。
しかし、私が可哀想という前提に基づいた祖父母の干渉には、たびたび嫌な思いをした。
また、親が離婚していると性格が歪むというような言葉に、ネット上などで出会うとイライラした。
やがてそのうち、自分の中の様々な欠点は、親の離婚のせいなのだろうかと悩むようになった。
両親が離婚していない人は、自分に欠点があっても、それが親の離婚のせいかどうか悩む事はないだろう。
そういう言葉をどこかで見かけてもイライラする事もないし、家庭環境に対する周囲の気遣いが逆に不愉快だという経験もしないだろう(少なくとも離婚という点においては)。
幼い頃は逃げおおせたと思った呪い。「親が離婚していると不幸になる」という呪いが、大人になった今、じわじわと私に追い付き、絡みついてくる。
36歳女性出産経験無し 年齢を重ね基礎代謝が落ち、じわじわと体型が変わってきた。
親指と人差し指で手首を掴む。余裕を少し残しつつ掴める。ほっとする。
6年前に買った細身のジャケットを着る。シングルボタンがポーンと外れる。え?
もう一回止める。ポーン。あははラピュタの親方ー 違う、おかみさんの方だ。
胸が大きくなるってステキなことだけど、それに比例して二の腕、鎖骨周辺、肩甲骨付近も膨らんできている。下腹にもうっすらと厚みが増してきた。体の中心から太りだしているようだ。
今自分ができることは二つ
もりもり食べてがはがは笑い周りのみんなに好かれる肝っ玉かあちゃん風人格にシフト
どちらも難しい。
それはアメフトが「サッカーやラグビーのわかりにくさを野球のわかりやすさで補ったスポーツ」だから。
「アメフトって難しいですよね。サッカーはわかりやすいけど」と言われることがある。でも自分は完全に逆だと思う。
サッカーはルールがわかりやすいのであって「サッカーの何が面白いのか」は素人にわかりづらいようになっている。
逆にアメフトは面白さをわかりやすくする為にルールのわかりやすさが犠牲になったスポーツ。
サッカーの試合で行われていることの大半は、ゴールになる確率が高そうなシュートシーンをお膳立てするという作業だ。
たとえばこんな状況でこいつがシュート打てばゴールの確率30%以上、みたいなシーンを1試合にいくつ作れるか、あるいは作らせないかという争いをしている訳だが、
このゴール確率が一瞬で80%に上昇したと思ったら次の瞬間には何かのミスで0.1%になっているという具合で、素人にしてみれば何を喜び何を悲しんでいいのかよくわからない。
得点の期待値の高いシーンが90分間のうち数十秒とかしかない。
それでも辛抱強く(ゴールという)心おきなく喜べる瞬間を待ち続けるにはそれなりの動機が必要で、結局ナショナリズムの力を借りなければならない。
サッカーの人気が代表に集中しているのは、サッカーが多くの人にとって実はわかりにくい競技だから。
もちろん上級者の人たちはその「確率の上げ下げ」の争いをも(というかそれをメインに?)楽しんでいるわけで、
そういう「サッカーがわかる」人にとっては楽しいんだろうなあと思うし羨ましい限りなのだけれど、お茶の間の皆さんにはそれわかんないから。
一方、野球はルールは難解だが試合はわかりやすい。甲子園とかマジ老若男女が見る。なぜか。
野球は一つ一つのプレーごとに審判のコールによって「たった今行われたプレーが応援するチームにとって『良いこと』だったのか『悪いこと』だったのか」が観客にわかりやすく示される。
そしてここが大事な点なのだが、すべてのプレーの結果が一時的に保存される。保存されるからこそ観客は喜べる。
攻撃側にとって出塁や進塁は得点確率の上昇を示しており、しかもその確率が0.5秒後には元に戻ってましたというような心配はない。
いわば、たとえは悪いけどパチンコやスロットで当たりの確率が上がった状態であって、そういう状況になったこと自体が嬉しいのだ。
あるいは守備側にとって恐怖なのだ。そしてそんな状況でスリーアウトになれば守備側にとって歓喜の瞬間となる。アウトは一度宣告されれば失われることがないので思う存分祝っていいのである。
得点がたくさん入れば人気が出るというのであれば、いまごろバスケやバレーが日米の人気No.1スポーツになっているはず。
そうならなかったのは「もうちょっとで点が入りそう」という状況を一旦保存し、そんな状況になったこと自体をまず理解して喜んでもらい、観客の集中力を高めた上で然る後に喜びを爆発させてもらうという野球やアメフトの性質がスポーツエンターテインメントとしての力を発揮したということなのだと思う。
アメフトは基本ラグビーに似た陣取り合戦だけど、そこに野球的な要素、つまりプレーの断片化、攻守のターン制、そしてプレー結果の保存が行われるようになっている。
具体的にはボールを持った選手がタックルを受けて倒される度に試合が止まり、相手ゴールまであと何ヤードの地点まで進んだかが一旦保存される。
だから攻撃側は何ヤード進んだと言っては歓喜し、守備側は何ヤード押し戻したといっては狂喜する。
攻撃側が前進するほど得点の期待値がじわじわ高まっていき、守備側が健闘するほど攻守交代の可能性が高まって守備側の期待感が高まる。
それでいてサッカー的な戦術の面白さやスピード感も、野球のホームランのような華やかな一発プレーも相手の配球を読むようないやらしさも含んでいる。
公務員が相変わらず人気のようです。
確かに、現在の日本を取り巻く現状から公務員になりたい人の気持ちはわかります。
私自身公務員をしておりますので、公務員志望の方からアドバイスを求められることがあります。
http://anond.hatelabo.jp/20120922164617
前回、ちょっと暗くなるようなエントリーを書いたので今回は少し軽いノリで書きたいと思います。
私は一地方公務員ですので、市民と日々接する機会が多いのでよく感じるのが公務員に対する嫉妬と憧れの眼差しです。公務員に対しては、俺らの税金で飯食いやがって、もっと働けと思ってる一方で、自分の息子は絶対公務員、娘は公務員の嫁と考えている人が地方はやっぱり多い。確かに、地方でまともな職業といったら、公務員、教員、銀行員といったところです。だから、地方では公務員予備校が大人気なんですよね。
夜の街といっても風俗ではありません(地方公務員は顔がバレるとまずいので地元の風俗には行きません)いわゆる飲み屋ですね。なんだかんだで、総務系の部署は案外定時で終わるので、飲みに行く職員が多いです。そして、地方で繁盛する店は公務員のリピーターがいる店です。公務員は安定収入ですので、その店に対しても安定した顧客になってくれるわけです。民間だったら、明日の仕事を気にして平日に飲みに行く事を控えるかもしれませんが、時間を持て余した職員は今日も夜の街の経済活性化に貢献するわけです。
これは今度ちゃんと書こうと思いますが、案外生活保護が地方経済を支えている面は多いです。具体例をいうと、基本的に生活保護の大半は国の補助で地方への負担はほとんどありません。たとえ負担があっても交付税措置で軽減されています。生活保護が自治体財政を圧迫すると思っている人がいるかもしれませんが。嘘。地方財政を担当している時は、国の生活保護がある意味地方に対する所得移転、再分配的側面があるような気がしたものです。(当然、生活保護は国家財政には負担になる)それに生活保護受給者は車が持てないので、買い物は地元のスーパーで買うことになります。郊外のイオンとか利用すれば安いけど、足がないので地元のスーパーで買う。だから、生活保護受給者が多く住んでいる地区のスーパーや小売店ってなかなか潰れない。パチンコに行ってけしからんという人もいるけど、パチンコ屋はパチンコ屋でなんだかんだで地方に雇用を産み、税金も納めてくれるし、イメージ戦略のために地域の協力を惜しまない。なので、生活保護をバッシングする人はある意味正しいのだけれど、ある意味見落としているよなぁと思う。今度、この生活保護のことはじっくり書きたいと思う。
これは前のエントリーにも書いたけど、昼間に基本若い人は来ない。高齢者ばかり。年金、健康保険、税金といった類は業務の範疇なので対応は容易だが、陳情にも似た「地域の代表者」系がときどき来るのが厳しい。地域の代表というと、民生委員とか町内会長だとおもいきや、そういう地域のコミュニティには距離を置きながら独自のコミュニティ論を展開する人々が増えている。おそらく、出自は退職世代でしょう。彼らは今まで会社に属していたので地域コミュニティと関係を持たず、いわゆる「社縁」で生息してきたわけですが、退職して地域にどういうわけか関わるようになり、積極的に市町村に提言をするようになりました。おそらく、今後彼は豊富な財力を元手に市議会議員、町村議会選挙に出馬するかもしれないと思うと本当に怖い。
地方において、人脈は大切ですけど、それ以上に「カオ」が大切。さっきの地域の代表じゃないけど、ある程度信用がなければ地域のあの独特のコミュニティには入れない。ぶっちゃけ、実力とか、実務能力がなくても、基本ユーザーは高齢者なので、「○○さんにはお世話になっているから」という理由で仕事ができる。いくら行政事務に詳しくても、市民にとったらどうでもいい。ましてや地方でfacebookで人脈作るよりも、寄り合いとか町内会とかにカオを売った方いい。最初は雑用というか役員に祭り上げられて冷や飯食わされるけど、かならず報われる。そうです、それがムラ社会ってやつです。
自民党、民主党とかいろんな党派がありますけど、地方議会なんて党派無視です。基本田舎は共産党と公明党を覗いて、みんな基本は同じ考え。地域コミュニティの再生と経済活性化という方向が同じで選択肢も限られるから政策論なんて難しい。本当に議会の仕事って、地元の有力者(町内会長、古株民生委員、先述のカオのある人)の御用聞き的側面がある。だから、たかが補助金の申請に議員を同行するからこっちとしては始末に負えない。あと、議会は政策を提案すると思っている人もいるかもしれないけど、基本的に地方議会は元農家とか、自営業とか、公務員OBとか制度や運用の粗捜しはできても政策は作れないからね。国がアレだから地方は。。。。
私は商店街よりイオンを使います。イオンの株主でもあります。それぐらいイオンを使います。確かに商店街というところの店主は本当に個性豊かで面白いし、地方の顔であります。だからその意義は街の観光を語る上でも必要不可欠です。しかし、商店街には組合というものがあり、それが一種の圧力団体となっている現状があります。かならずその商店街を地盤とする議員が存在し、商店街活性化を名目として、いろいろな助成金、補助金、低い融資なりを要求します。商店街店主の有力者は近くに駐車場を持っている地主なので、お金には困りません。これは商店街に限らず、農家、建設業者、医師、地方にはいろいろな圧力団体がありますが、要求はお金をくれです。しかし、彼らの圧力が結果的に国から地方を支える補助事業の圧力になるので、否定もできませんが、うーん、なんだかなぁ
ヒントだけ。職員は月額最高2万7000円の家賃手当がつきます。これは持ち家には適用されません。あくまで賃貸です。では、賃貸物件のオーナーが親族だったらどうなるでしょう?頭の良い人は気づいたでしょ?
公務員OBって案外楽しそう。長年地域で活動してきたので、地域活動にも積極的に参加する人も多い。あと、公務員には多趣味な人も多い。作家になった公務員もいるぐらいですしね。なので、地方の文化水準とか、ボランティアとか非営利領域を公務員、それも公務員OBが支えていると思う。私もそういう人になりたいものです。
公務員は公僕だし、私は一生その地域に貢献して死ぬべきだと思う。だけど、決して下僕だと思わない。主権者である国民、市民が誤ったことを言えばそれを諌めるのも公僕の使命だと思う。公務員も同じ人間だし、今のデフレ日本では相対的に恵まれているかもしれない。残業代もでるし、社会的にも認められている。だけど、公務員だからといって聖人君子を求めているのはやっぱりおかしいと思う。この国はじわじわ衰退の道をたどっているけど、それでも公務員として精一杯がんばって、大好きな地域で死にたいものです。
http://anond.hatelabo.jp/20121013233222
ブログを始めました
以前の続き:http://anond.hatelabo.jp/20121214003650
日本を脱出しようとか盛り上がってるし、どうしようもない閉塞感があるって、普通のブロガーからいわゆる知識人までそう言う。
そういうのを目にしたり耳にすると、そうなんだなぁって落ち込んだりする。未来がないように思える。
でもさ、今の世の中って最高だよ。この時代に生きていてよかった。
テクノロジーってゆっくりと、でも着実に進化するから、それに僕らは気づかない。
資本主義社会はじわじわとその網の目を発達させてるからそれに気づかない。
かなり世の中はいい方向に進んでて、それを今の時代に生きている僕らは享受できる。
それが今ではネットでそこの情報を簡単に調べられて、ひょいっと行けちゃう。
ガンジス川に行こうと思い立った次の週にはインドに行くことができる。
しかも航空費も安くなってるし、どこなら安く泊まれるかも今なら簡単に知ることができる。現地に行っても日本と連絡が簡単にとれる。
英語の教材はそこら中に転がっていて、楽しみながら勉強できる。
英語が持つ影響力が増していることで英語圏じゃなくても英語をしゃべる人も増えていて、現地の人と会話が増えた。
中国でもタイでも英語でかなり楽しいコミュニケーションがとれた。自宅の夕食に招かれたなんてこともあった。
そこでの写真や感想をネットにアップしたりして、その情報はどんどん集まっていく。
実際に行かなくても、美しい映像、美しい写真が簡単に手に入る。
音楽や映画の機材は圧倒的に安くなってきて、プロ並みの機材をある程度の値段で揃えられる。
それをニコ動かYouTubeに流して、世界中に届けることができる。
金がないから、企業に属してないからなんて言い訳はもうしなくていい。
別にプロなんかにならなくたって、かなり楽しみの幅は広がってる。
マニアックな趣味もネットで探せば同好の人はいくらでもいる。マニアックなCDの情報もいくらでもある。
聞きたいと思った数秒後にはYouTubeである程度聞くことが出来る。戦艦ポチョムキンの階段のシーンもすぐに見れる。
聞き逃したラジオも、見逃したテレビも見られる。丸一日全部の番組も録画できる。1TBのHDDが1万円以下で買える。
スピーカーも安い値段でいいものが手に入るようになってる。数十万円かけるのが当たり前だった時代が馬鹿みたいだ。
料理のレシピもいくらでも手に入る。旨い飯はどこで食えるかもすぐにわかる。
ご当地ものを安く取り寄せられる。欲しい本をポチッとすれば当日に届く。コンビニは24時間やってる。
図書館で読みきれないほどの本を無料で楽しめるし、ネットで予約もできる。
数万人に一人の病気の体験談もネット上には見つかる。普段の生活で知り合いにならないであろう人とSNSでつながれる。
ネットを使った女の子との出会いも格段に増えた。うまくやってる奴はうまくやってる。
ネット上のオナニーのおかずは際限がない。無修正も手に入る。どこの風俗が評判がいいかもある程度わかる。
クラブに行くのも、バンドのグルーピーになるのも、腐女子になるのも、コミケに行くのも、ホスト通いでも何でもあり。
ぐだぐだネット上で戯れられる。猥雑な欲望もこの時代だから可能なものは数え切れない。
自己啓発したいのならいくらでもその情報は転がっている。資格や学歴を獲得する手段の情報もオープンになっている。
かつてであれば閉鎖的で限られた人しか知らない情報、隠したい情報も知ることができる。大本営発表は通用しない。
それこそ、海外でだって勉強できるし、働いて生活できる。物価の安い国で外こもりすることもできる。
仕事や遊びのバリエーションはかつてないほど溢れている。欲望を満たす手段もかつてないほど溢れている。
今だって犯罪はなくならないし、政治の腐敗もある。戦争もある。既得権益を手放さない奴もいる。
くだらないことを自慢げに喋る奴もいる。人を簡単に傷つける奴もいるし、差別も格差もなくならない。
でも、それはいつの時代だってそうだ。逆に言えば解決するに値する問題はいくらでもある。悲観的になっている場合じゃない。
そして、そうすることのできる条件の整った時代に僕らは生きている。日本に限っていえばなおさらだ。
「一回戦争でもして全部ぶっ壊してしまうしかない」そう思ってる人もいるかもしれない。でも、それが一番だめだ。
徐々に諸所の問題を解決していくしかない。大きな全てを解決するような答えなんてない。
複雑で猥雑で非合理な人間の多様性を認めたからこそ、あらゆることがかつてより自由な世界を享受できる。
だからこそ個人的な人生の意味付けはグラグラしていて、それを暫定的に定めて徐々に改善していく必要がある。
だから、この猥雑な世界を楽しもう。もっと楽観的でいよう。個々に抱える問題を徐々に改善していこう。