はてなキーワード: ざまぁとは
京アニはハルヒやけいおん辺りは好きだったが、氷菓や吹奏楽アニメくらいから萌え系の絵柄なのにやたら動く気持ちの悪い作画と、会社から漂う高尚様&金儲け主義の臭いが苦手になり、ヴァイオレットエヴァーガーデンで完全にダメになった。
ゴキブリ苦手な人にゴキブリは良い虫ですよ!と言っても何言ってんだテメェってなるでしょ。それと同じ。あのチグハグさが無理。
でも手掛けるアニメが面白いのも人気が出るのもさすが京アニだった。段々と派手さが無くなり人気も衰え腐女子向けアニメでなんとか稼いでいた感じではあったが。
なので例の事件を見た時は思わず笑ってしまった。ざまぁみろ、と思った。声には出さかなかった。大人なので。
おかげで胸のつかえが取れて京アニの復帰を普通に応援できるようになった。何十人かのアニメーターを犠牲に金を落とさないクソ人間の心が晴れた。
ありがとう青葉。
ざまぁ!
はてなブックマーカーは益田が思ってるよりもずっと暇なんだよ!
そういう座組ならどんなネタにも「いっちょかみ」して暇つぶしができるからな!
しね、ブクマカ!
「あえて」だけどね。
「あえて」どっちが上かを考えるならってことね。
なんつーか将棋棋士って今ですら完全にAIに頼り切ってる(変にこじらせて使ってない人はボロカスになってる)のに、AI技術者を下に見てる所あるよね。
異世界チートに出てくるヤラレキャラみたいなムーブっていうか。
「お前なんてただカタカタピコピコしてるだけだろwww俺たちには一生勝てないから荷物持ちしてろよwww」みたいな感じ?
それで1巻の終わりには完全に追い抜かされてざまぁwされてる定番ムーブ。
わざわざ謙れとは思わないけど、最低限謙虚な態度でいるべきだと思うな。
それこそ伸び悩むF-1レーサーにありがちな、メカニックを「天才になれなかった可哀想な秀才の集まり」と勘違いしてるタイプの人みたいな言動してる人がおるやん?
ダサいよね~~~
なんでやおもしろいで
キャラとか世界設定とかありがちなストーリーで最強とか寿命がながいとか全部おきまりパターンでそんなとこもうどうでもええやろ
全部言いきらずわかってるみたいなモーションだして次の一手を視聴者自身にもってくる控えめな演出
これが最強なのに隠してましたでざまぁする系じゃなくて視聴者がいる前提でつっこみをさせるのを一回でおわらせず逆にコンセプトとして連続させてる根性がすごい
しょうもない、から最高のくどさや何千年生きても無感情な不自然さとかを逆にコンセプトに取り込んでるところもすごい
修行と術式開示でみたいなのがちょっとあったけど前提回収の終わり部分やで
4話いこうはおきまりの定型パターンでいったん下げてから上げるわかってるみたいな表現が多いけど特筆すべきはその評価をモブで表現しないところ
みてる客ありきとして客につっこませるのを前提に展開する演出がすごい
なかでもいったん表現と脳内の音声で視聴者がふれた情報におとものキャラが気づいていないという場面がひとつでてくる
これは一気に視聴者を最強の主人公側に引き込む演出になってるぞ
ほかにも状態や評価の表現に既存の単語を使っていないところがなかなかいい
予定調和とおきまりのキメが若干つよいがブランディングとしては申し分ないだろう
続きを、きっとみてみたまえよ
性犯罪被害の告発に対しては、セカンドレイプという主張が濫用されすぎだと思う。こんなん「時と場合による」としか言いようがないよね。
この場では、とにかく「被害者」の言うことが真実であるという前提で接するべき。仮に「被害者」の言うことが疑わしいのだとしても、ダイレクトに伝えるのではなく、治療者として適切な言葉遣いで伝えたりそれとなく適切な治療に繋げたりすることが求められるだろう。カウンセラーは知らんが、医師は国家資格があるわけで、そういう配慮も当然要求されるだろう。「嘘なんじゃないですか?」とか直截に言うような心療内科医やカウンセラーは看板を下ろすべきだ。
刑事裁判は、圧倒的強者である国家権力が、無力な弱者である市民(被告人)に対して、罰を科すかどうか決める場である。当然、被告人は、全力で自らの身を守る権利がある。被告人は身を守るために、「その日はアリバイがありました」とか「そんなことをする動機がありません」とか「踏み間違いではなく車の欠陥ではないでしょうか」とか「ドラえもんに助けてもらおうと思いました」とか「被害者の証言はここがおかしいと思います」とか、ありとあらゆる反論を国家権力に対して行うことが許されるべきだ。
実際、今回の事件や会津若松虚偽告訴事件のように虚偽の被害を訴えた事件だけではなく、「本当にレイプ事件はあったのだが、被害者が被告人を犯人と勘違いした」事件もある(氷見事件)。「本当の被害者なのだから、その証言を疑ってはいけない」などという原則を採用することは、刑事裁判の原則から考えてありえない。たとえどれだけ悲惨な被害に遭い苦しんだ被害者の証言であったとしても、疑われてしかるべきなのだ。なぜなら、被害が本当にあったのだとしても、被告人は犯人ではないのかもしれないのだから。
たとえば、仲の良い善良な女友達が泣きながら被害に遭ったという話をしてるときに、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言うのは割と人の心がない所業だと思うし、周囲のやつらからドン引きされ絶交されたりしても、まあ仕方ないだろう。
逆に、隣近所では評判のウソツキ女が被害に遭ったという話を吹聴していたら、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言っても、まあ、仕方ないだろう。日頃の行い、オオカミ少年、ってやつで、こういう場合に被害を疑うのは社会で生きていく上でなんら問題ない。
もちろん、善良な女友達が実は痴漢冤罪カツアゲ犯であり、評判のウソツキ女が実は本当にレイプ被害に遭っていたということもあり得るわけだし、実際の社会にはこのあいだに広大なグレーゾーンが広がっていて、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」なんて、実際のところはどうだか全くわからないだろう。というか性犯罪だけじゃなくて、殺人だって詐欺だって何だってそうであって、つまり本当に大事なのは「それ、わざわざ話題に出す意味ある? あなたがコメントする意味ある?」ということだろう。友達や近所の人なら意味も必然性もあるかもしれない。友達が泣き崩れてる横で「僕はノーコメントで」とか言うのは(よほどの事情がない限りは)人でなしのすることだ。しかし、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」にあなたがコメントする意味はあるのか?
さらに言えば、そのコメントを公開の場でする必然性もあるのか? もし「草津町ってひどいところだよね~」とか「絶対草津には行きたくないわ~」みたいなことを家族や友人のあいだでだけ喋っているなら、たとえばSNSの発言をめぐって訴訟リスクを抱えるようなことには基本的にはならない。草津町長は名誉毀損で何人もの人たちを訴える意向だと聞いているが、彼ら彼女らが身内の飲み会でそういうことを言っているだけだったら、町長は何の手出しもできなかっただろうし、フェミニスト学者の人たちが謝罪を求められることにもならなかったはずだ(cf. anond:20221117054344; anond:20221118212515; https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/okisayaka/status/1592551751072509953)。
もちろん、自由社会には「表現の自由」という大原則があり、意味も必然性もなくとも表現は自由であって、それを否定するとあいちトリエンナーレやクジラックスが弾圧される世界になってしまうから、SNSなどのオープンな場で自分にとって縁の薄い場所で起きた犯罪についての論評を行うのは自由であるべきだ。だが、天皇アートやロリ漫画と違って、実在の犯罪への言及には「冤罪に加担してしまう」というリスクが常につきまとう。「七色のおっちゃん」である(単なるざまぁ物かと思って読み始めたら期待値よりは面白かった)。義憤を燃やすのはいいが、それは後に訴えられるリスクを負ってまで燃やすべき義憤なのか? はよくよく考えた方がいいだろう。別に黙れとは言ってない。たとえば加藤智大のように現行犯で取り押さえられた人物については、冤罪の危険はそこまで大きくないので、言及しても比較的安全かもしれない。しかしもちろん、四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件のように、現行犯であっても冤罪があり得、取り返しのつかない結果が起きていることも忘れるべきではないだろう。そういうリスクを織り込み済みで、公的な場で義憤を表明したい、というならそれはもちろん表現の自由なので、どんどんX(旧ツイッター)で呟かれたりはてなブックマークでブクマコメントを残されたり、たまに裁判を起こされたりすればよいのではないかと思う。