はてなキーワード: くらまとは
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2016/04/24/005535
ユージュアルサスペクツの問題は、テクニックとか以前に新規で観た人が面白くない(あえて断言)ところだと思う。(好きな人ごめんなさい)
公開当時の印象は全く異なるのだろうが、今の観客から観たらこうだろうという観点で以下書いています。あと自分自身、そんなに好きな作品ではないです。以下本文。
まず有名なあのオチだが、残念なことに作品の知名度とあらすじからして、今の観客が真っ先に思いつくのがあのオチなのだ。逆に言えばパイオニアなのだが、そんなもの関係ない新規観客にとってこれはかなり辛い。
そしてドラマ部分が決定的に弱い。あのオチを想定している観客にとって、キントの主観のみで語られる取り調べ室のストーリーはそもそも怪しすぎる。一応キントとキートンの友情ものに見せかけて…というネタなのだが、観客が疑った状態では感情移入し辛くドラマとして苦しい。
さらに、映画のオープニングは事実部分の映像なのだが、そこにキートンが殺されるシーンが入っているのが完全に失敗。取り調べ室のストーリーが嘘もしくは間違いだと観客にわからせてしまっている。
またドラマが弱い要因として、キャラクターの魅力の乏しさもある。前記の二人はいいが、他のメンツは如何にもモブという枠を出ないため、こいつが犯人では…と想像する楽しみや余地がない。犯人でありそうなのはキントか刑事かコバヤシくらいだよな、って印象だ。
キャラクターの弱さを補うためか、妙に大袈裟な設定が取り入れられているが(伝説の悪人カイザー・ソゼとか謎の日本人弁護士とか)、これがまた地味な作品内容から浮いていて、余計な疑いを観客にもたらす。
あとホラ話のくせに、終わってみればなんかセコい話なんだ。ソゼ、セコッ!て印象を持っちゃうんだ。
シックスセンスが早くも古典と化しているのと比較すると、こういったドラマ部分の差が大きいと思われる。良くも悪くもシックスセンスはわかりやすいドラマで牽引し、幽霊という見せ物要素で観客を飽きさせず、オチの目くらましとしてのドラマがそれ単体でも十分観れるものに出来上がっているのだ。対してユージュアルサスペクツはオチ一点勝負に走りすぎたきらいがある。ここで一般的な評価に差が出てきたのだと思う。
また、この映画は演出というか見せ方にも難がある。オープニングの映像で、カイザーソゼは左手で銃を横にして撃つ。セリフでの説明ではなく映像でソゼのくせを描き、左半身麻痺のキントを容疑者から外すための演出だ。それ自体はいいのだが、残念なのはこの映像が妙に思わせぶりで映画好きにはあからさまに怪しく映るし、普通の観客は左効きにあまり気付かない、という困ったシーンになっていること。銃を水平にして撃つくせはキートンもなのだが(右利きだが)、前述の通りここでキートンが殺害されるため二重にトリックを阻害しているのだ。
また、ここは好みが別れるところだろうが、この映画のクライマックスのオチは「キントがソゼだった」ではなく、「取り調べ室の話はホラでした」なのだ。この違いはデカく、オチの爽快感を削いでいると個人的には思う。実は刑事はキントがソゼだったとは気付いていないし、深読みすれば本当はキントがソゼでない可能性もある。想像が広がるという意味ではいいのだろうが、受けるインパクトという意味ではかなり大きさに差が出る。
どうもここら辺のちぐはぐさを踏まえるに、新味を抜きにして脚本・演出などの技術的な観点から見るとそこまで完成度の高い映画ではないように個人的には思えるのだ。キントとソゼの演じわけなどケビンスペイシーの名演技はあったが、あとから見ればこの映画の評価のほとんどは彼一人が担った印象を持つ。いや、パイオニア作品なんてそんなものなんだろうけれど、後一歩足りてない感は否めない。
だから、この映画が現在の観客にあまり歓迎されないとしたら、それは結構健全なことであるとも思う。ユージュアルサスペクツが過去の映画になったとしたら、それは映画が進化してるってことだ。
原作読んで谷崎潤一郎とナオミが出てきた時「あっナオミがスタンドで谷崎とチームワーク発揮して敵をフルボッコにするんだな!」
って凄いワクワクしたんだ…
なのに実際は「細雪の幻覚を見せて目くらましする能力」っていう攻撃力0の控えめな能力だったなんて…
案の定作中で能力破られて谷崎フルボッコにされてるし…不敵な雰囲気に反してナオミも弱いキャラだったし…
返せ!最初の時のワクワクを返せ!元ネタに詳しくないけどナオミは確か小説の人物だろ!それが実際の文豪キャラに混じってキャラ
として存在しているってことは何かの能力なのかなーって期待しちゃったよ!
個人的には意味有りげな2人組キャラはガッシュの魔物とパートナーみたいな感じで、ペアで戦うってキャラか
セーラームーンのはるかとみちるみたいに2人とも強くて特別な関係で結びついてるってキャラっていうのが好き。
一頭の牛が水を飲みに葦の生い茂る池におりてきました。
重い体で水にバシャンと入ったので、子蛙を一匹泥の中に押しつぶしてしまいました。
まもなく母さん蛙は子蛙がいないのに気づいて、兄弟姉妹に、あの子はどうしたの?と聞きました。
「すっごく大きな怪物が」と一人が言いました。「おっきな足で弟をふんづけたんだ」
「大きいって!」と母さん蛙がお腹をふくらませて、言いました。「これぐらいかい?」
『とんでもない!もっとう~んと大きいよ!』と子どもたちが叫びました。
「これよりは大きくなかったでしょ」と母さん蛙は言いました。
しかし、子どもたちはみんな、怪物はもっともっと大きかったよ、と言って、母さん蛙はどんどんお腹をふくらませていきます。
「どうだい?」 『もっと大きかったよ!』
「まだかい?もう、おなかがくるしいよ」 『何言ってるの?』
『母さんが破裂するまで、やめないよ?』 「えっ」
なにかがおかしいと思った母さん蛙ですが、
ふしぎなことに、母さん蛙がやめようとしてもお腹はどんどんふくらんで、とうとうパーンと破裂してしまいました。
「ふう、今回はあぶなかったね」
『あぶなかったあぶなかった』
どんな話だっけ?と喋ってたらなんか違うのができた。
折角お金があって先行投資もしやすくて国民にも活力が有り日本の技術力・人材力を今後何十年も安泰に出来る機会があったのに遊び呆けるのに使っちゃうなんてホントバカ。
あの頃ただひたすらに成金じみた消費と24時間働くことばかりを宣伝し続けたメディアも酷いもんだがそれに簡単に踊らされたバブル世代の無能っぷりと来たら……。
彼らは自分たちがこの国に与えたダメージを理解しているのだろうか。
人生には失敗してはならないチャンスが訪れる。
そこで手綱さばきを謝ればレールどころか崖から転落してしまうような時期がある。
近代日本という国の人生においてバブル時代はまさにその失敗が許されないチャンスだったのだ。
それを目先の欲にばかり目をくらませ続けて舵取りを大いに誤った者達、彼らは責任を取らなければならない。
それを彼らは理解できているのだろうか。
桐壺
薄幸の美女。
身分が低く後ろ楯がなかったのに桐壺帝の寵愛を一身に受けて光源氏を産んたせいで、他の嫁や貴族から猛烈に虐められ光源氏が3歳の時に亡くなる。
桐壺に似ていたために桐壺帝の嫁になる、光源氏を幼い頃から弟のように可愛がっていたが、やがて光源氏の初恋の女性となりあやまちをおかし光源氏の息子冷泉院を託卵し、光源氏に言い寄られるのに困り息子を守るために出家して逃げ切る、光源氏は一生藤壺を求め続ける事になる。永遠の女性。
帝の妃になるように気位が高く育てられていたが年下の光源氏の正妻にされ年下夫相手にどう接すればいいのか解らずツンツンしてしまう、藤壺に夢中の光源氏は優しい藤壺に比べてツンツンしてばかりの嫁を愛せず浮気をしまくり、余計にツンツンする悪循環で夫婦仲は冷えきるが、妊娠して弱った姿に萌えた光源氏にデレたとたんに、息子を出産後間もなく六条御息所の生き霊に殺される。
美しく気品があり教養知性身分全てが優れた東宮の未亡人に言い寄って付き合うが、やがて完璧すぎて癒されない疲れると持てあまし離れていく。
六条御息所のプライドや世間体はズタボロになり光源氏への独占欲を押し殺し耐えるが、無意識のうちに生き霊を飛ばして光源氏の女達を殺してしまいおののく。
娘には手を出さないように遺言を残し娘を託して病没後、光源氏は彼女の住まいに女を集めてハーレムを作るが、当然死霊になって女達に祟る。
夕顔
源氏の友人の側室として娘を産んだが、正妻の嫉妬をうけて姿をくらまし光源氏と恋に落ちる。
男の全てを包み込み愛し何も求めない儚げで朗らかな性質で六条御息所に疲れていた光源氏を虜にするが、すぐに祟られて死亡する。
玉鬘
15才年下の美女。
夕顔の娘、田舎で乳母に育てられていたが田舎者の強引な求婚から逃れるために上京、親を探す途中で光源氏に保護され養女にされて言い寄られるが拒み続ける。
光源氏が調子にのって美しい養女をチラリズムで男達に見せびらかしていたら、メンヘラ嫁に疲れていた髭面のおっさんに強姦され連れ去られて嫁にされてしまう。
花散里
中の下程度のブス。ほんわか癒し系。
家庭的で温和で慎ましい女性で癒しを求める光源氏に愛される、女として愛されるのは早々にドロップアウトし肉体関係は求めず光源氏を癒すことに専念。
光源氏の息子夕霧を預けられ、さらに夕霧の子供も孫のように可愛がり育て、源氏物語で一番幸福な女性だと思われる。
源典侍
仕事もでき趣味も声も良いが、大変な色好みで年齢をわきまえない若作りをする。
美しい光源氏とその友達に目をつけて言い寄り、光源氏と出来てると勘違いした友人が好奇心から食われ、光源氏も老人孝行に食われた。
末摘花
悲劇の美女だと勘違いした光源氏と親友が競って落としたが物凄いブスだった。
後にあばら家で光源氏を信じて待ち続けた彼女を発見しハーレムに住ませた。
空蝉
上流貴族の娘だったが父親が死に落ちぶれ、父親ほども年の離れた身分が低い男の後妻になる。
それに興味を抱いた光源氏が身分低いから嫁に手を出しても何も出来なかろうと襲いに来て、一度寝てしまうがその後は誇り高く断固として拒否。
光源氏は拒否されて燃え上がりさらに忍んでくるが衣一枚を残して逃げ去りその場にいた空蝉の継娘とやり惚れられる。
源氏が18の時に藤壺に瓜二つの9才の少女に一目惚れし、藤壺の姪と知りさらに執着し誘拐する。
5年親子のように育てられ14才で強姦されショックを受けるがやがて愛するようになり、容姿も内面も完璧な最も光源氏から愛された妻になる。
しかし女遊びが激しい光源氏に生涯苦しみ、光源氏が40で14の少女を正妻に貰ったのに決定的ダメージを受け重病にかかり出家を望むが光源氏に許されないまま病死。
光源氏の異母兄の東宮の嫁になる予定だったが光源氏と関係を持ってしまい結婚取り止め、光源氏に結婚を申し入れるが断られ、仕方なく東宮の尚侍になり寵愛を一身に受けるが光源氏との浮気も続け発覚してしまう。
東宮は自分の魅力は光源氏よりないからと朧月夜を責めず愛し続け、東宮の出家後に一度だけ光源氏とやってから出家する。
明石の方
父親が夢で国母の母となるとお告げをうけて娘に京の姫レベルの教育をして、国母の母になれないなら海に身を投げろと厳しく育て上げ、光源氏を手引きして妊娠させる。
上京してからは身分が低いので別宅に住み、娘は紫の上の養女にされ、娘が成人するまで会えなくなる。
ハーレム完成後はそこに移り住み、娘の嫁入り時の付き添いになる事が出来た。
娘は国母になった。
朝顔の姫君
光源氏にどれだけ言い寄られても嫉妬で苦しみたくないと拒み続けて友人になり生涯独身で尼になった。
光源氏の姪、光源氏が40の時に14で結婚をする。ロリ&寝とられ属性。
高貴な女を嫁にしたい、藤壺の姪だから似ているかもしれないという気持ちで結婚したが似ておらず、父親から溺愛されたせいで年齢より子供っぽい性格で光源氏に愛されなかった。
そんな時に彼女に片想いをしている男から強姦され託卵、気がついた光源氏に皮肉られ耐えきれず出家。
→駅まで一緒に歩いていく(10分くらい)はめになるので大急ぎで身支度終えて猛ダッシュして立ち去る
会社や友達との飲み会で帰りの電車が同じ方向の人がいる(30分位)
→一緒に帰りたくないので「ちょっとトイレ行きたいから先帰ってて!おつかれー」と姿をくらます
じゃあまつよ~と言われるのが嫌なので電車が来た瞬間に言う
もしくは飲み会が終わりかけになったらお金を多めにおいて先に帰る
飲み会のお店集合と言われてて「少し早めに着いたから駅から一緒に行こう」とLINEが来る
→一緒に行くのめんどくさいから既に駅についていても「ごめーんぎりぎりになるからお店直接行くわー」と断る
親しい相手でもこんな感じ
普通の男子だって、好きな女の子の王子になれたらいいなって思うときがあると思う。
たとえば、
1 非常事態、助けに来てくれる。
2 悪いやつから守ってくれる
3 カッコイイことを言ってくれる
こんな感じの王子様がいたら、女の子は嬉しいだろう。たとえロマンチストじゃない子から見ても女子は嬉しいものだ。
でも、これってヒーローともかぶるよね?ヒーローも、こんな感じよね?
これらの区別として大事な要素は、ヒーローは「誰でも助けに行ってしまう」点だ。王子様は、お姫様だけを助けに行く。他の女子には見向きもしない。一図っていう意味では、それはやっぱり好かれそうだよね。
つまり、自分だけに優しい男子が女子に好かれる、ということ……。
だと思ってたんだよね。さっきまで。
いや、私が過去に思い出してみて、それもまた違う、と思ったんだ。そういう男は意外とただの自己中として片づけられてしまう。だって、目の前の相手しか大事にしない男の子って、一見、優しそうに見えるけど、他の子には厳しすぎると、逆になんだか怖いところがある。
それに、誰だって彼女や奥さんを守ってあげたいっていうのはあるだろうし、誰ってカッコイイところはあるだろうし、じゃあ、ヒーローと王子様って何が決定的に違うんだと思う?
だいたいの女性の王子像っていうのは、まずはイケメンであることが挙げられる。イケメンはもちろん大事。
あと、キザなセリフをはくことも大事。これも理想の王子様の王道としては正しいと思う。
でも、またしても問題が。イケメンがキザなセリフをはいているところを想像してみると、、、
どうみても嫌われるタイプにしか見えない。むしろ、ギャグを言ったり、ふざけたりするほうが好かれる。
つまり、王子様なんて、いない、という結論が出た。想像の中では輝いてくれていても、現実によくある理想の王子様パターンをあてはめてみると、むしろ女子にモテないんだ。
それでも女子は、王子様はイイネって思っちゃうもんなんだと私は思ってる。
王子様っていうのは、「いかに女子が妄想をふくらませられるのか?」っていうことなんじゃないかなって思うんだ。
「その男性」で「いかにとんでもない理想の空想ができて、カッコよく思わせちゃえるか」ってことなの。
空想力を刺激するような何かをしてみるとモテるかもなぁって思った。
http://pojihiguma.hatenablog.com/entry/tosyokan-sinkan-kasuna図書館さん、新刊を無料で貸し出すのはもう止めてあげて - ポジ熊の人生記
図書館が新刊を貸し出す理由はいくつか考えられるが、おそらくその最大の理由の一つは、(自治体の愚劣な財務担当者への対策として)図書館が「利用人数・貸出冊数」を成果指標に(して目くらましを)するからだ。
ポジ熊さんは、「新刊を1年か2年購入するな」と言っているが、(気持ちは分かるが)それでは図書館の機能を果たせない。無償で広く情報を提供するというのが図書館本来の役割であり、時に非常にアップトゥデイトな新刊が存在することを考えれば、発売から2年経たないと購入できないという縛りを入れるのは、余り得策ではない。
では対処の方法がないのか? と言えば、無論そんなことはない。簡単なことで、人気が集中し過ぎて延々と貸出状態が続くことが明白な新刊を館外貸し出ししている現状は、やはり異常なのだ。したがって、そのような場合は館外貸し出し禁止措置、つまり禁帯出扱いにするのが正しい対応ということになる。新刊については原則1冊のみを購入し、禁帯出扱いとする。むろん開架には出さない(奪い合いを避けるため)。それだけの縛りを入れるだけで、出版社もかなり助かるはずだし、また、図書館側もくだらないベストセラー本の大量購入に予算を割かなくて済む。
これができないのは、ひとえに図書館にお金を出している人間が図書館本来の機能を理解していないからに過ぎない。当面は苦情も来るだろうが、図書館本来の機能を理解させることも行政の仕事であり、筋の通らない苦情には毅然とした対応が必要であろう。
というようなことを、国の方針として定める場がどこなのか。それがよく分からないのが、現状最大の問題なのではないかと思うのだが。
むやみにお金を使いすぎないことは節約する上で必須として、むやみに「我慢しすぎない」ことも重要。
あまり我慢に我慢を重ねると反動がやってきて、脳みその自制力を担当してる部分が焼き焦げて、ショートしてしまう。
節約と買い物の楽しみを両立するためには、今日はいくらまで使ってよいのかをできる限り正確に把握しておくことが鍵じゃないだろうか。
例えば、来月11月15日が給料日だと、残り日数は、10月が14日、11月が14日、合計28日。
仮に残りの小遣いが21100円だとすると、一日あたり使える額は、21100/28=753.571428571 →約754円。
だいたい754円使えるということになる。
これは754円「しか」使えないことを意味するが、同時に754円「まで」使えるということでもある。
更に、754円全額を使わず、残しておけば、一日あたりに使える額は増えていく。
たとえば、一日目に300円だけ使ったならば、
(21100-300)/27=770.37037037
その次の日からは、754円から770円に使ってよい金額は増える。
使いすぎず、我慢しすぎないための方法を書いてみた。
なんか凄く安くスマホが使えるらしい、程度しか知らない人は詳しい人に聞く前にこれ読んどけ
あと、事前知識としてこの程度は知っておくと良いかも。
以上をチェックした上で相談すると、相手も快く乗ってくれるだろうし、助言もより具体的になってくるだろう
この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授の純丘曜彰氏である。
反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。
エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で
純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。
筆者の感じた純丘氏への疑問とは、
そして「独りよがりなデザイン論」「デザインに関する知識不足」である。
http://www.insightnow.jp/article/8591
瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である。
デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、
純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。
以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である。
ニーチェの独文の警句を英文で引用して、名前の綴りがコピー元のままに間違っていたり
(page:2 より)
Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、
その最後の名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、
すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。
Pinterest に綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。
ここで問題なのは「佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。
この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、
ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。
純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである。
最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。
「大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。
論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが
こんなお粗末な方法で文章を書いている人物が学生に論文の指導をしているのはいかがなものだろう。
あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。
およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。
まるでいやな気分にさせること自体が目的のひとつにもなってしまっているようだ。
純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。
だがそれは個人的な感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。
大学教授、美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。
識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。
騒動の中、感情のほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。
これ以降、掲示板でもエンブレムをゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。
http://www.insightnow.jp/article/8644
ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。
疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたものを
「超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、
デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。
むろんそれ自体は問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、
己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは
この一文の含まれる段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら
「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデアを否定するのが目的のようだが
9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?
さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、
黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス的悪趣味。
解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。
エンブレムを仮に芸術のひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。
しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザイン」である。
アートのように何ものからも束縛されない自由な意志で構成、配色したものではない。
見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレム」であるという情報とともに接する、
そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。
佐野エンブレムがスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。
が、「ナチスフラッグ」である、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは
エンブレムの出自、コンテクストを無視した悪意のあるミスリードでしかない。
ゴキブリの画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがりな解釈を
強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。
どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視のRGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷のYMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり
この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。
この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを
結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである。
純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。
発表されたエンブレムは RGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、
佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、
あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……
RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり
CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である。
RGB と CMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである。
ポスターやプログラムに印刷するなら CMYK のデータを用意する。
純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、
デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。
特色というのは印刷インクの一種で、
通常のプロセスカラー(CMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである。
エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこからの情報かわからないが
(筆者は見たことがないので、まずはそのソースが問題である)、
それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。
RGB/CMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用の現場に応じて「自然に」決まるのであって
雑誌のカラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである。
金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。
特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、
そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。
・特色番号(印刷用)
純丘氏の言葉を再掲する。
以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナーを想像できるだろうか。
すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定(CMYK 値)のない、
純丘氏の作為の産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。
このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも
デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。
「佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど
エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、
このペダンティックな解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、
芸術・デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、
この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、
己の求める結論「佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉と作為的イメージを用いて
流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。
どこの電車のことかは書かないけれど、この間電車内のお客様トラブルと呼べるものに遭遇して
人がごった返してて乗る時もすんごい人でおしくらまんじゅう状態。
そんな中列車が動き出してしばらく経ったあと男女の声が。
男「なんでそんな攻撃してくるの?このキズあんたが引っ掻いたからついたんだよ」
女「攻撃なんてするつもりはないのだけど、混んでたんだから仕方ないじゃない」
男「混んでたら人にキズつけていいのかよ!」
女「(なにかを察し)…ごめんなさい」
男「混んでたら人にキズつけていいのかっつってんだよ!(怒鳴る)」
女「ごめんなさい…あなたに敵意があってやったわけじゃないのよ…本当にごめんなさい」
そこでそのやり取りを聞いていた外国人男性(男女の目の前で座ってる)が男をなだめる
英単語は聞き取れなかったが外国人男性は席を立ち、男に向かって「座って、落ちついて」と取れるジェスチャーをとる。
だが、男は挑発と受け取ったのか「キャン ユー スピーク ジャパニーズ?? ファックユー!ファックユー!」と連呼。
外国人男性も思わず男の首を絞めようとする(ここで、別の乗客が制止)
その後も男は「今こいつ首を絞めたよなあ!?警察呼んでいい??」とずっと言って、女も「この人、何か言っても火に油を注ぐだけみたいだから」と周りに告げて
とにかく落ち着かせようとする。
駅員が駆けつけ、男を一旦降ろしてみたが男は同じ車両にまた乗車。
(ここで数分、電車が止まる)
またその中で男はわめき散らし、次の駅でも駅員に付き添われ降車していた。
そこでもまたゴネて電車がとまる。
ツイッターを見ているとこいつの件で電車が止まったせいで夜行バスの乗車時間に間に合わない人が出ていることがわかった。
ほかにも書かれていないだけで多数の乗客が迷惑をこうむったわけだ。
やり場のない怒りはどうすればいいのか。
自前で弁当を持ってくる必要がないのでかなりの数を毎日仕出し屋に注文をして、昼休み前に配達してもらっているんだ
これまでは今の社屋に移って以来数年の付き合いのある仕出し弁当に注文していたんだけど、ある日新しく弁当屋を開業したとえらい若いのが営業に来た
いわく料理担当者は一流料亭での勤務経験があり、仕入れは自分で買い付けに行くのでマージン無しになり結果弁当価格も格安なんだと
社長はなんかやる気ありそうな若者に甘いところがあるんで、それじゃと試しに数日だけお願いしたらかなり豪華な弁当が届いた
そのことをそれまでの取引先に言ったら、慌ててその新規と同じくらいにまで値段を下げてきた
それからいろいろあって結局正式に新しい弁当屋に切替をすることになった
そしたらびっくりするくらいに料理の質は落ちるわ、配達時間を平気で数十分遅刻してくるわで大ブーイングが社員から起こった
しまいに社長もキレてその新しい弁当屋は出禁にしてもとの弁当屋に契約を戻した
風のうわさだが新規の弁当屋はそのあとすぐに潰れて姿をくらましたらしい
何が残ったかというと、以前と同じ弁当の内容で価格は約2/3くらいになった付き合いの長い仕出し屋さん
一般社員の自分たちはもともと負担額がないので損得は直接感じないんだけど、ひどくかわいそうだなと思うことはある
新規参入とか若者の起業も結構だけど、事業をしていくってノウハウも覚悟もない甘ちゃんが下手な営業したせいで
もともと健全経営をしていた仕出し屋さんがかなり損害を被ったことを考えるとどうかなと思う
今の仕出し屋さんもつぶれないことを願いたい