はてなキーワード: くらまとは
新しい職場に入って1ヶ月が過ぎた。
来月末で辞めると伝えている。
辞める人間に仕事を教えても仕方ないが、全然使えないのでめんどくせえな、いても邪魔なんだけど…という先輩方の思考が見えるし、私も仕事覚える気がない。即日で辞めてえ。物理的にも精神的にも、全く気力がない。はよ殺して。
と思う日が1日も無かった。
ずっと「今日も明日も行きたくない。業務に支障の出る死なない程度の怪我をして今すぐ辞めたい」と思っている。
自分の命が尊いとか守ろうとか長生きしようとか思えない。そうなると働いてる目的を見失う。親に迷惑をかけないために働く。アパートを借りるくらいの貯金はある。家を出れば良い。出て、行方をくらまして、死ねば良い。
いまは地方都市に住んでいるが東京の大学を出ていて、サラリーマン経験もあり、
現在は地元で中学生向けの小さな塾の先生をしている。どちらかといえば理知的な、古いタイプの人間。
雑談でTOKIO山口の話になったとき、「中学生の子どもたちから話を聞いたら、あの話題は
事務次官のセクハラ問題の目くらましとして報道されてるんじゃないかって言うんだよ。
いやーその発想はなかった。最近の中学生は頭が良い」みたいなことを言い出したわけ。
はてな民ならわかると思うけど、この陰謀論的思考回路は明らかにネトウヨ/ネトサヨ的まとめサイトの思考回路で、
どうせその中学生たちはネット上の陰謀論を読んで「これだ!」って思ったんだろうなぁと生暖かく見守るわけ。
でもな、尊敬してた実の父がそんなまとめサイト→中学生→親父という情報の流れで洗脳されてるわけ。
これはつらい。かなしい。
それも呼び名の一つとして使われてたんだけど、
まだ呼び名が統一されてなかった頃、あの子は「一つの呼び方につき一人の担当者がいる」という妄想をふくらませちゃったことがあって
椎名林檎が売れ始めた頃、現在のように各家庭にインターネットは普及していなかったと思う。
だから当時アーティストの生い立ちは、テレビやラジオなどの媒体を通して知るしかなく、メディアに露出していないアーティストの情報は発売された楽曲から想像するしかなかった。
この楽曲が発表されたころ、当時中学生だった私は椎名林檎は元風俗嬢なんだと思い込んでいた。
インターネッツが発達し彼女の情報を容易に得られるようになり全く違うのだということが分かったけれど。
当時は椎名林檎という元風俗嬢が書いたセンセーショナルな歌詞を聴き、林檎嬢の生い立ちを想像することに夢中になっていた。
〽
十五に成ったあたしを 置いて女王は消えた
毎週金曜日に来ていた男と暮らすのだろう
「あたし」は15歳。中学校を卒業する頃、母に捨てられ祖母と暮らしている。
母は歌舞伎町で働きながらシングルマザーとしてあたしを育ててくれてたけど、毎週金曜日にボロアパートに連れ込んでいた男とある日突然どこかへ消えた。自分の父親は誰か知らない。たぶん、歌舞伎町で働いていたころのお客さんの誰かなんだろう。知りたいと思わないけど。
18歳になり高校を卒業したあたしは、祖母の元を離れ母が働いていた歌舞伎町へ行くことにした。
クソみたいな母親だったけど、上京した当時は母に会えるかもしれない、なんて淡い期待を少し持っていたように思う。
〽
"一度栄し者でも必ずや衰えゆく"
消えて行った女を憎めど夏は今
歌舞伎町で女王と呼ばれていた母に瓜二つだったあたしは歌舞伎町に足を踏み入れてすぐ声をかけられた。
スカウトってやつね。どこに入るか悩んだけど、たまたま最初に声を掛けられたのが当時売上ナンバーワンの店だった。
もちろんスカウトを受けてそこで働くことにした。
あたしがその店でナンバーワンに昇りつめるまで、そう時間は長くかからなかった。
歌舞伎町のお客さんは優しかった。どうしてこの仕事はじめたの?って聞かれて「行方がわからなくなった母を探しに来た」なんて言うとお客さんは「またまたぁ、面白いこと言うね」なんて茶化してくる。歌舞伎町で働いている人間なんてみんな訳ありだ。
〽
女に成ったあたしが売るのは自分だけで
同情を欲した時に全てを失うだろう
Oh Oh
母に憎しみをぶつける機会など訪れることなく、歌舞伎町でナンバーワンになってしまった「あたし」
そんなあたしを世間の人はかわいそうだと言うだろう。だけど、同情なんかほしくない。
同情されたとたん何かが崩れ落ちてしまいそうだ。
母があたしの前から姿をくらましたときに、私は何者にでもなれた。
だけど、そうしなかったのはなぜなんだろう。
あたしを捨てた母なんかに負けてないって証明したかったのかもしれない。
いや、そんなことよりたぶん、どんな気持ちであたしのこと見てたのか知りたかったんだと思う。
母の目から何が見えてたのか、あたしがどう写ってたのか確認したかった。