はてなキーワード: くらまとは
久々にテレビやWEBの「Apple Watch 4」のCMソングで「目くらまし」という言葉を耳にした。
(CM自体・CMソングのアーティストにはなんの不快なこともない、かっこいいCMだと思う)
25~30年ほど前にも、アニメや映画・ドラマの再放送等で(「ガンダム」「ルパン三世」ははっきり覚えている)急にセリフが抜けることがあり、
「なんで放送禁止・差別につながるか言葉の真意を理解していない、うわべだけの措置だな~」と思ったが、久しく文章ではなく音声で聞いていなかった言葉だ。
「不謹慎な言葉だ!この曲を撤回しろ!」なんてサラサラ主張する気はない。差別的糸はない言葉だから。
むしろこの曲を採用した広告代理店・放送することを許可した放送業界に文句を言いたい。
「てめーら、ダブスタ甚だしいな!」
言葉の成り立ち・意味を考えるとなんの差別的意図をもたない言葉を、理解を求める努力もなくただ単にクレームを受けた(であろうとの推測ですが)だけで、
セリフカットしたり、それ以降は表現を別の言葉で言い換えるように指示してきたであろうことが腹立たしい。
放送禁止用語をきちんと見直すか、徹底して禁止は禁止として2番の部分をつかえ!と改正を求め、そのことを世間に公表するくらいのことをすべきでは?
ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴らが。モロあれなんだよね。髪型は七三の長髪でボサボサか、キョーフの刈り上げ坊っちゃん刈り。イトーヨーカドーや西友でママに買ってきて貰った980円1980円均一のシャツやスラックスを小粋に着こなし、数年前はやったRのマークのリーガルのニセ物スニーカーはいて、ショルダーバッグをパンパンにふくらませてヨタヨタやってくるんだよ、これが。それで栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタかてな感じで、女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足を白いハイソックスで包んでたりするんだよね。普段はクラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら
を指してたんだよ。
なーにが「昔のオタクは良かった」だよ。
で、宮崎勤事件を経てさんざん迫害された「おたく」たちは、自らを「オタク」と呼び替えて「趣味に関しては豊富な知識を持つクールな若者」という自己催眠をかけた。
オタクは「素晴らしいもの」でなくてはならないし、「気持ち悪いニワカ」は切断操作しなければならない。
と同時に、「おまえオタクだろ?」と馬鹿にされても、「俺は(そんなに素晴らしい)オタクじゃない」と言い逃れができる。
そういう仕組みを作り上げたわけだ。
当時は「知識も情熱もない単なる漫画好きやアニメ好き」はいなかったのか?
いたに決まってんだろ!
ぞろぞろいたよ!
オタクに決まってんだろ!
「俺なんかぜんぜんニワカだしまだまだオタクとは名乗れませぇん」なんてどんなに嘯いたっておまえらはオタクなんだよ!
歴史を美化するな!
本論はnoblesse obligeだ。目くらましされて憤慨するのカッコワルイ
尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況[1]。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる[1]。
見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない[1]。
見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位[8]。
得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます[1]。
牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要[1]。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる[1]。
騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない[1]。
忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる[1]。
人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる[1]。忘れるということもなくなる世界[1]。
返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る[1]。
入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益[1]。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある[1]。