はてなキーワード: きれいごととは
あいつらどこ行った?
あの手の連中っていいいよなって思うんだよ。
きれいごと言って、俺みたいなやつらを人種差別主義者とか、レッテル張ればいいんだからさ
で、事が起こったら黙って、次の獲物探して移動するんだよな。(獲物ってのは、無責任に擁護して、擁護する自分という立場から理解ある人というイメージを作れる道具のようなもののこと)
かつてダメだったもの、今だめなものが大好き。それをあえて擁護することで自分の価値を高められる。
それらを批判している奴らが多ければなおよし!
批判している連中と比較できて、進歩的文化人アピールできるからね。
だから、アジアでいうとこいつら台湾には興味ないんだよ、こいつらは批判されているものじゃないと興味がわかないの。なぜなら道具だから
問題そのものに興味がないんだよね
EUでのユーロとか、当時は素晴らしいとか無責任に持ち上げてたけど
今こいつらはそんなものに興味はなさそうだ
なぜなら自分の価値を高める道具としての役割を失っているから。
やれ田舎論だ、やれヤンキーだ、やれ小保方だ、やれなんだかんだ
元増田だけど。
ちゃんと寝るときは手を繋ごうねっていって手をつないだり、代替えの物を持たせたりしてます。
眠い時だけ指しゃぶっちゃうだけで、日中は全然指しゃぶりしません。
寝るときぐらいいいかなって思ってたけど、強く指をしゃぶるから短時間でも歯に影響がありそうだし、指もふやけちゃうからやめさせようとしました。
あなたの言っていることは真っ当だけど、きれいごとな感じもします。子育てしたことあるのかな? 実際に。
あなたの書いてることなんて実践してるし、それでもどうにもならない事があるんですよ。
マニュキアは舐めても大丈夫なやつです。指しゃぶり専用のマニュキアです。
矯正は百万かかる場合があるし、それを使うなら、進学費用や御稽古に使いたいって気持ちはだれにでもあるのでは?
生まれつき歯並びが悪いって言うなら矯正も仕方ないけど、後天的なものに関しては「もったいないなあ」って気持ちになるのも普通でしょ?
小学生にもなってやめなかったら、「働いて自分のお金で矯正しな」って言うつもり。小学生でもやめられないのは自業自得。
地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。
一つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。
もしくは以下のような仮定をしてみる。。
予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPOが一部の人だけに支援をするのは不適切だからと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。
世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族や宗教、性別やジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。
奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。
今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。
もちろん国や地域や社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等な社会を実現することを目標としているように見える。
貧困や差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。
差別をなくすためにも何らかの負担は必要だ。上に挙げた例のようにゲイやオカマ、デブ、ハゲ、チビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深い差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりはマイノリティが抱え込まされている負の財産を大勢でちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。
2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。
「世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」
続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまりは戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公は為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟が必要。覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。
誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。
現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険でカバーすることは可能だと思う。日本の人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会だから可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。
全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。
食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域や犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困と犯罪を引き受けてあげますか?
(貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)
今は世界の都会でもいわゆる危険なエリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困と犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクにさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。
先進国の豊かな暮らしは、貧困や犯罪や差別や不衛生やその他の負の財産を途上国やマイノリティに負担してもらう事でなりたっている。
みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。
全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。
おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。
トラバにあるように、まずは自分の生活が大事。遠くの誰かより身近なペットが心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。
しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットやマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。
じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別や不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。
トラバもブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。
身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。
社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティに死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策を模索しているわけですよね。
だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。
10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化が目的ではなく、ただの表現ですから)
全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員やアルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者の人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会は沈没に向かっているということになるのではないか?
というのがメインテーマです。
いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益な意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます。
そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別やマイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ
だけども、基本的には同じだと思っています。
命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?
差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?
一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。
歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間は社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回りが大事だから」と言って物質的精神的搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています。
わかりやすい説明をありがとうございます。
富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心。
え?
子供の人生は親の思考で決まるってきれいごとを言いたいみたいだけど
子供の人生は親の思考ではなく経済的余裕で決まるんじゃないの?
あなたや兄弟はろくな教育も受けられず学歴社会の底辺を彷徨っていたのでは?
IQがある程度高い可能性が高いのでそれが80%遺伝したあなたも成功に近い位置にいるってのは認める。
ただし思考じゃなくて能力だなこれは
一時間も話してれば決まって始まるのは
そこにいない誰かの悪口大会。
「ブスのくせに。」
「調子乗ってるよね」
きれいごとかよって思われるかもしれないが
私は悪口は絶対言わないし言いたくない主義。
「ブスのくせに」「調子のってんなあ」
とか日常の端々で思うこともあるよ。
でもそれを誰かと共有したいなんて微塵も思わないし
如何せんその悪口言ってる自分の姿が醜く思えて仕方ないし
なにより悪口って生産性なさすぎてすんごい時間の無駄だと思ってる。
ニコニコしながら「それは言い過ぎでしょ〜っ」
とか言いながらも次の話題に適当に移したりって感じ。
でもこの前友達の一人がこんなこと言い出した。
「絶対悪口とかに入ってこなかったり
人のこと悪いように言わないような女いるじゃん?
本当は自分もそう思ってるくせに善人ぶっててムカつくよね」
そこですごく感じた。悪口って人前で言わなきゃいけないものなのか。
確かに飲みの席でも女子会でも悔しいけど悪口ってえらく盛り上がる。
悪口をぶちまけることで、秘密を共有したことに似たような
会社の給湯室で、
思うと本当なんか疲れるよなって。
(ドラマの見過ぎなんかもしれないけど)
やっぱ悪口って大切なコミュニケーションツールなのかね。
http://www.watanabemiki.net/journal/post-475.html
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/06/01/232610
のふたつを前提にして。
世の中のは、収入能力が1のひとも2のひとも3のひともあるいは10のひとも20のひともいるわけですよ。
で、渡邉さんはたしかに「8未満のやつはイラねえ(≒死ね)」かもしれない。店長はその点にたいして全霊で反論している。
そのこと自体、その社会感覚自体は賛成する。正しいとも思う。店長はこの記事において、良い仕事をしたと思う。
ここから先を書くと、反射的な叩きを総スカンで喰らいそうな話なのですが
現代の政治に求められている機能のうち、最大のもののひとつが、富の再分配です。
資本主義はいままでの歴史を見る限り、どうやら内部で成功者と失敗者が極端に別れていくという特徴があるようです。格差ですね。
ですから、それを解消するという視点に立てば「より富めるものからおおくをもらい、富めない側にばらまく」というのは意味のある政策です。
しかし、だとしても、では、「より富める」ってのはどういう線引きなのか? 8以上なのか、12以上なのか?
「富んでいない」ってのはどれくらいなのか? 10未満なのか、8未満なのか? 「最低限の文化的生活」というのは幾つなのか。5なのか、10なのか?
政治の現場では、そういうライン引きを議論していかなければならないし、それはかなりデリケートな問題です。
つまり店長がいうように「きれいごとじゃない話」として、社会維持にかかるコストを持てるものはより多く払ってるわけです。
収入4の人の年収からは税金を5%徴収し、その一方で収入15の人の年収からは税金を50%徴収する――そんなシステムでこの国は回っています。
これは明らかに非対称で、その事実だけをみるのであれば、より多く働いてる人を差別する構造があります。
この差別は、上の「格差=悪」という考えに基づけば正当化されうるでしょうが、いっぽうで「格差=悪」という考えを徹底するならそこに現れるのは社会主義であって、それが上手くないことをもう我々は判っている。
社会主義を否定した我々は「ある程度を越えた格差は悪」といってるわけですが、これは要するに、たとえば14をこえたひとを指さして「君はいまから格差戦犯」と弾劾しているわけです。
現在の日本のあらゆるところにこれは見え隠れしています。社会を維持してきた人にたいして、いきなりレッテルを貼って差別する構図ですね。
また一方で「生活保護を受けている人は勝ち組」のような発言にあるとおり、努力するモノが馬鹿を見る社会の影も見え隠れしています。
そういう社会の中で、富める側がいらだつのも仕方ないことかと思います。
生活保護叩きはまさに富める側の苛立ちの表れでしょう。しかし同じ構図を採用するのならば、生活保護叩きをする人々は、渡邉さんの理論で切り捨てられても仕方がないことになる。
これからの日本をデザインするにあたって、僕たちは、上で書いたような「どこから先が富裕層で、どの辺が中間層で、どこから先は貧困層(=助けを必要とする)か」を話し合って決めていかなければならない。
そしてその話し合いは富裕層(他者を支えられる側)を説得できなければならない。じゃないとフランスのように富裕層の海外移住が進むだけですし、たとえそうではないにしろ、貧困層と中間層の合意だけで富裕層の財産を徴収するのであれば、それは私有財産権に対する冒涜であり、国の形が壊れるからです。むしろ国力というものをかんがえれば、富裕層が喜んで私財を振る舞うという形にした方がよほど良いです。(欧米の富裕層にみられる寄付文化は、その点で日本よりずっと進んでいます)
そこまで考えた時、日本の政治や文化は、「富裕層が富裕層をな得させるためのロジック」「富裕層が私有財産を失う代わりになにかを得られる仕組み」「情緒面から納得するための理屈」をないがしろにしてきたように思えます。「連中金もってんだから奪って良いよ」というのは貧困層と中間層の言い分かもしれないですけれど、実際そんな攻撃的な言説では物事進まないのです。そこにたいして文化を提供できないってのは社会全体の責任です。
この問題はデリケートな問題で、細心の注意を払って発言しても、あっという間に敵味方論に巻き込まれ、炎上案件になってしまうからなのでしょうが、でもだとしたところで、この点に踏み込んで発言をおこなうマスコミ人をみたことがありません。上の話もそういう人にとってみれば、富裕層が自己利益を守るような話に聞こえるのかもしれません。そんな気がします。
今回、ツイッターであのやり取りを見ていて、心底ゾッとした。
一応反省したテイで開始されるこの文章、しかし反省というよりも、文章の2/3は怒り収まらぬ様子の文章。
この人、軽率だとか自分で言っているけども、多分軽率の度合いがわかってない。
下手したら店が閉店に追い込まれてもおかしくない。人生が狂っても驚かない。
今回、乙武さんがやった行為は、ひとつのことを知らしめたと思う。
それはつまり、飲食店等の客商売をしていて、障害者という存在はとてつもなく危険だということ。
今まで作ってきたイメージも客も評判も何もかも、障害者の気に入らない事をしてしまったが最後、晒され、叩かれ、悪者にされ、最悪の場合全て失ってしまうかもしれないこと。
まるで何気なく街中を歩いていて、突然通り魔に命を奪われるようなものだ。
不運としか言いようがない。ああ、障害者には関わりたくない。近寄って欲しくない。性質が悪い。人生滅茶苦茶にされかねん。
このような、全く建設的ではない、障害者も健常者も社会も誰にもいいことのない、ネガティブイメージ。
これを知らしめた、ということだ。
乙武さんのこの釈明記事を読んでなお、ネガティブイメージは払拭できないなと思う。
普通の人なら、自分がネット上で悪として叩かれ晒されているだけで、十分先行きに絶望して日常生活に支障を来すだろう。
でも、こんなことしちゃった僕の気持ちも解って下さい!という文章からはそこに対する気遣いは全く感じられない。
てか相手の謝罪ツイートも見たのか見てないのか知らないが、「許してくれるなら」って、会話する気なしとしか思えない。
なぜ電話であらかじめ手がかかる事を伝えなかったのだろう。
店で面倒をみきれなければ、責任を持ち切れなければ、店だって拒否をする権利はある。
だけど先に伝えておけば、店にだって準備のしようがあるだろう。
店側もやむなくどうしても無理なら、また改めて後日お願いできませんか?と伝えることだってできる。
その事前の根回しもなく、当日突然、当たり前に手伝いを要求。
そんなの絶対、店の人だって不愉快だ。怒られても仕方ない行動だ。
念のため、障害者だから不愉快というものではない。健常者に求められたって不愉快だ。
障害者だけでなく「何かに対応が可能な準備」には少なからずコストがかかる。
インターネットが使えない、或いは苦手な人のために電話対応用の人員機材を用意するのも、
街中で視覚障害者が自力で歩けるように点字ブロックを道に埋めることも、
コストであるからには、そして商売であるからには、費やせる量にも上限がある。
乙武さんは、自分が突如手を借りる時に必ず不自由することなきよう、店に人を置いておけというのか。
当たり前に店はそのコストを払い続けて、そして乙武さんはこの店にそれをペイできるほどの金を落とすというのか。
ただ、事前に事情を説明すればいいだけのことだ。
時間がわかれば、店だって事前にその時だけ何か用意ができたかもしれないのだ。
障害者が健常者に比べて何かしら手間がかかるからといって、障害者の方々はひきこもる必要はない。
でも、健常者同様に、相手に迷惑をかけるのであれば、気遣いはしてほしい。
人にひと手間かける時は、すみませんが、ご迷惑ですが、は普通のことだ。
そして、人は必ず手助けができる状況にいるわけではないことも、当たり前に理解しろ。
(まあ健常者でも、理解できてない頭の弱い人は多々いるのだけども)
同等、平等っていうのはそういうことだと思う。
手間がかからなければ偉いものでもなく、手間がかかるから下扱いされる謂われなどない。
私は障害者を差別しないから、ちゃんと人と人としての気遣いも求める。
それもできないなら、障害者だからではなく、人として関わりたくない。
損得や苦楽が判断基準ではない。単にひととなりの問題だ。
それが解っている障害者の方々は多いだろうに、乙武さんの行為はそういう方々の行動を台無しにしている。
不愉快過ぎて、普段文章なんか書かないのについ増田してしまった。
有名人ないし著名人は危険、という部分も大いにあると思います。賛同します。
乙武さんでなければここまで大きな話になることはなかっただろうと私も思います。
ですが、仮に今回の出来事を誰もが知ってる芸能人が書いたら、ただの傲慢、感じわり~、だけで片づけられた話でもあると思います。
そして、大多数の著名人は、店名名ざしでこういう話を持ち出したりはしないようにも思うと、添えさせていただきます。
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なんで自ら選んで障害者になったわけでもない方々が、そんな「健常者より気遣う」必要があるのでしょう。
例えば店で買い物をした時に、店員からありがとうございましたと言われる。客はありがとうと返す。
売ってやったわけでもなく、買ってやってるわけでもない関係がそこにはあると思うのですが、
手伝われる方も、手伝う方も、それくらいの気遣いが出来ればじゅうぶんにスムーズだと思います。
「健常者より気遣いしろってこと?」という表現は、まるで自炊できずにコンビニ弁当ばかりの人が、
「自分は料理できないから店員に対して余計に礼を述べろっていうのか?」くらいに思えますよ。
障害者が社会に手助けを求めるのは当たり前の権利であるなら、手伝うことは社会の責務です。
その責務を、各々できる人たちが可能な範囲で担当するだけのことです。
ただ私は円滑でお互いが気分よくなれるコミュニケーションを求めるだけのことです。
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もし自分でコミュニケーションをとることがとても困難な方の場合は、おそらく介添えの方が同伴されることが多いと思います。
何も障害者本人が必ず何かレスポンスを、というつもりは、もちろんありません。
むしろ、それが難しい方が単独で居られるなら、それは積極的に手助けなどをしないとまずいのではないかなと思います。
きれいごとであり、理想論であり、空論であり、なおかつ傲慢でもあるのも、否めない部分があります。
さらには承知した上で意図的に強調をしているので、批判や反発もあるべきだと思います。
だいたい、匿名ですし。(他に長文をさくっと発表できる場所がないからですが。)
手足がなかったら同じことが言えるか、とおっしゃる方がいらっしゃいました。
乙武さんの苦労が簡単に理解できると思う程傲慢ではありませんし、全て察せられると思える程の自信もありません。
ですから、自分の想像だけを根拠に「言える!」と簡単にお答えできるわけもなく、
しかしながら「言えないかもしれない」という生半可な気持ちでもないので、回答は「わかりません」になります。
ただ、たまたま手足がある人ですので、手助けの余力がある可能性も高いですし、その立場から手足のあるなしなんか目もくれずに
不愉快なら、「こうだから」不愉快だ、「こうすればよいと私は思うのに」と言うだけのことです。
手足があるから、手足がないから、何か遠慮しなくてはいけませんでしたか?
それは、腫れ物扱いって言うのではないでしょうか。
障碍者対応という当たり前のことさえできないレベルの反社会的な人間が商売をやるのは、社会的に大きな損失でしょ。万が一成功したら、ワタミ化するぞ
意味がわからないですね。本当に意味がわからないし、ぞっとしますね。怖いですこの人の発想。
車いすの方が来店してそれにたったの一度でも対応できなかったら、反社会的なレッテルを貼られてネットに晒されて翌日から店に投石しても落書きしても店主の家族を夜道で襲っても構わないと原理主義者が主張されておる。恐ろしい。怖い。
全ての飲食店がバリアフリーに対応できるわけないでしょう。何をきれいごと言ってるんですか?はてなブックマークみたいなネットの片隅でキレイ事を書いてれば世の中が良くなるとでも思ってるんですか?もっと外に出てお金と時間を使って世の中を見た方がいいよ。
資本に余裕がある大規模チェーン店と、個人がギリギリの採算でやってる飲食店をなぜ同一の土俵にあげるわけ?全ての個人店に完璧なバリアフリーを強要する発想こそが、まさにブラックなんですよ。こういう原理主義者がブラック企業を生み出すんですよ。この人は日頃からワタミワタミって連呼してブラック企業を批判してるけど、君みたいな原理主義者がブラック企業を生み出す一翼を担ってるって何で気付かないの?
ご自分の似非正義感に酔い、暴力を正当化し、無自覚に被害者を増やし続ける「障害者配慮原理主義者」が世の中をどんどん息苦しくし、零細飲食店事業者を殺す。もし銀座のあのお店が閉店したら、君が殺したことになるんだぞ。よーく覚えとけよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130515143150
簡単な話。
考えられる原因は「そもそも話が間違っている」か「その他もろもろの何かがよろしくない」か。
この人が言うとおり、今回のはしもとが言っている話が仮に正しいのなら、そこ以外の何かが間違っているということ。
社会というものは複雑なので、人間が考えうる原因など氷山の一角に過ぎない。
話というのは伝わってこそ意味がある。
話が伝わらないのはメディアのせいでもなんでもなく、話をする人のせい。政治家ならなおさら。
エンゼルバンクの5巻を読んだらいいと思うよ。
追記:
先に書いておきますが、前半部分の数字がついてるのは「はしもとのあれ」です。
で、その周りに書いてあることは、みなさんから反応をもらう前に私が思っていたことです。
色々反応を頂いて、自分なりに理解できたつもりにはなったので、そのまま残しておきます。
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よくわかんないので整理
1-1, 個人の意思に反して従軍させられた慰安婦がいたとしたら、周辺諸国に謝罪すべき
1-2, しかし、2007年の閣議決定で個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」ということになっている。
1-3, 閣議決定は、政府の公式見解、政府の公式見解は、日本の公式見解
1-4, にもかかわらず、諸外国から従軍慰安婦の件で、過去を反省しないレイプ国家との謗りを受けている状況は国益に適わない。
特に1-2が閣議で決定されているわけで。外野がわやわや言おうと、閣議で再決定なり覆したりしない限り、日本の見解は変わらないよね。
もし、間違いなのだとしたら、閣議なり国会なりで信頼できる証拠、少なくとも国内では確実なものだと言える証拠を提出して議論すべきだよね。
で、件の風俗発言だけど
2-1, 昔は、強制でない買春はどの国にでもあった
2-2, ここでいう買春は国が管理しているものではなく、民間業者や個人
2-3, 買春は当時の感覚では、今ほど拒絶されているものではなかった
2-4, それを戦勝国だからと言って、敗戦国で当時行われていた買春だけを責めるのはアンフェアだ
そして、アメリカの話
3-0-1, 古くはGHQ時代から買春が個人によって行われていた
3-0-2, 沖縄米軍基地の周辺でレイプや暴行事件が後を絶たない。つい最近もあった
3-0-5, 米軍の女性兵士でレイプ経験があるのは30%に達するとの報告があり、問題解決に取り組みはじめたところ
3-1, アメリカは軍の性犯罪問題に真正面から取り組むべきだ
3-3, 日本の法律で認められた風俗産業では買春は認められていない
まとめると、
1, いま、諸外国から責められている、国が管理する従軍慰安婦問題は、少なくとも日本の公式見解として存在しない。
2, 昔は一般的だった問題で日本だけが責められるのはアンフェア
3, アメリカは今までに色々問題起こしてるよね。日本を責める前に問題に真正面から取り組んだら?
ということで。うん、至極真っ当な気がする。
タダの正論だと思うんだ。
で批判だけど、
1-1, 人権云々が「管理売春」の話であれば、大戦時も今もない(ことになってる)ので的外れ
1-2, 性風俗に従事する人たちの人権が、というのなら自由意志でやっていることなので的外れ
1-3, そもそも性風俗に従事している人の人権が、というのならそれは別の問題
2-1, 主張としては正しいと思うけど、じゃあ対案は?3-0-5とかひどいもんじゃない
3-1, うん、安い挑発過ぎるね
4, 維新の会への印象が悪くなる
4-1, うん、そうだね
5, タブーに触れるのはよくない
5-1, なぜ?
6-1, 3に関わる話なら分かる
7, メディアがつまみ食いするの分かってるんだから、もう少し要点をはっきり話せ
というところで。正直、国益を損なう発言であるという以外に問題が見当たらない。
その他の批判はポジショントークだったり、メディアが勝手に切り取った話をつまみ食いしてるだけで。
7が一番の問題な気がするんだけど、それはメディアの問題で。
で、何が、本質的な問題なの?
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1-3から明確な誤りですね。07年3月の閣議決定は辻元氏への答弁で、「いわゆる強制連行」を示す根拠がなかったとはしているが、93年8月の「いわゆる従軍慰安婦問題について」を踏襲することが明言されているもの。
「個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦がいたこと」は政府が公式に認定しているところというのが2007年の閣議決定の内容ですよ。
調査結果中には「業者らが或いは甘言によって、或いは畏怖させる等の形で本人の意向に反して集められるケースが数多く、更に、官憲等がこれに直接加担する等のケース(白馬事件)も見られた
発言では
証拠が出てきたらね、それは認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年の閣議決定では、そういう証拠はないという状況になっています。先日、また安倍政権で新しい証拠が出てくる可能性があると閣議決定したから、もしかすると、強制的に暴行脅迫をして慰安婦を拉致したという証拠が出てくる可能性があると
と言っているので、明らかな間違いがあるってことですね。ありがとうございます。
で、まぁ
「当時は必要だった、お前らもやってただろ」と「俺たちが悪かった、でもお前らもやってただろ」の前者を選んだ時点で価値観が露呈。
だし、
http://anond.hatelabo.jp/20130515145914
橋下市長はこの問題に全く関係ない。 別に今大阪市長として何らかの政治判断を求められてるわけでもない。 だったら別に答えなくても良かったのに。
が結論かな。
あざっした。
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途中で飽きました。すみません...
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それはわかるんだけど、きれいごとで世の中が変わるのなら世話ないというのもありますよね…
当事者に倫理観がないからレイプが発生するのだから、というのは論点のすり替えか。
うーん。
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http://anond.hatelabo.jp/20130515154352 が紹介してくれた、
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/01/post-514.php
って記事、
日本での慰安婦問題に関する論調にある「狭義の強制連行はなかった」という主張は、裏を返せば「当時の法制や慣行に則した広義の強要はあった」ということであり、要するに「やっていたと堂々と認める」という話に他なりません。これは大変に異様なことです。20世紀に起きた「交戦地帯における兵士相手の管理売春の強要」を21世紀の国連加盟国の政府が「狭義の強要よりは反道徳的ではない」と主張する、それも「大っぴらに主張する」というのであれば、理解される可能性は限りなくゼロに近いと考えるべきでしょう
がかなり腑に落ちた。
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BBCの記事では「慰安婦は必要だった」という歴史認識と「慰安婦への配慮は言葉でいい」という部分が問題視されてたと思うけど。このまとめは的はずれじゃないかな。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-22519384
Japan WWII 'comfort women' were 'necessary' - Hashimoto
...
Some 200,000 women in territories occupied by Japan during WWII are estimated to have been forced to become sex slaves for troops.
...
He acknowledged that the women had been acting "against their will". He also claimed that Japan was not the only country to use the system, though it was responsible for its actions.
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"It is a result of the tragedy of the war that they became comfort women against their will. The responsibility for the war also lies with Japan. We have to politely offer kind words to [former] comfort women."
訳されて、中国の反応を付記してるだけで、かなり中立的な気がするけど。
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「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と「個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」は全然意味が違うんですがそこは大丈夫なんですかね…
質問(辻元清美)http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm
答弁(安倍晋三)http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm
なお、「いわゆる従軍慰安婦問題について」は以下
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf
「従軍慰安婦についての本当の話」
http://www.geocities.jp/ianfu99/
によると、
新聞や雑誌を読むと激しい論争があるように思いますが、では研究者はどう見ているのでしょう?実は慰安婦を研究している人で慰安婦を職業的な売春行為だとしている人はほとんどいません。最初に資料を発見した代表的な研究者である吉見義明と異なる立場をとる研究者は、実際上秦郁彦1人だけです。研究者の間では慰安婦が旧日本軍による犯罪(誘拐・監禁・強姦による性暴力)であることに異論はありません。
とある。
この文章の信憑性がどうとかいう声があるけど、
今日(2013/5/15)の段階で(どうせリンク切れになるのでタイトルのみ)
っていうことになったので、
1-3「しかし、2007年の閣議決定で個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」ということになっている。」
ってありえない発言(要約が正しいとすれば)だな。と理解。
談話は以下。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
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はしもとのあれに関しては、もう飽きたのでいいとして、あずまさんのTweetみててあーこれだなと思った。
性風俗やポルノさえ撲滅できない世界で、なぜ慰安婦すなわち兵士対象の売春行為が撲滅できるのかぼくにはよくわからないので、そんなら最初からその前提のうえで話したほうがいいんじゃないですか、ってのがぼくの言いたいことです。慰安婦に日本政府が絡んだかどうかってのはぼく話題にしませんよ。
@hazuma 5月13日
小学生でもわかるように書くけど、個人が性欲をコントロールすることと、集団が性欲をコントロールすることはまったく別。そりゃ個人では禁欲する男もいくらでもいるし、一般市民は普通コントロールしてるさ。でも集団になると必ず一定確率でコントトールできないやつが出てくるんだよ。
それで、戦争とかで若い男性たくさん一箇所に集めたら、そりゃ性処理問題は出るでしょうという話で、それは基本的に通勤電車があると一定確率で痴漢でるとかと同じ。これがどうして「野獣としての男を肯定するマッチョな話」になるのかさっぱりわからん。
要は、若い(中高年も?)健康な男性を多数管理しようとすれば、現実問題として彼らが抱く性欲は考慮しなければならず(会社だって同じでしょ)、そこで各人の禁欲なんかに頼っても暴発は不可避なので精神主義に頼っても意味がないという話なのに、なんでこんな炎上するのかね。よくわからんよ。
@hazuma 5月14日
(1)軍には男性が多い、(2)交戦中の軍は構成員に異常な心理状態を強いる、(3)その結果はしばしば性欲の昂進として現れる、(4)それを目的に売春行為を扱う業者も出現する、(5)以上の(3)および(4)を非倫理的で阻止するべきだと思うのであれば戦争をやらないほうがいい。以上。
@hazuma 5月14日
あと従軍慰安婦問題だけど、これは調べれば調べるほど込み入っている問題でして、ぼくはぶっちゃけ不可知論というか「専門家でもないしよくわからん」という立場です。それは無責任と思われるかもしれないけど、ぼくからすればよくまあみなさん断言できるなという感じ。
そういう認識のうえで、ぼくは、「従軍慰安婦は性奴隷でもなければ招集に政府も関与しないと橋下氏が信じているのであれば、軍と性の必然的な関係について述べた彼の発言自体は問題とするに価しない」と言っているにすぎない。
@hazuma 5月14日
で
もはや事態は「本当のことでも言っちゃいけないことがある」的なかなりくだらないレベルに落ち着いたようだな。
@hazuma 5月14日
か。うん。納得。しかし実名でやるんだもんなぁ。マッチョだなぁ。
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別に議論したいわけじゃなくて、はしもとの問題って「ただしい」ってのがどれだか分かんなくて。
なんか書いたらみんながレス付けてくれて、理解できるかなって思ったのでまとめました。
これを実名でやるほど肝が太くないんです
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おそらく理解してくれないと思いますが、いちおうちゃんと書きます。ぼくが最初に高橋哲哉の名前を出したのは、ぼくのこの歴史認識についての「いいかげん」な不可知論的立場がデリダについてのぼくの研究(と高橋氏の研究の差異)と理論的に繋がっていることを示唆するためです。
20世紀半ばの哲学者たちはおしなべて、世界に真実はない、ものごとは解釈でいくらでも自由になる、と主張してきました。それが行きすぎてソーカル事件が起きたのはご存じのとおり。1990年代からは一気に風向きが変わり、「確かな真実は疑い得ない」がトレンドになります。
デリダといえば脱構築ですが、そんな彼も90年代には新しい方向で再解釈されました。けれどもぼくはその流行に抗して、むしろ「テキストだけではなにも決定できない」という古い主張を擁護した。それがぼくの博士論文ですが、その立場と歴史認識問題へのぼくの立場は密接に関わっているのです。
ぼくは別に、真実が複数あると言っているわけではありません。真実はひとつです。しかし、真実に近づく方法が文書資料しかない場合、そこにはつねに複数の解釈可能性があって、その差異は合理的討議では決して回収できない。これは理論的問題であり感情的問題ではない。
そしてこの問題はネットの出現で深刻になっている。なぜならネットとはなによりも文書の場だからです。ある事件について資料が公開される。そこまではいい。しかしその解釈は、資料が多ければ多いほど拡散し複雑化して、結局肝心の真実は闇に包まれる。歴史認識問題で起きているのはそういうことです。
@hazuma 5月15日
反応をくださったみなさんありがとうございました!
まずは、おめでとう。
ですが、
就活は企業と学生のマッチング問題であり、企業の発展と学生の希望(こんな仕事したいとか、地元に残りたいとか、なんでもいい)の両方を目的関数とする最適化問題のはずだ。フォーカスすべきは、内定の後であるはずだ。
これには全く賛成。
内定をもらって、やっと夢への一歩が踏み出せる状況。
けれども。
これはどうだろう。
自覚があって、なにかが変わるかな?
私は、就職活動というものはいかにしてきれいごとを並べ立てるか、という点が問われるものだと思ったけれど。
むしろ、気分が悪くなるよ。
第一志望でない会社についても、20社くらい、書類や面接の上で、こんなことがやりたいんです!と訴えて。
それはまさに、本音と建前でできていて、なんて大人の世界なのだろうと感じた。
笑顔で建前をすらすらと唱える。
私の性格が悪いだけかもしれないけれど。
だから私は、自覚なんていらないと宣言したい。
「野田聖子議員はいいことを言っている。」の記事にリンクを貼りながら、なぜ「野田聖子の発言を支持されている方々に聞きたい。」なんて発言が出てくるのかわからない。本当に記事を読んだのか?
一方、1年間の中絶件数は公称で20数万人と言われています。保険適用外なので実際には2~3倍近い堕胎があるのではないかと、NPO(非営利団体)法人などが言っています。変な話、これを禁止したら、産まざるを得ない人が出てくる。
もちろんこれは相当極端な話で、現実には難しいです。私が言いたいのは、それぐらい「えぐい」テーマにしないとだめだと言う事です。今は、まだ議論がきれいごとで終わっています。