はてなキーワード: かけそばとは
吉野家コピペが世に出てから18年経ったらしいが、吉野家はいまだに殺伐としている。
働き盛りの男に合わせた高さのテーブルと背もたれすらない椅子。背もたれもハンガーもないので冬には上着を脱ぐことすらできない。
食券による前払い制ではなく手渡しでの後払い制なので、せわしなく行き来する店員をうまく捕まえなければ食べ終わっても合法的に店を出ることことすらできない。
松屋の食券販売機をタッチして「ペボッ」という間抜けな音を出すのより、吉野家の店員に「牛丼並、Bセット、卵」と簡潔に伝える方が好きだ。
何種類あるのかもわからないたくさんのドレッシングが並ぶ松屋のテーブルより、醤油と七味と紅ショウガしか置いてない吉野家のテーブルの方が好きだ。
今日は牛丼を食べるぞ、と思ったときに探すのはやはり吉野家なのだ。
背もたれのない椅子によじ登り、やたらと高いテーブルにしがみついて牛丼を貪る老人。
せわしなく行き来する店員に何度も無視され、やっとの思いで店員を捕まえて会計を済ませる老人。
よろよろと椅子から降りて、カタツムリのような速度で自動ドアまで移動して店を出る老人。
見ているだけでいたたまれなくなる。これは未来の自分なのだろうか。
家で自炊もできず、もう少し居心地がマシな店に行くだけの金も持たず、殺伐とした吉野家で380円の牛丼を食べるのが自分の未来なのだろうか。
むしろ380円の牛丼を食べることすら贅沢になるのかもしれない。椅子すらない立ち食いそば屋でかけそばを食べる毎日になるのかもしれない。
何かの拍子に体調を崩したら外食も自炊もできなくなり、そのまま孤独死するのかもしれない。
肩で息をしながら吉野家のテーブルにしがみつく老人を客は誰も助けない。当たり前だ。
吉野家は牛丼を食べる場所だ。店員を相手にする注文と会計が客に要求される唯一のコミュニケーションだ。
だからきっと数十年後の自分を誰も助けない。俺はそれを想像して震える。
散らかった部屋から決死の覚悟で出かけて、炎天下のアスファルトを這いずり回り、吉野家のテーブルにしがみついて牛丼をむさぼり食う。
これを全て独りで行う。誰も助けてくれない。誰も褒めてくれない。