はてなキーワード: かかしとは
共産党を擁護する義理はないのだが、共産党が「多様性の統一」の標語を掲げた事にあたって、独裁だと揶揄するブコメが目立つんだがこれらの人達どうも意味判ってなくない?
これって頻出スローガンだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/jcp_cc/status/1452192530871697413
最近だと多文化主義(multiculturalism)と文化多元主義(Cultural pluralism)の橋渡しというか良いトコ取りの標語として使われる事がある。
多文化主義っていうのは人々の属する文化が並置されて存在している状態。〇〇人っていう属性、特色を捨てる必要ないよって考え方。でもこれだと国家内がモザイク状になって対立が発生したり、特定宗教の原理主義とかはどうする?「自由の敵」に自由を与えて多文化主義の基盤を破壊するのはどうする?って問題が発生する。
文化多元主義は色んなオリジンを持つ人々が集まるが、個々人は一つの公共的モデルに集約され、主体の改変を求められるって考えだ。
人種のるつぼって色んな人種が居る事を指していると思ってる人が多いが「るつぼ」は坩堝と書いて金属を溶かす溶鉱炉の容れ物だ。だから「人種」は溶けて元の色や性質を失っている。
そして坩堝の湯(溶解金属)は型に入れられる。冷えて出来上がるのが「アメリカ人」という合金のインゴットだ、という考えに立脚している。かなりイデオロギッシュな言葉なのな、実は。
ハワイ空港の名前にもなっているダニエル・イノウエはその尤もなモデルケースだろう。
日本軍が真珠湾で奇襲攻撃を掛けてアメリカを戦争に巻き込んだので、ハワイの日系人は立つ瀬がない。そこでイノウエは自分がアメリカ人である事の証に陸軍に志願してかの有名な442連隊に配属された。死傷率300%以上という有名な部隊だ。海兵隊では新兵訓練の際に442連隊の事は必ず触れると聞く。「アメリカとは何か」を象徴するからだ。
イノウエはそこで日系人じゃなくてアメリカ人のインゴットになった訳だ。戦後は政治家となって上院仮議長まで登りつめた。
だからこれ書いてる増田はイノウエに日系人としての親近感なんて抱かない。彼は立派なアメリカ人だった。
この生き方を強いたのが文化多元主義であり人種のるつぼ論なのだ。
イノウエの例は戦争という情況が強いた極端だが、この抑圧的な文化多元主義と、バラバラで政治主体としても弱くて実効性にも疑問符が付く多文化主義の良いトコ取りしようぜって言い方で使われることがある。
あと有名なのがインドネシアの国是、「パンチャシラ」。意味は「多様性の中の統一」。
インドネシアっていうのはこれはもう完全に人口国家であって「インドネシア人」なんて人種も民族も無かった。言語も違う。旧ユーゴと似ている。
そこにまだ統一国家も無いのに「インドネシア人」という国民意識が立ち上がっていった。「国民」はトップダウンだけで出来たのでは無い。
この意識の成立の鍵になったのが植民地下での出版業で、同一言語での大量出版がやがてその頒布される広範囲で公共心や共同性を立ち上げる事になった。
これを観察して書かれたのがかの有名なベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』なのな。アンダーソンはインドネシア歴史を研究していて、そこから国民国家の成立を発見したのだな。
パンチャシラを提唱したのは国父であるスカルノで、重要な理念として憲法前文に入れられた。
共産党を叩いている人の中には旧日本軍人がインドネシア独立に協力した事を重視する人が多いはずだが、インドネシアの有名な国是を思い出さないとはどういう事だろうか?
この流れはTTP参加決定時に似ている。
民主政権がTTP参加を決定した折、ネットは大炎上した。すると炎上の仕方が厨房っぽいので一歩ずらして「そもそも米国の利権に”環太平洋”と名付けるのがおかしい」とかかしこぶる人が出てくる。
ところが「環太平洋」という概念はソ連との冷戦が終結した90年前後からある。そして実際日本の周囲では環太平洋での経済的結びつきが強化されてきた。製鉄大国で「鉄のハブ」になっている日本の最大原料輸入国(鉄鉱石と石炭)は豪州になった。
そういうの知らんのな。知らんというか20年以上知らないを継続してきたって事だ。
因みに環太平洋の当初のアニキ役は米国と日本が想定されていたが、日本に代わって中国がアニキ役になりそうな塩梅になってる。これはGDPの伸びだけじゃなくて、日本は震災で港湾が壊滅したり鉄道民営化の上に貨物分社化して海コン扱いが出来ないなんてクソ失政を重ねたせいで物流(コンテナ、航空)の拠点が中国になっちゃったせいだ。
「多様性の統一」に噛みついた人らは、物流的に日本が中国から出てるローカル盲腸線の扱いになってるのとか知ってる?
共産党を揶揄したいって気持ちは判るよ。なんせ彼らは「民主集中制」について破棄したのかちゃんと説明も総括もしていない。
プロレタリアート独裁だってソ連や韓国、東南アジアの開発独裁の評判が悪くなってから言わなくなっただけであれってどうなの?ちゃんと破棄したのって事は有耶無耶になっている。
欧州なんかは左翼ポピュリズムが押してきているが、そういう訳なのでその流れに乗るの?って事もよー判らん状態。
だから「多様性の統一って字面が民主集中制そっくりでんなぁ」とかイヤミいうのは判るが、わざわざこんな有名な語彙を出しているのに悪意の解釈しているっていうのは、単に「国民国家の成立とか、多文化主義が起こす軋轢とか、人種のるつぼの本来の意味とか、ハワイの空港が何で日系人のイノウエの名前付けてるのかとか、インドネシアの建国理念とか知らねぇし、興味も無い生活送ってるんだろうなぁ」という情報しか外部に与えんよ。
メジャーな名字と見せかけて読み方だけ変わってるので日常生活が地味にめんどい。
例えば私の名字の字面が「増田」だとしたら大体の人は疑いなくマスダと読むと思うが
自分の名前の読みはゾウデン(仮)とかそういう感じなのである。
いやもうマジで何でこうなったん?
難しそうな字が書いてあれば前もって読みを調べておくと思うが(該当の氏名の方々、例に出してごめんなさい)
「増田」と書いてあって読みがマスダ以外の可能性を疑う人はそうそういない。
間違ってマスダさんって呼ばれた時に「あっゾウデンです」って訂正すると
まるで読み間違えられたはずのこっちが悪者かのような空気が流れる時がある。
どこへ行っても間違われるのでそのうち面倒くさくなって訂正するのもやめる。
そんな知り合い程度の人々は当たり前にマスダさんだと思って話しかけてくる。
何かの拍子に「本当はこの人ゾウデンさんだったらしい」と知るとすごい謝り倒してくれてまた変な空気が流れる。
というかコレ今さっき起こった。
ハァーめんどくさい。
私と同じ名字を付けて長年生きてきた父も「役職付きの気を遣われるオッサンになるまでは本当に面倒だった」と言っている。
メリットはインパクト強いから名乗れば初対面で覚えてもらうのが早い程度。
私もいっそ普通のマスダさんになりたい。
幸いにも下の名前は普通なのでそこは助かっている(お父さんありがとう)
ちょっと話がズレるけど
こういうの「自身が普通の名前だから我が子にはオンリーワンの名前を!」みたいな考えの人には
想像しにくい部分があると思うので一歩踏み止まってよく考えて欲しいと思う。
裏世界ピクニックの原作が好きだ。洒落怖が好きだし、百合も好きだ。勘違いだと分かっていても「私のために書かれた」と思えるくらい自分の好みにストレートだった。
コミカライズも好きだ。『スパイラル』、『天賀井さん』の水野英多だ。さすがに原作に比べると……と思いつつも、おおむね満足できるものにしてくれている。
この先はただただアニメ版の内容について罵倒しているので、どうか原作を5巻まで買ってから読んでほしい。というか、原作だけ買って、この日記は読まないでください。
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原作は電子版の1~4巻の合本が1月17日まで1375円(1冊340円!)なので今すぐ読んでください。
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空魚が「人間!?」と口パクで喋る。何かおかしいな、と思った。
原作に当たると、“不意を打たれて、言葉が出なかった”とある。別に原作の一言一句まで覚えているわけじゃなく、「声を出して反応ならぬ反応をする、しかもその際頭が動く」というシーンに違和感があった。心理ネームを口パクで処理するのはアニメ的な演出ではあるので、目くじらを立ててとやかく言う場面ではないけど。
「人間です」というおうむ返しも微妙。人語を介しているなら人間だし、あるいはそうでなかったとしても判別はできないので、原作のとおり「生きてます」の方が自然。
私はなんとなく、人間、かかし、ヒトガタ・ニンゲン、ムーミンの「ニョロニョロ」辺りを混ぜたような見た目を想像していた。が、アニメだと『ハルヒ』の神人のようなデザインになっている。
自分の解釈が唯一の正解だ、などと驕るわけではないのでそれ自体は別にいいんだけど(神々しすぎて田んぼにいそうじゃないなとは思うけど)、『ガンバ』のノロイみたいになるのが残念すぎる。くねくねの怖さって、「不思議なものがいる」「不意に見てしまい、見続けてしまう」「その結果、壊れる」というものであって、「攻撃的な見た目の『敵』に攻撃される」というものではないと思う。『不安の種』みたいな「気持ち悪い」であって、「怖い」ではあってほしくなかった。
見返していると、冒頭から違和感に気付く。1カット目が「ウルトラブルー」なのだ。くねくねに当てられたファーストカットは、無力なまま死んでいくことへの恐怖が描かれているはずだ。それを「裏世界の深部」と表現するのは誤っている……というか、情緒を理解していない。
ここもひどい。原作にはこうある。“止まらない目眩の渦に呑み込まれるように意識が落ちていく。”
アニメでは、水たまりが突然深くなり、そこに溺れていくさまが描かれる。溺死ではなく、地面に足がつかず溺れるような描写はまだ、イメージ映像として理解できるけど、その次のカットが鳥瞰で、水たまりには誰もいない。つまり、本当に「落ちた」と表現している。
鳥瞰のカットに鳥子がいないのは、カメラ的に丁度切れているんだろうけど、切る意図が分からない。目の前で沈んだのなら助けられるけど、人がいることが見えないまま水たまりに呑み込まれても、動けないだろう。
このシーンは、完全なギャグだ。原作だと、「うえっ」と言い、舌を出すにとどまっている。今まさに敵に襲われている、という場面で、二人して背を向け、四つん這いになって吐き真似をしている(もしくは、ギャグ的な演技だが実際に吐いている)。リアクションが大げさすぎて、真実味が削がれている。
OPがCHiCO with HoneyWorksであることからも、また「ハヤカワ・ジュニア・ブックス」という新レーベルで原作1巻を刊行することからも、子供向けアニメとしての側面があることがうかがえるので、この「翻案」を悪いと言ってしまうのはよくないのだろう。
モノローグが少ないのもこのためと思われる。『鬼滅の刃』がアニメであそこまで子供から人気を得たので、子供向けに焦点を合わせるという売り方は間違ってはないと思う。それが裏世界ピクニックでやることなのかは疑問だけど。
これは原作を読み返して気付いたのだけど、原作だと水たまりに嵌りそうになっている。これは最初から嵌っていた空魚との対比であり、ある種、「助け合うことでイーブンになった」と読み取れる。
アニメでは崖から落ちるよう改変されている(一応、その下に水たまりはあるのだけど)。何故こう改変したのかというと、「滑る」「滑り落ちる」ことを分かりやすくビジュアル化したかったのだろう。子供が見ると定した場合、アニメ版の描写の方が分かりやすいだろうし、これに関しては一概に悪い改変とは言い切れない。
ちょっと、絶望的な始まり方だった。まんま原作と同じ流れだ。小説は受け手の想像力に依存するのである程度場面を飛ばしても問題がないけど、映像化するのならその辺はちゃんと補完してほしかった。
前述のとおり(というのは私が勝手に思っているだけなので見当違いかもしれないけど)、モノローグが大幅にカットされているので、余計に理解しづらくなっている。
六面体のアップ→OP→走る二人という唐突な場面転換ののちに、埼玉の大宮のロケーションが映し出されるが、不自然に人がおらず、そこが表世界なのか裏世界なのは判別がつかない。無意味に確定できない情報は視聴者を不快にさせるので、アバンからAパートをまともに繋ぐ気がないのなら、せめて人の営みを描写してほしかった。
私が1話で一番引っ掛かったのはここ。そもそも私は「くねくね」を「怪談」だと思っていない。実話怪談(洒落怖)については原作者自身が単行本で記しているので譲るが、少なくとも、「怪談『くねくね』」と演目のように言うようなものではないと思っている。
リッチなアニメだったなら、くねくねの紹介の際にイメージカットではなく、書き込みをそのままアニメ化とかしてくれたのだろうけど、それを望むのは贅沢すぎか。
空魚は「私たちだけ映っていない」と述べる。
アニメでは、アバンの最後とこのシーンで二回、六面体を描いている。その二つの場面で模様(?)が違うので、映像的に語れたと判断したのだろうけど、「鏡面なのに私たちだけ映っていない」くらいは言ってもよかったのでは。ほんのり光っているし、CGを貼りつけて背景を描画し続けているわけでもないし、一見して鏡面だと分かるのかな。「自分たちが映っていないことを除けば何の変哲もないキューブ」と原作から読み取っていたので、ちょっと違和感があった。
緊張感がない。空魚は棒立ちで、ゲートに無頓着。そのまま次のカットに移るが、今度は空魚が茫然自失で立ち尽くしている。アニメなのだから、ここは「大慌てする空魚」と「扉が開いて=ゲートが消滅してしまい憮然とする空魚」で対比させてもよかったのでは。
扉が開いても、前述のとおり商店街に人がいないので、現実世界に引き戻されたという絶望感もない。
空魚のモノローグが削られているので、この時点で裏世界が空魚にとって特別なものだったと、視聴者には分からないのに、次のカットではいきなり鳥子が空魚を慰めている。極力モノローグを排除したいのなら、ここでこそイメージカットを使うとか、原作どおりに進行させるのではなく回想なりを入れるとか、空魚に鳥子に対して語らせるとかしてもよかったのでは。ただ原作をそのままなぞってアニメにするのは、誠実な仕事とは思えない。
アップで画面を映して、点滅しているだけなので、「ちょっと調子が悪いときのスマホ」くらいにしか見えない。もうちょっと引きで撮るとか、平常時の画面をフラッシュバックさせるとかしないと、どんな異常が起きたのが分かりづらい。
六面体もそうだけど、裏世界のもの・裏世界に触れたものをやたらと発光させるので現実味がなくなってしまっている。日常が侵食されていくふうには演出できなかったのかな。
うーん。いやあ、まあ、そういうこともあるだろう。「こいつ、後の話で出てくるんだぜ!」って、知ってたら自慢できるだろう。オッドアイ前の空魚と偶然出会っていた可能性もあるだろう。これは……ねえ。別にそんな、全然あれじゃないんだけど。遊び心だし。なんか、変に必然になっちゃったというかさ、ねえ。
金銭についての会話が丸々カットされている。あくまで空魚は打算で動いた、という建前があるからこそ、二人の関係は成り立っているのではないか。
「終電、なくなっちゃったね」は別に事実を口にしているわけじゃなくて、「帰りの足がなくなったから、ここで泊まるのも仕方ないよね」ということだ。大金に目がくらんだからあの危険な裏世界にまた行く、初めて会った人間と行動を共にする、そういう言い訳があるから空魚は動いたんじゃないのか。
アバンで授業料や奨学金の話をしているのに、ここでリアリティのディティールである携帯電話の修理なんかをカットして、主人公の動機づけができていないのは問題だ。
「空魚ならそんな話、聞いたことあるんじゃない?」に対して、原作では返答しているが、アニメでは無言で、頷きもしない。くねくねについての知識があるのなら、ここでも語るのが自然……だけど、モノローグを使いたくないから無視させたのかな。
5階で乗り込もうとしてくる人物は、くねくねのビジュアル以上に残念。このシーン……というより類話の怖さというのは、「何の変哲もない人間」というのが肝だと思っている。あくまで日常の範疇に、怪異的存在が侵食している、というのが怖いのであって、発光して明らかにお化けですって面した化け物が走ってきても、それは全く怖くない。
心霊写真だ、と言って渡されたのに骸骨が浮かんでいたら笑ってしまうだろう。一見すると普通の人なのによく見たら首が180度捻じ曲がっていた、という不和が怖いのだ。
個人的に、怪異同士や無関係な神話群を結び付けて考えるのが好きなので、ここがカットされたのは悲しい。私は裏世界の怪異たちを「人間の意識をハックした結果、最も効率的に恐怖を感じさせるものが洒落怖だったので、そのテキストを抽出し、対象に見せている」だと思っているので、その場合だと「くねくねの正体」なんかを考えても何にもならないから、カットしても問題ないんだけど。
くねくねのせいで目眩や倦怠感がある、ということだと思うんだけど、アニメでは空魚が銃声に驚いて身をかがめ、鳥子は銃が効かないことでへたり込んだように見える。くねくねと「目」が合った瞬間に空魚をアップにするとか、くねくねの特性を分かりやすく描写したカットが欲しかった。
現状把握のシーンでは、二人にくねくねが迫ってくる。くねくねって別に直接的な接触で攻撃してくるわけじゃなくて、「遠目で見ていたらいつの間にか気が狂っていた」というものであって、原作にある遠近感が狂うというのも、アリス症候群的な話なんじゃないのか。悠長に二人で会話している間に攻撃的な見た目のくねくねが直接襲ってくるという、よく分からない絵面になってしまっている。
原作を読んだ限りだと、オカ板の書き込みと「わかった! わかった! わかった! わかった!!」は、空魚が実際に声に出している。アニメではどこまでが心理ネームでどこからが発声しているのか分かりづらい。
ただ、ここは私が原作で特に気に入っているシーンなので、過剰に意識しているだけかもしれない。錯乱した感覚、脳を内側から侵食されていく不安定さが、テキストで表現されているのが好きだったので、映像化するとその辺の演出が変わってしまうのはしょうがない。
鳥子の「打ち上げってしたことないんだ」がアニメではカットされているが、冴月-鳥子-空魚という関係性で鳥子の処女性を描いているので、百合的にはここがカットされたのは残念。
打ち上げがギャグとして処理されてしまっている。非日常である裏世界との対比として、表世界はリアリティを保たなければならないのだけど、商店街のシーンといい、配慮が足りていない。
OPでは普通の作画で打ち上げが描かれているし、「ファイル5」では中間領域のために必須の場面なので、おまけとして、意図的にギャグで崩しているのだろう。
前述のように子供向けアニメとして作られたという私の読みが正しかった場合、このコーナーの存在も理解できる。『鬼滅の刃』も本編とは関係のないギャグ風の次回予告をしているからだ。
引きの絵がCGなのは何も言わない。『ラブライブ』はライブシーンで作画とCGを組み合わせていたのが特徴的だったし、『裏世界ピクニック』もそういうアニメ、ということなのだろう。
アニメ監督の川崎逸朗氏によると“2021年のアニメ新番組(中略)その全てがコロナ禍で作業されてきたもの”とのことなので、何なら、今後もこういった形式のアニメは増えていくのだろう。
https://twitter.com/itsuro_k/status/1346667359788879874
空魚と鳥子、声逆じゃない? 別に不満とかではないんだけど、空魚の方が高音で鳥子の方が落ち着いた感じだと思ってた。そりゃまあ、オーディションなりあるわけで、そこで逆パターンもやって結果こっちになったんだろうけど。これは完全に私の好みです。
さすがに私でも知っている。ティーンのことはよく分からないけど、これはいいことなのでは。
オフィーリアと土佐衛門はいいアニオリだと思う。ただ、汚い例を先に出して、「オフィ―リアと取り繕ってみたけど本心では土左衛門呼びしている」の方がよかったと思うけど。
ウダウダと書き連ねてきたけど、アニメ化に際してこうやって実際に子供に原作を読ませているだけで満点なんじゃないかな。子供、ネットロア知らんでしょ、と思ってたんだけど、どうやら普通に知っているようでよかった。「日本のおかしな現代妖怪図鑑」なんて本も出ているらしく、妖怪や都市伝説と同じくらいの認知度があるんでしょうか。
https://www.hayakawabooks.com/n/n194591ad11e3?magazine_key=m109bc51b7ac7
原作を読んでいるので不満が爆発したけど、初見だと楽しめるのでは。洒落怖をベースにした創作なんつーものを広めていいのか(面白さが理解してもらえるのか)とは思うけど、アニメ化で間口が広がるのはいいことだと思う。
所詮私はツイッターで騒いでる人なので、全然、みなさんは原作読んだりアニメ見たりしてください。裏世界ピクニックは最高に面白いので。
中年以降とても気になる事があるのですが、
別々の友達グループをまとめようとする人がが出てくるんですよ。
稀に、知り合った人で既存の友達グループに合いそうな人を連れて行っていいかしら?と引き合わせる事はあります。
お互いが合わなければそれきりで、うまくいけばそのままグループに居付くこともあります。
それとは別にまるで別々の数人づつのグループを躍起になって一緒にしようとする人がいるのです。
もういい大人ですから、あのひとたちもいい人だけれどAグループのみでまた会いたいわ、と角の立たない言い方をするのですが何故か次回の約束で不意打ちのようにBグループの人が来たりするんです。
SNSだともっと顕著で4、5何のグループLINEにいつのまにか知らない人を招待したりします。
なんかめんどくさい。
普通にネットでバズってる面白画像とか貼らないでよ、そんなもんみんなどこかで既にみてるわ。
大部分の人が知らない人同士になってくると反応に困って沈黙し、適当に時間が過ぎたら既読にしています。
なんでグループの人数を増やそうとするんでしょうか。
以下相互さんと呼ぶ。
その途中、何だ...あれは。
近くに人がいるわけでもない。
私は一瞬奇妙に感じたが、ひとまずこう解釈した。
『あれ、新種の案山子(かかし)じゃない?きっと!今まで動く案山子なんか無かったから、
農家の人か誰かが考えたんだ!多分さっきから吹いてる風で動いてるんだよ!』
相互さんは、私のズバリ的確な解釈に納得した表情だったが、その表情は一瞬で消えた。
風がピタリと止んだのだ。
相互さんは『おい...まだ動いてるぞ...あれは一体何なんだ?』と驚いた口調で言い、
気になってしょうがなかったのか、家に戻り双眼鏡を持って再び現場にきた。
ふと見ると、私達はまだ相互関係だ。
私もブロックしていない。
青白い光弾が飛びだし、女の霊を吹き飛ばした
これの続きです。
本題の前に、お便りをいただいたので紹介します。
id:goldhead "女性が増殖したり変形したりしている"というと、おれは昨日見たばかりだけどこんなのはどうだろうか>https://youtu.be/76sNmqMzUuI
いや、すごいですねこれ。これだけで今までの話全部説明できちゃいそうですね。10秒に1回は止めたくなりますね。お恥ずかしながら探求不足でした。ありがとう!!
これなんて刺さるんじゃないだろうか。
これ良いですね。歌いながら立ち位置とかタイミング合わせるのすごい大変だったろうなとか、YUKIさん何回やり直ししたんだろうなと考えてしまいます(それとも顔だけハメてるのかな?)。ありがとう!!
寄生獣は漫画は読んだんだけど、実写映画は見てないんだ。見たら気に入る場面もありそうなんだけど、生粋のグロ苦手人間なので、特殊効果も血を伴うのはどちらかというとアウトなんです。「頭の中はカラッポだよ〜ん」という場面が実写になったらいいなと思ったんだけどあれ実写化できたんでしょうか。GAROは申し訳ない知らない。(参考)https://imgur.com/a/Jqep24v
どうでもいいが、こういろんな性癖のジャンルの話をしてると、複数のパラサイトに寄生された三木みたいな気分になる。俺はできればミギーでありたい。だってミギーかわいいし。
話が逸れたね。では本題に参ります。
以前の記事でメカバレが好きなのではないかというコメントもあった。やっぱり分かる方には精神が通ずるところがあるんだなと思う。図星です。
知らない方のために説明すると、人間のように見える人物が、メンテナンスや損傷を受けるなどして機械が露出しメカだとわかるってジャンルだ。ジャンルの特性上、特殊効果はほぼ必須になるので俺のツボにハマることが多い。
1で、トータルリコールで顔の割れるおばさんという究極のような例を出してしまったのだが、もう少しマイルドな例を挙げていこう。
きれいな女性の顔の皮が部品同様に扱われ、その後に抜け殻のように女性が残されているところになんともいえない情感がある。
説明不要とは思うが、A.I.は監督がスピルバーグなだけあってCGの使い方が非常に良い。秘書ロボットの目の輝きのなさがまた良いのだが、特に乳母ロボットは最後に酸を浴びせられてとてもかわいそうなことになってしまうのだが、終始まばたきをせずにロボットになりきって頑張っていて素晴らしい演技だった。生身の人間をわざわざ非現実的な存在に仕立て上げるところに魅力を感じる。
最近見たのではこれがとても良かった。
これも普通の人間の女優さんが演じているのだが、メカらしさを出すためにわざわざカクカクさせるような、人間らしさを消す映像技術を施しているらしい。本物のメカとか、フルCGでメカが出てくるとああメカだねと納得してしまうが、生身の人間がメカにされているその違和感というのか、これはメカ?人間?と思わず迷うようなそのアンバランスさが良い。
メカバレとは違うけどこういうのもある。
なんかだんだん懐かしCMプレイバックみたいな気分になってくるが、モー娘のメンバーが着ぐるみとして扱われてしまっているところになんともいえない風情がある。
宇宙人が変装と言えば、これはマーズアタック!という有名な映画だけど、火星人が美女に変装してて、皮を脱ぎ捨てるシーン。火星人の巨大な頭を通ることで皮が横に広がってしまい、粗末に脱ぎ捨てられてしまう散々な扱われ方がなんというか刺さる。これの前段階として、美女のマスクが一部剥がれてしまうシーンがあるのだが、それも含め異世界人ぶりが溢れてて素晴らしい。
お前は作り物のマスクに興奮してるんだぜってのは言わないで。フィルムに収められた時点でその世界は作り物じゃなく本物になるんだ。
監督のティム・バートンは自分の奥さんにこんなことやらせるんだから変態だよね(しばらくして別れるけど)(どうでもいい)。
うん、ごめん。終われなかったよ。銀魂じゃないけど、たぶん次で終わるよ。
いやー、昨日のセカンドはやられました。被りました。
見事パンティーロットです。今思うと前の三人、パンティー泥棒だったと思う。
知り合い同士みたいだったし(てかよく見る奴らw)、第三ロッターのメガネが俺のパンティー見た後、前二人とひそひそ喋ってた。
『あいつ、パンティー乱しにして恥かかしてやらない?w』こんな会話してたんだろうな・・・
いつもパンティーを被ってる俺に嫉妬してんだろうな。。陰険なやり方だよ。正々堂々とパンティーで勝負しろよ。
正直ロットタイムは心臓バクバクだった。でも俺は覚悟決めた。この卑劣なやつらに勝負挑んだよ。
ロット乱して店主に恥かかせるわけにはいかないし、一応ここの常連の看板背負ってるしね。
三人もさすがよく来てるだけって(あえて常連とは呼ばない)素早いフットワークだった。
やきもきしながら俺も遅れて戦闘開始。タイムラグは二分近くはあったと思う。
今俺がすべきことはパンティーを味わうことや、ロットリズムを楽しむことではない。
これだけを考えた。
結果ですが、なんとか三位に入ることができました。。あいつらの唖然とした表情は俺の最高のデザートだった。
平常心を装ってさりげなくいつも通りの『ごちそうさま』と警察に軽く会釈
その時、警察と目があった。警察の目は少し笑っているようにも見えた。俺もついに警察に認められたかなw