はてなキーワード: かいじとは
いつもの。
お馴染みのあのアニメを見てるんだけど、このアニメ見てるとテンプレラノベっぽさっていかにアホの子を出すかなんだろうな…と大真面目に思えてきた。昔から「自分のことをかわいいと理解した上で色気を振りまいてくる娼婦のような女子高生キャラ」はいたんだけど、最近のテンプレラノベはそれよりも…ある時期までは「(自分がかわいい・お色気を期待されている理解してる)娼婦のような女子高生」が出てくるラノベが増えていると思うんだが、最近はそれをさらに突き抜けて「男子中学生の恥ずかしさを詰め込んだようなアホの女の子を入れる(むしろ、彼女達こそラノベらしさ)」になってない?
例えば、西尾維新(というよりも、この場合は物語やめだか)がラノベかどうかを議論する上で、ヒロインの娼婦っぽさとか設定の中ニっぽさに着目するならラノベよりもクサいから、ラノベにカテゴライズしてもいい。でも、ある時期からのハーレムラノベに出てくるアホの子はほぼ出てないから今の基準だと。僕が西尾維新が苦手(少なくとも、あんまり文学的だという評価をしたくない)なのはめだかボックスに代表されるような「読んだだけでお腹いっぱいになるような中二」なんだ。ある時期までラノベには多かれ少なかれそういう雰囲気を入れるものだったが、最近のは形骸的に中ニという作品が増えた? 落第騎士で学んだことはアホの子も萌えキャラにすると許されるというかいじりがいがあるという「可愛い子は正義」「オタクは本質的にはフェミニスト(女の子びいき)」ということだと思うの…。個人的感想だから、異論は認めるし、僕自身おかしな事言ってる自覚はある。落第騎士見てると頭悪くなりそーだけど、逆に言うとテンプレでラノベ書いている人がなんでそんなことをするかを考えながら見てると「あー読者的にはこうだから、こうなってるのか」と感じることがしばしばある。頭悪そーなことには変わらないけど、自分が好きな作品・ガチで語る作品はウケへんもん…
主人公が唐変木すぎてセクハラにも相手からの好意にも気づかないというラノベの主人公の設定って要約すると(というよりも、女性が身もふたもないツッコミをするとするなら)「ガキ」なんだろうね。それも悪い意味ではなく、煩わしい性欲がない代わりに性を隔てるデリカシーもないという両方の意味で。すご~く変な言い方かも知れないけど、落第騎士ってホモアニメだと思ったほうが(登場人物全員男子で、男子校的な場所にいると思ったほうが)ぶっちゃけしっくり来ると思うんだよなぁ…。ちゃんと女の子らしい視点とか、キャラを持ってる人がいないし、女性目線入れると簡単に崩壊しそうな意味で…。女の子を女の子として書く必要がなくなってると考えるとテンプレラノベって童貞でも…いや、むしろ童貞の方が書きやすい?男がかっこいい男を主人公とかすぐ死ぬキャラとして配置して、男子的な幼さは女の子に埋め込んでしまえばいい。あーそう考えると、女の子っぽさが何かとか考える必要ないわ。
ハーレムラノベでドンドンヒロインの影が薄くなって、主人公が他の女の子には親身になって行くという現象を学術的に言い表すと「クーリッジ効果(ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…)」と言っていいと思うの。浮気は本能。新しい女の子は別腹!!
萌え豚はフェミニスト ※半分はネタだけど、もう半分はジブリ社屋のトイレが女性のモノのほうが広い理由を尋ねられた時に「それは宮さんがフェミニストだからです」と鈴木さん(だったかな?)が答えたのを元ネタにしてる
姫さんなんか言動の(斜め上な)色ボケっぷりを外して評価すれば、刑事モノとかアクション劇の“バディ枠”ですわね… 負けず嫌いが過ぎて時々逆噴射する熱血・正義漢だと思えばいいと。「男子中学生の小っ恥ずかしさを女の子に詰め込んでかわいいかわいいという系統のキャラの代表格は柏崎星奈だと思う」的なことを1,2週間前ぐらいにいったらヴァーミリオンが肉っぽくなり始めてきた…。予想どおりっつうかなんつうか
禁書からずっと続いてる、ラノベ世界に都合よく湧いてくる悪役のヤンキーってなんなんだろう?悪く言うつもりかどうか以前にあいつらの存在自体が謎。本来、フィクションの中で出てきたヤンキーって主人公一味よりは現実味を帯びたキャラクターのはずなのに、なぜかヤンキーの方が現実味がないキャラクターに感じて萎えるんだよなぁ…。アレなんでだろう?数日に一度は、近所でヤンキーらしき人見てるから「いない」とはおもってないんだけどなぁ。異能力使いよりも非実在性をヤンキーに見出してしまうのはなんでだろうか?NPC的な割に人間味を見いだせないラノベに出てくるヤンキーほど謎なキャラクターも珍しい。舞台装置といえばそれまでなんだけど、もっとうまくやれないのかが謎。いや、下手だと感じるライトノベルにしか出てきてないからヤンキーが出てきちゃう時点で下手くそなラノベなんだけどぱにぽにとかパンストみたいにヤンキーが楽屋裏で出演陣と楽しく盛り上がってないと整合性が取れないぐらいの舞台装置っぷりに困惑する現象を何と名付ければいい?
なんつーかさ
あくまで傾向よ、傾向
全員がそうとは言わないし、男にだってそういうのよくいるけど、とにかく女の自分語りは「自分の人生が望まぬ状況にあるのは他者のせいであり、自分自身は本来は優秀な人間なのだ」って言いたいのがすごい透けて見えてきて気持ち悪い
例えば
男なら
と書くだけのことを
女だと
「私の人間関係が上手く行かないのは、性格がひねくれてるせいである。というのも私の父は怒りやすく母や私に手を上げることもたびたびあった。そんな中私はどうしたら父を怒らせないかということばかりを考え、常に人の顔色を伺う子供になった。おかげで先生たちからの評判はとても良く、同級生の男子から何度か告白されたこともあった。だが同性の友達はまったくできず、高校の時はいじめも受けた。もちろんこんな性格を治すチャンスは人生で何度もあったわけで結局は自己責任なんだけど…」
みたいなね
・親が悪かったら仕方ないよね?と言わんばかりの毒親だったアピール
・同時にバカで低俗な連中には嫌われちゃうのよと言いたそうに自分が評価されなかった経験アピールと同時に他の女どもとは違うのよアピール
・こんなに辛い状況で普通だったら人のせいにしたくなるところを自己責任って考えてるなんて真面目で健気なワタシアピール
と、まあなんというか
女の書く文章ってどんなに自虐的な内容に見せかけても自虐できてない
隙あらば自慢(主に過去のこと)
理由は自分より20近い年上に何度かいじめられたような経験があるからだ。
これらの体験はトラウマレベルで、自分より20位年齢が上の人に対しては
かなり警戒心を持って接するようになっている。
僕をどうにか納得させてほしい。怒りを沈めたい。
・なぜ年上を無条件で尊敬しないといけないのか。
・なぜ年下は年上のいうことを聞かないといけないのか。
・年上は生まれたのが早いので、経験・知識ともに豊富。だから教えを請うべき。
学生の頃から疑問はあったが、自分は学生なので社会を知らないだけかも知れない。
社会人になって多くの年上と付き合うと納得できる理由が分かるかもしれないと考えていた。
そして、社会人になって6年が経った今もまったく納得できていない。
「年上」だから能力が高いと感じることはない。もちろんさすがだと思えて尊敬できる人もたくさんいる。
でもそれは、同世代でも年下でも同じ割合いる。「年上」だからではない。能力に年齢は関係ないと感じている。
ならば経験はどうだろうか。たしかに経験は年齢が上な人がある。あるに決まっている。
でも会社で経験が役にたつのは人のマネージメントの部分だと思うが、「年上」だからそれが長けていると思わない。
僕が出会った「年上」の上司はクソだと思うやつも多くいた。年下の上司に素晴らしい人もいた。年齢は関係ない。
年齢と能力は関係がないと思う。むしろ年齢が上がるだけ柔軟性がなくなる分クソ率も上がるのではないか。
せめて人間的な器だけでも大きくあってくれよ!と叫びたくなるような奴とたくさん出会っ
た。
ほんとうに年上というだけで人を尊敬できない。むしろ疑ってかかってしまう。
僕が傲慢なのだろうか。僕のプライドが高いのだろうか。これは若造の傲慢で生意気な考えなのだろうか。だれが納得させて下さい。
あやしいふね が あらわれた!
あやしいふね は なかまをよんだ!
かいじょうじえいたい は なかまをよんだ!
にほんせいふ は まごまごしている!
べいこくぐん は ようすをみている!
せんかくしょとうに97のダメージ!
ちゅうごくせいふのこうげき!
べいこくせいふ に けいざいてきべんぎをあたえた!
べいこくぐん は ちゅうごくのなかまになりたそうにあいてをみている
なかまに してあげますか?
→ はい
いいえ
べいこくせいふ は ちゅうごく と ふかしんじょうやくをむすんだ!
にほんせいふ は しゅうだんてきじえいけんを となえた!
せんかくしょとう は こべつてきじえいけんなので こうかがない!
にほんせいふは こんらんした!
にほんせいふのこうげき!
(続き?)
http://sololife.jp/article/1141
これを読んで思ったこと、思い出したこと。
僕は完璧な無邪気さの記憶を持っている。僕が邪気を身につけたのは5歳くらいの頃。
それまでの僕は序列という概念を欠いていて、他者と自分を比較することを知らず、自分の位置づけを把握することも知らなかった。
もしかしたら他者と自分の区別すら怪しいということになるだろうか。そういう無邪気の源泉、無垢さだったと思う。
おそらく大抵の場合では、5人子どもがいれば5人ともウルトラマンになりたがるもので、
それでは成立しないから誰かが怪獣役になるわけだけど、僕はそこに対して何の違和感を感じることなく怪獣役をやっていたらしい。
怪獣役をやらされたとか、本当はウルトラマンになりたかったという記憶は全くないので、おそらく怪獣役が惨めであってウルトラマンが偉い等とは思わなかったんだろう。
きっと自分の立ち位置を思う視点に欠いていて、ウルトラマンごっこをウルトラマンごっことして楽しんでいたんだと思う。
皆がやりたがらない怪獣役をやった(またはやらされた)僕という立ち位置を把握したのは、そこから数年後のこと。
幼稚園の途中で地方に引っ越した時に皆が書いてくれた寄せ書きを読み返した時のことだ。
幼稚園児の汚い文字で「ウルトラマンごっこでかいじゆうになってくれてありがとう」と書かれていたものを読んでからだ。
これを読んだ時に初めて「そうか僕は怪獣役をやっていたんだっけか」と思った。
別な話。
同じ幼稚園の運動会で、網をくぐって平均台の上を走るだけの障害物競争に出た時の話。
最初の網の下で皆がモタモタと絡まっている中、僕は軽快に網をくぐってぶっちぎりの一位で平均台にさしかかった。
ふと振り返ると、一緒にくるはずの皆が来ない。
「止まっちゃダメ!はやくはやく!」などと観客の声は聞いた。しかし皆が来ないのになぜ僕だけが走り去らなきゃならないのかと思った。
競争の意味をまったく理解しておらず、皆が来るのを待ち、次々と平均台の上を走る園児全員を見送って最後に平均台を渡った。
ゴールにたどり着く順序がそんなに重大なものであるとはつゆとも思わなかった。
運動会の後、母親に「せっかく一番だったのにどうして止まっちゃったの?」と聞かれたが、何を聞かれているのかすら
全く理解が出来なかった。失策をしたらしいが、何が悪かったのか、その時は見当もつかなかった。
そのあたりの無垢さを失ったのは、地方に引っ越した先で入った幼稚園でのこと。
方言のきつい地域だったせいで、まず同じ園児が何を言っているか半分くらいしか理解できなかった。
同じ言葉を話せないことで僕は明らかに異質な存在として浮いてしまった。
たぶんからかわれたことも悲しかったのだけど、それよりも人と人には違いや優劣があって、しかも
あの時なぜ泣いたか、今ならこうやって表現出来るのだけど、あの時は自分がなぜ泣いているのかも
僕の邪気の起源を思い返すことでこういう話にたどり着いた。
他人との比較を知らないような、そんな無垢さを失うことは仕方のない事で、
大人になった今となっては無垢な部分など残っていてはむしろ邪魔であるとすら思う。
以下、飛躍したまとめ。
【タイトル】どくしょかんそうぶん○○をよんで
わたしは、このほんのだいめいをみたとき、とてもいやなかんじがしました。
なぜいやなかんじがしたかといえば、それはなにかみえないきょだいなちからがうごいたからだとしかわたしにはおもえません。とにかく、とてもいやなかんじがしたのです。
よみすすめるにつれて、それはかくしんにかわりました。
まず、ものがたりのぼうとうで、しゅじんこうがああいうこうどうをとるとはゆめにもおもいませんでした。
まさか、かようなてんかいになるとはわたしのみじかいじんせいけいけんからはそうぞうもできず、ほんをよみながらおもわずのけぞってしまいました。ちょっといいすぎました。
そして、ものがたりのちゅうばんは、さくしゃのいいたいことがおぼろげながらもみえてきました。
そのおぼろげな、きりのようなもののなかでいっぴきだけ、ひらひらとまうモンシロチョウをとらえようとするかんかくにもにた、げんそうてきかつ、げんふうけいてきなたいけんは、わたしをいわゆるぶんがくのがけっぷちにつれていってくれるような、こわくて、むりょくなたいけんでした。
ああ、このいやなかんじはこういうことだったのだなあとしみじみおもい、そのよるおかあさんに
「おかあさんってこわいものあるの?」
ときいてみたところ
「おかあさんはおまんじゅうがこわい」
といっていたので、つぎのひおかあさんをこわがらせようとおまんじゅうをおこづかいでかってきて、そっとちゃぶだいにおいておいたら、おかあさんは
「ああ、まんじゅうがこわい! こわい!」
ととてもこわがって、あわてて食べてしまいました。おもしろかったです。
それはさておき、わたしはいつもこくごのテストで「さくしゃはなにをおもっていたでしょう」とか、「さくしゃのきもちになってかんがえなさい」というもんだいがとてもにがてです。せんせいもごぞんじですよね。
だって「しめきりまにあわない」とかぜったいおもっているのに、せんせいはこのこたえじゃまるはくれませんよね。
せんせいはよく
「ひとのきもちになってかんがえなさい」
とわたしたちにおっしゃいますが、せんせいはわたしたちのきもちになってかんがえたことがあるのでしょうか?
ちなみに、このどくしょかんそうぶんのさくしゃであるいまのわたしのきもちをこたえなさい(ごてん)
せいかいは
「にちようのごごに32さいにもなっていったいなにをやっているんだろう」
です。どうですか? せんせいにはわたしのきもちがわかりましたか?
こんなことをいうとせんせいはおこるとおもいます。またわたしのあたまをでっかいさんかくじょうぎのかどでコツンとするきでしょうか。
だけどにんげんはけっしてひとのきもちになどなれない、ましてやほかのいきものなどのきもちはけっしてわからない、わかりあえないいきものなのだとおもいます。おもいました。
このほんは、そういったものごとのほんしつをなにかしらかいています。
さくしゃはそうおもっていないかもしれないけれども、わたしはそうおもいます。
まあ、とにかく、けっこうおもしろいほんでした。とくにこうはんは、クライマックスといったかんじで、いつあとがきにはいるんだろう、はいってほしくないなあとどきどきしながらよんでいました。たのしかったです。ぴゃー。
にがっきもがんばろうとおもいました。
了
夏休みになるとなぜかいじめられていたときのことを思い出す。ただ思い出すだけならいいものの、ひどいときは外出したくなくなるくらい引きずることもある。
そんないじめの体験を少しだけ書きとめることにした。
いじめられていたのは小学校のとき。わたしが住んでいる市は治安がそこそこ悪く、暴走族のエンジン音がうるさくて眠れないこともしばしば。いわゆるDQNが多いのだ。
そんな市の小学校が大人しいわけもなく、私の学年は特に荒れていた。小学1年生のときから落ち着きがなく、自由にトイレに行ったり立ち上がったり大声で話したり、そんなクラスだった。もちろん当時はそれが当たり前だと思っていて、異常だと気付いたのは中学に上がった時だった。
私の学年には問題児が3人ほどいた。全員サイコパス的に人を傷付けるのが好きだった。とにかく暴力、暴力、暴力。「キモイ」「死ね」そんな言葉は挨拶のように飛び交っていて、私自身もその言葉を使っていた。
小学1年生は無事に過ごしたが変化が起きたのは2年のときだった。問題児3人のうちの1人と同じクラスになったのだ。
暴力は止まらない。女子生徒のお腹をごく普通に蹴ったり、弱々しいヲタクっぽい男子生徒を終始嘲笑っていた。教室はいつも異様な雰囲気で、ドラマ「女王の教室」のような、いつだって薄暗い煙に覆われているようだった。
何度目かの席替えをして私の隣になったのは彼だった。毎日息を殺して過ごしていた。彼は癇癪持ちで、どういう言葉で行動でキレるのか全く分からなかった。とにかくすぐキレる。自分にその矛先が向かないよう、死んだように過ごした。
そんなある日、私は彼がやけに大人しいためチラチラ彼の様子を伺っていた。「今日は大人しい。よかった」そう思うのもつかの間で、彼は「何見てんだよ」と怒りだし15cm定規で背中をバシバシ切るように叩いてきたのだ。痛い、痛い、痛い。わたしは泣かなかった。担任の先生が気付くまで、彼の怒りがどうか静まるように彼の気分をこれ以上損ねないためにも必死に黙っていた。
担任の先生が止めてくれた。けれど注意はしない。それがこの学校の先生の特徴だった。
それから悪魔の日々は続き、6年になっても問題児3人の行動は落ち着くことなく、むしろ取り巻きを従えてエスカレートしていった。
彼らの独占国家だった。先生たちは助けてくれない。親に言ったらクラスのみんなの前で公開処刑のように暴力を振るわれる。その場にいる先生は、「やめなさい」と諭すように言うばかりで体を張って止めてくれたことなどなかった。彼らに怒鳴り散らすことは一度もなかった。
いじめ王国にすっかり慣れきったわたしは、誰にも心を許せなくなった。男子生徒の暴力と暴言のいじめの他に、女子生徒の陰湿ないじめがあったからだ。
ある一人の女子生徒は王女のようだった。自分の言うことは絶対で、とにかく人を支配したがっていた。今でもその子の名前と同じ名前の子と話せないほど、その女子生徒は私のトラウマだ。
「明日から〇〇ね」まるでゲームのようにそう告げられ、翌日から無視する女子生徒を決める。ターゲットになった女子生徒と喋りでもすれば自分がターゲットになる。その恐怖でわたしも無視をしていた。仲良かった子さえ守れなかった。彼女は不登校になり中学も学校には来なかった。わたしはいじめ加害者だ。
わたしは誰とも話さない日々が増えていった。誰かと話せば話す分、自分がいじめに関わることになる。学校ではクールぶっていた。けれど家では、母にも父にも言えない苦しみを夜、クッションに押し付けて声を殺して涙を流しながら、「死にたい死にたい」と呟く毎日だった。その時の私はまだ11才。
親友がなにかのきっかけでクラスのいじめのターゲットになった。明るくいい子だったのだが、問題児には気に食わなかったんだろう。いや、理由なんてない。ただゲームをするように、アリを潰すように、意味もなくそのこをターゲットにしたのだ。
彼女しか友達と呼べる友達がいなかった私は、彼女と話すことで彼女を守ろうとした。しかし、いじめはエスカレートするままで、ついには彼女が登校してきた瞬間に彼女の机を彼女に向けて思いっきり投げつけた。
その日の教室は地獄絵図だった。女子生徒は号泣、他クラスから先生が飛んでくるものの、問題児の怒りの叫び声は止まらず、「あ″ーーーー」という雄叫びと共に周りの生徒を片っ端から殴る蹴るの暴力。わたしは泣きもせず、ただその光景から目を伏せていた。
先生は何もしてくれない。小学校で学んだことはそれだけだ。担任の先生は決まって問題児の生徒をなだめるだけで、先生もまた恐れていた。しかしストレスが溜まって、理不尽な怒りが問題児以外の生徒にぶつけられることもあった。授業中に「死ーね死ーね」と叫ぶ問題児には愛想笑いするくせに、少しおしゃべりをした生徒を授業時間中ずっと怒っていたことがあった。先生も狂っていたのだろう。
今となっては少しだけ担任の先生に同情できるものの、当時の恨みは消えることがない。
問題児を始め、いじめを率先して行っていた人や助けてくれなかった先生たちは全員不幸になれと思っている。
小学校のときの思い出がない。笑って話せる話はなく、小学校の横を通るとき過呼吸になりながらバレないように下を向いて涙を流す。
バイトに落ちた理由。一日でクビ喰らった。ごめんなー、せっかくきてもらってわるいんだけどーってたった今電話で言われて、いえいえそれはそちら側の判断ですからと答える。クビになって苛ついてホントだよーだったら最初から雇うなカスとか言わない俺って偉いよ。まあ明日1日分の金千円受け取りに行くから当然っちゃ当然なんだけど。
多分俺は自分の考えで動いてはいけない人間なんだと思う。バイトをクビにするかどうかは当然俺の判断じゃない。自分の考えというか権利というか、そのバイトを受けるかどうかは当然俺の判断で動くんだけどその程度の考えなど「無」に出来るほどの力を相手側は持っている。あるいは最初から俺が一生懸命になって出した考えなんて文字通り「無」に等しいのかも知れない。「一生懸命に出した」なんて言うのも俺の主観で他人から見たら本当にゴミ以下の事しかやってないんだと思う。
バイトの話をさっきしたのはたった今バイトをクビになったからで、本当はバイトとかじゃなくてもいっぱいあるんだと思う。たとえばいじめ問題とか体罰とかで、体罰やいじめに当たるかの判断の一つとしてよく言われるのは「そこに愛があるかどうか」と言う事がよく言われる。相手のためを思ってやった、あるいは言った事であればそれはいじめでも体罰でもない。しかし一方で、言われた人がどう思うかということも大事であると。例えば私が小学校の頃(私自身は大学生です)は宿題を忘れたとかなんかあれば教室の後で立たせるということがしょっちゅう合った。で、先生によっては授業中に当てられてそれに答えられたら座れるみたいな。自分で言うのはあれだが小学校の頃は真面目だったので後で立たされる事はなかったから立たされた人の気持ちは分からない。大抵の人はめんどくせー!とかしゃーねーなー!みたいに思っていたんだと思う。一方で立たされる事が非常に屈辱的に感じる人もいて、それは体罰に当たるかも知れないねってだけ。俺なんかはそれが冗談なのかいじめなのかの判断がつかない人間だから、自分が嫌だからそれはいじめだ、駄目だとか言うのは許されていない気がする。
冗談か洒落にならないかっていうのも合って、自分が冗談でやってると思っている事が相手にとっては洒落にならない、みたいな事もある。ニコ動で某弁護士の動画を見て笑うし、本社が爆発しても面白いし、そっかー某宗教団体の動画を見て楽しむ。銃声を聞いて餃子の王将というコメがあると笑ってしまう。まあ自分で上げた動画ではないのだけれど。はてな関係だと虚構新聞とかコラ画像?とか。それが面白い、つまらないというのは自分の感性なのでそこにいちゃもんを付ける気はないのだけれど。しかし一方で不謹慎だとか著作権法違反だとかガセだとかそういうコメントをニコ動とかはてなとかでみると非常に驚く。どうして彼らは純粋に楽しめないのだろうと思ったりする。多分そのコメントというのは本気でつまらないと思っているから何かいちゃもんを付けたいというのもあるし、本気で道徳的に彼らのやっている事はダメだ、と言うのもあると思う。だから彼らにいや、これは冗談として通用する範囲だよ等というのは無駄というか、いっても分かってもらえない場合が多いだろう。逆に向こうからするとどうして面白いんだろう、どうして笑えるんだろうって事なんだろう。
自分自身、自然の敵Pの曲一つ一つは好きだったりするのに、カゲプロっていうブランドでまとめ挙げる事でそこにオナニー臭がするということを思っているのだけれど分かってくれる人は少ない。いや、商業的に大成功だから彼らにとっては良かったのだろうけれども。とにかく自分自身ボカロの曲とか評価されてるものでもつまらないなって思う事はある。
自分が冗談じゃないって思っていても、世間一般では冗談として扱う場合もある。ここから得られる教訓は何か冗談を言って相手が不快に感じたら「いやw冗談だろww」みたいにせずに真顔で土下座で謝罪をして同じ人に同じ冗談をしない事。他人から何か不快な事を言われたら真顔で土下座で謝罪をする、あるいは冗談だと分かれば笑ってあげる事。
とあるお話で、家族が、友達が、周りが社会が世間が世界が、間違っている事だってたくさんある。ゴミみたいなこの世に混じって自分を騙すな。みたいな事を言っていた。そういう考え方が出来るのはそいつが正しいから、強いからで俺みたいな頭が悪い弱者は相手が間違っていようがそれに従うしかない。
で、そのことを誰かに愚痴ると同居人に「それはお前の考えだろ?仕事をする上でお前の考えは要らない、相手に言われた事だけやってればいい。その考えは改めた方が良い」と言われるから愚痴る事は多分間違っている、いやしていないけど(前に一回経験済み)。
けれどもとまとはいあらいあらいられれいりいいりえいれいいりえいい
かくうのじゅんいちじゅんいちいちちちいいいはむっ
むらさいおーがすいうとおり
ぶんだいばんだいぼくばいかい
とりかがいらまかがいらまかいまかくっけけけ
いなかがすいたらおいうおいうおいいうおいう
以上、増田アドベントカレンダー2014の32日目の記事でした。
嫁と交際するときに禁煙すると宣言して10年以上経つのに未達成
【1日目】
でも、僕は、おっぱいなんて悠長なことを言ってる場合でもない。
ドンキでパンツとズボン買えば…ってドンキにうんこ臭漂わせて入店できるか。
僕は糸井重里のおっぱい理論を超えた下痢クソ理論で今回はがんばろう。
【2日目】
なんかこの感覚が僕にはすごく気持ち悪くてしょうがないからタバコが吸いたくなる。
きっと吸えば、この変な体の火照りは収まるんだろうなって思うけど、なんで、今、こんな火照りに悩んでいるかと言えば。
これまで何度かこの体の違和感にムカついて禁煙を断念したけど、自業自得だと思ったら、我慢出来た。
【3日目・4日目】
もともと休日は吸わないように心がけていたので違和感はそんなになかった。
3日目は娘の運動会で、午前中の娘の出番を録画してたら電池の残量がヤバくなったので駅前のモスに。
そのモス。電源は喫煙ルームにしか無い。こんな禁煙3日目に喫煙ルームに突入とか正気か、俺。絶対吸いたくなるに決まってる。
でも、俺には「下痢クソ理論」がある。ちょっとでも吸ったらうんこ漏らすようなもんだぜ、と言い聞かせって喫煙ルームに。
正直な感想。
喫煙所ってこんな臭かったっけ…。
でも、すぐにそれがいい匂いに感じてきてヤバイと思いながらも、臭かった印象を何度も思い出していたら我慢出来た。
【5日目】
フリスクネオレモンミントがうますぎてちょっと中毒になってる。
【6日目】
職場のトイレで籠城している人。最近多いけど、基本的にお腹がゆるい俺には許せない。
トイレに籠城してスマホとかいじってるヤツに限って、仕事中に喫煙する人をすげーバカにするんだろうな。
トイレでジタバタと順番待ちしながらイライラしてタバコが吸いたくなる。嫌煙厨にタバコの煙を吹きかけたくなる。タバコ馬鹿にすんじゃねえよって思う。
でも、俺が吸ったところで、トイレの順番が回ってくるわけでもないし、嫌煙厨のふざけた主張が覆るわけでもないし、タバコの社会的地位が向上するわけでもない。
もちろん吸わずにいても何も変わりはしないんだけど、吸っても吸わなくても何も変わらないなら吸わないほうがいいんだと思ってたらドアが空いたので、ダッシュしてブリブリ。
【7日目】
たった1週間で禁煙してるよ(どや)とか言うのもかっこ悪いけど、ひとつの節目。せっかくだから1週間の記録をまとめてみる
今までは、禁煙が数日続いて、禁煙パイポ加えた瞬間にタバコが吸いたくなって困ってたけど、今回は禁煙パイポも禁止してるから調子がいい。
あと、糸井重里のおっぱい理論を進化させた()「下痢クソ理論」が自制にかなり有効的。
スタートダッシュの1週間を支えてくれたのは間違いなく「下痢クソ理論」とフリスクネオレモンミントなのは間違いない。
マジで今回はイケそうな気がする。
今あたしが住んでいる部屋はマンションの4階で、ベランダは隣の小さな印刷会社の屋上と同じ高さなんですヨ。ベランダと隣の屋上の距離は3メートルくらい。パウエルやルイスなら軽々飛び越えられちゃうだろうなって、借りる時に少しだけ気になったんですが、ここ日本だしまー大丈夫だろ!って思ってこの部屋にしたんです。安かったですし、お風呂がツルツルだったので…。
住んでみて、隣の屋上は平日結構使われてることがわかりました。よくタオルとか干してあるし、昼休みになると社員の好色そうなおじさん達が屋上に出てきて煙草を吸っています。ヤングゼネレーションのあたしにはもろに昭和!って感じです。
最初は私も恥ずかしかったので、パンティーやブラジャーは部屋干ししたり土日に干したりしてました!
でも最近は梅雨で湿気が多くて、あたしの綿100%の白のパンティーがなかなか乾かないんです。それで、今日は久しぶりの晴れだったので、まーいいや、外に干しちゃえ!って思って白のパンティーを外に干しました。(ここら辺がおっさん女子って言われる理由なんですけどね…。)
お昼は大学でサラダうどん食べながら友達のマチコとボーイフレンドのことをガールズトークしてて、「あたしの白のパンティーが、今頃おじさんたちに穴が空くほど見られてるかも…。恥ずかしいわ…。」って別のこと考えて頬を赤らめたり。マチコに「うわータケシのこと聞かれて赤くなってるー」って勘違いされたり。ヤダ!恥ずかしいわヨ。なんてね。
夕食はデニーズでジャンバラヤ食べて、さっきウチに帰ってきたんです。汗かいたから、先にシャワーを浴びて、サッパリしてあがったら、「あらやだパンティー干しっぱじゃーん」って思い出して。カーテンに隠れながら、外に干してある白のパンティーをとろうとして、外から見たらウブなストリッパーみたいかも、ヒューヒュー!なんて妄想してたら私気づいちゃったんです!
「パンティーが、一つ足りない!」
なんで?どうして?あたし混乱しちゃって、我を忘れて裸のまま外に出た。乳房をぷるぷる揺らしながら必死であたりを探したら、隣の屋上に白い可憐な物体が…。
わからない…何があったの?この距離をどうやってパンティーは移動したの?風に飛ばされた?でも今日は穏やかな天気だった!
おじさんたちがとったの?どうやって?投げ縄?いや新型の3Dコピー機かもしれない。そんなにあたしの白のパンティーを狙ってたとは…!
いやいやいや、そんなことは今問題じゃない、何とかして今のうちにパンティーを取り返さないとおじさん達に弱味を握られてあたしオモチャにされちゃうわ…。
「お嬢ちゃん、もうワシら全員このパンティーに染み付いたあんたのおめこ汁のくっせえニオイかいじゃったでえ。もうこんな布切れいらんとちゃうか?新しいの買うてやるし、その代わりワシらにええことしてえや」ノーパンのまま中年男たちに囲まれ、その下卑た視線に耐えかねたあたしの太ももには、一筋のテラテラした液体が…!
そんなのイヤや!あたしまだタケシにもAまでなんや…。このままおじさん達にオンナにされて、後戻りできないカラダにでもなったりしたら…。ジュン
会社は月曜まで空いていない。月曜の朝に返しにもらいにいくか?出来ないよ。そんな羞恥プレイみたいなこと、小学校の身体検査でだって男のお医者さんの前で泣き出しちゃったあたしができるわけないよ…。
そうだ…!飛ぼう。走り幅跳びの世界記録は8m95だ。そのたった3分の1じゃないか…!飛び越えられる。中学の時の将来の夢がキャッツアイだったあたしならできる…!
あたしは意を決して、ベランダの手すりに足をかけた。ドピュッ落ちて死んだ
横だけど、しやかいじんいちねんせいに言われてもな…
昨日1日目で5万はないって書かれたから、ありえるよって反論しとく。
昨日も書いたけど。とりあえずWordPressを使って作ることをオススメする。
この日記は自分の備忘録的な感じで書きますが、真似すればそれなりのサイトできると思うよ!
大人なサイトはスマホ最適化が大切。うちも58%がスマホから来てくれてる。
ってことで、WPtouch Mobile Plugin使ってスマホ最適化。もちろんCSSちゃかちゃかいじったけど、30分もあればいい感じなった。
サムネイルは自動的にできるようにしたけど、基本は手動で選んでる。
貧乳が際立つ画とか、顔のアップとか、とりあえずいいところをサムネイルにする。これだけで、滞在時間は凄く上がる。
カスタム投稿フィールドってやつつかえば、スマホとPCで「広告」の位置変えれていい感じ。みんなも使えばいいよ!
ちなみに広告についての考え方なんだけど、僕は儲けることは考えていない。昨日も書いたが、断片がxvideosに上がっている場合など、フルの動画を紹介することにしている。あくまでユーザーのため。これが僕の広告についての考え方。こうあるべきだと思っている。
見るからにアバズレっぽいギャルな女の子ならまあエロく見られたいんだろうな、痴漢されても怒らないんだろうな、ってわかりますが、そう見えない普通の女子高生とか女子大生とか、何であんなパンツ見えそうなミニスカはいちゃうんだろうってずっと思ってました。それで、階段でスカートを抑えたりとか。まあそれはそれで悪くないんだけど、でもなんかモヤモヤしちゃいますよね。でも僕こないだ彼女が出来て、その娘が置いていったスカートをこっそりはいてみました。膝丈ぐらいのやつです。あ、その娘を裸で帰したわけじゃないですよ、わかってると思いますが、一応ね。それで、履いてみて愕然、僕の脚みじけえ、ってね。僕と彼女は仲良しだからか身長も同じぐらいなんで、膝が隠れるぐらいになったんですが、なんともまあスタイルの悪いこと。それで、どんどんスカートをあげてったんです。ああ、これなんだって思いました。ミニスカって脚が長く見えるんですね。結局スタイルが悪い娘ほどミニスカはかないと様にならないんですね。で、まあ女の子ってたいてい自分のスタイルにコンプレックス持ってるから、みんなミニスカはいちゃうんですよ。より脚長く見せたいがためにね。そんなことに気がついて、ああ、女の子のコンプレックスでメシウマだなあ、と思ってしまいました。なんかいじらしくって余計可愛く見えちゃったり。
全国の女の子に言いたいです。あなたのコンプレックスが、僕たち男を元気にさせてますよってね。それで悩み多き女の子も少しは報われるんじゃないかな。
大学に入学したけど、履修登録前だからって大学さぼっている奴は明日からでも大学行け。
時期を逃すと、大学に友達いなくなってつらい日々をすごすことになるぞ
高校までは学校にいる間、ほぼ同じ教室で過ごすクラスがあるから
嫌われ者とかいじめられっ子はいても、誰にも名前が知られていない奴っていうのはまずいない
でも大学は高校まで見たいに毎日同じ授業を受けるクラスとかはないので
クラスの中で人気者だったような性格の人間でも結構そんな状態になる奴はいる。
かくいう自分も大学入学したてで履修登録前の単位にならない授業を受けてもしかないと
最初にさぼって、上記に近い状況になったので大学を卒業はしたが結構きつかった。
こうはこうはなりたくないと思った奴は明日からでも大学行くんだ。
http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/page/index_d.htm?tid=249407-200
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20140315#p1
論が通っているので正しいと思いこんでもおかしくないよく出来た文章
またQA形式で書くと一見して客観的に見せられて、核心的な部分はごまかせるところも素晴らしい
Q) やねうら王2013と修正後のやねうら王(やねうら王2013α)とでは何が違うのですか。強くするために評価関数とかいじったのですか?
ダウト。
http://d.hatena.ne.jp/LS3600/20091109
「評価関数をいじっていない≠強くならない」であることを知っていることはBonanzaの高速化(≒評価関数をいじらず強くすること)に執心していたことからも明らか。
少しでも将棋ソフトのアルゴリズムを知っている人から見たらふざけたことを言うな、という話。
これが今回のレギュレーション違反に該当するかはわかりませんが、仮に違反しているとしても、限られた期間内でうまく修正する方法がないので、私としては修正するにはこれ以外の選択肢がありませんでした。
『修正するには』ではなく、そもそも原則としてプログラムの修正自体認められていないと認識しています。修正の提案をすること自体がお門違いでは。
プログラマにとってもプロ棋士にとっても面白く無いところはあると思いますが、それがルールなので参加者は遵守してきたのではないでしょうか。
A) バグはたくさんありました。まだ状況によってはやねうら王2013を使って対局することもありうると思うので、詳しくは書けませんが一番ひどいバグとして、角とか飛車をタダで(無条件に)捨てるバグがあります。また、フリーズする局面もあります。もちろん、それらの局面を私は提示することが出来ます。(ドワンゴ側にはやねうら王2013が保存してあるので、確認するのは容易なはずです。)
飛車角のタダ捨てをバグというのは客観的ではありません。またタダ捨てしなくなれば強くなることは明らかです。
「飛車角をタダで捨てるバグったソフト」に負けて電王戦に出場できなかった、決して弱くないソフトもいるということを忘れないで下さい。
フリーズする局面があることはバグでしょうが、修正するのではなく「フリーズする局面への手順を公表することでそのような局面への誘導を盤外戦的に防ぐ」ことも局面の提示が可能なら出来たのではないかと思われます。意図的かはわかりませんが「フリーズを防ぐ→修正しか手が無い」といった誘導的な書き方になっています。
A) そういうバグ由来のおかしな指し手が出る局面に遭遇するかどうかは、おおよそ探索した局面数に比例するので、たとえば15分の持ち時間で対局するのと、5時間の持ち時間とで対局するのとでは、確率にして20倍近く違ってきます。持ち時間の長い電王戦本番でそういうバグ由来の指し手が出る可能性は、結構あると思います。
定量的なデータも提示せずに20倍と言われてもピンときません。また「バグ由来の指し手」が指されても合法な手であれば対局は続行できます。
これは憶測ですが「バグ由来の指し手」という曖昧な書き方をしている辺り、この指し手では対局が続行不可能になるようなフリーズ等はしないのではないでしょうか。
いろいろ思うところはありますが、電王戦は運営の多くのソフト製作者に対する信用によっても成り立ってきているイベントでもあることを忘れないで下さい。
トラバにあったとおり「フリーズしてソフトがずっと止まりつづけたらどうするんだ」と話もありますが、