はてなキーワード: お餅とは
勝手にキッチンを使うと親が嫌そうにする。私は片付けたつもりでもしまうところが違ったり(元々あった場所が思い出せない)、洗い方がおかしい(このフライパンにアルミのスポンジは痛む)等など。百私が悪い。あと食材は母が計算して買ってくるので基本的に使ってはいけない。
だから親のいない時は卵と餅を食っている。お餅のフレンチトーストおいしい。
親に料理教えてもらいなよ、と言われるが母は弟の通院・スクーリングなど母にも用事がある。私も午後からバイトがある。2人がお昼時に時間のある日が少ない。
かつて母が料理を教えようとしていた時期があった。小学生の増田は裏面の説明を参考にカップ麺を作ることが出来た。しかし母は「カップ麺の作り方を教える」といって横で監視した。緊張で手元が狂い後入れ火薬を先に入れた。
別の日はチャーハンの作り方を教えてくれた。IHの元栓とか換気扇の位置とか見てたら「ぼーっとしない!」といわれ、言い返してしまった。一々言い返すほどのことでは無いんだが、家族以外にも直前に言われたことを覚えようとメモなどを取っていると「話を聞いていない」と勘違いされることがあり、カッとなってしまった。
その後高校生位になると午前中だけの時とかコソコソ飯を作るようになった。
ADHD妻ガー!!みたいな投稿ってきっと釣りじゃなくて、本人はやっているつもり・注意されてキレる・でも本人は頑張っているつもり なのでそりゃ嫌んなるよねーと思う。
最近は片付けられるようになったもののそれでも私が料理をすると嫌な顔をするので一人暮らし始めてから料理覚える方がいいかなって思ってる。お互い性格が合わないの理解してるし。
推しのこと別に性的に見てませんけど、私はとても推しに興奮しています!ってのを表現するために使われている時も多い
最近は「食べたい」もよく使われるようになった。推しをお餅とかにたとえて、食べたい!などと言って、決して性的には見てないけど、何か推しに対して侵襲性のある接触行為を取りたい気持ちを表現する手法である
こういうのって私は興奮しています!って構文だからどんどん表現がエスカレートしていくんだよね。最初は「赤ちゃんみたいでかわいい!」くらいだったのが、幼児言葉使いだしたり、推しの画像にヨダレかけや哺乳瓶のイラストをコラしたり。「白いお餅みたい」だったのが「二の腕にあんこつけてかぶりつきたい」とかになる。うん、キモいよな。
住宅街の中で、神社の真向かいにある若い兄ちゃんが一人でやっているパン屋だ
「いつ行っても閉まっているのよね」とのこと
8時から13時までしか開いておらず、おそらく売り切り形式なのですぐ閉まってしまうのだろう
昔、同じ同僚に紹介されて、そのパン屋で買ってみたら美味かったので、今日行ってみた
入口の1m弱先にはもうカウンターがあり、左右に置かれたスチールラックの上にハード系のパンが並ぶ
お客が動けるのは1畳くらいのスペースだけで、あとは全部キッチンというストロングスタイルの店構えだ
バゲット1本と、レーズン入りのサワー種のパン、オレガノがかかったフォカッチャを買った
店主は通り過ぎただけのおばあちゃんにも「おはようございます!」と声をかけていて、気持ちのよい人だなと思った
帰宅し、少し買いすぎたなと思い、両親に食べるかどうかを訊ねた
この店のバゲットは皮がガリっと音のするくらい硬く、お餅やおやきを連想するような強い香ばしさがある
硬めなので噛んでいくと中の小麦の味と、最後に少し酸味を感じる
美味いけど、クセの強いパンで、よくこんなパンを若い人の少ない住宅街で売ろうと思ったなと思う
パン食ったところをほとんど見たことない父が何だこれの顔をしながらバゲットを一口噛み、「美味いな」、モグ、「美味いな?」、モグ、「美味い…」と食っていた
あまりに「美味い」と言うので「他のも食う?」と聞くと、「他のも食いたい。もっと言うとコレ(バゲット)ももっと切ってほしい」とのことだった
とりあえず三種とも切って渡した
親父は他のパンもさては美味いな?といった顔で食い、「美味いな!」と確認していた
最終的に店の名前と場所を聞かれ、「お金を出してもいいからたまに買ってきてくれんか」と頼まれた
親父、パンも食うんだと知った朝だった
個人的にはフォカッチャの上にオレガノと岩塩がかかっていて、表面に油が染み出ている(塗られている?)やつが油!塩!オレガノの香りと苦み!小麦!って感じで美味しかった
「おぺち」という言葉は、現代日本語における若者言葉の一つである。この言葉は、元々は「お餅ちゃん」という愛称で呼ばれる可愛いキャラクターから派生したとされている。
現在では、主に女性同士の会話やSNS上でのコミュニケーションで使われることが多く、相手に可愛らしい印象を与えたいときに用いられる。また、最近では男性も使うことがあるようだ。
「おぺち」は、単語としては存在しないため、一部の人々からは非難されることもある。しかし、言葉は常に変化していくものであり、社会の変化に応じて新しい表現が生まれるのは当然である。若者たちが自分たちの世代に合った言葉を作り出し、コミュニケーションをより豊かにすることは、言語の進化において非常に重要な役割を果たしているのである。
「おぺち」が今後も若者たちの間で使われ続けるかどうかはわからないが、この言葉が生まれた背景にある、可愛らしいキャラクターや日本の文化に触れる機会があることは、非常に意義深いことだと思う。
最近、私は「おぺち」という言葉に興味を持ち始めました。この言葉は、日本語で「お餅ちゃん」という意味があるそうです。お餅ちゃんとは、可愛らしい見た目をしたお餅のキャラクターで、日本の文化に根付いています。
「おぺち」という言葉自体は、ネットスラングとしても使われているようです。特に、女性同士の会話でよく使われるそうで、「可愛い」という意味があるようです。
私自身は、日本語を勉強する外国人なので、まだまだ日本語の表現には慣れていない部分があります。しかし、「おぺち」という言葉には、日本語の面白さや独特の表現力を感じます。今後も、日本語の表現について学ぶ中で、「おぺち」という言葉に出会えることを楽しみにしています。
四十九日終わったらなんとなく実感できるのかな
昔からこういうのの受け入れが他の人より遅くて祖父の死んだのも半年くらい経たないと「もういないんだな」って気持ちにしっくりこなかった
いつでも会えるよ、また来るよって別れてその後しばらくして突然倒れてICUでもう会えなくなってて
ICU出て転院だよって時もどうしても仕事のタイミングが合わせられなかった
頭もぴんしゃんしてた人だったから落ち着いたらお見舞いに行きたいなと思ってたら風邪とかでそのまますっといってしまったみたい
両親も死に目に会えなかったみたいだからそういう予兆も全然なかったんじゃなかろうか
祖父が長患いだったから今回もそうなるんじゃないかってどこかで油断してたんだろうな自分は
死ぬんだよな老人はすぐに
分かっていると思ってて実際のところなんにも分かってなかったんだな
おばあちゃんのドーナツの作り方も紫蘇ジュースの作り方も何にもまだ教わってないよ
今年も桜がきれいに咲いてよかったねって話とかこっちの桜の方が先に咲いたとかそんな話もまだしてないんだよ
でももう起きてこないし話すこともないしなんなら起きてくる生身ももうないんだよ火葬も納骨も終わっちゃったから
なんにもしてないよまだ
そりゃ一個もしてないとは言わないけどまだもっとたくさんできたよ色んなことご飯食べたり猫の話したりとか
お正月のお餅のお米も炊き方細かく覚えてなくてお母さんと一緒に謎の物体でかしたりしてさ
なんでもういないのかな
寂しいとか悲しいとかっていうより穴が空いちゃってもうそれを埋めるための部品の取り扱いがどこにもないような感じが近いかもしれない
知ってる人が亡くなるたびにそういう気持ちになる
これからずっと直す部品がない所をどんどん増やしながら生きていかないといけないんだなと思うよ
みんなそうやって生きてきたんだから私もそうしないといけないんだろうな
長く生きていくってしんどいね